共働きの家事育児分担で不満をためないコツは?夫婦がしんどくならないためのコミュニケーション

共働きの家事育児分担で不満をためないコツは?夫婦がしんどくならないためのコミュニケーション

「家事・育児分担をスムーズにするための、夫婦間コミュニケーションのヒント」について、マンガ家・水谷さるころさんにつづっていただきました。

多様性が浸透する中でも、無意識のうちに「妻だから」「夫だから」といった性別による“役割”に捉われてしまうことは少なくありません。水谷さんも初婚時、性役割の意識によってつらい思いをし、離婚を経験したそう。

夫婦といえども価値観の違いがある中、お互いが不満をためないために大切なのは「自分の中の思い込みを手放すこと」と「互いの価値観を開示し合うこと」だと語ります。

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マンガ家・イラストレーターの水谷さるころです。30歳で結婚して33歳で離婚し、その後、自身の結婚観を見直した経験から、最近は「日常、結婚生活」を主なテーマにエッセイを描いています。

私は「働く父と専業主婦の母」の元で育ち、以前は「家のことは女性が中心に担うもの」という価値観を無自覚に踏襲していました。初婚では、共働きでありながらそういった価値観を自分に当てはめようとしたためにうまくいかず、離婚を経験。その後、同じく離婚歴のある夫と事実婚を選択。お互いに以前の結婚での反省を生かして家事や育児に取り組み、10年ほどたった現在も一緒に小学3年生の息子を育てています。

今回は、私も夫も互いに不満をためないためにどのようにコミュニケーションを取り、家事や育児を分担してきたのかについて、お話ししたいと思います。

離婚の反省をふまえ、従来の価値観に捉われない「家事分担」を目指した

わが家は共働きで、家計は割り勘です。家事は、夫が炊事全般を、私がそれ以外の掃除洗濯などを担当することで分担。現在は夫婦そろって在宅ワークなので、私はほとんど毎日3食、夫が用意してくれた食事を食べています。

こういう話をすると同性から「食事を用意しなくていいなんて、うらやましい……!」とよく言われるのですが、こうなった背景には、初婚での「反省」がありました。

初婚時も今と同じく共働きでしたが、私は自分の仕事をしながら、家事のほとんどを一人でこなす毎日。料理は元夫の好きなものを毎日作り、私が夜出かける時は、夫の食事を用意して冷蔵庫に入れていきました。無自覚に「そうするもの」だと信じていたからです。

最初は「結婚」への憧れもあってそんな生活も楽しかったのですが、私が仕事と家事を頑張れば頑張るほど、私がやるのが当たり前の状態になっていきました。そうするうち、お互いが思う責任の範囲、やるべきことなどがどんどんすれ違うようになり、やがて離婚。

現パートナーの夫とはもともと仕事仲間で、このような「どうして結婚生活を失敗してしまったのか」という原因をお互いに話し合う「結婚反省会」をきっかけに仲良くなりました。そういった経緯もあり、再婚にあたっては「今度はこうしたい」とよく話し合ってから共同生活をスタートしたのです。

再婚して10年。その間には2人の意見がぶつかってしまうことも多々ありましたが、試行錯誤を重ねた結果、次のような視点を大切に考えるようになりました。

・「女(妻)だから、男(夫)だから、これは自分がやらなければ」という思い込みを手放す

・相手に家事などのタスクを任せるときは「ここまでのレベルに仕上げるべき」と自分だけで勝手に決めずに、お互いにとって快適な状態を目指す

・相手が自分の価値観に寄り添ってくれたら「感謝」を忘れない

・不満がある場合は、ためる前に相手に「開示」。互いの価値観を尊重しながら、双方が納得できる答えを探す


ここからは、上記をふまえて具体的にどのようにコミュニケーションしているのかを紹介していきます。

しんどくならないために「やらなければ」という思い込みを手放す

わが家では、家事を「やる気がある方がやる」という方針で分担しています(もちろん、片方に負担が偏るなどして不満を持つことがないように、という前提です)。

私は初婚時こそ「一汁三菜の食事が必要」と思い込んでいたものの、もともとは食に関心がなく、料理のモチベーションも低い方。離婚後の一人だった時期は、何を食べるか考えるのも億劫(おっくう)になり、何も作れなくなってしまいました。

一方、現夫はもともと「家事は主に女性がするもの」といった思い込みがなく「やれる方がやればいい」というタイプ。彼は以前の結婚生活で「夫としての役割」を期待されていたことが不満だったようで「夫が炊事をしたっていい。それに男だからといってリーダー的な責任を負わされたくない。再婚後はフェアにやりたい」という意見でした。

夫と付き合い始めた頃、カップ麺ばかり食べていた私を心配して、彼が食事を作ってくれるようになりました。そんな流れでわが家では「炊事」が夫の役割となり、逆に夫があまりこだわらない「掃除」が自然と私の担当になったのです。

「やるべき」という思い込みを手放す棚卸し作業

離婚を経験しなければ、私は「食事を作る妻の役割」へのこだわりをなくすことはできなかったかもしれません。自分を追い詰めていた大きな原因は、「妻の自分がやるべき」という思い込みを手放せずにいたことでした。

離婚後の私には「誰かが私のために食事を作ってくれる、世話をしてくれる」という状況が心に深く染みました。そこで気付いたのは、相手に尽くすのが当たり前だと思っていたけど、実際は一方的に相手の世話をするだけの生活はつらく、私もケアをされたかったんだ……ということ。家事分担の方針を見直してから、精神的にもすごく楽になったと感じます。

相手にタスクを任せるのであれば「理想のレベル」は設定しない

夫婦間の家事育児分担でもう一つ痛感したのが「このタスクはここまでのレベルに仕上げることが必要だ」と設定しているのが自分である限り、それを人に受け渡すのは難しいということです。

例えばわが家では、夫がキッチンの主になって数年たった頃、私がキッチンを片付けた際に夫から「物の場所が元通りになっていない」と小言を言われることが増えました。でも私は夫ではないので、夫の考える最善の利便性を同じように考えることはできません。

自身も初婚時は元夫に対して同じような不満を抱いていましたが、怒られる側に立ってみて初めて「自分で判断して決めたわけではないルールを完璧に覚えるのは難しい」と気が付いたのです。

自分のテリトリーにおいて自分のルールで運用するということは、相手に頼めることが「お手伝い」の範囲に限られてしまうということ。そこで夫と話し合い、道具の配置をざっくりとでも覚えておけば戻せるような配置に変えてもらいました。

夫が素直に私の意見を聞いてくれたのは、夫も過去、キッチンを取り仕切る元妻から、何かと小言を言われる体験をしていたことが大きかったです。お互いが以前の結婚生活で逆の立場を体験していたことで相手の気持ちを理解しやすく、お互いにとって納得のいく解決策を見出すことにつながりました。

結局、家事を分担し共同で家庭内のタスクを回すにあたっては、「誰が何をやるか」より、「誰がタスクのルールと達成レベルを判断するか」の方が重要なのだと思います。そのため、わが家では「ダメ出ししない」「お願いをして、やってくれたら感謝する」というルールを決めました。

「私は毎日掃除機をかけたいけど、夫は毎日じゃなくてもいいと思っている」
「私は毎日同じ食事メニューでもいいけれど、夫は毎日同じだと嫌がる」

といった具合に、「ここまでやればいい」という価値観が夫婦間で異なるケースはよくあります。価値観と判断が2人の間でズレている限り「あなたはやっていない/できていない」と「私はやっている/できている」の話し合いはすれ違うばかりでしょう。

2人の価値観が違うとき、わが家では「あなたはそうなんだね、じゃあどうしようか」と話し合うようにしています。お互いに譲れるところは譲り、相手が合わせてくれたときは感謝することで「お互いにとって快適な状態」を2人で作るためです。

例えば夫が「濡れた洗濯物を、洗濯かごに他の洗濯物と一緒に入れた」とき。「他の洗濯物もカビたり臭くなったりしちゃうじゃん!」と怒りが湧くのをグっとこらえて「他の洗濯物もカビたり臭くなったりするかもしれないから、濡れた洗濯物は別にしておいてほしい」と伝えます。

そもそも彼には「カビるかも」とか「臭くなるかも」という想定がなかったり、仮にそうなったとしてもあまり気にしないかもしれません。

そんな相手に正当性を主張してもうまくいかないので、落ち着いて起こりうる不利益を伝え、「○○しないとダメでしょ」ではなく「○○してほしい」と自分の希望を伝える。結構難しいのですが、「ダメ出しせず、お願いする」のは相手の価値観を尊重することなので頑張ってやろうと決めています。

不満が出たら、ためる前に開示。互いの価値観を尊重することを忘れない

2人の生活においては、「家事を完璧にこなす」ことよりも「別々の人間が快適に暮らす」ことの方が大事だと感じています。そのためにわが家で重視しているのが、夫婦でお互い「自分はこういう状態が居心地がよい」と開示し合うこと。

不満はためずになるべく早く相手に開示し、理解できれば寄り添う。もし、お互いがどうしても理解できないなら「相手はそういう価値観なのだ」と諦める。相手が「変わる」と期待することを諦めたとしても、それが自分たちが出した答えなら納得ができる。

もちろん、その話し合いは非常に労力がかかります。でも、お互いが理解し合うことができればその後の生活はぐっと楽になります。

私たちが話し合いにコストをかけるのは、そうしないと、また「離婚」をすることになってしまうと思っているからです。結婚生活はメンテナンスなしには維持できないと痛感しているので、頑張ってやっています。

夫婦での価値観の擦り合わせ

夫婦でのコミュニケーションを重ねた結果、わが家は「不満をためない」「尊重し合う」「理想を共有する」といったところまではできるようになりました。

でも、実際にはまだまだ足りないことばかりだと感じます。

例えば、子どものケアについて。私は「生活のケア」のほか「感情のケア」も育児のタスクだと思っているのですが、夫はあまりそうは思っていないようでした。

私は子どもから親に対して「なんでも聞いてくれる」という信頼がなければ、本当に言いにくい話をしてもらえないと思っており、そのために「親にとってはどうでもいい情報でも、興味がなくても延々と聞く」を意識しています。でも夫はそんな私の態度を「寄り添い過ぎ」と感じており、「自分がその話を聞く意味があるのか」を自身の基準で判断していました。やはり「ここまでやればOK」という基準が違うのです。

彼を否定するのではなく「そういう価値観なんだな」と理解して、私は「息子が本当に困ったときに話をしてもらえるように、興味のない話も聞いている」「でも、私もそれが全く疲弊しないわけではない」「あなたは私と同じようにしなくてもよいけど、私は意図して労力を割いているので、そこは評価してほしい」という話をしました。

価値観が違って、行動が違っているとしてもお互い理解はしていたい。そうすれば、相手が同じように行動してくれなくても納得はできるし、「こうしたい」という思いがある方が、頑張ろうと思える。実際、息子の「話を聞く」件についても、価値観を共有できたことで「私ばっかりやっている」とはあまり思っていません。

ちなみにわが家の場合は、息子が夫にあまり話をしないという明らかな「結果」が生じたことで、夫の考え方に変化があったらしく、最近は私が息子を叱ったあとに夫が慰めるといった「寄り添い」をするようになっています。

この先またきっと、私から夫に、もしくは夫から私に、価値観の違いから不満を持つことが出てくるでしょう。共同生活というのは、その繰り返しなのではないかと思います。

これから先も、試行錯誤は続く

私たち夫婦はマンガの印象から揉めているように見られがちなのですが、実際の私たちを知っている知人や友人からは「夫婦仲がいいですね」と言われることが結構あります。話し合いにかなりの労力をかけているので、その成果なのかもしれません。とはいえ、わが家の話し合いは現状私からの働きかけが多いので、たまに「さるころさんばかりに負担が掛かっているように見える」「私はこんなにやりたくない」と言われることもあります。

でも私は、私だけが「家族のために」労力を割いているとは思っていません。私は家族が安心して過ごせる環境作りを目指していますが、実際は「8割」くらいは自分のため、残りの2割が子どもや家族のためと思ってやっています。一番は、私が「安心して過ごせる」場所がほしいのです。

夫がちゃんと私の話を聞いて、折り合いをつけようとしてくれているのを見るとやりがいを感じるし、感謝もしています。私一人では、私が望む「快適な家庭」は作れません。

今の頑張りが、将来の自分を楽にしてくれるという期待もあります。実際に、結婚当初より夫婦げんかの回数は減り、コミュニケーションはスムーズになりました。労力はかかりますが、信頼を築くために話し合いは必要なことだと思っています。

これからも私たち家族全員が「納得できる」状態を作れるように、ずっと試行錯誤していくのだと思います。


編集:はてな編集部

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著者:水谷さるころ

水谷さるころ

1976年1月31日千葉県柏市生まれ。イラストレーター・マンガ家・グラフィックデザイナー。旅行記『30日間世界一周!』『35日間世界一周!!』など。エッセイ『結婚さえできればいいと思っていたけど』『骨髄ドナーやりました!』『子どもにキレちゃう夫をなんとかしたい!』など。現在子有り事実婚。趣味の空手は弐段。古墳が好き。
公式サイト:Salu-page