「私にはもったいない」と欲しいものをあきらめるのはやめた|藤沢あかり


誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、ライター・編集者の藤沢あかりさんにご寄稿いただきました。

藤沢さんがやめたのは「自分にはもったいない」と、欲しいものやりたいことにブレーキをかけること。

ずっと憧れていたパールのピアスを思い切って手に入れ、「わたしは自分でやりたいことを決められるし、選ぶ自由がある」と思えるようになったできごとを振り返ります。

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パールは、うつくしい。

じっとのぞき込むと、なめらかなやさしい虹が見える。上品で楚々(そそ)としたたたずまいと、凛とした強さ。地球がつくりだした光は、ありのままの姿で堂々と生きる、芯のあるひとにも重なる。それはまさに、わたしの思う理想の大人そのものだ。

パールの一粒ピアスに長くあこがれていた。顔のすぐそばで、光を集めて照らすパール。わたしの理想の、大人のピアス。

なかでも老舗の専門店がつくるピアスは、普遍の歴史と風格がある。しかし、あこがれのぶんだけ敷居も高く、なによりわたしにはまだ早過ぎて、もったいない

欲しいと思い描いては、まだまだと首を振る。似たような「それなり」の安価なものを身に着けては、浮かび上がる「ほんとうはこれじゃないんだけどな」に気づかないふりをする。

そんなことを十年ほどくり返し、気づけば四十も超えていた。

意志さえあれば手に入るのに、自意識が邪魔をする

「これ、いまの自分にはちょっともったいないかな」

なにかに迷ったとき、ついそう思うくせがある。買いものに限った話ではない。

あるときは、十数年あこがれ続けたクラシックホテルが、迷って足踏みをしているうちに休業が決まり、予約困難となってしまった(大泣きした)。

またあるときは、仕事で使う名刺をプロのデザイナーに依頼したいのに、「わたしなんかが」という気持ちが邪魔をする(そして仕上がった自作の名刺に毎度がっかり)。

パールのピアスも同じだ。「すごく欲しいのに、いまの自分にはぜいたくだ」と、みずからの手で払いのける。

迷いが経済的な理由であれば、まだ納得がいく。むしろお金という物理的なハードルなら、即座に判断もあきらめもつく。やっかいなのは、この「なんとなく自分にはもったいないかも」と思ってしまうときだ

おかしな自意識が邪魔をして、こころが「ほんとにいいの?」とストップをかける。

自分の意志さえあれば手に入るものに対して、うじうじと考え込んでしまうのはどうしてだろう。澱(おり)のようにこころの底に積もる「もったいない」を、ゆっくりほぐしていくと、思いあたることがあった。


「もったいない」の後ろにあるのは、自分への自信のなさ

わたしはいつだって「いま」の自分に自信が持てずにいたのだ。「もったいない」は「それを与える価値がない」ともいえる。自分に対して「価値がない」と言いつづければ、どんどん自信はなくなっていく。言葉とは、思考とは、そういうものだろう。

まだ、それを手にする自分になれていない。まだ、それが似合う体型になっていない。まだ、それに見合うだけの成果をあげていない。自分の至らぬ部分を見つけては、自分でやりたいことにストップをかける。

そんな思いを家族に打ち明けると、半分あきれ顔でこう言われた。

「自分が欲しいと思うのに、どうして買わないの? 経済的に大丈夫で、こころの底から欲しい、もしくは必要だと思うんだったら買えばいいし、そうじゃなければ買わなければいいと思うよ」

ああ、なんと至極まっとうで、シンプルな答えだろう。
買いたければ、買えばいい。望むなら、かなえればいい。

いまの自分を認めること、欲望を満たすこと。自分が思っているよりずっと、シンプルでいいのかもしれない。答えはわたしの外側ではなく、内側にある。それなら一度、素直に手を伸ばしてみようか。

いざ、ピアスを買いに銀座の街へ

そしてわたしは、思い切ってパールのピアスを手に入れると決めた。

銀座のまんなかで、ドキドキしながらお店に入る。ふんわかした絨毯に、まばゆいシャンデリア。「自分にはまだ……」という気持ちがまた浮かび上がってくるのを、ぐんと張った胸ではねのける。まるめたくなるからだを、あごの先でひっぱり上げるべく上を向く。
だいじょうぶ。自分に言い聞かせて、目当ての品を見せてもらった。

ショーケースのなかで、いくつものパールがつやつやと光っている。海のあぶくとも、木漏れ日のきらめきとも夜空のまるい月とも違う、パールだけの光。その光を、そっと耳元にあて鏡をのぞく。大きいもの、小さいもの、うんと大きいもの、うんと小さいもの。こころなしか、いつもの肌がぱっと明るく見える。それをよろこぶように、胸が鳴る。

デザインや予算、ライフスタイル。店員さんとコミュニケーションを取りながら選んでいると、だんだんと「自分にはもったいない」という気持ちが溶けていくようだった。「ピアスをつけるわたし」が、あこがれから現実になる。

たくさんのなかから、理想的な大きさと輝きの粒を選び「これにします」と言った。店員さんのアドバイスや家族の感想も聞いたけれど、最後はちゃんと、自分で決めた

包んでもらうのを待つ時間や、小さな紙袋を携えて、そわそわと浮き足立って歩く帰り道。そっと包みをほどく瞬間。よろこびは、ミルフィーユのように重なっていくのだと知った。

わたしの意志で、選びとっていく

そうして着けるパールのピアスは、「わたしにはもったいない」だなんて、ちっとも思わなかった。大切なピアスを着けたわたしは、大切にされているわたしに見える。ほかの誰でもない、わたしに大切にされている、わたし。きっと「もったいない」と、手を引っ込めたままでは気づけなかった気持ちだろう。

以来、心待ちにする約束や、旅に出るときはもちろん、なんでもない日もこのピアスを身に着ける。わたしのこころが「これがいい」と言っている。なんとなく選んだピアスを着けていたときと比べると、視線がうんと遠くに向けられる。はたからどう見えるかや、誰かにほめられることを望むのではなく、わたしのこころが納得し、よろこんでいる。

この感情全てをひっくるめてが「憧れを手に入れる」ということならば、わたしは「もったいない」という言葉で、たくさんのチャンスを逃してきたのかもしれない。体験は、わたしのこころとからだを通過しながら愛着をたずさえ、かけがえのない経験になる。

当然ながら「高いものは、良いものだ」と言いたいわけではない。大切にしたいのは、欲しいものを自分の意志で選び、決めていくこと。やりたいことに、まっすぐに手を伸ばすこと。本筋から逸れた理由で、欲望にふたをしないこと。

わたしは自分でやりたいことを決められるし、選ぶ自由がある。ならば、その気持ちをもっと、もっと守りたい。「自分にはもったいない」とストップをかけるのは、もうおしまいだ。

朝、引き出しをあければ、わたしのパールがそこにある。右に、左に、光を添えて、一日がはじまる。

編集:はてな編集部

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著者:藤沢あかり

藤沢あかりさん

編集者・ライター。大阪府出身。雑誌やweb、書籍を中心に、住まいや子育て、仕事、生き方などの記事を手がける。著書に『レシート探訪』(技術評論社)
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note:@tamagodaisuki
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