はたらく気分を転換させる深呼吸マガジン

イーアイデム

「敬語を使えない自分」に悩むのはやめた|トミヤマユキコ


誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、マンガ研究者・ライターのトミヤマユキコさんにご寄稿いただきました。

トミヤマさんがやめたのは「敬語を完璧に使わなければ」と気負うこと。とあるきっかけで敬語がうまく使えない自分に気づき、克服すべく努力しても、今度は会話が弾まなくなり落ち込むという悪循環に。「敬語をうまく使えない自分」とどう向き合ってきたのかをつづります。

***

ことばのプロなのに、敬語がうまく使えない

わたしにとって、ここ数年の大きな変化といえば、「敬語をうまく使いこなせない自分」を受け入れたことだ。自分は敬語が下手なのだと認めてしまおう。抗っても仕方がない。そんな気持ちだ。

とは言っても、敬語を否定したり、おろそかにしたりしたいわけじゃない。使えるときは使うが、うっかり忘れたり、間違えたりしても、あまり気に病まないことにしたのだ

フリーランスのライターで、研究者としての顔も持っているわたしを、世間は「ことばのプロ」だと思うだろう。自分でも、まあそうなんだろうと思う。でも、どういうわけか、敬語がうまく話せない。話に夢中になると、敬語がどんどん消えていって、最後はタメ口になってしまうのだ。

原稿を書くときは、どんなにラフな書き方をしても、あとから見直せばよいが、話すときはそうもいかない。口から出てしまったことばは、引っ込められない。その場にふさわしくないことばを使うたび、毎回フレッシュに「ああ、またやってしまった!」と落ち込んでいる。

「宇多丸さんにタメ口!」指摘されて気付いた自分のクセ

わたしの敬語がパーフェクトでないと気づいたのは、30歳を過ぎてからだった。『パンケーキ・ノート おいしいパンケーキ案内100』(リトル・モア)という本の出版をきっかけに、メディアへの出演が一気に増えたことで、遅まきながら自分の変なクセに気づいたのだ。

2013年、ヒップホップグループ「RHYMESTER」の宇多丸さんがMCを務めていたラジオ番組「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」に初めて出たときのことは、いまでもよく覚えている。乗せ上手&引き出し上手の宇多丸さんのお陰で、すっかり緊張の解けたわたしは、パンケーキについて思う存分しゃべりまくり、多幸感に包まれながら帰宅した。

『パンケーキ・ノート おいしいパンケーキ案内10』(トミヤマユキコ著/リトル・モア)

一息ついたら、次にやるのはエゴサーチ。みんなパンケーキに興味を持ってくれただろうか。すごくおもしろい食べ物なんだと分かってくれたらうれしいな。そんなことを思いながらSNSを見ると、うれしい感想がたくさんあった……のだが、「このひと、宇多丸さんにタメ口きいてる!」といったこともまた書かれていたのだった

これは完全に予想外だった。「え、マジで?」と思った。が、次の瞬間、ちょっとくらいのタメ口なら、わざわざ投稿などしないだろうということにも気づいてしまった。指摘せずにはいられないくらい、わたしのしゃべり方がラフだったに違いない。

そう思い、放送を聴き直すと、ボルテージが上がるにつれ、どんどん敬語が消えていくではないか。あいづちも「はい」じゃなくて「うん!」とか「そう!」になってるし……。あんた、宇多丸さんの友達じゃないんだから。リスナーさんが思っただろうことを、わたしも思った。自分のあまりに無防備なしゃべりに、頭を抱えずにはいられなかった。

しかし、一度頭を抱えたぐらいで直るようなクセではないのだった。実は、別のラジオ番組でも同じ失敗をしている。話が盛り上がっていくにつれ、どんどん敬語が消えていくわたし。それを見るに見かねたMCの方から「タメ口ですね!」と指摘されて、ハッとなった。

夢中になるとすぐこれだ。その場で「ごめんなさい」と謝り、どうにか語尾だけは「ですます」にして乗り切った。収録中に指摘せずにはいられないほど、わたしの語りがラフなのがいけない。「トミヤマさんはゲストだから」と我慢される方が100倍心苦しいので、その場で教えてくれて本当によかった。


敬語に気を付けたら、今度は会話が弾まなくなった

いい年した大人がこれでいいのか。メディアに出る人間がこれでいいのか。ことばのプロがこれでいいのか。いくつかの失敗を経験したことで、完全なる反省モードに入ったわたしは、ものすごく敬語に気をつけて話すようになった。

敬語を知らないわけではないので、正しく話そうと思えば話せなくはないのだ。が、そうすると今度はトークが全然弾まない。完璧な敬語を使おうとすることに意識を奪われてしまい、うまく話せないのだ。表面上は、会話が成立している。丁寧なことばづかいを通して、相手へのリスペクトも示せている。だが、会話にいまいち熱がこもっていない。いつもと比べるとどこか盛り上がりに欠ける。

なんだろう、この、関節のない棒人間にでもなったような気持ちは。歩けなくはない。一応、前に進んではいる。でも関節がないから、歩き方がぎこちない。ともすれば転んでしまいそう。

これは、とくにラジオというメディアにおいては、致命的な状況である。上っ面の情報をやりとりしているだけのラジオなんて、ラジオ好きからすれば論外である。わたしもラジオが好きだから分かるのだ、そんなトークじゃダメだってことが。

人と話すときに頭の中でいろいろ考えてしまってうまく話せない人がいるが、私の場合は敬語が絡むとそうなる。おしゃべりが得意なつもりで生きてきたが、そんなことないのかも……。

そしてわたしは「敬語以外」を頑張ることにした

そもそもの話に立ち返るが、わたしはなんでこんなに敬語が苦手なのか。その理由の一つに、大学→大学院→研究者と一般企業を知らぬまま過ごしてきたことが関係しているように感じている。

人生のほとんどを大学のキャンパスで過ごしているため、ある種の世間知らずというか、温室育ちな部分があるように思うのだ。(誤解のないように補足すると、同じ人生を送ってきた人でも敬語が上手に使える人はたくさんいる、わたしが環境に甘えていただけという説が濃厚)

若いうちは部活動やアルバイト経験を通じて上下関係や社会常識を身に付けたりするものだが、わたしが所属していた軽音部では「○○先輩」と名前を呼ぶことさえできればあとはタメ口でもOK。さらに一番長くやっていたバイトは家庭教師で、20代のうちから「先生」なんて呼ばれており、敬語を使うのはむしろ教え子たちの方だった。

編集プロダクションで編集補助のアルバイトをしたこともあったが、めちゃくちゃアットホームで小さな会社だったので、社会常識をゴリゴリに仕込まれる、みたいなことはなかった。そんなわけで、敬語をきちんとインストールしなくても、なんとかなってきてしまったのだ

今いる研究者の世界には、尊敬する先生方がたくさんいて、敬語を使う必要に迫られることもあるが、個人的には、すごい先生ほどコミュニケーションの形式にはこだわらないという印象がある。ある程度親しくなれば、「先生が教えてくれた文献めちゃおもしろかったよ!」なんて言っても怒られたりはしないし、むしろ「そうでしょうそうでしょう!」と友達みたいに盛り上がってくれたりするのだ。

というわけで、わたしがどうしてこういう人間に仕上がったかは理解していただけたと思うが、ひとりの人間としてこれからどう生きていくべきかを考えたとき、ことばづかいは大事だと思いつつも、敬語に気を取られておしゃべりが弾まなくなるのはどうしても避けたいと思った。

じゃあ、どうするのか。「お話が楽し過ぎて敬語があやしくなるかもしれません、すみません!」とあらかじめ謝る方向にシフトした。ちょっとずるいかもしれないが、早めの自己開示で、「そういう体質」であることを相手に伝えつつ、コミュニケーションをはかることにしたのだ。

ただ、相手に対して「ありのままを受け入れろ」と求めるのは、一方的で乱暴な気もするので、おしゃべり以外のところをこれまで以上にがんばるようにしている

例えば、依頼された仕事は一生懸命やって結果を出すことを重視する。社会性が「ない」ようで「ある」、と思ってもらうには、もう仕事をがんばるしかない。とくに、自分にはまだ早いとか、荷が重いとか思うような仕事こそ、逃げずにやるようにしている。

そういう仕事の仕方を、プレッシャーやストレスに感じる人もいるだろう。しかし、わたし個人は「痛きもちいい筋トレ」ぐらいの負荷だと思っているから、耐えようと思えるし、自分を成長させる意味でも、悪いことじゃないと感じている。できないことを無理してやらない代わりに、他のことをがんばる。それがいま、自分の中で、ちょうどいいバランスを保っている。

不完全な自分でいさせてくれる人たちに感謝

このような生活をしていると、周囲のひとに対して、いままで以上に感謝するようになる。わたしのような人間と一緒にいてくれてありがとうございます。心からそう思う。

いきなりタメ口をきいたわたしに怒ることなく、その後も繰り返し自身の番組に呼んでくださる宇多丸さんと番組スタッフさんには、心から感謝している。出演回数を重ねる中で、リスナーさんもわたしの喋り方に慣れてくださったのか、お叱りを受けることはなくなった。これも大変にありがたいことだ。

繰り返すが、パーフェクトな敬語を操れない自分を、許したわけでも諦めたわけでもない。いまでも、ちょっとアウェイな集まりに参加するときなどは、「わたし、ひょっとして、またやってしまうのか……」と思いつつも、果敢に敬語チャレンジをしている。

それで失敗しても、もう自分を責めたりはしない。早め早めの自己開示と、敬語以外のことを頑張って「結果」をしっかり出すことが大事! と言い聞かせながら、わたしは生きていく。それでこの世界に自分の居場所を作り続けられたら、とてもうれしい。

編集:はてな編集部

「できない自分」とどう向き合う?

どうしても朝起きられなかった私が見つけた、働き方と体調の関係。健康の形は、一つじゃない
どうしても朝、起きられない
「ちゃんとしていない」自分を隠さずに生きていく。歌人・岡本真帆さんに聞く、苦手をシェアする働きかた
“ちゃんと”できない
「自己肯定感を高く」は自分を苦しめる。できることを増やして“自信のリスクヘッジ”を|ぼる塾・酒寄希望
自分に自信が持てない

著者:トミヤマユキコ

トミヤマユキコさん

ライター/マンガ研究者 秋田県生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、同大大学院文学研究科に進みマンガ研究で博士(文学)を取得。2019年4月から東北芸術工科大学教員に。2021年より手塚治虫文化賞選考委員。著書に『労働系女子マンガ論!』(タバブックス)『女子マンガに答えがある』(中央公論新社)などがある。

フルタイム出社&管理職夫婦と中受控えた小6娘。みんなで運営する朝型生活【みんなの1日のスケジュール】


子育てしながら働くワーママ&ワーパパって毎日どうやって乗り越えているの……?

夫婦それぞれ、どんなタイムスケジュール&ルーティンで、どんな工夫をしているのかを教えてもらう本シリーズ。

第4回はゆるりさんに登場いただきました。

ゆるりさんプロフィール

ゆるり プロフィール

・総合病院で総務事務の管理職を務める42歳。定時は8:45〜17:15のフルタイム勤務だがしばしば1時間ほどの残業あり。在宅勤務なし
・妻(44)は自宅近くにある介護事業所の管理職(ケアマネージャー)として働いており、同じく毎日出社している。9:00〜18:00のフルタイム勤務だが、朝は定時より早く職場へ向かう
・小学6年生(12歳)の長女との3人暮らし

ゆるりさん家族の1日のスケジュール

こんにちは、ゆるりと申します。妻と子(12歳・小6)の3人家族で暮らしています。

わが家のキーワードは「家族がみんな一緒に動く」こと。家族全員で協力して家庭を運営することで、負担の偏りをなくし、忙しい毎日をなるべくストレスなく過ごせるようにしています。

加えてこの原稿を執筆している頃は子どもが中学受験に挑戦中のため、勉強時間と就寝時間を確保しつつ、朝型の生活を崩さないことを心がけてスケジュールを組んでいます。(その後、無事合格しました!)

★1 朝はみんな一緒に早起き&それぞれ朝食準備

「家族みんなで一緒に動く」ために大切なのは、生活のリズムを一定にし、朝型をキープすること。平日は家族3人とも6時に起床します。

朝食は子どもも含め各自で準備。週末、家族みんなでスーパーなどに買い出しに出かけ、レンジや電子ケトルを使って簡易調理できるミートボール、お茶漬け、カップスープなど好みの食べ物をストックしておき、平日は各々その日の気分で選んで調理します。

栄養面は昼食(給食)や夕食でカバーできているので、朝は自分自身で選ぶ楽しみを優先しています

ゆるりさんファミリーの朝食
最近の娘のお気に入りは、インスタントのオニオンスープ


子どもは時間がかかっても自分のことは自分自身でやりたい性格なので、できるだけ意思を尊重するため、朝の準備時間を多めにとっています

できれば大人はもう少し寝たいのが本音ですが、時間に余裕があると子どもを急かす必要もないので、一緒に早起きすることで親子ともにストレスなく過ごせています。

★2 夫婦でフォローし合い、負担が偏らないように

夕食時は家族揃ってコミュニケーションをとれる貴重なタイミングなので、3人で一緒に夕飯をとれるよう、だらだらと残業をしないようにしています。

夕食作りは、妻か私のどちらか早く帰れる方が担当。夕食担当でない方は食後に子どもの宿題をチェックしたり、夕食の片付けなどの家事を進めます。

ゆるりさんファミリーの夕食
ある日の夕食


ただ、妻が早く帰れる日の方が多いので、夕食作りは妻の担当になる日が多め。そのため妻の入浴時間を長めにとり、その間に私が家事を進めるなどして、負担が偏り過ぎないようにしています。妻に負荷をかけたくないのはもちろん、子どもに「男性と女性で家事の負担に偏りがないのが当たり前」と思ってもらいたいからです。

入浴後、子どもは中学受験のための勉強タイム。受験勉強を始める前の就寝時間は21時頃でしたが、勉強時間が増えたことで就寝時間がやや遅めに。ただし起床が早いので、睡眠時間をなるべく確保できるように22時半には就寝準備に入ります。

生活の変化に伴い就寝時間は変わりますが、「その時々で毎日決まった時間に寝る」ことは子どもが幼い頃から重視しており、できるだけ毎日のリズムを変えないよう気をつけています

★3 ストレス解消の自由時間を確保

入浴後に洗濯機を回し、妻と一緒に洗濯物を干したら一日の家事はひと通り終了です。当たり前ですが、一人より二人で干した方が圧倒的に早いので、わが家では一緒に干しています

その後は自由時間タイム。「家族みんなで一緒に動く」のは効率的ですが、「自分の時間」ももちろん必要です。この時間があるからこそ、毎日頑張れています。夫婦間での相談事があれば、この時間にゆっくりと話をします。落ち着いて話せる唯一のまとまった時間なので、お互いに不満などがあれば小出しに共有します。

「みんなで一緒に家庭を運営する」気持ちを大切に

わが家のように家事分担を明確に決めていないと、「自分だけがやっている」と片方に不満が溜まりがちかなと思います。

そのため、家族が揃っているときはみんなで一緒に「家のこと」をして、「どちらかが家事をしてどちらかがぼーっとしている」時間を極力作らないように気をつけています

例えば休日は朝ごはんを食べたあとの30分を「掃除タイム」にしており、みんなで一緒に家を掃除。私は掃除機がけや外の掃き掃除をして、妻は洗濯物を畳み、トイレ掃除。子どもにも、モップ掃除など簡単な作業をお願いしています。

正直、家事は大人だけでやる方がスムーズですが、子どもを含め「家族みんなで一緒にやっている」という意識を持ってもらうことが大切。子どもがもうすぐ中学生になるので、今後またルーティンが変わるかもしれませんが、「みんなでやれば何事も早く終わる」をモットーにこれからも3人で協力していきたいです。

編集:はてな編集部

「小学生の子ども」を持つ親の悩み

中学受験の塾選び、共働きは「送迎なし」で通えるかがポイント。ワーママの「中受」サポート体験談
共働きで「中学受験」に挑戦する際のポイント
働きながら子どもの不登校と向き合い「キャリアは常に右肩上がりじゃなくてもいい」と気付いた
子どもが不登校に。どう対応する?
保育園時代と何が変わる? 先輩3人が語る“小一の壁”の実態と乗り越え方
「小1の壁」って実際どうなんだろう……

「私にはもったいない」と欲しいものをあきらめるのはやめた|藤沢あかり


誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、ライター・編集者の藤沢あかりさんにご寄稿いただきました。

藤沢さんがやめたのは「自分にはもったいない」と、欲しいものやりたいことにブレーキをかけること。

ずっと憧れていたパールのピアスを思い切って手に入れ、「わたしは自分でやりたいことを決められるし、選ぶ自由がある」と思えるようになったできごとを振り返ります。

***

パールは、うつくしい。

じっとのぞき込むと、なめらかなやさしい虹が見える。上品で楚々(そそ)としたたたずまいと、凛とした強さ。地球がつくりだした光は、ありのままの姿で堂々と生きる、芯のあるひとにも重なる。それはまさに、わたしの思う理想の大人そのものだ。

パールの一粒ピアスに長くあこがれていた。顔のすぐそばで、光を集めて照らすパール。わたしの理想の、大人のピアス。

なかでも老舗の専門店がつくるピアスは、普遍の歴史と風格がある。しかし、あこがれのぶんだけ敷居も高く、なによりわたしにはまだ早過ぎて、もったいない

欲しいと思い描いては、まだまだと首を振る。似たような「それなり」の安価なものを身に着けては、浮かび上がる「ほんとうはこれじゃないんだけどな」に気づかないふりをする。

そんなことを十年ほどくり返し、気づけば四十も超えていた。

意志さえあれば手に入るのに、自意識が邪魔をする

「これ、いまの自分にはちょっともったいないかな」

なにかに迷ったとき、ついそう思うくせがある。買いものに限った話ではない。

あるときは、十数年あこがれ続けたクラシックホテルが、迷って足踏みをしているうちに休業が決まり、予約困難となってしまった(大泣きした)。

またあるときは、仕事で使う名刺をプロのデザイナーに依頼したいのに、「わたしなんかが」という気持ちが邪魔をする(そして仕上がった自作の名刺に毎度がっかり)。

パールのピアスも同じだ。「すごく欲しいのに、いまの自分にはぜいたくだ」と、みずからの手で払いのける。

迷いが経済的な理由であれば、まだ納得がいく。むしろお金という物理的なハードルなら、即座に判断もあきらめもつく。やっかいなのは、この「なんとなく自分にはもったいないかも」と思ってしまうときだ

おかしな自意識が邪魔をして、こころが「ほんとにいいの?」とストップをかける。

自分の意志さえあれば手に入るものに対して、うじうじと考え込んでしまうのはどうしてだろう。澱(おり)のようにこころの底に積もる「もったいない」を、ゆっくりほぐしていくと、思いあたることがあった。


「もったいない」の後ろにあるのは、自分への自信のなさ

わたしはいつだって「いま」の自分に自信が持てずにいたのだ。「もったいない」は「それを与える価値がない」ともいえる。自分に対して「価値がない」と言いつづければ、どんどん自信はなくなっていく。言葉とは、思考とは、そういうものだろう。

まだ、それを手にする自分になれていない。まだ、それが似合う体型になっていない。まだ、それに見合うだけの成果をあげていない。自分の至らぬ部分を見つけては、自分でやりたいことにストップをかける。

そんな思いを家族に打ち明けると、半分あきれ顔でこう言われた。

「自分が欲しいと思うのに、どうして買わないの? 経済的に大丈夫で、こころの底から欲しい、もしくは必要だと思うんだったら買えばいいし、そうじゃなければ買わなければいいと思うよ」

ああ、なんと至極まっとうで、シンプルな答えだろう。
買いたければ、買えばいい。望むなら、かなえればいい。

いまの自分を認めること、欲望を満たすこと。自分が思っているよりずっと、シンプルでいいのかもしれない。答えはわたしの外側ではなく、内側にある。それなら一度、素直に手を伸ばしてみようか。

いざ、ピアスを買いに銀座の街へ

そしてわたしは、思い切ってパールのピアスを手に入れると決めた。

銀座のまんなかで、ドキドキしながらお店に入る。ふんわかした絨毯に、まばゆいシャンデリア。「自分にはまだ……」という気持ちがまた浮かび上がってくるのを、ぐんと張った胸ではねのける。まるめたくなるからだを、あごの先でひっぱり上げるべく上を向く。
だいじょうぶ。自分に言い聞かせて、目当ての品を見せてもらった。

ショーケースのなかで、いくつものパールがつやつやと光っている。海のあぶくとも、木漏れ日のきらめきとも夜空のまるい月とも違う、パールだけの光。その光を、そっと耳元にあて鏡をのぞく。大きいもの、小さいもの、うんと大きいもの、うんと小さいもの。こころなしか、いつもの肌がぱっと明るく見える。それをよろこぶように、胸が鳴る。

デザインや予算、ライフスタイル。店員さんとコミュニケーションを取りながら選んでいると、だんだんと「自分にはもったいない」という気持ちが溶けていくようだった。「ピアスをつけるわたし」が、あこがれから現実になる。

たくさんのなかから、理想的な大きさと輝きの粒を選び「これにします」と言った。店員さんのアドバイスや家族の感想も聞いたけれど、最後はちゃんと、自分で決めた

包んでもらうのを待つ時間や、小さな紙袋を携えて、そわそわと浮き足立って歩く帰り道。そっと包みをほどく瞬間。よろこびは、ミルフィーユのように重なっていくのだと知った。

わたしの意志で、選びとっていく

そうして着けるパールのピアスは、「わたしにはもったいない」だなんて、ちっとも思わなかった。大切なピアスを着けたわたしは、大切にされているわたしに見える。ほかの誰でもない、わたしに大切にされている、わたし。きっと「もったいない」と、手を引っ込めたままでは気づけなかった気持ちだろう。

以来、心待ちにする約束や、旅に出るときはもちろん、なんでもない日もこのピアスを身に着ける。わたしのこころが「これがいい」と言っている。なんとなく選んだピアスを着けていたときと比べると、視線がうんと遠くに向けられる。はたからどう見えるかや、誰かにほめられることを望むのではなく、わたしのこころが納得し、よろこんでいる。

この感情全てをひっくるめてが「憧れを手に入れる」ということならば、わたしは「もったいない」という言葉で、たくさんのチャンスを逃してきたのかもしれない。体験は、わたしのこころとからだを通過しながら愛着をたずさえ、かけがえのない経験になる。

当然ながら「高いものは、良いものだ」と言いたいわけではない。大切にしたいのは、欲しいものを自分の意志で選び、決めていくこと。やりたいことに、まっすぐに手を伸ばすこと。本筋から逸れた理由で、欲望にふたをしないこと。

わたしは自分でやりたいことを決められるし、選ぶ自由がある。ならば、その気持ちをもっと、もっと守りたい。「自分にはもったいない」とストップをかけるのは、もうおしまいだ。

朝、引き出しをあければ、わたしのパールがそこにある。右に、左に、光を添えて、一日がはじまる。

編集:はてな編集部

いまの自分を「受け入れる」ことの大切さ

「自己肯定感を高く」は自分を苦しめる。できることを増やして“自信のリスクヘッジ”を|ぼる塾・酒寄希望
無理してポジティブにならなくてもいい
「他人の価値観で自分にダメ出し」するのをやめた|太田明日香
「他人の価値観」で自分にダメだししない
他人と比較することをやめる|あたそ
「他人の生き方と比べる」のはやめた

著者:藤沢あかり

藤沢あかりさん

編集者・ライター。大阪府出身。雑誌やweb、書籍を中心に、住まいや子育て、仕事、生き方などの記事を手がける。著書に『レシート探訪』(技術評論社)
Instagram:@akari_kd
note:@tamagodaisuki
Webサイト

忙しい中で仕事を効率よく切り上げ、「自分の時間」を楽しむために私が工夫していること

忙しい中で仕事を効率よく切り上げ、「自分の時間」を楽しむために私が工夫していること

出勤日は仕事ばかりで1日が終わり、せっかくの休みも疲れでぐったり……。忙しく働く中で、そんなふうに過ごしている人は少なくないでしょう。

スタートアップ企業で働く会社員でブロガーの円錐さんも、かつてはそんな余裕のない日々を送っていました。しかし大好きな趣味ができたことから、「平日も休日も自分の時間を楽しめる、効率のいい働き方」を実践するようになったそうです。

***

仕事とプライベートのどちらにも全力投球しているような、パワフルな人に憧れる。でも自分は、そんなパワフルな人間にはなれないな、とも思う。

私は3年ほど前に、今も働いているスタートアップに入社した。新しい価値を提供できるものを作っているという達成感や楽しさはあったものの、スタートアップならではのスピーディーな意思決定に急かされ、終電ギリギリに会社を飛び出すような日々は、だんだんと私を疲弊させた。

そんな折に「観劇」という趣味ができた。日常を忘れ、夢を見ることができる煌(きら)びやかな時間。「休日は趣味のことしか考えたくない!」と意を決したが、平日は仕事、休日は趣味に全力投球という対極のスタイルは、気力的にも体力的にも自信がない。平日にフルスロットルで頑張ると、休日に観劇を楽しむ元気が残っていないのだ。

観劇時の愛用品
愛用品のオペラグラス、ハンカチ、チケットファイル、客席参加型の演出で使った公式グッズ

そこで私は、出勤日と休日を二極化させるのではなく、休日に加えて平日の仕事終わりにも自由な時間を楽しむため、「いかに効率よく仕事を進めるか」を意識するようになった。

自分に合った「効率のいい働き方」を見つけたことで、さほどパワフルでない私も、しっかり趣味や自分の時間を楽しめるようになり、生活へのモチベーションを維持できている。今回は、私が実践してきたことについて紹介したい。

効率のいい働き方を探るため、まずは「自分の性質を見極める」

「どうすれば効率よく仕事ができるか」を考えるために、まず自分について振り返ってみた。そこで見えてきたのは、自分には大きく、以下の2つの性質があるということ。

  • 夏休みの宿題のように、与えられた課題を最後に駆け込みでやりがち
  • やることが複数あると、他のことが気になって集中できなくなる

自分を変えるのは難しいので、どうにかしてこれらを生かしながら効率化したいと考えた。

「夏休みの宿題のように、与えられた課題を最後に駆け込みでやりがち」というのは、逆に言えば、締め切りに追われれば集中できるということ。

そこで、友人とのお出掛けや映画鑑賞など、簡単には破れない楽しい約束を、仕事終わりや土日の予定に入れることにした。結果、どうしてもその予定を決行したいので締め切り前の集中力を発揮できたし、間に合わせるにはどうすればいいか? と締め切りから逆算してタスクの開始期間や処理方法を考えるクセもつけられた。

「やることが複数あると、他のことが気になって集中できなくなる」という性質については、仕事中にSlack(チャットツール)の通知や差し込みの仕事が来ると、途端にそちらのことしか考えられなくなって、集中できなくなるのが悩みだった。

そこで「なぜ新しく来た仕事や通知の方が気になってしまうのか」を深堀りしたところ、「まだ見ぬ大きなタスクが待ち構えているのでは」という恐怖感があるからだと分かった。つまり、新しく来たものが「いつまでにやるどんな仕事か」を整理できれば、元の仕事への集中を取り戻せる。

そこで新しい仕事が来たら、一度手を止めてタスクの全容を確認してToDoリストに入れてしまい、簡単に連絡も返して「すぐにボールを手放す」ことを心がけた。

こうすることで一時的に私の手からタスクが離れるので、再び優先度の高い別のタスクに戻れるのだ。この「連絡をすぐに返す」ことによって、「仕事が速い人」と認定してもらえるのはうれしい副産物だった。

そしてもう一つ大切にしているのが「週5日全てをフルスロットルで頑張り過ぎず、曜日によって緩急をつけること」

きっかけは、尊敬する元上司の女性が「月曜から頑張り過ぎると金曜までもたないよね〜」と何気なく話していたことだった。忙しい人ほど自分を知って調整していたのかと目から鱗(うろこ)が落ち、自分もまねして「体力貯金」を意識するようになったのだ。

在宅と出社が半々くらいの働き方なので、週初めは仕事を詰め過ぎないようにし、出社日を連続させないことで体力を温存。今は月水木を在宅に、火金を出社日にするのが自分にとってちょうど良いと感じている。

在宅の日は仕事を早めに切り上げたあと、自炊をすることが多い。金曜は会社で集中したあとに、友人との食事などの予定を入れる。前述の通り、楽しい予定までにいかに仕事を終わらせるかが勝負なので、自然と集中できる。

早く帰るために実践している、仕事を効率よくこなすコツ

他にも自分の性質をふまえて、仕事を効率よくこなすために実践している小さなコツがいくつかある。

  • 【1】「今日絶対にやること」は紙に書き出す
  • 【2】作業に集中したい時はSlackの通知をオフに
  • 【3】作業用BGMを流す

以下で詳しく紹介する。

【1】紙に今日やることを書き出して、頭の中を整理する

普段はクラウド上のツールにToDoをまとめているが、「今日絶対にやること」は始業のタイミングで紙に書き出している。私の場合は書き出す行為で頭が整理されて、タスクの優先順位やかかりそうな時間が想像しやすいからだ。終わったタスクに線を引いて消すことでも、頭を切り替えられている。

【2】「作業に集中したい時間」を同僚に共有し、通知をオフに

前述の通り気が散りやすいので、まとまった時間が必要な作業時には、Slackの通知をオフにしている。ただし、特に在宅時、すぐにSlackで連絡がつかなくても相手を困らせないよう、社内で共有しているカレンダーには「作業集中」などと書いておき、状況を共有している。そうすることで突発的な打ち合わせも他の時間に回してもらえるし、「ブロックした時間中に絶対に終わらせる」という制約ができて、集中力が高まると感じている。

【3】自分が集中できる「作業用BGM」を流す

何かしらの音を流していた方が集中できるタイプなので、集中力が必要な作業のときは、雨の音などの環境音やクラシックを音量控えめに流している。受験勉強の時に担任から「ビートが刻まれている音楽や人の声が入ったものは思考の邪魔になりやすい」と言われたことがきっかけで今も律儀に守っているが、確かに集中できるように感じる。

ひたすらSlackで簡単な返答を返すなど、集中力よりサクサクさばくことが重要な作業の際には、カフェミュージックなどを適当に。堅苦しくなくリラックスできそうな音楽、かつ、知っている曲だと口ずさんでしまって気が散るので、知らない曲であることが重要だ。

仕事終わりは、モチベーションを上げる「至福の時間」に

週末に観劇が待っている!というのはもちろん楽しみだが、その気持ちだけでは、週の大半をしめる平日を乗り越えるのが難しいときもある。だから、平日の仕事終わりにも、自分のモチベーションを上げてくれる「楽しみ」が必要だ。例えば、こんな楽しみを取り入れている。

  • 【1】自炊をする
  • 【2】読書を楽しむ
  • 【3】日記を付ける
  • 【4】レイトショーを見に行く
  • 【5】たまに平日も観劇に行く

【1】自炊をする

もともと私は料理が苦手で、以前は料理が得意な夫任せだったが、最近は料理をしながらちょっとお酒をたしなむ時間が好きになり、自炊をするようになった。お気に入りのPodcastを聞きながら材料を刻んだり煮込んだりするうちに、仕事から意識が離れて気持ちがゆるんでいくのを感じる。

作る時間を楽しむのはもちろん、当たり前だがアウトプットとして料理が出来上がるので、何かを成し遂げた気持ちになって自己肯定感がちょっと上がるのもいい。

自炊の様子

【2】読書を楽しむ

平日は通勤時や食後、入浴中に読書をすることが多い。好きな作品に没入できる大切な時間だ。昨年から読書管理アプリで記録をつけており、月にどのくらい本を読めているかが、忙しさや心の余裕のバロメーターになっている。

【3】日記をつける

ここ数年はほぼ毎日、紙の日記をつけている。たいしたことのない日常の出来事でも、書き出すことで思ってもみなかった言葉が出てくることがあり、新しい気付きがある。それに、気持ちが上がらないときに過去の日記を読み返して、どん底の気分の日や楽しい旅行の日を振り返ると、なんだか元気になれる。


【4】レイトショーを観に行く

一人で、もしくは友人と一緒にレイトショーに出掛ける。平日夜の映画館は仕事帰りの大人が多く、静かで非日常的な雰囲気になるのが好きだ。友人と行ったときは、見終わった後、お酒を飲みながら感想戦ができて楽しい。

【5】まれに平日も観劇

一番のご褒美かつ、何よりも拘束力の強い締め切りになってくれるのが観劇だ。基本は土日がメインだが、有給やフルフレックス制度を使って、まれに平日に行くことも。読書や映画鑑賞もそうだが、目の前の舞台のことしか考えられなくなり作品に没入できるので、平日の充実度が格段に上がる。

自分の人生で何に時間を費やす?

趣味の時間を大切にするようになったことで、仕事にも生活にもメリハリが生まれた。楽しみが待っていることで心に余裕ができたし、頑張る理由にもなった。私の場合は「観劇」がきっかけだったが、多くのお金や時間を費やすような趣味でなくても、日常の中にある小さな楽しみを増やしていくことが大事だと感じている。

仕事に忙殺されていたかつての私に伝えたいのは「ずっと全力投球じゃなくてもいい」ということ。自分の気持ち、やるべきことの優先度などは、生きていく中でその時々によって波がある。それなのに、仕事に対してだけずっと高出力である必要はないと思う。会社やSNSでパワフルに見えるあの人も、きっとどこかで自分の羽を休めている。

もちろん時には、仕事に時間をかけることや量をこなすことが必要なときもある。それでも、時々ふと立ち止まって「自分ってどんな人だっけ? 何があると頑張れるんだっけ?」と自分に問いかけたい。人生の中で何に時間を費やすか、それを決められるのは、自分自身だけだ。

編集:はてな編集部

働きながら「自分の時間」も大切にする

突然はまったプロ野球が、仕事で悩む日々に寄り添ってくれた。選手が教えてくれた「調整」の大切さ
「プロ野球」にハマって気付いた、調整することの大切さ
仕事と育児で忙しくても自分の時間を確保するため「朝時間」を活用するようになった話
「朝時間」を活用するようになったら、心に余裕ができた
登山のおかげで「仕事で何かができる人」になれなくてもいいと思えるようになった
「仕事で何かができる人」でなくてもいいと、登山が教えてくれた

著者:円錐

円錐さん

チラ見するだけのつもりがいつの間にか立派なオタクに成長してしまった宝塚ファンです。好きな人がたくさんいて心も体もうれしい悲鳴。

X:@_ensui ブログ:衝撃的誘惑スパイラル

合理性や安定感で「会社員」を選ぶのはやめた|ひらいめぐみ


誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、フリーランスで執筆活動を行うひらいめぐみさんに寄稿いただきました。

心配性な性格で「安定」を求め会社員を選び続けるも、たびたび体調不良に見舞われ、転職を繰り返してきたというひらいさん。

自分が本当に望むものを見つめ直し「合理性を重視してものごとを選ぶこと」をやめた経験を振り返っていただきました。

***

30年間抱いていたもやもやの原因に、占いで気づく

職種も業界も転々としながら転職を繰り返し、これ以上自分に合う環境はないだろうと思っていた6社目で働き始めて1年がたつ頃、また体調を崩した。

処方された薬では吐き気と胃痛が一向に改善せず、胃カメラで検査をしてもらったが、原因は分からなかった。毎日起き上がって仕事をしているのもつらいのに、麻酔が完全に効いていない状態で胃カメラをつっこまれてしまったものだから、検査が終わった後はより一層具合が悪くなってしまい、のそりのそりと足を引きずるように帰宅した。

おかしいじゃないか。わたしは怒っていた。だって、数年前も仕事で体調を崩して、下(大腸)の内視鏡検査をやったのだ。いくらなんでも、わたしの人生には内視鏡のターンが多過ぎる。

なぜこうも仕事がだんだんつらくなって、内視鏡検査をやるはめになるのか。「今の仕事が漠然とつらい」ことは分かっていても、なにがどうつらいのかがよく分からない

そんなとき、ひとりの顔が浮かんだ。手相や琉球推命、タロットカードなどさまざまな手法の占いができる、Oさんだ。以前手相を見てもらったときに言われたことがものすごく当たっていて、そろそろまた見てもらいたいなと思っていた。もしかしたら、これからの仕事についてなにかヒントがもらえるかもしれない。

「発想力を表現する分野で自身を発揮できるタイプなのに、過度に真面目で、石橋を叩いて渡る性格だから失敗を先に考えてしまって挑戦しづらい。クリエイティブな仕事に就きやすい能力の持ち主なんだけど、向いている性格じゃないんだよね、ひらめちゃんは」

Oさんの占いの結果は人生で抱いていたもやもやの原因を表してくれている、と言い切ってしまえるくらいには、衝撃的な内容だった。そして同時に、すごく納得できる結果でもあった。

なぜならOさんが指摘するように、「あたま(=合理性、論理的視点)」と「こころ(=直感的視点)」が噛み合わないような感覚は、以前からうっすら感じていたのだ。

世間的に「良い会社」は、わたしにとっても「良い会社」?

Oさんの言うとおり、わたしはかなり心配性である。先々のことを気にかけ、合理的な判断を選ぼうとしがちだ。行ったことのない待ち合わせ場所には、家からの距離にかかわらず、最低30分前には着くように向かう。外食では、気になるメニューがあっても、味が分かる安心感からいつも同じものを選ぶ。

その一方で、ふつうはあまり選ばないような選択をするときがあった。男子しかいない軟式野球部に未経験で入部してみたり、「成人式に振袖を着る」という慣習に居心地の悪さを覚えてスーツで出席してみたり。

周囲からは「慎重で合理的な性格なのになんで?」とちぐはぐに見えるかもしれないが、自分でもよく分からない。でも、どちらの自分も「自分」なのだ。

今思えば、初めて会社に就職したときも「あたま」と「こころ」が噛み合っていなかった。詳細は近著の『転職ばっかりうまくなる』でも書いているが、就職活動のいろいろを経て、大手の人材会社から内定をもらった。

給与条件が良く、福利厚生もしっかりしている。世間的には「いい」会社で、合理的判断をすればこの会社に行かない理由がない。「あたま」で考えたら、ベストな選択だと思った。

『転職ばっかりうまくなる』(百万年書房)

しかし学生時代にアルバイトをしていた出版社の飲み会で内定先を報告すると「ぜったいやめた方がいいよ!」と心配そうに言われた。想像していた反応とはまるで違っていたのに、なぜか心の奥の違和感を見透かされているようで、ぎくりとした。

結果、入社して3カ月で体調を崩し、休職を経て1年以内に退職した。「せっかく入ったのに今辞めたらこの先のキャリアにとって良くないかもしれない」「まだもらっている給与分の成果を出せていない」とあたまの中で考える自分と、「この会社になじみたくない」という直感的な危機感を抱く自分が押し合ったが、体調のこともあり最後はこころ(直感)に従うしかなかった。

社会からはみ出さないように働くのは、わたしにはむずかしい

それならば、と別の業界や職種も試してみたけれど、結果はいつも同じだ。体調が不安定になり、働けなくなってしまう。

会社で働くと、いかに効率よく仕事を進められるかが重要事項となる。30分刻みでスケジュールをカレンダーに入れ、すぐに終わりそうなタスクはサッとこなし、メールでよく使う文章は定型文に登録しておく。いつのまにかあたまで考えて決めなければならないことばかり増えていく

そうでなければ生き残ることはできない、とすら思わされる。はみ出してはいけないのだ。わたしの「あたま」も、そう理解している。

それでもわたしは「こころ」が動くと立ち止まった。営業先に行くために初めて五反田へ降り立ったときオフィス街に流れる川を見つけてうれしくなったり、オフィスの大きな窓ガラスに美しい夕焼けが広がっていてしみじみと感激したり、会社近くの銀杏並木にうっとりしたり。

そのたび、そばにいる上司に、連絡先を知っている同僚に、沸き立つ気持ちを共有したくなる。だけど、「言ったところで」とすぐさま気持ちがしぼんでしまう。

会社で働けば働くほど、「こころ」を優先するのは難しいと感じていたけれど、給与が安定していて、ある程度決まった業務内容の仕事が与えられる「会社員」という働き方を手放す選択は、慎重なわたしにはなかなかできなかった


結局、「あたま」よりも「こころ」の方が分かっている

その後、何度かの転職を経て今まででいちばん自分の性質に合っており、働きやすいと感じた会社が、一番最初に書いた6社目だった。にもかかわらず、体調を崩してしまうのは、占いの結果通り、やはり「あたま」で考えていることと、「こころ」が感じることのなにかしらがズレているからだ。

ようやく自分に合った職種が見つかったのに、一年そこそこで辞めてしまうのはもったいない。だけど、どうしても「会社員」として働くこと自体を苦痛に感じてしまう。ほんとうは、もっと自由に働きたい。

病院で検査をしてもらった結果、短い期限の仕事に追われると強いストレスを感じることや注意力が散漫な特性があることが分かった。悩んで悩んで6社目の会社を辞め、フリーランスになることを決めた。

毎月決まった給与と業務をもらえる安定をとった方がいいという「あたま」の判断ではなく、自分にとって働きやすい環境を求める「こころ」を優先してみることにしたのだ

カレンダーの予定はほぼ白紙になった一方で、仕事で感じるストレスが激減した。職種や契約内容によるかもしれないけれど、どうやらわたしの場合は業務量が把握しやすいフリーランスの方が「働きやすい」ようだった。

とはいえ性格はなかなか変えられるものではない。気を抜けば先のことを必要以上に心配し、リスクを想定してしまう。仕事が減ると「やっぱり会社員として働く方が合理的なんじゃないか」という思考に引っ張られそうになる

今の働き方で「あたま」と「こころ」のバランスが均衡を保てていても、いつかはどちらかに傾くかもしれない。そうなったら、会社員に戻る可能性も大いにある。いつの日かフリーランスの働き方がしっくりこなくなったら、そのときはまず「こころ」がどうしたいか、耳を傾けるようにしたい。

「あたま」で考えていたらたどり着けなかった今があるように、結局のところ、「こころ」がいちばん「自分がどうしたいか」分かっている

原稿の執筆に行き詰まり、気分転換にと外へ出る。空気は冬らしく冷え込んでいても、着実に日が長くなっていることを感じる。小学生たちの下校ラッシュにぶつかったようで、なにがたのしいのか、けらけらと笑いながら男の子たちがわたしの横をかけていく。

理由もなくたのしい。理由もなく走り出したくなる。そうやって心のままに生きている子どもたちを見ていると、自分はまだまだ考え過ぎだなと思う。

コンビニに寄り、ふたつのグミで迷って、いつもなら同じ種類のお菓子はひとつしか買わないところ、ふたつとも買った。ちいさく、合理性からはみ出してみる。グミ二袋分の、コートのポケットの膨らみ。わけもなくうれしい気持ちに包まれながら、帰路についた。

編集:はてな編集部

今の仕事、私に合ってないかも……?と思ったら

他人の評価を気にしてばかりだったわたしが仕事選びの“軸”を見つけ、理想の暮らしにたどり着くまで
「他人」の評価ばかり気にして、「自分」に合う仕事が分からない
「正社員以外ありえない」と思い込んでいた自分が「雇用形態よりも大事なこと」に気がつくまで
「正社員以外ありえない」と思い込んでいた
どうしても朝起きられなかった私が見つけた、働き方と体調の関係。健康の形は、一つじゃない
朝起きられなくて、周りと同じように働けないあなたへ

著者:ひらいめぐみ

ひらいめぐみさん

1992年生まれ。7歳からたまごシールを集めている。2022年に私家版『おいしいが聞こえる』、2023年に『踊るように寝て、眠るように食べる』、『転職ばっかりうまくなる』(百万年書房)を刊行。好きな食べものはおでんとかんぴょう巻き。

X:@hiramelonpan

働きながら子どもの不登校と向き合い「キャリアは常に右肩上がりじゃなくてもいい」と気付いた

働きながら子どもの不登校と向き合い「キャリアは常に右肩上がりじゃなくてもいい」と気付いた

フリーランスで編集やWebデザインの仕事をしているbranco MICHIYOさんに、「子どもの不登校と仕事の両立経験」についてつづっていただきました。

お子さんが小学校に入学して少し余裕が生まれ、キャリアアップを目指して動き始めたタイミングで始まった不登校。お子さんと向き合う時間の中で、自身の働き方についてあらためて見つめ直したといいます。

***

家庭との両立でキャパオーバーになり「仕事」を減らすことに

第一子が1歳になるタイミングで転職した事業会社に、私は唯一のデザイナー兼広報の正社員として入社した。唯一のデザイン職採用というプレッシャーの中、「結果を残したい」と意気込んでいたが、予想以上に子育てとの両立は大変だった。

とにかく子どもが寝ない。さらには環境の変化に敏感で、しょっちゅう熱を出す。毎週の病院通い、遅刻早退は当たり前。一方で夫は不規則なシフト勤務で急な休みが取りづらく、さらに夫自身が体調を崩し寝込むことも多く、家族のためと何とかがんばって会社に向かっているような状況。時間的にも体力的にも夫からの協力を得ることは難しく、ほとんど一人で対処するしかなかった。

病気でつらそうな子を前に「また会社を休まなければならないのか」などと思う自分が嫌いになった。仕事も子育ても家事も全部が中途半端だと感じていた。

しかしそんな慌ただしい毎日は、第二子妊娠中、切迫早産で絶対安静になったことから一転。ただぼんやり天井を眺める日々の中で「次こそうまくやろう。ペースを落とせば大丈夫」と考え、産休・育休を経て時短社員として復帰することを決めた。

ありがたいことに、第二子は夜になるとすっと寝てくれた。姉と弟で続けて体調を崩すので遅刻・早退・お休みは変わらず多かったけれど、慢性の寝不足が解消され、頭はずいぶんクリアになってきた。

「これなら仕事と家庭の両立ができる」という淡い期待を抱いたのもつかの間、次に降って湧いてきたのが義実家の相続問題や介護問題。そんな中で持病のメニエール病が悪化し、私はついに会社で倒れた。この時にやっと、「キャパオーバー」だと認めることができた。

夫とたくさん話し合って、私は「仕事」という荷物を減らすことに。2020年4月、晴れて私はフリーランスとなった。

キャリアアップを目指そうと考えた直後の「登校しぶり」

前職の会社と業務委託契約を結び収入が安定していたことなどもあり、フリーランス生活はおおむね順調に走り出した。取材や打ち合わせが入らない限りほぼ在宅で仕事と家事を効率よくこなすことができるし、周囲に気を使うことなく自分で時間を管理できる働き方も、気疲れしやすい私には合っていた。

フリーランス3年目に、第一子の娘が小学校へ。私に似て感受性が高く敏感な気質の娘を心配していたが、すんなり学校生活に溶け込んでいった。心身にも時間にも余裕もできたことで「キャリアアップしたい」と考えるようになり、オンラインのWebデザインスクールに入学。日中はこれまで通りに仕事をし、子どもたちがご飯を食べている間や寝ている間を勉強時間に充てるなど、再び慌ただしい日々へ飛び込んだ。

そして小学一年生の三学期、娘は突如学校に行けなくなった。

初めての異変は、ある日曜の夜。娘が「学校がこわい」と泣きながら部屋中をうろうろ歩き回った。理由をたずねても本人も分からず、ただ「こわい」を繰り返した。翌日はゆううつそうに登校したが、帰ってくると「楽しかった」とケロリ。でも数日すると、また同じことに。やがて、朝になるとお腹が痛い、頭が痛いと動けなくなり、学校に行けなくなった。

夜には「明日は行く」と言うけれど、朝になると動けない。私は「休んでいい」と言いながら「本当は行ってほしい」という相反する気持ちもあって、何となくぎくしゃくした空気の中、二人っきりで家で過ごしていた。

担任と話をしてみるも、活動に積極的で友だちと目立ったトラブルもないと言われ、原因らしい原因は見当たらなかった。私の顔色をうかがう娘に対し、できるだけ笑顔でいることを努めたものの、私の心の中は先の見えない不安でいっぱい。「どうして学校に行けないの!」と責めるように私が泣き喚いたこともあった。娘も「ごめんなさい、明日は行くから」と泣き出し、ものすごい罪悪感に襲われ「無理しないでいい」と心にもない台詞を吐いて、二人でわんわん泣いた。

「本当に娘が望むまで学校に行かなくてもいい」と思えるようになるまで、数カ月かかった。
 

働き方を変え、娘も私も無理のない登校再開を目指した

ある時、毎朝「今日は学校行く?」と聞くことにも、聞かれることにも疲れた私たちは、「お休み」をスタンダードにすることにした。

学校には行ける時だけ、事前連絡を入れる形にして、私が付き添って登校した。この頃は教室には全く入れなかったが、保健室には顔を出すことができた。終始私も付きっきりではあったけれど、30分・1時間と少しずつ滞在時間が増えた。疲れたら休み、かと思えば半日ぐらい過ごせる日もあった。一進一退を繰り返しながら、娘のペースで学校と関わりを持つようになっていった。

娘に寄り添うことにもだんだん慣れ、家でも二人で穏やかに過ごせるようになってきた。「ママと離れたくない」とトイレも一人で行けず、生まれたてのヒナのように私の後に前にと付いてくる娘と、24時間離れることがない生活。

以前と同じようには働けない環境の中で「仕事」を続けるため、「進め方」や「環境」を工夫することにした。タイトな締め切りの新規仕事はお断りをし、余裕を持ったスケジュールを組んだ。デザインの仕事は、後で大きく内容がひっくり返らないよう、完成度7割程度でクライアントに共有し、意見を聞いた上で調整を加えるやり方にした。

また、私は仕事、娘は勉強やお絵描きなど好きなことをして過ごせるよう、作業スペースには横並びで使える長机を置いた。

DIYした作業机
幅2m近くの木材に脚をつけて作業机をDIY。二人並んでも窮屈にならない

私のお古のトレース台とカラーペンを娘に与えると、いつの間にかお絵描きからデザイン画に発展し、たくさんのファッションデザイン画が出来上がった。「ファッションデザイナーになりたい」「大きくなったらママとお店を出す」とまで言うように。どんな内装にしようか、場所はどこがいいかなどと語り合った時間は、今でも心を温めてくれる宝物になった。

私は「学校には絶対行くべき」とはもう思わなくなっていた。この頃に娘は、学校に行けない理由をぽつぽつと話してくれた。「教室で騒ぐ子が理解できない、どなる先生がこわい、でも授業は好き」。学びへの意欲が高い娘のために、教育を誰が・どこで提供するかが次の悩みになった。

私が勉強のサポートをするのにも、限界がある。フリースクールや家庭教師・不登校向け学習塾といった選択肢もあるが、どれも毎月4〜5万円の出費が必要な上、学校ほどの手厚さは期待できないし、通えても付き添いが必要な場面も多い。私は既存の仕事をこなすだけで精一杯、しかも収入が下がっている中、難しい選択だった。

娘には、そのままを伝えた。学校以外の選択肢を二人で探って、体験して、その上で娘は「学校」を選んだ。私ができることは、娘が学校に行きやすい環境を整備することだけ。あとは娘自身でがんばるしかないと腹をくくった。

娘への理解と環境整備のために、たくさんの本や記事を読んだ。そして本を参考にしながら、周囲の環境に刺激を受けやすい娘の性質について、A4サイズの紙3枚にまとめた。

例えば、大きな声や叱責には他の子以上に萎縮すること、娘が保健室に行きたいと訴えるのはすでに限界がきているタイミングなので快諾してほしいこと、真面目でルールを重んじるので期待された役割はきちんとこなせることなど。

苦手なことだけでなく、長所の部分も記した。できるだけ簡潔に、先生方に実行してもらいやすいように。担任や教頭先生に直接相談し、さらにはもうすぐ2年生になるタイミングだったので、次の担任にも引き継いでいただけるようお願いした。

また、娘が信頼できる先生方には、娘がきたら笑顔で受け止めてもらえるよう、お願いのあいさつ回りもした。中でも保健室の先生は、娘だけでなく私のことも気遣ってくれた。この時期、踏ん張りがきいたのは、間違いなくこの先生のおかげだ。

悩んで選んだ道は全部「正解」。「今」の積み重ねが未来を築く

娘はずいぶんと元気になってきた。母子登校は続いていたが、担任の配慮もあって、保健室登校から教室に行ける日も増えた。時には、放課後に学校のお友だちと公園で遊ぶことも。登校しぶり以前よりも、かえってのびのびと活発になってきたようにも思えた。「自分のことは自分で決める」と自信もつき、私から離れても平気な時間が多くなってきた。

明るい兆しが見え始めた一方で、私にはこれまでの疲れがどっとのしかかってきた。母子登校で子どもたちの中に一人ぽつんと大人が混じる状況は、何とも言えないしんどさがあった。「もう母子登校を止めたい。でもそのせいでまた学校に行けなくなったら」「そもそも私がいつまでも娘に合わせるから、甘えているのかも」何が正解か分からず、スクールカウンセラーに「正解」を求めた。

返ってきた答えは意外なものだった。「決まった正解はない、あなたが悩んで決めたことが正解」。また同時に、学校に行く行かないは娘の問題で、私が悩むことではないとも言い切られた。

私は自分の気質とよく似た娘をいつの間にか自分と同一視していて、親として良い方向に導かなければと勝手に気負っていたことに、ようやく気付いた。

それからは「娘のことは娘に任せよう」と割り切ることができた。それに私は十分によくやっていると、肯定的な気持ちも湧いてきた。

ともに悩んで、寄り添ってくれた先生方とも話し合って、これからは教室へと背中を押そうと決めた。娘ならできる、と信じようと。

さらに幸運なことに、このタイミングで、同じクラスのお友だちのお母さんから「子どもたちを一緒に登校させよう」と声をかけていただいた。娘には「ママは一緒に登校するのも教室に行くのもつらいから、もう行かない。学校に行くのも、早退するのも自分で決めてね」と正直な気持ちを伝えた。娘は不安そうにしていたけれど、大好きなお友だちの支えもあって、決意したように「がんばる」と一言。

まずは一週間と送り出してから2カ月。ほとんど休むこともなく、1日学校で過ごすことができている。以前は私とお店を出すと言っていたのに、今ではお友だち数人と一緒にやる約束をしたからごめんねと言われた。さみしい気持ちも少しはあったけれど、娘の成長がたまらなくうれしかった。

娘のファッションデザイン画
今も描き続けているファッションデザイン画の一つ。デザインは娘、縫製はお友だちと役割分担をして、将来は店を持つ予定

思えば、私はいつも焦っていた。5年後、10年後のキャリアをいつも右肩上がりの線で思い描いていた。向上心があると言えば聞こえがいいけれど、もっとキャリアアップしたい、もっと稼げるようになりたいと、「未来」ばかり見て「今」を見ようとしていなかったのかもしれない。

登校しぶりが始まってから娘とどっぷり過ごした期間は、私のいろいろなハードルを下げてくれた。むやみやたらに仕事を増やしたり、スキルアップを図ったりするのではなく、「今」の家族との時間、暮らし、仕事のご縁を大切にしたいと思うようになった。

今年は第二子の息子が小学生になる。親も歳を取るし、自分も若くない。また思いもよらないようなことが起こるかもしれないけれど、これまでだって何とかなってきたのだから、これからだって何とかなると構えられるようになった。

「今」の積み重ねが「未来」になる。正社員でがんばってきた時間があったから、フリーランスとしてやってこれた。フリーランスになって時間や仕事量の調整ができたから、子どもに存分に寄り添うことができた。今の働き方は、今の私にぴったりフィットしている。正社員でもフリーランスでも働き方はその時々に合わせて選べばいい。その時々でがんばっているなら、毎回自分で自分に100点をあげていい。

家族みんなが機嫌よく過ごせているなら、十分幸せだ。

編集:はてな編集部

仕事と子育てへの向き合い方に悩んだら

仕事でベストを尽くせない産後の私を支えてくれたのは、誰かが記した「弱さ」だった
産後「仕事でベストを尽くせない」自分を支えてくれたもの
初めての子育てから10年。「偉くてすごいお母さん」をうまく脱ぎ捨てられるようになるまでの話
「偉くてすごいお母さん」にならなくてもいい
「無理しない働き方」を選んだ自分への後ろめたさ、を受け入れられるまで
「無理せず働く自分」を受け入れるには?

著者:branco MICHIYO

branco MICHIYOさん

編集・ライター歴3年、デザイナー歴15年、時々広報の人。2020年4月よりフリーランスになりました。鹿児島在住、繊細ちゃん8才娘とわんぱく6才息子の2児の母。コトコト煮込み料理しながら在宅でデザイン仕事しています。家族も仕事も大切にする、ちょうどいいバランスを模索中。食と家、子どもとの暮らし、女性のキャリアが最近の関心ごと。

X:@Michiyo_branco

子育てのしやすさを重視し、正社員から派遣に。時短・週4勤務が「理想の働き方」


「子育てと両立しやすい仕事」を求め、働き方の変更や転職を考えている人は多いのではないでしょうか。

かつてフルタイム正社員だったみかなさんは、結婚や不妊治療、出産といったライフステージの変化と共に退職や転職を繰り返し、現在は「子育て重視」を条件に派遣社員として1日6時間・週4日のフルリモート勤務をしています。

この働き方に落ち着くまで「仕事に求める最優先事項」とどう向き合ってきたのかを教えてていただきました。


こんにちは、みかなと申します。夫と1歳の娘と3人で、東京で暮らしています。

結婚する前はコンサルティングファームでフルタイム正社員をしていましたが、今は育児に理解のある会社で派遣社員・週4日・1日6時間・フルリモート勤務という働き方を選んでいます。

家事育児と仕事の両立で毎日忙しいものの、平日に1日休みがあるので、この日に保育園の保護者会や娘の健康診断などの用事をこなしたり、趣味の観劇を楽しんだりしています。

現在の働き方は、仕事のやりがいよりも育児や趣味に重きを置きたい私にとってまさに理想と言えるもの。しかし以前の私は、自分が将来このような“ゆるキャリ”を歩み、「これが私にとっての幸せな人生の形だ」と思うようになるとは想像もしていませんでした。

そんな私が、紆余曲折を経て今の働き方にたどり着くまでを振り返りたいと思います。

ライフステージの変化に合わせ正社員→専業主婦→派遣社員に

働き方の最初の転機は「専業主婦から派遣社員になったこと」でした。

結婚後に専業主婦になったものの、強く希望していた「子ども」をなかなか授からなかった私は、気晴らしも兼ねてもう一度仕事をしたいと思うようになりました。

とはいえ、夫は結婚前に病気で倒れたことがあり、食事作りや住環境の整備などサポートが不可欠だったため、第一条件は「家庭と両立しやすい」こと。

そのため最初に探したのはパートタイムの仕事だったのですが、最終的にはかつての正社員経験が生かせそうな派遣社員に興味を持ち、1日5時間・週3日の求人に応募し、再び働き出しました。

大学生時代のアルバイトを除けば、新卒以降フルタイム正社員の経験しかなかった私にとって、ライフスタイルに合わせて柔軟に働ける派遣社員は驚くほどストレスが少なく、こんな働き方もあるのかと目からウロコが落ちました

しかし不妊治療を始めてからは、通院で遅刻や早退、急な休みを頻繁に繰り返すようになり、週3日の出勤すら続けるのが困難に。職場からは引き留めてもらいましたが、自分自身が仕事との両立に限界を感じ、退職してしばらく不妊治療に専念しました。

そうして専業主婦に戻ったものの、不妊治療クリニックの待合室でパソコンを持ち込んで仕事している方を見かけていたことから「リモートならまた働けるかもしれない」と考え、再び新しい派遣先を探し始めました。

いつまで続くか分からない、先の見えない不妊治療と、その先にあるかもしれない妊娠生活や育児。それらと両立できるよう、仕事探しの条件は「妊娠や育児に理解があり、働きやすいこと」「リモート勤務できること」でした。

最終的に決まったのは週5日勤務の職場でしたが、うち4日はリモート勤務だったので、不妊治療との両立は週3で出勤していた前職よりもずっと容易になりました。

その後もコロナ禍や産休・育休といった「そのときどきの状況」に合わせて仕事を変え、現在は週4日フルリモート、1日6時間勤務の会社に落ち着きました。

育児に理解のある会社で働いて分かった、自分なりのベストバランス

今の会社はフルリモート、残業なし、平日の休みは私の都合に合わせて自由に設定できる……と本当に働きやすいのですが、一番ありがたいのは「子育てに理解がある」ことです。

子どもの急な体調不良や通院で、前日や当日に遅刻・早退・半休・全休を取らせてもらうことがあるのですが、休みはLINEで一報を入れるだけで気軽に取得できます。

会社の人たちは、女性だけでなく「男性も育児休暇は取るのが当たり前」という考え方で、育児に理解があります。特に上司は自身も3人の子供を育てているワーキングマザーで、面接の際に「あなたのように、働きたいと思っているのに働きにくい女性の就業を応援したい」と言ってくれました。

仕事に慣れ楽しさも感じてきた頃、配属部署全体の仕事の多さに「私も週5日勤務にした方がいいか」と上司に相談した際には、「この先、子どもにもっと手がかかるようになるから、しばらく週4日で様子を見た方がいい」と私の立場に立ってアドバイスをしてくれました(この予言通りまもなく育児が忙しくなり、あのとき週5日に増やさなくてよかった……!と感謝しました)。

とはいえ、わが家は夫が多忙かつ近所に頼れる親戚もおらず、「育児が多少落ち着いて私が腰を据えて仕事に復帰できる目処がつくまでは、夫が主に稼ぎ、私が主に家事育児を担い無理のない範囲で働く」と夫婦間で取り決めているため、基本はワンオペ体制。1日6時間・週4日勤務でも仕事との両立は毎日ギリギリです。

朝は洗濯、朝食作り、保育園登園、帰宅後は散らかった部屋の整頓をしたらすぐに仕事を開始。昼休みも昼食を食べたら掃除や夕食の下ごしらえ。終業後は保育園に迎えに行き、帰宅後夕食を食べさせ、夫の帰宅まで娘の遊び相手。座っている暇はほぼありません。

こんな毎日でもなんとか自分を保てているのは、平日に1日休みがあるおかげ。家や子どもの用事を済ませることが多いですが、趣味の「観劇」を楽しむ日としても活用しています。

産後初めて劇場に行った時、世間と切り離された不自由で拘束された生活から解き放たれ、「以前の自分を取り戻せた!!」と大きな感慨を抱いたことを、今でも覚えています。

子どもはとてもかわいく、仕事も充実しています。けれど「生きていて良かった」と一番思う瞬間は心から感動する舞台を見たときである私にとって、観劇は人生を豊かにしてくれるものであり、幸せを感じながら生きるために必要なもの。

その時間を確保するためにも、私にとっては週4日勤務がベストバランスなのです。もし週5で働いていたら、多忙とストレスで私の心の糸は切れていたかもしれません。

2023年に観た演劇のチケット
2023年に観た演劇のチケット

仕事に全力投球することへの憧れと、葛藤

今では「この働き方を選んでよかった」と心から思えていますが、かつて正社員で働いていた頃に抱いていた「キャリアアップややりがいを求める気持ち」を簡単に捨てられたわけではなく、葛藤もありました

20代の頃の私は、鼻息荒く目を輝かせて「全力で仕事をして趣味も楽しみつつ家庭も持ちたい!」と思っていて、就職してから数年間はその勢いでやれていました。しかし人生はそう甘くなく、種々さまざまな「うまくいかない」ことが起こり、やがて不妊治療という壁にぶち当たって完全に心が折れました。

「女性は仕事で輝くべき」「働くならどんどんキャリアアップして活躍していくべき」という風潮とは対照的に、よく言えばゆるキャリ、率直に言うと低キャリの道を歩んでいる自分。全力で働いて成果を出している方々を尊敬する一方で、仕事で成果を上げたり、管理職になったりしていく友人たちを見て焦りや羨望を抱いたり、肩身が狭く感じたこともあります。

しっかりと気持ちの整理がついたのは、不妊治療を経て子どもを授かったとき。それを機に、自分の中で明確に「子育てをしやすい環境が最優先」になりました

「仕事も家庭も趣味も」と全部を叶えようとするのではなく、望みに優先順位をつけ、人生をゆっくり進んでいくことに決めたのです。

育児をしつつ毎日の生活を楽しみ、居心地の良い家庭も作れるような、余裕を持った働き方をしたいと考えるようになって、焦りがなくなりました。

将来子どもが手を離れ、いつかまた全身全霊で仕事に打ち込める日が来ればいい、それまではマイペースに、とにかく働き続けられればそれでいいと思っています。


自分にとっての「幸せ」と優先順位を明確に

もしかすると、私は「理解ある会社に巡り会えた一握りの幸運な人」と思われるかもしれません。しかし私が「子育てのしやすい環境」を求めて仕事を探し、巡り会えたのですから、他の方の「自分にとって働きやすい環境」もきっと見つかるはずです。

私のような派遣社員という道以外にも、パートタイムや業務委託(フリーランス)、起業など、働き方・生き方にはさまざまな選択肢があります。給与などが安定している正社員をやめるのは勇気がいりますし、闇雲にすすめもしませんが、今の働き方や生活に限界や悩みを感じている方がもしいれば、別の働き方を試してみるのもいいんじゃないかなと思います

これを読んで「自分も無理なく働きたい」と思った方が理想の環境を手に入れられるよう、心から応援しています。

私もこれからも頑張ります!

編集:はてな編集部

育児と仕事を両立するには

専業主婦から再び歯科衛生士になって「子育てのしやすさ」と「求人の選択肢の多さ」に気づいた
「子育てとの両立」を第一条件に求人を探す
雇用形態にこだわらない
雇用形態にこだわらない
育児中はフルタイムor時短の2択、ではない。“働き方の選択肢“はできるだけ多く知っておく
“働き方の選択肢”をできるだけ多く知っておく

著者:みかな

みかなさんプロフィール画像

歴史とミュージカルが好きなおたく。舞台や映画の感想をまとめたブログは「やめないこと」をモットーにまったり更新中。育児や日常のつれづれはX(Twitter)に投稿しています。
ブログ:黄金羊の観劇記
X(Twitter):@nakamikanan

コールセンターはきつい? それとも楽? プロのオペレーター・榎本まみが「働きやすさ」を解説


コールセンターの仕事に「きつそう」というイメージを持っていませんか。

「クレーム対応」の印象が強いですが、その業務内容は業種によって大きく異なります。育児や趣味などのライフスタイル、在宅勤務、短時間シフトなど希望に沿ったフレキシブルな働き方ができる職場も。

自身も長らくオペレーターとして勤め、これまで1,000人以上の後輩を育成し「督促OL」として広報活動も行う榎本まみさんに、その実態を教えていただきました。


はじめまして、榎本まみと申します。新卒で信販会社の督促を行うコールセンターに就職し、多種多様なコールセンターで働いてきました。

現在もSV(スーパーバイザー)として現場オペレーターの指導・育成・管理などを担いながら、コールセンターにまつわる漫画やコラムを書いています。

今回は、意外と柔軟に働けるコールセンターの仕事の実情や、私が考える「コールセンターに向いている人」についてご紹介します。子育てが落ち着き仕事復帰を考えている人や、転職を考えている人の参考になればうれしいです。

怒鳴られる仕事とは限らない

初めて出会う人に「コールセンターで働いています」と自己紹介をすると、ほぼほぼ苦笑いと共に、大変ですねぇという反応が返ってきます。目をキラキラさせて「すごいですねぇ! 憧れます!」というような反応をされたことは残念ながら一度もありません。

世間ではコールセンターの仕事といえば、クレームなどでストレスが多い、離職率が高いといったネガティブなイメージが強いようです。

ですが多くの仕事と同じように、ひとえにコールセンターと言っても世の中にはさまざまな職場・業務内容が存在します。お客さまの属性や取り扱う商材・商品によって、コールセンターの雰囲気は全く違ってきます。「えっ!? こんなコールセンターあるの!?」とびっくりしてしまうような、個性に富んだ職場もあるんです。

分かりやすいのは、対企業向け(BtoB)の専用コールセンター。たとえクレームの電話だったとしても、相手は「企業の人間」として問い合わせてくるので、冷静かつビジネスライクに話が進みます。ただし、こういった窓口を担当するオペレーターには、しっかりとしたビジネスマナーや専門知識の蓄積が求められます。

さらに、コールセンターと名前がついているけれど、待機しているオペレーターは1人だけで、一日に数本しか電話がかかってこないようなところもあります。

業種によっては24時間電話がつながる窓口の設置を義務づけられており、その場合、問い合わせの数が少なくても必ずオペレーターが待機しておく必要があります。私が知っているあるコールセンターは、待機時間に漫画が読み放題なんだそうです(小声)。

自分の特性に合った環境・業務内容のコールセンターであれば、ストレス無く働くことだって可能なのです。

柔軟な働き方ができるから、子育てと両立しやすい

コールセンターでは子育て中の人がたくさん働いています。

なぜなら、コールセンターはシフトの自由が利きやすく、残業も少ないので「育児と仕事のバランス」が取りやすいから。

そういった環境が昔から続いてきたからこそ、かつて妊娠、出産、育児を経験してきた女性オペレーターが多く「大変ね~私も経験があるから大丈夫よ!」と、子育てにまつわるあらゆることで融通が効きやすいんです。

他業種に比べて時給が高い傾向があるので、シングルマザーのオペレーターも多め。私も、コールセンターに20年近く勤め、一人でお子さんを育て上げた方を知っています。お母さんの背中を見て育ったお子さんが、成人してコールセンターに就職をしたケースもありました。

もし育児中で「コールセンターの仕事が気になっている」という方は、オペレーターが大人数で、ある程度のバッファがあるコールセンターがおすすめです。お子さんが熱を出して突発的に休まなければいけない場合も、比較的容易に休めます。

また先に書いたような「柔軟な働き方」ができるため、育児中だけでなく多種多様な人が在籍しており、その懐の深さがコールセンターの魅力でもあります。

とあるコールセンターのセンター長は、元アルバイトのオペレーターでミュージシャンを夢見て頑張っていましたが、年齢を重ね夢を諦める決心をし、そのままコールセンターに就職。正社員となり収入が安定したことで結婚も決意できたという人でした。

苦労や挫折を知っている人が多いからこそ、みな温かいのです。

在宅勤務、短時間シフト。どんどん変わる業界


上記のようにもともと「それぞれの生活リズムにあわせて働きやすい」という点が大きな魅力だったコールセンターの仕事ですが、近年はさらにそのメリットが増大しています。

変化の起点となったのは、コロナ禍による在宅ワークの爆発的な普及です。コールセンターで使用するシステムも一気にクラウド化され、自宅にパソコンがあれば電話が取れる時代になりました。

出勤という縛りがなくなったことでシフトがより柔軟に組みやすくなり、育児や介護、また自身の闘病などで長時間働けなくなってしまったオペレーター向けに、9~11時、15~17時など1日の中で複数の短時間勤務を組み合わせるシフトなども生まれました

コールセンターには電話が集中するピークタイムと、人が余剰してしまうアイドルタイムがあるため、1日の中で勤務時間を分散させてピークタイムのみシフトインしてもらえると、職場と働く人の双方にメリットがあります。

また配偶者が遠方に転勤になるなど、それまではコールセンターを辞めるしかなかった状況でも、引っ越し先にパソコンを持っていけば在宅勤務で続けられるようになりました。

南の島に移住して、サーフィンの合間に電話を取っているオペレーターもいます。ずらりと並んだブースでひっきりなしにかかってくる電話を受け付ける、そんなコールセンターの風景は、過去のものになりつつあるのです。

これだけ自由な働き方が許されているのは、コールセンターにとってオペレーターの存在は「宝」と言っても過言でないから

これまでコールセンターのメリットをたくさん話してきましたが、コールセンターは「離職率が高い」職場でもあります。新人オペレーターの離職率は、体感で30%~50%くらい。みなさんのイメージするような「クレームが多い職場」ももちろんありますし、それぞれが各々の事情を抱えているからこそ、退職を選ぶ方も多いのです。

しかし、電話を取ってくれるオペレーターがいなければコールセンターは成り立ちませんし、一人のオペレーターを育て上げるにはとても長い時間がかかる。できるだけ長く勤めてほしいし、業務知識があり、応対も良く、電話もたくさん取れるようなエースオペレーターなら、なんとしてでも職場に留めておきたい。

そんな気持ちから「在宅でも時短でもいい、だからうちのコールセンターを辞めないでくれ!」とばかりに、どんどん環境を整えていく職場が多いのです。

実は「人と話すのが苦手な人」の方が向いている?

ではどんな人がオペレーターに向いているかというと、まずは「意志が強く自分の世界を持っている人」

例えば「子どもを育てる」という目的がある、夢を叶える中での副業と割り切っている、推しのために資金を貯めたいといった人は、仕事が続くケースが多いです。

感受性が豊かだけどタフな人、推理力や観察力のある人。そして意外と、プライベートでは話すことやコミュニケーションを取ることに苦手意識を感じている人も向いています

しゃべりっぱなしなイメージのあるコールセンターですが、大事なのは「お客さまが何の目的で電話をかけているのか」を汲み取ること。コミュニケーションが得意でない人は「思っていることを人にうまく伝えられない、分かってもらえない」という経験があるからこそ、なかなか自分の要望を上手に伝えられないお客さまに対して寄り添うことができるのです。

もちろん全てのケースに当てはまるわけではありませんが、個人的には、上記のような人はコールセンターの仕事を長く続けられる傾向にあると感じます。

一度スキルを身につけると、転職もしやすい

コールセンターは大変そう、話すことが苦手な自分にできるだろうか?

働く前はそんな不安があると思いますし、もちろん大変なこともたくさんあります。

けれど、一度オペレーターのスキルを身に付ければ、どんなコールセンターに行っても活躍できるので転職先が見つかりやすく、意外と“潰し”が効くのがこの仕事のいいところ

私も離婚や病気でキャリアが断絶した経験がありますが、柔軟な働き方ができるコールセンターに救われました。

窮地に立った時こそ、仕事のスキルは自分を裏切りません。

話すことが苦手でも、短時間しか働けなくても、世の中にはたくさんのコールセンターがあります。求人情報をしっかりと見て、自分に合ったコールセンターを見極めれば、きっと楽しく働くことができます

必ずあなたに合ったコールセンターはあります。

こんなコールセンターの世界に、足を踏み入れてみませんか?

イラスト:榎本まみ
編集:はてな編集部

気になる「あの仕事」「あの働き方」の話

ライターから未経験でエンジニアに異業種転職。やり切るために必要なのは「自分の納得感」だった
ライターから未経験でITエンジニアに転職
専業主婦から再び歯科衛生士になって「子育てのしやすさ」と「求人の選択肢の多さ」に気づいた
歯科衛生士は社会人になってから資格を取る人も多い
他人の評価を気にしてばかりだったわたしが仕事選びの“軸”を見つけ、理想の暮らしにたどり着くまで
地方からフルリモートで東京の会社に勤務

著者:榎本まみ

榎本まみさんプロフィール画像

新卒で信販会社の督促コールセンターに配属。次々と辞めていく同僚を見て、コールセンターを世に知ってもらえるよう活動を始める。著書「督促OL修行日記」。コールセンター専門誌にて4コマを11年連載中。
X(Twitter):@n_mototkol