「人と人との関わりに苦手意識を持っている」「自分は人見知りだ」と感じている方も少なくないはず。文筆業のほか、下北沢の書店「本屋B&B」スタッフとして人と本をつなぐ活動もされる木村綾子さんは「読書は人付き合いにどこか似ている」と語ります。
今回、りっすんでは木村さんに「人見知り」な自分と向き合うとっかかりとなるような、人間関係に対する発想を転換させる作品たちについて自身の視点や経験を交えながら紹介いただきました。
はじめまして。木村綾子と申します。昔から、本が好きで読みつづけています。好きで読みつづけていたら、いつからかそれだけでは足りなくなって、人に紹介したくなったり、自分でも書いてみたくなったり、本と人とが出合う場所ーー本屋、に強く惹かれるようになっていました。
私はいま39歳で、ありがたいことにその全てを仕事にできています。
コラムや書評などの文筆業、下北沢「本屋B&B」をはじめとしたイベントディレクション。「本について話をして!」とお声がかかれば、テレビやラジオ、全国各地にだって喜んで馳せ参じます。
自分には不相応なくらいの幸福を与えてくれたのが、なにより好きな本であることの奇跡を思うと、いつも目眩がするほどです。
けれど日々、本とともに過ごしているとはたと気づくことがあります。
一冊の本のめぐりあいは、何百回何万回繰り返してもまるではじめてのようにぎこちなく、いっこうに慣れないということ。
書かれてあることと向き合っている時間。私たちは、作者や登場人物のまなざしを借りて世界をみつめます。いっぽうで作者や登場人物も、「君のまなざしにこの世界はどう映っているか」と問いかけてくるようです。
そんなふうにして、感覚の確認作業と発見作業を繰り返しながら、世間を、人を、そして自分自身を知っていく。そう考えると、本と人とが出会うということは、人見知り同士が互いに距離を縮めていく感覚に近いのかもしれません。
そこで今回は、「人見知り」な自分と向き合うとっかかりとなるような、人間関係に対する発想を広げてくれる作品をご紹介したいと思います。
世の中と自分の“関わり”を見つめるきっかけにーー『ダルちゃん』

『ダルちゃん』(はるな檸檬/小学館)
「自分らしくある」ことが、どういう状態を指し示すのか。いまだによく分からない。
『ダルちゃん』の主人公は、24歳の派遣OL・丸山成美。けれどそれは、社会とうまく折り合いをつけて生きていくために身に付けた仮の姿。家族からさえ「普通じゃない」と見放されてきた彼女は、本当の自分を隠して「普通」に「擬態」することで、周囲から浮かないように努めてきました。そのなにが、自分を苦しめているかも気づかぬまま。
けれど人との出会いが、彼女の「擬態」を剥いでいきます。
自分以上に自分を大切に扱ってくれた先輩サトウさんとの友情、不器用ながらも懸命に生きるヒロセさんとの恋愛、そして、詩の世界で自由に弾む言葉たち……。心の奥に抱えていた思いを、態度や言葉で放出していくほどに、「ほんとうの私」と「居場所」を見つけていくダルちゃん。しかし、「擬態」という「枠」から自由になっていくいっぽうで、また新たな人付き合いの難しさにも直面しーー。
まったく他人事とは思えない『ダルちゃん』の生きざま、そしてたどり着いた場所で彼女が出合った景色は、私にある記憶を想起させました。
中学校の頃、学校の宿題に「日記」がありました。
一日の終り、日記帳をひらいてその日の出来事を振り返る。すると鉛筆をにぎる右手は、実際にあったことではなく、こうありたかった自分、こうあってほしかった一日ばかりを文字にしていくのでした。同じ時間を過ごしていた人が読めば、それは嘘の日記と思われても仕方のない内容。でも、書くことをやめられませんでした。
日記帳のなかで、「ほんとうの一日」をやりなおしていたのだと思います。
最初は控え目だったそのおこないが大胆になっていくほどに、不安と恐怖も募っていきました。日記は学校の宿題だったから、先生が毎日それを読む。先生はどう思うだろう。私を、平気で嘘をつく生徒だと問題視するだろうか。こんなものを毎日読まされて、困っていないだろうか……。けれど彼女は担任を終える最後の日まで、私が日記帳のなかでやりなおした一日と付き合い続けてくれたのです。そして日記帳の最後のページに、こんなメッセージくれました。
「教室のなかと、日記のなか。いろんなあなたと出会える毎日は、先生のたのしみでした。ありがとう」
あの日から、私にとって書くことは、世間そして自分自身とつながるコミュニケーション方法になりました。うまくできている自信は、いまだにないけれど。
人間関係に悩むのはあなただけじゃない。ーー『ピンヒールははかない』

『ピンヒールははかない』(佐久間裕美子/幻冬舎)
例えば、仕事先や友人との人間関係に悩んでしまったとき。その原因を自分ではなく環境のせいにしてしまうことがあります。
私のいるべき場所はここじゃない。環境が変わればきっとーー。
それが責任転嫁、現実逃避だってことくらい、気づいてる。いまいる場所で戦うことができなければ、別の場所に逃げたとしても結局また同じことが起こることくらい、とっくに分かっているんです。
でも、だからこそ。どうしようもなく心が弱ってしまったとき、本の中に救いを求められること、自分とはまったく違った人生を生きている姿に希望を描くことは、読書にゆるされた贅沢な行為です。
『ピンヒールははかない』の著者、佐久間裕美子さんは、ニューヨークで暮らして20年。「自由人になりたい!」という漠然とした動機から大学院留学を志願、そこから、はじめての就職も、結婚も離婚も、フリーライターとしての独立も、全てニューヨークを拠点に経験してきたといいます。
本書は、40代前半を迎えたタイミングで独身の著者が、女友達とのエピソードを交えながら生きることについて書いたエッセイ集。
夫と子供と別れガールフレンドとの生活を選んだヘレナ、母になるとは“子どもが生まれる前の自分”が死ぬことだと悟ったラケル、レイプ経験を公表したエマとラーキン。そして、出産のタイムリミットを前に、親友の男友達に精子提供を約束してもらった著者……。
読んでいると、みんなそれぞれに戦っているんだということに気づかされます。国籍や人種、文化や環境が違っても、生きるために戦うことは変わらないというその至極当然のことに、頬をはたかれたような気持ちになるのです。
〈You have to stand up for yourself(自分のために戦える人間になれ)〉。
著者がまだ、きっぱりノーと言えない日本人だった頃、亡き元夫から何度も掛けられたこの言葉は、そのまま私の杖言葉として、人生を切り開く支えになっています。
「人」と寄り添う喜びだって、きっとあるーー『待ち遠しい』

『待ち遠しい』(柴崎友香/毎日新聞出版)
人は一人では生きていけない。でもいっぽうで、人はどこまでも一人。
どれほど大切な友人や恋人がいても、生涯のパートナーを得ても、血を分けた子どもを持っても……。私たちはひとつの命を生きることしかできません。それは孤独で寂しいことでしょうか。
『待ち遠しい』の主人公・北川春子は、大阪の郊外、小さいけれど住み心地のいい「離れ」で気ままな一人暮らしを続けています。ある日、新しい大家・青木ゆかりが「母屋」に越してきたことをきっかけに、敷地の裏手に暮らす新婚妻の遠藤沙希をも巻き込んだ“ご近所付き合い”が始まります。
恋愛や結婚よりも、一人の時間の幸福を選び取ってきた39歳。夫を亡くして一人になったさびしさと不安を、新しい人付き合いで埋める63歳。父への嫌悪と母への不信、さらに夫婦関係にまで不穏な空気が漂うなか、自らの妊娠に戸惑う25歳。年齢も性格も価値観も、どう生きていきたいかという展望も、まったく異なる3人の付き合いは、楽しくもあるけれど時に面倒も招きーー。
どれほど暮らしを共有しても、他人からは決して見えない、他人には決して見せない一面のあるのが人間です。そして実はそれこそが、その人をその人たらしめているのだとも、頭では分かる。
でも、実際に関係が深まっていくほどに、いつの間にか「違い」を尊重しあえなくなっていく傲慢さを持っているのも、また人間で。
そんなときは想像したい。自分とは違う生き方を幸福だと思う人がいることを。けれどその幸福は100パーセントの純度で「幸福」なわけではなく、過去への後悔や未来への不安、今抱えている迷いをも内包して、実はいびつな形をしているということを。
物語のなかを生きる彼女たちが、不器用ながらに間合いを取りあい、「ひとりずつ」として認めあっていく姿には、自分の歩む人生を慈しむ大切さを学びました。
『ダルちゃん』、『ピンヒールははかない』、そして『待ち遠しい』。
今回はこの3冊と、私とのあいだに立ち上がった景色を、それぞれ言葉にしてみました。
けれどこれは、2019年いま現在の私に見えている景色にすぎません。
本は読むタイミングでまったく違った世界を見せてくれたり、これまで読み流していた一文が、ある日の自分を救ってくれたりするから、面白い。何度読んだって、読み終えたなんて思えない。ほら。やっぱり読書って、人付き合いにどこか似てると思いませんか?
著者:木村綾子