「しんどい現実」と無理に向き合わなくてもいい。オカヤイヅミさんに聞く、日常の過ごし方

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仕事のプレッシャーや職場や家族の人間関係など、日々過ごす中で「しんどい」と感じることはありませんか。そうした「しんどさ」は、将来への漠然とした不安につながることも。特に、一人ではどうにも解決できない問題に直面する中で、無力感や閉塞感を抱く人も多いでしょう。

今回お話を伺ったのは、2021年にデビュー10周年記念作『いいとしを』『白木蓮はきれいに散らない』を発表した漫画家・イラストレーターのオカヤイヅミさん。両作に共通するのは、登場人物のおかれた生活がリアルで、離婚交渉や、老人ホームに入居している親との関係、家庭への不満、親の老いとの向き合い方など、それぞれに問題を内包していること。まるで隣人の生活を覗き見しているような描写は、ファンタジーとは違う形で、そっと読者に寄り添います。

こうした物語を描くオカヤさん自身は、ままならない現代社会をどのように捉え、日々を生き抜いているのでしょうか。作品の描写を紐解きながら、私たちが抱く「しんどさ」との向き合い方のヒントを探ります。

※取材はリモートで実施しました

日々の“しんどさ”は、一旦「体調のせい」と思ってみる

『いいとしを』『白木蓮はきれいに散らない』は登場人物がおかれた状況や言動の一つひとつがとてもリアルで、実際の生活者に寄り添うような物語だと感じています。改めて、それぞれの作品で伝えたかったことを伺えますか。

オカヤイヅミさん(以下、オカヤ) 「作品で言いたいことは何ですか」ってよく聞かれるんですけど、実はそんなにないというか(笑)。めくるめく架空のドラマや大きな主義主張よりも、「実際のところどうなんだろう?」みたいなことの方に興味があるんです。人の心の動きや、普段の生活の中で起きるできごとの方が、自分は面白いと感じる。それを描いているイメージです。

いいとしを

『いいとしを』(C)オカヤイヅミ(KADOKAWA)

【いいとしを:あらすじ】一人暮しを満喫していたバツイチ、42歳の灰田俊夫は、母の他界を機に東京都下に住む父と同居することに。久しぶりに帰った実家で母の遺した500万円を見つけ、何に使うか頭を悩ませながら、父(72歳)と子(42歳)の二人暮らしは続いていく。2度目の東京オリンピックにコロナ禍と、揺れ動く日々の中で、俊夫はこれまで知ることのなかった父親のことを知っていったり、自分の人生についても見つめ直していく。
▶いいとしを

もともと、実在する人々の心の動きや生活模様に対する興味関心が高かったのでしょうか?

オカヤ そうだと思います。完全に他人の目線になったことがないから、比べてどうかは分かりませんが……道を歩いている人を見て「あの人が持ってるあれ、何だろう?」みたいなことを言っては、友達に「なんでそんなとこ見てるの」って言われたりしています。

ご自身がインプットする際も、リアルな作品が多いんでしょうか。

オカヤ そうですね。いわゆる純文学や現代小説、あとは映画にしても「何も起こらない物語が好きなんだね」と言われることはあります。

もちろんそうでないもの、剣と魔法のファンタジーや、ホラー、犯罪小説なんかも好きではあるんです。でも、そういうエンタメ作品を見るときも、実在感みたいなものは大事ですね。物語全体の流れよりは、作品の中で流れている一つひとつの時間とか、そこにいる人の動きとか、そういうものの方に意識が向きます。

『いいとしを』『白木蓮はきれいに散らない』でも、実際の生活者が直面する閉塞感や、どうにもならなさを丁寧に描き出されています。オカヤさん自身は、日々の生活の中で何かしんどいことが起こったとき、どのように気持ちの折り合いをつけているのでしょうか。

白木蓮はきれいに散らない

『白木蓮はきれいに散らない』(C)オカヤイヅミ(小学館)

【白木蓮はきれいに散らない:あらすじ】マリ、サヨ、サトエの3人は高校時代の友達。家事負担の偏り、離婚、親の介護、仕事に邁進する娘を揶揄する母親との関係など、3人それぞれが「しんどい現実」の中で日々を過ごしていた。ある日、同じクラスだったヒロミが、自らが所有する「白蓮荘」の部屋で孤独死したのをきっかけに久々に集まる。ヒロミが残した遺書にはなぜか、それほど親しくもなかった3人の名前が記されていて、アパートと謎の店子のその後についてのお願いが記されていた。変わらない関係、変わりゆく状況の中で、それぞれ人生を見つめていく先に待ち受けているものは。
▶白木蓮はきれいに散らない

オカヤ 今年の2~3月ぐらいに、夜眠れなくなっちゃった時期があるんですよ。コロナは落ち着きそうだったのにまた流行するし、戦争も起こるし……それで、医者にかかったら楽になりまして。眠れるって本当に大事なことなんだなと実感しました。寝るだけで心身が楽になるし、体に起因する部分って結構大きいんだなと思ったんですね。

それ以来何かがあって気持ちが落ちたとき、気持ちそのものをどうこうするのではなく、いったん体調のせいかもしれないと考えてみるようになりました。「寝てないからかな」とか「食べてないからかな」とか。意外と、それが実際の理由であることも多いですしね。

「気圧のせい」とか、最近よく聞きますね。

オカヤ そうそう、あの「気圧のせい」は、みんなでそう言い合うことによって楽になっているんだと思います。みんなも体調悪いんだ、自分だけじゃないんだって。

余裕がないときに、無理に「余裕を持とう」とは思わない

『白木蓮はきれいに散らない』では、登場人物たちが家に帰るとそれぞれにしんどい現実が待っているなかで、ささやかな楽しみを見出すようなシーンもありました。オカヤさんは、毎日の生活の中で「ささやかな楽しみ」をお持ちでしょうか。

白木蓮はきれいに散らない

スーパー銭湯で気分転換をする3人。お互いの日々の生活の「しんどさ」を伝えることはしない
『白木蓮はきれいに散らない』(C)オカヤイヅミ(小学館)

オカヤ 最近は「ささやかな楽しみを見つけよう」って言われすぎなんじゃないかと思っています。「おうち時間を楽しもう!」とか……そうせざるを得ないのは分かるんです、つらくなっちゃうから。

でも、「そんなに楽しまなきゃダメかなあ」って。実際今ここにつらさがあるのに、「各自で工夫して楽しんでください」みたいに言われると、それ自体がプレッシャーにもなるんじゃないかなって。

たしかに。自覚的な「ささやかな楽しみ」って、自然な楽しみと言えるのか? とも思いますし……。

オカヤ 楽しみがない生活を続けるのも、それはそれでありなんじゃない? って思うんです。例えば今仕事で忙しいなら、仕事以外何もしなくたっていいじゃん。無理しておいしいご飯を手づくりしなくても、コンビニでおいしいものいっぱい売ってるし。

私は好きで料理をしていますが、それが「ささやかな楽しみ」というよりは、本当に趣味なんですよね。「好きな料理をわざわざつくる」という行為は、最低限の暮らしには必要ないことだという意識もあります。

なるほど。「何か楽しみを見出さねば」となりがちですけど、楽しみが自然と生まれるまで待つのも、一つの手かもしれないですね。

オカヤ そうですね。楽しむって、結局のところ余裕がないと難しいと思うんです。その余裕がない人に余裕をつくれ、と言っているようなものなんじゃないかな。それは、ちょっとしんどいことではないだろうか、とも思います。

『白木蓮〜』では、登場人物がそれぞれの生活をしながらも、3人だけの交流を通し「居場所」のようなものを見出しているように感じました。最近はコロナ禍によるコミュニケーションの断絶もあって、居場所づくりについて悩んでいる人も多いと思いますが、オカヤさんにとって「ここが自分の居場所」と思えるのはどんな場所、あるいは時間ですか?

オカヤ 「1人でいる時間」でしょうか。私、人と会うのは全く嫌いじゃないんですけど、社交は週に3日あると多いかな、とも思ってしまって。居場所となると、完全に1人になって気を抜ける時間が確保できる場所かな。つまり自宅ですね。

私は一人暮らしをしているんですが、自分が快適だと思う空間をつくっていけるのはいいなと感じています。「快・不快」を拾いやすいというか。

実家にいたときや、一人暮らしを始めたばかりの頃は、ものすごく部屋が汚かったんです。全然片づけられなくて。でも一人で生活を回していく中で、「あ、片付けた方が気持ちがいいな」みたいなことに、10年ぐらいかかって気付いて。

あとは「どうせダサイ家だしな」みたいに思っていたのが、「好きなインテリアとか買っていいんだ」「すごくカッコいい空間にしちゃってもいいんだ」とも思えるようになって。もちろん、お金が許す範囲でですけどね。そうやって自分の心地よさに気付いていく感じでしょうか。

先の見えない”しんどさ”から、よそ見してもいい

私たちが日常の「しんどさ」を感じる理由としては、その状況を「乗り越えなければ」という、ある種成長や解決を求められがちなことも起因しているのではないかなとも感じます。そんな中、過去のインタビューで、オカヤさんは「成長譚を描きたいわけではない」と仰っていたのが印象的でした。

オカヤ 今はそこまで「成長譚は描きたくない」とは思っていませんが、もともと自分の考えとして、「人間はそうそう成長しない」というものがあります。

「何かにならなきゃ」ってゴールを設定して邁進したり、それで結果的に偉くなっていったりしなくても別にいい。出世街道を歩まなくてもいい。何かに打ち勝たなくてもいい。1位じゃなかった人にも、ドラマはあるだろうと思うんです。

たしかに今の社会だと、「女性もライフステージの変化に関わらずキャリアアップできます」のようなメッセージを耳にすることも少なくないように感じます。でも、そもそも、女性が皆一様にキャリアアップしたいと思っているわけではない。男性でも、心地よいステージがもっと手前にある人もいるかもしれないですよね。

オカヤ あと仕事の面において、自己実現したい人だけではないんだろうなとも思います。多分成長を実感した人からすると、成長することってすごく気持ちいいことだと思うんですよね。だから「成長しようよ」って言うんだと思うんですけど。でも別に成長が気持ちよくない人もいる

それと、私は何かを表現することを仕事にしていて、表現しないとつらいんですけど、「何も表現したくない人だっているよな」と最近考えていて。違う所にいる人に対して「こっちは楽しいよ」みたいなことを、わざわざ言わなくてもいいんじゃないかなって。

伺っていて思ったんですが、例えばオカヤさんが先ほどおっしゃったように、一人暮らしの生活の中でだんだん自分の心地よいものを見つけていくようなことも、ひとつの成長なのかもしれないですね。

オカヤ そうですね。「何かを成し遂げた」「私は何も成し遂げられなかった」みたいなことを言う人は結構多いですが、「成し遂げなきゃダメかなあ」とは思いますね。

ただ仕事の場や、それ以外の場においても、30代になったらこうするべき、40代になったらこうあるべき、というふうに年齢を基準にするような考え方が、まだまだ世の中にはあると感じています。オカヤさんは、そういうことを意識させられることはありますか?

オカヤ 私は多分すごく鈍い方で、そういう圧があることに気付いてこなかったんだと思います。高校生の頃、同級生でもう将来のことを考えている子がいて。大学生になったらこういう服を着て、何歳ぐらいに結婚して子どもを産んで……と人生プランを考えていて、「そんなことまで考えてるんだ」って衝撃を受けたのを覚えています。

これも学生時代の話ですが、大人になったらお化粧しなくちゃいけないんだっていうことも、インターネットを見て知ったんです。それであるとき化粧してアルバイトに行ったら「今日はお化粧してるんだね、やっと気づいたね」みたいなこと言われて、「え、そんなこと期待されていたんだ」とびっくりしちゃいました。

この歳になってから、「まわりからのそういう期待は別に気にしなくてもいいんだ」と思うようになりました。でもフリーランスで働いている人間がフランクな格好をしていると、軽く見られる場面もあるんですよね。「若く見えるね」が褒め言葉じゃなくなっていて、「フラフラヘラヘラしてるんだろうな」というニュアンスを感じることがある。それは仕事をする上で嫌だなと思ったりもしています。

ここまで伺ってきたようなオカヤさんの考え方・価値観って、昔からずっと変わらず持っていたんでしょうか?それとも、それが形づくられるターニングポイントのような機会があったのでしょうか。

オカヤ ターニングポイントと言えるようなものはないですね。これまでの経験が少しずつ重なった結果と、歳をとったということだと思います。「完全に自意識が抜けたな」と思うのは30代半ばくらいのころでしたけど、別にそのタイミングで何があったというわけでもないんです。

結婚しなきゃとか、子ども産まなきゃみたいなことも特段思わず、かといってはねのけてきたという感じでもない。ぼーっとすり抜けてきて、たまたまここまできちゃったような感じです。なんか、すみません(笑)。

いえいえ(笑)。未来に思いをはせて、先の見えなさに不安を抱くこともないですか?

オカヤ それはあります。私、先のことを見通すのがすごく苦手なんですよ。インボイス制度が導入されたらどうしたらいいんだろう、老後は暮らしていけるのかな、なんてことを日々考えては、「面倒くさいから考えたくない」って思ってます。私は逃避癖があるので、よそ見しちゃいますね。もちろん現実は否応なくやってくるんですけど、その時はその時です。

でも大人になって思うのは、サボっても別に誰も怒らないんですよね、もちろん怖いですけど。意外と大丈夫。やりたくないことをやらなくても、天罰は当たったりしない。お天道様が見ているんだとしても、お天道様は日陰に入れば見えませんから、くらいに思っているとちょうどいいんじゃないでしょうか。

取材・執筆:ヒガキユウカ
編集:はてな編集部

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お話を伺った方:オカヤイヅミさん

オカヤイヅミ

1978年東京都生まれ。漫画家、イラストレーター。『いろちがい』で2011年デビュー。著書に、『すきまめし』『続・すきまめし』『いのまま』『ものするひと』『みつば通り商店街にて』『おあとがよろしいようで』、加藤千恵との共著『ごはんの時間割』などがある。デビュー10周年記念作『いいとしを』『白木蓮はきれいに散らない』が、第26回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。
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