大学卒業後Uターン就職したものの、自身の「やりたいこと」を実行するために再上京と異業種転職を選択し、現在はフリーランスのライター・編集者として活動する安多香子さんの働き方の変遷を寄稿いただきました。
社会人のスタートを切る頃から自分の本当にやりたいことがハッキリしていたり、希望の仕事に就けたりする人もいるはず。しかし、働き始めて初めて自分の「やりたいこと」が見えてきたり、仕事をする上での優先度が分かってきたりした、という人は少なくないように思います。
ただ、一度始めた仕事を手放してまで「やりたいこと」のために行動すべきか……と悩むこともあるはず。今の仕事が順調であったり、ワークライフバランスも叶えやすい状態であったらなおさらです。
学生時代「やりたいこと」が分からなかったという安さんは、徐々に「やりたいこと」の輪郭が見えてきたと語ります。迷いながらも今の働き方を選択してきた安さんの心境の変化は、私たちの働き方を見直すきっかけにもなるかもしれません。
フリーランスのライターのようなものをしている。
“のようなもの”とハッキリ自信を持って名乗れるほどの自信や実績は、まだない。先の見えない不安な気持ちを押し殺し、10年弱の社会人生活で一生の仕事にしたいと思った「ライター」として生きていくために、四苦八苦しているところというのが正しい。
それでも、迷いながら今の働き方を選択している。今回はそんな話を少ししたい。
漠然としたままスタートした社会人生活
ナイチンゲールの伝記をバイブルに育ち、『SEX AND THE CITY』のミランダを崇拝していた地方出身の私は、やりたいことを仕事にするということへの欲求を持ちながら東京の大学生活を過ごした。
彼女たちの、確固たる意思のようなものを持つ凛とした姿が魅力的だった。天命ともいえる仕事のために努力を厭わず、困難をも乗り越えていく。そんな風になれれば、とぼんやりと思っていた。
しかしいざ就職活動の時期になっても、漠然とした「やりたいことを仕事に」という思いとは裏腹に、自分に何ができるか・どうやって働いていけばいいかが分からない。当然、就職活動も難航した。
大学卒業後も関東で働ければと思っていたが、やっと内定をもらえたのは地元の金融機関での仕事だった。これが自分のやりたいことかは正直分からなかったけれど「やってみてから考えよう」と思い、Uターン就職することとなった。
そうしてなんとなく始めた保険のカウンターセールスの仕事は、意外にも楽しかった。
成果が数字として目に見えるのはうれしいし、お客さんに喜ばれるとやりがいも感じる。元来そそっかしい性格で数字を扱うことには向いていないはずだったが、一つずつミスを少なくする工夫をして、成績も徐々にあげていった。仕事終わりはヨガなどの習い事もして、それなりに充実した安定した毎日を過ごした。
それでも、その仕事は本質的には自分には向いていないもののような気がした。
「苦手なことを頑張ってやっている」感覚が強く、褒められたり表彰されたりしても「次に失敗した時に調子に乗っていたと思われないように、おとなしくしておこう」なんて考える卑屈さだった。続けていった先にどうなりたいかが見えなかったこともつらかったように思う。仕事に対して「熱中している」感覚は正直あまりなかった。
この頃は「もっと好きなこと・向いていること・やりたいことを仕事にしたい」という気持ちを募らせつつ、なかなかその一歩を踏み出すことはできなかった。
「やりたいこと」と初めて向き合った日
大学時代を過ごした東京には、Uターン後も何かと理由をつけて遊びに行った。親しい友人とライブに行ったり映画を観たり。友人の家族とお酒を飲むことも楽しかった。
その友人の父は若い頃に劇団やバンドをやり、最終的にはラーメン屋を経営しながら二人の子どもを育てた人で、私にとっては東京の自由さを象徴する存在だ。そんな人と触れ合うたびに、やはり自分のやりたいことをしてみたいという気持ちは強くなった。
転機になったのは、社会人4年目の頃。私は依然として「やりたいことをしたい」と思いつつ、何をすればいいのか分からず、行動することができないと悩んでいた。そんなときに友人の父がかけてくれた「やりたいことやしたい生活を一つずつ試して、その責任を引き受けた大人になりなさい」という言葉に、ハッとした。
これまでの私はただモヤモヤを抱えていただけで、本当にやりたいことに対峙したことも、試したことはなかったのかもしれない。今こそ自分自身を見つめ直して、学生時代には漠然としていた「やりたいこと」とちゃんと向き合う。そう決めた。
そして自分のやってきたことを振り返るなかで、それまで曖昧だった「やりたいこと」を「自分がすでに無理なくやっていること」に絞って整理してみることにした。
するとそれは私の場合、ブログや会社の広報誌に載せる文章を書くこと、書店や著者のサイン会に行くことなど「文章や本に関わること」だった。
そこから徐々に編集やライティングの仕事にチャレンジしてみたいと思うようになった。地元でそうした仕事がないわけではないが、働く機会としてはやはり関東の方が多い。また、Uターン就職してからも頻繁に東京へ行っていたことから、東京での生活自体も「やりたいこと」なのかもと考え、東京の編集プロダクション(=編プロ)への転職を目指すことを決めた。
とはいえ、編集・ライター職に未経験から挑戦するのは大変なことだと予想ができる。ハードな働き方が想像される編プロで、体力に不安のある自分が働いていけるかも不安だった。それでも一度思いついたことはやってみないと気がすまない。条件を満たす働き口を探し、社会人5年目に東京の編プロから内定を得た。
実際に転職できる状況になってみると、地元での安定した生活を手放す選択は想像以上に怖いものだった。採用の連絡をもらってから1カ月は悩んだ(新旧の会社どちらもよく待ってくれたと思う)が、やっと見つけた「やりたいことのようなもの」を試しもせずに捨てることはできない。そうして2度目の上京と最初の転職を決めた。

再上京した日に撮った部屋
やりたいことを少しずつ確かめる
初めての編プロでの主な仕事は、フリーペーパーやスポーツに関連する書籍の編集・ライティング業務だった。分からないことだらけで、いま考えると信じられないようなミスばかりしていたと思う。想像していたよりもずっと忙しく、体調管理にも苦労した。
それでも一度も「やらなければよかった」と思うことはなかった。
取材現場の緊張感や、新しく出会う人やモノ、それらを熱意をもってわかりやすく伝えていくこと。どれもすぐにうまくはできなかったけれど、失敗することも恥をかくことも全然気にならないくらい、全てが楽しく夢中になった。
前職では他人の顔色ばかりを伺って失敗することを極端に恐れていたのに、上司や同僚にも素直に接して、そのままで受け入れられている気がした。地元にいた頃いつもブログに書いていた「なにかに熱中したい」「仲間が欲しい」という想いは、自然と消えた。
しかし3年ほどたって基礎的な編集・ライティングを学ぶ期間が過ぎた頃、かつての漠然とした「文章や本に関わること」より具体的な「やってみたいこと」が見えてくるようになった。書籍づくり、ひいては編集業にもっと積極的に関わりたいと思う気持ちが強くなっていった。

当時働いていたとき、よく休憩で訪れていたビルの屋上
このときの私の働き方としては、フリーペーパーの制作がメイン。またライティング業の比重が大きいこともあり書籍づくりに関わる機会はなかなか得られなかった。多忙な日々が続き体調にも不安を覚え始めていたことから、悩んだ末「いったん休んで落ち着いて考えよう」と転職先も決まらぬまま、お世話になった編プロを退職した。
本来であれば次を決めてから……とも思ったが、働きながらの転職活動は自分の体力・気力ではできないだろうという判断だった。
私が退職したのは、世間でちょうど新型コロナが流行しはじめた頃。貯金残高が減っていくことに怯えながら自粛生活を送っていたが、縁あって個人でライティングの仕事を引き受ける機会を得られた。
部屋でコツコツと執筆する作業は楽しかったが、それだけで食べていくことはできなかったこと、また「書籍づくりをもっとやってみたい」という思いを実現させるために、いくつかの採用試験を受けたのち、実用書を制作する会社で働けることとなった。
新しい職を得られたことはうれしく、収入も以前に比べて増えた。しかし実際に実用書編集の仕事を始めてみると、それまで経験してきた人物取材や原稿執筆ほどの手ごたえを感じられないことに気付いた。
やりがいはあったが、できたものを前にしても気持ちが大きくは動かない。同僚の企画する本は何度も重版していたが、嫉妬する気持ちが起こらないことも、仕事に対する意欲を削ぎ、ふさぎ込む日が増えた。
会社での仕事と働き方がうまくいかなくなるのに反比例して、コロナ禍で始めた個人でのライティングの仕事にのめりこんだ。
「のめりこんだ」と言えるほど仕事を受けていたわけではなかったが、現場で取材できる機会があるとワクワクしたし、自分が貢献できる場所はここではないかと思った。次第に「どうすればこの仕事を続けていけるだろう」と考えるようになった。
はたから見たら「不安定」な生活かもしれないけれど
そうして2年間、ダブルワークをしながら実用書制作の編プロで勤務したのち、2022年にフリーランスのライター・編集として働いていく道を選んだ。
ワークライフバランスやライターという仕事の魅力、編集の仕事に比重をおいてやってみたからこそ気付いた自分のやりたいことの方向性など、理由はいろいろと挙げられるけど、「そうしたいと思ったからそうした」としか言えない気がする。
それは正直感覚頼りの見切り発車で、まだ十分にやっていける見通しは立っていないため、しばらくはほかの仕事もしながら生計を立てていくしかない。より収入と生活のバランスがとれる働き方を見つけたら、会社員に戻ることもあるかもしれない。またUターンする可能性だってある。
けれど、いまはまだ「やってみたい」と思ったことの手触りを、実際に行動して確かめる段階なのだと思っている。
自分の感覚を信じて行動することは、怖いことだ。私自身、「やめておけばよかった」と思うような失敗も経験してきたし、周囲の腰を据えて仕事をしている(ように見える)同年代の姿を見て、いつまで「やりたいことをやってみる」で動いて良いのだろうかと思うことだってある。
また、仕事にやりたいことを求めて行動する人生だけが良いわけではないし、そうしなくても幸福でバランスのとれた生活を送っている人をたくさん知っている。やりたいことをやりたいと思っても、さまざまな事情からできない、難しいという人もいるだろう。
それでも、こと私の場合ではあるが、自分の感覚で働き方を選んで行動するたびに、好きなことや嫌いなこと、得意なことや苦手なことは、どんどんはっきりしていった。
そうして自分の輪郭や役割がわかり、「私はこういう人間です」と少しでも言えるようになると、ぼんやりと社会人になった頃に比べてずっと、他人ともつながりやすくなった。行動して得る結果は良いことも悪いことも具体的で、必ず次のステップが見えた。
要領の良い生き方ではないし、今後も何度も失敗をしていくのだろう。そのときはまた、その時点での可能な限りの最善を選べば良いと思うし、状況が変わって、“いまの自分にとっては、この働き方の方がバランスが良い”と感じることがあれば、誰に言い訳をするでもなくそれを選択してもいいんじゃないか。
だから私はこれからも、自分の感覚を大切にして働いていきたい。
編集:はてな編集部
やりたいことはなくてもいいし、あってもいい
著者:安多香子