生方美久さんが助産師から脚本家に転身した理由。不安は消えないから、ほどよく目をそらす

脚本家・生方美久さん

脚本家・生方美久(うぶかたみく)さんに「キャリア」についてインタビューしました。

やりたいことはあっても、将来のことを考えると踏み出せなかったり。せっかく築いたキャリアを捨て、またイチからスタートすることに抵抗を感じたり。「今の仕事」と「やりたいこと」の間で揺れる人は多いのではないでしょうか。

2022年秋に放送され大きな話題を呼んだドラマ『silent』の脚本家・生方美久さんも、そんな悩みを抱いた経験がある一人です。

もともとは助産師として働いていたものの、「今の仕事に向いていない」という悩みから脚本を書き始めた生方さん。決断にとって大切なこと、そして不安との向き合い方を伺いました。

「好き」でも「選ばれた人しか入れない世界」だと思っていた

生方さんが最初にドラマや映画など映像の世界に興味を持ったのはいつですか。

生方美久さん(以下、生方) 映画に関しては高校生のときです。映画『リリイ・シュシュのすべて』を観て、岩井俊二さんの作品が好きになって、映画に興味を持ちはじめました。と言っても私の地元(群馬県)では映画館が少なくて。ローカルなレンタルビデオ店でDVDを借りるので精一杯。

大学生になってからは行動範囲が広がり、自然と映画館でいろんな映画を観るようになりました。社会人になると、週2〜3回は映画館に行ってましたね。

生方さんは大学で看護の勉強をし、大学2年生のときに助産師を目指しはじめたと聞いています。その頃は「脚本」を仕事にしたいという気持ちはなかったのでしょうか。

生方 脚本どころか、映像業界を目指そうとも思っていなかったですね。選ばれた人しか入れない世界だと最初から決めつけていたというか。あくまで憧れであって、仕事に結びつけようという発想自体がなかったです。

私、自己肯定感がすごく低くて、「これがしたい」「ああなりたい」みたいなものはあっても、自分には無理だから来世で頑張ろうと思うタイプなんです。映画やドラマも「好きだけど、見て楽しめれば十分」と考えていました。

脚本家・生方美久さん手元

安定した職を手放すのが怖くて設けた「準備期間」で脚本を書き始めた

助産師として働きはじめてから3年で一度病院の仕事を辞めたそうですが、「映画やドラマの世界はあくまで“憧れ”」という気持ちに変化が訪れたのは何がきっかけだったんでしょう?

生方 助産師の仕事があまり向いていなくて。仕事がしんどくなればなるほど映画やドラマといった「好きなもの」に逃げるようになり「なんで私はこっちの世界を目指さなかったんだろう」という気持ちがどんどん強くなっていったんです

どういった点に「向いていない」と感じたのですか。

生方 やりたかった仕事ではあるけど、周りに迷惑をかけている罪悪感が強くて。こんな意識の低さで人の命を扱っていいのかといった自己嫌悪だったり、そんな自分が担当することに対する患者さんへの申し訳なさだったり……。そういうしんどさがありました。

「映像業界を目指そう」と決意が固まったのはいつですか?

生方 助産師として働きはじめて2年目のときです。決定打となったのはある俳優さんの言葉で、「一年後に仕事を辞めて本気で映画やドラマの仕事を目指そう」と決めました。それが誰でどんな言葉でどんな映像だったのかは秘密なんですけど(笑)

なぜ「一年後」だったんでしょう。

生方 安定した職を手放す怖さがあったので、ちゃんと準備をしたくて。映画の学校に通う学費を貯めようと貯金を始め、同時に独学で脚本の勉強も始めました。

といっても当時は映画監督志望で、「脚本家になりたい!」と強く思っていたわけではないんです。ただ、何から始めればいいのかわからない中で「脚本だったら独学でできるかも」と思いついたのが最初だったんです。

今考えると安易なんですけど……。教科としての「国語」が得意だったわけではないんですが、作文は昔から“書ける”方で、読書感想文が入賞した経験もあったので、文章を書くことには抵抗がなかったんです。スマホで脚本の書き方を検索して、そこから一人で書きはじめました。

しばらくは助産師の仕事をしながら脚本を書いていたということですよね。

生方 そうです。仕事の合間に脚本を書いて、初めて書き上げたものをコンクールに出しました。そうしたら一次審査を通過して。結局二次で落ちちゃったんですけど、一次を通ったということは、一応は脚本として成り立ってるってことなんだなと思い、そのまま書き続けました。

「いけるかもしれない」と自信がついた?

生方 自信というよりは「この方向性で続ければいいんだな」という感じでしょうか。前提として、私は自分に才能があるとは思ってなくて。最初にコンクールに出した作品も、今読み返すと全然おもしろくないですし(笑)。

当時も自分の書く脚本が「おもしろくない」ことは分かっていて、「おもしろいもの」になるよう勉強して書き続けるしかないんだ、と。

仕事を辞めることに罪悪感はあったけど、踏みとどまろうという選択肢が生まれなかったのも「脚本を書きたい」という意思がここで固まったからだと思います。

仕事をしながら脚本を書く生活を1年ほど続けたのち、病院を退職して、当時住んでいたアパートから実家に帰ったとのこと。アルバイトをしながら映画の学校に通って映画監督になるための勉強をする傍ら、脚本を書き続ける生活が始まったわけですが、しばらくはシナリオコンクールで一次選考にも通らない日々が続いたそうですね。心は折れませんでしたか。

生方 先ほども話したとおり、自分に才能がないことが分かっていたから挫折もなかったというか……。まったく自分に期待していないから、コンクールに通らなくても「こんなもんだよね」と結果を受け入れて、休まず遅めに走り続けているという感じでした。映画の学校の同期と自分の才能を比べて落ち込む、ということもなかったです。

生活や仕事が安定している周囲と自分を比べて不安になることもなく?

生方 いえ、不安はありました。安定した生活ではないかもしれないけど、その分好きなことをやっている幸せがあるはずだ、だから、焦ることも比べ合うこともない。そう考えることで精神的な余裕を保っていたように思います。

脚本家・生方美久さん

なかなか夢が叶わない中でよぎった「ちゃんと」働かなきゃという考え

「周りと比べて焦らない」というのは、新しい道を選ぶ際にとても大事な視点のように思えます。その後、少しずつ結果が出るようになってきて、同時に安心感や自信も少しずつ感じられるようになった?

生方 いえ、一次審査にすら通らなかった頃よりも、このときの方が精神的にはしんどくて。

どうしてですか。

生方 書き続けていると、コンクールで奨励賞や佳作などをいただけるようになり始めて、テレビ局などのプロデューサーさんから「一度会ってお話しませんか」と連絡をいただくようにもなりました。でも全然仕事につながらなくて。「こんなにも仕事にならないんだな」と本当に狭き門であることを改めて実感したんです。

2021年に上京して看護師に復帰されていますよね。ご自身のブログでは「ちゃんと働かなきゃ、叶うわけない夢を追い続けるなんてダメだよなと思った」といったことを書かれていますが、そろそろ脚本の道を諦めた方がいいのではと考えていたのでしょうか。

生方 まず、上京を決めたのは、プロデューサーからお声がかかったとき、フットワークが軽い方が重宝されると思ったからでした。

そうやって夢を実現するために行動する一方で、このままアルバイトをしながら夢を追い続けていいのだろうかという悩みもあって。東京で暮らすのはお金もかかるので、生活のためにもう一度看護師として働こうと決めました。あとはコロナ禍で医療従事者が不足していたので、せっかく資格を持っているんだし……という気持ちもありました。

ただ、正社員になるか、脚本を書く時間をもっと確保するために非常勤のパートで働くかはかなり悩みましたね。

それは、悩みますね……。

生方 なのである病院では正社員希望として面接を受けたんですけど、そのとき面接を担当した方から「せっかく助産師の資格を取ったのに、そんな叶わない夢のために辞めちゃったの?」というようなことを言われて。

あまりに悔しくて、逆に「絶対に脚本家になってやろう」と思いました(笑)。そのことも、最終的にパートを選んだ一因になっていると思います。

そこで諦めなかったことが、結果的に2021年の「フジテレビヤングシナリオ大賞(ヤンシナ)」の受賞、そして『silent』につながったんですね。今でこそ脚本家になるという夢が叶っていますが、もしあのとき受賞できなかったとしても、まだ脚本家の夢を追い続けていたと思いますか。

生方 続けていたと思います。あきらめる瞬間って、周りに何かを言われたからではなく、自分で無理だって気づいたときだと思うんです。自分で区切りをつけるしかない。

「◯◯歳までに結果が出なかったらあきらめよう」といった、自分の中で決めていたタイミングはあったのでしょうか。

生方 うーん……。もしヤンシナをとっていなくて、その先も大きな賞をとれなかったら、いつかはどこかで諦めてたんだろうなとは思うんですけど……。2021年のタイミングで受賞できなかったとしても、そのときにあきらめてはいなかったとは思います。

脚本家・生方美久さん

不安はなくならないから「ほどよく目をそらす」のが大事

『silent』では、主人公の紬(つむぎ)が一度は就職したもののうまくいかず、大好きな音楽に関わりたいという思いからCDショップでアルバイトとして働く様子が描かれていました。このストーリーには、ご自身の経験や仕事観が反映されているのでしょうか。

生方 はい。私の中には「自分を殺してまで仕事を大事にしなくてもいいんじゃないかな」という考えがあって、それは紬の設定に反映しました。

今の職場や仕事内容に納得がいってないとか、他にやりたいことがあるとか、辞める理由はあるのに先々が不安だから踏みとどまっているとか、そういう悩みっていっぱいあると思うんです。

でも、仕事って辞めても意外となんとかなるんじゃないかなというのが私の考えで。それは私自身がそうだったという経験もあるのですが。

実際に生方さんは2022年の8月にはパートも辞めて、脚本家として専業の道を選んでいますよね。まだ『silent』の放送前だったのに、なかなか勇気ある決断だなと。

生方 自分でもよく辞めたなあと思います。ただ私の場合、「看護師」が再就職しやすい職業なので、それが保険になった部分もあると思います。ありがたい反面、そこに甘えているな……とも思うのですが。

仕事を辞めたからといって、前職で培ったスキルや資格が無駄になるわけじゃないですもんね。生方さんはこれまで、仕事に関する大きな決断をしてきていますが、将来を左右しかねない決断にはやはり不安がつきまとうものだと思います。その不安とはどう向き合ってきたのでしょうか。

生方 私、不安って絶対なくならないと思うんですよ。たまに解決するけど、解決した途端に新しい不安が見えてくる。普段見えてないだけで、不安のストックがいっぱいあるんですよね、人生って。だから、不安からはほどよく目をそらすしかないのかなと。根本的に解決できる不安はないと割り切ってしまった方が楽な気がします。

今も「脚本の仕事をずっと続けていけるか」「十分な収入は得られるのか」といった不安はありますし、その不安はずっと続くと思っています。

人生にはいろんな転機が訪れますが、決断するときに大事なことってなんだと思いますか。

生方 「自分で決めること」でしょうか。私、何を決めるにしても人に相談しないんです。進路もそうだし、病院を辞めるときも親に一切相談しなかった。

他人に勧められたまま生きていると、何かあったときにその人のせいにしてしまう気がして。それが嫌で、「うまくいかなくても自分で決めたことはしようがない」と思える生き方をしようと決めたんです。

決めたことはやりきる、と。

生方 ただ、今は「脚本家を一生続けていくぞ」とも思っていなくて。脚本を書くのは好きですし書き続けたいとは思いますが、もしこの先、本気でミュージシャンになりたいと思うことがあったら、脚本をやめてミュージシャンを目指すかもしれない。「一生これをやる」と決め切らなくてもいいのではと考えています。

取材・文:横川良明
撮影:小野奈那子
編集:はてな編集部

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お話を伺った方:生方美久(うぶかた・みく)さん

生方美久さんのプロフィール写真

脚本家。2021年、「第33回フジテレビヤングシナリオ大賞」で大賞を受賞しデビュー。2022年秋にフジテレビで放映され話題を呼んだドラマ『silent』の脚本を担当した。
Twitter:@ubukata_16

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