上司や同僚から理不尽な言動を受けたとき、「嫌だな」と感じても、笑って受け流してしまい相手に本音を伝えられなかった経験はありませんか。
自分の本音を他者に隠してしまう背景には、自己肯定感の低さから自身の考えや感情を尊重できず、空気を読みほかの人の要求に応えることばかりを優先してしまう、という側面がありそうです。
マンガ家のペス山ポピーさんも、子どもの頃から自己肯定感が低く、本音を隠してしまう自分に悩んできた一人。しかしエッセイマンガ「女(じぶん)の体をゆるすまで」の執筆を通じて、トランスジェンダー(Xジェンダー/ノンバイナリー)である自身の性自認への悩みや、過去に体験したアシスタント現場でのセクハラ・パワハラに向き合うことで、ようやく自分の感情を認めることができ、少しずつ本音が口に出せるようになってきたそうです。
そんなペス山さんに「自分の感情を尊重し、本音を相手に伝えるためのヒント」を伺いました。
※取材は新型コロナウイルス感染対策を講じた上で実施しました
本心を隠す自分は、自分に対して“不誠実”だった
ペス山ポピーさん(以下、ペス山) ありがとうございます。
ペス山 「ここに向き合わないと、次に進めない」と思ったからです。アシスタント現場でセクハラ・パワハラを受けたのは2013年ごろとかなり前の出来事なんですが、ずっと向きあう気になれなくて。
きっかけは、前作(『実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』/新潮社)でも描いた交際相手の存在でした。かなりモラハラ気質というか、差別的な言動をぶつけてくる人だったんです。
私はトランスジェンダーということもあり、極力自分が傷つかないようマイノリティーな側面がある人としか付き合いをしてこなかったんですが、初めて付き合った“ノンケ”の男性がそういう人で、衝撃を受けて。
そこで初めて「性差別」というものに目が向くようになって、ようやく過去のセクハラ・パワハラにも向き合おう、と思えるようになりました。どちらの出来事も「自分という存在がぞんざいに扱われている」という点において、差別の仕組みは同じじゃないですか。
ペス山 実は、描いているときは過去に起きたことを整理しているような感覚で、わりと平気だったんです。むしろ描くことでちょっと楽になる感じでした。
ペス山 不誠実だったな、と思います。私は小学生6年生のころ、男の子のような格好をしていて、周囲からは「女なんだから……」と言われていました。そのたびに傷ついて。
傷つかないためにはイカれた格好をするしかない、と思い高校生の頃からずっとゴシックファッションに身を包んでいました。前髪は鬼太郎みたいに斜めで。

(C)ペス山ポピー/小学館
ペス山 そうなんです。本当は男の子のようなファッションを選びたかったけれど、それは自分の「核心」なので、否定されたら傷つく。だったら「なんで黒づくめなの?」と聞かれる方がマシで……。
学校には毎日遅刻するし、先生にはキレるし、本当にやばい生徒で(笑)。周りからは自由な人間に見えていたかもしれませんが、自分が好きな格好はできていないし、自分を否定してくる相手には暴言を吐いてしまうし、外面にも内面にも不誠実だったと今は思います。
ペス山 相手に嫌なことを言われて、私も相手の悪いところを言って、それってただ相手を傷つけているだけで、本心を出してはいないじゃないですか。
自分に自信がないから“イキって”たんですよ。イキることで自己肯定感の低さをマヒさせているというか、ずっと“演技”をしているというか。聡い友達にはバレてたと思います。
ペス山 客観視できたのは、大人になってからなんです。
20歳くらいの頃、母親に「あなたは子どものときから『勉強くらいできないと生きてる価値ないから』と言ってたよ」と教えてもらったことがあって、そのときにようやく「私って子どものころから自己肯定感が低かったんだ」と初めて客観視できました。
セクハラを受けたときにも、本質的なこと、自分の核心に関わることであればあるほど向き合えなくなって、なにも言い返せなくなってしまう自分の性格を痛感しました。
マンガとカウンセリングを通じて自分の「本心」に向き合えるようになった
ペス山 「一拍待つ」というコミュニケーションができるようになったのは、カウンセリングに通ったことが大きかったかもしれないですね。自分が受けたセクハラの被害については全て描ききった、じゃあ描いたことを自分の口で話せるだろうかと試してみたくて、カウンセリングに行ったんです。
カウンセラーさんにワーッと一方的にしゃべってみて気付いたんですが、私の場合はただ心の動きの表面をなぞってるだけで、話した内容の3割くらいは“いらない話”をしていたんです。だから、自分の本音にたどり着くまで「待つ」方がいいんじゃないかなと。

(C)ペス山ポピー/小学館
ペス山 私の場合は、信頼している知人がおすすめしていたカウンセリングルームに行きました。性被害をテーマにしたオンライン講座なども開催していたところだったので、それにも参加した上でよさそうだなと思って実際に足を運んで。
やっぱりプロの聞き手は圧倒的に「待ってくれる」ので、自分の気持ちをなかなか話せない方は、カウンセラーさんに頼ってみるという選択肢もおすすめしたいです。
ペス山 そうですね、知り合いや家族に対して同じように話してしまうと、場合によっては一方的な言葉の暴力のようにもなってしまうので。聞く技術を持ったプロは安心できますよね。
カウンセラーさんと話をしたことで、ふだん自分がいかに本音に目を向けず、目くらましみたいな会話をしているかに気づかされました。だから、日常会話でも場を和ませるためにサービスしようとか、笑ってもらおうとか、そういうの一旦やめてみようと思ったんですよね。
人に笑ってもらえると、やっぱりうれしいじゃないですか。でもそれってスナック菓子みたいなうれしさで、続けているとやめられなくなっちゃうんです。
ペス山 その怖さは、会社で働いている方には絶対ありますよね……。私の場合は正直、編集さんや親しい人たちとしか話さないから「一拍待つ」というコミュニケーションができている、という側面はあると思います。だからまずは、親しい人に対してだけ「本音にたどり着くまで待つ」をやってみてもいいかもしれません。
……あと最近思ったんですけど、大御所女優ってすっごく間を空けてゆっくりしゃべる方が多いじゃないですか。でも誰も怒らないし、そんなに気にもしてませんよね、たぶん。だから同じように、ちょっとくらい間があってもよくない? と思って(笑)。
ペス山 会話の間もそうですけど、不当な扱いを受けたり嫌な気分になったりすることがあったときも「自分が岩下志麻さんだったら、こんな扱いを受けて受け流すはずないだろう」と考えるといいのかもしれない(笑)。
まずは「〇〇さんだったらどう返すだろう」と理想の姿を考えてみることから始めてみて、いずれ「◯◯さん」の部分が自分自身になれば、最高ですよね。もちろん、訓練は必要だと思うんですけど。
ペス山 私の場合はやっぱり「性自認」だったと思います。今まで自分を抑圧してきた性自認という大きな本心を解き放てたことで、ほかの本心に対する「鍵」も芋づる式にゆるんできた、という感覚があります。
ペス山 そうですね……他者に対してと同じくらい、自分に対して誠実になろうとしてみてほしいです。私も最近知人に言われてハッとしたんですが、自分のことは二の次なのに、他者に対しては誠実でいようとする人がすごく多いと思うんです。
それが「善きこと」とされているけれど、そうではないと思うから。
“じぶん”を尊重できたことで、大幅な描き直しにも踏み切れた
ペス山 どんな描き方をしたらいちばん読者に伝わるか、には悩みましたが、描くこと自体に悩んだことは……うーん、あったかな……。
編集担当チル林さん(以降チル林) 近くにいた私から見ると、悩んでるなあと思うことはたまにありました。
連載時は毎回、ネームを見て2人で相談しながら細部を詰めていたんですが、描きたいことがネームに表れてるときと、ベールに隠されて核心が見えないときがあって。「ペス山さん、いちばん描きたいことって本当にこれ?」と確認したことは何回かあったよね。
ペス山 確かに、なかなかネームが通らないときはありましたね。そういうときってだいたい自分で通らないだろうなって分かってて、チル林さんとしゃべってなんとかしてもらおうって思ってる(笑)。
ペス山 そうですね。なんなら、描き終わったあとにようやく本音にたどり着けて、単行本化に合わせて大きく描き直した回もあります。例えば性自認をテーマにした6話は、連載時と単行本とでタイトル、話の構成、内容などが大きく変わっています。
連載当初、コメント欄が荒れてしまい、私の性自認に対して口を出してくる人のことが怖くなってしまって。私の性自認はずっと揺らぐことなくトランスジェンダー(Xジェンダー/ノンバイナリー)なんですが、それに対して何か言われるのが怖くて、6話ではまるで性自認に迷いがある人のように自分のことを描いてしまったんです。

(C)ペス山ポピー/小学館
あとから、他者の納得を得るために描いてしまった話だと気づいて、連載の最終回執筆と並行する形で、単行本分を描き直させてもらいました。単行本の内容は「自身の性別に違和感を感じている自分」がしっかり描かれていると思います。
ペス山 そうですね、チル林さんはじめ、編集部の対応は本当にありがたかったです。
承認制にしてもらってからはいろいろな意見をいただけるすごくいい場になったし、読者の方からの声をきっかけに自分の本心に気づかされることも増えたと思います。
『女(じぶん)の体をゆるすまで』のコメント欄について | やわらかスピリッツ
ペス山 ずっとお世話になっているマンガ家さんに「本当に変わったよな」と言われました。あまりにもいろいろ変わったみたいで、どこがどう変わったかは言ってくれなかったんですが(笑)。
チル林 でもペス山さん、本当に変わったよ。出会った頃はもっとお笑い芸人みたいで、自分のエピソードをおもしろおかしくしゃべってくれる感じだったもん。話すスピードもすごくゆっくりになったと思う。
ペス山 ああ、やっぱりそうだったんだ……! 身近な人たちがそう言うってことは、本当に変わったんだと思います。
痛みを感じやすい人もそうでない人にも、最低限の「靴」がほしい
ペス山 作中でも描きましたが、彼女がこれまで受けた被害について「特になにも感じてない」と言われたときは、正直驚きました。
でも、そうだよな、こういう人もいるよな、と今は思います。私はたまたま自分の内面と向き合うことが得意だったからエッセイマンガを描けたし、カウンセリングのなかでも結構ハードとされている心理療法を選んだりもできたんですが、誰にでも当てはまるわけではないとも思うので。

(C)ペス山ポピー/小学館
ペス山 私からは逆に、ゼラチンのように受け流すのが上手な人の方がハードに見えてるんですよね。
でも、彼女は「A面」を見せるのが得意な人だと思うから、急に「B面」を見せろ、苦手なことをしろなんて言えない。私たちは陸生植物と水生生物くらい違うのかもしれないなと思います。でもこの前も2人でシン・エヴァを観に行きましたよ。
ペス山 うん、痛みをあまり感じない人がいるにしたって、そもそも最低限(の靴)がそろってないじゃんって思うんです。
ペス山 将来のことはまだなにも分からないけれど、たぶん、描きたいものが出てきたらまた描くんだろうなと思います。エッセイマンガは、ネタが切れるからああしようこうしようと、作品に合わせて生きると本当に滅ぶので……。
だから、これからも自分がやりたいことをやれる形でやっていきたいですね。人生を徐々に凪にしていこうと思ってます、描くことで。
取材・文/生湯葉シホ
写真/関口佳代
編集/はてな編集部
『女(じぶん)の体をゆるすまで』 著:ペス山ポピー
小学館刊
▼ 詳細:女の体をゆるすまで 上 | 小学館
お話を伺った方:ペス山ポピーさん