「お世話になっております」をやめてみた|しまだあや

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メール冒頭でよく書く「お世話になっております」をやめた

誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、2010年から「HELLOlife」で教育・就活分野のソーシャルデザインに取り組んだのち、現在は作家活動を中心に、企画やデザイン、司会業などさまざまな領域で活動するしまだあやさんに寄稿いただきました。

しまださんがやめたことは、メールの定型文でよく見る「お世話になっております」という書き出しをやめたこと。

元々メールの返事が苦手だったというしまださんは、司会進行の業務の経験をきっかけに「お世話になっております」を封印する試みを始めたのだそう。メールの“第一声”を変えたことで、しまださんの働き方にどんな影響があったのでしょうか。

***

私はある日、「お世話になっております」と書くのをやめた。

メールでやりとりするとき冒頭にある、あの「お世話になっております」のこと。

お世話になっておりますの書き出し

お世話になっております、△△の島田です。

本日は弊社までご足労いただきまして、ありがとうございました。

お打合せで配布した資料をPDFデータでもお送り致します。
ご関係者の皆様へ展開いただけますと幸いです。

引き続き、どうぞよろしくお願い申し上げます。


うん、どこも悪くない。むしろシンプルでわかりやすく、我ながら丁寧なメールだと思う。全く問題ない。

でも、この問題がないはずのメールの「お世話になっております」を(ほぼ)封印したら、私は仕事のミスが減り、自分に自信がついた。今日はそんな話を書こうと思う。

書くのは好きなのに、メールは苦手

私は文章を書くのが好き。

でも、メールの返事が苦手だった。

「でも」と逆接でつないだけれど、本当は順接。文章を書くのが好き。「だから」、メールの返事が苦手だった。伝えたいことをパッと送ればいいものを、どう書けばいいのかこだわってしまい、1通のメールに何時間もかけてしまうことがあった。

特に仕事のメール。自分が言いたいことをビジネス口調に変換するのは、とっても時間がかかった。言葉をまだまだ知らないから……というのもあったけど。送信前に何度見返しても、自分が書いたものじゃないような。ときには書かれていることがウソのようにも見えた。送信ボタンを押すのが、ちょっとこわかった。


逆もあった。


5年以上の付き合いがある、仕事仲間のNさん。会議も電話もすごくNさんなのに、メールになったとたん、Nさんじゃないように感じる。「CC」にいろんな人が入っているし、会社として残るものだから、そりゃそうだ。それがふつう。でも、メールだとなんとなくNさんが遠くて、知らない人みたいになる。そして、私も知らない人みたいに返してた。


「メール1通15分、会話なら15秒なのにな」
「喋ったほうが、表情が見えてやりやすいな」

私は、メールに向き合わず、なんでもかんでも電話で済ませるようになった。近場の人なら直接話しにいった。文字より距離が縮まる気がしたし、会話だとすぐに返答が返ってくる。言葉自体の情報だけじゃなくて、声色や間合いで雰囲気がわかる。

たぶん、それだけだったら、まだ問題なかった。会話に切り替え、仕事の進みが早くなっていることで、私は自信過剰になっていた。この調子ならひとりでもいけるな、と単独行動をしはじめた。ひとりのほうが、日程調整も意思決定も楽だった。

会議に行ったはずなのに、5分後に戻ってくる

少し話は逸れるが、私はいろんなところに興味がいってしまい、気づいたら「あれ、何するつもりだったっけ」となることがある。そのくせ、一度集中すると、周りが全く見えなくなるタイプだった。

この忘れっぽさは時折、度を超えていた。

ある日、自社内で会議があった。予定の通知は、Googleカレンダーを使って、1時間前、30分間、15分前、5分前……と、こまめに入れていた。5分前の通知で「あ、トイレ行っておこう」と席を立つ。手を洗っていると、ふと、仕事のいいアイデアが浮かぶ。席に戻って一目散にパソコンを開き、カタカタやりはじめる。

「あれ、先輩?会議なくなったんですか?」
「えっ、あっ??」

という具合。やばすぎる。

でも、幸い職場の人々に恵まれた私は、そうやって「あれ、先輩?」と声をかけてもらいながら働けていた。

ミスコミュニケーションのオンパレード

ある時、プライベートで気を病むことが続き、この「忘れっぽい」というウィークポイントが猛威を奮っていた。

たとえば、

A・B・Cの合意を確認するとき、AとBしか話してないのに、Cの許可も取った気分になっていたり。相手が、また都度進捗を聞かせてくれるものだろうと思い「この感じで進めてください」と言ったものを「OKをもらった!」と勘違いしたり。

抜け漏れ、認識違い、言った言わない問題。

ミスコミュニケーションのオンパレードが続いた。

後輩たちがカバーする上で、私を含めて誰ひとり、事の真相や全体像を辿れなかった。

ひとりで動いてしまっていたし、会話は記録に残らないからだ。みんなにたくさん迷惑をかけ、ついにオーバーヒート。会議中、突然、みんなの声が宇宙の言葉みたいに聞こえはじめた。何も聞き取れなくて、自分の口から言葉も出なくなった。何か言われたわけでもないのに、急にぼろぼろと泣きはじめてしまった。


記録に残るメールだったら、防げたかもしれない。「CC」のあるメールだったら、防げたかもしれない。感情にワンクッションおけるメールだったら、防げたかもしれない。

……いや、これはメール以前の問題かな。プライベートでのメンタルブレイクと、「早いほうが楽だ」「ひとりでいけるだろう」「やっちゃえ」そういう私の過信と横着さが、大元の原因だったと思う。

少しおやすみをもらった後、会社のみんなと相談し、私が動く上でのルールがひとつだけできた。

「ぜったいにぜったいに、ひとりにならないこと」。

会話でも、メールでも。


本調子に戻るまでは、どんな短い会議でも、後輩が「一緒に行きますよ」と来てくれた。電話も、同僚が「どうだった?」と振り返りをしてくれた。会社によっては新人にもしないことを、してもらっていた。そしてもちろん、メールでも記録を残すようにし、必ずCCを入れた。当たり前のことだけれど、私はそれができていなかった。

タスク管理ツールやリマインドアプリ、専用の掲示板やふせん。いろいろ活用してみたけれど、なにより「人に頼る」が一番必要だった。本当に、人に、支えられた。

仲間と一緒にいる様子

司会の仕事で気づいた、「第一声」の大切さ

喋ることでつまずいた私は、
喋ることでの挽回もしたかった。

たとえば、イベントで司会進行が要るときは、必ず手を挙げた。会社説明会だったり、トークイベントだったり、学生向けのワークショップだったり。昔、演劇やナレーションのバイトをやっていたこともあり、司会については、どんなときでも褒められることが多かった。褒められると、やっぱり調子が戻っていく。

プライベートが落ち着き、仕事の具合もさらによくなってきたある日、後輩が司会に挑戦するとのことで、アドバイスを求められた。いくつか伝える中で「第一声が大事」という話をした。イベントがはじまった瞬間の、最初のあいさつのこと。

「大変お待たせいたしました。只今より〜〜を開催いたします」
「みなさんこんにちはー!〜〜へ、ようこそ!!」
「えっと、そろそろかな。はい、じゃあ〜〜をはじめたいと思います。」

どんな言葉を、どんな温度で言うのかで、イベントの空気感やお客さんの佇まいが決まるぐらい、第一声は大事だよ、という話だった。過去に、私がおとなしくスタートしてしまったばかりに、私も登壇者もずっと静かで、いまいち盛り上がりに欠けてしまったことがあったよ、という話もした。



後輩に話しながら、ふと気づいた。

第一声で色が決まるのは、メールも同じなんじゃないか。メールの一言目はいつも「お世話になっております」だ。これをやめてみたら、どうなるんだろう。

こうして、実験的に、

「お世話になっております封印運動」が私の中ではじまった。

「お世話になっております」をやめてみた

まずは、付き合いのある人とのメールで、「お世話になっております」をやめてみた。

今まで「お世話になっております、◯◯の島田です」と書いていた部分、なんて書き出そう……司会をしているときの自分を思い出す。「みなさん、こんにちは」と言っている。

「◯◯さん、こんにちは。△△の島田です。」

小学生みたいな話だけど、朝だったら「おはようございます」、夜だったら「こんばんは」と打った。そうすると、画面の文字が、自分の声で脳内再生された。そのあとの言葉が、するすると打てた。

◯◯様

こんばんは、△△の島田です。
今日は、◯◯まで足を運んでくださり、ありがとうございました。

打合せでお配りした資料、PDFデータでもお送りしますね。
みなさんにもお渡しいただけると嬉しいです。

これからもどうぞ、よろしくお願いいたします!

島田彩


ウソみたいな話、メールの作成時間が、うんと短くなった。そしてなぜか、相手からの返信も早かったし、その人の声で再生された。

丁寧さは忘れずに、でも喋るときと同じように書いた。たまに、ちょっとした労いの言葉や、雑談も交えたり。送る文字にも届く文字にも、声色や表情がつき始めて、相手の顔がよく見えるようになった。とっても楽しくて、メールでやりとりするのが憂鬱じゃなくなった。

そしたら、抜け漏れが減った。認識違いも減った。

気づいたら、メールをとても褒められるようになっていた。社内でも、重要度の高いメールの添削を担うようになったり、仕上がったメールが「ラブレター」と呼ばれたり。「今度、セミナーで『心を動かすメールの書き方』をやってもらえないですか」と、相談もされた。とっても嬉しくて、メールが自分の特技になっていった。

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自分と相手らしい、言葉を使ってもいい

私はメールで「お世話になっております」と書くのをやめた。すると、仕事のミスが減った。

褒められることが増えて、コミュニケーションが楽しくなった。
自分に自信がついてくると、もっと言葉を学ぼうと思った。
伝え方に変化を持たせることの、豊かさと楽しさに気づいた。
私の場合の、たまたまのきっかけかもしれない。けれど、とにかくいろんなことが、うまく動き出した。


ただ、「お世話になっております」は、いつもいろいろと良くしてくださりありがとうございます、という意味の、とても素敵な感謝の言葉だ。「この人には『お世話になっております』が一番いいな」と心から思ったときには、もちろん書く。その代わり、そのあとの文章に、たまには情報だけじゃなくて情緒を添えて、楽しんでいる。

伝え方も、「ご足労いただき」より「足を運んでくださり」ぐらいが私らしいし、もっと親しい人には「事務所まで来てくださり、ありがとうございます! 次はこちらから伺いますね」にしたり。相手に来てもらうときだったら「明日は夕方まで雨模様です、どうぞお気をつけて」と添えてみたり。思い切って「出張先で手に入れたお菓子があるので、おいしいお茶を淹れて、お待ちしております!」と書いたときは、ドアをあけるなりニコニコされた。もちろん会議も、スムーズに進んだ。そんな具合で。


そして私は今、文章を書くお仕事をしている。語彙力も表現力もまだまだだけど、「お世話になっております」をやめてみた日と変わらず、自分の素直な言葉に、できるだけ耳をすまして、書いている。

その調子で、せっかくなので、

最後はみなさんにメールを書いて終わろうかなあ、と思う。


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こんにちは、島田彩です。
今日は「お世話になっておりますをやめてみた」を読んでくださり、
ありがとうございました。

私の場合は、たまたまできて、良いきっかけになったけれど、
「お世話になっております」をやめることは、実際のところ、
職歴や業種だったり、会社の方針によっても、
できる・できない、向いている・向いていないがあるもの。

ただ、時間や気持ちに少し余裕があるときは、
いつも反射的に打ってしまう決まり言葉ではなく、
自分らしい、または相手らしい伝え方かどうかを
大切にしてもいいなあ、と思っています。
よかったら、試してみてください。

それでは、また会う日まで、どうぞお元気で!


島田彩

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著者:しまだあや

しまだあや

エッセイや脚本などを書く作家活動を中心に、企画やデザイン、司会業など。2010年から「HELLOlife」、2020年6月に独立。代表作品に「今週末の日曜日、ユニクロで白T買って泣く」、「7日後に死ぬカニ」、「小学1年生ぶりに、父の前で真っ裸になった話」、「日常を3日間タイムループさせたら、74歳に娘ができた」。大阪生まれ、奈良暮らし。気まぐれで借りた家が広すぎて、寝室以外を開放中。
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編集/はてな編集部