SNS疲れでTwitterをやめたいなら「それ以外の場所」を持つ。リアルな「イドコロ」の見つけ方

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SNS疲れに悩んでいる人に向け、その対策の一つにもなる場として「イドコロ」の必要性を提唱している伊藤洋志さんに、疲れた心身を回復するためのヒントを伺いました。

TwitterやInstagram、Facebook、LinkedInなどのSNSは、仕事においても趣味においても、現代を生きる私たちにとって必須のツールです。しかし、つい習慣的にSNSを開いては、過激な言葉にモヤモヤしたり、周囲の人々の活躍に焦りを感じたりと、疲れや悩みを感じている人も多いのではないでしょうか。

仕事をひとつに絞らず、複数の「ナリワイ」で生計を立てる暮らし方をしている伊藤さんは、現代の複雑な情報環境に対応するためには、SNS以外に複数の「イドコロ」を持つことがキーになると説きます。伊藤さん自身のSNSとの付き合い方から、現代人にとっての「イドコロ」の意義と、そのつくり方や見つけ方について伺いました。

競争原理の働くSNSで疲弊するのは当たり前

TwitterやInstagram、FacebookなどのSNSを日常的に開く習慣が多くの人に根づいています。交流や情報収集にはとても役立つ一方で、SNSに触れることが精神的な疲れの原因になっている人も増えているように思いますが、伊藤さんの目にはどのように映っていますか?

伊藤洋志さん(以下、伊藤) 僕も例外ではないですが、みんな軽い依存状態になっていますよね。運営企業からすればたくさんSNSを使ってもらった方が良いわけで、そのために優秀なエンジニアの人たちがさまざまなアルゴリズムを日々考えている。脆弱な私たちが吸い寄せられるのは避けられないんだろうなと思います。

しかもフォロワー数やLike数のほか、近年はページビューが可視化されているものもあり、とにかく競争原理が働く設計になってしまっている。競争環境が好きな人のカルチャーに、競争が苦手な人もフィットさせられてしまっているわけだから、不調が生じるのは必然ではないでしょうか。基本的にアテンション(注目)が集まるトピックって過激なものが多いので、そういった話題ばかりを目にしているとさすがに疲れますよね

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疲れたなと感じつつも、仕事や趣味のためにはSNSは欠かせないという人も多いと思います。伊藤さんご自身は、SNSとどんな距離感で付き合っていますか?

伊藤 もともとは僕も物書きの仕事柄、SNSにひたる時間は長かったと思うのですが、最近はTwitterをブラウザからしか開かなくなったんです。そうしたら使用頻度も自然と減ってきました。イベントの告知など、自分が発信したいときや、その反応を見たいときだけ開くようにして、それ以外はたまに見るだけというスタンスになりつつありますね。

段取りを面倒くさくして、本当に必要なときだけ触れるようにしてしまうのは意外と重要なのかなと……。

仕事で使うなら、確かにそれくらいの距離感がしっくりくるように思います。一方で趣味のための情報収集や交流の場として活用していると、見る頻度や熱量も高まりそうです。

伊藤 もちろん、使い方によっては当初のmixiのように、趣味に関する交流を楽しむ人たちにとってプラスに機能することもあると思います。ただ、個人的にはSNSに向いている趣味と向いていない趣味があるように感じます。

例えば、僕は廃村を巡るのが好きな人たちをフォローしているんですが、そういう特殊な趣味の場合は、まだ比較的うまく機能していることが多いんじゃないかと思います。マウンティングもなく、「その村、僕が行ったときよりも寂れてしまいましたね……」みたいな好きなものに対する純度の高い牧歌的なリプライが飛び交っているだけで(笑)。なので僕もそういうアカウントを中心にフォローしています。

最近はいわゆる「推し活」も盛んですが、どれくらい“課金”したかなど、SNSがマウンティングの場になっているケースもときどき目にします。

伊藤 多くのファンを獲得したいコンテンツの場合は、特にSNSでの発言が過激化していく傾向はありますよね。その状況に疲れているということであれば、自分がどうSNSと距離をとっていくかは各自考える必要があると思います。現状、私たちができることとしていちばん簡単なのは、他に熱中できるものや心安らげる場所を増やして、SNSの存在感を相対的に弱めていくことではないでしょうか

複数の「イドコロ」を持つことで心身のバランスを取る

伊藤さんは著書『イドコロをつくる』(東京書籍)の中で、そういった空間を「イドコロ」と名づけられていましたね。

伊藤 はい。疲弊した精神を回復し、自分が居心地よくいられる空間や場を「イドコロ」と呼んでいます。よくおしゃべりする友人やお気に入りのお店など、誰にとってもイドコロのような場所はあると思いますが、それらを複数持っておくことにより、一つの言葉や考え方に極端に依存せずに済むと考えています。

これからはコミュニティが大事だみたいな話もありますが、コミュニティは依存度が高くなると内部で序列ができたり相互監視が発生したりする危険性をはらんでいる。だから、コミュニティよりも流動的で、人が行き交う「淀み」のようなものとしてイドコロが必要です。

かつては「サードプレイス」*1、つまり自宅や会社以外の第三の場所の重要性が説かれることも多かったですが、サードプレイスの代表格だったカフェなどは近年、回転率を上げて長居させない経営方針にシフトしつつあります。家賃や材料費が高騰しているのでやむを得ないのでしょうけど。

なるほど。

伊藤 それに加えて、現代の情報環境は、たとえるなら体にさまざまな種類の病原菌が絶えずアタックしてきているような状況です。それこそ陰謀論から脅しのような広告、個人への高金利金融へのいざない、怪しい不労所得ビジネスへの誘いまで無数にあります。

私たちもサードプレイスひとつでこの環境に対応しようとするのではなく、免疫の仕組みのように複数の“免疫細胞”を連携させて対応していくべきではないかと思うんです。自然界での病原体は寄生虫、細菌、ウイルス、毒素など無数にあるのに、私たちが概ね健康でいられるのはそれぞれに対応した複数の免疫細胞が連携して対応しているからです。一つの対策では対処できません。

だからこそ「複数のイドコロ」が必要だと。伊藤さんはイドコロを体の免疫系になぞらえて「自然系イドコロ」と「獲得系イドコロ」のふたつに分類しています。このふたつにはそれぞれどのような例があるんでしょうか。

伊藤 自然系のイドコロは、家族などの生活を共にする集まりや、友人・仕事仲間といった接する時間も持続時間も長いものです。これらは意図的につくろうとしなくても生活の中で自ずと生じるものなので、「自然系」と名づけました。

対する獲得系のイドコロは、必要に応じて自分でつくったり見つけたりするものです。例えば「日頃通える小さいお店」もそうですし、個人が立ち上げる非営利のイベントスペースやシェアスペース、集会所といった「有志でつくるオープンな空間」なども挙げられると思います。

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伊藤さんも運営者に名を連ねるシェアスペース「スタジオ4」。空いた時間などにユニークなイベントを開催している

伊藤さん自身がイドコロ不足に悩んだ経験もあり、こういったイドコロの重要性を感じているそうですね。

伊藤 僕も社会人になりたての頃がそうでした。当時、京都から東京に引っ越してきたばかりで気軽に会える友達もおらず、会社に行って帰ってくるだけの生活で、充実感どころか生活感までもが乏しかったんです。周囲にお店は多いエリアだったんですが、薄給だったので金銭的な余裕も時間的な余裕もなくて、ひたすら零細チェーン店の立ち食い蕎麦ばっかり食べていたのを覚えています。

忙しいと個人商店よりもチェーンの飲食店にばかり足が向きがちですよね。価格的にはそれほど変わらなくても、新しいお店を開拓する元気がなくなるというか。

伊藤 不確実なものに時間と労力を使うくらいであれば確実なものを選びたい、という気持ちはすごく分かります。忙しく働いていると特に「そんな暇があったらもっと稼げ」という空気も感じるでしょうし。

ただ、チェーン店の場合、お店の人やお客さんとのイレギュラーなやりとりが発生しづらいんですよね。もちろんやり過ぎると迷惑なので限度はあると思いますが、ときどき行くお店で知らない人や顔なじみの人とひと言ふた言喋るのって、すごく健康的なことだと思います。

そういう意味では、自分がそこにいて居心地よく思えることがポイントなので、知り合い同士が集まる場所ではなくてもイドコロになりえます。僕は銭湯によく行くんですが、名前も知らないおじいちゃんたちが軽い会話をしているところに居合わせる時間が好きなんですよね。一方が「長生きしなよ!」と言うと、もう一方が「もういいよ!」とか言いあっている(笑)。

コロナ禍では数年にわたって移動の自由が制限され、人と喋る機会も減ってしまったわけですが、好きな場所に移動して軽い世間話ができるというのは本来、メンタルヘルスにとっても非常に重要なことだろうなと思います。

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確かに、ちょっとした会話で気持ちが晴れることはありますね。

伊藤 あるいは「文明から離れて一人になれる場所」も重要なイドコロのひとつです。都市生活の中ではなかなか想像しづらいかもしれませんが、現代だと神社にある森の中などが当てはまるでしょうか。ソロキャンプも一人になるためのいい機会でしょうね。これがなんで大事かというと、今の社会環境だと人間関係の占有率が高過ぎるからです。長い人生で考えたら些細な上司や職場の人間関係が世界の全てになってしまうと、精神的に追い詰められてしまう。

商業施設などの屋上も、時間帯によっては意外と人がいなくて落ち着ける場所だったりしますよね。

伊藤 屋上はいいですね。都会暮らしの人にとっては手軽に一人になれる場所だと思います。僕自身もいっとき屋上付きの物件を探して住んでいたことがあります。屋上はどうやっても有効活用しきれない余白空間になっていて、太陽とか風を感じやすい場所です。商業的にフル活用できない空間はいいと思います。

それとも少し重なりますが、公園や図書館など、公共空間の中に気に入ったイドコロを見つけるのもおすすめです。公園はよほど人が集まるところ以外はそこまで混んでいないと思うので、ボーっとベンチに座って人々の動きを眺めるだけでもいいんじゃないかなと。疲れているときは特に、自然のある場所に行くのが精神的にもいいと思います。

久しぶりに誰かと交流したいけれど急にイベントなどに行くのはちょっと尻込みしてしまう、というときも、公園のような公共空間で他者に対する信頼感をある程度得た上で、段階的にどこかに足を運んでみるのがいいかもしれないですね。周囲を見回してみて、のんびり過ごしている人達が多い場所、時間帯がおすすめです。その空間で過ごすだけでも「意外とみんな悪い人じゃないな」という実感が取り戻せると精神に良いと思います。

何十人も集まる必要はない。「強い趣味」を起点にしたイドコロ

伊藤さん自身は、ユニークなイベントを主催する形で「イドコロ」作りも行っていますよね。

伊藤 はい。ややマニアックな趣味や遊びを何人かで集まってするような「強い趣味の集まり」も獲得系イドコロになるんです。例えば、僕の場合は住居の床を張るだけの集まりや、ブロック塀をハンマーでぶち壊す集まりをやってるんですが、同好の士を少し見つけづらいぐらいの趣味の方が、集まったときの感動も大きいですし、変に人が増え過ぎないのでイドコロになりやすいと感じています。

伊藤さんはこれまでにも自らさまざまなイベントや「強い趣味の集まり」を企画してこられたと思うのですが、告知や声かけはどのようにしているんですか?

伊藤 オープンなイベントの場合、シンプルですが、興味がありそうな人に個別でメールやメッセージを送りつつ、イベントページを作成して応募も受けつける形が多いですね。紙でチラシを配ったり関連するテーマのZINEをつくって頒布したりするのも最近の好みです。

自分で企画したイベントや集まりの告知をSNS上でする場合、どうしてもリアクションが気になってしまいます。あまり集まらなかったらどうしよう、と……。

伊藤 確かに、そういう心配をする方は多いですね。「イベントに人が集まらなかったらどうするんですか?」と聞かれることもあるんですが、たくさん集まらなくても楽しめる企画をやることがおすすめです。それに、仮にあまり集まらなかったとしても、単にアルゴリズムの問題でタイムラインに表示されなかったとか、忙しい人が多い時期だったとか理由はさまざまあるはずなんですが、なぜか「嫌われているのかな」など自分のせいにとらえがちなんですよね。

現代社会はどうしても、そういった抽象的な恐怖が強まっている社会だと思うんですが、その中身を具体的にすることによって対応可能なものに変えていくという工夫もありじゃないかなと。実際に個別に聞いてみたら、「外でブロック塀で壊すには、ちょっとその日、暑過ぎないですか?」と返ってくる可能性もあるわけじゃないですか(笑)。そうしたら壁壊しは涼しい季節にやるべきだ、という学びが得られる。あるいは「かき氷付き!熱闘ブロック塀壊し」と称して告知するのがいいのでは? とか。

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伊藤さんが設立した「ブロック塀ハンマー解体協会」の活動の様子


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確かにそうですね。自分で言い出したからには人が来なかったら恥ずかしい、という意識もあったのかもしれません。

伊藤 人ができるだけ集まった方がいい、という価値観に引っ張られてしまう引力が今はありますが、本来の集まりの目的や目標をできるだけぶらさないようにしたいですよね。思ったよりも人が集まらなかったとしても、数人でブロック塀を壊して楽しかったらそれは成功ですから。

むしろ、「100人に呼びかけてひとり来るか来ないかぐらいのラインを狙ってみよう」と思えたら、ちょっと気が楽になります。実際のところ、それなりに告知した結果で一人しか来なかったとしたら、その一人は稀有な方です。相当濃いイベントになるんじゃないでしょうか。

イドコロという観点から言えば、何十人も集まるよりも、長年の友達になりそうな人がひとり来てくれたり、細々と続く集まりになっていく方がよっぽど本人にとっては意味があるでしょうし。集客以外に、自分なりの狙いや目標を定めてみるのがいいかもしれません。もちろん会場費の関係で、たくさん人を集めないと赤字、とかそういうことはあると思いますので、条件によりけりですが。

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同じく伊藤さんが設立した「全国床張り協会」の活動の様子

損得勘定の優先順位を下げてみる

逆に企画側ではなく、どこかの集まりに参加したいと思った場合には、何かポイントはありますか。いきなり企画するよりも、まず参加から始めた方がハードルが低いかなと。

伊藤 複数回開催のワークショップや講座はおすすめかもしれません。単発で終わってしまうのではなく、ある程度時間をかけて一つのことに取り組むことにより、参加者同士で自然と相互作用が生まれて、イドコロになり得る可能性が高いと思います。

僕も新社会人時代は疲弊しきっていたので、この際東京を出て、田舎で農業をしようかな……と具体的に研修先を探したり、かなり悩んでいたんです。ただその前に、せっかくならすこしでも都たる東京っぽいことをしてから帰ろうかなと思って、世田谷ものづくり学校という場所で開かれていた社会人向けの講座に3カ月間通いました。僕の場合は、そこでさまざまな専門や興味を持つ知り合いが増えたことがとても大きくて、今でも重要なイドコロの一つになっています。

「交流会」のようなダイレクトなイベントもありますが、ワークショップや遊びなどのほうが会話が弾みそうですね。

伊藤 それはすごく重要な点ですね。ダイレクトな交流は難しい! 人がなんの媒介もなしにいきなり会話を弾ませるって難易度が高いんです。例えば茶道などは、茶器を媒介にして喋っているうちに自ずと交流が深まるしくみになっている。イドコロをつくったり見つけたりする場合、まずは人以外のものに注目し、二次的に他者との交流が生まれるという形が理想的だと思います。

個人的な話でいうと最近、何人かで穴掘りをしたんですよ。とある学生が「穴を掘りたい」と言い出して。同じ頃、知り合いが「竪穴式の小屋をつくりたい」と言っているのを聞いたので、これは奇跡だと思い「ちょうど穴掘りしたがってる学生さん知ってるよ!」と(笑)。そこであらためて穴を掘りたい人を募集してみたら意外と集まったので、人が入るくらいの巨大な穴を、みんなでただ掘って帰ったという。

穴を掘りたい人、そんなに集まるものなんですね……!

伊藤 穴掘りのよかったところは、お金儲け要素が一切ないどころかたいした目的もないことと、上手・下手で争いようがないこと。もちろん穴掘りである必要はないんですが、もしも参加するなら、その作業自体に純粋に惹かれるような集まりは良いと思います。

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確かに。仮に誰かと交流しなくとも、「穴掘りができた!」という満足感がありそうです。

伊藤 そうなんですよ。それと、ときにはどうなるか分からない要素を許容して飛び込んでみるのも大切なんじゃないかと思います。「絶対におもしろい、役にたつ」という確信があるものだけを選んでいくと、知らず知らずのうちに路線が規定されて、もうこの道を進んでいくしかない、と錯覚してしまいやすくなると思うので。

仕事で不確実な道を次々と選んでいくのは難しくても、趣味なら気軽にできますからね。せっかくの趣味なんだから、あえてノイズを取り込んでみるのもありじゃないかなと思います。もちろんその趣味が仕事に繋がるときもあるし、結果として多少の損得勘定はあってもいいけれど、損得を最優先の価値基準にはしない、というルールで僕自身はやっていますね。

取材・文:生湯葉シホ
撮影:小野奈那子
編集:はてな編集部

自分にとってよい「人間関係」を築くには?

「SNS疲れ」はなぜ起きる? 無理のないSNS利用のすすめ
「SNS疲れ」はなぜ起きる?
最近、他人との間に“壁”を感じるあなたへ。社会学者に聞く「コスパを意識しない人間関係」のあり方
 他人と「信頼関係」が築けない……
無理のない範囲で、対話を諦めない。脚本家・吉田恵里香さんに聞く「自分と異なる考え方」を持つ相手への接し方
「自分と異なる考え方」を持つ人とどう接す?

お話を伺った方:伊藤洋志(いとう・ひろし)さん

伊藤洋志さんのプロフィール写真

1979年生まれ。香川県丸亀市育ち。農学修士(森林科学専攻)。京都大学農学部修士課程を2005年に修了。2007年よりナリワイ生活を実践継続。著書に『ナリワイをつくる-人生を盗まれない働き方』(東京書籍/文庫版:筑摩書房)『イドコロをつくる-乱世で正気を失わない暮らし方』(東京書籍)、共著に『フルサトをつくる-帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方』(東京書籍/文庫版:筑摩書房/phaとの共著)がある。
Twitter:@marugame

りっすん by イーアイデムTwitterも更新中!
<Facebookページも更新中> @shinkokyulisten

*1:アメリカの都市社会学者レイ・オルデンバーグが提唱した概念。自宅や職場ではなく、居心地の良い第三の場所のことを指し、日本でも大きな注目を集めた

SF思考で将来への不安が消える? その定義や手軽な実践法を宮本道人さんに聞いた

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未来に対する不安や閉塞感を打ち破る「SF思考」について、未来作家・奇想アドバイザーの宮本道人さんにインタビューしました。

少子高齢化や経済の停滞といった暗い話題が多く、“明るい未来”が語られることが減ってきた昨今。自分の将来に漠然とした不安を抱き、「これからやってくる未来は自分の力では到底コントロールできないもの」というイメージを持っている人もいるかもしれません。

しかし、宮本さんは、SF(サイエンスフィクション)の力を使いこなせば、誰もが「新しい未来」をつくることができると論じています。未来への不安や無力感を打破し得る「SF思考」とはどういうものなのでしょうか。

『となりのトトロ』もSF。SF思考は既存のルールをぶっ飛ばしてくれる

「SF思考とは何なのか」というお話を伺う前に、そもそもSF作品自体にあまり馴染みがない方も実は多いのでは、と思っています。私自身、本は好きでもSFはふだん手にとる機会が少なく……。

宮本道人さん(以下、宮本) あ、でもみなさんたぶん、知らず知らずのうちにSF作品を読んだり見たりしていると思いますよ。スタジオジブリやディズニー作品のなかにもSFは少なくないですし、文学の領域でも、近年では『コンビニ人間』などで知られる村田沙耶香さんはSF要素の強い作品を書かれています。ジブリでいうと『風の谷のナウシカ』はSFド真ん中ですし、『となりのトトロ』も実は過去に星雲賞(長い歴史を持つ日本のSF賞)をとってるんですよ。

トトロもSFの賞を受賞しているんですか! 意外でした。

宮本 トトロをSFだと捉えるSFファンは意外と多いと思います(笑)。日本では、空想上のできごとに科学的・論理的な背景があるか否かでファンタジーとSFを区別することも多いですが、海外では「スペキュレイティブ・フィクション」という名前で、それらのジャンルをまとめて呼ぶことも少なくないんです。

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意外と身近なところにSF作品はあるんですね。宮本さんは現在“未来作家”、“奇想アドバイザー”という肩書きのもと、SFやフィクションの力を社会に応用することを提唱されていますが、そうした力に着目するようになったのはいつからですか?

宮本 本格的にSF小説を読みはじめたのは中学生になってからです。小説家のレイ・ブラッドベリや北野勇作の作品に触れていると、フィクションを通じて現実の世界が組み立て直されていくような感覚がありました。その頃から、ツラい体験や嫌なことがあったらそれを自分でSFやファンタジー仕立ての小説にしたり、ある種のメンタルケアの道具としてフィクションを使っていて。例えば、誰かと喧嘩したとき、直接的に書いてしまうと悪口になってしまうことでも、フィクションにすることでうまくイライラを発散させられるなとか(笑)。

本格的にフィクションの力を深掘りしていきたいと考えた大きなきっかけは、大学生のときに経験した東日本大震災です。苦しい環境のなかでもフィクションに心を癒やされている人たちを目の当たりにして、フィクションは単なる絵空事ではなく、私たちの社会はイマジネーションに大きな影響を受けて変化していくものなんだと実感しました*1

日常生活や社会への影響という観点から考えると、SFはどんな力をもっていると思いますか?

宮本 SFって既存のルールや枠組みをぶっ飛ばして、まったく別の可能性を考えるための飛び道具になるんですよ。例えば「いまの自分」を起点に未来の可能性について考えようとしても、「これまでの自分」からなかなか逃れられませんよね。けれどそこからいったん外れて、「自分とはまったくの別人が未来でどう生きているか」を考えてみると、これまでとは違う新たな可能性が見えてくる気がしませんか? それこそがSF的な発想、つまり「SF思考」がもつ力だと思います。

なるほど。SFの力を使うことで、既存の枠にとらわれない未来の可能性が見えてくるということですね。ただ一方で、いまの社会は早々にキャリアプランを立てたり老後のために蓄えたりと、「リスクに備えるための準備」として未来を考えることがしばしば求められますよね。

宮本 そうですね。ただ、そこで持ち出されている未来って、基本的に過去や現在から将来を見通そうとするフォアキャスティングな未来だと思います。だから、「未来について考えろ」とみんな盛んに言うけれど、いざ未来について自由なアイデアを発信した人に対しては、ネガティブな意見が返ってきてしまう。

例えば、子どもに将来の夢を聞いて「YouTuberになりたい」と返ってきたら、周りは「無理だからやめておけ」と言うことが少なくないと思うんです。つまり、その時点で社会に受け入れてもらいやすい未来と、そうでない未来がある

そうして自分の意見を出しても否定されるだけという経験が積み重なっていくと、学習性無力感といって、人はどんどん無気力になっていくんです。結果的にいまの社会では、専門家や一部の特権的な人だけが考えた「古びた未来」に視界を塞がれてしまって、その未来に自分を合わせなければいけないということにプレッシャーを感じている人も多いんじゃないかと思います。

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著書*2のタイトルにもなっていますが、宮本さんは固定観念や過去のレールに縛られた未来のことを「古びた未来」と表現されていました。確かに、本来さまざまな可能性にあふれているはずの未来が息苦しいものになっているように感じます。

宮本 そこから脱出するためのヒントが、SF思考にはあると思います。人ってそれぞれが自分のストーリーを持っていて、日々、お互いのストーリーを書き換え合って生きているんですよ。「こういう目標を叶えたい」というのもひとつのストーリーだし、「そんなの無理だよ」というのもまた別のストーリーなんです。

だから、誰かから自分のストーリーを勝手に書き換えられそうになったときに、選択肢は目の前のひとつだけじゃないと考えられるといいですよね。マルチバースのように、実は可能性は無数に存在していて、自分はそのうちのひとつを見ているにすぎないんだと思えると、自分のストーリーに対するコントロール感覚もすこし拡張していくかもしれない。SF的な考え方を身に付けることにはそういった効用もあると思います。

“斜め上の未来”を想像することが現実を変えていく

宮本さんは著書のなかで、SFの力を使いこなすための手法には、おもに「SFプロトタイピング」と「SFバックキャスティング」の2つのアプローチがあると説明されていました。それぞれ、具体的にどのようなアプローチになるんでしょうか。

宮本 大きく分けて、SFのような斜め上の未来像を考えたい人におすすめのアプローチが「SFプロトタイピング」SF的な未来像をもとに、いまやるべきことを考えたい人におすすめのアプローチが「SFバックキャスティング」です。僕はこのふたつを合わせた思考法を「SF思考」と呼んでいます。

SFプロトタイピングは、SF的な発想をもとにフィクションとして未来像を描き、それをひとつの作品として仕上げる手法です。例えば、「未来の食卓」「未来のガジェット」などのテーマを切り口にアイデアを出し、実際にそこで出たアイデアが実現した世界では、どういった制度や技術が成立しているのかを考えてみるのです。

そして、最終的には考え出した未来の世界で生きるキャラクターを主人公にした物語にまで仕上げる。つまり、未来のイメージをプロトタイプ(試作品)にしてみるわけです。

宮本さんが考える、SFプロトタイピングの3つの定義
  • 未来像や別様の可能性を「フィクション」の形式で作り出すこと
  • 作品制作が最終目的ではなく、別の目的を持ってSF作品を作ること
  • クリエイター以外の専門家が関与して創作が行われること

この中でどれかひとつでも当てはまれば、「SFプロトタイピング的な活動」と考えてOK!
出典:『古びた未来をどう壊す? 世界を書き換える「ストーリー」のつくり方とつかい方』(光文社)

宮本 SFバックキャスティングは、SFプロトタイピングにより考案した未来像や、参考にしたい既存のSF作品を起点に、10年前、20年前、30年前……などとすこしずつ遡りながら現在までの道筋を考えていく手法を指します。ポイントは、SFプロトタイピングの時点でなるべく「AI」などのビッグワードを使わないこと。そうすることで「古びた未来」の呪縛から離れることができ、SFバックキャスティングをしたときに、よりさまざまな現実の可能性が見えてきます。

宮本さんが考える、SFバックキャスティングの3つの定義
  • 未来ストーリーを参考にして「今やるべきこと」を考えること
  • 単にビジネス的に逆算するのではなく、逆算のプロセスでもSF要素を介すこと
  • フィクションを要素分解し、一部でも現実化して社会を変えようとすること

過去や現在を起点に未来を予測するフォアキャスティングと異なり、未来を起点として、逆行的に現在までの道すじを考える! 一言で言えば、フィクションを使いこなすための手法
出典:同上

なるほど。まず自由に未来を発想し、最終的に過去ではなく、未来から現在を捉え直していくのですね。

宮本 そこがSFバックキャスティングのポイントです。現在の社会状況や科学技術を起点に未来を考えるフォアキャスティングな未来予想は、これまでにも多くの専門家や企業によっておこなわれてきました。けれどそれでは実現可能性の高い未来が導き出されるだけで、斜め上の未来はなかなか想像できません。

そのために、僕が実施しているワークショップでは、最初にテーマをもとに話し合ったときに出た言葉をかけ合わせ、未来の新概念をつくる、というやり方を取り入れています。例えば、「共感」と「肩こり」を結びつけ、「共感肩こり」という新概念を考案し、この概念が流行している未来はどういった世界になっているだろうと考えたり。そうすることで、過去や現在の延長線にない新しい未来を考えることができます。

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SF思考は近年ビジネスの領域でも注目されていますよね。実際に、宮本さんは企業とどのようにSF思考の活用を模索しているのでしょうか。

宮本 一例を挙げれば、ホームセンター事業を手がけるカインズさんで社員研修の一環としておこなったワークショップでは、SF思考のフレームワークに沿って未来を考えるということをしました。「パーツキャンプ」「リフォーム遊園地」「プロフェッショナル温泉」など各チームの話し合いで生まれた新概念を軸に未来を考えていき、最終的に「超ホームセンター文明のひみつ」という小説にまとめました*3

このワークショップで僕が目指していたのは、「ホームセンターの仕事には、宇宙的価値がある」と気付いてもらうことです。日々、同じような仕事をしていると、どうしてもルーティンになりがちですが、一見すると荒唐無稽の未来を構想することにより、仕事の思わぬ可能性に気付くきっかけにしてもらえたら嬉しいなと。

ひとりでも実践できる手軽なSF思考のポイント

ワークショップの実践についても伺いましたが、自分ひとりでSF思考を取り入れてみることもできるのでしょうか。

宮本 もちろんです。先ほどのように言葉と言葉を組み合わせ、新概念を起点に未来を考えてみることもできるでしょうし、あるいはもっと純粋に「技術や文明が急激に発展して、自分の仕事が思い通りの形で完璧に回るようになったとしたら、未来はどんな社会になっているだろう?」というような問いかけを起点にしてみてもいいかもしれないですね。

例えば僕の仕事の場合、自分が書いた本が全世界の人の思考に一瞬で刷り込まれる社会になったらどうなるだろう……とか。もちろんそれは危険なのであくまで妄想ですが(笑)。そんなふうに考えてみるだけでも、違った形の未来像がイメージできるんじゃないかと思います。

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もう少し具体的に、20代では必死に仕事に取り組み、30代を前にしてキャリアの方向性が徐々に定まってきたけれど、先が見えてきたようでどこかつまらない……という悩みを抱いている人を想定すると、どんな方法でSF思考を取り入れることができそうでしょうか?

宮本 未来がつまらないと感じるときって、自分の想像の範囲内だけで仕事や理想を探しているときか、もしくは自分の興味範囲から大きく外れた未来を見ているときのどちらかじゃないかなと思います。つまらなさを打破するには、自分なりの新しい仕事のかけ合わせを探してみて、そのジャンルの第一人者になる未来を想像してみるといいかもしれませんね。

例えば、「自分の強みや興味があること」と「社会課題や社会的ニーズ」をかけ合わせたらどんな仕事ができるかを考えてみると、新しい可能性が生まれてくるかもしれません。

自分の関心があることと、関心は薄いけれど意義やニーズがあることをミックスして考えてみる、ということでしょうか。

宮本 そうです、そうです。あとは、履歴書のように過去ではなく、未来を起点にした自分のプロフィールをつくってみる、というのも気軽にできることかもしれないですね。例えば、僕は名刺に「未来作家」「奇想アドバイザー」と入れているのですが、これは僕の造語です。先に肩書をつくってしまうことにより、想像もつかない未来が連想されていく部分もあるのではないでしょうか。

いくつか例は挙げてみましたが、どんな方法でどんな未来をイメージするかはあくまで個人の自由です。SF思考において大切なのは、「いまの自分起点ではない別の可能性を考えてみる」ことなので、この記事を読み終えたら1時間ぐらい時間をとって、思いついたことをノートになんとなく書き出してみようかな……という感じでもいいんですよ。何も思い浮かばなかったらやめればいいですし、そのくらい気軽に未来について考えてみる、というのをぜひやってみてほしいなと思います。

誰もが気軽に未来を思い描けるようになれば、無力感は減っていく

宮本さんはこれまでのお話のなかでも、未来は限られた人だけが決めるものではなく、誰しももっと気軽に描いていいものだということを強調されていました。一人ひとりが独自の未来を描けるようになっていくと、今後、どんな可能性が生まれていくと思いますか?

宮本 ロンダ・シービンガーという研究者が提唱した、技術開発や政策に生物学的・社会的な性差分析を取り入れることで新たなイノベーションを創出する「ジェンダード・イノベーション」という考え方があるんですね。

例えばある自動車メーカーではこれまで、男性サイズのダミー人形だけが衝突実験に用いられてきたため、男性よりも女性の方が自動車事故の際にシートベルトの不具合で重症を負う確率が高いという大きな問題があった。けれど、新たに多様な人々の体を考慮してシートベルトの再開発を進めたことでその問題が解消され、結果的にメーカーにとっても大きな利益が生まれたんです。

さまざまな人たちの声や身体を取り入れることにより社会は変わっていくと。

宮本 はい。僕は、SFプロトタイピングも同じように、そういった多様性にあふれた未来に寄与するものだと考えています。ありとあらゆる場所でこれまで意見が言えていなかった人たちの声を吸い上げられるようにして、「こういうアイデアがあるんだけど」と誰しもが気軽に投げかけられる土壌をつくる。それに加えて、専門家がアイデアをサポートし、ソリューションまで直結するような議論を重ねていける環境をつくっていければいい。

本心をいえば、誰もが自由に意見を言えるなんてことは当たり前の権利なので、メリット、デメリットで語るべきじゃないという気持ちもあるのですが……その上で社会に与えるインパクトを考えてみても、一人ひとりがそれぞれの未来を描けるようになると、古びた既存の未来とはまったく違った発想が生まれてくる、ということはやっぱりとても重要だと思います

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ご著書では、「ハズレる未来予想」に価値があるとも書かれていました。

宮本 僕の大好きな映画に『ホドロフスキーのDUNE』という作品があります。ホドロフスキーという映画監督が「DUNE」という作品を撮ろうとしたのに、結果的にポシャってしまう。その様子を描いたドキュメンタリーなのですが、面白いのは製作のために準備された素材が後の『スターウォーズ』や『マトリックス』などのSF超大作へとつながっていく点です。

確かにプロジェクトとしては失敗に終わったけど、長い目で見れば私たちの生きる世界に途方もない影響を与えている。SFプロトタイピングにより斜め上の未来を考えることも、もしかしたら短期的には意味がないように見えるかもしれないけど、同様に社会に影響を与えることがあるのではないかと僕は思うんです。

今日のお話を伺って、未来に対する漠然とした無力感がすこし軽くなった気がします。もっと気軽にいろいろな未来像を考えてみたいと思いました。

宮本 未来について気軽に考えてみようと感じていただけたならうれしいです。僕たちって、よくも悪くも過去に強く引っ張られてしまうんですね。未来のことを考えるときにも、自分がこれまでどんな仕事をして、どういうスキルを身につけてきたかばかり考えてしまう。

でも、自分がこれからどれだけ生きられるかは分かりませんが、技術の進化などを踏まえても、これまで生きてきた年数よりもこれから生きていく年数の方が多い可能性だって、大いにあるわけです。その場合、自分を規定している範囲って、割合的には過去よりも未来の方が大きいですよね。そう考えれば、過去なんて1ミリも自分じゃないっていう気がしてきませんか?

取材・文:生湯葉シホ
撮影:関口佳代
編集:はてな編集部

「なんとなく不安」への向き合い方

「最高の一日」を描いたら、仕事や将来の“なんとなく不安”から抜け出せた
「理想の一日」をノートに書き出してみる
将来への不安、ライフステージの変化。映画ライターが選ぶ、悩み多き私たちに寄り添ってくれる映画
“悩みに寄り添う映画”を見てみる
あなたにとって「働く」とは何ですか? 文学から哲学まで仕事の見方を変えてくれる本|石井千湖
視野が広がる本を読む

お話を伺った方:宮本道人(みやもと・どうじん)さん

宮本道人さんのプロフィール写真

未来作家、奇想アドバイザー、架空研究者。東京大学VRセンター特任研究員。フィクションを用いたワークショップを考案し、様々な企業のビジョン研修や新規事業開発に協力。架空の物事の性質を分析し、ありえない考えを活かして人生を楽しむ方法を模索している。著書に『古びた未来をどう壊す? 世界を書き換える「ストーリー」のつくり方とつかい方』(光文社)、編著に『SF思考 ビジネスと自分の未来を考えるスキル』(ダイヤモンド社)『SFプロトタイピング SFからイノベーションを生み出す新戦略』(早川書房)など。1989年生、博士(理学、東京大学)。
Twitter:@dohjinia

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*1:宮本さんは、2017年に刊行された『東日本大震災後文学論 』(南雲堂)にて、「対震災実用文学論—東日本大震災において文学はどう使われたか」というタイトルで論考も発表している

*2:『古びた未来をどう壊す? 世界を書き換える「ストーリー」のつくり方とつかい方』

*3:詳しい経緯と出来上がった小説は『古びた未来をどう壊す? 世界を書き換える「ストーリー」のつくり方とつかい方』に掲載されています

月山京香さんが「一重」は武器であると気付き、モデルとして自信を持てるようになるまで

月山京香さん

「他己評価」と「自己評価」の違いに、どちらを優先すべきか悩んだ経験はありませんか。「一重モデル」として活躍する月山京香さんに、「他者からの評価との向き合い方」を伺いました。

仕事をする上で「自分の強みがわからない」と悩む方は多いと思います。そんなときに参考にしたいのが「他者からの評価」。しかし、自分では気にしていなかった点を「弱み」「直すべきところ」と指摘され素直に受け取れなかったり、「長所」として評価された部分を「本当かな……?」と疑ってしまったりすることもあるのではないでしょうか。

今回登場いただく月山さんが、自身の一重が“武器”になると気づいたのは、他者からの評価がきっかけだったそう。

自分では特に意識していなかった「一重であること」が誰かに必要とされていると知って、居場所ができたような感覚だった――そう話す月山さんは、どのように他者の評価を強みに変換してきたのでしょうか。

「他者からの評価」がうれしくて、芸能の道へ

改めて、月山さんがモデルになったきっかけを教えていただけますか。

月山京香さん(以下、月山) 小学生の頃、母に「ファッションモデルやキッズモデルの仕事をしてみないか」と勧められて、そこから芸能活動に興味を持つようになりました。とはいえ当時は「面白そうだからやってみようかな」ぐらいの感覚でしたね。

中学生になってから3年半ほどは、当時所属していた事務所に勧められたのを機にアイドル活動をしました。

アイドル活動をしたあとで、またモデルの道へ?

月山 思いのほか背が伸びたこともあって、よく端っこのポジションだったんですよね。メンバー全員で並んだときのバランスの都合だと思うんですが……。「パフォーマンスはそんなに悪くないのに、なんで端っこなんだろう」なんて思ったりもしました。

事務所にも「やっぱり月山はアイドルじゃないよね」と言われて「え、じゃあ私、なんでここにいるんだろう」とグサってきて。そこから反骨精神のようなものが芽生えて、自分がもっと活躍できる場所を探してモデルの道に進みました。

それからは地元の関西を中心に、コンテストやショー、コレクションを経験し、高校3年生で上京して本格的にモデル活動をするようになりました。

きっかけは母親の勧めでも、ご自身も芸能活動に楽しさを感じていたのでしょうか。

月山 キッズモデルのコンテストでグランプリをいただいたり、選抜メンバーに選んでもらったり、そういった「家族以外の誰かに選んでもらえた経験」はうれしかったですね。「自分はここで輝くことができるんだ」という気持ちが芽生えたのは、初めてのことでした。

月山京香さん

モヤモヤを感じていた“一重”が、他者からの評価で「魅力」に変わった

今は一重を生かしたメイク術を自ら発信するなどして活躍されていますが、「一重」にはコンプレックスを抱く人も多い印象です。月山さんはご自身の一重まぶたについてどんなふうに思っていましたか。

月山 違和感やコンプレックスのような感覚は、最初はありませんでした。一重か二重か、という違いもあまり意識したことがなくて。

ただ学生の頃クラスメイトに「京香って一重なんだ」と何気なく言われたことがあって、それがすごく心に残っていました。当時は「みんなと同じじゃないといけない」という感覚が強かったので、「みんなが“かわいい”と思っている目元と違うんだ」ということに恐怖を感じて。それから、二重テープやのりを試してみたりはしました。

「他者からの評価」でモヤモヤを感じた経験から、自身の一重を「チャームポイント」として捉えられるようになったのは、何かきっかけがあるのでしょうか。

月山 初めて雑誌出演のお仕事をいただいたのが、まぶたのタイプ別のメイク企画だったんです。「一重のモデル」として声が掛かったことで、「私の一重まぶたは必要とされているんだ」と感じて、すごくうれしかったのを覚えています

それから、高校生のときに出演したバラエティ番組『林先生の初耳学』の「パリコレ学」でも、一重を生かしたメイクを評価いただけて。「自分でメイクをする」という企画で、アンミカさんから「コンプレックスを個性やチャームポイントに捉えていくことで、その人自身が強くなっていく」という言葉をいただいたんです。

まさかメイクで自分が評価されると思っていなかったので驚きもありましたが、メイクに対する自信が付いたし、学生時代の出来事をきっかけにモヤモヤを抱いていた自分の目元が確実にチャームポイントに変わった瞬間でした。

月山京香さん

一重を自分の個性・強みとして捉えられるようになったんですね。予想外の「他者からの評価」を経験して、自身の弱みやコンプレックスとの向き合い方は変わりましたか?

月山 そうですね。例えば私は身長が172cmなんですが、一般的にファッションショーモデルは175cmは必要といわれているので、身長をコンプレックスに感じることがあって。でも自分が他に持っているいいところに目を向けて磨くことで、個性の光り方も変わってくるはずだと思えるようになりました

周りの評価がきっかけで道が拓けたんですね。

月山 そうですね。自分で「一重まぶたを個性にして頑張ろう」と思っていたわけではなかったけど、「一重モデル」と呼んでもらえるようになったことで、居場所ができたような感覚がありました。もともとお仕事は100%一生懸命やっていましたが、もっと熱が入るようになりましたね。一重まぶたの人の悩みは私も少なからず分かるし、その人たちのメイクを少しでも手助けできるのなら、私にとってそれはとてもうれしいことなんです。

他者からの評価で落ち込んだときは、心の声をひたすら聞いてあげる

月山さんは母親の勧めでこの業界に入ったり、事務所の勧めでアイドルオーディションを受けたり、一重モデルというラベリングをしてもらったことで自分の魅力に気付いたりと、まわりの方の「評価」を素直に受け入れ、行動に移してきた方なのかなと思っています。普段から人の言葉を素直に受け入れることを心がけているのでしょうか?

月山 あまり意識はしていませんでしたが、言われてみれば、何かを勧められたときに「自分の評価とは違うんだけどな」という気持ちになったことはないかもしれません。というのも、もともと自分がどういう人間なのかをあまり分かっていないんですよ。だから言われたことに違和感もそれほど抱かないというか。

習い事も「やってみない?」「じゃあ、やってみる」で始めて、「合ってるね」「合ってる? よかった」みたいな感じなんです(笑)。もちろん合う・合わないはあるし、結果的にそれがやりたいことだったから受け入れられているんだと思いますが。

一重モデルも、人からのアドバイスを素直に受け入れたというよりは、自分でも意識していなかった魅力に気付けた。それがうれしかったし、振り返ってみるとそういう経験は確かに多かったなと思います。

月山京香さん

少し意地悪な質問かもしれませんが、一重モデルという評価がレッテルのように思えてしまったり「まぶただけを評価してほしいわけじゃないんだけど……」と感じたりすることはありませんか?

月山 正直なところ、それはありますね。「私のいい所はまぶただけじゃないよ、もっといろんなことできるよ」とは思っています。

ただ、一重まぶたのモデルとして需要があることにはやっぱりやりがいを感じるし、求められるからこそ頑張れるんですよね。誰しもそうだと思うんですが、必要とされていることと私がやりたいことが一致していれば、ずっとそのお仕事は楽しい。それがなくなるまで、私はやり続けようと思います。

求められることに応えるだけでなく、そこにやりがいやモチベーションを見出していることが、月山さんらしい活躍につながっているんですね。一方でモデルという職業柄、どうしても知らない人から「評価」されることも多いと思います。「これは嫌だな」という声も時には届くのかなと思うのですが……。

月山 もちろん、心ない言葉をかけられるとへこんじゃいます。だから「その評価は嫌だな」と思うこともありますが、そういうときは「好き嫌いは人それぞれ」と考えるようにしています。

ある人にとってはすごくかわいいと思うものでも、別の人はまったくそう思わないものもある。「絶対これがいい、これが正義です」というものはあり得ない。なので「それはあなたの好みであって、別の人には別の好みがあるし」に落とし込んじゃいますね。

モデルの世界は「オーディション」で他者から評価され、合格・不合格がジャッジされます。どれだけ努力しても実らない結果に落ち込むこともあると思いますが、月山さんはどんなふうに対処していますか?

月山 落ち込んだときは、自分の心の声をひたすら聞いてあげています。「今回はダメだったけど、自分に合ってなかっただけなのかもしれない」とか、そういうふうにポジティブに切り替えていく。

モデルのオーディションはたくさんあるので、一つひとつの結果に沈みきっていると、本当に心が折れちゃうんです。だから落ち込んだ日は食べたいものを食べるし、いつもは時間を決めているお風呂も好きなタイミングで入る。そういうちょっとした「こうしたい」に素直になってあげることで切り替えて、「また頑張ろう」って思うようにしています

自分の心を守る方法を知っているからこそ、普段他者の声をしなやかに受け止められるのかもしれませんね。最後に、他者からの評価との向き合い方について、アドバイスをいただけますか?

月山 もともと私はファッションモデルをやりたくてこの世界に入ったので、まさか雑誌の仕事で、しかもメイク企画で必要とされるようになるとは思っていませんでした。

だから、時にはまわりからもたらされる流れに身を任せるのも大事なのかなと感じています。お仕事をしていると、自分が思ってもみなかったところで必要とされることがあると思いますが、その先で自分の新しい才能に出会うこともありますから。

月山京香さん

取材・文:ヒガキユウカ
撮影:関口佳代
編集:はてな編集部

「自分を評価する」って難しい……

「向いてる仕事」が分からなくなったら、他者に委ねてみる。校正者・牟田都子さんの“仕事の出会い方”
「向いている仕事」が分からなくなったら、他者に委ねてみる
自分の強みに気付けば、組織での“役割”が見える。ハロプロOG・宮崎由加&ハラミちゃんの「居場所の作り方」
「自分の強み」に気付くには?
仕事がうまくいかない=能力が足りない、ではない? 組織開発の専門家に聞く「環境」に目を向けるべき理由
仕事がうまくいかない=能力が足りない、ではない?

お話を伺った方:月山京香さん

月山京香さんのプロフィール写真

2000年8月16日生まれ。大阪府出身。一重を活かしたメイクテクニックが反響を呼び、コレクションやショーへの出演のほか、雑誌のメイク企画などで活躍中。
Instagram:@i_am_kyoka_yade

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十束おとはがアイドル卒業して会社員に転職した理由。元フィロソフィーのダンス

十束おとはさん

アイドルグループ「フィロソフィーのダンス」の元メンバー・十束(とつか)おとはさんに、「アイドル」から「会社員」への異業種転職について伺いました。

転職を考えるときは「他の会社でやっていけるのか」「いまの会社でもっとキャリアを積むべきではないか」など、悩みや不安が尽きません。特にいままでとは全く違った業種へのキャリアチェンジの場合は、周囲に引き留められたり「本当にいいのか」と自分にストップをかけたりしてしまうことも。

アイドルを辞めて会社員になり、タレント活動と両立することを選択した十束さんも、「積み上げたキャリアが崩れるような感覚」を味わったといいます。そんな中で「異業種転職」を決断した背景を伺いました。

アイドルも社会人も、辞めるときは「引き継ぎ」が大切

現在、会社員とタレント活動を両立して働いている十束さんですが、芸能界に入ったきっかけは何だったのでしょうか。

十束おとはさん(以下、十束) 私は元々、芸能界に入りたいという気持ちを持っていないタイプでした。大学生として一般的な学生生活を送り、一度一般企業に就職をしています。

ただその会社が合わなかったことから数カ月ほどで辞めて、その後は引きこもり生活を送っていて……。あるとき、好きなゲームの応援団を募集していたので、それに応募してみたら受かって、芸能活動をはじめたという経緯です。

十束おとはさん

芸能界は10代から活動をしている方も多いですが、十束さんは一度会社員を経験されているんですね。そこからアイドルになったきっかけは?

十束 1年たってゲームの応援団の活動が落ち着いてきた頃に、「次は何をしようかな」と考える時間がありました。そこで、昔から好きだった「アイドル」の道を選ぶことにしました。ちょっと遅咲きのアイドル活動です。「一回きりの人生だから、好きなことを全部やってみたい」と思って。

フィロソフィーのダンスとして活動を始めたのが2015年。2020年にメジャーデビューを果たしたのち、2022年に十束さんはグループを卒業しました。メジャーデビューから約2年での卒業に「もったいない」と思ったファンも多かったと思います。

十束 卒業については、2019年ごろから考えていました。最初のきっかけは、体調を崩したこと。「ファンの方に100パーセント、120パーセントのパフォーマンスを見せられないなら、アイドルという職業からは引退するべきじゃないか」という自分の考えがあって。

でも、すぐに辞めるとなると当然グループに迷惑がかかるので、自分ができる100パーセントのものを残して辞めようと思い、準備を始めました。

十束さんは新メンバーに「引き継ぎ」をしてから卒業したと聞いて、アイドルも会社員と同じなんだと、ハッとしました。

十束 「アイドルも会社員も変わらない。やっぱり引き継ぎって大切だな」と、身をもって感じました(笑)。やって良かったのは、私の在籍期間中に、新メンバーと一緒に練習をしたり話したりする時間を設けたこと。できるだけ活動しやすい環境をみんなでつくっていきました。

新メンバーのお二人が発表されたのは十束さんの卒業公演のときでした。そのときには、かなり密にコミュニケーションをとって、レッスンも一緒に受けて、という状態だったんですね。

十束 はい。多くのアイドルグループさんと比べても、卒業までかなり長い時間一緒に時間を過ごして、十分な引き継ぎをできたと思います。私個人としては、理想的なかたちで卒業できました。

会社員とタレント活動の「両立」に挑戦してみたかった

卒業発表のときに「大好きなゲームやeスポーツの世界で働いてみたいな」という公式コメントがありました。会社勤めをすることは、卒業を考え始めた頃から決めていたのでしょうか。

十束 元々、アイドル活動と並行してプロゲーミングチーム「魚群」に所属していたんです。その活動を通して「裏方としてゲームにかかわる経験を積みたい」と考えるようになりました。いまは、ゲームやeスポーツに関するイベントの企画運営などに携わっています。

十束おとはさん

芸能界を辞めて、会社勤め一本にするという選択肢もあったのではないかと思います。「両立しよう」と決めたのはどうしてですか。

十束 まず「アイドルのセカンドキャリア」を考えたときに、会社員とタレント活動の両立をしている方がまだあまり多くないので、挑戦してみたいなと。もうひとつの理由が、長年ステージに立ってきて見えた「強み」を生かしたかったからです。

アイドルは、自分の強み・弱みと向き合う機会の多い仕事のひとつだと思いますが、活動を通じて私の強みは「あまり緊張しないこと」だと気がつきました。この力は表に出る活動でまだまだ生かせるものなので、「卒業とともに人前に出る活動が終わってしまうのはもったいないな」という思いが出てきました。

これから結婚や出産などのライフイベントがあったら、またキャリアチェンジをする可能性もあります。でも、表舞台に出られない理由ができるまでは芸能活動も続けていきたいと思い、両立を選択しました。

十束さんがチャレンジしている「アイドルのセカンドキャリア」を、後継のアイドルにも見てほしい気持ちもあるのでしょうか。

十束 うーん。率直に言えば、後輩たちに対する気持ちというよりも、あくまでも自分のためですね。自分の人生なので、自分の可能性に賭けてみる生き方をしたくて。

でも、人前に出る仕事を続けていれば、私が楽しんで何かに挑戦してがんばっている姿は、誰かに届くと思います。後輩アイドルに限らず、いろんな働く方に見てもらって、誰かに刺さればうれしいなと思い、発信を続けています。

昔抱いていた、キャリアチェンジへのネガティブな感情がなくなった

アイドルから会社員へ。いわゆる「異業種転職」です。大好きなゲームにかかわる業界とはいえ、不安もあったのではないでしょうか。

十束 もちろんありました。ゲーム業界に異業種転職するということに、アイドルとして積み上げてきたキャリアを一気に崩してしまう感覚を覚えて……。これからは全く違うキャリアを新しく積み上げなければいけない。大好きなジャンルだけど、最初はワクワクよりも不安の方が大きかったかもしれないです。

これまでと違った業種や環境に飛び込むのは、勇気がいりますよね。どのようにして、異業種転職の不安に向き合いましたか。

十束 不安には「自分で自分を励ますこと」で対処してきました。私は、思春期に学校になじめなくて。でも根が真面目だから、あまり休まずちゃんと通うタイプでした。そのときに大事にしていたのが、小さなことでもいいから、明日につながる何かを探すことでした。「今日、こんな嫌なことがあったけど、あれは楽しかったな」というように。

どんなにポジティブな人でも、ネガティブになる瞬間があると思います。そんなときでも「今日はここが良かったじゃん」「明日はこれをがんばってみよう」と、自分で自分を励ましてみる。最初は難しいと思うんですが、小さなことの積み重ねで、そういった悩みやモヤモヤとも向き合っていけると思います。

「自分で自分を励ます」って大切だと思います。悩んだときに周囲へ相談するのは苦手なタイプですか。

十束 「忙しそうだし、迷惑かかっちゃうからいいや。自分で決めちゃおう」と気を使ってしまうタイプです。たぶん、この記事を読んでる方にも、人に気を使いがちな方がたくさんいると思うんですが……。

ただ年を重ねるにつれて、人に相談する大切さも感じていて。アイドルを辞める時も、次のキャリアについて相談していましたし、最近は誰かに頼ることも悪いことじゃないんだなって実感しています。

そうした変化を受け入れていくのも、大切ですよね。先程「強みを生かしたい」というお話もありましたが、実際に転職されて感じたことはありますか。

十束 もともと芸能界という表舞台で活動していて、かつ、ユーザーとして「ゲーム」がとても好き。イベントの企画運営に携わっていることもあり、この2つの視点を持っていることは、自分の強みだと感じました。お客さんも出演者もスタッフも、全方向の人が楽しめるイベントをつくっていきたいなと今は考えています。

異業種のゲーム業界に入ってみて、一番驚いたことは?

十束 ずっと体を動かす仕事をしていたので「ああ、会社員ってこんなに会議があるんだ!」と。ほぼリモートで仕事をしているのですが、こんなにPCの前から動けないんだ! って(笑)

企画にかかわるお仕事だと、確かに会議が多いですよね(笑)。会社の仕事とタレント活動のバランスはうまくとれていると思いますか。

十束 私がというより、会社の方が雇う側としていろんなことを調整して、気にかけてくれています。

私のような働き方は、会社としてもまだあまり前例がないので、みんなで手探りでがんばっている途中という感じで。私も会社も、お互いにとって良い関係を模索している最中です。これが良い感じに整っていけば、私の後に続く人が出てくるかもしれない。これからが楽しみですね。

十束おとはさん

前例がないことにチャレンジするのは、不安だし勇気が要ると思います。

十束 でも、いまは以前よりも「がんばらなきゃいけない」という思いがなくなったんです。そのぶん、力を抜いて伸び伸びと働けていると思います。良い意味で考え過ぎずに「会社員とタレント、どちらもがんばってみよう」と楽に構えられている。

十束さんの話を聞いていると、すごくポジティブな転職をしたんだなあと感じます。

十束 そうですね、アイドルになる前に企業に就職・退職したときの私はもっとネガティブだったので。世の中では「有名で安定した会社に入ること」や「同じ場所で最低3年はがんばること」などが良しとされているじゃないですか。そんな無意識の思い込みが私にもありました。

だけどいまは、いろんな経験を踏まえて、「自由に、自分自身がやりたいことに正直に生きる」という生き方でもいいんじゃないかと、考えが変わりました。

いまは、キャリアチェンジにあまり悪いイメージがないんですね。

十束 そうですね。いま「キャリア」に興味があるので、キャリアコンサルタントの資格を取るつもりなんです。新しい業界に飛び込める柔軟な気持ちを持っていれば、自分の可能性の枝葉がどんどん広がっていくようなキャリアチェンジができると思うようになりました。

誰にでも「挑戦」できる権利がある

アイドル、ゲーム業界、キャリアコンサルタントと活躍の幅が広がっていくのが楽しみですね。業種が違っても、いままでの経験は生かせていますか。

十束 生かせる経験だらけです! どこにでも出ていける力や場数をこなしただけの対応力は、アイドル活動ならではのもの。初対面のどんな人ともお話しできたり名前を覚えるのが早かったりするのは、ファンの方とたくさんお会いした特典会のおかげです。

イベント企画などでは、演者の気持ちと裏方の気持ちの両方が分かるので、会議で「演者だったらここが引っ掛かると思います」と発信できる。何事も、全部生きていますよね。

いまの仕事でも、アイドルをやっていて良かったと実感できているんですね。

十束 もう、アイドルをやっていて良かった! と思うことばかりの毎日です。アイドル活動は「人とかかわって、自分の良いところを最大限に発揮する仕事」だと思うんですが、その力ってどんな会社に行っても求められる能力ですから。

十束おとはさん

その言葉は、ファンの方はすごくうれしいと思います。柔軟に活動の場を広げている十束さんが、働く上でこれだけは大切にしたいと思っている信念やスタンスはありますか。

十束 「自分の好奇心を無駄にしない」です。やってみたいと思えるものができたら、挑戦し続けてみる。でも、逆のことを言うようですけど、やりたいことを仕事にする必要は全然ないとも思います。

例えば、「お金をたくさん稼ぎたい」「絶対に定時に帰りたい」もすごく良い軸だと思うんですよね。全部の条件をクリアできる仕事って、世の中にはない。何かしら妥協はしなければいけないので、「自分が一番大切にしたいものは何か」を見失わないことが大事だと思っています。

十束さんは「自分の好奇心を無駄にしない」という軸のために、優先度を下げているものはありますか。

十束 私の場合は、休日については気にしていません。平日に仕事をしていても、土日にイベントMCなどの仕事が入れば喜んで出かけていく。プライベートな時間も自分の仕事や活動にあてています。

私にとっては苦じゃないのですが、友だちには「その働き方でいいの?」と言われて、多分心配をかけているし、変なヤツだと思われています(笑)。

いままでと違う業種に飛び込むとき、誰しも大なり小なり悩むと思います。自分で考えて、新しいキャリアに挑戦する決断をしてきた十束さんなら、いま悩んでいる方に何を伝えたいと思いますか。

十束 悩んでいる方って、基本的にがんばり屋さんの人が多いんじゃないかと思うんです。5年先、10年先まで考えてしまう真面目な方もいると思うんですけど、「いま」の自分の気持ちを正直に受け止めること。そして、とりあえず今日をがんばる。今日をがんばれたら、明日もがんばってみる。

一日ずつを積み上げていけば、無理に遠い未来のことを考えなくても、未来はつくっていけます。悩み過ぎずに、いま自分が何をやりたいかとか、大切にしたいかという気持ちを一番大事にしてほしいです。

その先、もし辞めたくなったり他のことに挑戦したくなったりしたら、誰がなんと言おうとあなたには挑戦する権利がある。最終的に自分には何が合うのかというのを、10年、20年かけて探していけばいいんじゃないかな。

取材・文:むらたえりか
撮影:小野奈那子
編集:はてな編集部

「転職したいけど、不安……」と悩むあなたへ

異業種転職は必ずしも“リセット”じゃない。元看護師の私が、仕事は「地続き」だと感じた話
異業種転職は“リセット”ではない
仕事も自分自身も「決めつけない」ことが、異業種へのキャリアチェンジのカギになる──書店員・粕川ゆきさん
仕事も自分も「決めつけない」のが異業種転職のカギ
転職先を決めずに退職。空白の8カ月を過ごしたら、次の道が見えてきた
「転職先を決めずに退職」という道を選んでみて

お話を伺った方:十束(とつか)おとはさん

十束おとはさんのプロフィール写真

2015年、女性アイドルグループ「フィロソフィーのダンス」のメンバーに。2022年11月、約7年のアイドル活動を終え、現在はゲーマータレント・MC・ライターとして、さらにはeスポーツ事業の裏方スタッフとして活動の場を広げている。プロゲーミングチーム『魚群』所属。趣味はゲーム・自作PCやガジェット集め・映画鑑賞・アニメ・漫画・アメコミ。
Twitter:@totsuka_otoha

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「好きで始めた仕事なのにつらい」のはなぜ? 吉本ユータヌキさんがコーチングを受けて気づいたこと

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やりたいことや好きなことを仕事に選ぶと、理想とのギャップに直面したり、好きであるがゆえに妥協できなくて苦しんだりする――しばしば聞く話です。そのうえ「自分で選んだ道だから仕方がない」「つらいなんて言ってはいけない」なんて、がんじがらめになることも。こうした状況が続き、楽しさを見出せなくなってしまうことも少なくありません。

吉本ユータヌキさんは、会社員との兼業で漫画やイラストの発信を始め、現在はフリーランスのクリエイターとして活躍しています。周囲からは理想的なキャリアを歩んでいるように見えるものの、じつはつらさを感じていた時期があるのだとか。

好きな気持ちからスタートした仕事に対して、つらさを感じている人に向けて、かつて同じ悩みを抱いていた吉本さんが、コーチングによって自分自身の本当の気持ちと向き合えるようになった体験を語ります。

※取材はリモートで実施しました。

好きなことを仕事にしたはずなのに、つらさを感じるように

まずは、吉本さんが好きな「描くこと」を仕事にしながら、具体的にどんなつらさを抱えていたのか聞かせてください。

吉本ユータヌキさん
吉本ユータヌキさん

吉本ユータヌキさん(以下、吉本) まずひとつは、収入が不安定なつらさだったと思います。

フリーランスで収入の波が激しいのに「父親はちゃんと稼いで家族を支えなければならない」という思い込みが強かったせいで、収入が少ない月は通帳を見ながら不安になっていたんです。

かといって仕事が忙しくなると、今度は家族をおろそかにしているんじゃないかと罪悪感にさいなまれ……つねに何かしらのプレッシャーを抱えていました。

会社員をしながら副業で漫画を描いていた頃は、お給料という安定した収入があったので、好きな仕事だけ受けていればよかったんです。ところが、フリーランスになったタイミングでコロナ禍がはじまり、仕事ががくっと減りました。

そうなると、安定した収入を得るために、さほど興味が強くない仕事もやる必要があるときが出てきた。

もちろん楽しさを見出す気持ちで取り組むのですが、「自分がやりたいこと」よりも「安定して稼ぐこと」を意識しはじめたのは、描くことがつらくなるきっかけだったように思います。

安定して稼ぐために、これまでとは違う方向性のお仕事も始めたわけですね。

吉本 その流れで、いままでみたいに自分に起きた出来事を描くだけでなく、創作漫画という新たなジャンルにも挑戦することにしました。

コルクというクリエイターエージェンシーに所属して、同じ新人漫画家たちと交流しながら、絵の基礎を学んだんです。

新しいことを勉強するのは楽しくはありましたが、だんだん「事務所に入った以上はみんなと同じように頑張って上を目指さなきゃ」「創作漫画を仕事にするなら、商業誌で連載を取らなければならない」などと、描くことに高いハードルを感じるようになってしまったんです。

当時の吉本さんのつらさと葛藤はTwitterで公開された漫画で描かれている
当時の吉本さんのつらさと葛藤はTwitterで公開された漫画で描かれている

好きで始めたはずなのに、いつの間にかハードルが上がってしまった……。

吉本 僕自身は絵を楽しく描けていたらそれでいいはずだったんですよね。でも、無意識のうちに「漫画家」という肩書きが重くのしかかってきて、目指してもいない山を登ろうとしてしまったんだと思います。

それに、僕に良くしてくれる編集者さんたちの期待に応えたい、という気持ちも大きくありました。そこに経済的なプレッシャーも加わって、どうするのが正解なのかまったく分からなくなっていったんです。そんな状況を少しずつ変えてくれたのが、当時の担当編集さんに提案してもらった「コーチング」でした。

当時は「コーチングって、何?」という状態だったのですが、つらさが限界を迎えていたこともあり、わらにもすがる思いで始めてみたんです。

対話によって「本当はこうしたい」が見えてきた

コーチングとは「相手の話に耳を傾け、質問を投げかけながら相手の内面にある答えを引き出していくコミュニケーション手法」といわれています。吉本さんは、どのようにコーチングを受けていったのですか?

吉本 抱えている悩みをざっとお話したら、コーチが「吉本さんはどうしたいんですか?」と聞いてくれるんです。でも、コーチが「どうしたらいいのか」を教えてくれると思っていたので、アドバイスしてくれないことに最初はモヤモヤしてしまって……。

それに、「僕はこうしたいです」と表面的な答えはできても、それが本当の気持ちなのかはまた別の話。周りの目を気にした答えしか出てこなくて、自分の本心にたどり着くには時間がかかりました。

その道のりには、例えばどんな質問や回答があったのでしょうか。

吉本 「漫画を描くのがしんどいんです」と言ったときには、コーチが「じゃあ、どんな状態になったらいいですか?」と聞いてくれました。

それで「昔は楽しく描けていたから、昔みたいになったらいいです」という答えが見つかったときに、僕は、自分らしく絵を描いているときが楽しかったんだと気づけた。

それなのに漫画家という看板を背負ってからは、周りの期待に応えたくて、やみくもに絵のスキルアップを目指してしまっていたんです。

自分が本当にやりたいこととやっていることが違っていたと気づけても、そこから軌道修正するのは、また難しそうです……。

吉本 そうなんですよね。コーチは続けて「じゃあ、周りの期待に応えなかったら吉本さんはどうなりますか?」「嫌われたらどうなりますか?」といった質問を重ねてくれました。

答えを探そうするうちに「もしかして、他人の期待に必ずしも応える必要はないんじゃない?」「“自分のため”を優先してみてもいいのかも」と思えてきて……少しずつ、自分の希望が見えてきたんです。

そして、ほとんど妄想に近いような希望でも、口に出して受け入れてもらう体験を積み重ねると、だんだん「そういう方向でやってみようかな」と思えるようになって、迷路の出口を見つけたような気持ちになりました。

コーチングは、自分のなかにある「本当はこうしたい」という気持ちを、コーチと一緒に見つけていく時間だったんだと思います。

「漫画家やめたい」と追い込まれた心が雑談で救われていく1年間(引用:吉本ユータヌキさんTwitterより)
「漫画家やめたい」と追い込まれた心が雑談で救われていく1年間(引用:吉本ユータヌキさんTwitterより

根本的な原因は、どうやら自分の「思考の癖」だった

いろいろなプレッシャーを背負って「どうしたらいいのか分からない」と感じていた状態から、コーチングで少しずつ「本当はこうしたい」が見えてきたんですね。

吉本 そもそも「どうしたらいいのか分からない」状態に陥っていたことにも、ふたつの理由がありました。ひとつは、僕が勝手に「自分はダメだからうまくいかない」と決めつけていたこと。もうひとつは「周りに迷惑をかけちゃいけない」と思い詰めていたことです。

フラットに見ればうまくいく方法を探せたかもしれないし、人に迷惑をかけても助けてもらえるかもしれないのに、そうは考えられなかった。ネガティブな自己認識も、人に迷惑をかけてはいけないという意識も、小さな頃からの「思考の癖」だったんですよね。でも、その癖を外したいまは、以前の考え方をまったく思い出せません。

思考の癖なんて、そう簡単に外せるものなんですか……?

吉本 僕も以前は「自分がネガティブなことは変えられないから、このまま生きるしかない」と思っていました。正確に言えば、いまもネガティブにとらえてしまう癖そのものは残っています。だけど、そんな自分を客観的に眺めて、深みにはまらず対処できるようになったというか……。

物事をネガティブにとらえてしまっている自分に気づいたとして、そのあとどう対処するのでしょうか?

吉本 ネガティブにとらえている自分をただ受け止めて、「いい/悪い」の判断をしないようにするんです。

例えば、先ほどみたいに「好きだったはずの漫画を描くのが楽しくない」と感じたとき、「自分がダメだからだ」とネガティブな感情が出てきてしまったら、まずは「あ、いま僕は『自分がダメだから』とネガティブに考えているな」と、いったん客観的に受け止める。

ネガティブに考えること自体は、別に悪いことじゃないと思うんです。

いわれてみれば、それは単なる受け止め方、単なる感想ですもんね。

吉本 それに、初動でネガティブなとらえ方をしたとしても、そのあとで「でも、この感情は次の作品を描くために必要なプロセスだったかもしれない」と思えたら、充分持ち直せます。

コーチに「出来事を“点”でとらえずに、全部を線でつないでいく」と教わってから、自分の状態を冷静に受け止められるようになりました。

それから、コーチからの「自分はどうしたいか?」という問いがなくても、自問自答する習慣がついたと思います。何か起きたときに「あ、いま自分はイヤだと思っているな」と気づき、その気持ちを受け止めた上で、本当にしたいことを考えてみる。

その繰り返しで、僕は自分の悩みごとを自分で解決できるんだと思えてきました。

「漫画家やめたい」と追い込まれた心が雑談で救われていく1年間
「漫画家やめたい」と追い込まれた心が雑談で救われていく1年間(引用:吉本ユータヌキさんTwitterより

「周りに迷惑をかけちゃいけない」と考える癖は、どうですか?

吉本 子どもの頃から親にそう言われて育ってきたので、これも心の中には残っています。だけど「迷惑をかけたらどうなりますか?」とコーチングで改めて聞かれると、自然と「あれ? もしかして、妻は助けてくれるんじゃないか?」と思えた。周りには優しい人たちがたくさんいるのに、自分で自分を追い詰めていただけだったんです。

いまは「しんどいこともあるけど楽しいな」と思える

好きで始めた仕事がしんどくなってしまった理由や自分の思考の癖を見つけてから、それまで抱えていたつらさはどうなりましたか?

吉本 「絵を描くのが楽しくない」というつらさは、ずいぶん解消されました。

漫画家の世界では「顔漫画(キャラクターの顔ばかり描かれているような漫画)」は初心者が描くものという声もあるし、それを脱するために絵を練習したりもしたけれど、僕が本当にしたいのは、描きたいものを自由に描くことだったんですよね。そう気づいてからは、無理やり型にはめることなく、自分らしい絵が描けるようになってきています。

それから、ついプレッシャーに感じてしまう「漫画家」という肩書きは、名乗るのをやめました。そのおかげで「漫画で上を目指さなくちゃ」「何かを表現するときは漫画じゃないといけない」といった思い込みもなくなりましたね。

肩書きは気にせず、そのときやりたいことにどんどん手を出して、自分なりの楽しい表現を追求できるのが一番だといまは感じています。

素敵な変化ですね。ただ、吉本さんのように好きなことを仕事にされた方のなかには「そもそも自分で選んだ道なのだからしんどいと言えない」と思い込んでいるケースも多いように思います。

吉本 仕事に限らず、子育てなどでも「自分で選んだ道だから」と背負い込んでしまうことがありますよね。でも、何がどう大変かなんて、経験しないと気づけない。

だから、好きで始めたことでもしんどくなっちゃうのは仕方ないし、おかしいことではないと思います。ただ、そんなふうにしんどくなったときは、信頼できる誰かに話を聞いてもらえるといいですよね。

吉本さんは、しんどいとき周りに打ち明けられますか?

吉本 いまでこそ相談できるようになってきたけれど、昔は誰にも話せませんでした。自分の暗い部分を見せるのはみっともないと思っていたし、楽しい話じゃないから迷惑をかけてしまう気がしていたんです。

それに、周りから「こうしたほうがいいよ」って答えを押し付けられると、それはそれでしんどくて……。「この人はこんなに前向きに考えられるのに、自分はどうしてこうなれないんだろう?」と、余計ネガティブになってしまうこともありました。

どうやって周りに相談できるようになっていったのですか?

吉本 コーチが、辛抱強く向き合ってくれたからだと思います。最初のうちはコーチングをしてもらっても、すっきり悩みが解決するわけじゃないんです。でもコーチをがっかりさせたくなくて、解決できたふりをしてしまっていました。

そんな僕のことを受け入れて、ゆっくり信頼関係を築いてくれたから、こちらも少しずつ心を開けるようになっていったんです。最近になって「本心で話せない時期はあったように感じてましたよ」と言ってもらいました。

はじめての美容師さんには希望をうまく伝えられないけれど、回を重ねるにつれてお互いなじんでいく感覚と似ているかもしれません。身近な人に話すのがどうしても難しければ、お金を払ってプロに助けを求めるのはアリだと思います。

自分との向き合い方も、周りの頼り方も身に付いてきて、いまはしんどくありませんか?

吉本 経済的なプレッシャーと「やりたい仕事ばかりもやっていられない」問題は、正直いまも変わらずにしんどいですね。以前、「好きなことで、生きていく」という広告コピーがありましたが、「好きなことで生きていくにはまずそのためのお金が必要やん!」と思っちゃって。

例えば、僕は2月に『「気にしすぎな人クラブ」へようこそ』という本を出しました。ものすごく売れてほしいと思っているから、いまめちゃくちゃ宣伝を頑張っています。でも、宣伝にばかり時間をかけていると、ほかの仕事ができなくて、目先の収入がなくなっちゃうんです。このバランスはすごく難しいですよね。

やりたいことはたくさんあるけど、お金のためにやらないといけないこともある。そもそも、お金を稼がなくちゃいけない状況は変わっていない……。ただ、昔の一番つらかった時期と違って、いまはこのしんどさも悪いものだととらえていません。

自分を客観的に眺めて、深みにはまらず対処できるようになったので「しんどいこともあるけど楽しいな」と思えるようになりました。その変化が、自分にとっては一番大きいんです。

取材・文:菅原さくら
編集:はてな編集部

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私の働き方、これでいいのかな?と悩んだら

自分の仕事ぶりを、自分で責めるな。私に必要だったのは「傷つけない」働き方
成長や成果を追い求めすぎない
「ストイック頑張りマン」をやめた|藤岡みなみ
「ストイックに頑張る」のをやめてみる
やりたい仕事が分からず「安定した生活」をしていた私が、悩んだ末に決めた今の働き方
「やりたいこと」で働き方を見直す

お話を伺った方:吉本ユータヌキさん

吉本ユータヌキさんプロフィール画像

作家。1986年、大阪生まれ大阪育ち。18歳から8年間活動していたバンドが解散し、サラリーマンとして安定を目指して歩み直した矢先に子どもが誕生。子どもの成長を残すために描きはじめた漫画『おもち日和』が集英社のウェブ漫画サイトで連載となり、のちに出版デビュー。2019年に会社員を辞め滋賀県へ移住し、漫画に専念するようになるも、変化と多忙のためメンタルのバランスを崩し「漫画家やめたい」と人生最大の落ち込み期に。そんなときにコーチングと出会い、雑談を繰り返すうちに、「他人の期待に応えるために漫画を描くことに苦しみを感じていた」と気づく。1年かけて「自分が描きたいことを描く」へと少しずつ変化し、楽しく漫画が描けるようになる。その後自身もコーチングを学び、現在は自分のように「気にしすぎ」な人が少しでも気楽に生きられるヒントになる本をつくりたいと思っている。
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「能力不足」と悩まないで。仕事が終わらないのは個人だけの責任ではない

勅使川原真衣さん記事トップ写真

「仕事が時間内に終わらない」などの理由で職場からの評価が低く、自身の「能力不足」に悩んだ経験はありませんか。

しかし、組織開発の専門家・勅使川原真衣(てしがわら・まい)さんは、能力とは個人に帰属するものではなく「環境や時代次第でいくらでも移ろうもの」と考えています。「仕事がうまくいかないときは、まず個人の能力を疑うよりも前に、業務や人員配置などの環境を調整することを考えた方が良い」と語る理由とは。

「能力」とは環境によって移ろいゆく幻のようなもの

勅使川原さんは行き過ぎた「能力主義」に疑問を抱き、大学院で教育社会学を研究されたそうですね。ご著書の『「能力」の生きづらさをほぐす』では、定義が曖昧な「能力」を求められ続けられてしまうことのいびつさを指摘されていました。

勅使川原真衣さん(以下、勅使川原) 私自身、「能力」の曖昧さには子どもの頃から苦しめられてきたんです。小学生時代、ある担任の先生からは「リーダーシップがある」と評価されていたのに、進級して別の先生が担任になった途端、「リーダーシップが強すぎて問題だ」と酷評されたのが忘れられなくて。会社員になってからも、ある企業ではじめは最低の能力評価をつけられていたにも関わらず、偉い人と仲良くなるにつれて評価が上がるという経験をしました。

なんなんだこれ、と疑問に思うあまり、一時は敵地視察をしようと意気込んで、人材の能力開発や評価を行う外資系のコンサルティングファームに勤務していたこともあります。「能力」への恨みが深いんです(笑)。

勅使川原真衣さん記事中写真

勅使川原さんが経験されたのは、環境に応じて求められる「能力」が変わり、それによって自分の評価までコロコロ変わってしまう……ということでしょうか。

勅使川原 そうです、そうです。実際のところ、企業が新卒学生に求める能力も風見鶏のように時代によって変化しています。例えば、厚労省が定期的に発表していた「雇用管理調査」(2004年に廃止)を遡ってみると、学生を採用する際に重視する能力として、あるときは「創造性」が求められたかと思えば、あるときは「協調性」がいきなり求められたりもする。

また、直近では経団連から「大企業が大卒者に期待する資質・能力・知識」*1がランキング形式で発表されていますが、そこで求められる資質や能力は多岐にわたります。例えば、2022年に発表されたものでは、1位が「主体性」、2位が「協調性」。3位以降は「実行力」「学び続ける力」「柔軟性」……と続きます。

「主体性」の次が「協調性」……。どう捉えればいいのか悩みますね。

勅使川原 結論から言ってしまうと、これらは本来、組織の「機能」としては全て必要なんですよ。ただ、それを一人の個人が身に付けるべきものとして捉えると、おかしなことになってしまう。能力とは環境によって移ろいゆく幻のようなものです。例えば、ひとくちに「コミュニケーション力」と言っても、職場によって求められるコミュニケーション力の内容は違うでしょうし、その能力がうまく発揮されるかも、人間関係や制度などによって変わりますよね。

それなのに、能力を個人に帰属するものと捉えてしまうと、仕事ができないのは能力がないあなたのせいだ、と個人だけに責任を押し付けることになってしまいます

確かに。ただ仕事がうまくいかないと、自分の能力や資質の問題だと考えてしまいがちです。

勅使川原 そうなんですよね。そう考えてしまう背景の一つには、そもそも教育の目的に「人格の完成」*2と定められていることがあると思います。これは、自分に足りないものをインプットして「能力」を高め続けていけば、いつか人格が完成する、という非常に個人主義的な人間観なんです。しかも近年では、求められる能力が「人間力」とか「生きる力」とか、抽象度を増してさらに細分化されつつあるのできりがありません。

また、社会学的に『失敗の納得のしかた』を社会がうまく設定することは非常に重要で、社会の安定的な運営という観点からは、「自分は能力が足りないから、評価されなくても仕方ない」と思わせるようなロジックが重宝されてしまう部分もあります。よく成功した人が「自分には〇〇力があったから成功した」と、成功の理由を特定の能力に還元して公言することがありますが、それはこうしたロジックと表裏一体です。

でも実際のところ、成功したのは仕事との相性や周囲との関係、さらには運がよかったからというのもあるはずで、あくまで環境における結果ではないでしょうか。私が組織開発と自分の仕事を説明しているのも、人材開発のように個人に焦点を当てるのではなく、組織全体の環境の調整に目を向けたいと考えているからなんです。

無理のない範囲で「職業人格」を演じるのもひとつの手

勅使川原さんが組織開発の専門家としてお仕事をされてきた中でも、実際に、環境によってまったく能力の発揮され方が違うと感じた事例は多かったですか?

勅使川原 本当に多かったです。例えばある企業では、「新人の登竜門だから」という理由で、新入社員の多くは簡単な表計算やデータ上の間違いを見つける業務を任されるんですね。向き不向きがはっきりと分かれる仕事なんですが、その企業では、計算業務ができないとほかのクリエイティブ職やマーケティング職に就かせてもらえないルールになっていました。

つまり、表計算の誤りを見つける能力が、その会社の求めるベースの能力になっているということですね。

勅使川原 そうです。でも、そのタスクが苦手でも、ほかの業務でなら高いパフォーマンスを出せるタイプの人はいるんですよ。実際に、Oさんという社員はその職務との相性が非常に悪かったんです。悩んだ末に不調をきたして休職することになってしまったのですが、復帰するときにあるマネージャーが「Oさんは営業に向いているんじゃないか」と気づいた。それで営業チームに異動した結果、成果を出せるようになり、いまではかなり出世しています。

それから、ある企業で働いていた警備員の方は、前職では職場の人気者だったのに、転職した途端に同僚から冷遇されてしまったと聞いたこともあります。だから、仕事がうまくいかないときは、まず個人の能力を疑うよりも前に、業務や人員配置などの環境を調整することを考えた方が良いと考えているんです。

勅使川原真衣さん記事中写真

個人に合わせて業務や環境を調整するという考えは、マネージャー層にこそ持っていてほしい発想ですね。

勅使川原 本当にそうです。そもそも組織開発なんてある程度大きい組織規模でしか成り立たないと思われる方もいるかもしれませんが、私のクライアントには地方のクリニックなど、少人数の組織も多いんです。むしろ、人数が限られている方が社会的手抜きが起きず、「集まった人たちで工夫しよう」という意識が働き、それぞれの特性が生きる印象があります。

業務や人間同士の組み合わせまで考えるとなると、どうしてもマネージャーの責任や負担が大きくなるので、うまくいかないときに個人に責任を限定した方が楽なのかなとは思うのですが……。異動や配置転換がもっとフレキシブルにできる環境をぜひ経営層やマネージャー層にはつくっていただきたいと思います。

一方で、いち社員として働く私たちが「能力」に必要以上に苦しめられないためには、どんな意識を持っていたらいいのでしょうか。

勅使川原 ここまでお話ししたとおり、「能力」って本当に曖昧な、蜃気楼のようなものだということを忘れないでいただきたいです。社会の求める能力はクルクルと変わるし、環境によって能力の発揮のされ方も違う。だから、必要以上に「もっと能力を高めなきゃ」とか「評価されないのは能力が足りない自分の責任だ」と思うことはやめてもらって大丈夫だと思います。まずはそこで、ちょっと肩の力を抜いていただきたいですね。

それからもうひとつ、よく現場で言うのですが、メンバーの能力について指摘してくる人って、別にあなたという人間全体を見ているわけではまったくないんですよ。だから、必要とされている機能であれば演じてみてもいいんじゃないですか、と。「なんかこの人『大胆なリーダーシップを見せてほしい』ってずっと言ってるな。まあ給料ももらってるし、1年くらいやってみるか」くらいの感覚でもいいと思うんです(笑)。

私は「職業人格」と呼んでいるんですが、見せかけでもいいから、職場で求められているものが提供できそうなら提供して差し上げる、という姿勢もときには持ってみてもいいのかなと思います。

勅使川原真衣さん記事中写真

なるほど。最近では、仕事と自己実現を結びつけるあまり、仕事と自分自身の評価が直結しているような印象もあるのですが、むしろ積極的に切り離していくと。ただ、それでもそこで求められているものがどうしても演じきれないときには、どうするべきでしょうか。

勅使川原 昨今は1on1ミーティングの機会を設けている企業も多いので、そういったタイミングで「もしかしたらできているように見えてるかもしれませんが、実はしんどいんです」と上長にぜひ伝えてほしいです。「置かれた場所で咲きなさい」という罪深い言葉がありますが、そこで咲こうとする必要はまったくないですからね。異動を希望してみるなり、辞めることを決めるなり、ほかに咲ける場所をぜひ探してほしいと思います。

企業が見ているのは「能力」ではなく「相性」

能力を環境によって変化するものと捉えると、個人が転職活動などで新しい職場を探す際に見るべきポイントも、従来とは変わってきそうです。自分にマッチする環境を見つけるためには、どんなポイントに注目すればよいと思いますか。

勅使川原 職能が発揮されるのは環境との相性がいいときだけですから、関係性の基本になる場はなるべく見に行った方がいいと思います。

最近は面接がオンラインだけで完結することも少なくありませんが、実際に職場を見せてもらい、自分がどんな人と頻繁にやりとりをしながら、どんな言葉を使いながら仕事をすることになるのかの情報はできるだけ集めた方がいいですね。そういった情報を提供することは、お互いのミスマッチを防ぐためにも、企業にとっても必須になっていくんじゃないかと思います。

「りっすん」の読者には、ひとつの会社に長く勤めている方も少なくないと思います。長年勤めた会社からの転職を考えるとき、「自分はほかの場所で通用するんだろうか」と悩んでしまう人もいそうだなと思うのですが。

勅使川原 企業が見ているのは能力だと言われ続けているけれど、実際には相性です。「ここでだめだったらほかの会社でもだめかもしれない」と妄想してしまう気持ちは分かりますが、情報をできるだけ集め、相性を自分から見極めに行く、ということを淡々と続けていれば、活躍できる企業と巡り合う可能性は高いと思います。

最近はキャリアにも一貫性を求められたり、「本当の自分」の声に耳を傾けるべきだと言われたりしてすごく大変だと思いますが、実際には人の道のりって予期できないものですし、論理が一貫していないのなんて当たり前のことなんですよね。どこかで急にキャラ変したっていいし、必要なものを演じていたっていい、と思えると、すこし気持ちがほぐれるかもしれません

勅使川原さんはご著書の中でも、安易な「分かりやすさ」や「成功」に引きずられず、葛藤し続けることの意味について書かれていましたね。

勅使川原 企業も個人も、誰も今後の「正解」が分からない時代において、効率的に道を選んだり、ゴールをひとつに決めたりするなんて絶対にできないと思うんです。だから、コロコロと変化する「能力」に振り回されるのではなく、誰でも本来持っている「なんか変だな」という気持ちを無視せず、葛藤を続ける方が自然の姿じゃないかと。

私たちなんてみんな、ちっぽけだし超ダサいんですよ。周りを見渡すと人のいい面ばかりが見えるかもしれないけれど、みんな完璧じゃないんです。だからこそ私たちはお互いに機能を補い合って、協力しなきゃいけない。個人が「人格の完成」なんて目指してる場合じゃないんです。

勅使川原真衣さん記事中写真

取材・文:生湯葉シホ
撮影:関口佳代
編集:はてな編集部

私、仕事が“できない”のかな……?と悩んだら

自分の仕事ぶりを、自分で責めるな。私に必要だったのは「傷つけない」働き方
自分の仕事ぶりを、自分で責めない
絶好調の自分を基準にしない。放置しがちなメンタルをケアする方法とは?|臨床心理士・みたらし加奈
「絶好調の自分」を基準にしない
仕事にも自分にも“こだわり”は必要ない? 文化人類学者に聞く、日本とは対照的なタンザニア商人の「柔軟性」
仕事にも自分にも“こだわり”は必要ない?

お話を伺った方:勅使川原真衣(てしがわら・まい)さん

勅使川原真衣さんのプロフィール写真

1982年横浜生まれ。 慶應義塾大学環境情報学部卒業、東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。 BCG、ヘイ グループなど外資コンサルティングファーム勤務を経て独立。 2017年に組織開発を専門とする、おのみず株式会社を設立し、企業はもちろん、病院、学校などの組織開発を支援する。著書に『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社)がある。
Twitter:@maigawarateshi

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生方美久さんが助産師から脚本家に転身した理由。不安は消えないから、ほどよく目をそらす

脚本家・生方美久さん

脚本家・生方美久(うぶかたみく)さんに「キャリア」についてインタビューしました。

やりたいことはあっても、将来のことを考えると踏み出せなかったり。せっかく築いたキャリアを捨て、またイチからスタートすることに抵抗を感じたり。「今の仕事」と「やりたいこと」の間で揺れる人は多いのではないでしょうか。

2022年秋に放送され大きな話題を呼んだドラマ『silent』の脚本家・生方美久さんも、そんな悩みを抱いた経験がある一人です。

もともとは助産師として働いていたものの、「今の仕事に向いていない」という悩みから脚本を書き始めた生方さん。決断にとって大切なこと、そして不安との向き合い方を伺いました。

「好き」でも「選ばれた人しか入れない世界」だと思っていた

生方さんが最初にドラマや映画など映像の世界に興味を持ったのはいつですか。

生方美久さん(以下、生方) 映画に関しては高校生のときです。映画『リリイ・シュシュのすべて』を観て、岩井俊二さんの作品が好きになって、映画に興味を持ちはじめました。と言っても私の地元(群馬県)では映画館が少なくて。ローカルなレンタルビデオ店でDVDを借りるので精一杯。

大学生になってからは行動範囲が広がり、自然と映画館でいろんな映画を観るようになりました。社会人になると、週2〜3回は映画館に行ってましたね。

生方さんは大学で看護の勉強をし、大学2年生のときに助産師を目指しはじめたと聞いています。その頃は「脚本」を仕事にしたいという気持ちはなかったのでしょうか。

生方 脚本どころか、映像業界を目指そうとも思っていなかったですね。選ばれた人しか入れない世界だと最初から決めつけていたというか。あくまで憧れであって、仕事に結びつけようという発想自体がなかったです。

私、自己肯定感がすごく低くて、「これがしたい」「ああなりたい」みたいなものはあっても、自分には無理だから来世で頑張ろうと思うタイプなんです。映画やドラマも「好きだけど、見て楽しめれば十分」と考えていました。

脚本家・生方美久さん手元

安定した職を手放すのが怖くて設けた「準備期間」で脚本を書き始めた

助産師として働きはじめてから3年で一度病院の仕事を辞めたそうですが、「映画やドラマの世界はあくまで“憧れ”」という気持ちに変化が訪れたのは何がきっかけだったんでしょう?

生方 助産師の仕事があまり向いていなくて。仕事がしんどくなればなるほど映画やドラマといった「好きなもの」に逃げるようになり「なんで私はこっちの世界を目指さなかったんだろう」という気持ちがどんどん強くなっていったんです

どういった点に「向いていない」と感じたのですか。

生方 やりたかった仕事ではあるけど、周りに迷惑をかけている罪悪感が強くて。こんな意識の低さで人の命を扱っていいのかといった自己嫌悪だったり、そんな自分が担当することに対する患者さんへの申し訳なさだったり……。そういうしんどさがありました。

「映像業界を目指そう」と決意が固まったのはいつですか?

生方 助産師として働きはじめて2年目のときです。決定打となったのはある俳優さんの言葉で、「一年後に仕事を辞めて本気で映画やドラマの仕事を目指そう」と決めました。それが誰でどんな言葉でどんな映像だったのかは秘密なんですけど(笑)

なぜ「一年後」だったんでしょう。

生方 安定した職を手放す怖さがあったので、ちゃんと準備をしたくて。映画の学校に通う学費を貯めようと貯金を始め、同時に独学で脚本の勉強も始めました。

といっても当時は映画監督志望で、「脚本家になりたい!」と強く思っていたわけではないんです。ただ、何から始めればいいのかわからない中で「脚本だったら独学でできるかも」と思いついたのが最初だったんです。

今考えると安易なんですけど……。教科としての「国語」が得意だったわけではないんですが、作文は昔から“書ける”方で、読書感想文が入賞した経験もあったので、文章を書くことには抵抗がなかったんです。スマホで脚本の書き方を検索して、そこから一人で書きはじめました。

しばらくは助産師の仕事をしながら脚本を書いていたということですよね。

生方 そうです。仕事の合間に脚本を書いて、初めて書き上げたものをコンクールに出しました。そうしたら一次審査を通過して。結局二次で落ちちゃったんですけど、一次を通ったということは、一応は脚本として成り立ってるってことなんだなと思い、そのまま書き続けました。

「いけるかもしれない」と自信がついた?

生方 自信というよりは「この方向性で続ければいいんだな」という感じでしょうか。前提として、私は自分に才能があるとは思ってなくて。最初にコンクールに出した作品も、今読み返すと全然おもしろくないですし(笑)。

当時も自分の書く脚本が「おもしろくない」ことは分かっていて、「おもしろいもの」になるよう勉強して書き続けるしかないんだ、と。

仕事を辞めることに罪悪感はあったけど、踏みとどまろうという選択肢が生まれなかったのも「脚本を書きたい」という意思がここで固まったからだと思います。

仕事をしながら脚本を書く生活を1年ほど続けたのち、病院を退職して、当時住んでいたアパートから実家に帰ったとのこと。アルバイトをしながら映画の学校に通って映画監督になるための勉強をする傍ら、脚本を書き続ける生活が始まったわけですが、しばらくはシナリオコンクールで一次選考にも通らない日々が続いたそうですね。心は折れませんでしたか。

生方 先ほども話したとおり、自分に才能がないことが分かっていたから挫折もなかったというか……。まったく自分に期待していないから、コンクールに通らなくても「こんなもんだよね」と結果を受け入れて、休まず遅めに走り続けているという感じでした。映画の学校の同期と自分の才能を比べて落ち込む、ということもなかったです。

生活や仕事が安定している周囲と自分を比べて不安になることもなく?

生方 いえ、不安はありました。安定した生活ではないかもしれないけど、その分好きなことをやっている幸せがあるはずだ、だから、焦ることも比べ合うこともない。そう考えることで精神的な余裕を保っていたように思います。

脚本家・生方美久さん

なかなか夢が叶わない中でよぎった「ちゃんと」働かなきゃという考え

「周りと比べて焦らない」というのは、新しい道を選ぶ際にとても大事な視点のように思えます。その後、少しずつ結果が出るようになってきて、同時に安心感や自信も少しずつ感じられるようになった?

生方 いえ、一次審査にすら通らなかった頃よりも、このときの方が精神的にはしんどくて。

どうしてですか。

生方 書き続けていると、コンクールで奨励賞や佳作などをいただけるようになり始めて、テレビ局などのプロデューサーさんから「一度会ってお話しませんか」と連絡をいただくようにもなりました。でも全然仕事につながらなくて。「こんなにも仕事にならないんだな」と本当に狭き門であることを改めて実感したんです。

2021年に上京して看護師に復帰されていますよね。ご自身のブログでは「ちゃんと働かなきゃ、叶うわけない夢を追い続けるなんてダメだよなと思った」といったことを書かれていますが、そろそろ脚本の道を諦めた方がいいのではと考えていたのでしょうか。

生方 まず、上京を決めたのは、プロデューサーからお声がかかったとき、フットワークが軽い方が重宝されると思ったからでした。

そうやって夢を実現するために行動する一方で、このままアルバイトをしながら夢を追い続けていいのだろうかという悩みもあって。東京で暮らすのはお金もかかるので、生活のためにもう一度看護師として働こうと決めました。あとはコロナ禍で医療従事者が不足していたので、せっかく資格を持っているんだし……という気持ちもありました。

ただ、正社員になるか、脚本を書く時間をもっと確保するために非常勤のパートで働くかはかなり悩みましたね。

それは、悩みますね……。

生方 なのである病院では正社員希望として面接を受けたんですけど、そのとき面接を担当した方から「せっかく助産師の資格を取ったのに、そんな叶わない夢のために辞めちゃったの?」というようなことを言われて。

あまりに悔しくて、逆に「絶対に脚本家になってやろう」と思いました(笑)。そのことも、最終的にパートを選んだ一因になっていると思います。

そこで諦めなかったことが、結果的に2021年の「フジテレビヤングシナリオ大賞(ヤンシナ)」の受賞、そして『silent』につながったんですね。今でこそ脚本家になるという夢が叶っていますが、もしあのとき受賞できなかったとしても、まだ脚本家の夢を追い続けていたと思いますか。

生方 続けていたと思います。あきらめる瞬間って、周りに何かを言われたからではなく、自分で無理だって気づいたときだと思うんです。自分で区切りをつけるしかない。

「◯◯歳までに結果が出なかったらあきらめよう」といった、自分の中で決めていたタイミングはあったのでしょうか。

生方 うーん……。もしヤンシナをとっていなくて、その先も大きな賞をとれなかったら、いつかはどこかで諦めてたんだろうなとは思うんですけど……。2021年のタイミングで受賞できなかったとしても、そのときにあきらめてはいなかったとは思います。

脚本家・生方美久さん

不安はなくならないから「ほどよく目をそらす」のが大事

『silent』では、主人公の紬(つむぎ)が一度は就職したもののうまくいかず、大好きな音楽に関わりたいという思いからCDショップでアルバイトとして働く様子が描かれていました。このストーリーには、ご自身の経験や仕事観が反映されているのでしょうか。

生方 はい。私の中には「自分を殺してまで仕事を大事にしなくてもいいんじゃないかな」という考えがあって、それは紬の設定に反映しました。

今の職場や仕事内容に納得がいってないとか、他にやりたいことがあるとか、辞める理由はあるのに先々が不安だから踏みとどまっているとか、そういう悩みっていっぱいあると思うんです。

でも、仕事って辞めても意外となんとかなるんじゃないかなというのが私の考えで。それは私自身がそうだったという経験もあるのですが。

実際に生方さんは2022年の8月にはパートも辞めて、脚本家として専業の道を選んでいますよね。まだ『silent』の放送前だったのに、なかなか勇気ある決断だなと。

生方 自分でもよく辞めたなあと思います。ただ私の場合、「看護師」が再就職しやすい職業なので、それが保険になった部分もあると思います。ありがたい反面、そこに甘えているな……とも思うのですが。

仕事を辞めたからといって、前職で培ったスキルや資格が無駄になるわけじゃないですもんね。生方さんはこれまで、仕事に関する大きな決断をしてきていますが、将来を左右しかねない決断にはやはり不安がつきまとうものだと思います。その不安とはどう向き合ってきたのでしょうか。

生方 私、不安って絶対なくならないと思うんですよ。たまに解決するけど、解決した途端に新しい不安が見えてくる。普段見えてないだけで、不安のストックがいっぱいあるんですよね、人生って。だから、不安からはほどよく目をそらすしかないのかなと。根本的に解決できる不安はないと割り切ってしまった方が楽な気がします。

今も「脚本の仕事をずっと続けていけるか」「十分な収入は得られるのか」といった不安はありますし、その不安はずっと続くと思っています。

人生にはいろんな転機が訪れますが、決断するときに大事なことってなんだと思いますか。

生方 「自分で決めること」でしょうか。私、何を決めるにしても人に相談しないんです。進路もそうだし、病院を辞めるときも親に一切相談しなかった。

他人に勧められたまま生きていると、何かあったときにその人のせいにしてしまう気がして。それが嫌で、「うまくいかなくても自分で決めたことはしようがない」と思える生き方をしようと決めたんです。

決めたことはやりきる、と。

生方 ただ、今は「脚本家を一生続けていくぞ」とも思っていなくて。脚本を書くのは好きですし書き続けたいとは思いますが、もしこの先、本気でミュージシャンになりたいと思うことがあったら、脚本をやめてミュージシャンを目指すかもしれない。「一生これをやる」と決め切らなくてもいいのではと考えています。

取材・文:横川良明
撮影:小野奈那子
編集:はてな編集部

「好きなこと」と「今の仕事」との間で悩んだら

やりたいことへの道筋は柔軟でいい。カフェから寿司職人へと夢を切り替えた、週末北欧部のchikaさん
「本当にやりたいこと」を探すために寄り道してもいい
趣味と仕事は切り離さなくてもいい。「マンガ飯」を13年続けてこられた“ゆるくつなげる“生き方
「趣味」と「仕事」を切り離さない、という考え方
仕事も自分自身も「決めつけない」ことが、異業種へのキャリアチェンジのカギになる──書店員・粕川ゆきさん
仕事も自分自身も「決めつけない」

お話を伺った方:生方美久(うぶかた・みく)さん

生方美久さんのプロフィール写真

脚本家。2021年、「第33回フジテレビヤングシナリオ大賞」で大賞を受賞しデビュー。2022年秋にフジテレビで放映され話題を呼んだドラマ『silent』の脚本を担当した。
Twitter:@ubukata_16

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その仕事の行き詰まりは“記録不足”かもしれない。作家・倉下忠憲に聞く「仕事に活かせるノート術」

倉下忠憲さん記事トップ写真

職場での仕事に慣れてくると、次第に“習慣”で仕事をこなすことができるようになってくるもの。それは一見すると快適なようにも思えますが、うまくいかないこともそのままにしてしまったり、いざ新しい業務を任されたときに、仕事の仕方を変えられず、行き詰まりを覚えてしまったりすることにもつながりかねません。

作家の倉下忠憲さんは、絶えず自分の仕事のやり方や作業環境を見直しながら日々の業務に取り組んでいます。そこで重要なのがノートを取り続けること。著書の『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』でも、仕事に役立つさまざまなノート術を紹介されています。

働き始めた当初は仕事の振り返りとして日報を書いたり、ノートにメモをとったりしていても、徐々にそうした時間をとらなくなったという人は意外と多いはず。ただ、この記録を取り続けることは、仕事のやり方や習慣をアップデートしていくためにも有効なようです。

今回はそんな倉下さんに、そもそもノートをとることの効用や、仕事のやり方を見直すためのノートの使い方などを伺いました。

ノートをとることは、対象に「注意を向ける」こと

倉下さんは、習慣を変えていくためには、アナログ・デジタルを問わず積極的に「ノートをとる」ことを提案されています。そもそも、ノートをとることにはどのような効用があると考えているか、あらためて教えていただけますか。

倉下忠憲さん(以下、倉下) 英語の「note」には「記録をとる」だけでなく「注意する」という意味もありますが、まさにこの「注意する」がノートをとることの本質だと考えています。ノートをとろうと思ったら、雑多な情報の流れのなかで、自分が興味・関心を持っているものに注意を向けなくてはいけません。それによって、ふだんは無意識のレベルでできていることでも意識せざるをえなくなり、時間の使い方が主体的・自主的に変化していく。これが僕の思う、ノートをとることの意味です。

習慣とは何かと言えば、私たちが無意識にやっていることですよね。ただ、たとえば仕事のやり方にまつわるノートをとろうと思ったら、「自分はいまこういうふうに仕事をしている」とまず言語化し、意識する必要が出てきます。だから、ノートをとることには、習慣を変えるための土壌を整えるような役割があるのではないかと思います。

確かに、その捉え方には納得です。逆に言えば、ただ指示されたフォーマットで機械的に日報を書いたりするだけでは、効果が薄いとも言えるのでしょうか。

倉下 それこそ無意識で書いているような状態だと、仕事のやり方を改善する、という観点からは効果が薄いでしょうね。もちろん、それでも日報という形で「自分がやった作業の総数が残っている」こと自体にも、一定の意味はあると思いますよ。人間の記憶って曖昧で、自分が積み重ねてきた実績を軽んじやすい。だから、作業の総数を記録しておくだけでも、自分が進んできた道のりがどんなものだったかを客観的に確認できる、という効果は得られると思います。

ただ、日報と違ってノートは自分だけの情報環境という点が重要です。日報だと、社内のシステム上に記録することになるでしょうが、それでは転職したときに自分の記録が失われてしまう。一方で、自分のノートに記録を取り続けていけば、これまでの仕事のやり方がいつでも参照できるようになります。仕事のやり方を俯瞰し、業務を改善するスキルは、どんな職場でも生かせると思うので、できるなら日報とは別にノートを取るのがおすすめです。

仕事の進捗や変化が実感できないのは、記録が不足しているから

ノートは習慣を変える起点になると伺いましたが、実際に仕事のやり方を見直していきたいと思ったら、どのような記録法が効果的なのでしょうか?

倉下 人によるとは思うのですが、基本的には自分が担当している仕事の内容と作業手順を記録することが重要だと思います。これまでノートを取る習慣が全くなかったのであれば、最初はできるだけ細かく作業の内容や時間を記録することにより、どこでどれだけ時間を使っているのか、よく使用するツールは何なのかなど、自分の仕事のやり方の全体像が見えてきます。

僕自身は一日の仕事が全て終わってからまとめて書くのではなく、作業と記録を一つのパッケージとして考えています。具体的には、毎日仕事を始める際に、作業記録用のテキストファイルに「いまからこういう作業をする」と宣言を書き、作業しながら同時並行的に記録を追加していく。

そのときに、できれば作業中に感じた課題や気付きも同じテキストファイルに記録していき、余裕があれば次回以降の作業で意識したいポイントを書き残しておくんです。このやり方であれば書き忘れも減ると思いますし、記録することを念頭に置きながら作業することで課題などにも気付きやすくなると思います。

倉下忠憲さん作業記録事例
倉下さんが記録している作業記録の一例

なるほど。単に作業内容や作業した時間を記録するだけでなく、その時々に気付いたことも併記されるんですね。

倉下 そうです。もちろん、いきなりたくさんノートを取ろうとし過ぎると続かなくなってしまう恐れがあるので、まずは作業記録を優先でいいと思います。ただ、余裕があるときに記録を眺めて感じる疑問を文章の形にして残していけば、課題とその原因が明確になってくるはずです。

最初は、「ここが詰まってる」とか「時間がかかり過ぎ」とか、ごく簡単なことで構いません。その上で、自分なりに改善のための仮説を立てて、仕事のやり方を少しずつ変えていくんです。例えば、ある特定の作業に時間がかかり過ぎなのであれば、使用しているツールを変えてみて、前後でどれだけ時間が短縮されているのかを記録から比較してみたりとか。

あるいは、自分で課題の原因がハッキリしない場合には、記録したノートを同僚や先輩に見てもらうのもいいと思います。作業の記録があれば人に相談しやすいですし、そうすることによって自分では気付かない仕事の進め方の癖を知ることができます。

確かにそうですね。仕事をしていると、いまいち仕事の進捗が実感できず、モヤモヤすることも少なくないと思うのですが、ノートを取ることでそれも改善されそうです。

倉下 「進捗がいまいち分からない」というのは、たいてい記憶に頼って、記録が不足しているからです。作業記録をつけることで、プロジェクトごとの進み具合が明確になりますし、変化を楽しむこともできるようになると思います。

たとえば、僕は仕事を進める上で「フォントを変えてみた」というくらい微々たる変化であっても、それが意識的に変えたことであれば記録しておきます。そこには「変えたったぞ」みたいな軽いドヤ心もあって、モチベーションにもなります(笑)。もちろん、その時点ではフォントを変えたことがどういう価値を持つかは分かりませんが、継続的に記録することで徐々に結果が見えてきます。

そう言われてみると、逆にそもそも記録しないから気付かないだけで、日々の仕事の中で微調整していることってたくさんあるようにも思えてきました。

倉下 そうですよね。みなさん、仕事をはじめたばかりの頃といまとを比べたら、いまの方がはるかに精度の高い作業をされているはずですからね。でも、それを無意識にやっていると、成果がなかなか実感できずマンネリ感を覚えてしまうというのはあるのではないでしょうか。

走り書きのメモは生鮮食品のようなもの

先ほどは作業に関するノートのとり方について伺いましたが、必ずしもすぐに記録できる環境にないこともありますよね。例えば、外出中にふとアイディアが浮かんだり、誰かと話をしている中で、思いがけず仕事につながる発見をすることもあります。

倉下 そうですよね。僕自身は、作業記録はテキストファイル、作業とは別に何かアイディアを思いついたりしたときには、Scrapboxというツールにメモしています。当然、外出先などでiPhoneに思いついたことを走り書きするような場面もあるのですが、そのときはできるだけ一両日中にまとまった形に整理するようにしています。僕の中では、iPhoneに残すような短いメモっていわば生鮮食品なんですよ。早く処理しないとせっかくのメモがロストしてしまいます。

確かに、なんとなく残しはしたけれど、文脈がいまいち思い出せないメモってありますね……。

倉下 そうなんです。あと強いて言えば、急いでスマホにメモするようなときは、できるだけ文章の形にしておくことを意識しています。単語など断片的にしかメモしていないと思い出しづらいですが、一文程度でも文章にしておけば仮に何日かたってしまっても、読み返したときに思い出しやすいと思います。

ただ、同時に意識しているのは、それでも思い出せないものは、思い切ってロストしてしまってOKと割り切ることです。走り書き全てをきちんと整理した形にまとめようとすると義務感が芽生えて長続きしないので、このあたりの調整は必要になってくるかなと思います。

仰るように、きちんとノートを取ろうとし過ぎても長続きしませんよね。ノートを取り続ける上で、倉下さんが大切だと思う点はありますか。

倉下 一つは、やっぱりノートを不真面目に扱うことですよね。作業記録にしてもアイディアのメモにしても、何か一つのフォーマットに則って続けようとすると、それに当てはまらない項目が出てきたら嫌になってしまう。そうではなく、せっかく自分だけの情報環境なわけですから、記録のとり方自体もどんどん変わっていくことを許容することが大切だと思います。僕自身も、1年前と今とでは記録のとり方や内容が変わっていますし、疲れているときはすごく簡素なメモだけの日もあります。

それと、僕の場合は先ほどの作業記録がメモであり、毎日の仕事を始める上での起点でもあるんですよね。まず昨日の作業記録を読み返すところから仕事を始め、それによって昨日の自分の感覚や気付きを引き継ぎながら、その日も記録を取りながら仕事をすると。何をするにせよ、基本的にまず作業記録を読み返すところから始まるので、続くのかもしれません。

作業と記録が密接に絡み合っているからこそ、ノートを取ることが面倒にならずに続くということですね。

倉下 そうですね。僕の場合は、そもそも自分の仕事のやり方を完成形と捉えずに、実験の積み重ねのように考えているところがあるんです。だから、積極的に新しいツールが出れば試してみますし、それを記録することで変化を楽しむことができる。だから、仕事自体の捉え方を少し変えてみると、ノートも続くかもしれませんし、相乗効果で仕事の改善も進むのではないでしょうか。

取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

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お話を伺った方:倉下忠憲(くらした・ただのり)さん

倉下忠憲さんのプロフィール写真

1980年、京都生まれ。ブログ「R‐style」「コンビニブログ」主宰。24時間仕事が動き続けているコンビニ業界で働きながら、マネジメントや効率よい仕事のやり方・時間管理・タスク管理についての研究を実地的に進める。現在はブログや有料メルマガを運営するフリーランスのライター兼コンビニアドバイザー。主な著書に『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』『「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門』など。

Twitter:@rashita2