仕事をしていると、いかにスピーディーに物事を判断・決断するかが求められがちです。SlackやChatWorkなどのチャットツールによるコミュニケーションが浸透するなか、「即レス」が求められる状況はますます拍車がかかっており、速度の速いやりとりについていけず居心地の悪さを覚えている人もいるのではないでしょうか。
このようにスピード感を増す社会において、すぐに「答え」を出そうとするのではなく、一度立ち止まってみることの重要性を指摘しているのが哲学者の谷川嘉浩さんです。
キーワードは、「ネガティブ・ケイパビリティ(答えを急がず立ち止まる姿勢)」。この姿勢を身に付けることにより、忙しない日々の中に「よどみ」を見つけることができ、少し息がしやすくなるといいます。
そんなネガティブ・ケイパビリティを、私たちはどのように育むことができるのか。話を伺いました。
私たちはスピードの速すぎる社会に疲れている
谷川嘉浩さん(以下、谷川) ひと言でいうなら、「答えを急がず立ち止まる力」でしょうか。「力」というと特殊な能力と思われかねないのですが、どちらかといえばそのような「姿勢」と理解してもらうといいかなと。
これはもともと、ジョン・キーツというイギリスの詩人がつくった言葉だったのですが、近年注目を集めています。キーツによれば、「事実や理由に決して拙速に手を伸ばさず、不確実さ、謎、疑いの中にいることができるとき」に見出だせる力だとされています。

谷川さん含む、専門性の異なる研究者3人がネガティブ・ケイパビリティの可能性について論じた1冊。「答えを急がず立ち止まる力」は副題にもなっている
谷川 『スマホ時代の哲学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)でも示唆したことですが、私たちがスピードの速すぎる社会で生きるのに疲れてきていることがあると思います。かつては人間の移動の限界が情報収集やコミュニケーションの限界でもあったけれど、技術の発達によって携帯電話やパソコンなどで、場所を問わず情報収集やコミュニケーションが可能な環境が整ってきました。
しかも、今や携帯電話は単なる電話ではなく、複数の機能を持ったマルチデバイスです。TwitterやInstagramのようなSNSから、ビジネスで使うチャットツールまでもがひとつのデバイスに収まっていて、移動中や休憩中であってもそれを開くことができてしまう。
チャットツールだと「今、タイピングしていること」が相手に伝わる機能もあったりしますよね。あれって、「今メッセージが来てるからすぐ返す準備しろよ」って言われているようなものですよね。SNSやアプリなどを通して、絶えず“即レス”が求められているような感覚になっている人は多いのではないかと思います。
谷川 そうですよね。もちろん、スピーディーなコミュニケーションは重宝することも多いと思うのですが、一方で速度だけが尊重されるべき能力とは言えないですよね。スパン、スパンとなんでもひな壇芸人のような速度で返すのがコミュニケーションとは限りません。
気の利いたことをすぐに言えなくてもじっくり話を聞ける人だっているし、不器用であっても独特の発想を持っている人だっているし、子どもなんかは、言葉足らずでも感情を豊かに伝えてくれます。こうしたコミュニケーションのモードのどれにも価値があると思うのですが、「スピーディーで効率がよいやりとり」を重視しがちな今の世の中では、そういった能力の多様性が見えにくくなっているのかもしれませんね。
川の流れで例えるなら、今の私たちは激流の中を生きているようなものです。そんな川の中でもいろんな水生生物が暮らしを営むことができるのは、川がどこかで蛇行していたり、途中に岩があって流れが緩やかになったりと、ちょっとした「よどみ」があるからなんですよね。よどみによって、環境が多様になり、いろいろな速度の流れに身を置くことができるようになっているわけです。
環境の多様性が高まると、ほかの環境では苦しく感じていた人でも息がしやすくなる。ネガティブ・ケイパビリティは「いろんな人が生きやすくなるために、よどみを取り戻してもいいんじゃない?」と呼びかける掛け声のようなものだと思います。
ビジネスの現場に不足している「廊下」的な空間とは?
谷川 確かに大勢の前でプレゼンをするときなど、直接的な対話が求められない「一対多」の状況では、ある程度なめらかに話した方が聞き手が内容をスムーズに飲み込めることも多いでしょう。
でも、一対一のコミュニケーションや、会議のような「多対多」の状況においては、よどみのある発話が必ずしも「悪い」と私は思いません。こういう組み合わせのときって、会話を通じて探索することが求められる場合が多いからですね。
例えば、ビジネスの現場でも複雑な問題を前にしたとき、すぐに「答え」が出ないこともあるじゃないですか。そんなときに、「ああでもないし、こうでもない」と多様な議論の方向性に開かれた形で、考えを積み上げていくことではじめて、問題の本質に近づいていくこともあるかもしれませんよね。
谷川 それは、決め打ちの判断でいいことと悪いことがあるってことだと思うんですね。でも、どんな場合であれ、急いで出した答えが結果的に間違っていることは当然あるので、似たような考えの人たちだけではなく、異なるペースで考える人や、異なる選択肢を出せる人はいた方がいいはずです。
ネガティブ・ケイパビリティは、こういう多様性を擁護する言葉だと考えています。だから順当に考えれば、ビジネスにおいてもネガティブ・ケイパビリティはあった方がいいと言えると思うんです。
ですが、ビジネスの場で浮かんだモヤモヤを持ちつづけたり、それを周囲と語り合ったりすることはたしかに難しいですよね……。そのためには「廊下」のような場が必要なのかもしれません。
谷川 会議が終わったあとって、参加者はみんな会議室から廊下に出ますよね。そこで顔を合わせると、会議室にいたときと少しコミュニケーションのモードが変わることってありませんか? それまでうなずいて納得しているように見えた人が「あれで本当によかったのかな」と疑問を口にしたり、自分と対立した意見を言っているように見えた人が「さっきはああ言ったけど、こういうつもりだったんだよね」と言葉を補足しはじめたり。
谷川 そうなんですよ。臨床心理士である東畑開人さんは『心はどこへ消えた?』(文藝春秋)というエッセイ本の中で、この「廊下」のような空間がコミュニケーションにおいて重要だとつづっています。
もちろん「廊下」はあくまで比喩で、実際にはどこでも構いません。ただ、現代ではそういった移行の時間や場所が持ちにくくなって、コミュニケーションのモードが乏しくなってしまっていることが問題なんだと思います。予定が詰まっていればみんな廊下もサクサク歩くだろうし、そもそもオンラインのミーティングの場合は、会議が終わるとすぐに画面もオフになってしまうから、そういった別のモードに切り替わる機会自体が失われています。
谷川 「廊下」のようなインフォーマルな集まりを、組織がフォーマルなものとして制度化すること自体はできると思います。けれど、一度制度化すると「やりましょう」と上からしつこくアナウンスが入ったり、ルールをつくる必要性も生まれたりとで、結果的に空間の性質が変わってしまうというジレンマもあるかなと。雑談が足りないという理由からSlackで雑談チャンネルがつくられたものの、誰も発言しない……なんて話もよく聞きます。
ビジネスの場においてコミュニケーションのモードを増やすには、意識的に手をつけない余地を残しておくことがおそらく合理的なんじゃないかと思います。個人のレベルでいうなら、予定を隙間なく詰めるのではなく、予定と予定の間にひと息ついたり、話しかけたりかけられたりできるような余白をできるだけ持っておく、というのもできることのひとつではないでしょうか。
自分の意見を言うよりも、まずは相手を「観察」する
谷川 一つは、「聞く力」を醸成すること。SNSの影響か、今は何事に対しても「自分の意見」を持って、なおかつ「発言」することが大切だとされがちです。ただ、私から見ると、みんな何にでも自分の意見を言おうとしすぎだと思います。沈黙の大切さを知らないといけない。
例えば、何か大きな社会問題が起きると、みんなそれにどうにか答えようとするけれど、「自分の言葉でしゃべろう」という意識ばかりが先行すると、かえって言葉が上滑りして、いわゆる「自分の言葉」からは遠いものになってしまうことが多いように見えるんです。だから、まずは「聞く」ことに徹してみると、すぐに「答え」や「意見」を出そうとする態度から離れることができるのではないかと。
谷川 ただ「聞く」って、あらためて考えるとすごく難しいですよね。だから、もしかすると「観察する」と言い換えた方が、実践しやすく感じるかもしれません。
というのも、クリス・ベイルという社会学者が『ソーシャルメディア・プリズム』(みすず書房)という本の中で「分断を超えるには議論ではなく、相手を観察しろ」というようなことを述べていて、私はここに「聞く力」を醸成するためのヒントがあるのではと感じています。
人って誰かと議論をしようとすると、かえって「型」にはまったような党派的な言葉遣いに乗っ取られてしまう。だからこそ、相手の意見になにかコメントをしようとするのではなく、まずは相手の語りや考え方を黙って観察することです。ネガティブ・ケイパビリティは、そういう地味な営みを通して発揮されるし、育まれるものだと思います。
聞く力を「傾聴」と言い換えるとややウェットな感じがするかもしれないけれど、「観察」という意識を持つと、適度にドライな響きがするので、多少腑に落ちやすくなるかなと思います。
谷川 そうですよね。自分の意見を発するのではなく、まずは相手のことを「観察する」。そんな姿勢を意識した上で、会社や家庭だけでなく、複数のコミュニティに所属してみることも大切だと思います。そうすることで、これまで自分の中にあった思考や言葉の「型」から離れることができ、さまざまな視点からじっくりと物事に向き合う下地が育っていくのではないでしょうか。「観察」のためにも、多元的に共同体を持っておくことは役に立つということです。
もちろん、日々の生活が忙しいと、複数のコミュニティに所属することってなかなか難しいことです。そんなときは「フィクションの世界に触れる」ことも、紋切り型の言葉に乗っ取られず、いろいろな角度から物事を考えることにつながると思います。
例えば私はマンガが好きで、よく思い返す作品があります。自分が惹かれる対象って、自分とぴったり重なるというより、少し考えや言葉遣いが異なることも多いはずです。だから、「あのキャラクターならこの物事をどう考えるかな?」と想像するだけでも、「観察」の練習になると思います。
谷川 あとは、友人や知人、同僚などと同じ映画を見てざっくばらんに語り合うような機会を持つことも有効だと思います。作品の中で使われている言葉やキャラクターの行動を掘り下げると、ひとつのシーンをとっても見た人それぞれに違った感じ方をしていることに気付きやすい。そういうときに「聞く」練習ができるからです。
そういうふうに、自分の使い慣れた言葉だけでは太刀打ちできないときに私たちは初めて、探り探り話すことができる。それは「型」にハマった言葉遣いを脱するチャンスにもなります。
あらかじめ用意していた意見をすらすらと言うのではなく、ふだん使わない言葉を使ってよどみながら話すチャレンジができる場を持てると、「答えを急がず立ち止まる姿勢」がすこしずつ身に付いていくはずです。
取材・文:生湯葉シホ
イラスト:caco
編集:はてな編集部
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