モテたいと願った末に「ごめんなさい」と言う癖をやめた私|黒川アンネ

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誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、コラムニストの黒川アンネさんに寄稿いただきました。

幼い頃から、見た目や体型をからかわれることが多かったという黒川さん。それにより自信が持てず、自分に非のない場面でも、口癖のように「すみません」「ごめんなさい」を繰り返していたといいます。

しかし、ドイツ留学や知人からの一言をきっかけに、普段の口癖が自分自身の扱われ方にも影響を与えていることに気付いた黒川さんは、口癖を変えるためのさまざまな練習を開始します。

自身の口癖を見直したことにより、セルフイメージや他人とのコミュニケーションはどのように変化したのでしょうか。執筆いただきました。

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ともかく「ごめんなさい」が口癖だった

今年6月末に『失われたモテを求めて』(草思社)を刊行した。これは、2019年ごろから月1更新(……目標なのだけれど、私が怠惰なので不定期)で公開してきたコラムをまとめた本だ。連載時のタイトルは「モテ実践録」といい、文字通り、「モテたい」と願い続けて、デートやマッチングアプリなどさまざまなことに挑んだ2年半の記録が収められている。

帯には、編集者さんが書いてくれた本の要約のような文章が載っており、「31歳、年収300万円、小さい頃からずっと『学年で一番太った子』」と大きく書いてある。この文章に偽りはなく、私は小さい頃から、クラスで一番太った子ではなく、学年で一番太った子、学校で一番太った子だった。

『失われたモテを求めて』表紙写真
コロナ禍でのモテ奮闘記『失われたモテを求めて』草思社

中高生ごろから、私はすでに「モテたい!!!!!」と心から求め、誰かとのつながりを求めていたが、その一方で、小さな頃からの体型に起因するいじめやからかいにより、自分に自信が全く持てなかった。相手と接するときには、いつも「私は同じ立場でいてはいけない、(私なんかといてくれるような)相手に対して配慮しなければいけない」というような気持ちでいた。

なので「好意を向けられている?」と感じることがあっても、相手に申し訳ないと一人で勝手に結論を出しては逃げていた。友人関係でも、知らない人との間でも、見た目の悪い私がその場にいることだけで周囲に嫌な気持ちを与えていると信じ込んでいたのだ

その結果、私は自分が悪いときだけでなく、口癖のように「ごめんなさい」「すみません」を繰り返すようになった。それは、私が場所を占め、そこに入れてもらっていることに対して申し訳ないという気持ちや、別の人の視界に入ることで相手に嫌な気持ちをさせるであろうという思い込み、さらには、謝ることで私の存在を認めてほしいという気持ちが重なった上でのものだった。

例えば、ドアを開けておいてもらったら「ごめんなさい」、褒めてもらったら相手に気を使わせたと思い「ごめんなさい」、何かを教えてもらったら相手をわずらわせたと思い「ごめんなさい」。大学生のときには、たまたまいた駅で人命救助をすることになったのだが、こんな私が他人の人生に決定的に介入してしまったと、ものすごく怖い気持ちになって、やっぱり謝った。ともかく、私は謝り続け、モテもしないまま20代に突入した。

知人からの一言「内側からブスになるよ」

大学4年生が終わろうとしている2月、ゼミの同期が南国へと卒業旅行に繰り出すのと同時期に、私は就職も決まらぬまま交換留学先のドイツへと出発した。大学3年生から1年以上、100社以上も試験・面接を受け続け、「内定がある場合はお電話します」と言われた最終面接後の期日に電話が鳴らないこと複数回。パンプスのかかとと心をすり減らし、私は「選ばれたい」と希求して、しかし内定は1社も出ないまま4年生の夏を迎えていた。

そのうちに、定員が割れているドイツの協定校であれば、学内の面接さえ通れば奨学金付きで交換留学に行けるよと耳にした。同じように内定が出ず、就活留年を決める友人を見て「私も留年した方がよいのではないか」と悩みながらも、長年の夢だった留学がこのタイミングで可能になるかもしれないと、急ごしらえで応募書類を揃えた。

結果、成績のスコアや語学力の水準が明らかに足りていなかったものの、当時の教授たちの温情で(当時の私の想像だと、「まあ誰も行かないよりは」という配慮で)交換留学に合格することができたのだ。

それまでドイツには一度も行ったことがなく、合格が決まってから必死に語学を勉強したけれど、ドイツ語は動詞が2番目に来るという初歩的なことすら、4年生の冬学期に初めて知った有様だ。結局現地に着いた頃には、ほぼ一言も話せない・聞き取れないままだった。

しかしだんだんに友人も増え、半年ほどたった頃には語学の試験にも合格し、日常会話に支障がないレベルまでにドイツ語が話せるようになった(ちなみに1年間の留学から戻ってから、東京でミュンヘンの劇団の人たちと会う機会があったのだが、私が話しているのがバイエルン方言の訛りだと、とても驚かれた。確かに留学中のドイツ人の友人たちはバイエルン出身者が多かったと思う)。

ただ、難しい単語や文法は分からなくても、発音はとてもきれいだと褒められることが多かった一方で、ドイツ人の友人からは「あなたがドイツ語母語話者じゃないと、すぐわかる。ドイツ人は決して謝らないのに、あなたはすぐ謝ってしまうでしょ? 謝っちゃだめだよ」と言われることがあった。

確かに、ドイツ語の授業でクレームの手紙を書く問題が多く出るほどに、ドイツでは自分の権利や扱いについて自分で主張しなければ、ひどい扱いをされても納得していると理解されてしまう。

そのような社会では、日本で私が知らず知らずに想定していたような、謝ることでむしろ自分が認められるようなシチュエーションは絶対に起こり得ない。むしろ、謝ることでどんどん自分を下の方へ下の方へといざなって、気がついたときには雑な扱いが固定化され、身動きができなくなるのだと、その頃初めて気がついた。

私は、自分がどうしたいのか、どう思うのかを少しずつ口に出すようになり、ドイツ語の会話の中で「ごめんなさい」と言う頻度は少しずつ減っていった。

同時期、以前に知人から言われた一言を何度も思い出すようになった。当時も、私は「モテたい! けど、誰にも相手にされない」と常にぼやいていたのだが、知人はそれは見た目の問題ではなく、「謝ってばかりだと内側からブスになるよ」と、その方がずっと問題だと言ってきたのだ。言われた当時、私はやっぱり「ごめんなさい」と返した気がする。

「ごめんなさい」の代わりに「ありがとう」を言う

帰国後も、謝ってばかりいると相応の扱いを向けられるようになると気付いた私は、まずは褒められたときに「(気を使わせて)ごめん」でなく「ありがとう」と返す練習を始めるようになった。長年身に付いてきた習慣なので、どうしてもとっさに「ご…」と口に出てしまう。そんなときは、ぐっと時間をおいて、時には息を吸ってから、ニコッと「ありがとう」と言うように心がけた。

その練習は、友人同士よりも、例えば美容室とか、洋服店とか、そういった場所の方が私には向いているようだった。その頃からお風呂で毛染めをするのが面倒になり、定期的に美容院に通うようになっていた。美容院は、あまり親しくない人と長時間適度に会話をすることになるので、私にとって、会話の練習としては一番の場所だと思っている。

というのも、美容師さんや洋服店の店員さんなどは、私がどんな人間なのか知らない部分が多いからだ。そこでは、相手から見た自分が一から作られる

友人同士だと、さまざまなやりとりが蓄積していて、なかなか自分が当てはめられた役割や性格から逃れることはできないけれども、美容院や洋服店などで、自分が必ずしも「ごめんなさい」を前提としなくてよい人間なのだという実感のようなものを積み重ねることは、私にとってよい練習となった

そのうち、以前だったら「また気を使わせてしまった」とすぐに謝っていたのが、自然に「ありがとうございます」と言えるようになった。そこで、「ああ、申し訳ない」とは思わなくなった。向こうも「ありがとう」と言われるとうれしそうであるし、こちらもほんの少しだけ良い気持ちになる。

黒川アンネさん記事中写真

たまーに、男性と二人で食事に行ったり会話したりするような機会が生じても、以前の私であれば、日程を調整する中で「(こんな私のために時間を作ってくれて)ごめんなさい」、食事の場でビールを注いでもらっても「ごめんなさい」と口にしていた気がするが、そういった場でも「ごめんなさい」と反射のように言わないことで、自分でも余裕が出てきていると感じるようになった。

帰国後は震災の影響があり、大学から推薦をもらっていた就職先も採用が取りやめとなってしまったため、「だったら院においで」と言ってくれた先生のところに進学することにした。

院生の頃は、試食販売のアルバイトをしていたが、そこではその度に知らないスーパーに派遣されるので、そのスーパーごとのルールや人間関係に苦労することも多かった。それでもルールを指摘されたら謝るのではなく、大きな声で「ありがとうございます!」と言うと、断然仕事がしやすくなった。

さらに、大学院を出てから就職した最初の出版社では、書店へ営業に行くこともあった。そのときには、忙しさ故に来たことを怒られるような場合があっても、「ごめんなさい」と謝るのではなく「ご対応くださりありがとうございます」と口に出すことで、こちらの所作にも余裕が出て、相手も丁寧に応対してくれるようになったこともあった。

私は、相手から人間として配慮され、大事にされ、良いところがあれば褒めてもらうことを、ある種、当然であり前提だと思うようになった。それは膨れ上がった自尊心によるふんぞり返るような態度ではなく、相手から尊重される分、私も同じ高さの場所に立って、相手のことを大事にしたいと思う気持ちであった。

自分を尊重することが相手の尊重につながっている

と、偉そうなことを言っても「ごめんなさい」と言ってしまう癖から完全に脱却できたわけではない。今でもとっさに、「ごめんなさい」などのワードを発して、自分を下げることで相手とのコミュニケーションを円滑に進めたい〜!と思ってしまうことはある。

そんなとき、相手と対等な関係を維持するために、私にとってはファッションがとても大きな役目を果たしている。自分が好きと思える服装やアクセサリーを身に着けると、自然と自分への扱いも丁寧になり、私は大事にされるべき人間だと思うことができる。また、身に着けるものが私の鎧となり、応援団となり、「私を軽んじた扱いは許さない」のだと、強さを外面から補強できたような気持ちにもなる。

また、さまざまな練習や工夫を繰り返しているうち、長年、さまざまなエピソードが積み重なり構築された友人関係よりも、知らない人との間での自分の態度の方が、のちに思い出すときに、セルフイメージに影響を及ぼすことに気付いた。

友人関係の中で何か気になるようなことが起こっても、それぞれが千差万別の関係性なので、仕方ないと流せることもあるし、別の友人関係の中でそれが再現されるとは思わない。しかし、自分と関係性が薄い人からされた仕打ちや、それに対して自分がとっさに示してしまった態度は、「私は謝って当然の人間だ。そう扱われるのが当然だ」と、普遍化して考えてしまうのだ

例えば、駅であからさまにぶつかられたときに、とっさに「ごめんなさい」と言ってしまうなど、むやみに自分を下げて見せてしまって、それが当然と扱われることが起これば、別の知らない人との間でも永遠にそうなってしまうかのように感じてしまう

確かに駅のトラブルから刺されるような事件もあるし、揉めごとを回避するのは絶対必要だ。それでも、少なくとも「ごめんなさい」とは言ってしまいたくない。

とある友人は、駅でぶつかられることを想定して舌打ちを練習したと言っていたが、私はのんびりとしていて、とっさに舌打ちを繰り出すことは練習してもたぶんできない。それに、舌打ちをしたところで、やっぱり相手と同じ土俵に立つことに嫌な気持ちになってしまうと思うので、少なくとも、ぶつかられた場合にはぐっと黙っているように、これも心がけている。

今振り返れば、私があらゆる瞬間に「ごめんなさい」とやたらめったら謝っていた頃は、他人とのコミュニケーションを面倒がって、自分さえ我慢すればいいんだと、かえって謎の「上から目線」でいたのだと思う。私がへりくだってさえいれば、相手は私が思うようにスムーズに動いてくれるだろう、私を傷つけるようなことは言ったりしないだろうと。

でも、相手も一人の人間で、その人にも考えていることがしっかりとある。本当は私が長年続けてきた謎の上から目線ではなく、私がどう思っているのか、相手が何を伝えたいのか、しっかり話せばよかったと思う。そのためにはまず、自分を当然に尊重されるべき存在だと思うことが必要で、自分を信じることができれば相手のことも尊重でき、心から安心してコミュニケーションを楽しむことができるのだろう。

最近は、モテも、きっとそんな上から目線なしのコミュニケーションの延長線上にあるのではないか、という気がしている。本当に必要なときは、優位に立とうとするのではなく素直に謝り、あるいは簡単に謝って済ますのではなく、同じ立ち位置で相手としっかり会話する。そんな関係性が自分にやってくることを願っているような今日この頃なのだ。

編集:はてな編集部

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著者:黒川アンネ

黒川アンネさんプロフィール写真

編集者、翻訳者、コラムニスト。1987年生まれ。一橋大学社会学部在学中にドイツに派遣留学。一橋大学大学院言語社会研究科修士課程修了。現在は都内の出版社勤務。著書に『失われたモテを求めて』。

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