「好き」という理由で理系を選択したっていい。怒ることを忘れず、堂々とあれ

文・写真 斧田小夜
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私が理系の方角に進路を取ったのは小学校に入る前だったのではないかと思っている。グリコのおまけ(昔は簡単な仕組みのおもちゃだった)は分解して仕組みを調べてみないと気が済まなかったし、機械が動いているのに見とれてよく迷子になった。電子基板に興味を持ち、成長とともに順調に(?)プログラミングに憧れるようになり、そうこうするうちに周囲の反対にもめげず、理系を選択した。いわゆる「理系女子」である。それも工学系の、珍しい理系女子だ。

工学系・物理系の理系女子が珍しいのは本当

「理系女子です」というのは、とても簡単で便利なラベリングなのでつい使ってしまうが、本当のところなにも属性を説明していない。理系の分野は細分化しており、そこに所属するひとびとに共通点はあまりないからだ。


私は応用物理系の出身で、今は分散ネットワーク関係の研究開発をしているが、この分野では女子が非常に珍しい。本当に、少ない。

日本の大学における工学部の女子比率は15%弱だそうだが*1、この中から女子に人気のある生命工学系と建築系を除いてしまうとおそらく数%程度になるだろう。学科に1人しかいない、学年に1人しかいない、数年ぶりに女子が入った、みたいな話はどこでも聞くし、そのまま社会に出ることも少なくないため、会社に入ってからも部で一人の女子社員ということだってある。海外へ行ってもその状況は変わらない。学会ではあまり女性を見かけないし、オフィスでもエンジニア職は男女比が偏っていることが多い。

と書くと「モテるでしょう」と言われることもあるのだが、正直モテるかどうかは人によると思う。男性だって女性ならなんでもいいというわけでもあるまいに、あらゆる意味で失礼な発言だ。しかしあまりにもよく言われるので、いちいち反駁(はんばく)するのも面倒なのだった。

珍しさは、悪意に遭遇する確率を高めることも

珍しさにはいい面もあるが、それだけではない。

たとえば、悪意に遭遇することがある。高校時代は物理や数学の成績がいいと、教師が「女に負けて悔しくないのか」と男子生徒に言うことがあった。実験がうまくいったという発表をすると、「誰にやってもらったの?」と言われ、職場では上司に気に入られると「女性だからね」とやっかまれる。実体験だ。

でも、悪意だけならまだましだ。そういう言葉に対しては言い返せばいい。わかりやすい悪意なら声も上げやすい。周りも発言者をたしなめるし、すぐに嫌な気持ちを発散できる。それほど傷つかない。厄介なのは、発言者に悪意がないときの方だ。

たとえば、進路を反対される、ということがある。私自身、女子率が低いことを理由に両親から理系へ進学する進路を反対されたし*2、反対されて諦めた友人も知っている。ただ、女子が少ないというだけで、好きなことを諦めなければならないのはおかしいと思う

大学の研究がうまくいかなかったとき、「その辺のなんにも考えてないおばさんとは違うんだからもっと頑張りなさい」と教授に励まされたことがある。強烈な違和感があった。私だってなにも考えていないときはあるし、その辺のおばさんも毎日自分のことを頑張っているのに、なにを違うことがあるのか? けれども発言者は善意のつもりでいるから、私の不快感は伝わらない。不快感を覚えたと伝えるのがためらわれることもある。

「理系女子」はその少なさから世間の「当たり前」と摩擦を起こしやすく、悪意を向けられやすい(無自覚含め)のだと思う。多少なりとも偏見を持つ人はいる。口が滑ることだってあるだろう。でもそういうものが自分に集中するとしたら? 「珍しい」というのはそういうことだ。

傷つくことに慣れ、怒ることを忘れていた

社会人になってからはまだまだ世間で話題になることも少なくない「女性の働きにくさ」も付加され、言い返しにくい不愉快な発言や言動で傷つくことが増えた。それで、私はすっかり疲れ果ててしまっていた。好きを仕事にするのはいいが、腹の立つことがあまりにも多すぎる。いっそもっと自分の属性が「普通」である別の分野に行ってしまった方が楽なのではないかとも思った。

そんなある日、飲み会があった。席は部長の隣だ(女性があまりにも少ないので、飲み会では基本的に偉い人の席のそばに座らされるのだ)。新人の頃からかわいがっていただいていたが、かわいがっている相手には男女問わず肩を揉んだり、「息子のようなものだと思っているから」と言ったりする、ちょっと距離感を測りにくいタイプだ。

宴もたけなわになったころ、あまり親しくない先輩(もちろん男性)が私に聞いた。

「結婚したら仕事は辞めちゃう派ですか?」

唐突な質問だったが、珍しくはない会話である。またこれか、と思いながら、それよりも目の前にある肉の方に集中していたかった私は、さあ、続けるんじゃないですかと答えた。話を切り上げるにはそう答えるのが一番簡単だと私は知っている。しかし隣の部長はそうは思わなかったらしい。

部長は尋ねた。私にではなく、私に質問を投げかけた男性に向かって「君は結婚したら仕事辞めちゃうの?」と聞いたのだった。彼は驚いた顔をしながら「続けると思いますけどねぇ、まぁでも病気になったりとかしたらわかんないですけど」と答えた。部長はなにやら楽しそうに笑って、「でしょう、そう答えるよねぇ。こういう質問、わざわざ男にする? しないでしょう? だって答えが決まってるもん。女の人だって同じでしょう。なんでそんな質問するの?」と早口に言った。

そのとき、ようやく私は気付いたのだった。私はいつのまにか怒ることを忘れていたらしかった。でも、嫌なことには嫌だと言わなければ伝わらない。事実ではないと思うのなら、それを明らかにしなければ何度も同じように自分が傷つくだけだ。


私はただ、物理と数学が好きなだけだった。機械や電気製品をかっこいいと思って、だから学びたいと思った。優秀ではなかったし、世界を変えてやろうという野望もなかった。男性にちやほやされたかったわけではなく、かといって手に職をつけたいと思っていたわけでもなかった。ただ好きだったのだ。

でも考えてみれば理系に進んだほとんどの男性は私と同じように、面白そうだとか、かっこいいとか、好きだからとか、自分に合っていそうだとか、そういう理由で進路を選んだに違いないのだ。私は彼らとなにも違うところはなく、ただ性別が違うだけだ。そして性別が違うのは、ことさらに口にするほどの特徴ではない。私は珍獣ではなく人間なのだった。

部長の言葉があるまで私はそれを忘れていた。ふっと心が楽になって、救われたような気持ちになった。距離感がよくわからないな、とか思っていてごめんなさい。でも肩を揉むのはやめて(その後やらなくなりました)。

同じ場所にとどまるためには、力の限り走らねばならぬ

なにかを好きになるのに属性は必要だろうか? ちょっと人と違うからといって、好きなことをするのにわかりのいい理由が必要とされるのはおかしくないだろうか? 「当たり前」でないからといって攻撃を甘んじて受け入れる必要はないし、その攻撃から身を守るために強くならなければならないなんて変だ。

だから、もっと、なんにでも、誰もが、気楽に、好きだとか楽しいからという理由で、物事を選んだっていいと思う。そしてその時に自分の変えられない属性をさしてあげつらうようなことを言われたり、「普通はこうだ」というような抑圧を受けたら、声を上げなければならない。傷つけられたら怒っていい。嫌だと思ったら、嫌だと言えばいいんだし、違うと思ったら、そうじゃないと言えばいい。私は人間なんだと、大きな声で堂々と言えばいいんだ。

この一件からなにか変わったかというと、残念ながらこれといった変化はない。あいかわらず腹を立てたり、あのとききっぱり言えばよかったと後悔したり、なんでこんな目に遭うんだと憤慨したりしている。

でも変化がないことはいいことだ。私はまだ心は折れていないし、仕事は楽しいと思っている。大きな野望はないが、そういう人間が生き残っていける環境になったのはたぶん大きな進歩だと思う。願わくばそのうち「理系女子」というラベルが必要なくなればいいし、たぶんそうなるだろう。

著者:斧田小夜id:wonodas

斧田小夜

様々なタイプのカメラ沼の中からフィルム以前にはまり込んでしまった人。湿板写真のための暗室を自宅に作ったほどのカメラバカ。ジャン=ジャック・ルソーに似ていると言われたことがある。
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Twitter:https://twitter.com/pigya

次回の更新は、12月6日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

*1:参照:文部科学省「学校基本調査」

*2:「理学部は頭がよさそうだからOK」という謎の譲歩を引き出し、理学部に行くと言いつつギリギリで成績を理由に工学部に進学した