さまざまな考え方の、さまざまな立場の人が集まって働く会社という場。ふとした瞬間に、同僚や上司とのズレを感じたり、考え方の違いにモヤモヤしたり。会社だけでなく、家族や友人という身近な存在に対しても感じたことがあるかもしれません。その場ではやり過ごしても、なんとなくモヤモヤしたものを引きずってしまう……なんてことも。
ドラマ『恋せぬふたり』『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい(チェリまほ)』などの脚本を手掛けた吉田恵里香さんは、意見が違う相手に対して「まずは受け入れて、折衷案を探していく」というスタンスで接するそう。作品づくりにもそうした姿勢が表れているように思います。
自分とは異なる考えや立場を否定せず、コミュニケーションを取っていくあり方について、お話を伺いました。
いろんな人がいることを作品では書きたい
―――恋愛しないと幸せじゃないの? 人を好きになったことが無い、なぜキスをするのか分からない、恋愛もセックスも分からずとまどってきた女性に訪れた、恋愛もセックスもしたくない男性との出会い。 恋人でも…夫婦でも…家族でもない? アロマンティック・アセクシュアルの2人が始めた同居生活は、両親、上司、元カレ、ご近所さんたちに波紋を広げていく…。
▷恋せぬふたりより
吉田恵里香さん(以下、吉田) もともとアロマンティック・アセクシュアル(アロマアセク)の主人公が登場するということは決まっていたので、脚本を書くことになったとき、「嘘がないように」ということは大事にしました。
アロマンティック・アセクシュアルの中にもいろんな方がいるだろうから、当事者の方に、「自分とはまた違う部分もあるけど、こういう人も確かにいるよね」と感じてもらえるリアリティラインを実現させたいと思い、監修の方とかなり丁寧にやり取りしましたね。
特に、主人公である兒玉咲子(岸井ゆきの)のキャラクターのバランスは考えました。彼女は、明るくて空気が読めないところがあるのですが、その特徴が「アロマンティック・アセクシュアルと直接結びつくものではない」ということが、どうしたら伝わるかといった話し合いもかなりしました。
吉田恵里香さん
吉田 高橋は、人と物理的に接触することへの嫌悪があるキャラクターなんですけど、それを描くことで、「アロマンティック・アセクシュアルの方=潔癖症である」と見えてしまうのは違うと思って。
そこで監督や監修の方と話し合って、座る位置など、絶妙な距離感で彼が接触に嫌悪があるということを表現することになりました。セリフで説明し過ぎたり、あまりにもはっきり描くと、一括りにされてしまう恐れがあると思ったからです。
けれど、実際に接触が苦手というアロマンティック・アセクシュアルの方もいるので、監修の方とやり取りを重ね、ベストな道を選べたら、と思いながら書きました。
『恋せぬふたり』小説版。こちらも吉田さんによる完全書き下ろし (C)NHK出版
吉田 まずは、アロマンティック・アセクシュアルのふたりを中心に描くので、恋愛をしたりセックスをしたりする選択も悪いことであるように見えてしまわないようにしたいと思いました。また、ふたりを取り囲む登場人物たちは、ただ知らないから理解がまだ及んでいないだけということを描きたかったので、徐々に知ることで成長していく役として作っていきました。
それと、咲子の親友が、シスヘテロ*2ではないということを描いたり、この作品の中には、いろんな人がいるということは書きたいなと思いました。
実際の私たちの社会でも、例えば、いつも行っているパン屋さんやマンションのお隣さんがシスヘテロとは限らない。当たり前のことなんですけど、シスヘテロと勝手に想定して接しているかもしれない、ということを描けたらいいなと。アロマアセクの方が集まる交流会のシーンで、アロマンティック・アセクシュアルのいろんな人が登場することで、まだ身近に感じていない人にも、知ってもらえるようにということは気を付けました。
吉田 執筆時の私のベストを尽くしたとは思っています。ですが執筆時から100点満点はとれない作品とは分かっていて。むしろ、もう少し考える必要があるねってことが分かったり、そこから話が膨らんでいけばいいなと思っていました。
こちらの意図したこととは違う受け取り方をする方の意見を見ることで、納得するところもありました。普段はエゴサーチをやっているとつらくなるから見ないようにしているんですけど、今回はNHKの掲示板の意見なども読んで、更に勉強させてもらった感じでした。
自分自身も考えやスタンスは常に変わる
童貞のまま30歳を迎えた安達清(赤楚衛二)は、“触れた人の心が読める魔法”を手に入れる。そんな無駄な力を持て余していたが、社内随一のイケメンで営業部エースの同期・黒沢優一(町田啓太)の心を読むと、自分への恋心が聞こえてきてしまう。思いも寄らない好意に安達は困惑する。
吉田 当時は、極力、誰も傷つかない、優しい世界を目指しました。ただ、それは私が「こうしたい」と相談したことを、原作の豊田悠先生がOKしてくださったのが一番大きいです。
今は、ドラマの黒沢優一(主人公・安達清に思いを寄せるキャラクター)は、ちょっと優等生になり過ぎたかもと思うことはあります。もちろん、優等生だからこそ抱えている苦悩もありますが、原作の黒沢はもっと自分の欲望に素直で。ドラマ版ではその要素が少なくなってしまったので、「優等生しか優しい世界に住んではいけないのか?」という視線を持たれた方もいたのかもしれません。
でも今の私は、優等生だけでなく、かっこ悪いところやダメなところがある人にも「優しい世界」が訪れるといいなと考えが変わってきたかもしれないです。
吉田 『恋せぬふたり』の登場人物に関しては、主人公の咲子にしても高橋にしても、ちゃんとダメなところのある人にしようと思いました。
咲子は距離感が掴めないところがあったり、「自分が平気なら他人も平気」と思っているところがあったりします。
高橋は、人の欠点を見過ごせない感じがあるというところを意識して書きました。今は、以前書いていた「優しい世界」から、更にどのように派生した世界が描けるかなってことを考えています。
吉田 根本的にそこは昔も今も変わってないです。今の作品って、気づくとマジョリティ側の人しか出てこないことってありますよね。
外国から来日した人もたくさん住んでいるのに日本人しか出ていなかったり、障がいを持った人が出ていなかったり。気を抜くと、「恋愛を知ってハッピーになった女性のドラマ」ばかりになってしまうと思うんですね。
ドラマを作る人たちはマジョリティの人が多いし、「マジョリティ以外の人はいない」と思いこんでいることが関係しているのかもしれません。私は「マジョリティばかりが出ているもの」“ではない”ものを作りたいと言い続けていきたいと思っています。
自分がやってみたいと思っていたことがテーマになった依頼を初めて受けたのは『恋せぬふたり』でしたが、それまでも依頼された作品の中に、例えば「1つのセクシュアリティだけを描かない」とか、「テンプレートな女性像を描かない」とか、自分の考えていることを取り入れてきました。
吉田 以前は、「“多様な生き方があると認識できない人”には(作品が)届かないでいいや」と思っているところもあったのですが、今現在の私は、むしろ届きにくい人にこそ届かないと、世の中の認識は変わらないんじゃないかと思っています。
広く届くためには、間口の広さをもっと考えた方がいいのかなって思うこともあります。「この言葉だと強く感じるから避けたいと思う人もいるかな?」とか「この段階ではもっとキャッチーな表現にした方がいいかな?」とか、Twitterなどでの表現も含めて、言葉選びにはすごく悩みますね。
多くの人に届けるためにはどうすればいいんだろうというのも考えてしまいます。例えば、SNSでもフォロワーさんが増えた方が作品も届きやすいし、仕事を頼んでくれる人も増えるけれど、同時にSNSで自由にいることは難しいとも思うんです。
自分の名前で興味を持って見てもらえるような脚本家になりたいという気持ちを持ちながらも、「透明でいたい」とか「声が大きくなり過ぎないでいたい」という思いも少し出てきてしまっていて。
吉田 元来は「『マッドマックス』が好き!」とかそういうこともTwitterに書いていたんですが、いろんなことを考えると告知しかできなくなってしまっていたんです。
でも、最近、作家の桜庭一樹さんと『すばる』という文芸誌の「変化する価値観と物語の強度」という連載企画で対談をさせてもらったんですけど、桜庭さんはTwitterでどんどん発言されているんですよね。それを見て、私も責任を持って発言していかないといけないなと思いました。
コミュニケーションでは、相手によって伝え方を変える
吉田 私の場合は人によって違ってきますね。自分より偉い、権力を持っている人が差別的なことを言ったら、遠慮せずに「それは差別です」と指摘します。もし冗談を交えて何か言って来たら「面白くないからやめた方がいいと思いますよ」と言うと思います。
目上の方から、無意識の上で差別的な発言を含んだメールが届いて、それに対して時間をかけて返信を考えているときに「こんなことに時間を使いたくない!」と思う気持ちもあるんですよ。でも人と関わることをやめたらそこで終わりかなと。無理しない範囲で対話していきたいと思っています。
自分より立場が下だったり、単に知らなくて差別的なことを言ってしまった人であれば、「それで傷つく人はいるんだよ」と伝える感じになるかもしれません。
というのも、私自身がキャリアを積んで、もはや「若手」ではなくなっている面もあって。自分より立場が下の人に、率直に思ったことを言うと、怖いと思う人もいると思うんですね。
自分としては、「まだまだ新米」という気持ちがあるんですけど、30歳を過ぎたあたりからは、何か年下の人に指摘をすると「すみません」と恐縮されるようになってしまって。年齢を重ねること、キャリアを積むことで、受け取られ方が違うと感じているので、自ずとコミュニケーションや伝え方も考えてしまいます。
特に、今のようなリモート環境下だと「さっきは言い過ぎてごめんね」とフォローしにくいですよね。わざわざLINEした方がいいかな? とか悩む場面もありますが、私だったら言われたいと思うので、自分も連絡するようにしています。
吉田 距離感が近くない人であれば、この人はこういう意見の持ち主なんだなと受け入れて、その上でお互いの折衷案を探そうよと提案すると思います。
身近な人や家族のように、距離が近い人であれば、私の場合、夫にはけっこう率直に言ってしまいますね。
でも、全ての人に対して言えるのは、一個一個、扉を開いていくことかなと思います。それと同時に、20代くらいまでは、人に好かれたいと思っていたけど、今はそれがそこまで強くなくなったことで、楽になった部分もあります。
吉田 私も瞬発力がない方だと思いますが、職業的には、その時に傷ついたことや言えなかったことを、別の場所で生かすようにしていたりしています。
それに、瞬発的に何かを言い返すことができる人がいたとして、それが必ずしも正しいということでもないと思うので。
そのときに、未完成の言葉で言い返すことができても、それが何か瞬発的なだけのものであれば、自分も相手も傷つくだけかもしれないし。そのときのことを後でかみ砕いて、次に生かしたり、また同じことに出くわしたときに言う、ということでもいいんじゃないかと思います。
編集:はてな編集部
人との関わり方に悩んだら
お話を伺った方:吉田恵里香さん
*1:「アロマンティックとは、恋愛的指向の一つで他者に恋愛感情を抱かないこと。アセクシュアルとは、性的指向の一つで他者に性的に惹かれないこと。どちらの面でも他者に惹かれない人を、アロマンティック・アセクシュアルと呼ぶ。」NHK『恋せぬふたり』( https://www.nhk.jp/p/ts/VWNP71QQPV/)より
*2:シスジェンダーとヘテロセクシュアルをあわせた言葉。シスジェンダーは性自認と生まれた時に割り当てられた性別が一致している人、ヘテロセクシュアルは異性愛者で、性的指向が異性に向いている人。