男のわたしが時短勤務を選んでみて。育児との両立に悩み、フルタイムをやめて気付いたこと

男のわたしが時短勤務を選んでみて。育児との両立に悩み、フルタイムをやめて気付いたこと

フルタイムの妻と二児を育てながら時短勤務をしているYuki Otaさんに、現在の働き方を選択するまでを振り返っていただきました。

「仕事と育児を両立したい」と奮闘する中で心身のバランスを崩してしまった経験から、自分なりに「仕事と育児のちょうどいいバランス」を探っていったといいます。

***

わたしは、訪問看護師としてフルタイムで働く妻と12歳になる娘、2歳になる息子との4人で、大阪の北摂、いわゆるベッドタウンで暮らしている。

複数のベンチャー企業でフルタイムとして働いたのち、専業主夫を経ていまはNPO法人の広報として時短勤務をしている。

居心地のいい働き方がしたい、と思って、ここまで流れるようにいろんな働き方を転々としてきた。

自分は「フルタイムで仕事と育児の両立ができる」と思っていた

10年ほど前、フルタイムの会社員だったあるとき、全く働けなくなった。

働けなくなる直前まで「仕事も育児も両立したいし、自分にはそれができるはずだ」と思っていた。

当時子どもはまだ1歳になったばかり。無事に保育園に預けることができて、妻もフルタイムの共働き。仕事も育児もバリバリ頑張れる気力も若さもあった。終業までフルタイムで働いたあと、残業は手短に、子どもに早く会うためにダッシュして帰った。

全力で走れば、娘が寝る前になんとか顔を見ることができる。一緒にお風呂に入れるかもしれない。たくさんのサラリーマンが行き交う梅田の地下街を、人を避けながら走っていた。「ダッシュして帰った」は比喩ではなく、本当に走っていたのだ。

夜の街

しかし、次第に業務が立て込むようになり、娘が寝る時間にはとっくに帰れなくなっていた。仕事と子育ての両立どころか、飲み会が終わったあとに再び会社に戻って仕事をするような日が続いた。

気力も体力もどんどん削られていき、つらい、とか思う前に限界がきたのは身体の方だ。顔はこわばり、痙攣(けいれん)が止まらなくなり、口内炎はひどくなり、一度入院もした。仕事のミスや遅れも多くなり、もうダメだな、と思ったところで心療内科で「うつ病」と診断され、会社をやめることになった。

仕事が忙しいせいでうつになったとは思っていない。仕事と育児の両立がしたい、という自分の気持ちと現実との乖離が激しかったから起きたものだと思っている。

だから、それからの日々は気持ちと現実の折り合いをどうつけるか、探っていく日々だった。

「ステレオタイプな男性像」にとらわれていたのは、わたし自身だった

しばらくのあいだは、いわゆる「稼ぐ」仕事は全くせず、専業主夫をしていた。

専業主夫・主婦は、ずっと家にいるために「社会から孤立してしまうのでは」と思われがちかもしれない。ましてやわたしは「男」だし、「働いていないこと」に対して、冷たい視線を浴びるのではと感じていた。結婚して、子どもも生まれて、いい会社に入って、順風満帆なはずなのに、なんでうつになって辞めちゃったの?と。

しかし実際は、そうでもなかった。

専業主婦と現役を引退した人ばかり集まる地域の自治会に、私も主夫なのだから、と飛び込んで参加してみると、道を歩けば知らない子どもやおじさんに話しかけられるようになった。昔の友人に会っても、否定的なことを言われたりはしなかった。さらには「専業主夫をします」と宣言してブログを書き始めると、主夫仲間も増えた。

みんな、びっくりするくらい、「働かないわたし」をすんなりと受け入れてくれた。フルタイムで仕事と育児の両立を、とこだわり続けていた自分の方が、あまりにもステレオタイプな競争社会や男性像にとらわれ過ぎていたのではないか、と恥ずかしくなった。

ただ、働かないことで苦しかったのは、当たり前だけど生活面だった。

これからも子育てにお金はかかる。そう思って短時間のアルバイトから少しずつ、働くことを始めた。近くのスーパーの事務を始めると、ここでも専業主婦の仲間がいっぱいできた。おばちゃんたちと毎日お弁当を食べながら、家事育児の話をするのがとても楽しかった。

2年ほどアルバイトをしながら、空き時間にブログを書く日々が続いた。あるとき、以前一緒に働いていた前職の同僚から「独立して起ち上げた会社で一緒に働かないか」と声をかけられた。

けれど、フルタイムで働くことは現実的に難しい。子どももまだ小さく、仕事を辞めてからは、わたしがお迎えに行くリズムが生活に組み込まれていた。

それに、1日8時間労働+通勤時間+家事育児の毎日に戻ったら、せっかく取り戻してきた生活のリズムが崩れてしまう。

そんな思いで「1日6時間でも良ければ」と返事をすると、先方は快く受け入れてくれた。

そうして、時短勤務で働く日々が始まった。

その後、一定の役目は果たしたと考えて今の職場に転職し、時短勤務を続けている。

時短勤務を始めて「どちらもうまくいかない」悲壮感はなくなった

今、わたしは16時に仕事を終えてすぐにオフィスを出る。歩いて下の子の保育園のお迎えに行き、ご飯を作って子どもたちに食べさせる。ほどなくして妻も帰ってきて、一緒に夕食を食べることができる。夜寝るまでの時間に、小学生になった上の子の勉強に付き合い、下の子と一緒に電車のおもちゃで遊ぶ。

在宅勤務の日は、もう少しだけ余裕がある。通勤時間がないおかげで、通院したり、少しだけ寝坊したりできる。

夜のオフィス街を走って帰っていた頃に比べて、仕事の量も時間も半分以下になったし、もちろん給与も半分以下になった。でも、走らなくてもよくなったし、十分生活できている。

仕事は無理なく続けることができている。多くの仕事をこなしながらも育児と器用に両立させることはできない。けれど、走って帰っていた頃の「どっちも思い描いていたとおりにできない」という悲壮感はない。これでいいと思える、居心地の良さが今の生活にはある。

おもちゃで遊ぶ子ども

そんなわたしのことを、妻はどう見ているのだろうか。

妻は、2回の出産があってもずっとフルタイムで働き続け、職場では管理職をしている。それでいて、育児や家事もおろそかにはしていない。残業もあるし、夜勤もときどきあり、わたしの倍は働いているんじゃないかと思うときもある。けれど、妻は「今の仕事は楽しいし充実している。もし一度でも自分が時短勤務をしていたら、今の立場では働けなかったかもしれない」と、妻なりに納得して働いている。

もちろん、口にはしなくても、些細な不満はいっぱいあるはずだ。けれど、お互いの働き方をすり合わせてきて、今の二人分のキャリアがある。これからも二人で、お互いのキャリアを考えていけたらと思う。

男性でも女性でも、より自分が働きやすい選択を当たり前にできる社会に

今の社会は、100ある労働力が、ずっと100のままでいられることを前提に作られていると思う。

実際には100の労働力が、家庭の事情、自分の健康などいろいろな理由によって、突然50や80になることもある。誰もがずっと同じように働き続けられるとは限らない。

最近では男性の育休取得が少しずつ進んでいるものの、復帰後は当たり前のようにフルタイムの労働力が戻ってくると思われているだろう。

復帰直後、保育園に慣れない幼児がどれほど頻繁に熱を出すか知っているだろうか。保育園に呼び出されたら、当たり前に男性も迎えに行ける状況であるべきだし、そうでなくても、男性が毎日のお迎えに行くために時短勤務をしてもいいはずなのに。そうなっていない今の社会は、男性がフルタイム以上の働きをすることに依存し過ぎている。

本当は性別も年齢も関係なく、より多くの人が居心地良く働けるくらい、しなやかな社会になるといいな、と思っている。これからは男性も育休を1年くらい取るのが普通で、育休後もしばらく時短勤務が選択できて当たり前、みたいになればいい。

もちろん、そんな簡単に社会は変わらない。それもよく分かる。男性が「時短勤務」という選択をすることは実際にはまだまだ少ないし、たかだか育児休業を数日取るだけでも、クビになる覚悟で上司に言わなければならない会社だっていまだにあるのを知っている。わたしも10年前、それができたかというとできなかった。

理解を得られるように相手の考え方を変化させるのは、時間がかかるし難しい。

わたしは、どちらかというと無理解な社会と戦ってきたというよりは逃げてきたのだと思う。でも逃げることが悪いとは思わない。自分でより働きやすい働き方を選択できる居場所を探す方が、よほど簡単で手っ取り早い。

「働き方が合わないから会社を辞める」というと後ろ向きに聞こえるが、「柔軟な働き方が選べる会社ほど人が集まりやすく定着する」という空気の醸成に貢献していると思えば、少し気は楽にならないだろうか。

育児と仕事のバランスをうまく取りたいという希望や願いを理解されずに、しんどい思いをしてきた女性は男性以上にずっと多くいるはずだ。そして、以前よりも男性の育児参加が広まっている今、同じように理解されないしんどさを抱えている男性がいることも可視化され始めている。社会の理解が進むことを願うけれど、まだ当面は男性ももっと、理解をしてくれない社会と対峙しなければならないはずだ。

育児はこの先もずっと続くし、子どもはすぐには育たない。時間をかけてだんだん手離れしていくのを待って、わたしはこれからもまた、そのときどきの状況と自分の意思に合わせて働き方を変えていきたい。

キッチンの様子

編集:はてな編集部

男性でも女性でも、柔軟な働き方をするために

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著者:Yuki Ota

Yuki Otaさん

大阪府在住、12歳と2歳の二児の父親、5年以上時短勤務中。noteで日々のよしなしごとを綴っています。 京都大学を卒業後、複数ベンチャー企業のバックオフィス業務に従事、その後うつ病を発症し専業主夫に。
2019年から再び時短勤務で働き始め、現在はNPO法人の広報担当。妻は訪問看護で働く看護師。

X:@lazy_planet note:yukiota|note

「小1の壁」で派遣社員に、でも後悔はない。優先順位を見直したら「納得できる働き方」が見つかった


子どもの小学校入学を機に訪れる「小1の壁」。時短勤務の終了や保育園より短くなる預かり時間、夏休みなどの長期休暇など、壁を乗り越えられるだろうか……と不安を感じている人は多いのではないでしょうか。

長く正社員としてキャリアを積んできたブロガーのrinさんもその一人。

数年前、時短勤務の終了で学童のお迎えに間に合わないことから、葛藤の末、最終的には前向きな気持ちで異業種に非正規雇用で転職することを決めたそうです。

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一日中大人に見守られている保育園の生活から、学校と放課後の生活へと大きく変わる小学1年生。子どもの放課後の過ごし方を考えるタイミングを迎えるにあたり、仕事と子育てのバランスの取り方に悩む方もいると思います。

申し遅れましたが、rinと申します。夫と小学生の長男、未就学児の次男の4人で暮らしています。

私は「小1の壁」をきっかけに仕事の優先順位を見直し、正社員から異業種の派遣社員へと働き方を変えました。それから数年がたちますが、働き方を変えてよかったと思っています。

ただ、元々正社員としてキャリアアップを望んでいたこともあり、転職することでキャリアが途絶えるかもしれない、収入がダウンするかもしれないといった不安や葛藤もありました。

今同じように悩んでいる方の心が少しでも軽くなりますようにと願いながら、私の働き方の変化と、今思っていることをつづります。

産前も産後も、キャリアアップを望んで頑張っていた

私は就職してから十数年、ずっと同じ業界で働いていました。転職や異動をきっかけに仕事の内容は少しずつ変わりましたが、経験を積み重ねるごとに専門性も高まって役に立てている実感があり、このまま正社員として経験を重ねてキャリアアップしていきたいと考えていました

その気持ちは産後も変わらず、長男の出産後、約1年間産休・育休を取得したのち復職。家庭の事情で片道1時間半と通勤時間が長いため、保育園のお迎えに間に合うよう時短勤務を選択しました。

登園は夫、降園は私と分担。お迎えがあると残業ができないので、朝は夫に任せて早めに出社するなど、できる範囲で協力し合いながら、育児と仕事を両立しようと頑張っていました。

「小1の壁」が近づき、このままでは無理かもと実感

小学生のイメージ写真 写真はイメージです


しかし「このまま働き続けたい」という思いを抱く一方で、心や時間に余裕がない毎日にストレスも感じていました。

当時の職場は属人性が高く、時短勤務となっても業務量は減らないどころか新たな仕事を任されることもあり、抱えるタスクはどんどん増えていました。

朝早く出勤してもお迎えまでの時間には終わらず、終わらない仕事を自宅に持ち帰り、子どもを寝かしつけた後にこなすのは、精神的にも体力的にもとてもしんどいものでした。

思うように仕事が進められないストレスや、遠方への出張を同僚に代わってもらうことに対する申し訳なさ。もどかしさから来るイライラを家族に向けてしまうこともあり、そんな自分にまたイライラするという負のループから抜け出せずにいました

「やっぱり今の働き方のままでは無理かもしれない」と実感したのは、長男が年少クラスに上がった頃。

保育園で会う保護者の方との会話に小学校の話題がちらほらと上がるようになり、「小1の壁」の存在を意識したことがきっかけです。

当時から「小1の壁」という言葉はありましたし、認識もしていましたが、日々の生活に精一杯で向き合う余裕はなく、また「小学生なんてまだまだ先のこと」だと思っていたのです。

改めて登校時間や学童のことを調べてみて、学童の開所時間は延長しても保育園より短いことや、延長するとお迎えも必要になることを知り、不安になりました

当時の職場で時短勤務を選べるのは、子どもが小学生になるまで。1年生になると通常勤務に戻り、帰宅はかなり遅くなってしまいます。夫はさらに帰りが遅く、私の両親も夫の両親も遠方に住んでいるため頼れません。

放課後をどう過ごすのか。「親が帰宅するまで留守番をしてもらう」「知人に面倒を見てもらう」「習い事を詰め込んで一人にさせない」といった方法も考えましたが、家族で過ごす時間がほとんど取れなくなり、子どもの生活環境が大きく変わってしまいます。

自分のキャパシティに限界を感じていたこともあり、当時の職場でフルタイムに戻るのではなく、働き方自体を見直してみようと考え始めました

「したくないこと」を整理したら、優先順位が見えてきた

最初に考えたのは、収入を変えずにこれまでの経験を生かせる業界で正社員として転職すること。

入学と私の転職が重ならないよう、早めに転職して新しい職場に慣れておきたいと思っていたのですが、一番重要な条件である「学童へのお迎えに間に合う勤務時間」をクリアするハードルは予想以上に高く、希望に合う職場はなかなか見つかりません。

進展のないまま時間だけが過ぎていき、仕事への優先順位を見直した方がいいのかもしれないとも考えるようになりました。

仕事選びの軸として「これまでと同じ業界で転職したい」「お迎えの時間は死守したい」などさまざまな要素が入り混じっていましたが、まずは自分の思いを整理するために、私にとっての「したくないこと」を書き出してみることにしました

<したくないこと>

  • 1年生になった子どもの生活リズムや環境を大きく変える
  • 子どもを不安な気持ちにさせる
  • 子どもと接する時間が減る
  • 私自身に余裕がなく、イライラしてしまう


書き出してみて改めて、自分が本当に大事にしたいことがはっきりと見えてきました。

そもそも働き方を見直そうと思ったきっかけは、子どもの生活環境を変えたくなかったから、そして、私を含めた家族みんなが安心して過ごすために、私の心や時間に余裕が欲しかったからです。

それであれば今、私が転職条件として優先すべきなのは、新しい働き方で「したくないこと」をいかに解決できるかどうかなはず。

ぼんやりとしていた自分の思いが目に見える形に整理されたことで、仕事選びの優先順位がはっきりしました。

ノートのイメージ写真 写真はイメージです


「したくないこと」を解決するには、やはり「学童のお迎えに間に合う勤務時間」であることが前提となるので、正社員だけではなく融通が効きやすいパートや派遣の求人も見てみることに。そうして選択肢に浮かんだのが「経験のない分野でフルタイム派遣社員として働く」でした。

派遣社員であれば残業が少なく、帰宅時間が安定しやすいので「したくないこと」が解決しやすくなります。

一方で「収入が下がるかもしれない」「一度正社員としてのキャリアがストップすると、再び正社員として働きたくなっても簡単には戻れないかもしれない」「これから先のキャリアはどうなるんだろう」など不安ももちろんあったので、「どうすれば自分が前向きな気持ちで納得できるか」の落としどころを考えてみました

収入については、収入と支出を長期的にさまざまなパターンで見積もったほか、夫とも話し合って「これくらいあれば何とかなりそう」という給与の水準を定めることに。

キャリアについては、正社員での転職ではまず難しい「まったく未経験の仕事に挑戦できる」という点をプラスに捉えました

派遣期間が満了となる3年後には、長男もさらに成長し、親子ともに小学生の生活ペースに慣れているはずなので、またその時の状況に合わせて働き方を見直そうと考えました。

「納得」を大事にすれば、前向きな気持ちが生まれてくる

そしてご縁のあった会社で派遣社員として働き始めてみたところ、想定していたよりも自分に合っており、長男が学童を卒業した今もそのまま同じ職場で働き続けています。

現在は9時〜17時半のフルタイムでほぼ残業なし。以前よりゆとりを持って働いています。

働き方を変えて一番よかったことは、小学生になった子どもと向き合う余裕ができたこと。特に低学年のうちは宿題、学校からもらうプリント類、持ち物のチェックといった毎日のフォローに慣れるまでが大変でした(翌日の授業で使うからと、真っ暗な公園へどんぐりを探しに行く羽目になったことも……)

学校に行くことを少し怖がる時期もありましたが、そんな時もしっかりコミュニケーションをとって子どもの様子を見守ることができました。

こんなふうに子どものサポートに時間をかけることができたのは、家に仕事を持ち帰ることがなくなって時間の余裕ができたからこそ。

また、私自身の心の持ち様にも変化がありました。

前職での正社員時代と比較すると、仕事の量や責任が驚くほど軽くなり、仕事にまつわるストレスも少なくなりました。

転職前はキャリアアップが見込めなくなるのではないかと不安も感じていましたが、今は知らなかった分野の知識や技術を学べることが面白く、「しっかり学んで私にできることを精一杯がんばろう」という気持ちで働くことができています

私「だけ」が働き方を見直したことで、もしかすると「母親だけが働き方を変えるのはどうなのか」と思われる方もいるかもしれません。

私自身も思うところがなかったわけではありませんが、当時は今よりもずっと「父親が育児と向き合うこと」に理解が得られづらい環境でした(今の時代であれば「小1の壁に夫婦でどう対応するか」をもっと考えやすいかもしれませんね)。

それに何より私自身が、心や時間に余裕を保ち家族と過ごしたいという気持ちを満たすためにも、これが一番いい選択だったと思っています。

***

仕事と子育てとのバランスに悩んだ時、優先したい要素を整理して落としどころをみつけていくと、納得のいく選択ができるかもしれません。

私自身は「子どもとの時間」を優先する働き方を選びましたが、「自分のキャリア」を優先する働き方はもちろん、どんな選択でもその時々にしっかり考えて納得していれば、どれも正解だと思います

決断にあたって葛藤があったとしても、迷いや悩みの総量より納得の総量が上回っていれば、前向きに考えて行動できるような気がします。

今は保育園に通う次男が小学生になるとき、また「小1の壁」に直面するかもしれませんし、この先子どもが成長するにつれ、また働き方に迷うこともあるかもしれません。その時もまた、その時の私が心から納得のいく選択をしたいと思っています。

そして近い将来、今よりももっと柔軟な働き方が広がって、さまざまな「壁」に悩むことがなくなるような、そんな世の中になるといいなと願っています。

編集:はてな編集部

自分が納得していれば「子育て優先の働き方」でもいい

子育てのしやすさを重視し、正社員から派遣に。時短・週4勤務が「理想の働き方」
時短・週4勤務が私の理想の働き方
働きながら子どもの不登校と向き合い「キャリアは常に右肩上がりじゃなくてもいい」と気付いた
仕事をセーブして子どもの不登校と向き合った日々
「無理しない働き方」を選んだ自分への後ろめたさ、を受け入れられるまで
「無理しない働き方」を選んだ自分に、葛藤もあったけど

著者:rin

rinさんプロフィール画像

ドタバタな毎日でも、ちょっとした幸せを見つけながら心穏やかに過ごしたいと模索中。最近はサッカーを観るのが好きです。昨年始めたブログには、心に残ったことをつづっています。

ブログ:日々のきろく

1歳&3歳育てる在宅勤務夫婦。朝担当・夜担当の交代制でタスク属人化を防ぐ【みんなの1日のスケジュール】


子育てしながら働くワーママ&ワーパパって毎日どうやって乗り越えているの……?

夫婦それぞれ、どんなタイムスケジュール&ルーティンで、どんな工夫をしているのかを教えてもらう本シリーズ。

第5回はきみきみさんに登場いただきました。

きみきみさんプロフィール

きみきみ プロフィール

・IT企業でエンジニアとして働く36歳。コアタイムなしのフレックス勤務、フルリモートで、おおよその勤務時間は9:00〜17:30。労働時間は1日8時間規定なので、足りない分は朝や夜の残業で補う
・夫(38)はIT企業のマネジメント職。勤務時間は同じく9:00〜17:30ごろ。基本在宅勤務だが、月に3回ほど出社もあり
・保育園に通う3歳長女、1歳次女との4人暮らし

きみきみさん家族の1日のスケジュール

きみきみさんファミリーのスケジュール
※2色部分は妻・夫が1日交代でどちらかを担当


こんにちは。きみきみと申します。

わが家が大事にしているのは「夫と私それぞれの得意不得意を考慮しつつ、家事・育児の属人化をなるべく避ける」こと

今では夫婦で育児を分担し合えていますが、以前は負担の偏りで悩みを抱えていました。長女が生まれたコロナ禍の頃は、感染対策のため夫が産婦人科で開かれる沐浴や離乳食に関する講座に参加できなかったほか、産後の面会もできませんでした(立ち合い出産のみなんとか許可してもらえました)。

一緒に育児のスタートダッシュを切れなかったことで、退院後も寝かしつけや入浴などの育児タスクが自然と「やったことがある」私の担当になり、私の経験値が積み重なるにつれさらに偏りが大きくなっていったのです。

このままではいけないのではと危機感を覚えてから試すようになったのが、これから紹介する「1日交代制」の育児です。

★1 育児は朝と夜のタスクを「1日交代制」に

きみきみさんファミリーの朝食風景
みんなでそろって朝ごはん。夫と私は早めに食べ終え、保育園準備も並行して進める


わが家では、保育園に持っていく食器や服・オムツなどの用意、保育園への送迎といった「朝のタスク」と、保育園お迎えから寝かしつけまでの「夜のタスク」を1日交代制にして分担しています

例えば私が「朝のタスク」をしたら、お迎えや子どものお風呂、寝かしつけといった「夜のタスク」は夫が担当。その翌日は夫が朝担当、私が夜担当……というようにしています。

「朝担当」「夜担当」を固定する方法もありますが、2人とも毎日同じタスクを続けると疲れるタイプなので、気分転換も兼ねて1日交代制になりました。また1日ごとに交代することで、夫婦どちらもそれぞれの時間帯にやらなくてはいけない「育児タスク」への解像度が上がり、属人化を避けることができました

家事はそのとき手が空いている方がやるようにしたり、お互いの得意不得意を考慮したりして、ガチガチにタスクを決め過ぎないようにしています。例えば食事の準備は私がすることが多く、スーパーへの買い出しは外出が好きな夫がすることが多いです。お互いあまり得意ではない掃除はロボット掃除機に頼っています。

★2 在宅勤務のメリットは大きいが、働く場所に課題も

きみきみさんの仕事場
仕事はダイニングテーブルで。子どもを保育園に送った後にパソコンを出し、迎えの前に片付ける


「1日交代制」という特殊な方法が実現できたのは、コロナ禍以降、夫婦揃って在宅勤務になったこと、それぞれの勤務時間帯がほぼ同じであること、フレックス制度が使えることなど、柔軟に働ける職場の環境が大きいと思います。

私はフレックス制度を活用し、日中の労働時間を規定より30分短い7.5時間に設定することで、家事や育児に柔軟に対応しています。足りない時間は早起きして仕事を……と言いたいところですが、私が起きると子どもも起きてしまうので、寝かしつけ担当でない日の夜にやることが多いです。

在宅勤務はメリットが多い一方で、デメリットもあります。まず、今の家を購入した当初は「家で働くこと」を想定していなかったため、部屋数が足りていません……。普段は、夫は将来の子ども部屋を書斎代わりに使用しており、私はリビングで仕事をしています。

ミーティングの時間など、それぞれ1日の動きが異なるので、二人とも家で仕事をするのであれば空間は分けたいところ。しかし子どもがもう少し大きくなれば書斎として使うことができなくなるため、本当は部屋はあと1つか、できれば2つほしいです。

とはいうものの、持ち家なので簡単に手放す気にはなれず、今のところはこのままやっていくしかありません。

また、出勤していればかからなかった光熱費もかかりますし、集合住宅のためネット回線が遅い日があるのも気になります。

★3 寝かしつけも交代制。でも、子どもが寝ない……

人形やぬいぐるみが大好きな子どもたち
人形やぬいぐるみが大好きな子どもたち


寝かしつけも極力属人化を避け、私と夫が毎日交代で担当しているのですが……長女がなかなか寝ないのが目下の悩みです。

「Googleホームで20時にチャイムが鳴るように設定し、鳴ったら寝室へ行く」「その時点で寝室を真っ暗にしておく」「寝る前に暖房・冷房をつけておく」など対応を共通化して寝るための環境を整えていますが、長女は「あさのかいをはじめます!」と寝室で元気にぬいぐるみを並べて名前を点呼しています。

疲れているとあっさり寝てくれることもありますが、寝かしつけ開始から2時間ほど起きているときも……。あまりにも寝ない場合は、途中で寝かしつけ担当を交代して負担を減らしています

在宅勤務を基準にした生活はいつまで続けられるのか?

夫婦2人とも在宅勤務だと育児や家事のタスクを柔軟に分担できる一方で、コロナ禍が落ち着いてきたことで少しずつ夫の出社が増えつつあり、そのうちバランスが崩壊するかもしれないと不安を感じています。

夫も私も出社と子育てを両立する生活をしたことがなく、在宅前提で勤務時間を定めているため、万が一2人が同じ日に出社になると保育園のお迎えに間に合いません。今のところ二人の出社日が重なったことはありませんが、「もしそうなったらどうしよう」が最近の心配事です。

とはいえ、子どもの成長に伴い生活スタイルも変わっていくと思うので、今はあまり深刻に考え過ぎずに目の前の生活に向き合っています。

編集:はてな編集部

夫婦で「育児・家事」をどう分担する?みんなの試行錯誤

共働きの家事育児分担で不満をためないコツは?夫婦がしんどくならないためのコミュニケーション
「誰がタスクのルールと達成レベルを判断するか」が重要
家事全般を担当して感じた「大変なこと」の数々。夫婦で子供との生活を大事にしていく
分担をかっちり決めると、疲れることもある
保育園送迎、雨の日やイヤイヤ期でもスムーズにするコツは? 4人の子供を持つ夫婦が工夫してきたこと
保育園送迎、夫婦でどう工夫してスムーズに進める?

「敬語を使えない自分」に悩むのはやめた|トミヤマユキコ


誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、マンガ研究者・ライターのトミヤマユキコさんにご寄稿いただきました。

トミヤマさんがやめたのは「敬語を完璧に使わなければ」と気負うこと。とあるきっかけで敬語がうまく使えない自分に気づき、克服すべく努力しても、今度は会話が弾まなくなり落ち込むという悪循環に。「敬語をうまく使えない自分」とどう向き合ってきたのかをつづります。

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ことばのプロなのに、敬語がうまく使えない

わたしにとって、ここ数年の大きな変化といえば、「敬語をうまく使いこなせない自分」を受け入れたことだ。自分は敬語が下手なのだと認めてしまおう。抗っても仕方がない。そんな気持ちだ。

とは言っても、敬語を否定したり、おろそかにしたりしたいわけじゃない。使えるときは使うが、うっかり忘れたり、間違えたりしても、あまり気に病まないことにしたのだ

フリーランスのライターで、研究者としての顔も持っているわたしを、世間は「ことばのプロ」だと思うだろう。自分でも、まあそうなんだろうと思う。でも、どういうわけか、敬語がうまく話せない。話に夢中になると、敬語がどんどん消えていって、最後はタメ口になってしまうのだ。

原稿を書くときは、どんなにラフな書き方をしても、あとから見直せばよいが、話すときはそうもいかない。口から出てしまったことばは、引っ込められない。その場にふさわしくないことばを使うたび、毎回フレッシュに「ああ、またやってしまった!」と落ち込んでいる。

「宇多丸さんにタメ口!」指摘されて気付いた自分のクセ

わたしの敬語がパーフェクトでないと気づいたのは、30歳を過ぎてからだった。『パンケーキ・ノート おいしいパンケーキ案内100』(リトル・モア)という本の出版をきっかけに、メディアへの出演が一気に増えたことで、遅まきながら自分の変なクセに気づいたのだ。

2013年、ヒップホップグループ「RHYMESTER」の宇多丸さんがMCを務めていたラジオ番組「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」に初めて出たときのことは、いまでもよく覚えている。乗せ上手&引き出し上手の宇多丸さんのお陰で、すっかり緊張の解けたわたしは、パンケーキについて思う存分しゃべりまくり、多幸感に包まれながら帰宅した。

『パンケーキ・ノート おいしいパンケーキ案内10』(トミヤマユキコ著/リトル・モア)

一息ついたら、次にやるのはエゴサーチ。みんなパンケーキに興味を持ってくれただろうか。すごくおもしろい食べ物なんだと分かってくれたらうれしいな。そんなことを思いながらSNSを見ると、うれしい感想がたくさんあった……のだが、「このひと、宇多丸さんにタメ口きいてる!」といったこともまた書かれていたのだった

これは完全に予想外だった。「え、マジで?」と思った。が、次の瞬間、ちょっとくらいのタメ口なら、わざわざ投稿などしないだろうということにも気づいてしまった。指摘せずにはいられないくらい、わたしのしゃべり方がラフだったに違いない。

そう思い、放送を聴き直すと、ボルテージが上がるにつれ、どんどん敬語が消えていくではないか。あいづちも「はい」じゃなくて「うん!」とか「そう!」になってるし……。あんた、宇多丸さんの友達じゃないんだから。リスナーさんが思っただろうことを、わたしも思った。自分のあまりに無防備なしゃべりに、頭を抱えずにはいられなかった。

しかし、一度頭を抱えたぐらいで直るようなクセではないのだった。実は、別のラジオ番組でも同じ失敗をしている。話が盛り上がっていくにつれ、どんどん敬語が消えていくわたし。それを見るに見かねたMCの方から「タメ口ですね!」と指摘されて、ハッとなった。

夢中になるとすぐこれだ。その場で「ごめんなさい」と謝り、どうにか語尾だけは「ですます」にして乗り切った。収録中に指摘せずにはいられないほど、わたしの語りがラフなのがいけない。「トミヤマさんはゲストだから」と我慢される方が100倍心苦しいので、その場で教えてくれて本当によかった。


敬語に気を付けたら、今度は会話が弾まなくなった

いい年した大人がこれでいいのか。メディアに出る人間がこれでいいのか。ことばのプロがこれでいいのか。いくつかの失敗を経験したことで、完全なる反省モードに入ったわたしは、ものすごく敬語に気をつけて話すようになった。

敬語を知らないわけではないので、正しく話そうと思えば話せなくはないのだ。が、そうすると今度はトークが全然弾まない。完璧な敬語を使おうとすることに意識を奪われてしまい、うまく話せないのだ。表面上は、会話が成立している。丁寧なことばづかいを通して、相手へのリスペクトも示せている。だが、会話にいまいち熱がこもっていない。いつもと比べるとどこか盛り上がりに欠ける。

なんだろう、この、関節のない棒人間にでもなったような気持ちは。歩けなくはない。一応、前に進んではいる。でも関節がないから、歩き方がぎこちない。ともすれば転んでしまいそう。

これは、とくにラジオというメディアにおいては、致命的な状況である。上っ面の情報をやりとりしているだけのラジオなんて、ラジオ好きからすれば論外である。わたしもラジオが好きだから分かるのだ、そんなトークじゃダメだってことが。

人と話すときに頭の中でいろいろ考えてしまってうまく話せない人がいるが、私の場合は敬語が絡むとそうなる。おしゃべりが得意なつもりで生きてきたが、そんなことないのかも……。

そしてわたしは「敬語以外」を頑張ることにした

そもそもの話に立ち返るが、わたしはなんでこんなに敬語が苦手なのか。その理由の一つに、大学→大学院→研究者と一般企業を知らぬまま過ごしてきたことが関係しているように感じている。

人生のほとんどを大学のキャンパスで過ごしているため、ある種の世間知らずというか、温室育ちな部分があるように思うのだ。(誤解のないように補足すると、同じ人生を送ってきた人でも敬語が上手に使える人はたくさんいる、わたしが環境に甘えていただけという説が濃厚)

若いうちは部活動やアルバイト経験を通じて上下関係や社会常識を身に付けたりするものだが、わたしが所属していた軽音部では「○○先輩」と名前を呼ぶことさえできればあとはタメ口でもOK。さらに一番長くやっていたバイトは家庭教師で、20代のうちから「先生」なんて呼ばれており、敬語を使うのはむしろ教え子たちの方だった。

編集プロダクションで編集補助のアルバイトをしたこともあったが、めちゃくちゃアットホームで小さな会社だったので、社会常識をゴリゴリに仕込まれる、みたいなことはなかった。そんなわけで、敬語をきちんとインストールしなくても、なんとかなってきてしまったのだ

今いる研究者の世界には、尊敬する先生方がたくさんいて、敬語を使う必要に迫られることもあるが、個人的には、すごい先生ほどコミュニケーションの形式にはこだわらないという印象がある。ある程度親しくなれば、「先生が教えてくれた文献めちゃおもしろかったよ!」なんて言っても怒られたりはしないし、むしろ「そうでしょうそうでしょう!」と友達みたいに盛り上がってくれたりするのだ。

というわけで、わたしがどうしてこういう人間に仕上がったかは理解していただけたと思うが、ひとりの人間としてこれからどう生きていくべきかを考えたとき、ことばづかいは大事だと思いつつも、敬語に気を取られておしゃべりが弾まなくなるのはどうしても避けたいと思った。

じゃあ、どうするのか。「お話が楽し過ぎて敬語があやしくなるかもしれません、すみません!」とあらかじめ謝る方向にシフトした。ちょっとずるいかもしれないが、早めの自己開示で、「そういう体質」であることを相手に伝えつつ、コミュニケーションをはかることにしたのだ。

ただ、相手に対して「ありのままを受け入れろ」と求めるのは、一方的で乱暴な気もするので、おしゃべり以外のところをこれまで以上にがんばるようにしている

例えば、依頼された仕事は一生懸命やって結果を出すことを重視する。社会性が「ない」ようで「ある」、と思ってもらうには、もう仕事をがんばるしかない。とくに、自分にはまだ早いとか、荷が重いとか思うような仕事こそ、逃げずにやるようにしている。

そういう仕事の仕方を、プレッシャーやストレスに感じる人もいるだろう。しかし、わたし個人は「痛きもちいい筋トレ」ぐらいの負荷だと思っているから、耐えようと思えるし、自分を成長させる意味でも、悪いことじゃないと感じている。できないことを無理してやらない代わりに、他のことをがんばる。それがいま、自分の中で、ちょうどいいバランスを保っている。

不完全な自分でいさせてくれる人たちに感謝

このような生活をしていると、周囲のひとに対して、いままで以上に感謝するようになる。わたしのような人間と一緒にいてくれてありがとうございます。心からそう思う。

いきなりタメ口をきいたわたしに怒ることなく、その後も繰り返し自身の番組に呼んでくださる宇多丸さんと番組スタッフさんには、心から感謝している。出演回数を重ねる中で、リスナーさんもわたしの喋り方に慣れてくださったのか、お叱りを受けることはなくなった。これも大変にありがたいことだ。

繰り返すが、パーフェクトな敬語を操れない自分を、許したわけでも諦めたわけでもない。いまでも、ちょっとアウェイな集まりに参加するときなどは、「わたし、ひょっとして、またやってしまうのか……」と思いつつも、果敢に敬語チャレンジをしている。

それで失敗しても、もう自分を責めたりはしない。早め早めの自己開示と、敬語以外のことを頑張って「結果」をしっかり出すことが大事! と言い聞かせながら、わたしは生きていく。それでこの世界に自分の居場所を作り続けられたら、とてもうれしい。

編集:はてな編集部

「できない自分」とどう向き合う?

どうしても朝起きられなかった私が見つけた、働き方と体調の関係。健康の形は、一つじゃない
どうしても朝、起きられない
「ちゃんとしていない」自分を隠さずに生きていく。歌人・岡本真帆さんに聞く、苦手をシェアする働きかた
“ちゃんと”できない
「自己肯定感を高く」は自分を苦しめる。できることを増やして“自信のリスクヘッジ”を|ぼる塾・酒寄希望
自分に自信が持てない

著者:トミヤマユキコ

トミヤマユキコさん

ライター/マンガ研究者 秋田県生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、同大大学院文学研究科に進みマンガ研究で博士(文学)を取得。2019年4月から東北芸術工科大学教員に。2021年より手塚治虫文化賞選考委員。著書に『労働系女子マンガ論!』(タバブックス)『女子マンガに答えがある』(中央公論新社)などがある。

フルタイム出社&管理職夫婦と中受控えた小6娘。みんなで運営する朝型生活【みんなの1日のスケジュール】


子育てしながら働くワーママ&ワーパパって毎日どうやって乗り越えているの……?

夫婦それぞれ、どんなタイムスケジュール&ルーティンで、どんな工夫をしているのかを教えてもらう本シリーズ。

第4回はゆるりさんに登場いただきました。

ゆるりさんプロフィール

ゆるり プロフィール

・総合病院で総務事務の管理職を務める42歳。定時は8:45〜17:15のフルタイム勤務だがしばしば1時間ほどの残業あり。在宅勤務なし
・妻(44)は自宅近くにある介護事業所の管理職(ケアマネージャー)として働いており、同じく毎日出社している。9:00〜18:00のフルタイム勤務だが、朝は定時より早く職場へ向かう
・小学6年生(12歳)の長女との3人暮らし

ゆるりさん家族の1日のスケジュール

こんにちは、ゆるりと申します。妻と子(12歳・小6)の3人家族で暮らしています。

わが家のキーワードは「家族がみんな一緒に動く」こと。家族全員で協力して家庭を運営することで、負担の偏りをなくし、忙しい毎日をなるべくストレスなく過ごせるようにしています。

加えてこの原稿を執筆している頃は子どもが中学受験に挑戦中のため、勉強時間と就寝時間を確保しつつ、朝型の生活を崩さないことを心がけてスケジュールを組んでいます。(その後、無事合格しました!)

★1 朝はみんな一緒に早起き&それぞれ朝食準備

「家族みんなで一緒に動く」ために大切なのは、生活のリズムを一定にし、朝型をキープすること。平日は家族3人とも6時に起床します。

朝食は子どもも含め各自で準備。週末、家族みんなでスーパーなどに買い出しに出かけ、レンジや電子ケトルを使って簡易調理できるミートボール、お茶漬け、カップスープなど好みの食べ物をストックしておき、平日は各々その日の気分で選んで調理します。

栄養面は昼食(給食)や夕食でカバーできているので、朝は自分自身で選ぶ楽しみを優先しています

ゆるりさんファミリーの朝食
最近の娘のお気に入りは、インスタントのオニオンスープ


子どもは時間がかかっても自分のことは自分自身でやりたい性格なので、できるだけ意思を尊重するため、朝の準備時間を多めにとっています

できれば大人はもう少し寝たいのが本音ですが、時間に余裕があると子どもを急かす必要もないので、一緒に早起きすることで親子ともにストレスなく過ごせています。

★2 夫婦でフォローし合い、負担が偏らないように

夕食時は家族揃ってコミュニケーションをとれる貴重なタイミングなので、3人で一緒に夕飯をとれるよう、だらだらと残業をしないようにしています。

夕食作りは、妻か私のどちらか早く帰れる方が担当。夕食担当でない方は食後に子どもの宿題をチェックしたり、夕食の片付けなどの家事を進めます。

ゆるりさんファミリーの夕食
ある日の夕食


ただ、妻が早く帰れる日の方が多いので、夕食作りは妻の担当になる日が多め。そのため妻の入浴時間を長めにとり、その間に私が家事を進めるなどして、負担が偏り過ぎないようにしています。妻に負荷をかけたくないのはもちろん、子どもに「男性と女性で家事の負担に偏りがないのが当たり前」と思ってもらいたいからです。

入浴後、子どもは中学受験のための勉強タイム。受験勉強を始める前の就寝時間は21時頃でしたが、勉強時間が増えたことで就寝時間がやや遅めに。ただし起床が早いので、睡眠時間をなるべく確保できるように22時半には就寝準備に入ります。

生活の変化に伴い就寝時間は変わりますが、「その時々で毎日決まった時間に寝る」ことは子どもが幼い頃から重視しており、できるだけ毎日のリズムを変えないよう気をつけています

★3 ストレス解消の自由時間を確保

入浴後に洗濯機を回し、妻と一緒に洗濯物を干したら一日の家事はひと通り終了です。当たり前ですが、一人より二人で干した方が圧倒的に早いので、わが家では一緒に干しています

その後は自由時間タイム。「家族みんなで一緒に動く」のは効率的ですが、「自分の時間」ももちろん必要です。この時間があるからこそ、毎日頑張れています。夫婦間での相談事があれば、この時間にゆっくりと話をします。落ち着いて話せる唯一のまとまった時間なので、お互いに不満などがあれば小出しに共有します。

「みんなで一緒に家庭を運営する」気持ちを大切に

わが家のように家事分担を明確に決めていないと、「自分だけがやっている」と片方に不満が溜まりがちかなと思います。

そのため、家族が揃っているときはみんなで一緒に「家のこと」をして、「どちらかが家事をしてどちらかがぼーっとしている」時間を極力作らないように気をつけています

例えば休日は朝ごはんを食べたあとの30分を「掃除タイム」にしており、みんなで一緒に家を掃除。私は掃除機がけや外の掃き掃除をして、妻は洗濯物を畳み、トイレ掃除。子どもにも、モップ掃除など簡単な作業をお願いしています。

正直、家事は大人だけでやる方がスムーズですが、子どもを含め「家族みんなで一緒にやっている」という意識を持ってもらうことが大切。子どもがもうすぐ中学生になるので、今後またルーティンが変わるかもしれませんが、「みんなでやれば何事も早く終わる」をモットーにこれからも3人で協力していきたいです。

編集:はてな編集部

「小学生の子ども」を持つ親の悩み

中学受験の塾選び、共働きは「送迎なし」で通えるかがポイント。ワーママの「中受」サポート体験談
共働きで「中学受験」に挑戦する際のポイント
働きながら子どもの不登校と向き合い「キャリアは常に右肩上がりじゃなくてもいい」と気付いた
子どもが不登校に。どう対応する?
保育園時代と何が変わる? 先輩3人が語る“小一の壁”の実態と乗り越え方
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「私にはもったいない」と欲しいものをあきらめるのはやめた|藤沢あかり


誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、ライター・編集者の藤沢あかりさんにご寄稿いただきました。

藤沢さんがやめたのは「自分にはもったいない」と、欲しいものやりたいことにブレーキをかけること。

ずっと憧れていたパールのピアスを思い切って手に入れ、「わたしは自分でやりたいことを決められるし、選ぶ自由がある」と思えるようになったできごとを振り返ります。

***

パールは、うつくしい。

じっとのぞき込むと、なめらかなやさしい虹が見える。上品で楚々(そそ)としたたたずまいと、凛とした強さ。地球がつくりだした光は、ありのままの姿で堂々と生きる、芯のあるひとにも重なる。それはまさに、わたしの思う理想の大人そのものだ。

パールの一粒ピアスに長くあこがれていた。顔のすぐそばで、光を集めて照らすパール。わたしの理想の、大人のピアス。

なかでも老舗の専門店がつくるピアスは、普遍の歴史と風格がある。しかし、あこがれのぶんだけ敷居も高く、なによりわたしにはまだ早過ぎて、もったいない

欲しいと思い描いては、まだまだと首を振る。似たような「それなり」の安価なものを身に着けては、浮かび上がる「ほんとうはこれじゃないんだけどな」に気づかないふりをする。

そんなことを十年ほどくり返し、気づけば四十も超えていた。

意志さえあれば手に入るのに、自意識が邪魔をする

「これ、いまの自分にはちょっともったいないかな」

なにかに迷ったとき、ついそう思うくせがある。買いものに限った話ではない。

あるときは、十数年あこがれ続けたクラシックホテルが、迷って足踏みをしているうちに休業が決まり、予約困難となってしまった(大泣きした)。

またあるときは、仕事で使う名刺をプロのデザイナーに依頼したいのに、「わたしなんかが」という気持ちが邪魔をする(そして仕上がった自作の名刺に毎度がっかり)。

パールのピアスも同じだ。「すごく欲しいのに、いまの自分にはぜいたくだ」と、みずからの手で払いのける。

迷いが経済的な理由であれば、まだ納得がいく。むしろお金という物理的なハードルなら、即座に判断もあきらめもつく。やっかいなのは、この「なんとなく自分にはもったいないかも」と思ってしまうときだ

おかしな自意識が邪魔をして、こころが「ほんとにいいの?」とストップをかける。

自分の意志さえあれば手に入るものに対して、うじうじと考え込んでしまうのはどうしてだろう。澱(おり)のようにこころの底に積もる「もったいない」を、ゆっくりほぐしていくと、思いあたることがあった。


「もったいない」の後ろにあるのは、自分への自信のなさ

わたしはいつだって「いま」の自分に自信が持てずにいたのだ。「もったいない」は「それを与える価値がない」ともいえる。自分に対して「価値がない」と言いつづければ、どんどん自信はなくなっていく。言葉とは、思考とは、そういうものだろう。

まだ、それを手にする自分になれていない。まだ、それが似合う体型になっていない。まだ、それに見合うだけの成果をあげていない。自分の至らぬ部分を見つけては、自分でやりたいことにストップをかける。

そんな思いを家族に打ち明けると、半分あきれ顔でこう言われた。

「自分が欲しいと思うのに、どうして買わないの? 経済的に大丈夫で、こころの底から欲しい、もしくは必要だと思うんだったら買えばいいし、そうじゃなければ買わなければいいと思うよ」

ああ、なんと至極まっとうで、シンプルな答えだろう。
買いたければ、買えばいい。望むなら、かなえればいい。

いまの自分を認めること、欲望を満たすこと。自分が思っているよりずっと、シンプルでいいのかもしれない。答えはわたしの外側ではなく、内側にある。それなら一度、素直に手を伸ばしてみようか。

いざ、ピアスを買いに銀座の街へ

そしてわたしは、思い切ってパールのピアスを手に入れると決めた。

銀座のまんなかで、ドキドキしながらお店に入る。ふんわかした絨毯に、まばゆいシャンデリア。「自分にはまだ……」という気持ちがまた浮かび上がってくるのを、ぐんと張った胸ではねのける。まるめたくなるからだを、あごの先でひっぱり上げるべく上を向く。
だいじょうぶ。自分に言い聞かせて、目当ての品を見せてもらった。

ショーケースのなかで、いくつものパールがつやつやと光っている。海のあぶくとも、木漏れ日のきらめきとも夜空のまるい月とも違う、パールだけの光。その光を、そっと耳元にあて鏡をのぞく。大きいもの、小さいもの、うんと大きいもの、うんと小さいもの。こころなしか、いつもの肌がぱっと明るく見える。それをよろこぶように、胸が鳴る。

デザインや予算、ライフスタイル。店員さんとコミュニケーションを取りながら選んでいると、だんだんと「自分にはもったいない」という気持ちが溶けていくようだった。「ピアスをつけるわたし」が、あこがれから現実になる。

たくさんのなかから、理想的な大きさと輝きの粒を選び「これにします」と言った。店員さんのアドバイスや家族の感想も聞いたけれど、最後はちゃんと、自分で決めた

包んでもらうのを待つ時間や、小さな紙袋を携えて、そわそわと浮き足立って歩く帰り道。そっと包みをほどく瞬間。よろこびは、ミルフィーユのように重なっていくのだと知った。

わたしの意志で、選びとっていく

そうして着けるパールのピアスは、「わたしにはもったいない」だなんて、ちっとも思わなかった。大切なピアスを着けたわたしは、大切にされているわたしに見える。ほかの誰でもない、わたしに大切にされている、わたし。きっと「もったいない」と、手を引っ込めたままでは気づけなかった気持ちだろう。

以来、心待ちにする約束や、旅に出るときはもちろん、なんでもない日もこのピアスを身に着ける。わたしのこころが「これがいい」と言っている。なんとなく選んだピアスを着けていたときと比べると、視線がうんと遠くに向けられる。はたからどう見えるかや、誰かにほめられることを望むのではなく、わたしのこころが納得し、よろこんでいる。

この感情全てをひっくるめてが「憧れを手に入れる」ということならば、わたしは「もったいない」という言葉で、たくさんのチャンスを逃してきたのかもしれない。体験は、わたしのこころとからだを通過しながら愛着をたずさえ、かけがえのない経験になる。

当然ながら「高いものは、良いものだ」と言いたいわけではない。大切にしたいのは、欲しいものを自分の意志で選び、決めていくこと。やりたいことに、まっすぐに手を伸ばすこと。本筋から逸れた理由で、欲望にふたをしないこと。

わたしは自分でやりたいことを決められるし、選ぶ自由がある。ならば、その気持ちをもっと、もっと守りたい。「自分にはもったいない」とストップをかけるのは、もうおしまいだ。

朝、引き出しをあければ、わたしのパールがそこにある。右に、左に、光を添えて、一日がはじまる。

編集:はてな編集部

いまの自分を「受け入れる」ことの大切さ

「自己肯定感を高く」は自分を苦しめる。できることを増やして“自信のリスクヘッジ”を|ぼる塾・酒寄希望
無理してポジティブにならなくてもいい
「他人の価値観で自分にダメ出し」するのをやめた|太田明日香
「他人の価値観」で自分にダメだししない
他人と比較することをやめる|あたそ
「他人の生き方と比べる」のはやめた

著者:藤沢あかり

藤沢あかりさん

編集者・ライター。大阪府出身。雑誌やweb、書籍を中心に、住まいや子育て、仕事、生き方などの記事を手がける。著書に『レシート探訪』(技術評論社)
Instagram:@akari_kd
note:@tamagodaisuki
Webサイト

忙しい中で仕事を効率よく切り上げ、「自分の時間」を楽しむために私が工夫していること

忙しい中で仕事を効率よく切り上げ、「自分の時間」を楽しむために私が工夫していること

出勤日は仕事ばかりで1日が終わり、せっかくの休みも疲れでぐったり……。忙しく働く中で、そんなふうに過ごしている人は少なくないでしょう。

スタートアップ企業で働く会社員でブロガーの円錐さんも、かつてはそんな余裕のない日々を送っていました。しかし大好きな趣味ができたことから、「平日も休日も自分の時間を楽しめる、効率のいい働き方」を実践するようになったそうです。

***

仕事とプライベートのどちらにも全力投球しているような、パワフルな人に憧れる。でも自分は、そんなパワフルな人間にはなれないな、とも思う。

私は3年ほど前に、今も働いているスタートアップに入社した。新しい価値を提供できるものを作っているという達成感や楽しさはあったものの、スタートアップならではのスピーディーな意思決定に急かされ、終電ギリギリに会社を飛び出すような日々は、だんだんと私を疲弊させた。

そんな折に「観劇」という趣味ができた。日常を忘れ、夢を見ることができる煌(きら)びやかな時間。「休日は趣味のことしか考えたくない!」と意を決したが、平日は仕事、休日は趣味に全力投球という対極のスタイルは、気力的にも体力的にも自信がない。平日にフルスロットルで頑張ると、休日に観劇を楽しむ元気が残っていないのだ。

観劇時の愛用品
愛用品のオペラグラス、ハンカチ、チケットファイル、客席参加型の演出で使った公式グッズ

そこで私は、出勤日と休日を二極化させるのではなく、休日に加えて平日の仕事終わりにも自由な時間を楽しむため、「いかに効率よく仕事を進めるか」を意識するようになった。

自分に合った「効率のいい働き方」を見つけたことで、さほどパワフルでない私も、しっかり趣味や自分の時間を楽しめるようになり、生活へのモチベーションを維持できている。今回は、私が実践してきたことについて紹介したい。

効率のいい働き方を探るため、まずは「自分の性質を見極める」

「どうすれば効率よく仕事ができるか」を考えるために、まず自分について振り返ってみた。そこで見えてきたのは、自分には大きく、以下の2つの性質があるということ。

  • 夏休みの宿題のように、与えられた課題を最後に駆け込みでやりがち
  • やることが複数あると、他のことが気になって集中できなくなる

自分を変えるのは難しいので、どうにかしてこれらを生かしながら効率化したいと考えた。

「夏休みの宿題のように、与えられた課題を最後に駆け込みでやりがち」というのは、逆に言えば、締め切りに追われれば集中できるということ。

そこで、友人とのお出掛けや映画鑑賞など、簡単には破れない楽しい約束を、仕事終わりや土日の予定に入れることにした。結果、どうしてもその予定を決行したいので締め切り前の集中力を発揮できたし、間に合わせるにはどうすればいいか? と締め切りから逆算してタスクの開始期間や処理方法を考えるクセもつけられた。

「やることが複数あると、他のことが気になって集中できなくなる」という性質については、仕事中にSlack(チャットツール)の通知や差し込みの仕事が来ると、途端にそちらのことしか考えられなくなって、集中できなくなるのが悩みだった。

そこで「なぜ新しく来た仕事や通知の方が気になってしまうのか」を深堀りしたところ、「まだ見ぬ大きなタスクが待ち構えているのでは」という恐怖感があるからだと分かった。つまり、新しく来たものが「いつまでにやるどんな仕事か」を整理できれば、元の仕事への集中を取り戻せる。

そこで新しい仕事が来たら、一度手を止めてタスクの全容を確認してToDoリストに入れてしまい、簡単に連絡も返して「すぐにボールを手放す」ことを心がけた。

こうすることで一時的に私の手からタスクが離れるので、再び優先度の高い別のタスクに戻れるのだ。この「連絡をすぐに返す」ことによって、「仕事が速い人」と認定してもらえるのはうれしい副産物だった。

そしてもう一つ大切にしているのが「週5日全てをフルスロットルで頑張り過ぎず、曜日によって緩急をつけること」

きっかけは、尊敬する元上司の女性が「月曜から頑張り過ぎると金曜までもたないよね〜」と何気なく話していたことだった。忙しい人ほど自分を知って調整していたのかと目から鱗(うろこ)が落ち、自分もまねして「体力貯金」を意識するようになったのだ。

在宅と出社が半々くらいの働き方なので、週初めは仕事を詰め過ぎないようにし、出社日を連続させないことで体力を温存。今は月水木を在宅に、火金を出社日にするのが自分にとってちょうど良いと感じている。

在宅の日は仕事を早めに切り上げたあと、自炊をすることが多い。金曜は会社で集中したあとに、友人との食事などの予定を入れる。前述の通り、楽しい予定までにいかに仕事を終わらせるかが勝負なので、自然と集中できる。

早く帰るために実践している、仕事を効率よくこなすコツ

他にも自分の性質をふまえて、仕事を効率よくこなすために実践している小さなコツがいくつかある。

  • 【1】「今日絶対にやること」は紙に書き出す
  • 【2】作業に集中したい時はSlackの通知をオフに
  • 【3】作業用BGMを流す

以下で詳しく紹介する。

【1】紙に今日やることを書き出して、頭の中を整理する

普段はクラウド上のツールにToDoをまとめているが、「今日絶対にやること」は始業のタイミングで紙に書き出している。私の場合は書き出す行為で頭が整理されて、タスクの優先順位やかかりそうな時間が想像しやすいからだ。終わったタスクに線を引いて消すことでも、頭を切り替えられている。

【2】「作業に集中したい時間」を同僚に共有し、通知をオフに

前述の通り気が散りやすいので、まとまった時間が必要な作業時には、Slackの通知をオフにしている。ただし、特に在宅時、すぐにSlackで連絡がつかなくても相手を困らせないよう、社内で共有しているカレンダーには「作業集中」などと書いておき、状況を共有している。そうすることで突発的な打ち合わせも他の時間に回してもらえるし、「ブロックした時間中に絶対に終わらせる」という制約ができて、集中力が高まると感じている。

【3】自分が集中できる「作業用BGM」を流す

何かしらの音を流していた方が集中できるタイプなので、集中力が必要な作業のときは、雨の音などの環境音やクラシックを音量控えめに流している。受験勉強の時に担任から「ビートが刻まれている音楽や人の声が入ったものは思考の邪魔になりやすい」と言われたことがきっかけで今も律儀に守っているが、確かに集中できるように感じる。

ひたすらSlackで簡単な返答を返すなど、集中力よりサクサクさばくことが重要な作業の際には、カフェミュージックなどを適当に。堅苦しくなくリラックスできそうな音楽、かつ、知っている曲だと口ずさんでしまって気が散るので、知らない曲であることが重要だ。

仕事終わりは、モチベーションを上げる「至福の時間」に

週末に観劇が待っている!というのはもちろん楽しみだが、その気持ちだけでは、週の大半をしめる平日を乗り越えるのが難しいときもある。だから、平日の仕事終わりにも、自分のモチベーションを上げてくれる「楽しみ」が必要だ。例えば、こんな楽しみを取り入れている。

  • 【1】自炊をする
  • 【2】読書を楽しむ
  • 【3】日記を付ける
  • 【4】レイトショーを見に行く
  • 【5】たまに平日も観劇に行く

【1】自炊をする

もともと私は料理が苦手で、以前は料理が得意な夫任せだったが、最近は料理をしながらちょっとお酒をたしなむ時間が好きになり、自炊をするようになった。お気に入りのPodcastを聞きながら材料を刻んだり煮込んだりするうちに、仕事から意識が離れて気持ちがゆるんでいくのを感じる。

作る時間を楽しむのはもちろん、当たり前だがアウトプットとして料理が出来上がるので、何かを成し遂げた気持ちになって自己肯定感がちょっと上がるのもいい。

自炊の様子

【2】読書を楽しむ

平日は通勤時や食後、入浴中に読書をすることが多い。好きな作品に没入できる大切な時間だ。昨年から読書管理アプリで記録をつけており、月にどのくらい本を読めているかが、忙しさや心の余裕のバロメーターになっている。

【3】日記をつける

ここ数年はほぼ毎日、紙の日記をつけている。たいしたことのない日常の出来事でも、書き出すことで思ってもみなかった言葉が出てくることがあり、新しい気付きがある。それに、気持ちが上がらないときに過去の日記を読み返して、どん底の気分の日や楽しい旅行の日を振り返ると、なんだか元気になれる。


【4】レイトショーを観に行く

一人で、もしくは友人と一緒にレイトショーに出掛ける。平日夜の映画館は仕事帰りの大人が多く、静かで非日常的な雰囲気になるのが好きだ。友人と行ったときは、見終わった後、お酒を飲みながら感想戦ができて楽しい。

【5】まれに平日も観劇

一番のご褒美かつ、何よりも拘束力の強い締め切りになってくれるのが観劇だ。基本は土日がメインだが、有給やフルフレックス制度を使って、まれに平日に行くことも。読書や映画鑑賞もそうだが、目の前の舞台のことしか考えられなくなり作品に没入できるので、平日の充実度が格段に上がる。

自分の人生で何に時間を費やす?

趣味の時間を大切にするようになったことで、仕事にも生活にもメリハリが生まれた。楽しみが待っていることで心に余裕ができたし、頑張る理由にもなった。私の場合は「観劇」がきっかけだったが、多くのお金や時間を費やすような趣味でなくても、日常の中にある小さな楽しみを増やしていくことが大事だと感じている。

仕事に忙殺されていたかつての私に伝えたいのは「ずっと全力投球じゃなくてもいい」ということ。自分の気持ち、やるべきことの優先度などは、生きていく中でその時々によって波がある。それなのに、仕事に対してだけずっと高出力である必要はないと思う。会社やSNSでパワフルに見えるあの人も、きっとどこかで自分の羽を休めている。

もちろん時には、仕事に時間をかけることや量をこなすことが必要なときもある。それでも、時々ふと立ち止まって「自分ってどんな人だっけ? 何があると頑張れるんだっけ?」と自分に問いかけたい。人生の中で何に時間を費やすか、それを決められるのは、自分自身だけだ。

編集:はてな編集部

働きながら「自分の時間」も大切にする

突然はまったプロ野球が、仕事で悩む日々に寄り添ってくれた。選手が教えてくれた「調整」の大切さ
「プロ野球」にハマって気付いた、調整することの大切さ
仕事と育児で忙しくても自分の時間を確保するため「朝時間」を活用するようになった話
「朝時間」を活用するようになったら、心に余裕ができた
登山のおかげで「仕事で何かができる人」になれなくてもいいと思えるようになった
「仕事で何かができる人」でなくてもいいと、登山が教えてくれた

著者:円錐

円錐さん

チラ見するだけのつもりがいつの間にか立派なオタクに成長してしまった宝塚ファンです。好きな人がたくさんいて心も体もうれしい悲鳴。

X:@_ensui ブログ:衝撃的誘惑スパイラル

合理性や安定感で「会社員」を選ぶのはやめた|ひらいめぐみ


誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、フリーランスで執筆活動を行うひらいめぐみさんに寄稿いただきました。

心配性な性格で「安定」を求め会社員を選び続けるも、たびたび体調不良に見舞われ、転職を繰り返してきたというひらいさん。

自分が本当に望むものを見つめ直し「合理性を重視してものごとを選ぶこと」をやめた経験を振り返っていただきました。

***

30年間抱いていたもやもやの原因に、占いで気づく

職種も業界も転々としながら転職を繰り返し、これ以上自分に合う環境はないだろうと思っていた6社目で働き始めて1年がたつ頃、また体調を崩した。

処方された薬では吐き気と胃痛が一向に改善せず、胃カメラで検査をしてもらったが、原因は分からなかった。毎日起き上がって仕事をしているのもつらいのに、麻酔が完全に効いていない状態で胃カメラをつっこまれてしまったものだから、検査が終わった後はより一層具合が悪くなってしまい、のそりのそりと足を引きずるように帰宅した。

おかしいじゃないか。わたしは怒っていた。だって、数年前も仕事で体調を崩して、下(大腸)の内視鏡検査をやったのだ。いくらなんでも、わたしの人生には内視鏡のターンが多過ぎる。

なぜこうも仕事がだんだんつらくなって、内視鏡検査をやるはめになるのか。「今の仕事が漠然とつらい」ことは分かっていても、なにがどうつらいのかがよく分からない

そんなとき、ひとりの顔が浮かんだ。手相や琉球推命、タロットカードなどさまざまな手法の占いができる、Oさんだ。以前手相を見てもらったときに言われたことがものすごく当たっていて、そろそろまた見てもらいたいなと思っていた。もしかしたら、これからの仕事についてなにかヒントがもらえるかもしれない。

「発想力を表現する分野で自身を発揮できるタイプなのに、過度に真面目で、石橋を叩いて渡る性格だから失敗を先に考えてしまって挑戦しづらい。クリエイティブな仕事に就きやすい能力の持ち主なんだけど、向いている性格じゃないんだよね、ひらめちゃんは」

Oさんの占いの結果は人生で抱いていたもやもやの原因を表してくれている、と言い切ってしまえるくらいには、衝撃的な内容だった。そして同時に、すごく納得できる結果でもあった。

なぜならOさんが指摘するように、「あたま(=合理性、論理的視点)」と「こころ(=直感的視点)」が噛み合わないような感覚は、以前からうっすら感じていたのだ。

世間的に「良い会社」は、わたしにとっても「良い会社」?

Oさんの言うとおり、わたしはかなり心配性である。先々のことを気にかけ、合理的な判断を選ぼうとしがちだ。行ったことのない待ち合わせ場所には、家からの距離にかかわらず、最低30分前には着くように向かう。外食では、気になるメニューがあっても、味が分かる安心感からいつも同じものを選ぶ。

その一方で、ふつうはあまり選ばないような選択をするときがあった。男子しかいない軟式野球部に未経験で入部してみたり、「成人式に振袖を着る」という慣習に居心地の悪さを覚えてスーツで出席してみたり。

周囲からは「慎重で合理的な性格なのになんで?」とちぐはぐに見えるかもしれないが、自分でもよく分からない。でも、どちらの自分も「自分」なのだ。

今思えば、初めて会社に就職したときも「あたま」と「こころ」が噛み合っていなかった。詳細は近著の『転職ばっかりうまくなる』でも書いているが、就職活動のいろいろを経て、大手の人材会社から内定をもらった。

給与条件が良く、福利厚生もしっかりしている。世間的には「いい」会社で、合理的判断をすればこの会社に行かない理由がない。「あたま」で考えたら、ベストな選択だと思った。

『転職ばっかりうまくなる』(百万年書房)

しかし学生時代にアルバイトをしていた出版社の飲み会で内定先を報告すると「ぜったいやめた方がいいよ!」と心配そうに言われた。想像していた反応とはまるで違っていたのに、なぜか心の奥の違和感を見透かされているようで、ぎくりとした。

結果、入社して3カ月で体調を崩し、休職を経て1年以内に退職した。「せっかく入ったのに今辞めたらこの先のキャリアにとって良くないかもしれない」「まだもらっている給与分の成果を出せていない」とあたまの中で考える自分と、「この会社になじみたくない」という直感的な危機感を抱く自分が押し合ったが、体調のこともあり最後はこころ(直感)に従うしかなかった。

社会からはみ出さないように働くのは、わたしにはむずかしい

それならば、と別の業界や職種も試してみたけれど、結果はいつも同じだ。体調が不安定になり、働けなくなってしまう。

会社で働くと、いかに効率よく仕事を進められるかが重要事項となる。30分刻みでスケジュールをカレンダーに入れ、すぐに終わりそうなタスクはサッとこなし、メールでよく使う文章は定型文に登録しておく。いつのまにかあたまで考えて決めなければならないことばかり増えていく

そうでなければ生き残ることはできない、とすら思わされる。はみ出してはいけないのだ。わたしの「あたま」も、そう理解している。

それでもわたしは「こころ」が動くと立ち止まった。営業先に行くために初めて五反田へ降り立ったときオフィス街に流れる川を見つけてうれしくなったり、オフィスの大きな窓ガラスに美しい夕焼けが広がっていてしみじみと感激したり、会社近くの銀杏並木にうっとりしたり。

そのたび、そばにいる上司に、連絡先を知っている同僚に、沸き立つ気持ちを共有したくなる。だけど、「言ったところで」とすぐさま気持ちがしぼんでしまう。

会社で働けば働くほど、「こころ」を優先するのは難しいと感じていたけれど、給与が安定していて、ある程度決まった業務内容の仕事が与えられる「会社員」という働き方を手放す選択は、慎重なわたしにはなかなかできなかった


結局、「あたま」よりも「こころ」の方が分かっている

その後、何度かの転職を経て今まででいちばん自分の性質に合っており、働きやすいと感じた会社が、一番最初に書いた6社目だった。にもかかわらず、体調を崩してしまうのは、占いの結果通り、やはり「あたま」で考えていることと、「こころ」が感じることのなにかしらがズレているからだ。

ようやく自分に合った職種が見つかったのに、一年そこそこで辞めてしまうのはもったいない。だけど、どうしても「会社員」として働くこと自体を苦痛に感じてしまう。ほんとうは、もっと自由に働きたい。

病院で検査をしてもらった結果、短い期限の仕事に追われると強いストレスを感じることや注意力が散漫な特性があることが分かった。悩んで悩んで6社目の会社を辞め、フリーランスになることを決めた。

毎月決まった給与と業務をもらえる安定をとった方がいいという「あたま」の判断ではなく、自分にとって働きやすい環境を求める「こころ」を優先してみることにしたのだ

カレンダーの予定はほぼ白紙になった一方で、仕事で感じるストレスが激減した。職種や契約内容によるかもしれないけれど、どうやらわたしの場合は業務量が把握しやすいフリーランスの方が「働きやすい」ようだった。

とはいえ性格はなかなか変えられるものではない。気を抜けば先のことを必要以上に心配し、リスクを想定してしまう。仕事が減ると「やっぱり会社員として働く方が合理的なんじゃないか」という思考に引っ張られそうになる

今の働き方で「あたま」と「こころ」のバランスが均衡を保てていても、いつかはどちらかに傾くかもしれない。そうなったら、会社員に戻る可能性も大いにある。いつの日かフリーランスの働き方がしっくりこなくなったら、そのときはまず「こころ」がどうしたいか、耳を傾けるようにしたい。

「あたま」で考えていたらたどり着けなかった今があるように、結局のところ、「こころ」がいちばん「自分がどうしたいか」分かっている

原稿の執筆に行き詰まり、気分転換にと外へ出る。空気は冬らしく冷え込んでいても、着実に日が長くなっていることを感じる。小学生たちの下校ラッシュにぶつかったようで、なにがたのしいのか、けらけらと笑いながら男の子たちがわたしの横をかけていく。

理由もなくたのしい。理由もなく走り出したくなる。そうやって心のままに生きている子どもたちを見ていると、自分はまだまだ考え過ぎだなと思う。

コンビニに寄り、ふたつのグミで迷って、いつもなら同じ種類のお菓子はひとつしか買わないところ、ふたつとも買った。ちいさく、合理性からはみ出してみる。グミ二袋分の、コートのポケットの膨らみ。わけもなくうれしい気持ちに包まれながら、帰路についた。

編集:はてな編集部

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他人の評価を気にしてばかりだったわたしが仕事選びの“軸”を見つけ、理想の暮らしにたどり着くまで
「他人」の評価ばかり気にして、「自分」に合う仕事が分からない
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どうしても朝起きられなかった私が見つけた、働き方と体調の関係。健康の形は、一つじゃない
朝起きられなくて、周りと同じように働けないあなたへ

著者:ひらいめぐみ

ひらいめぐみさん

1992年生まれ。7歳からたまごシールを集めている。2022年に私家版『おいしいが聞こえる』、2023年に『踊るように寝て、眠るように食べる』、『転職ばっかりうまくなる』(百万年書房)を刊行。好きな食べものはおでんとかんぴょう巻き。

X:@hiramelonpan