そこで今回は、書評家の石井千湖さんに、そもそも私たちにとっての「仕事とはなにか?」「働くとはなにか?」を考え直すきっかけをくれる5冊をご紹介いただきました。最近、自身も働き方の変化を経験したという石井さん。文学から哲学まで幅広いラインナップの中から、春を迎える前に改めて自分と仕事の関係について考えてみてはいかがでしょうか。
仕事ってなんでしょうね? 突然すみません。石井千湖と申します。わたしは子供のころから本が好きで、書店員を経てブックレビューをメインに書くフリーライターになりました。「書評家」と呼ばれることもあります。著書を2冊出して、これからもずっと本を読んで文章を書いて生きていくつもりでした。
ところが、昨年春、約20年ぶりに書店で働き始めました。出版業界の厳しい状況、零細個人事業主にとっては痛手になるインボイス制度が導入される予定であること……兼業ライターに切り替えた理由はいろいろあります。ただ、いちばん大きかったのは、メンタルの問題です。
当時のわたしは、人間関係のトラブルが原因で、不眠症になっていました。うつ病の治療中だったので薬を増やしてもらい、なんとか持ちなおしたものの、モヤモヤは残りました。読みたい本はたくさんあるのに、雑念にとらわれて、なかなか集中できません。そんなときに、たまたま近所の書店のアルバイト募集広告を見かけたのです。環境を変えるのはどうだろう? というわけで、応募してみたら採用されました。
家に引きこもって夜も昼もないような暮らしから、毎日声を出して身体を動かす規則正しい生活へ。体力的にはきついですが、バイト仲間と話すのは楽しい。読者の近くでどんな本が求められているのか実感できて、すごく勉強になっています。自分という閉め切って空気の淀んだ部屋の窓が、久しぶりに開いて新鮮な風が入ってきた感じです。
今回は、そんなわたしが仕事との距離感や、今後目指したい方向性を考える上で、手がかりになった本をご紹介しましょう。仕事との向き合い方を改めて考えるきっかけになれば嬉しいです。
INDEX
コンビニでの仕事を通して「普通」を問う『コンビニ人間』

『コンビニ人間』(村田 沙耶香)文藝春秋
主人公の古倉恵子は、36歳のコンビニ店員。普通の家庭で普通に愛されて育ったのに、言動が「異常」と見なされてきました。
例えば、子どもの頃の恵子は、周囲の子どもたちが泣いて悲しむ中、公園で死んでいた小鳥を拾い上げ、母親に「これ、食べよう」と言い放ちます。周囲は驚きのあまり絶句しますが、父は焼き鳥が好きだし、妹は唐揚げが好きなのに、なぜ食べずに埋めようとするのか理解できなかったのです。大人になっても、どうして自分はみんなと同じようにふるまえないのか、本人にもわかりません。
社会に出ることすら危ぶまれた恵子にとって、初めて〈世界の部品になることができた〉と感じられた場所がコンビニでした。ところが、新入りアルバイトの白羽が問題を起こして……。恋愛経験なしの恵子と、傲慢すぎる婚活男・白羽の奇妙な関係を通して、「普通」とは何かを問うています。
著者の村田沙耶香さんは、大学時代からコンビニでアルバイトをしていて、『コンビニ人間』で芥川賞を受賞したあともしばらくは働いていたそうです。長年のバイト経験と鋭い観察眼が小説にも活かされています。面白いのは、マニュアルの意外な効用を描いているくだり。マニュアルはサービスを均質にするぶん人間性を奪うものというイメージがありますが、恵子はマニュアルに忠実に従うことで「店員」という人間になれたと思うのです。
わたしもまったく社交的な性格ではないのに、マニュアルにそって接客していると自分がほがらかな人間になったように錯覚することがあります。マニュアルと同じことを繰り返しているうちに、ペルソナができていく。世間と対峙するときにペルソナがあるのは便利ですが、あまりにも素顔と乖離しているとつらくなるかもしれないので、うまく付き合っていきたいものです。
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私の天職はどこにあるの?『この世にたやすい仕事はない』

『この世にたやすい仕事はない』(津村 記久子)新潮社
津村記久子さんは、働く人の現実をユニークな視点で描く作家です。本書は30代女性の職探しをめぐる冒険小説。
燃え尽き症候群のような状態になって前職を辞めた「私」は、職業安定所の相談員に〈一日スキンケア用品のコラーゲンの抽出を見守るような仕事〉という希望条件を出します。それから「私」の体験する5つの仕事は、いずれも奇妙でありながらどこかに存在しそうな細部を持っていて引き込まれます。
なんといっても楽しそうなのは〈おかきの袋の話題を考える仕事〉。おかきの袋の裏側に、ちょっとした豆知識が印刷してある。その豆知識のネタを選び、文章を書くのです。「私」が従業員の話をヒントに提案した新シリーズは、実際にヒットしそうで胸が躍ります。おかきの会社は前の職場よりも待遇がよく、商品は美味しく、社内の雰囲気も悪くありません。ただ、「私」はやりがい感じますが、結局は辞めます。
相談員に仕事と愛憎関係に陥らないようにアドバイスされたのに、感情移入しすぎて、距離感を見失ってしまったのです。どうしたら心が折れず、病気にもならず、仕事と適切な関係が築けるのか。読み終わると、タイトルをもう一度噛みしめずにはいられません。この世にたやすい仕事はないけれど、難しさのなかに希望も隠れていると思わされる1冊です。
奴隷的でない労働の条件について考えた哲学者『ヴェーユ』

『人と思想 107 ヴェーユ』(冨原 眞弓)清水書院
シモーヌ・ヴェーユは、フランスの哲学者。一般的にはシモーヌ・ヴェイユと表記されることが多いです。22歳で哲学教授になり、ふたつの大戦のはざまの激動の時代を生きて、34歳の若さで亡くなりました。
労働について深く思索した人で、その言葉は刺さるものばかりですが、いきなり著作を読むと難解なところがあります。そこでおすすめしたいのが、ヴェーユの研究者で翻訳者でもある冨原眞弓さんが彼女の人生と思想をわかりやすく解説した本書です。
冨原さんによれば、ヴェーユの活動の底辺に流れているものは常に変わることがなかったそうです。それは社会の底辺で踏みつけられ苦しんでいたり、抑圧されている人たちの側に立って、彼らと協力して、不幸な状況を切り開く努力をすること。
特定の組織に所属しなかったヴェーユは、独自のやりかたで自分の思想を実践します。たとえば、未熟練工として工場で働きました。ヴェーユはそのときの体験を日記に書いています。劣悪な労働環境、重なる疲労、思考を放棄したいという誘惑……。ヴェーユは自分が人間的な権利をすべて奪われた「奴隷」状態にあると発見します。ヴェーユにとって、労働者の「不幸」の本質とは「むき出しの生命の維持を究極目的とせざるを得ない」ことなのです。
そして、「奴隷的でない労働の第一条件」を論じます。ヴェーユいわく、〈民衆はパンと同じように美を必要とする。語句のなかに閉じこめられた詩のことではない。そのような詩はそれだけでは役に立たない。民衆の生活の日常的な実体そのものが、詩でなければならない〉。つまり、生活のなかにある詩のような美しいものが労働者を解放し、ときに単調な仕事の中にも〈歓びの感情〉を見出すことを支援するというわけです。
無理やりポジティブシンキングすることなく、自分の日常にも美はあるのではないかと思える。ヴェーユの言葉は、世界の見方を変えます。
生活を取り巻く経済の仕組みと死角を問う『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か』

『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か』(カトリーン・マルサル作/高橋 璃子訳)河出書房新社
著者のカトリーン・マルサルは、スウェーデン出身、英国在住のジャーナリスト。まず、タイトルにもなっている問いに惹きつけられます。
経済学の父と言われるアダム・スミスは、『国富論』に〈我々が食事を手に入れられるのは、肉屋や酒屋やパン屋の善意のおかげではなく、彼らが自分の利益を考えるからである〉と書いた。合理的な「経済人」の自己利益の追求が、市場と世界を回すというわけです。
でも、それは本当なのかと著者は疑問を投げかけます。肉屋が自己利益をいくら追求しても、誰かが焼かなければステーキは食べられない。アダム・スミスの夕食も、作っていた人がいるはずです。日々家事に追われている人ならば、性別関係なく「ほんとそれ!」と共感するでしょう。
家事、育児、介護といった「ケア労働」の担い手を視界から消した結果、経済学から大事なものが抜け落ちてしまったのではないかと著者は指摘します。その抜け落ちた大事なものとは、自然、身体、感情。大事なものを忘れた「経済人」は、競争に明け暮れて破滅に向かうしかありません。ほんの一握りの勝者を除いて。怖ろしいことです。
特にゾッとしたのが、競争というレンズで世界を見る「新自由主義」と、「人的資本」の概念がいかに人々の考え方を変えたか書いたくだり。誰もが「人的資本」であり、どんな教育を受けて、どんなスキルを身につけるかも全ては「自己投資」。そして、投資の結果は自己責任という「新自由主義」を、わたしも無意識に内面化していると気づいたからです。
自分ひとりがいくら一生懸命頑張って働いても、世の中全体の仕組みが改善されないかぎり、不安はなくなりません。では、どうしたら?
簡単に答えは出ませんが、著者が最後にいたる光景は、先ほど紹介したヴェーユのいう「詩」かもしれないと思いました。
仕事に疲れたら読みたいエッセイ『とりあえずお湯わかせ』

『とりあえずお湯わかせ』(柚木 麻子)NHK出版
最後に紹介したいのは、小説家の柚木麻子さんのエッセイ集です。妊娠中の2018年から、コロナ禍を経た現在までのことが綴られています。
タイトルの由来は、柚木さんのお母さんの口癖。何も手につかないときはお湯を沸かせば、お茶を飲むなり、野菜を茹でて一品作るなりできる。最低でも、部屋を加湿できる。〈停滞を脱するとっかかりを最もハードルの低いところでつかめ〉という家訓のようなものなのだそうです。
書く仕事に打ち込みながら、生活を楽しくする努力も惜しまない柚木さん。でも、がんばってもどうにもならないこともあります。本書に収められたワンオペ育児が破綻したときのことを語った「カップ焼きそば」、夫と口論になって家を飛び出す「家出」は、共感せずにはいられません。特に「家出」の最中にアンガーマネジメントの本を読んで怒りを爆発させるくだりは最高です。
とにかく自分を責めず、友達を大切にする。ベビーカーを蹴る人や幸せそうだからという理由で女性を刺す人がいる社会、国民の健康よりも経済を優先する政府に対する怒りは忘れない。そういう姿勢に励まされます。
忙しい毎日でもホッとできる瞬間を意識的に持つために実践してみたことを書いた「ホッとできない私へ」も参考になりました。くたくたになって気力を失った日には、柚木さんの言葉を思い出そうと思います。とりあえずお湯わかせ。
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仕事で悩みを抱えているとき、親しい人に愚痴をこぼすことはありますが、あまり甘えすぎてもいけないと思ってしまいます。みんな大変なのは同じなのだし。
その点、本が相手ならば、気兼ねなく相談できます。もちろん本はしゃべりませんが、著者の思考が詰まっています。一冊の本になるほど、深く考えたことが。
寡黙だけれども思慮深い本という友人と対話しているうちに、自分にとって何がつらいのか、言語化することができます。問題を言葉にすることは、解決の一歩につながるはずです。
わたしの経験では、自分の現実とかけ離れている内容のほうが、閉塞感を打開する思いがけないアイデアとか、心の支えになる言葉が見つかりました。ふさぎ込んでいるときって、視野が狭くなっているのでしょうね。
世の中にはたくさんの本があって、そのなかにはきっとあなたと気の合う友人がいるはずです。方法は何であれ、本と読者をつなぐことが、わたしのしたい仕事。書評や書店が、良い出会いの場になれば幸いです。
※2023年2月15日20:00ごろ、記事の一部を修正しました。ご指摘ありがとうございました。
編集:はてな編集部
もっと新たな本との出会いを広げよう
著者:石井千湖(いしい・ちこ)