働きながら子どもの不登校と向き合い「キャリアは常に右肩上がりじゃなくてもいい」と気付いた

働きながら子どもの不登校と向き合い「キャリアは常に右肩上がりじゃなくてもいい」と気付いた

フリーランスで編集やWebデザインの仕事をしているbranco MICHIYOさんに、「子どもの不登校と仕事の両立経験」についてつづっていただきました。

お子さんが小学校に入学して少し余裕が生まれ、キャリアアップを目指して動き始めたタイミングで始まった不登校。お子さんと向き合う時間の中で、自身の働き方についてあらためて見つめ直したといいます。

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家庭との両立でキャパオーバーになり「仕事」を減らすことに

第一子が1歳になるタイミングで転職した事業会社に、私は唯一のデザイナー兼広報の正社員として入社した。唯一のデザイン職採用というプレッシャーの中、「結果を残したい」と意気込んでいたが、予想以上に子育てとの両立は大変だった。

とにかく子どもが寝ない。さらには環境の変化に敏感で、しょっちゅう熱を出す。毎週の病院通い、遅刻早退は当たり前。一方で夫は不規則なシフト勤務で急な休みが取りづらく、さらに夫自身が体調を崩し寝込むことも多く、家族のためと何とかがんばって会社に向かっているような状況。時間的にも体力的にも夫からの協力を得ることは難しく、ほとんど一人で対処するしかなかった。

病気でつらそうな子を前に「また会社を休まなければならないのか」などと思う自分が嫌いになった。仕事も子育ても家事も全部が中途半端だと感じていた。

しかしそんな慌ただしい毎日は、第二子妊娠中、切迫早産で絶対安静になったことから一転。ただぼんやり天井を眺める日々の中で「次こそうまくやろう。ペースを落とせば大丈夫」と考え、産休・育休を経て時短社員として復帰することを決めた。

ありがたいことに、第二子は夜になるとすっと寝てくれた。姉と弟で続けて体調を崩すので遅刻・早退・お休みは変わらず多かったけれど、慢性の寝不足が解消され、頭はずいぶんクリアになってきた。

「これなら仕事と家庭の両立ができる」という淡い期待を抱いたのもつかの間、次に降って湧いてきたのが義実家の相続問題や介護問題。そんな中で持病のメニエール病が悪化し、私はついに会社で倒れた。この時にやっと、「キャパオーバー」だと認めることができた。

夫とたくさん話し合って、私は「仕事」という荷物を減らすことに。2020年4月、晴れて私はフリーランスとなった。

キャリアアップを目指そうと考えた直後の「登校しぶり」

前職の会社と業務委託契約を結び収入が安定していたことなどもあり、フリーランス生活はおおむね順調に走り出した。取材や打ち合わせが入らない限りほぼ在宅で仕事と家事を効率よくこなすことができるし、周囲に気を使うことなく自分で時間を管理できる働き方も、気疲れしやすい私には合っていた。

フリーランス3年目に、第一子の娘が小学校へ。私に似て感受性が高く敏感な気質の娘を心配していたが、すんなり学校生活に溶け込んでいった。心身にも時間にも余裕もできたことで「キャリアアップしたい」と考えるようになり、オンラインのWebデザインスクールに入学。日中はこれまで通りに仕事をし、子どもたちがご飯を食べている間や寝ている間を勉強時間に充てるなど、再び慌ただしい日々へ飛び込んだ。

そして小学一年生の三学期、娘は突如学校に行けなくなった。

初めての異変は、ある日曜の夜。娘が「学校がこわい」と泣きながら部屋中をうろうろ歩き回った。理由をたずねても本人も分からず、ただ「こわい」を繰り返した。翌日はゆううつそうに登校したが、帰ってくると「楽しかった」とケロリ。でも数日すると、また同じことに。やがて、朝になるとお腹が痛い、頭が痛いと動けなくなり、学校に行けなくなった。

夜には「明日は行く」と言うけれど、朝になると動けない。私は「休んでいい」と言いながら「本当は行ってほしい」という相反する気持ちもあって、何となくぎくしゃくした空気の中、二人っきりで家で過ごしていた。

担任と話をしてみるも、活動に積極的で友だちと目立ったトラブルもないと言われ、原因らしい原因は見当たらなかった。私の顔色をうかがう娘に対し、できるだけ笑顔でいることを努めたものの、私の心の中は先の見えない不安でいっぱい。「どうして学校に行けないの!」と責めるように私が泣き喚いたこともあった。娘も「ごめんなさい、明日は行くから」と泣き出し、ものすごい罪悪感に襲われ「無理しないでいい」と心にもない台詞を吐いて、二人でわんわん泣いた。

「本当に娘が望むまで学校に行かなくてもいい」と思えるようになるまで、数カ月かかった。
 

働き方を変え、娘も私も無理のない登校再開を目指した

ある時、毎朝「今日は学校行く?」と聞くことにも、聞かれることにも疲れた私たちは、「お休み」をスタンダードにすることにした。

学校には行ける時だけ、事前連絡を入れる形にして、私が付き添って登校した。この頃は教室には全く入れなかったが、保健室には顔を出すことができた。終始私も付きっきりではあったけれど、30分・1時間と少しずつ滞在時間が増えた。疲れたら休み、かと思えば半日ぐらい過ごせる日もあった。一進一退を繰り返しながら、娘のペースで学校と関わりを持つようになっていった。

娘に寄り添うことにもだんだん慣れ、家でも二人で穏やかに過ごせるようになってきた。「ママと離れたくない」とトイレも一人で行けず、生まれたてのヒナのように私の後に前にと付いてくる娘と、24時間離れることがない生活。

以前と同じようには働けない環境の中で「仕事」を続けるため、「進め方」や「環境」を工夫することにした。タイトな締め切りの新規仕事はお断りをし、余裕を持ったスケジュールを組んだ。デザインの仕事は、後で大きく内容がひっくり返らないよう、完成度7割程度でクライアントに共有し、意見を聞いた上で調整を加えるやり方にした。

また、私は仕事、娘は勉強やお絵描きなど好きなことをして過ごせるよう、作業スペースには横並びで使える長机を置いた。

DIYした作業机
幅2m近くの木材に脚をつけて作業机をDIY。二人並んでも窮屈にならない

私のお古のトレース台とカラーペンを娘に与えると、いつの間にかお絵描きからデザイン画に発展し、たくさんのファッションデザイン画が出来上がった。「ファッションデザイナーになりたい」「大きくなったらママとお店を出す」とまで言うように。どんな内装にしようか、場所はどこがいいかなどと語り合った時間は、今でも心を温めてくれる宝物になった。

私は「学校には絶対行くべき」とはもう思わなくなっていた。この頃に娘は、学校に行けない理由をぽつぽつと話してくれた。「教室で騒ぐ子が理解できない、どなる先生がこわい、でも授業は好き」。学びへの意欲が高い娘のために、教育を誰が・どこで提供するかが次の悩みになった。

私が勉強のサポートをするのにも、限界がある。フリースクールや家庭教師・不登校向け学習塾といった選択肢もあるが、どれも毎月4〜5万円の出費が必要な上、学校ほどの手厚さは期待できないし、通えても付き添いが必要な場面も多い。私は既存の仕事をこなすだけで精一杯、しかも収入が下がっている中、難しい選択だった。

娘には、そのままを伝えた。学校以外の選択肢を二人で探って、体験して、その上で娘は「学校」を選んだ。私ができることは、娘が学校に行きやすい環境を整備することだけ。あとは娘自身でがんばるしかないと腹をくくった。

娘への理解と環境整備のために、たくさんの本や記事を読んだ。そして本を参考にしながら、周囲の環境に刺激を受けやすい娘の性質について、A4サイズの紙3枚にまとめた。

例えば、大きな声や叱責には他の子以上に萎縮すること、娘が保健室に行きたいと訴えるのはすでに限界がきているタイミングなので快諾してほしいこと、真面目でルールを重んじるので期待された役割はきちんとこなせることなど。

苦手なことだけでなく、長所の部分も記した。できるだけ簡潔に、先生方に実行してもらいやすいように。担任や教頭先生に直接相談し、さらにはもうすぐ2年生になるタイミングだったので、次の担任にも引き継いでいただけるようお願いした。

また、娘が信頼できる先生方には、娘がきたら笑顔で受け止めてもらえるよう、お願いのあいさつ回りもした。中でも保健室の先生は、娘だけでなく私のことも気遣ってくれた。この時期、踏ん張りがきいたのは、間違いなくこの先生のおかげだ。

悩んで選んだ道は全部「正解」。「今」の積み重ねが未来を築く

娘はずいぶんと元気になってきた。母子登校は続いていたが、担任の配慮もあって、保健室登校から教室に行ける日も増えた。時には、放課後に学校のお友だちと公園で遊ぶことも。登校しぶり以前よりも、かえってのびのびと活発になってきたようにも思えた。「自分のことは自分で決める」と自信もつき、私から離れても平気な時間が多くなってきた。

明るい兆しが見え始めた一方で、私にはこれまでの疲れがどっとのしかかってきた。母子登校で子どもたちの中に一人ぽつんと大人が混じる状況は、何とも言えないしんどさがあった。「もう母子登校を止めたい。でもそのせいでまた学校に行けなくなったら」「そもそも私がいつまでも娘に合わせるから、甘えているのかも」何が正解か分からず、スクールカウンセラーに「正解」を求めた。

返ってきた答えは意外なものだった。「決まった正解はない、あなたが悩んで決めたことが正解」。また同時に、学校に行く行かないは娘の問題で、私が悩むことではないとも言い切られた。

私は自分の気質とよく似た娘をいつの間にか自分と同一視していて、親として良い方向に導かなければと勝手に気負っていたことに、ようやく気付いた。

それからは「娘のことは娘に任せよう」と割り切ることができた。それに私は十分によくやっていると、肯定的な気持ちも湧いてきた。

ともに悩んで、寄り添ってくれた先生方とも話し合って、これからは教室へと背中を押そうと決めた。娘ならできる、と信じようと。

さらに幸運なことに、このタイミングで、同じクラスのお友だちのお母さんから「子どもたちを一緒に登校させよう」と声をかけていただいた。娘には「ママは一緒に登校するのも教室に行くのもつらいから、もう行かない。学校に行くのも、早退するのも自分で決めてね」と正直な気持ちを伝えた。娘は不安そうにしていたけれど、大好きなお友だちの支えもあって、決意したように「がんばる」と一言。

まずは一週間と送り出してから2カ月。ほとんど休むこともなく、1日学校で過ごすことができている。以前は私とお店を出すと言っていたのに、今ではお友だち数人と一緒にやる約束をしたからごめんねと言われた。さみしい気持ちも少しはあったけれど、娘の成長がたまらなくうれしかった。

娘のファッションデザイン画
今も描き続けているファッションデザイン画の一つ。デザインは娘、縫製はお友だちと役割分担をして、将来は店を持つ予定

思えば、私はいつも焦っていた。5年後、10年後のキャリアをいつも右肩上がりの線で思い描いていた。向上心があると言えば聞こえがいいけれど、もっとキャリアアップしたい、もっと稼げるようになりたいと、「未来」ばかり見て「今」を見ようとしていなかったのかもしれない。

登校しぶりが始まってから娘とどっぷり過ごした期間は、私のいろいろなハードルを下げてくれた。むやみやたらに仕事を増やしたり、スキルアップを図ったりするのではなく、「今」の家族との時間、暮らし、仕事のご縁を大切にしたいと思うようになった。

今年は第二子の息子が小学生になる。親も歳を取るし、自分も若くない。また思いもよらないようなことが起こるかもしれないけれど、これまでだって何とかなってきたのだから、これからだって何とかなると構えられるようになった。

「今」の積み重ねが「未来」になる。正社員でがんばってきた時間があったから、フリーランスとしてやってこれた。フリーランスになって時間や仕事量の調整ができたから、子どもに存分に寄り添うことができた。今の働き方は、今の私にぴったりフィットしている。正社員でもフリーランスでも働き方はその時々に合わせて選べばいい。その時々でがんばっているなら、毎回自分で自分に100点をあげていい。

家族みんなが機嫌よく過ごせているなら、十分幸せだ。

編集:はてな編集部

仕事と子育てへの向き合い方に悩んだら

仕事でベストを尽くせない産後の私を支えてくれたのは、誰かが記した「弱さ」だった
産後「仕事でベストを尽くせない」自分を支えてくれたもの
初めての子育てから10年。「偉くてすごいお母さん」をうまく脱ぎ捨てられるようになるまでの話
「偉くてすごいお母さん」にならなくてもいい
「無理しない働き方」を選んだ自分への後ろめたさ、を受け入れられるまで
「無理せず働く自分」を受け入れるには?

著者:branco MICHIYO

branco MICHIYOさん

編集・ライター歴3年、デザイナー歴15年、時々広報の人。2020年4月よりフリーランスになりました。鹿児島在住、繊細ちゃん8才娘とわんぱく6才息子の2児の母。コトコト煮込み料理しながら在宅でデザイン仕事しています。家族も仕事も大切にする、ちょうどいいバランスを模索中。食と家、子どもとの暮らし、女性のキャリアが最近の関心ごと。

X:@Michiyo_branco

子育てのしやすさを重視し、正社員から派遣に。時短・週4勤務が「理想の働き方」


「子育てと両立しやすい仕事」を求め、働き方の変更や転職を考えている人は多いのではないでしょうか。

かつてフルタイム正社員だったみかなさんは、結婚や不妊治療、出産といったライフステージの変化と共に退職や転職を繰り返し、現在は「子育て重視」を条件に派遣社員として1日6時間・週4日のフルリモート勤務をしています。

この働き方に落ち着くまで「仕事に求める最優先事項」とどう向き合ってきたのかを教えてていただきました。


こんにちは、みかなと申します。夫と1歳の娘と3人で、東京で暮らしています。

結婚する前はコンサルティングファームでフルタイム正社員をしていましたが、今は育児に理解のある会社で派遣社員・週4日・1日6時間・フルリモート勤務という働き方を選んでいます。

家事育児と仕事の両立で毎日忙しいものの、平日に1日休みがあるので、この日に保育園の保護者会や娘の健康診断などの用事をこなしたり、趣味の観劇を楽しんだりしています。

現在の働き方は、仕事のやりがいよりも育児や趣味に重きを置きたい私にとってまさに理想と言えるもの。しかし以前の私は、自分が将来このような“ゆるキャリ”を歩み、「これが私にとっての幸せな人生の形だ」と思うようになるとは想像もしていませんでした。

そんな私が、紆余曲折を経て今の働き方にたどり着くまでを振り返りたいと思います。

ライフステージの変化に合わせ正社員→専業主婦→派遣社員に

働き方の最初の転機は「専業主婦から派遣社員になったこと」でした。

結婚後に専業主婦になったものの、強く希望していた「子ども」をなかなか授からなかった私は、気晴らしも兼ねてもう一度仕事をしたいと思うようになりました。

とはいえ、夫は結婚前に病気で倒れたことがあり、食事作りや住環境の整備などサポートが不可欠だったため、第一条件は「家庭と両立しやすい」こと。

そのため最初に探したのはパートタイムの仕事だったのですが、最終的にはかつての正社員経験が生かせそうな派遣社員に興味を持ち、1日5時間・週3日の求人に応募し、再び働き出しました。

大学生時代のアルバイトを除けば、新卒以降フルタイム正社員の経験しかなかった私にとって、ライフスタイルに合わせて柔軟に働ける派遣社員は驚くほどストレスが少なく、こんな働き方もあるのかと目からウロコが落ちました

しかし不妊治療を始めてからは、通院で遅刻や早退、急な休みを頻繁に繰り返すようになり、週3日の出勤すら続けるのが困難に。職場からは引き留めてもらいましたが、自分自身が仕事との両立に限界を感じ、退職してしばらく不妊治療に専念しました。

そうして専業主婦に戻ったものの、不妊治療クリニックの待合室でパソコンを持ち込んで仕事している方を見かけていたことから「リモートならまた働けるかもしれない」と考え、再び新しい派遣先を探し始めました。

いつまで続くか分からない、先の見えない不妊治療と、その先にあるかもしれない妊娠生活や育児。それらと両立できるよう、仕事探しの条件は「妊娠や育児に理解があり、働きやすいこと」「リモート勤務できること」でした。

最終的に決まったのは週5日勤務の職場でしたが、うち4日はリモート勤務だったので、不妊治療との両立は週3で出勤していた前職よりもずっと容易になりました。

その後もコロナ禍や産休・育休といった「そのときどきの状況」に合わせて仕事を変え、現在は週4日フルリモート、1日6時間勤務の会社に落ち着きました。

育児に理解のある会社で働いて分かった、自分なりのベストバランス

今の会社はフルリモート、残業なし、平日の休みは私の都合に合わせて自由に設定できる……と本当に働きやすいのですが、一番ありがたいのは「子育てに理解がある」ことです。

子どもの急な体調不良や通院で、前日や当日に遅刻・早退・半休・全休を取らせてもらうことがあるのですが、休みはLINEで一報を入れるだけで気軽に取得できます。

会社の人たちは、女性だけでなく「男性も育児休暇は取るのが当たり前」という考え方で、育児に理解があります。特に上司は自身も3人の子供を育てているワーキングマザーで、面接の際に「あなたのように、働きたいと思っているのに働きにくい女性の就業を応援したい」と言ってくれました。

仕事に慣れ楽しさも感じてきた頃、配属部署全体の仕事の多さに「私も週5日勤務にした方がいいか」と上司に相談した際には、「この先、子どもにもっと手がかかるようになるから、しばらく週4日で様子を見た方がいい」と私の立場に立ってアドバイスをしてくれました(この予言通りまもなく育児が忙しくなり、あのとき週5日に増やさなくてよかった……!と感謝しました)。

とはいえ、わが家は夫が多忙かつ近所に頼れる親戚もおらず、「育児が多少落ち着いて私が腰を据えて仕事に復帰できる目処がつくまでは、夫が主に稼ぎ、私が主に家事育児を担い無理のない範囲で働く」と夫婦間で取り決めているため、基本はワンオペ体制。1日6時間・週4日勤務でも仕事との両立は毎日ギリギリです。

朝は洗濯、朝食作り、保育園登園、帰宅後は散らかった部屋の整頓をしたらすぐに仕事を開始。昼休みも昼食を食べたら掃除や夕食の下ごしらえ。終業後は保育園に迎えに行き、帰宅後夕食を食べさせ、夫の帰宅まで娘の遊び相手。座っている暇はほぼありません。

こんな毎日でもなんとか自分を保てているのは、平日に1日休みがあるおかげ。家や子どもの用事を済ませることが多いですが、趣味の「観劇」を楽しむ日としても活用しています。

産後初めて劇場に行った時、世間と切り離された不自由で拘束された生活から解き放たれ、「以前の自分を取り戻せた!!」と大きな感慨を抱いたことを、今でも覚えています。

子どもはとてもかわいく、仕事も充実しています。けれど「生きていて良かった」と一番思う瞬間は心から感動する舞台を見たときである私にとって、観劇は人生を豊かにしてくれるものであり、幸せを感じながら生きるために必要なもの。

その時間を確保するためにも、私にとっては週4日勤務がベストバランスなのです。もし週5で働いていたら、多忙とストレスで私の心の糸は切れていたかもしれません。

2023年に観た演劇のチケット
2023年に観た演劇のチケット

仕事に全力投球することへの憧れと、葛藤

今では「この働き方を選んでよかった」と心から思えていますが、かつて正社員で働いていた頃に抱いていた「キャリアアップややりがいを求める気持ち」を簡単に捨てられたわけではなく、葛藤もありました

20代の頃の私は、鼻息荒く目を輝かせて「全力で仕事をして趣味も楽しみつつ家庭も持ちたい!」と思っていて、就職してから数年間はその勢いでやれていました。しかし人生はそう甘くなく、種々さまざまな「うまくいかない」ことが起こり、やがて不妊治療という壁にぶち当たって完全に心が折れました。

「女性は仕事で輝くべき」「働くならどんどんキャリアアップして活躍していくべき」という風潮とは対照的に、よく言えばゆるキャリ、率直に言うと低キャリの道を歩んでいる自分。全力で働いて成果を出している方々を尊敬する一方で、仕事で成果を上げたり、管理職になったりしていく友人たちを見て焦りや羨望を抱いたり、肩身が狭く感じたこともあります。

しっかりと気持ちの整理がついたのは、不妊治療を経て子どもを授かったとき。それを機に、自分の中で明確に「子育てをしやすい環境が最優先」になりました

「仕事も家庭も趣味も」と全部を叶えようとするのではなく、望みに優先順位をつけ、人生をゆっくり進んでいくことに決めたのです。

育児をしつつ毎日の生活を楽しみ、居心地の良い家庭も作れるような、余裕を持った働き方をしたいと考えるようになって、焦りがなくなりました。

将来子どもが手を離れ、いつかまた全身全霊で仕事に打ち込める日が来ればいい、それまではマイペースに、とにかく働き続けられればそれでいいと思っています。


自分にとっての「幸せ」と優先順位を明確に

もしかすると、私は「理解ある会社に巡り会えた一握りの幸運な人」と思われるかもしれません。しかし私が「子育てのしやすい環境」を求めて仕事を探し、巡り会えたのですから、他の方の「自分にとって働きやすい環境」もきっと見つかるはずです。

私のような派遣社員という道以外にも、パートタイムや業務委託(フリーランス)、起業など、働き方・生き方にはさまざまな選択肢があります。給与などが安定している正社員をやめるのは勇気がいりますし、闇雲にすすめもしませんが、今の働き方や生活に限界や悩みを感じている方がもしいれば、別の働き方を試してみるのもいいんじゃないかなと思います

これを読んで「自分も無理なく働きたい」と思った方が理想の環境を手に入れられるよう、心から応援しています。

私もこれからも頑張ります!

編集:はてな編集部

育児と仕事を両立するには

専業主婦から再び歯科衛生士になって「子育てのしやすさ」と「求人の選択肢の多さ」に気づいた
「子育てとの両立」を第一条件に求人を探す
雇用形態にこだわらない
雇用形態にこだわらない
育児中はフルタイムor時短の2択、ではない。“働き方の選択肢“はできるだけ多く知っておく
“働き方の選択肢”をできるだけ多く知っておく

著者:みかな

みかなさんプロフィール画像

歴史とミュージカルが好きなおたく。舞台や映画の感想をまとめたブログは「やめないこと」をモットーにまったり更新中。育児や日常のつれづれはX(Twitter)に投稿しています。
ブログ:黄金羊の観劇記
X(Twitter):@nakamikanan

コールセンターはきつい? それとも楽? プロのオペレーター・榎本まみが「働きやすさ」を解説


コールセンターの仕事に「きつそう」というイメージを持っていませんか。

「クレーム対応」の印象が強いですが、その業務内容は業種によって大きく異なります。育児や趣味などのライフスタイル、在宅勤務、短時間シフトなど希望に沿ったフレキシブルな働き方ができる職場も。

自身も長らくオペレーターとして勤め、これまで1,000人以上の後輩を育成し「督促OL」として広報活動も行う榎本まみさんに、その実態を教えていただきました。


はじめまして、榎本まみと申します。新卒で信販会社の督促を行うコールセンターに就職し、多種多様なコールセンターで働いてきました。

現在もSV(スーパーバイザー)として現場オペレーターの指導・育成・管理などを担いながら、コールセンターにまつわる漫画やコラムを書いています。

今回は、意外と柔軟に働けるコールセンターの仕事の実情や、私が考える「コールセンターに向いている人」についてご紹介します。子育てが落ち着き仕事復帰を考えている人や、転職を考えている人の参考になればうれしいです。

怒鳴られる仕事とは限らない

初めて出会う人に「コールセンターで働いています」と自己紹介をすると、ほぼほぼ苦笑いと共に、大変ですねぇという反応が返ってきます。目をキラキラさせて「すごいですねぇ! 憧れます!」というような反応をされたことは残念ながら一度もありません。

世間ではコールセンターの仕事といえば、クレームなどでストレスが多い、離職率が高いといったネガティブなイメージが強いようです。

ですが多くの仕事と同じように、ひとえにコールセンターと言っても世の中にはさまざまな職場・業務内容が存在します。お客さまの属性や取り扱う商材・商品によって、コールセンターの雰囲気は全く違ってきます。「えっ!? こんなコールセンターあるの!?」とびっくりしてしまうような、個性に富んだ職場もあるんです。

分かりやすいのは、対企業向け(BtoB)の専用コールセンター。たとえクレームの電話だったとしても、相手は「企業の人間」として問い合わせてくるので、冷静かつビジネスライクに話が進みます。ただし、こういった窓口を担当するオペレーターには、しっかりとしたビジネスマナーや専門知識の蓄積が求められます。

さらに、コールセンターと名前がついているけれど、待機しているオペレーターは1人だけで、一日に数本しか電話がかかってこないようなところもあります。

業種によっては24時間電話がつながる窓口の設置を義務づけられており、その場合、問い合わせの数が少なくても必ずオペレーターが待機しておく必要があります。私が知っているあるコールセンターは、待機時間に漫画が読み放題なんだそうです(小声)。

自分の特性に合った環境・業務内容のコールセンターであれば、ストレス無く働くことだって可能なのです。

柔軟な働き方ができるから、子育てと両立しやすい

コールセンターでは子育て中の人がたくさん働いています。

なぜなら、コールセンターはシフトの自由が利きやすく、残業も少ないので「育児と仕事のバランス」が取りやすいから。

そういった環境が昔から続いてきたからこそ、かつて妊娠、出産、育児を経験してきた女性オペレーターが多く「大変ね~私も経験があるから大丈夫よ!」と、子育てにまつわるあらゆることで融通が効きやすいんです。

他業種に比べて時給が高い傾向があるので、シングルマザーのオペレーターも多め。私も、コールセンターに20年近く勤め、一人でお子さんを育て上げた方を知っています。お母さんの背中を見て育ったお子さんが、成人してコールセンターに就職をしたケースもありました。

もし育児中で「コールセンターの仕事が気になっている」という方は、オペレーターが大人数で、ある程度のバッファがあるコールセンターがおすすめです。お子さんが熱を出して突発的に休まなければいけない場合も、比較的容易に休めます。

また先に書いたような「柔軟な働き方」ができるため、育児中だけでなく多種多様な人が在籍しており、その懐の深さがコールセンターの魅力でもあります。

とあるコールセンターのセンター長は、元アルバイトのオペレーターでミュージシャンを夢見て頑張っていましたが、年齢を重ね夢を諦める決心をし、そのままコールセンターに就職。正社員となり収入が安定したことで結婚も決意できたという人でした。

苦労や挫折を知っている人が多いからこそ、みな温かいのです。

在宅勤務、短時間シフト。どんどん変わる業界


上記のようにもともと「それぞれの生活リズムにあわせて働きやすい」という点が大きな魅力だったコールセンターの仕事ですが、近年はさらにそのメリットが増大しています。

変化の起点となったのは、コロナ禍による在宅ワークの爆発的な普及です。コールセンターで使用するシステムも一気にクラウド化され、自宅にパソコンがあれば電話が取れる時代になりました。

出勤という縛りがなくなったことでシフトがより柔軟に組みやすくなり、育児や介護、また自身の闘病などで長時間働けなくなってしまったオペレーター向けに、9~11時、15~17時など1日の中で複数の短時間勤務を組み合わせるシフトなども生まれました

コールセンターには電話が集中するピークタイムと、人が余剰してしまうアイドルタイムがあるため、1日の中で勤務時間を分散させてピークタイムのみシフトインしてもらえると、職場と働く人の双方にメリットがあります。

また配偶者が遠方に転勤になるなど、それまではコールセンターを辞めるしかなかった状況でも、引っ越し先にパソコンを持っていけば在宅勤務で続けられるようになりました。

南の島に移住して、サーフィンの合間に電話を取っているオペレーターもいます。ずらりと並んだブースでひっきりなしにかかってくる電話を受け付ける、そんなコールセンターの風景は、過去のものになりつつあるのです。

これだけ自由な働き方が許されているのは、コールセンターにとってオペレーターの存在は「宝」と言っても過言でないから

これまでコールセンターのメリットをたくさん話してきましたが、コールセンターは「離職率が高い」職場でもあります。新人オペレーターの離職率は、体感で30%~50%くらい。みなさんのイメージするような「クレームが多い職場」ももちろんありますし、それぞれが各々の事情を抱えているからこそ、退職を選ぶ方も多いのです。

しかし、電話を取ってくれるオペレーターがいなければコールセンターは成り立ちませんし、一人のオペレーターを育て上げるにはとても長い時間がかかる。できるだけ長く勤めてほしいし、業務知識があり、応対も良く、電話もたくさん取れるようなエースオペレーターなら、なんとしてでも職場に留めておきたい。

そんな気持ちから「在宅でも時短でもいい、だからうちのコールセンターを辞めないでくれ!」とばかりに、どんどん環境を整えていく職場が多いのです。

実は「人と話すのが苦手な人」の方が向いている?

ではどんな人がオペレーターに向いているかというと、まずは「意志が強く自分の世界を持っている人」

例えば「子どもを育てる」という目的がある、夢を叶える中での副業と割り切っている、推しのために資金を貯めたいといった人は、仕事が続くケースが多いです。

感受性が豊かだけどタフな人、推理力や観察力のある人。そして意外と、プライベートでは話すことやコミュニケーションを取ることに苦手意識を感じている人も向いています

しゃべりっぱなしなイメージのあるコールセンターですが、大事なのは「お客さまが何の目的で電話をかけているのか」を汲み取ること。コミュニケーションが得意でない人は「思っていることを人にうまく伝えられない、分かってもらえない」という経験があるからこそ、なかなか自分の要望を上手に伝えられないお客さまに対して寄り添うことができるのです。

もちろん全てのケースに当てはまるわけではありませんが、個人的には、上記のような人はコールセンターの仕事を長く続けられる傾向にあると感じます。

一度スキルを身につけると、転職もしやすい

コールセンターは大変そう、話すことが苦手な自分にできるだろうか?

働く前はそんな不安があると思いますし、もちろん大変なこともたくさんあります。

けれど、一度オペレーターのスキルを身に付ければ、どんなコールセンターに行っても活躍できるので転職先が見つかりやすく、意外と“潰し”が効くのがこの仕事のいいところ

私も離婚や病気でキャリアが断絶した経験がありますが、柔軟な働き方ができるコールセンターに救われました。

窮地に立った時こそ、仕事のスキルは自分を裏切りません。

話すことが苦手でも、短時間しか働けなくても、世の中にはたくさんのコールセンターがあります。求人情報をしっかりと見て、自分に合ったコールセンターを見極めれば、きっと楽しく働くことができます

必ずあなたに合ったコールセンターはあります。

こんなコールセンターの世界に、足を踏み入れてみませんか?

イラスト:榎本まみ
編集:はてな編集部

気になる「あの仕事」「あの働き方」の話

ライターから未経験でエンジニアに異業種転職。やり切るために必要なのは「自分の納得感」だった
ライターから未経験でITエンジニアに転職
専業主婦から再び歯科衛生士になって「子育てのしやすさ」と「求人の選択肢の多さ」に気づいた
歯科衛生士は社会人になってから資格を取る人も多い
他人の評価を気にしてばかりだったわたしが仕事選びの“軸”を見つけ、理想の暮らしにたどり着くまで
地方からフルリモートで東京の会社に勤務

著者:榎本まみ

榎本まみさんプロフィール画像

新卒で信販会社の督促コールセンターに配属。次々と辞めていく同僚を見て、コールセンターを世に知ってもらえるよう活動を始める。著書「督促OL修行日記」。コールセンター専門誌にて4コマを11年連載中。
X(Twitter):@n_mototkol

飲み会は途中で帰る。深夜までお酒を飲むのをやめて「朝」を大事にする生活にシフトした|椋本湧也

明け方の様子

誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、個人で本の制作をしながらパラレルワーカーとしてインテリアメーカーや出版社などで働いている、椋本湧也さんにご寄稿いただきました。

椋本さんがやめたのは「夜遅くまでお酒を飲むこと」。朝型の生活にシフトしたところ、働き方や自身の考え方に大きな変化があったといいます。

***

わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。

宮沢賢治『注文の多い料理店(序)』より


現在、朝の6時25分。青白い空の明るさを窓越しに感じながら、この原稿を書いている。頭も身体もスッキリと冴えていて、キーボードを打つ指がはかどる。すっかり冷めてしまったコーヒーを傍らに、次から次へと湧いてくるアイデアを言葉でつかまえようとしている。

「言葉というのは、その時までの自分の枠組みの中にあるものだけが言葉になるんですよ」。そう恩師が言っていたのを思い出す。朝は自分の内側と外の世界とをつなぐ回路が限りなく透明で、言葉がするすると出てくるような気がする。

私は毎朝5時から9時の間に、原稿の執筆や企画の考案といったアイデアと集中力が必要な作業を行う。いわゆる「朝型」の生活だ。

「こんな生活に憧れてた!」数年前の私ならそう言うだろう。かつての私は、夜遅くまでお酒を飲み、原稿とにらめっこして、昼前に起床して会社へ向かうという、今とは真逆の生活をしていた。

今日は「夜更けまでお酒を飲む」習慣をやめた私が、朝の豊かさに出会うまでの日々を振り返ってみたい。

深酒、夜更かし、朝寝坊の日々


お酒を飲むのが好きだ。特に仕事終わりにいただくお酒はたまらない。頭と身体をフル回転させたあとのねぎらい酒ほどうまいものは、この世に二つとないと思う。

しかし、人と一緒にお酒を飲むとき、実のある会話が続くのは1〜2時間くらいで、その後はたいてい惰性で過ごしていた。帰るのがなんだか惜しかったり、もう少し飲みたいような気がしたり、タイミングを逃してしまったり。

付き合いで半ば強制的に参加する会社の飲み会も、途中で抜けることは容易ではない。へらへらと調子を合わせながら、楽しさと虚しさが同居する時間が過ぎてゆく。

あるいは一人でお酒を飲んで、夜中の12時過ぎから原稿を書き始めることもあった。仕事中の眠気がうそのように、だんだんと頭が覚醒してきて、気付くと3時。

その頃になると、何を書いても「自分は天才だ……」と『山月記』の李徴もびっくりするほどの自尊心が姿を現す。しかし翌日その文章を読み返してみると、まったくもって面白くない。自己満足の出来損ないみたいな言葉が並んでいて愕然(がくぜん)とする。そしていつまでも締切に間に合わないのだ。

とはいえ、お酒を飲むこと自体が悪いわけではなく、問題は深酒し、夜更かしをすることだ。夜型の生活サイクルにおいて、「朝」というのは「急いで支度をする時間」というくらいの意味しか持たなくなる。予定ギリギリに起きて、なんとか目を覚ますために熱いシャワーを浴び、重たい頭を抱えて出社する。

翌日が運良く休日だった場合、起きたらもう午後なんてことはザラだ。目が覚めて時計を見た瞬間、激しい後悔とむなしさに襲われる。「次こそは……」。そんな誓いはもう何度破られたか分からない。

しかしそんな日々を続けながらも、本当は「朝が充実した生活」に憧れていた。尊敬する恩師が、夜はできるだけ早く寝て、朝の4時〜5時に起きて冴え渡る論文を書く、というスタイルだったのだ。当時の私は、恩師のような生活への憧れと、そうあれない現実との間に揺れながら、社会人生活を過ごしていた。

環境が変わったことで「朝に作業するとはかどる」と気付いた


そんな生活が変化した直接のきっかけは、新型コロナウイルスの到来だった。当時勤めていた旅行会社の行末が見通せなくなったことで、仕事を辞めたり、創作活動を始めたり、転職したり、さまざま事情が重なる中、ある時生活費も制作費も足りなくなった。やむなく副業として、生協の倉庫で早朝バイトを始めた。人生いろいろあるものだ。

朝5時半に起き、明け方の茶沢通りを自転車で駆け抜ける。広い倉庫に配達トラックが20台くらいぎっしりと並んでいて、二人一組で野菜や米を仕分けして積み込んでゆく。その作業を6時から9時まで3時間行い、朝ごはんを食べた後、当時勤めていた家具メーカーのオフィスで夜まで仕事をする。そんな生活を8カ月ほど続けた。

明け方の街

荷積みが早く終わりそうな日には、長くて45分くらいの中休みがあった。日中は時間が取れないので、この中休みで原稿や企画書を書いた。元々自分は筆が遅くて、書いては消し書いては消しを繰り返しがちなのだが、この時は不思議なくらい言葉が出てきて、納得のいく構成が作れた。朝とクリエイティブの相性の良さを実感した瞬間である。

この「朝の発見」は、私の生活観にコペルニクス的転回をもたらした。夜型から朝型へ。初めこそキツかったが、起き抜けに窓を開けて朝焼けを眺めたり、朝ごはんにおいしいパンを用意したりと、なんとか起きるための工夫を重ねた。すると人間慣れるもので、数週間もしないうちに自然と5時半に目が覚めるようになった。

「お酒の誘い」は受けつつ、途中で離脱して朝型の生活をキープ


生活スタイルに好ましい変化があったものの、問題は「お酒の誘いをどうするか」だった。

とにかく朝が早いため、夜はできるだけ早く帰って寝たい。しかしお酒の誘いを断るのは忍びない。そして飲みに行ったら「空気が読めないヤツだと思われるんじゃないか」と気になり、早く切り上げることもなかなかできない。自分を守るための自意識が勝手に姿を現すのだ。

そんなどっちつかずの状況を変えたのが、憧れの作家・沢木耕太郎さんについて、俳優の大沢たかおさんが言及したインタビュー記事だった。

(沢木さんは)お酒を飲んでいても途中で消えちゃうし(笑)。最後までいないんですよ。風のように消えていきますよ。僕、何度もごはん食べたりさせていただいているけど、テレビ局の人とか編集の人とか何人いても、いなくなっちゃうんだよね、突然。だからさよならも、ありがとうございましたも、言わせないんですよね。

NHK クローズアップ現代「斎藤工、大沢たかお、カシアス内藤…沢木耕太郎の魅力を語る」より


この一文を読んだ時「これだ……!」と思った。「自分も風のように消えてみよう」と。

そこから、「お酒の席・途中離脱チャレンジ」が始まった。複数人で飲んでいるときは、10時くらいには「そろそろ失礼します」と颯爽と場をあとにする。社外の交流会では一次会で必ず帰ることにした。「私は風なのだ……!」と心の中でつぶやきながら。

最初は「場の雰囲気を壊すかな」とドキドキしていたけれど、いざ思い切ってやってみると尾を引くことはほとんどなかった。チャレンジ成功である。

親しい友人と飲む時は、事情を素直に伝えて早く締めてもらうようにした。深酒はせず、遅くとも12時までには自宅に帰るようにした。朝型の生活を続ける中で「自分は最低5-6時間寝れば翌朝スッキリ起きられるタイプ」だと気付いたからだ。

とはいえ、ただ単に「飲みの席をお暇する」が目的だったら、このチャレンジは失敗していたかもしれない。「自分は『夜』ではなく『朝』という場所に、もう一つの豊かな時間を持っている」という事実が、私の背中を押してくれたように思える。

夜更けまで飲まないことで気付いた「腹八分目の幸福論」


このチャレンジで学んだのは、「やり尽くさない」ことによって生まれる幸福感があるということだ。

「もう少し話したい」とか「もう少し飲みたい」という「腹八分目」で、エイっ! とやめてみる。すると心地よい余韻が後を引き、次につながる。一つの会話や一杯のお酒が不思議と味わい深くなり、「またね!」という別れの挨拶に実感がこもるのだ。その夜の出来事が、記憶の中で素敵なパッケージに包まれる。

帰宅してもまだ12時前。翌朝すっきり起きて、原稿を書くことができる。それに昨夜の会話の記憶がしっかり残っているから、インスピレーションにつながることもある。大人のお酒の飲み方とはこういうことなのかもしれない。

もちろん、遅くまで飲んでカラオケでどんちゃんやる「幸福感」もあると思うし、盛り上がったあと、憧れの人に「もう一杯だけ飲みませんか?」と誘われて終電を逃す「幸福感」もある。たまにはそうあっていい。けれど「もう少し」というところでやめるからこその「幸福感」もまたあるのだ。

慎み深くお酒を飲み、修行僧のように朝早く起きるというのではなく、異なる幸福感の「質」を知るということ。それが、私が「夜更けまでお酒を飲むのをやめる」ことができた理由ではないかと思う。

そう、私たちは、「氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむ」ことができるのだ。

朝のすきとおった空気の中で、自分にとって「こころよい」ことをやってみる


ここまで一気に書き上げて、「command + S」のショートカットキーを確実に押して内容を保存し、目線を上げる。窓から朝日が差し込んで、部屋が明るくなってきた。思い出したように冷めたコーヒーを一口すする。そろそろ世界が忙しなく活動を始める頃だ。


デスクの上のコーヒー

早朝の倉庫バイトをやめてからも、朝型の生活を続けている。夜明けとともに一日をスタートする生活習慣が自分の身体にとって最も自然であり、良いパフォーマンスにつながることを日々実感している。作品も、文章も、自分にとって納得がいくものは全て朝の時間帯に作られたものだ。

時刻は9時過ぎ。今日はこのあと洗濯を干し、食事をしたのち、オンラインで打ち合わせが一つ。郵便局で発送を済ませ、午後からオフィスに向かう予定だ。こうした生活を送れていることを、心底ありがたいと思う。朝の光を感じながら、思考をめぐらせ、文章を書けることを。

もしも、この記事を読んで朝を味わいたくなった方がいたら、まずは一日だけ、早く寝て早く起きてみてほしい。できれば、快晴の、朝の光を感じられる日に。

そして朝のすきとおった空気の中で、あなたがこころよいと感じることをやってみよう。お香を焚いてストレッチしてみたり、コーヒーを淹れて本をめくってみたり、お気に入りの音楽を聴きながら町を散歩してみたり。きっと、朝のことが好きになると思う。

あなたが朝を味わっているその時、遠く離れた場所で、私もまた朝を味わっているだろう。そしてまた、海辺の町で、山間の村で、摩天楼が立ち並ぶ都会の片隅で、同じように朝を味わっている人たちがいるはずだ。

さあ、想像をめぐらせて、桃いろの日光で乾杯しよう。うつくしい朝の光は、誰のもとにも等しく訪れるから。

編集:はてな編集部

自分に合った「仕事と生活のリズム」を見つける

お酒に頼るのはもうやめた。息切れせず働き続けるために必要だった“平熱”の日常
「お酒に頼らない働き方」を見つけるまで
大人数の飲み会に行くのを(ほぼ)やめてから1年半以上経った|チェコ好き
大人数の飲み会に行くのを(ほぼ)やめてみた
「ストイック頑張りマン」をやめた|藤岡みなみ
ストイックに頑張りすぎるのはやめた

著者:椋本湧也

椋本湧也さん

1994年、東京生まれ。北欧の家具メーカーと出版社に所属し、Webのマーケティングや編集の仕事を行うかたわら、フリーで取材や執筆を行う。さらにそのかたわらでZINEの制作や「詩を誤読する会」を主催。近著に『26歳計画』『それでも変わらないもの』『日常をうたう 8月15日の日記集』など。

X:@kiiroilemon27

専業主婦から再び歯科衛生士になって「子育てのしやすさ」と「求人の選択肢の多さ」に気づいた


出産・育児をきっかけに一度退職し専業主婦になったものの、再び歯科衛生士として働き始めたこんこんさん。

就職活動や復職後の職場の環境などを通じて「歯科衛生士という仕事と子育ての両立のしやすさ」に気付いたそうです。

子どもが生まれ「仕事と子育ての両立、無理かも?」と退職

高校3年生の時に「手に職をつけた方がいいだろうし、将来は歯科衛生士になったら?」と母に勧められ、「そうしよっかな」と仕事の内容もよく知らぬまま歯科衛生士専門学校に入学。その後、無事に国家試験免許を取得して歯科衛生士となった。

仕事が終わったあとに渋谷や新宿などに出かけやすいという理由で、港区の歯科医院に就職。東京暮らしを謳歌しながら正社員として10年働いたタイミングで結婚し、妊娠した。

産休に入るまで元気に働き、育休を取得して初めての子育てに悪戦苦闘しつつも充実した日々を過ごしていた私は、そのまま元の職場に復帰すると信じて疑わなかった。

ところがある日私は気がついた。職場には、子どもを育てながら正社員として働いている人は一人もいない。スタッフの数も少ない。

私が急に休んだり早退しなければいけないときはどうするのだろうか。復帰したとして、本当に育児と両立しながら仕事ができるのだろうか。

そしてさらに気がついた。子育ては新生児期が一番大変で、成長すればするほど手がかからなくなると思っていたが、成長するにつれ逆にどんどん手がかかるようになっているぞ? ということに……。

子どもを産むまで気が付かなかったことが一気にのしかかってきた。そして感じるようになったのは「このまま復帰しても、育児も仕事もうまくいかないのでは」という不安

一方で、育休をとっている身としては復職すべきという責任も感じていた。なので子どもが1歳になる年に保育園に入園させ、復帰の準備をしていたが、入園後まもなく新型コロナの大流行が世界を襲った。

ただでさえ復職や育児のことでいっぱいいっぱいいっぱいであるのに、未知のウイルスの恐怖までのしかかった。「もう無理だ……」と思い詰めたことで仕事を辞める意志が固まり、復職せずにそのまま退社することとなったのだった。

その頃、新型コロナの影響で夫も在宅勤務が可能になった。そうなると、都心に住み続ける必要がなくなった。そもそも当時住んでいた家は、エレベーターがなく4階まで階段、34平米、風呂はバランス釜……と、子育てに適しているとは言えない物件だった。

夫婦での話し合いの結果、親も親族も友達も周りにいないけれどのびのびと子育てができそうな北関東の地に引っ越しを決めた。

「育児と両立できる」を条件に、専業主婦ののち再び就職

新しい家にはエレベーターがあり、部屋は55平米、風呂はバランス釜ではなくなった。私は港区の正社員から北関東の専業主婦になり、寝転んでいた子どもは自力で歩けるようになった。

がらりと変わったライフスタイルに対応して生活基盤を整えるべく、しばらくは仕事はせず家庭に専念しよう。私はそう決めた。

2年もたつと新しい土地での生活にも慣れ、同時に子どもをずっとつきっきりで見ていることに閉塞感を感じ始めた。

一度断念した「子育てをしながら働く」という選択肢。私はふたたびそれを意識するようになった。

それでもまだ私の中には「果たして私に育児と仕事の両立ができるのか」という不安があった。ただ、何事もやってみなくては分からない。「どうしてもダメなら辞めればいい」と思い、まずはパートで復職することを目指した。ダメ元で申し込んだ近所の保育園は無事に内定をもらえ、私の職探しがスタートした。

2年の子育て経験と前職での経験を生かし、私は4つの条件を決めて就職先を探した。

1.家と保育園から近い
在宅勤務をしている夫に加え、私も子どもの急なお迎え要請に駆けつけられるよう、自転車で通える範囲で仕事を探した。通勤時間を短くすれば、体力も温存できる。

2.急な休みの影響が小さい
小さな子どもは突然熱を出すので、急な休みが許容されるかどうかは重要だ。そもそもスタッフの人数が少ないと急な人手不足に対応できず診療がままならないであろうことは経験上予想できたので、人数があきらかに少なそうなところは避けた。

また求人サイトでは子育て世代が働いていて理解がありそうか、子持ちを歓迎しているかなどをチェックした。面接でも幼い子どもがいること、急な発熱などで休みたい場合に対応してもらえそうか、あらかじめ院長に確認した。

しかしいくら休みを許容してくれるからと言って、職場での急な欠員に困らないわけはないので、病児保育の申請など、こちらの備えも同時に進めた

3.自分の希望する時間で働ける
まずは時間を抑えて少しずつ働き始め、自分の「仕事と子育ての両立のバランスを見つけたい」という気持ちがあった。

保育園も預かり時間の短い制度を利用予定だったので、規約にあわせたシフトを組んでもらえるかを念頭に仕事を探した。具体的には「週3日か4日程度、16時までの勤務」という条件を面接時に伝えた。

4.子どもに携われる
正直なところ出産するまであまり子どもが好きではなかったのだが、不思議なもので出産後は視界に入る子ども全員をかわいく思えるようになった。

専業主婦をしているあいだに、今後は子どものためになることがしたいと漠然と思うようになったため、子どもの来院が多い職場を選ぶようにした。


改めて思う、歯科衛生士の仕事と子育ての両立のしやすさ

条件がはっきりしていたこともあってか希望する職場がスムーズに見つかり、無事に内定をもらうことができた。そして現在、週に3〜4日、朝は9時過ぎに出勤し16時ごろに退社というスケジュールで働いている。

月に数回は子どもを夫に見てもらって土日も出勤し、勤務日数は月に15日程度。ほぼ希望に沿った働き方ができている。

心配していた子育てとの両立も今のところ無理なくできており、子どもをつきっきりで見ていた頃に比べて生活にメリハリができたことで、今の方が精神的に余裕がある。

私が無事復職を果たせたのは、歯科衛生士の資格を持っていたこと、そして歯科医院はコンビニより多いと言われているほど全国どこにでもあることが大きかった。自分の望む環境が整った街に引っ越しても、希望の職場が見つかるのは歯科衛生士のいいところだと思う(もちろん、夫の協力と在宅勤務のおかげもある)。

母に勧められるまま歯科衛生士の職に就き、20代は「私は一体なんでこの仕事を選んだのだろう……」と思い悩む日もあった。

しかし今改めて歯科衛生士という仕事について考えてみると、

  • 働き口が多く、自宅付近で職を探しやすい
  • 医療職ではあるが基本的に夜勤がない
  • パートから正社員への移行がしやすい


と、子育てとの両立においてメリットが多い。今の職場では、子育てが落ち着いた40〜50代でパートから正社員になる人もいて、ライフステージに合わせて柔軟に働き方を変えられるのも技術職の良さだと感じる。

この記事を読んで歯科衛生士に興味を持ったけど、資格を持っていないから無理だな……と思った人もいると思う。しかし私が通っていた専門学校では、子育てがひと段落した主婦の方や、大卒後他の仕事を経験してから資格を取りに入学した方など、生徒のおよそ10%くらいが社会人だった。

なので年齢や経歴を気にせず、興味がある人はぜひ足を踏み入れてほしい。歯科助手から始めて、歯科医院の雰囲気を体験してみるのもいいと思う。

私が学生だった10年以上前から、全国的に歯科衛生士の数は不足しているので、就職先も見付けやすいはずだ。

***

「ある時期は最適だと思っていたことが、ライフステージや自分自身の変化によってしっくりこなくなる」ということは仕事でもプライベートでも起こり得る。

フィットしないようであれば、今の自分に合う形を探し試していくことで、その時の心地よい働き方や暮らし方に出会える。これは転職や引っ越しを通して感じたことだ。

そう思えるようになった今、何らかの理由で職場を変えることになった時に備え技術の向上に意欲的になり、以前よりも歯科衛生士という職に前向きな気持ちが持てるようになった。また何時も健康でいられるよう、最近は体まで鍛え始めている。

この記事が、歯科衛生士という仕事に興味をもってもらうきっかけになったらうれしいです。お互い、頑張りましょう!

編集:はてな編集部

「もう一度働きたい」あなたへ

専業主婦から再び会社員へ。「お母さん」ではなく自分の名前で呼ばれる場所を得て生きやすくなった
職場は「お母さん」ではなく、自分の名前で呼ばれる場所
ブランク約8年。専業主婦を経て再び外で働き始めた私が、不安を乗り越え手にしたもの
「ブランク8年の不安」を解消した方法
共働きの家事育児分担で不満をためないコツは?夫婦がしんどくならないためのコミュニケーション
共働きになったら、家事育児はどう分担すればいい?

著者:こんこん

こんこんさんプロフィール画像

歯科衛生士。海外旅行が好きで旅行先ではかならず現地の歯医者を訪れ歯のクリーニングを受けるという楽しみを持つ。好きな食べ物はフォー。
X(Twitter):@satomiconcon

ライターから未経験でエンジニアに異業種転職。やり切るために必要なのは「自分の納得感」だった


フリーランスのライターから、Webエンジニアへ異業種転職をした菊池百合子さん。

かねてより「エンジニア」という仕事に興味を抱きながらも勉強を始めては挫折……を繰り返していましたが、あるとき「半年以内に転職する」と具体的な目標を決め、勉強と転職活動に全力を注いだことで、転職を実現。

転職から1年がたった今、目標をぶらさずにやり切れた理由を振り返っていただきました。


2022年の夏にエンジニアになってから、1年以上の時間が流れた。

友人から転職について相談されることも増え、少し時を置いた今だからこそ、転職のことを落ち着いて振り返れるようになった。

後から思えば、あの行動が異業種転職につながったのかもしれない。そう思うアクションがいくつかある。当時も今も手探りで進んでいる状態だけれど、転職できるか分からなかったあの頃の自分に伝えられたらいいなと思うことを、ここでお話できたらと思う。

プログラミングの勉強を始めては、挫折してきた

転職の話をする前に、少し時間をさかのぼり、ライターをしていた頃の話を。

私は書くことそのものを目的にしていたわけではなく、伝えるための手段として「書くこと」を選び、ライターになった。

インタビューして記事を書く仕事に、自分なりの思いを注いできた。一方で、ライターだけを一生の仕事として続けるイメージはずっと持っておらず、むしろ「書くこと」以外にも人の役に立てる手段を増やしたいと思い続けてきた。

仕事を通じてさまざまな職種の方のお話を伺うことで、結果的に、自分はどのように人の役に立ちたいのかを考えるヒントをいただいていたようにも思う。

ライターを続けるなかで興味を持ったのが、Webエンジニアの仕事だ。人の思いを形にできる点がライターと共通しており、さらに一歩踏み込んで、技術によって課題を解決できる点に惹かれた

そこでまずは、エンジニアを長く続けている知人に、仕事において必須となるプログラミングをどのように勉強するのか、どのようなプロセスでエンジニアになっていくのか、話を聞きに行った。

しかしせっかく勉強方法を教えてもらって始めてみたものの、いつのまにか教材に触れなくなっていた。その後も「エンジニアになりたいのか」すらぼんやりしたまま勉強を始めては、気づいたら勉強しなくなっている……そんな挫折を何回も繰り返した

少なくとも私の場合、まずは「エンジニアになる」と明確に目標を決めなければ、勉強が続かないんじゃないか。そう気付いた頃にはライターになって4年がたっており、これまでライターを続けてきた日々に対して、自分なりの達成感を持てるようになっていた。

「そろそろ次の選択をするタイミングなのかもしれない」

本腰を入れて、エンジニアになるための準備をしようと決めた。

だから精神論になってしまうけれど、私がエンジニアになるために最初にやったことは「腹を括る」ことだったんだと思う。ここでようやく、ライター専業の生活に終止符を打つ、という決断をした。

「週40時間勉強し、半年間で転職」明確な目標を立ててスイッチを入れた

もう二度と挫折を繰り返さないためには、自分の行動を変える必要がある。そこで私は、転職支援スクールに入ることにした。一人でやり切れないなら、誰かの力を借りるしかないと思ったからだ。

転職準備のために購入したノート
転職準備のために購入したノート。転職活動が終わるまで毎日使っていた


スクールの目標は「半年で転職を達成すること」。応募条件には「勉強のために週25時間以上確保できること」とあった。

25時間なら仕事と両立してもなんとか確保できるかなと思っていたところ、実務未経験でエンジニアに転職した経験のある講師から「週30時間でもギリギリですね……理想を言えば40時間は確保してほしい」と入会前の面談で言われた。

正直に言えば、以前の私は週10時間の勉強でも「まあまあやっている」と思っていた。自分の認識があまりにも違っていたことを、スタートラインで突きつけられたのだ。

ここはもう、やりきるしかない。自分にとって大きな金額を払い、仕事を続けながら毎週40時間を勉強のために確保すること、そして半年間で転職活動を終えることを、自分に課した

ここまで読んでくださったら伝わっているかもしれないが、私は決して、一人でストイックに頑張れるわけではない。

痛みがある出費をして、心が折れそうなときでも「あんなにお金を払ったし……」と思える状態になったこと。自分の行動を常に見てもらえる環境に身を置いたこと。そして、周囲の人と期限を共有したこと。この3つが揃って初めて、自分を変えられた。

あえて自分を「ひとり」にする時間をつくった

こうして走り出した半年間の転職準備で、一つだけ意識していたことがある。それは「相談する相手を絞ること」だ。

なぜなら「エンジニアになる」という選択の理由を、周りの人にうまく伝えられる気がしなかったから。近しい人から「なぜエンジニアになるの?」なんて聞かれると自分の意志が揺らいでしまいそうだったから、誰かの声に影響されないようにしたのだ。

だから転職準備の期間は知り合いに会わず、会ったとしても転職の話はせず、できるだけ自分を「ひとり」にするようにしていた。そうでないと、仕事をしながら週40時間を勉強に充てられなかったという面もあるけれど。

ただ、誰にも相談しなかったわけではない。具体的に欲しい情報があるときは、自分が進みたい道をすでに歩んでいる経験者に話を聞きに行った

私が転職準備をしていた当時、実務未経験者にとってWebエンジニアへの転職は、なかなか狭き門だった。そこで、未経験者は書類選考で何割程度が落ちるのか、通過するためにどんな準備が必要なのか、スクールの講師から実体験を通じて教えてもらった。おかげで実際にたくさんの不採用通知が届いても不安にならず、自分のやるべきことに集中できた

加えて、採用のための面接とは別に、さまざまなキャリアを重ねているエンジニアの方々に面談を申し込んだ。複数社を経験している方にはそれぞれの会社選びの理由を、役職に就いている方には今のキャリアに至るまでの経緯を聞かせていただいた。

エンジニアになったその先に広がるキャリアステップは、人の数だけあると知れたことで、転職の先に続いていく「エンジニアとしての自分の歩み」に思いを馳せることができた。

そして未来を思い描けたからこそ、目の前の内定を承諾するかどうか、自分の意志で選んで決められたのだ。

勉強漬けの毎日の癒やしは、散歩中に出合う猫たち
勉強漬けの毎日の癒やしは、散歩中に出合う猫たち

誰かに納得してもらうことを優先しなくていい

面接に至らなかったケースも含めれば50社近い企業から不採用通知を受け取ったものの、なんとか目標どおり、半年間で転職活動を終えた。

入社したのは、自社サービスの開発事業と、他社のシステムを開発する受託事業を手がけるベンチャー企業だ。ここで私は入社以来、バックエンドの開発担当として、毎日プログラミングに向き合う日々を過ごしている。

実務未経験のエンジニア志望者は、エンジニアとして採用されてもプログラミングをさせてもらえないケースがある、と聞いていた。だから「プログラミングができる」ことが、私にとって転職の絶対条件だった。

他にも、こういう会社で働きたい、こういう会社は合わない、といった条件を面接を受け始める前に一通り書き出していた。自分の希望を明確にしていたことで、条件に合致する今の会社への入社をすんなり決められた。

転職から1年以上がたった今でも、その選択が間違っていなかったと思えるのはやはり、他人の声に振り回されず、自分の納得を最優先にしたからなのだと思う。

***

異業種転職をしようとすると、周りからの「なんで?」という問いにさらされ続ける。でもその疑問に答えられなければ、転職を選んではいけないのだろうか。

もちろん、面接担当者の「なぜエンジニアになりたいのか」の問いには答える必要がある。私も、面接のための回答は念入りに準備した。

でも本当のところ、選択の背景は、一言では言い尽くせない。納得してもらおうとすると体力がいるし、会話しているうちに自分の意志が揺らいでしまうことだってあるだろう。

それなら、周りの人に納得してもらうことは少し横に置いておいて、「自分が納得すること」を最優先にする時期があってもいいんじゃないか。

私の場合、今でも「なんでエンジニアに?」という問いにうまく答えられない。それでも自分で選んだ道を歩いている今、これだけは胸を張って言える。
この選択をして、本当によかった、と。

編集:はてな編集部
トップ写真撮影:土田凌

みんなの「転職」体験談

異業種転職は必ずしも“リセット”じゃない。元看護師の私が、仕事は「地続き」だと感じた話
看護師からWebデザイナーに異業種転職
やりたい仕事が分からず「安定した生活」をしていた私が、悩んだ末に決めた今の働き方
Uターン就職→東京に戻り編集ライターに
仕事も自分自身も「決めつけない」ことが、異業種へのキャリアチェンジのカギになる──書店員・粕川ゆきさん
29歳でメーカーを辞め、未経験で始めた“書店員”

著者:菊池百合子

菊池百合子さんプロフィール画像

2018年からライターになり、インタビュー記事を中心に、Webメディアや雑誌で執筆。2022年夏に異業種転職をしてWebエンジニアへ。現在はプログラミング言語を書く傍ら、文章を書くことも続けている。関心のあるテーマは「地域」。
X(Twitter):@kikuchi410
note:@kikuchi410

仕事と育児で忙しくても自分の時間を確保するため「朝時間」を活用するようになった話

てらいまきさんの自分のための朝時間

仕事や子育てに追われる日々の中で、「自分の時間」を持つことはなかなか難しいもの。趣味や好きなことを「時間がない」と諦めてしまう方は少なくないでしょう。

2児を育てるイラストレーターのてらいまきさんも、出産後、自分の時間がないことに悩んでいたそう。しかし、朝の時間を活用することで、自身にとっても家族にとってもポジティブな影響があったといいます。

***

こんにちは。京都在住のイラストレーター、てらいまきです。システムエンジニアの夫と共働きで、6歳の息子と4歳の娘を育てています。

てらいまきさん一家

幼児を育てている人あるあるだと思うのですが、本当にびっくりするくらい「自分の時間」がないですよね〜! やることがぎゅうぎゅうで、1日があっという間に過ぎていく……。

私もフリーランスではありますが、子どもを保育園に預けながら朝から夕方までがっつり仕事をしています。そんな中でも「自分の時間」が欲しいと思い、以前は子どもを寝かしつけしたあとに起きて、絵を描いたり漫画を読んだり映画を見たりしていました。

しかし、寝かしつけに時間がかかったり、そのまま寝落ちしたりしてしまうことも。あるいは、がんばって起きて何かしたとしても、いざ寝ようとした時に目がさえて寝られず、結果的に寝不足……という悪循環に陥ってしまうことも多々あったのです。

モーニングルーティン動画で「朝時間」に興味を持つ

「夜の時間を使おうとすると、かえってストレスになることもあって難しいな……」と悩んでいたところ、出会ったのが通販サイト「北欧、暮らしの道具店」が公開している「モーニングルーティン動画」でした。

私のド偏見で申し訳ないのですが、「モーニングルーティン」なんて忙しい自分には到底まねできない「丁寧な暮らし」が満載で、見るだけでうらやまし過ぎてつらくなってしまいそう……と避けていたジャンル。

でも「好きな通販サイトの動画だし……」と試しに見てみたところ、意外にも胸に刺さりまくったのです!

もちろん、自分にはまねするのが難しいと感じる部分もあるのですが、このチャンネルが素敵なのは人選が魅力的なところ! 「校正者」「フローリスト」「バイヤー」「料理家」など、なかなか出会うことのない多種多様な職業の方の朝時間が見られて、「こんな仕事があるんだ!」「こういう職業の人は、こんな生活サイクルなんだ!」と発見の連続。

いつのまにか、うらましい気持ちよりも、いろんな人の貴重な朝時間を知れる楽しさの方が勝っていました。



「北欧、暮らしの道具店」のYouTubeチャンネルで公開されている、校正者・牟田都子さんのモーニングルーティン動画

お子さんがいる出演者も多いので、育児と仕事の両立で参考になるポイントも多いです。どのように仕事スイッチを入れているかなども本当に人それぞれで「いろんな方法があるんだな〜」と勉強になります。どれも10分程度の動画なので、さくっと見られるのもまたよし!



「北欧、暮らしの道具店」のYouTubeチャンネルで公開されている、スタイリスト・城素穂さんのモーニングルーティン動画

自分でも「楽しい朝時間」を過ごしてみたくなった

動画の出演者の中には朝5時、6時などから起きている方が多く、いくつか見ているうちに、自分でも「朝早く起きればこんなにいろいろできるの?」と早起きに対してどんどん興味が出てきました。


モーニングルーティンに感動するてらいさん
フローリスト・渡辺安樹子さんの動画を見て感激した時の様子

「朝早く起きたらいろいろできる」というのは頭では分かっていたのですが、これまで夜型生活を送ってきたので「早起きなんて自分には無理!」と最初から諦めていました。

しかし映像で実際に早起きをしている人たちを目の当たりにしたからか「本当にできるんだ」と衝撃を受けました。そして、「朝時間そのもの」を楽しんでいる人がこんなにいるということも驚きでした。

モーニングルーティン動画を見ていると、「中国茶を丁寧に淹れる」「お香を炊く」「豆から挽いてコーヒーを淹れる」「一箇所だけ整理整頓」などその人なりの朝時間を楽しむエッセンスが満載で「これはまねしたい!」と思うものがいくつもありました。

「朝時間すっごく楽しそう! 私も起きるっきゃない!と思い立ち、行動に移してみたのです。

試しに早起きして、掃除をしてみた

ということで早速早起きにチャレンジ! 今まで7時15分に起きていたのですが、試しに5時半に目覚ましをセットしてみました。

起きられるんだろうかとドキドキしたけど、意外とすんなり起きられました。前日に夜更かしをやめて、子どもと一緒にすぐ寝たのが大きかったのかもしれません(22時前には布団に入り、22時半までに就寝しました)。

モーニングルーティン動画では朝に掃除をしている方が多いので、まずは疎かになっていた掃除をやってみることに。


早起きして掃除するてらいさん

洗面所、トイレ、風呂場、台所シンクを掃除し終えて、この時点でまだ6時半……! 「早起きは三文の徳」というけれど本当だ〜と実感しました。

早起きして家事をするなんて人生で1回もやったことないしやろうと思ったことすらなかったので「こんっっっなにすごいことが私にもできたんだ!!!!」と自己肯定感が爆上がり。

子どもの寝かしつけ後に家事をする元気はなかったけど、しっかり寝て起きた朝なら、元気で気力もあってできました。あんなに掃除を放置していたというのにこの差は一体……。

これをきっかけに「普段からこまめに掃除をしよう」という気持ちが芽生えました。とはいえ、もともとめんどくさがりやな性格で気を抜くとすぐサボってしまうので、やる気がなくなったら「動画を見返してやる気を出す」という方法を取っています。

動画で掃除をしているのを見ると掃除が素敵なことに思えてきて「掃除をする私までイケてるんじゃない?」というマインドになれるのでオススメです。

「自分のため」の時間として楽しんでいること

以来、早起きをし始めたのですが、もちろん家事だけではなく、自分のためにも時間を使っています。

多いのがラジオやPodcastを聞くこと。ゴロゴロしながら聞いたり、洗面所を締め切って顔を洗いながら流してニヤニヤしたり。誰にも邪魔されない私だけの時間に、とても癒やされています。

そしてこんなことまで始めました。それは朝からフルーツサンドを作ること!

フルーツサンドなんていかにもめんどくさそうですが、モーニングルーティン動画で料理家の方が紹介していたのが「生クリームの代わりにマスカルポーネチーズを使う」レシピ。これがとても簡単そうで、めんどくさがりやの私でもできる! と思ってまねしたくなったんです!

バナナのフルーツサンド

食パンにマスカルポーネチーズを塗って、フルーツを置いて(挟むのがめんどくさいのでオープンサンドで!)食べてみたらめっちゃおいしい!!! ちなみにフルーツは、子育て中の家庭ではおなじみであろうバナナ一択です。手軽だし、子供も喜んで食べてくれます。フルーツサンドが簡単に作れるという知見を得たことで、朝食の選択肢が増えて楽しくなりました。

さらには自分でもびっくりなことに、ロイヤルミルクティーを淹れちゃう日まであったりします!!

自分のためだけに淹れるロイヤルミルクティーは至福の味。レシピは私が一番おいしいと思っている「ロンドンティールーム」のもので淹れています。(しかも公式サイトで淹れ方を公開しているという素晴らしいお店なので、ぜひ参考にしてみてください。濃厚で本当においしいから!)

人に会わない日でもおしゃれをするように

朝の時間を使うようになっていろんな変化がありましたが、中でも自分にとって大きかったのが、好きな服を着て仕事をするようになったこと!

今までの私は、打ち合わせなどで人に会うことがない限り、服も髪も全部適当で、楽さを優先していました。忙しい朝に、自分の身支度にかける時間なんてなかなか取れないし……!

でも、モーニングルーティン動画に出ていた在宅ワーカーの方が好きな洋服を選んで仕事のスイッチを入れると話し、着る服やアクセサリーを楽しそうに選んでいたりメイクをしたりしているのを見て、なんてすてきな仕事のスイッチの入れ方〜! と感銘を受けたのです。


好きな服で仕事するようになったてらいさん

確かに気持ちがシャンとします。

それに、自分のことは自分が一番しっかり見るんだから、お気に入りの服を着てるとやはり楽しいものですね〜。通勤している方には当たり前の話かもしれないんですが、私にとっては革命が起きたくらい大きな変化です。

朝時間が「心の余裕」を作ってくれた

私には早起きなんて到底無理だと思っていたけれど、試してみたらいいことがたくさんありました。

特に「心に余裕ができたことで、子どもに対するイライラが減った」ことは本当に大きい!

以前は毎朝ギリギリの状態で保育園へ送り出していたので、焦燥感がすごかったのですが、今では子どもが起きる時間までには自分の身支度が終わっているし、さらにはラジオを聞いてひと笑いしたあとなので気持ちの余裕が違います。

そして早起きしているので、寝つきがとっても良くなりました。睡眠の質が上がったからなのか頭もスッキリしている気がします。仕事をしていても、前よりもさえてる気が!

ちなみに、早起きを続ける上で私が大事にしているのは「『絶対早起きして活動する!』と意気込まずに、たとえ何もしなくても、朝起きられただけでOKにする」というルール。

ただ何もせずごろごろ床に転がってネットやSNSを見て朝時間が終わったとしても(かなりよくある)SNSをゆっくり見られたという「誰にも邪魔されない自分時間」が持てたことに変わりはありません。それだけでも「ストレス解消できたからよし!」と考えています。

そして、「早起きなんてできないと思っていたのに、今日も早起きできて私やるなあ〜」と、毎日自分を褒めて自己肯定感をじわじわ上げています。本当にチャレンジしてよかった〜!!

子育てしながら働く毎日は大変だけど、これからも「自分の時間」だけは大切にしていきたいと思います。

編集:はてな編集部

「自分の時間」を大切にするには

共働き&子育て中は時間がない! みんなどう工夫してる? 「育児中の可処分時間」調査結果
「育児中の可処分時間」みんなどう捻出してる?
仕事は“人生の一部”。仕事と適度な距離をとり、生活を大事にできるようになった話
仕事は“人生の一部”と考えられるようになるまで
仕事のオンオフ切り替えに“朝の散歩”はおすすめ。ベテラン在宅ワーカーが実践する「無理のない散歩生活」
仕事のオンオフ切り替えに「朝散歩」がおすすめ

著者:てらいまき

てらいまきさん

食べることが大好きな京都在住イラストレーター・漫画家。食べ物イラストとコミックエッセイが得意。
著作に『めんどくさがりやの自分の機嫌を取る暮らし』(竹書房)『ご当地グルメコミックエッセイ まんぷく京都』(KADOKAWA)、『北欧フィンランド 食べて♪旅して♪お洒落して♪』(実業之日本社)、『アイスランド★TRIP』(地球の歩き方)などがある。

サイト:てらいまき X:@maaki888maaki

フリーランス妻、フルタイム夫、子ども2人。4人のチームプレーで忙しい毎日を乗り切る【みんなの1日のスケジュール】


子育てしながら働くワーママ&ワーパパって毎日どうやって乗り越えているの……?

夫婦それぞれ、どんなタイムスケジュール&ルーティンで、どんな工夫をしているのかを教えてもらう本シリーズ。

第3回は菅原さくらさんに登場いただきました。

菅原さくらさんプロフィール

菅原さくら プロフィール

・フリーランスのライター・編集者として働く36歳。​​平均週2日ほど取材や打ち合わせなどで外出があるが、基本は在宅勤務。時間的にはほぼフルタイム勤務
・夫(35)は建築設計事務所でフルタイム勤務の建築士。週3~4日程度、出社や現場に行く日があるが、在宅勤務もあり
・長男(小2・7歳)、次男(4歳・年少)との4人暮らし

👨‍👩‍👦 育児中・共働き夫婦のスケジュールを教えて! 👨‍👩‍👧‍👦

菅原さん家族の1日のスケジュール

この数年で、私は働き方がぐっと変わりました。

新型コロナ前はつい「入れられるだけ仕事を入れて稼いでおこう」と考えがちだったのですが、2020年の緊急事態宣言下は仕事量が7~8割ほどに縮小。

「これくらいスケジュールにゆとりがあると、精神衛生上かなりいいな……」と感じたことをきっかけに、単価アップ&業務効率化で収入は上げつつ、仕事量はフル稼働の8~9割をキープするようにしています。

仕事量を抑えているおかげで、長男の就学で増えた宿題チェックや習い事の付き添い、風邪を引きやすい次男の看病などにもなんとか対応できています。

とはいっても、めまぐるしい日常。ギリギリ回していくためにどんなことを工夫しているのかを紹介します。

★1 忙しい朝は「思考」と「移動」を省く

一人で元気に起きてくる長男と違い、とにかく寝起きの悪い次男。一度や二度ではまず起きないため、余裕を持って出発の1時間前から声かけをスタートします。

それとほぼ並行して、夫は子どもたちの朝食を準備。なんらかのパンとバナナ、ヨーグルト、ミロを定番キッズメニューとし、まだ脳が半分眠っていても用意できる仕組みにしています。

菅原さくらさんファミリーの朝
眠くて白目の弟と、朝から基本ごきげんの兄。ヨーグルトの種類は固定せず、ささやかな変化をつけるようにしています


次のタスクは、前日に洗濯乾燥しておいたものを元の場所に戻すこと。

「乾燥機と浴室乾燥をフル活用して、ベランダに干さない」「洗面所内に子どもたちの洋服やタオルを収納して、運ぶ手間を省く」など、ほとんどの作業が洗面所のなかだけで完結する動線にして効率アップを図っています。

★2 家事育児は夫婦で完全シェア&なんでもスイッチ可に

共働きなので、家事育児は夫婦で完全シェア。主な分担は下記のとおりです。

【私】料理、食料品の買い物、子どもグッズや衣類の発注、衣替え、連絡帳、PTA、寝かしつけ、日々の水回り掃除、保育園のお迎え

【夫】洗濯、日用品の買い物、大きな家計の管理、長男の宿題や運動のサポート、長男ミニバスの当番、排水口などの特別な掃除、保育園の送り
※掃除機はルンバ、拭き掃除はブラーバ


ざっくりと分担は決まっているけれど、気づいたときに気づいた方がやることも。どちらかがいないときは、特別な引き継ぎをしなくても相手のタスクをほとんど引き取れる状態にしてあるので、飲み会や出張が入っても問題ありません。

また夫婦のあいだでは、Googleカレンダーを共有してスケジュールをシェア

夫婦でスケジュールを共有
家庭のタスクや子どもの予定、夜の外出など、必要な項目のみ共有。習いごとの付き添いは日によって変わるため、担当者の頭文字をつけています。


子どもが発熱で早退……などというときは、連絡をとりあって、在宅勤務できる方が動く。夫婦どちらも外出しないといけないときは、義実家や隣県に住む伯母、ベビーシッターの手を借りることもあります。

子ども発熱時の夫婦のLINE
予想外の次男の発熱に緊迫し、夫婦で「!」だらけのLINEを送り合いながら、予定を調整している様子

★3 昼間の穴は、寝かしつけ後の深夜に埋める

取材や打ち合わせ以外の作業時間が自由なフリーランスなので、平日昼間は仕事を中抜けして、美容室や趣味の時間をとることも。でもそのぶん週2、3日は寝かしつけのあとで起き、深夜残業をして帳尻を合わせます。子どもが発熱して、昼間働けなかったときも同様です。

ときには、なかなか寝ない次男の背中をトントンしながらiPhoneで原稿を推敲したり、メールを返したり……KindleやYouTubeでコンテンツを摂取したり。ただ、睡眠時間を削ると身体を壊すタイプなので、あまりにも忙しい日以外は24時半には就寝。毎日6~7時間の睡眠は確保するようにしています。

寝かしつけの様子
21:30に寝かしつけを始めたはずが、22:30、次男めっちゃ元気にお祭り状態。絶望的。一刻も早く寝てほしい(長男はベッドに入って5分で寝るほど寝つきがいい)

「私がやらなきゃ」の属人的なタスクをなくす

長男と3人暮らしのときは、夫婦で家事育児をシフト制にして「朝番/夜番」としていましたが、子どもが2人になると、やっぱり大人の手は多い方がスムーズ。ママべったりでなかなか手のかかる次男が生まれてからは、朝晩どちらもツーオペを基本にしています。

でも、ときには思いっきり仕事をしたいし、遊びにも行きたい。全てを完璧にするのは無理なので、何事も「こうしなきゃ」「これはやらなきゃ」とは思わないようにしています。

例えば、料理は好きだけど「絶対にやらなきゃいけないタスク」ではありません。仕事が忙しいときは週4日デリバリーや外食、なんてことも。

子どもも21時半には寝かせたいけれど、23時までにどうしても送りたい原稿があるときは、寝かしつけを後回しにしてパソコンを開くこともあります。スムーズな日常、ていねいな暮らし……そりゃできればいいけれど、全ては努力目標です。

それに、家事育児は個人プレーではなくチームプレー。夫と連携するのはもちろん、子どもたちにも学校の持ち物や宿題、食べ終わった食器をシンクに運ぶなど、自分のことはなるべく自分でやってもらいます。

パントリーからお茶のペットボトルを運んだり、ティッシュボックスを取り換えたりするのは、子どもの仕事になってきました。お掃除ロボットをかけやすいように、出かける前は家族総出で床のおもちゃを拾います。

属人的なタスクを減らし、みんなで一気にやって一気に終わらせる……その姿勢で、なんとか日々を回しているような感覚です。

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編集:はてな編集部

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※2023年12月4日9:15ごろ、スケジュール画像の一部を修正しました。