モーニング娘。5期メンバーで、グループ卒業後は約6年にわたりテレビ東京のアナウンサーとして活躍した紺野あさ美さんに「休職」の経験について伺いました。
ストイックな性格や“元アイドル”のプレッシャー、心が折れてしまった失敗経験などから心身ともにボロボロになり、入社4年目で休職を選択。
3カ月の休職期間は紺野さんにとって、自分の性格や仕事に対する捉え方を見つめ直すために必要な期間だったと振り返ります。
アナウンサー目指し、大学進学。就活も“テレビ局1本”で
紺野あさ美さん(以下、紺野) はい。プロデューサーのつんく♂さんから「紺野は赤点だけれど、『努力するところを見てほしい』という本人の言葉を信じたい」という言葉をもらうほどの“劣等生”でした。
テレビで辻ちゃん(辻希美さん)や加護ちゃん(加護亜依さん)がキラキラと活躍しているのを見て、同い年のふたりへの憧れだけで目指した世界だったので、毎日同期や他のメンバーの足を引っ張っていて、落ち込むことばかりでしたね。
当時は立ち止まる暇もないくらい忙しくて、目の前の課題に対してゆっくり分析するのではなく、なんとか毎日しがみついて練習して、一つずつクリアしながら仕事に臨む日々でした。

同期メンバーは高橋愛さん、新垣里沙さん、小川麻琴さん
紺野 そうですね。モーニング娘。は卒業と加入を繰り返すグループなので、常に卒業後の進路について考える中で、子どもの頃にスポーツ大会の中継で選手に取材をするアナウンサーの姿に憧れていたことを思い出したんです。
自分にもアナウンサーになれるチャンスがあるのだとしたら、そのチャンスをつかむためには大学に行く必要があると考えて、進学を決断しました。
大学入学後は新たに学びたいテーマも見つかり意欲的に勉強していたのですが、根本にあったのは「しっかりと4年で卒業して、アナウンサーになりたい」という気持ちでしたね。
紺野 はい。さまざまなテレビ局を受けて、面接に進んだところもあれば、一次試験で不採用になってしまった局もありました。
もしキー局に受からなかったら東京を離れることも視野に入れて準キー局を目指そう、それでもだめだったらもう1年頑張ろうという思いで就活をしていました。

紺野さんのモーニング娘。卒業シングルとなった「Ambitious! 野心的でいいじゃん」
紺野 ひとつの目標として設定していたキー局に拾っていただけたのは本当にうれしく、とにかくホッとしたのを覚えています。
ですが、結果的に私が就職したのはモーニング娘。が生まれるきっかけとなった「ASAYAN」という番組を放送していたテレビ東京。「コネがあったから入れたんでしょ」という反応があるのは最初から覚悟していました。
就活はもちろん真正面から頑張ったのですが、これまでお世話になってきた局に入社するからにはどんな見られ方をしても仕方ないと思っていたので、ここからはアナウンサーとしての自分の頑張りでみなさんに納得してもらうしかないな、という気持ちでした。
練習を重ねても結果がついてこない日々。心身ともにボロボロに
紺野 そうですね。番組開始直後は収録とアナウンスの研修が並行して進んでいて、習いたての発声で頭がいっぱいでしたし、毎回ガチガチに緊張していました。それでも、新人アナウンサーふたりで番組を担当させてもらえるなんて幸せなことですから、まずはいただいた機会を生かして頑張らなくてはと思っていましたね。
ただ、練習を重ねても思ったように発声が上達しなくて。「スポーツ番組に携わること」を大きな目標としていたのですが、サブキャスターとして起用されたときも滑舌の悪さを練習量で補おうとしたらかえって声が枯れてしまったり……。うまくいかないなと葛藤することが続きました。
テレビ東京公式YouTubeチャンネル「テレ東公式 TV TOKYO」より
紺野 入社4年目のことでした。とあるスポーツの世界大会の中継という大舞台で、選手の方に大変失礼な質問をしてしまったんです。その経験が自分の中で、ひとつの大きな傷として残りました。
ただ心が折れた要因はほかにもいろいろあって、ひとつはやっぱり、視聴者の方から「元アイドルが浮ついた気持ちで仕事して」といった視線を感じることでした。アナウンス部の同僚はいい人ばかりで環境は恵まれている。だったらもっと頑張って練習して、アナウンサーとしての自分の技術を高めなければ、と思い詰めていました。
そんな日々の中で徐々に体重が落ちていき、心身ともにボロボロになってしまって。一度、休職という選択をとるしかないなと判断しました。
紺野 あとは私、冗談を全部真に受けてしまうタイプなので「飲み会」でのコミュニケーションがすごく苦手で、なかなか適応できなくて。
お酒の席で過去の芸能活動について聞かれることも多かったのですが、どう対応すればいいか分からなかったんです。
もちろん「飲み会」を通じて親交が深まることもありますし、ここ数年で「苦手な人は参加しなくてもいい」と社会の空気も少しずつ変わってきていますが、当時は「同期が頑張って二次会まで行っているのに自分だけ行かないのはよくないかな」と考えて無理をしてしまっていました。
紺野 今改めて当時を振り返ると「こんなはずじゃなかった」という悔しさと葛藤もあったのだと思います。
もともと勉強は苦手ではなく、頑張れば頑張るだけテストの点が上がるタイプだったし、アイドル時代もアナウンサーを目指していたときも「自分には能力がないけれど、やりたい気持ちを原動力にして努力すればもっと成長できる」と思っていたんです。
10代からずっと人に見られる仕事をしてきたからか「痩せる」ことも頑張っている証だと思い込んでしまっていた。
でも「しゃべる」ことに関しては、いくら練習や努力を重ねてもなかなか結果がついてこない。ひたすらに苦しかったです。
「次の目標」を手放したら、しっかり休むことができた
紺野 いろいろな人に迷惑をかけるだろうし、同僚や視聴者から「紺野、病んでるのかな」と心配されるかもしれない、というのは頭をよぎりました。
でも、恐る恐る当時のアナウンス部長に相談してみると、すんなりと「自分の体が一番大事だから、いまは休んだ方がいい」と言われ、そのままスムーズに各所に連絡してもらえたんです。
私は当時、ストレスから逆流性食道炎になってしまっていたんですが、人をよく見ている方だったので、私の体調の変化にも気づいていたのかもしれません。
紺野 終わりを決めず休職したので、最初はとにかく「何もしない日を過ごす」に専念していました。
家でひたすらゆっくりして、ときどきスーパーに行ってご飯をつくって、公園に散歩に行ったり、ひとりカラオケや銭湯に行ったり。気を許している友達数人に会うことはたまにあったけれど、基本的には家にいましたね。
アイドル時代もアナウンサーになってからも、常に「次の目標」に向かって走り続けるような忙しい日々だったので、正直、ちゃんと休めるか不安だったのですが……。いったん「次」を全て手放して休んでみると、本当に気持ちが休まって驚きました。

紺野 健康的な生活を続けていたら体は徐々に元気になっていきましたし、仲のいい友達とときどき電話をしたり会ったりすることで心も癒されていきました。
それまでは、アナウンサーという不特定多数の方に見られる仕事柄、見えない敵がたくさんいるような感覚に陥っていました。でも、その環境から一度離れて安心できる場所に身を置いたら、自分には数は多くないかもしれないけれど大事な友達や理解者がいるんだ、その人たちのためにも頑張りたい、という気持ちが自然と湧いてくるのを感じました。
同時に、徐々に何かしたいという思いも湧いてきて。私の場合はもともと野菜が好きだったこともあり野菜ソムリエの資格をとろうと思い立ち勉強を始めました。
あんなに心身ともに疲れ果てていたのに、ちゃんと休めば新たにやりたいことが見えてくるというのは、休職してみないと分からなかったことだと思います。
紺野 そうですね。 それまでは、もしかしたらもう同じ仕事には戻れないかもと思っていたのですが、次第に「復職したい」とも考えるようになり、上司に連絡をとって、休職から3カ月ほどたったタイミングで復帰することになりました。
自分としてはもっと長く休んでしまうかもと思っていたので、今振り返ると想像よりも短い期間だったな、と思います。
しゃべっていないと口はどんどんなまっていくので発声の練習も一から始めないといけないですし、レギュラー番組でも一度こちらの都合で離れた以上、担当には戻れないものもありました。でも「それでもいいからもう少し頑張ってみよう」と思えるようになっていました。
休職を経て「できない自分」を許せるようになった
紺野 「私はやっぱりアナウンサーという仕事がすごく好きなんだ」と改めて気づきました。
それまでは「どうして自分はできないことばかりなんだろう」とずっとモヤモヤしていたのですが、休職後はナレーション技術には秀でていないかもしれないけれど、取材を通じていろいろな方の思いを引き出し、伝えることは得意かもしれないと、「できない自分」や「今の自分にできること」を認められるようになりました。
それまでの失敗や葛藤に完全に折り合いがついたわけではないんですが、できないままのことがあっても、白か黒かではなくグレーくらいの感じでいてもいいのかな、と。

紺野 復職直後は「やっぱりしんどいかも」と感じる場面はゼロではなかったです。でも、休職前に比べるとはるかに楽になっていましたね。
休職中に自分の中でいろいろなことを咀嚼(そしゃく)できたせいか、以前よりも問題を重く受け止め過ぎずに受け流せるようになったように思います。一度休んだことによって「今日は体調が優れないので帰らせてもらいます」と周囲に言えるようになりましたし、飲み会はまあ行かなくてもいいか……と思えるようにもなりました。
紺野 それから、私はアナウンサーとして活動していく中で「“タレント気取り”と思われないように」という気持ちが強くて、「元アイドル」という経歴を表に出したくないと考えていたのですが、復職後はあまり抵抗がなくなりました。
自分の強みや個性のひとつとしてダンスや歌を求めてくださる方がいるのであれば、会社員としてそれに応えることもひとつの貢献の方法なのかなと。自分のできることを生かして頑張っていこう、と吹っ切れた部分もありました。
紺野 まず、いま休職を考えられている方は、ここに至るまできっといろいろな気持ちを抱えてこられたと思います。
やっぱり自分の人生ですから、自分を一番大事にするのは悪いことじゃないですし、ゆっくり自分を見つめ直す期間をとってみるのもひとつのいい選択だと思います。
私の場合は、もしあのまま無理に走り続けていたら、取り返しがつかないくらい体調を崩していたかもしれないし、自分の考え方やその後に出会う人も変わっていたかもしれないと感じています。
少なくとも私にとっては、あのとき一度、心身ともに休む期間が必要だったと感じています。
取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部
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