仕事がうまくいかない=能力が足りない、ではない? 組織開発の専門家に聞く「環境」に目を向けるべき理由

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職場での評価が低く、自身の「能力不足」に悩んだ経験はありませんか。「社会人には“コミュニケーション能力”が必須」「成功するビジネスマンには“教養”の力がある」など、私たちは学生時代から現在に至るまで、さまざまな「能力」を求められ続けられます。

とりわけ働き始めてからは、転職活動や部署異動に際し、必死に能力やスキルを身につけるために仕事に取り組んできた人も多いと思います。ただ、ときに自身の「能力」と向き合い続けることに疲れてしまうこともあるのではないでしょうか。

組織開発の専門家・勅使川原真衣(てしがわら・まい)さんは、能力とは個人に帰属するものではなく、「環境次第でいくらでも移ろうもの」と語ります。私たちは、どうしてこれほどまでに「能力主義」に左右されてしまうのか。そして、「能力」が移ろうものだとすれば、どううまく付き合っていけばいいのか。お話を伺いました。

「能力」とは環境によって移ろいゆく幻のようなもの

勅使川原さんは行き過ぎた「能力主義」に疑問を抱き、大学院で教育社会学を研究されたそうですね。ご著書の『「能力」の生きづらさをほぐす』では、定義が曖昧な「能力」を求められ続けられてしまうことのいびつさを指摘されていました。

勅使川原真衣さん(以下、勅使川原) 私自身、「能力」の曖昧さには子どもの頃から苦しめられてきたんです。小学生時代、ある担任の先生からは「リーダーシップがある」と評価されていたのに、進級して別の先生が担任になった途端、「リーダーシップが強すぎて問題だ」と酷評されたのが忘れられなくて。会社員になってからも、ある企業ではじめは最低の能力評価をつけられていたにも関わらず、偉い人と仲良くなるにつれて評価が上がるという経験をしました。

なんなんだこれ、と疑問に思うあまり、一時は敵地視察をしようと意気込んで、人材の能力開発や評価を行う外資系のコンサルティングファームに勤務していたこともあります。「能力」への恨みが深いんです(笑)。

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勅使川原さんが経験されたのは、環境に応じて求められる「能力」が変わり、それによって自分の評価までコロコロ変わってしまう……ということでしょうか。

勅使川原 そうです、そうです。実際のところ、企業が新卒学生に求める能力も風見鶏のように時代によって変化しています。例えば、厚労省が定期的に発表していた「雇用管理調査」(2004年に廃止)を遡ってみると、学生を採用する際に重視する能力として、あるときは「創造性」が求められたかと思えば、あるときは「協調性」がいきなり求められたりもする。

また、直近では経団連から「大企業が大卒者に期待する資質・能力・知識」*1がランキング形式で発表されていますが、そこで求められる資質や能力は多岐にわたります。例えば、2022年に発表されたものでは、1位が「主体性」、2位が「協調性」。3位以降は「実行力」「学び続ける力」「柔軟性」……と続きます。

「主体性」の次が「協調性」……。どう捉えればいいのか悩みますね。

勅使川原 結論から言ってしまうと、これらは本来、組織の「機能」としては全て必要なんですよ。ただ、それを一人の個人が身に付けるべきものとして捉えると、おかしなことになってしまう。能力とは環境によって移ろいゆく幻のようなものです。例えば、ひとくちに「コミュニケーション力」と言っても、職場によって求められるコミュニケーション力の内容は違うでしょうし、その能力がうまく発揮されるかも、人間関係や制度などによって変わりますよね。

それなのに、能力を個人に帰属するものと捉えてしまうと、仕事ができないのは能力がないあなたのせいだ、と個人だけに責任を押し付けることになってしまいます

確かに。ただ仕事がうまくいかないと、自分の能力や資質の問題だと考えてしまいがちです。

勅使川原 そうなんですよね。そう考えてしまう背景の一つには、そもそも教育の目的に「人格の完成」*2と定められていることがあると思います。これは、自分に足りないものをインプットして「能力」を高め続けていけば、いつか人格が完成する、という非常に個人主義的な人間観なんです。しかも近年では、求められる能力が「人間力」とか「生きる力」とか、抽象度を増してさらに細分化されつつあるのできりがありません。

また、社会学的に『失敗の納得のしかた』を社会がうまく設定することは非常に重要で、社会の安定的な運営という観点からは、「自分は能力が足りないから、評価されなくても仕方ない」と思わせるようなロジックが重宝されてしまう部分もあります。よく成功した人が「自分には〇〇力があったから成功した」と、成功の理由を特定の能力に還元して公言することがありますが、それはこうしたロジックと表裏一体です。

でも実際のところ、成功したのは仕事との相性や周囲との関係、さらには運がよかったからというのもあるはずで、あくまで環境における結果ではないでしょうか。私が組織開発と自分の仕事を説明しているのも、人材開発のように個人に焦点を当てるのではなく、組織全体の環境の調整に目を向けたいと考えているからなんです。

無理のない範囲で「職業人格」を演じるのもひとつの手

勅使川原さんが組織開発の専門家としてお仕事をされてきた中でも、実際に、環境によってまったく能力の発揮され方が違うと感じた事例は多かったですか?

勅使川原 本当に多かったです。例えばある企業では、「新人の登竜門だから」という理由で、新入社員の多くは簡単な表計算やデータ上の間違いを見つける業務を任されるんですね。向き不向きがはっきりと分かれる仕事なんですが、その企業では、計算業務ができないとほかのクリエイティブ職やマーケティング職に就かせてもらえないルールになっていました。

つまり、表計算の誤りを見つける能力が、その会社の求めるベースの能力になっているということですね。

勅使川原 そうです。でも、そのタスクが苦手でも、ほかの業務でなら高いパフォーマンスを出せるタイプの人はいるんですよ。実際に、Oさんという社員はその職務との相性が非常に悪かったんです。悩んだ末に不調をきたして休職することになってしまったのですが、復帰するときにあるマネージャーが「Oさんは営業に向いているんじゃないか」と気づいた。それで営業チームに異動した結果、成果を出せるようになり、いまではかなり出世しています。

それから、ある企業で働いていた警備員の方は、前職では職場の人気者だったのに、転職した途端に同僚から冷遇されてしまったと聞いたこともあります。だから、仕事がうまくいかないときは、まず個人の能力を疑うよりも前に、業務や人員配置などの環境を調整することを考えた方が良いと考えているんです。

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個人に合わせて業務や環境を調整するという考えは、マネージャー層にこそ持っていてほしい発想ですね。

勅使川原 本当にそうです。そもそも組織開発なんてある程度大きい組織規模でしか成り立たないと思われる方もいるかもしれませんが、私のクライアントには地方のクリニックなど、少人数の組織も多いんです。むしろ、人数が限られている方が社会的手抜きが起きず、「集まった人たちで工夫しよう」という意識が働き、それぞれの特性が生きる印象があります。

業務や人間同士の組み合わせまで考えるとなると、どうしてもマネージャーの責任や負担が大きくなるので、うまくいかないときに個人に責任を限定した方が楽なのかなとは思うのですが……。異動や配置転換がもっとフレキシブルにできる環境をぜひ経営層やマネージャー層にはつくっていただきたいと思います。

一方で、いち社員として働く私たちが「能力」に必要以上に苦しめられないためには、どんな意識を持っていたらいいのでしょうか。

勅使川原 ここまでお話ししたとおり、「能力」って本当に曖昧な、蜃気楼のようなものだということを忘れないでいただきたいです。社会の求める能力はクルクルと変わるし、環境によって能力の発揮のされ方も違う。だから、必要以上に「もっと能力を高めなきゃ」とか「評価されないのは能力が足りない自分の責任だ」と思うことはやめてもらって大丈夫だと思います。まずはそこで、ちょっと肩の力を抜いていただきたいですね。

それからもうひとつ、よく現場で言うのですが、メンバーの能力について指摘してくる人って、別にあなたという人間全体を見ているわけではまったくないんですよ。だから、必要とされている機能であれば演じてみてもいいんじゃないですか、と。「なんかこの人『大胆なリーダーシップを見せてほしい』ってずっと言ってるな。まあ給料ももらってるし、1年くらいやってみるか」くらいの感覚でもいいと思うんです(笑)。

私は「職業人格」と呼んでいるんですが、見せかけでもいいから、職場で求められているものが提供できそうなら提供して差し上げる、という姿勢もときには持ってみてもいいのかなと思います。

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なるほど。最近では、仕事と自己実現を結びつけるあまり、仕事と自分自身の評価が直結しているような印象もあるのですが、むしろ積極的に切り離していくと。ただ、それでもそこで求められているものがどうしても演じきれないときには、どうするべきでしょうか。

勅使川原 昨今は1on1ミーティングの機会を設けている企業も多いので、そういったタイミングで「もしかしたらできているように見えてるかもしれませんが、実はしんどいんです」と上長にぜひ伝えてほしいです。「置かれた場所で咲きなさい」という罪深い言葉がありますが、そこで咲こうとする必要はまったくないですからね。異動を希望してみるなり、辞めることを決めるなり、ほかに咲ける場所をぜひ探してほしいと思います。

企業が見ているのは「能力」ではなく「相性」

能力を環境によって変化するものと捉えると、個人が転職活動などで新しい職場を探す際に見るべきポイントも、従来とは変わってきそうです。自分にマッチする環境を見つけるためには、どんなポイントに注目すればよいと思いますか。

勅使川原 職能が発揮されるのは環境との相性がいいときだけですから、関係性の基本になる場はなるべく見に行った方がいいと思います。

最近は面接がオンラインだけで完結することも少なくありませんが、実際に職場を見せてもらい、自分がどんな人と頻繁にやりとりをしながら、どんな言葉を使いながら仕事をすることになるのかの情報はできるだけ集めた方がいいですね。そういった情報を提供することは、お互いのミスマッチを防ぐためにも、企業にとっても必須になっていくんじゃないかと思います。

「りっすん」の読者には、ひとつの会社に長く勤めている方も少なくないと思います。長年勤めた会社からの転職を考えるとき、「自分はほかの場所で通用するんだろうか」と悩んでしまう人もいそうだなと思うのですが。

勅使川原 企業が見ているのは能力だと言われ続けているけれど、実際には相性です。「ここでだめだったらほかの会社でもだめかもしれない」と妄想してしまう気持ちは分かりますが、情報をできるだけ集め、相性を自分から見極めに行く、ということを淡々と続けていれば、活躍できる企業と巡り合う可能性は高いと思います。

最近はキャリアにも一貫性を求められたり、「本当の自分」の声に耳を傾けるべきだと言われたりしてすごく大変だと思いますが、実際には人の道のりって予期できないものですし、論理が一貫していないのなんて当たり前のことなんですよね。どこかで急にキャラ変したっていいし、必要なものを演じていたっていい、と思えると、すこし気持ちがほぐれるかもしれません

勅使川原さんはご著書の中でも、安易な「分かりやすさ」や「成功」に引きずられず、葛藤し続けることの意味について書かれていましたね。

勅使川原 企業も個人も、誰も今後の「正解」が分からない時代において、効率的に道を選んだり、ゴールをひとつに決めたりするなんて絶対にできないと思うんです。だから、コロコロと変化する「能力」に振り回されるのではなく、誰でも本来持っている「なんか変だな」という気持ちを無視せず、葛藤を続ける方が自然の姿じゃないかと。

私たちなんてみんな、ちっぽけだし超ダサいんですよ。周りを見渡すと人のいい面ばかりが見えるかもしれないけれど、みんな完璧じゃないんです。だからこそ私たちはお互いに機能を補い合って、協力しなきゃいけない。個人が「人格の完成」なんて目指してる場合じゃないんです。

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取材・文:生湯葉シホ
撮影:関口佳代
編集:はてな編集部

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お話を伺った方:勅使川原真衣(てしがわら・まい)さん

勅使川原真衣さんのプロフィール写真

1982年横浜生まれ。 慶應義塾大学環境情報学部卒業、東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。 BCG、ヘイ グループなど外資コンサルティングファーム勤務を経て独立。 2017年に組織開発を専門とする、おのみず株式会社を設立し、企業はもちろん、病院、学校などの組織開発を支援する。著書に『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社)がある。
Twitter:@maigawarateshi

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