「休職」ではなく「退職」を選んで人生の仕切り直し。10カ月の空白期間で見つけた仕事との心地よい距離感


気にしやすい性格ゆえ心身の調子を崩し、「休職」ではなく「退職」を選んだKasumiさん。

「むやみに退職を勧めるわけではないけれど、私の場合は仕事や職場とすっぱり距離を取る必要があった」と話すKasumiさんに「疲れたら休んでもいいしどんな働き方をしても大丈夫」と思えるようになるまでの“10カ月の空白期間”を振り返っていただきました。

職場での評価=自分の全て、だと思っていた

自分だけが、いつまでも溶けない氷みたいだ。

職場にいる時、そんなふうに感じることがあった。もともと気にしやすい性格で、社会に出てからは「仕事」より「職場」に慣れようといつも必死だった。

人間関係で何か気になることがあると、それがささいなことでも大抵その日は眠れない。休日まで職場のことで頭がいっぱいになって、周りの人たちのようにプライベートを楽しむことができない。「気にしない」ができない自分のことを、駄目だと思っていた。

新卒で就いた金融機関の事務の仕事は、体育会系の社風で、先輩から指導される時の声色や空気、大きなお金を扱う緊張に耐えられず3年も続かなかった。そんな自分を変えたくて、心機一転違う業界へ転職し、営業の仕事にチャレンジしたりもしたけれど、性格を鍛えることはなかなかできなかった。

その後転職した会社は事務職で人間関係もよく、安定して働けるかもしれないという期待があったけれど、組織体制が変わったことを機にまた人間関係や仕事のプレッシャーに悩むようになった。

「あの発言で怒らせてしまったのではないか」「なぜ無視されたのだろうか」「明日はこれを大勢の前で発表しなければいけない」「頑張らなければ」

胃がきゅっと痛んだ日は、帰った後決まってお風呂の中で泣いた。仕事を続けて5年ほどたち、同期や私より後に入った人が昇進したりした。このままでいいのだろうかと、悩み続けた。

それでも職場になじめるよう頑張ったのは、正社員として経験を積み重ねる友人たちの姿もあり、自分も正社員でなければという思いを強く抱いていたからだ。仕事のことが常に頭を離れない自分にとっては、職場での評価や務めている企業名が自分自身のようなものだった。

周りから優等生だと思われることが何よりも大切だった私には、自分を縛る「こうでなければならない」というルールがいくつもあった

「仕事」から一度離れたい。休職ではなく退職を選択

「正社員のレールを外れたら終わり」という呪縛に囚われていた私は、ひとまず環境を変えるため別の部署に異動願いを出したが、兼務のような形になってしまい、帰りが遅くなる日が続いた。

半年ほどたつとだんだん朝の支度に時間がかかるようになり、玄関から動けず、上司に休みの連絡を入れる日もあった。私は私でも、私の意志はどこかに置いてきてしまった。そんな無気力な状態になっていった。

その状態がしばらく続いた、ある日曜の夕方。電車に揺られながら、私の頭の中は明日からまた始まる仕事のことでいっぱいだった。途方もなく陰る気持ちを抱えながら、ふと窓の外に目を向けると、拍子抜けするほど美しい夕焼けが広がっていた。

今はこの夕焼けを「きれい」だと思えるけれど、いつか何も感じなくなるかもしれない。それはすでにずっとモノクロのような毎日を過ごしていた自分にとって、一瞬現れたオレンジ色の警告のようなものだった。それが自分の状態に気づける最後のサインのような気がして、私はその翌日、上司に退職することを伝えた。

休職する選択肢もあったけれど、当時は精神的に選べなかった。仕事からも、働くということからもとにかく一度離れたいとしか考えられなくなっていたし、休職中は定期的に会社と連絡を取る必要があるので、自分の性格からすると本当の意味で休めないだろうと思った。

仮にいつか職場に復帰するとしても、休養後にまた会社の人たちと顔を合わせるという未来が、その時の自分には想像できなかった。


「あんなに自分を責める必要はなかった」退職から4カ月後の気付き

無職となり、金銭的な理由から実家に戻ることにした。

仕事もなく家に置いてもらうということが本当に情けなくて、当時は自己嫌悪でいっぱいだった。

当時の日記には「死ぬまで自分を食べさせ続けなきゃいけないと思うと、気が遠くなる。10年、20年と働き続けている人達は本当に偉いし神だと思う。私なんて、その半分で息切れしているのに」とつづっていた。

荷物整理や失業保険の手続き以外は動けず、心が「無」の状態で寝るしかできない日々が3カ月ほど続いた。食事もしたくないし、夜中は目が覚めてしまう。次の仕事探しに向けて行動する気力が湧かず、そんな状態への焦りも感じていた。

そんなふうに無職4カ月目を迎えた頃。化粧品を買いたいという母親と、一緒に買い物へ行くことになった。

ファンデーションが目的だったのに、店員さんと仲良く話しながら「たまにはいいよね」とパウダーやクリームまで買っていて、ノベルティのサンダルに大喜びしていた。その後はデパ地下の食品売り場で、色とりどりのお惣菜を見て「わ~目移りしちゃう、どれがいい?」と、目を輝かせていた。

そんな母の姿に、私はかつて自分自身をあんなふうに喜ばせたことがあっただろうか、と考えた

仕事で認められなければ、与えられる資格などない。もともと足りない自分は、頑張って当たり前。

そんなふうに、自分なりに努力してできるようになったことの一つひとつを、何もなかったことにしていなかっただろうか。毎日ただ一生懸命だった自分を、なぜあんなに責める必要があったのか。

もし私の大切な人が同じ状況だったとしたら、もっと優しい言葉をかけてあげられたはずだ。

そう気づいた時、かつて頑張っていた自分の後ろ姿が見えたような気がして、大人なのに恥ずかしくなるほどわんわん泣いてしまった。自分の中に溜まっていたものが、その時はじめて流れ出したような感覚だった。

10カ月の空白期間で「働く」が人生の最優先事項ではなくなった

そうして“空っぽ”になった私は、これまで自分を縛ってきたさまざまな「ルール」や「考え方」と向き合うことにした。

まずやったのは「気が向かないことは一切やめる」ということだった。

退職後、ブランクが空くのが怖くて「早く働き始めなければ」と考えていたけれど、転職活動はせず、代わりに自分とは違う価値観で生きている人の考え方に触れてみることにした。

「頑張らなくてもいい」「休んでもいい」というメッセージを発信している本やブログ、心理学や精神科医の方の動画などを探しては、得られた気づきを、自分のブログに記していく。

それはずっと閉じていたものが開いていくような、心から楽しいと思える時間だった。生活の中で「仕事」にどのぐらい比重を置いているかは本当に人それぞれで、自分に合った働き方で楽しく生きている人がいることも知った

そんな試みを数カ月続けていくうち、自分がマストだと思って生きてきた「ルール」が実はマストなんかではなく、自分が作っただけの固定観念だったと思えるようになった。

休んだら終わりだと思っていたけれど、社会復帰は自分の健康次第でどうにでもなるという考え方に変わっていった。

「周りの人にはできるのに、自分にはできないこと」の代わりに、「自分ができること」についても考えられるようになった。会議中に冴えた発言をしたり、自己プロデュースしたりするのはできないけど、じっくり考えたり、こつこつ作業したりできることが「私の個性」で、そんな個性に合わせた働き方を求める方が必要なんじゃないかと気づいた。

無職10カ月を迎える頃には、私の中で仕事はもう「最重要事項」ではなくなっていた。「働きたい」という気持ちが湧かないなら、どんな環境なら「働ける」と思えるかを考えればいい。思い浮かんだのは「会社への帰属意識を高めなくてよい」働き方だった。

正社員ではなく派遣の働き方なら、職場とうまく心の距離を保ちながら働けるかもしれない。また、オフィスではなく家で仕事ができたとしたら、周りを意識する必要もなく、こつこつ作業したい自分には合うかもしれない。

そんな選択肢が見つかり、とりあえず自分を壊さない範囲で働いてみようという思いで派遣会社へ登録し、フルリモートが可能な事務の仕事を始めることになった。

「仕事=自分」ではない。どんな働き方をしたっていい

初めての派遣、初めてのリモートワーク。仕事は忙しい日もあったけれど、何かあれば派遣会社に相談したり、気持ちの面で職場への帰属意識を高め過ぎずに働けることは大きかった

何かと気を使いがちな社内イベントも、参加を断る時の心理的負担が少ない。在宅だと、周りを気にせず疲れた時に好きなお茶を淹れたり音楽をかけたりと息抜きも手軽にでき、自分のペースでじっくり仕事に取り組むことができた。

終業後や休日は趣味のピアノを弾いたり、映画を観たり、ブログを書いたり。職場で認められるよりも、プライベートで心を震わせるような時間を純粋に楽しむために、これからも自分が楽になる考え方や働き方を選んでいきたいと感じることが増えた。

数年派遣で働いた後、金銭的な理由であらためて「在宅で働ける」「社内イベントの参加が強制でない」「ランチも自由に行ける」などを重視して仕事を探し、今は正社員の仕事をしている。社内イベントやランチもたまにはいいけれど、頻度が高かったり、参加必須という社風だと気疲れし、仕事や休日に影響してしまうからだ。

いつも自分の中にある軸は変わらない。雇用形態にかかわらず、どんな時も「帰属意識を持ち過ぎないこと」。うまくいかないことがあっても、「もともと一度リセットして何もないのだから、どうにでもなる」と思えるようになった

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私の場合は人生の転機に退職を選んだけれど、もちろん「休職」という選択肢だってある。

私もあの時、休職をしていたら。今はどこか別の部署で働いていて、以前のように廊下で誰かとすれ違って「お疲れさまです」と言い合える未来が待っていたのかな。

そう考えることもあるけれど、自分の場合は一度すっぱり仕事と距離を置いたことで、新しい軸を見つけられたのだろうとも思う。方法はどんなものでも、自分に合った休み方で心を取り戻す。それさえできれば、その先におのずと道は続いていくものなのだと知った。

休む期間はどうしても罪悪感や焦りがあるし、先々のことに目を向けがちになってしまうけれど、その日一日を自分がどんな体調で、どんな気持ちで過ごしたかに目を向けることもとても大事だというのが、私が無職期間で感じたことだ。その積み重ねから、次の働き方が見えてくることもある。

疲れたら休んでもいいし、どんな働き方でも大丈夫。最初から決まっていることなんて、ひとつもないのだから。そんな気持ちで、今日も自分の性格と付き合いながら働いている。

編集:はてな編集部

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著者:Kasumi

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1986年生まれ。ブロガー。はてなでブログを書いています。転職歴4回。週末は大抵、ひとりで映画を観て本を読んで、美味しい飲み物を飲み、何かしら書きながら夜更かししています。
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