飲み会は途中で帰る。深夜までお酒を飲むのをやめて「朝」を大事にする生活にシフトした|椋本湧也

明け方の様子

誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、個人で本の制作をしながらパラレルワーカーとしてインテリアメーカーや出版社などで働いている、椋本湧也さんにご寄稿いただきました。

椋本さんがやめたのは「夜遅くまでお酒を飲むこと」。朝型の生活にシフトしたところ、働き方や自身の考え方に大きな変化があったといいます。

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わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。

宮沢賢治『注文の多い料理店(序)』より


現在、朝の6時25分。青白い空の明るさを窓越しに感じながら、この原稿を書いている。頭も身体もスッキリと冴えていて、キーボードを打つ指がはかどる。すっかり冷めてしまったコーヒーを傍らに、次から次へと湧いてくるアイデアを言葉でつかまえようとしている。

「言葉というのは、その時までの自分の枠組みの中にあるものだけが言葉になるんですよ」。そう恩師が言っていたのを思い出す。朝は自分の内側と外の世界とをつなぐ回路が限りなく透明で、言葉がするすると出てくるような気がする。

私は毎朝5時から9時の間に、原稿の執筆や企画の考案といったアイデアと集中力が必要な作業を行う。いわゆる「朝型」の生活だ。

「こんな生活に憧れてた!」数年前の私ならそう言うだろう。かつての私は、夜遅くまでお酒を飲み、原稿とにらめっこして、昼前に起床して会社へ向かうという、今とは真逆の生活をしていた。

今日は「夜更けまでお酒を飲む」習慣をやめた私が、朝の豊かさに出会うまでの日々を振り返ってみたい。

深酒、夜更かし、朝寝坊の日々


お酒を飲むのが好きだ。特に仕事終わりにいただくお酒はたまらない。頭と身体をフル回転させたあとのねぎらい酒ほどうまいものは、この世に二つとないと思う。

しかし、人と一緒にお酒を飲むとき、実のある会話が続くのは1〜2時間くらいで、その後はたいてい惰性で過ごしていた。帰るのがなんだか惜しかったり、もう少し飲みたいような気がしたり、タイミングを逃してしまったり。

付き合いで半ば強制的に参加する会社の飲み会も、途中で抜けることは容易ではない。へらへらと調子を合わせながら、楽しさと虚しさが同居する時間が過ぎてゆく。

あるいは一人でお酒を飲んで、夜中の12時過ぎから原稿を書き始めることもあった。仕事中の眠気がうそのように、だんだんと頭が覚醒してきて、気付くと3時。

その頃になると、何を書いても「自分は天才だ……」と『山月記』の李徴もびっくりするほどの自尊心が姿を現す。しかし翌日その文章を読み返してみると、まったくもって面白くない。自己満足の出来損ないみたいな言葉が並んでいて愕然(がくぜん)とする。そしていつまでも締切に間に合わないのだ。

とはいえ、お酒を飲むこと自体が悪いわけではなく、問題は深酒し、夜更かしをすることだ。夜型の生活サイクルにおいて、「朝」というのは「急いで支度をする時間」というくらいの意味しか持たなくなる。予定ギリギリに起きて、なんとか目を覚ますために熱いシャワーを浴び、重たい頭を抱えて出社する。

翌日が運良く休日だった場合、起きたらもう午後なんてことはザラだ。目が覚めて時計を見た瞬間、激しい後悔とむなしさに襲われる。「次こそは……」。そんな誓いはもう何度破られたか分からない。

しかしそんな日々を続けながらも、本当は「朝が充実した生活」に憧れていた。尊敬する恩師が、夜はできるだけ早く寝て、朝の4時〜5時に起きて冴え渡る論文を書く、というスタイルだったのだ。当時の私は、恩師のような生活への憧れと、そうあれない現実との間に揺れながら、社会人生活を過ごしていた。

環境が変わったことで「朝に作業するとはかどる」と気付いた


そんな生活が変化した直接のきっかけは、新型コロナウイルスの到来だった。当時勤めていた旅行会社の行末が見通せなくなったことで、仕事を辞めたり、創作活動を始めたり、転職したり、さまざま事情が重なる中、ある時生活費も制作費も足りなくなった。やむなく副業として、生協の倉庫で早朝バイトを始めた。人生いろいろあるものだ。

朝5時半に起き、明け方の茶沢通りを自転車で駆け抜ける。広い倉庫に配達トラックが20台くらいぎっしりと並んでいて、二人一組で野菜や米を仕分けして積み込んでゆく。その作業を6時から9時まで3時間行い、朝ごはんを食べた後、当時勤めていた家具メーカーのオフィスで夜まで仕事をする。そんな生活を8カ月ほど続けた。

明け方の街

荷積みが早く終わりそうな日には、長くて45分くらいの中休みがあった。日中は時間が取れないので、この中休みで原稿や企画書を書いた。元々自分は筆が遅くて、書いては消し書いては消しを繰り返しがちなのだが、この時は不思議なくらい言葉が出てきて、納得のいく構成が作れた。朝とクリエイティブの相性の良さを実感した瞬間である。

この「朝の発見」は、私の生活観にコペルニクス的転回をもたらした。夜型から朝型へ。初めこそキツかったが、起き抜けに窓を開けて朝焼けを眺めたり、朝ごはんにおいしいパンを用意したりと、なんとか起きるための工夫を重ねた。すると人間慣れるもので、数週間もしないうちに自然と5時半に目が覚めるようになった。

「お酒の誘い」は受けつつ、途中で離脱して朝型の生活をキープ


生活スタイルに好ましい変化があったものの、問題は「お酒の誘いをどうするか」だった。

とにかく朝が早いため、夜はできるだけ早く帰って寝たい。しかしお酒の誘いを断るのは忍びない。そして飲みに行ったら「空気が読めないヤツだと思われるんじゃないか」と気になり、早く切り上げることもなかなかできない。自分を守るための自意識が勝手に姿を現すのだ。

そんなどっちつかずの状況を変えたのが、憧れの作家・沢木耕太郎さんについて、俳優の大沢たかおさんが言及したインタビュー記事だった。

(沢木さんは)お酒を飲んでいても途中で消えちゃうし(笑)。最後までいないんですよ。風のように消えていきますよ。僕、何度もごはん食べたりさせていただいているけど、テレビ局の人とか編集の人とか何人いても、いなくなっちゃうんだよね、突然。だからさよならも、ありがとうございましたも、言わせないんですよね。

NHK クローズアップ現代「斎藤工、大沢たかお、カシアス内藤…沢木耕太郎の魅力を語る」より


この一文を読んだ時「これだ……!」と思った。「自分も風のように消えてみよう」と。

そこから、「お酒の席・途中離脱チャレンジ」が始まった。複数人で飲んでいるときは、10時くらいには「そろそろ失礼します」と颯爽と場をあとにする。社外の交流会では一次会で必ず帰ることにした。「私は風なのだ……!」と心の中でつぶやきながら。

最初は「場の雰囲気を壊すかな」とドキドキしていたけれど、いざ思い切ってやってみると尾を引くことはほとんどなかった。チャレンジ成功である。

親しい友人と飲む時は、事情を素直に伝えて早く締めてもらうようにした。深酒はせず、遅くとも12時までには自宅に帰るようにした。朝型の生活を続ける中で「自分は最低5-6時間寝れば翌朝スッキリ起きられるタイプ」だと気付いたからだ。

とはいえ、ただ単に「飲みの席をお暇する」が目的だったら、このチャレンジは失敗していたかもしれない。「自分は『夜』ではなく『朝』という場所に、もう一つの豊かな時間を持っている」という事実が、私の背中を押してくれたように思える。

夜更けまで飲まないことで気付いた「腹八分目の幸福論」


このチャレンジで学んだのは、「やり尽くさない」ことによって生まれる幸福感があるということだ。

「もう少し話したい」とか「もう少し飲みたい」という「腹八分目」で、エイっ! とやめてみる。すると心地よい余韻が後を引き、次につながる。一つの会話や一杯のお酒が不思議と味わい深くなり、「またね!」という別れの挨拶に実感がこもるのだ。その夜の出来事が、記憶の中で素敵なパッケージに包まれる。

帰宅してもまだ12時前。翌朝すっきり起きて、原稿を書くことができる。それに昨夜の会話の記憶がしっかり残っているから、インスピレーションにつながることもある。大人のお酒の飲み方とはこういうことなのかもしれない。

もちろん、遅くまで飲んでカラオケでどんちゃんやる「幸福感」もあると思うし、盛り上がったあと、憧れの人に「もう一杯だけ飲みませんか?」と誘われて終電を逃す「幸福感」もある。たまにはそうあっていい。けれど「もう少し」というところでやめるからこその「幸福感」もまたあるのだ。

慎み深くお酒を飲み、修行僧のように朝早く起きるというのではなく、異なる幸福感の「質」を知るということ。それが、私が「夜更けまでお酒を飲むのをやめる」ことができた理由ではないかと思う。

そう、私たちは、「氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむ」ことができるのだ。

朝のすきとおった空気の中で、自分にとって「こころよい」ことをやってみる


ここまで一気に書き上げて、「command + S」のショートカットキーを確実に押して内容を保存し、目線を上げる。窓から朝日が差し込んで、部屋が明るくなってきた。思い出したように冷めたコーヒーを一口すする。そろそろ世界が忙しなく活動を始める頃だ。


デスクの上のコーヒー

早朝の倉庫バイトをやめてからも、朝型の生活を続けている。夜明けとともに一日をスタートする生活習慣が自分の身体にとって最も自然であり、良いパフォーマンスにつながることを日々実感している。作品も、文章も、自分にとって納得がいくものは全て朝の時間帯に作られたものだ。

時刻は9時過ぎ。今日はこのあと洗濯を干し、食事をしたのち、オンラインで打ち合わせが一つ。郵便局で発送を済ませ、午後からオフィスに向かう予定だ。こうした生活を送れていることを、心底ありがたいと思う。朝の光を感じながら、思考をめぐらせ、文章を書けることを。

もしも、この記事を読んで朝を味わいたくなった方がいたら、まずは一日だけ、早く寝て早く起きてみてほしい。できれば、快晴の、朝の光を感じられる日に。

そして朝のすきとおった空気の中で、あなたがこころよいと感じることをやってみよう。お香を焚いてストレッチしてみたり、コーヒーを淹れて本をめくってみたり、お気に入りの音楽を聴きながら町を散歩してみたり。きっと、朝のことが好きになると思う。

あなたが朝を味わっているその時、遠く離れた場所で、私もまた朝を味わっているだろう。そしてまた、海辺の町で、山間の村で、摩天楼が立ち並ぶ都会の片隅で、同じように朝を味わっている人たちがいるはずだ。

さあ、想像をめぐらせて、桃いろの日光で乾杯しよう。うつくしい朝の光は、誰のもとにも等しく訪れるから。

編集:はてな編集部

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著者:椋本湧也

椋本湧也さん

1994年、東京生まれ。北欧の家具メーカーと出版社に所属し、Webのマーケティングや編集の仕事を行うかたわら、フリーで取材や執筆を行う。さらにそのかたわらでZINEの制作や「詩を誤読する会」を主催。近著に『26歳計画』『それでも変わらないもの』『日常をうたう 8月15日の日記集』など。

X:@kiiroilemon27