他人の評価を気にしてばかりだったわたしが仕事選びの“軸”を見つけ、理想の暮らしにたどり着くまで


「自分に合った仕事」や「やりたい仕事」が分からずモヤモヤしていませんか。

現在、鳥取に本社がある会社でリモート勤務をしながら、富山の戸建てで猫と暮らしているなつめさん。今でこそ理想的な生活を送りながら“自分に合った”仕事ができていると感じていますが、数年前までは仕事選びの「軸」が分からず転職を繰り返し、そんな自分に劣等感を抱いていたそう。

コロナ禍をきっかけに「自分にとっての幸せってなんだろう?」と考え始め、働き方を含む「理想の暮らし」と向き合い、「軸」を見付けるまでの過程を振り返っていただきました。


東京生まれ東京育ちのわたしが、縁もゆかりもない土地・富山県に単身移住し、完全リモートワークの会社で働きはじめたのは2023年春のこと。

「なぜ富山へ?」というよく聞かれる質問に対しては必ず「自然豊かな環境で猫とこころ穏やかに暮らしながら、自分にあった仕事をしたかったから」と答えてきた。そして今、完全にその暮らしを実現できている。

こんな未来がやってくるなんて、数年前まで想像もしなかった。できなかった。そもそも自分がどう生きていきたいのか、どんな仕事がしたいのか「軸」が定まっていなかったので、先が見えずずっと不安だった

そんなわたしがどうやって「仕事選びの軸」を見つけて、今に至ったかを振り返りたい。

「自分がやりたい仕事」が分からずフラフラしていた

20代半ばまでのわたしは「誰かに認められる仕事をしなければ」と他者からの評価ばかりを気にして、「自分に合った仕事をして、こころ穏やかに暮らしたい」といった正直な自分の気持ちに向き合ってこなかった。

その結果、自分が大切にしたいものが分からず、合わないと思った仕事はすぐに辞めて職を転々とし、いわゆるジョブホッパーに。転職理由はだいたい前向きなものではなく、いつも「逃げ」だった。

20代後半に差し掛かると、新卒から同じ会社で働き続けている友人たちは着実にキャリアアップをしていたり、家庭を築いて大切なもののために人生を捧げていたりした。

「まわりと自分を比べちゃいけない」

そう頭では分かっていても、SNSから入ってくる情報によってじわじわとこころが侵食されていった。

「あなたはムーミン谷のスナフキンみたいだね」

そう言われたのは一度だけではない。側から見たら、わたしはのびのびと気ままに暮らしている単身女性として映っていたかもしれないが、そんなことはなく常に劣等感に苛まれていた。いつまでも地に足のついていない暮らしをしている自分が嫌いだった。

スナフキンのようなブレない人生哲学があればまだ良かったかもしれないが、わたしは人生の迷子になってずっとフラフラ、モヤモヤしていただけの、エセスナフキンだった。

コロナ禍で「自分にとっての幸せ」は何か考えてみた

そんな中、コロナ禍で外出できない日々に突入した。

それまで、苦しい現実から目を逸らすため連日飲み歩いていたが、その生活が急変した。そして、家で一人いろんな思考を巡らすようになった。私は暇になると悩む時間が増えるのだが、この時期に悩んだことはとても意義があったと今になって思う。

自分はどう生きていきたいのだろう。どんな仕事をしていきたいのだろう。
それが当時の悩みの大部分を占めていた。

他者からの評価を判断基準にせず、自分軸で生きたり、仕事を探したりするにはどうしたらいいんだろう。いくら頭で考えてみても分からなかった。

好きなものを100個書き出してみたり、ストレングスファインダー(自分の資質を知るための性格診断テスト)を3回受けたり、ライフラインチャート(人生を時間軸と幸福度で示したグラフ)を作成したり。時間だけはたっぷりあるのでいろいろな方法で自己分析してみたが、それでも分からず困っていたとき、とあるSNSの投稿が目に入った。

Web関係の仕事をしている同年代の友人が「会社が完全リモート勤務になったため、東京を離れて地方移住をしました」と笑顔の写真を添えて投稿していたのだ。

この投稿を見た瞬間、わたしはこれまでにないくらい強い嫉妬の感情を抱いた。そしてなぜこんなにもうらやましく思うのだろうと自分の感情に向き合ってみたところ、これが「自分が本当に求めていた働き方と暮らし」だということに気がついた。

わたしも、自然豊かな環境で、大好きな猫と一緒に、こころ穏やかに暮らしながら働きたい。

地方移住にはもともと憧れがあった。老後はのんびり田舎で暮らせたらいいな、なんてことを夢見ていたが、まさか若いうちに地方移住する選択肢があるなんて考えもしなかった。

いま一緒に暮らしている猫

多様な生き方に触れたことで見えてきた新たな選択肢

しかし、わたしには友人のようなキャリアやスキルもなく、リモート勤務ができる仕事に就くあてもない。そもそもやりたい仕事すらよく分かっていない。

そのため「地方移住をしても完全リモートで働けるスキルを身に付けなければ」と、リモートでできる仕事に就くためプログラミングやWebデザインの勉強を始めた。

このときはまだ「分かりやすいスキルを身に付けなければ」「人に誇れるような華やかな仕事に就かなければ」といった思い込みが強く、それゆえなかなか「スキルを身に付ける」だけの勉強に対するモチベーションが保てずに、移住も早々に諦めかけていた。

そんなとき、ひょんなことからとある青年実業家と出会った。その人はまさに「好きを仕事に」を体現している人物だった。
彼の活動は社会的に意義のある行為のように見えたが、本人は「自分の実現したい暮らしのためにただ動いているだけ」とあっさり言ってのけた。その姿は潔く、たちまち憧れの存在となった。

そして次第に、深い部分の話をするような友人になった。

あるとき「わたしが人生でやりたいことは、自然豊かな環境での猫との心穏やかな暮らしであって、他にやりたいことなんて何もない。自分が本当はどんな仕事をしたいのかも分からない。でもまわりの優秀な同年代を見ていると、自分もキャリアを築いたり、スキルを身に付けたりしなければ、誰かに認めてもらわなければと考えてしまう。これからのことがとても不安だ」と弱音を吐いてしまった。

その言葉に対して友人は「輝いている人たちと比べてしまいそうになる気持ちはすごく分かるけれど、あなたには自分にとって心地よく感じられる暮らしを見つけてほしい。例えそれが“認められる仕事”につながらないことでも、人生の中で大切にしたいものが見えているのならそれでいい。そのままでいてほしい」と肯定してくれた。

この言葉の温かさにしばらく涙が止まらなかった。
今のままじゃだめだ、自分の理想の暮らしを実現するには、まずは“ちゃんとした”会社で働いて、しっかりとしたキャリア、スキルを身に付けないと。そう気張って勝手に自分の首を自分で締めていたことに気がついた。

まずは一番大きな理想である「自然豊かな環境で猫とこころ穏やかに暮らす」ために動こう。そう考えて気になる自治体を訪ねてみたり、移住相談窓口へ出向くようになった。

そしてそこから数カ月後には、地域おこし協力隊*1への着任が決まり富山への移住を果たした。


「共感」を軸に仕事を探し、理想的な働き方にたどり着いた

移住をして「自然豊かな環境での猫とのこころ穏やかな暮らし」を叶え、地域おこし協力隊としてやりがいのある活動を続けながらも、わたしは「どんな仕事がしたいのか?」を考え続けた。

「世間的に悪く思われないように、ネームバリューのある会社で働きたい」
「スキルを身に付けてキャリアアップをしなければ」

東京を離れ、これらの見栄を捨てられたときにようやく「熱量をもって取り組める仕事がしたい」という思いが残った

これまで出会ってきた大人で素敵だなと感じる人は、必ず何かに「没頭」している人だった。その熱量をもつために必要なのは、同じ物事に問題意識を感じ、同じ目標を持ち、そこに対して取り組んでいる人たちと一緒に働くことだと思った。

そうしてわたしは、「熱量をもって取り組める仕事」を探して転職活動をした。
今の会社を選んだ決め手は、事業理念への「共感」だった。

その事業理念とは「リモートワークを通して、働き方の選択肢を増やす」といったようなもの。働き方や場所などの垣根を超えることで地方創生に取り組むという、まさにわたしが「実現したら良いな」と思う社会そのものを描いていた。

わたしは東京を離れて暮らしたいという気持ちをずっと昔から抱いていたけれど、自分に合った仕事が見つかるか不安、という理由でその想いを諦めかけてしまっていた。

しかしコロナ禍を経てリモート勤務が普及したことによって、働く場所の選択肢が増えた。働く場所が選べるようになったいま、わたしのように田舎暮らしをしたいと思っている若者たちの地方移住の流れが進めば、確実に地域の活性化に繋がると思う。

そして自分のやりたい仕事を、好きな場所で、できるようになったら、それこそ昨今よく言われるウェルビーイングも実現できる。そんな明るい未来を想像したら、すごくわくわくして自分もその一助になる仕事がしたいと純粋に感じた。

リモートワークは一部の限られたスキルを持つ人しかできないと思っていたがそうではなかったし、「リモート勤務で好きな場所で暮らしたい」と思っていた自分のような人が一歩を踏み出すための手助けをしたいと思うようになった。
その思いに気付かせてくれたのがこの会社だった。

職場ではよく「同じ船に乗る」「一緒に高い山を登る」という表現をすることがある。スタートアップ企業で同じ志をもった仲間たちと事業を拡大させるために新たな挑戦をしていくことは、なんだか冒険をしているようでとても楽しい。

自分が多くの人と出会って生き方の選択肢を広げてこられた経験から、わたしは「自分が関わる仕事によって誰かの働き方や生き方を広げていきたい」と思うようになった。

かつてはさまざまな価値観に振り回されて自分の軸を見失っていたが、「こんな暮らしがしたい」がはっきりしてからは少しずつ自分の軸が明確になり、自分に合った理想的な職場に出会うこともできた

他者評価を一切気にせず考えたときに、あなたのこころに浮かぶ「やりたいこと」は何だろう。この記事が自分なりの働き方や生き方、自分軸に向き合うきっかけになればこれ以上にうれしいことはない。


編集:はてな編集部

私に合った仕事って、なんだろう……と悩んだら

「正社員以外ありえない」と思い込んでいた自分が「雇用形態よりも大事なこと」に気がつくまで
「正社員以外ありえない」と思っていたけれど
仕事は“人生の一部”。仕事と適度な距離をとり、生活を大事にできるようになった話
仕事は「人生の一部でしかない」
20、30代は「うまくいかない日々」に悩んだ。でも小さな経験の積み上げが“今”につながった
20代・30代は「うまくいかない日々」に悩んだ

著者:なつめ

なつめさんプロフィール画像

1995年生まれ。2022年夏、猫といっしょに東京から富山の古民家へ移住。現在はフルリモート勤務をしながら民泊経営の準備中。

*1:都市地域から過疎地域等の条件不利地域に住民票を異動し、地域ブランドや地場産品の開発・販売・PR等の地域おこし支援や、農林水産業への従事、住民支援などの「地域協力活動」を行いながら、その地域への定住・定着を図る取組。