「ここを辞めたら次はない」呪縛を解いたら、半端じゃなく気持ちが前向きになった

 リャマ

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2018年に新卒入社した会社を退職した、はてなブロガーのリャマさん。「ここを辞めたら次はない」という不安から、つらいことがあっても辞められなかったというリャマさんですが、未来の「働く」を考えるために「働くことを休む」ことを決断しました。そう思うようになったきっかけとは? これから、どう「働きたい」のか。これまでのこと、これからのことを寄稿いただきました。

* * *

数カ月前の自分に「あなた、無職になっても全然絶望してないし、毎日やること多くて楽しそうですよ」と言っても、絶対に信じないだろうと思う。

私の中で仕事を辞めるということは、イコール人生の柱を失うことだったし、漏れ聞こえる周囲の話は、選択肢を狭めるような悲観的な意見が多かったように感じる。

「転職して条件がよくなるのなんて相当優秀な人だけ」
「いまの職場でうまくやれないならどこに行ったって同じことになる」
「一度正社員を辞めたら二度と正社員には戻れない」

私自身も同じことを思っていた。だから、仕事にしがみついていた。

でも、そんな追い詰められた考え方はすっかり消え、充実した毎日を過ごしながら「次の働き方」について考えているところだ。

私はいま、無職を満喫している。

気付かないうちに積み重なった「しんどさ」

私はつい数カ月前まで、とある企業のエンジニアとして正社員で働いていた。

そこは「大企業というほどではないが、まあ突然潰れるほどでもないかな」という規模の会社で、「文句を言いながらも定年まで勤めることになるだろう」という、いま考えると相当楽天的な考えで新卒から30代に突入するまでの時間をここで過ごしていた。

正社員というポジションは、他の何にも代え難い魅力だと思っていた。家族や友人には「ちゃんとしている」「普通の大人」と思っていてもらいたいという気持ちがあったし、自分の趣味(創作活動などをしています)を安心して満喫するためには安定した収入が欲しかった。クレジットカードやローンだって、正社員でなければ条件は厳しくなるという話をよく聞く。

何より、たいして優秀でもない自分は、ここを辞めたらもう二度と正社員にはなれないと思っていた。

そんな骨をうずめかけた職場を、なぜ辞める方向に向かったのか。

きっかけは、我慢していたものが一気に爆発したことにあると思う。

新卒まもなく配属されたときの上司は、典型的なモラハラ上司だった。思い返すとここには書きたくないことをたくさんされたが、そのとき私は何も知らない状態。「なるほど仕事とはこういうものなんだな」と、社会人ならしんどくても耐えるべきで、みんなそういうものなのだと思っていた。

それから上司が変わり、退職する直前の上司は基本的には優しく穏やかな人(と思っていた)で、ジワジワとした嫌味は「人間なんだからこのぐらいはあるだろう」と思い込んでいた。

ただ、「なんだか最近職場にいるのがつらい」「どうしても上司に直接報告したくない」というようなしんどさが、自分でも意識しないうちにだんだん大きくなってきていた。今振り返ると、新卒すぐの強烈さに耐えてしまったこともあり、「これはモラハラではない」と自分の気持ちに蓋をしていたように思う。

我慢していたのは、自分だけ?

しかしある日、他の同僚たちとの会話のはずみで、全員がその上司と関わらないようにしていたことを知った。

「リャマさんもきつかったの、あれ?」
「あの人と直接関わる仕事の人は、みんなこれ以上続いたら無理だと訴えてポジションを変えてもらってる」
「あのモラハラはいくらなんでもねえ」

ええーっ!?

確かに、最近上司と直接関わるような仕事をしている人間がどんどん減って、私とあと一人ぐらいしかいなかった。でもそれは、業務整理や効率化のための再編と説明されており、私はまさかそれが「モラハラをしているため」だとは思いもよらなかった。じゃあ私は、一体何だったのか。そのショックで、いままで溜まってきたものが一気に噴出し、ここで私は退職を考え始めた。

この程度のことで、と言われるのが怖くて毎日無理やり電車に乗っていたが、このまま我慢し続ける必要などないのではないだろうか?

私の精神は明日出勤するのもきついほどにすり減っていた。いきなり辞めて後悔しても困る。ただ、一気に「辞める」方に天秤が傾き始め、まず思い切って1カ月休みをとることにした。

日々の些細なことが、楽しく思えるように

家族や友人の反応は想像とは全然違った。

「誰だって働いてたらいやなことはあるよ、我慢しなきゃ」という言葉ではなく、「これほどデスクワークに向いていないのによくがんばった」もしくは「よく決断ができた、えらい」と、前向きに褒めてくれた。

正社員を手放す不安のひとつにあった「安定した収入」も、いままさにストレスで気がおかしくなりそうなこの状況では、そもそも何も安定してはいなかったのだ。無我夢中のときには気付けなかったが、休んでみるとそういうぎりぎりの状況を冷静に見つめることができた。

何よりも、仕事のストレスが重過ぎて、土日にほとんど好きなことを楽しめていなかったことが分かった。(趣味のために働いていたのに!)

休職した途端、気になっていたカフェ、美術館、旅行等、次々と行きたかった場所へと元気に遊びに行けるようになったのだ。本当に毎日、休みなく。沖縄旅行をほんの数日でササっと計画し、飛行機で旅立ちながら、私は相当疲弊していたんだなあ、という自覚を持った。

休み始めてわずか3日で、半端じゃなく気持ちが前向きになった。

うまく言い表すのが難しいが、「朝起きてお日様が気持ちいい」「ごはんがおいしい」「もっとお肉が食べたい」。働いている間も普通にそう思っていたつもりだったが、休み始めてから、100倍そう思うようになった。自分で思っている以上に神経はすり減っていたようだった。

ごはんはおいしく食べて生きていたいし、好きな場所に出掛ける心の余裕を持っていたい。それにはもっと心の余裕を取り戻さなければならないと思い、「退職するなら今だ」という決意が固まった。

「次はない」なんてことはなかった

2018年冬、休職を経て、会社を「辞める」決断をした。そしてあっという間に数カ月がたつ。

無職になって心の平穏をすっかり取り戻してから振り返ってみると、自分が追い詰められていることに気付くのは本当に難しいことだと思う。

そういう話はインターネットや人の噂でもよく聞いていたが、実際に自分の身に起こると、びっくりするほど気付かないものなのだ。自分がしんどいことぐらい分かる、と無意識に思ってしまう。でも実際は、ごはんが100分の1もおいしく感じられなくなるほどになっても、気付かない。

私の場合は「他の人もみんな耐えられないぐらいひどかったのか」と思った瞬間、自分の限界に気付くことになった。

辞めてみてから思うことだが、「なかなか辞められなかった理由」のほとんどは、精神をすり減らして我慢し、留まり続けるほどの理由にはなっていなかった。

「安定している」という魅力も、心身を壊しかけるほどになるなら全然安定していないし、そもそも日々の生活を楽しめなくなる環境に魅力はあるのだろうか、と今では思う。

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心身ともに健やかに過ごせる生き方・働き方を目指す

人生の休憩時間を満喫しながらこれまでの仕事を振り返り、今後の働き方について人と話したりゆっくりと考えていたりすると、またいろいろ新しく見えてくるものがあるな、と思う。

例えば、私は学生時代、電気製品の説明員やら試食アルバイトやら、とにかく接客業が好きだった。

いまは短期でいろんな業種や職種を試してみたいな、と考えている。私が一番楽しく働ける仕事はなんだろうか。そういうのをゆっくり探せるいい機会だ。きっとそうやって自分の「好き」を探して働くことは、大変ではあるだろうけれど、未来があって楽しいことだろうと思える。

とはいえ、業種を変える決断をしたところで、うまくいく保証はない。生き方や働き方を模索できるこの期間で、そういうことを自分なりに模索していきたいと思っている。

いまのところの答えは、私にとって大事なのは仕事でキャリアを積むことではなく「私はうまくやれている」という自己肯定感なように思う。そしてその自己肯定感は、必ずしも仕事で得なくてもいいと思い始めている。

自分の趣味(私の場合は創作活動等になる)に打ち込んでいると、周囲から評価される機会もある。そして、仕事ではないからとことん自分の好きなようにやれる。どうせ自己肯定感を求めるなら、もっと好きなことにそれを見出した方が自分の幸せに結びつくように思える。

それを分かるまでに何年も費やしたことは、決して無駄ではなかったと思う。ゆっくり悩んだからこそ、いまの自分に納得できている。

本当に「自分が人生の中で満足したいこと」はひとりひとり違って、それは最終的にはどんな本にも誰のアドバイスにも含まれていない、自分だけの結論だ。

キャリアを積んでバリバリ働きたいという人もいれば、仕事よりも趣味に力を入れたい、という人もいると思う。どちらがいい、ということはなく正解は人それぞれ。どんな生き方なら自分の人生に満足できるのか。それを考える時間が、いつかは誰でも人生のどこかで必要になるのかもしれない。

私はそれを考えるのにずいぶん時間を費やしたが、「やりたいこと」が明確になったことは、これからの人生を見つめる上で価値のある財産だと思う。

* * *

「ここを辞めたら次はない」と思っていたが、ゆっくり休んで冷静に考えてみれば、自分の能力や専門分野諸々を天秤にかけてみると、意外に転職先はあるようだった。追い詰められていると、そういうことも見えなくなるのだ。

「これしかない」の対極で、やりたい仕事が「たくさんある」のは、とても楽しい。

そうやって、自分のいろんな可能性を確認し、「私はこんな仕事ができる」のストックを自分の中にたくさん持っていれば、いつかまたおかしな状況に陥っても「いまの状況はおかしい」と気付けるんじゃないか。

一度立ち止まってみたことで、私は、次の「働き方」に対し、いい意味でちょっと楽観的で前向きな気持ちを持てるようになった。

自分の働き方に悩んだら

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編集/はてな編集部

著者:リャマ (id:kinokoforest)

リャマ

一眼レフやスマホなど、ガジェットをこよなく愛するブロガー。でもチェストプレスのほうがもっと好きです。
ブログ:リャマッスルボディは傷つかない twitter:@llama100