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不妊治療を経て出した決断。「産まない人生」を寄り道しながらテクテクと歩く

 吉田潮
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「いつかは子どもが欲しい」「私は、将来母になれる?」ーーそんな妊娠・出産にまつわる悩みを持つ女性は少なくないはず。ライターとして活躍する吉田潮(よしだ うしお)さんも、「産む人生」か「産まない人生」の選択に悩んだ1人。39歳で不妊治療に挑戦し、その後「産まない人生」を歩む決断をした吉田さんが、45歳の現在になって感じることとは?

産んで育てる働き方、産まない働き方

「産む・産まない」と密接に関わってくるのが、働き方かもしれない。私は会社勤めではなく、フリーランスでライターとして働いている。そして子どももいないし、夫とも別居婚だ。誰に気兼ねすることなく、時間はいかようにも使える。だから、子どもがいる友達とは平日昼間に、会社員の友達とは土日に、夜に働く人とは夕方出勤前に……つまり、全方位外交が可能なのである。あ、これは遊びの話ね。

仕事でもそうだ。朝方の取材も、真夜中の取材も、そして突然の取材日変更にも案外対応できる。これ、実はすごくラッキーだなと思う。それだけ声がかかりやすくなる下地にもなるし、年収アップにもつなげられる。「子どもがいない利点」を聞かれたら、この「時間が自由で、公私ともに全方位外交できること」を挙げるかな。

そんな子どもがいない人生を歩んでいる私だが、「子どもが欲しい」と思ったことがないわけではない。

子どもは苦手だが、30代でなぜか欲しいと思ってしまった

私はそもそも子どもが苦手だった。妊娠を避けたい、そして生理痛もかなり重いほうだったので、苦しみを軽減するために20代から低用量ピルを飲んでいた。万全の態勢で妊娠を防いでいた私が、30代に入り、なぜか子どもが欲しいと思うようになったのだ。たしか34歳のときである。

周囲では、出産する友達も少しずつ増えていた。子どもの写真入り年賀状も十数枚きていた。思い返してみれば、どこかで置いてけぼり感があったのかもしれない。

でも、一番の理由は、妊娠によって「この男をつなぎとめておきたい」という気持ちだった。純粋に女として子どもが欲しいとか育てたいとか家族を作りたい、ではなかった。自分の実力ではつなぎとめられない男を、「子ども」という物理的な証で縛りつけたかったのだ。まあ、動機が不純というか、ふらちですよ、正直言って。


さて、「この男をつなぎとめたい」と思って、ひとり妊活を開始したのだが、前途多難だった。まずピルをやめて、健康増進のためにジムに通い始めた。そして、基礎体温をつけ始めた。交際相手に対しては、射精を要求する「排卵日ハラスメント」を続けた。根が真面目なもので、自分で自分を追い込んでいくことになった。とうとう、円形脱毛症も発症し、その男と別れる事態にまで陥った。 一生懸命になりすぎて、自分も相手も疲れきった。

その後、1年間別れて暮らしたが、何やかんやあり、元鞘(さや)に戻った。そして、不妊治療に挑戦しようと思い立ったとき、私は39歳になっていた。

39歳で不妊治療に挑戦するも失敗。だが、得たものは大きい

39歳という年齢で挑戦するのは遅かったと思う。でも機が熟したのが39歳だったので仕方ない。「40歳までに妊娠しなかったらやめる」と制限を設け、体外受精に挑んだ。

不妊治療は一般的に「大変そう」と思われている。

エエ、その通り、大変である

でも、私のようなフリーランスは時間の融通も利くし、予定のやりくりはそう難しくはなかった。でも勤め人だとなかなかこうはいかないだろう。なにせ5日に一度、下手したらほぼ毎日病院へ通わなければいけない時期もあるし、診察日や施術日は午前中がほぼつぶれてしまうのだから。そこに大きな壁はあるし、不妊治療に理解のある会社がそう多いとは思えない。

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基礎体温や排卵日などを欠かさず記入していた

私は二度の体外受精を受けたが、1回目は着床すらせず、2回目は稽留(けいりゅう)流産という結果に終わった。計80万円かけて妊娠できなかった悔しさと、妊娠できない不全感のようなものを味わった。「たった2回で?!」と思うかもしれない。でも、私には充分だった。そもそも本当に子どもを欲しいと思っていたのかも怪しい。結局、私には根性も覚悟もなかったのだ。

それでも、不妊治療はいい経験だったと思う。ものすごい確率で人間は生まれてくるのだと悟ったし、自分を産んだ親に感謝もした。そして、産み育てている人を尊敬したし、不妊治療を頑張っている人の気持ちも痛いほどわかった。また、子どもがいなくても楽しい人生を送っている人がたくさんいることにも気付いた。決して時間と金の無駄遣いではなかったし、こうして原稿を書いたり本を出したりすることで元も取れたし。そこ、案外ポジティブなんだよね。

ふんぎりがつくまでのモヤモヤ期も。欠損や不全と思わないこと

不妊治療を諦めた後も、実はモヤモヤとしていた。「不妊治療をやめた途端に妊娠した人がいる」などという話も聞いていたからだ。でも、あれだけ視野狭窄(きょうさく)に陥り、猪突猛進に妊活に励んだときのテンションは、もう戻ってこない。

自分でもはっきりと覚えていないが、42歳くらいまではモヤモヤとしていたようだ。「産めない」と諦めたのはいつだったのか、「産まない」と決意したのはいつだったのか。おそらく体力の低下、仕事の忙しさと楽しさ、そして生理の乱れなどが重なっていき、徐々に意志が固まってきたような気もする。

今は、45歳。「産まない人生を選択した」と断言できる。紆余曲折、モヤモヤ期もあったが、問われたら「産まない人生でしたが、子どもがいない人生を謳歌しています」と答える。後悔もない。やることはやった。堂々と、子どもがいない人生を歩いている。

たぶん私はこれからも「子どもがいない人生で楽しいよ」と言い続ける。子どもがいないからといって肩身が狭いとは思わないし、人間として何か欠けているとも思わない。実際、欠けているモノは結構あるのだが(配慮とか気配りとか思いやりとか……)、それとこれは関係ない。そもそも先天的に欠けているのであって、「産まないこと」とはまったく関係がないのだ。子どもはいらないと思う人が忘れてはいけない点でもある。

「産む」「産まない」は家族や世間が決めることではない

「産まない人生で、子どもはいりません」という意思表示は、なかなかしづらいという。子どもを産み、育てることがどうも美化・神聖化されすぎているせいか、その圧力に逆らうのは得策ではないと考えるからだろう。

実際に、『産まないことは「逃げ」ですか?』(KKベストセラーズ)という本を出した後、「私と同じ考えの人がいてほっとしました」という声をたくさんいただいた。そもそも「産む・産まない」は、自分で決めることだし、誰かのためにやらされることでもない。孫の顔が見たい攻撃をしてくる親や親戚のためでもないし、「子どもを産んで一人前」的な世間の声に踊らされる必要もない。

それでも、「少子化問題をどう考えているのか!」とか「生き物として産むのは当然のこと」と、説教を垂れてくる輩もいる。目に見えないその人は、自分の人生にまったく関係ない人であることを忘れてはいけない。自分の人生の主語は誰なのか、考えてみるといいかもしれない。

欲しい人は産む、欲しいと思えない人は産まない。それを決定する権利は、家族でもパートナーでも世間でもなく、自分自身にあるのだから。

産まない人生を選んだからといって、産むことを否定しているわけではないし、子どもが欲しい人にはぜひ頑張ってほしい。不妊治療を受けていて、先が見えなくて不安が募っている人も心の中で応援したい。また、子どもを産みたいと考えたことがなかった人でも、もしかしたら5年後、猛烈に欲しくなるかもしれない。その心の変化もアリだと思う。

そして、産まないと決めた人の背景には、本当に人それぞれの事情がある。ワガママと言われても、自分の人生にワガママで何が悪いのか。子どもがいないことを引け目に感じる必要はないし、違う充実感もあるよ~と言いたい。妄信的に「女の幸せは出産して子を育てることに尽きる」と思っている人には、それだけじゃないよ~と言いたい。

一方、産まないことをわざわざアピールする意味がわからない、という声もある。そもそも産まないと決めた人は、自分が主語で生きているわけだし、大手を振って言う必要はないという。下手なことをいえば、バッシングされる可能性もあると指摘する。

私自身は、できるだけアンタッチャブルな領域を減らしたい。「女はこうあるべき、妻はこうあるべき、母はこうあるべき」という思い込みが背景にあって、タブーとされる文言は撲滅したいと思っている。「納豆は苦手」と同じように「子どもは苦手」と言ってもいいのではないか。「持ち家はいらない、賃貸でいい」と同じように「子どもはいらない、ふたりでいい」と言ってもいいのではないか。

産まない人生という一つの選択肢。主語は私で今幸せです

私の周りには、子どもを産んで、働き方を変えた女性もいる。夜は子育てのための時間をしっかり確保できる会社に移り、その分、早朝からがっつり働く。年収は下がったけれど、今の仕事と働き方を選んだのは自分だと彼女は言う。つまり、子育てしていても、主語は自分なのだ。実際、彼女は前の会社にいるときよりも、明らかに自由度が増えたようだし、ストレスも軽減したように見える。

さて、子育てしながら時間を管理して働く友達と、全方位外交で仕事を増やしている私と、どっちが幸せでしょうか。それこそ愚問で、彼女も私も幸せなのだ。比べること自体がおかしいし、幸せの形は人それぞれ。どうしても、他人の芝生は青く見えるものだけれど、自分が何を欲しているのか、わかっていれば、比べることが愚かだと思えるはず。

大切なのは誰が主語か、というところ。誰かにやらされた、させられた、と人のせいにしなくていい人生を歩いているので、彼女も私も充実している。

ということで、私は「産まない人生」をテクテクとマイペースで歩いている。時々寄り道したりしているけれど、楽しい。いばらの道でもないし、険しい山道でもない。周囲を見渡せば、結婚せずにのんびりとひとりで歩く人もいれば、子どもを連れて、休憩しながら歩いている人もいる。友達と騒ぎながら歩く人もいれば、パートナーと腕を組んでしっぽり歩く人もいる。犬や猫を連れて歩く人もいる。老いた親を背負って歩く人もいる。みんなそれぞれのペースで歩いているし、どんな道をどう歩くかはその人が決めることだ。

著者:吉田潮

吉田潮

ライター兼イラストレーター。1972年生まれ。法政大学法学部政治学科卒業後、編集プロダクション勤務を経て、2001年よりフリーランスに。「週刊新潮」、「東京新聞」、NHKPRサイト「1.5チャンネル」、「週刊女性PRIME」でテレビに関するコラムを連載中。その他、医療健康系記事やインタビュー記事なども請け負う。著書に「幸せな離婚」「TV大人の視聴」など。

次回の更新は、12月13日(水)の予定です。

編集/はてな編集部