フリーライター・青山ゆみこさんは、著書『ほんのちょっと当事者』(ミシマ社)にて、親の介護、児童虐待、性暴力、障害者差別──といった一見すると自分と無関係に思えるさまざまな問題を徹底的に「自分ごと」(当事者)として捉えていきます。
他者との積極的な関わりを通して、さまざまな社会問題をぐっと身近に引き寄せ続けてきた青山さんに、自分のことを「当事者」と捉える姿勢がどのように生まれたかや、他者と関係をつくることへの考え方などについてお聞きしました。
※取材はリモートで実施しました
「あ、私いま介護問題の当事者だ」と気付いた瞬間
青山ゆみこさん(以下、青山) もともとは「影響を受けた女流作家のエッセイを通じて、女性の自由な生き方について考える」という連載の予定で、当時頭にあったのは「母のようには生きたくない」ということだったんです(笑)。ひどい話ですが、昔気質な父に対して常に従順な妻として生きてきた母のことをあまりよく思えなかった。
ただ、いざ書こうとしたその矢先に、母の肝疾患が進行してしまって。さすがに病魔に蝕まれて心身ともに苦しんでいる母のことを否定するようなエッセイは書けないと、執筆できなくなってしまったんです。
青山 けっきょく母はその翌年に旅立ったのですが、看取りは想像以上につらい経験で。母を見送った直後はもう誰にも会いたくないし本も読みたくない、という精神状態だったのですが、今度は残された父の介護という現実問題がすぐにドーンと目の前にきまして。
青山 そうですね……。母は人に頼ることを嫌がるタイプだったし、父も父で、母以外の人には頼らないという態度でした。けど、母がいなくなって初めて、彼女が抱えていた父の介護というのがどれほど大変なことだったかに気づかされました。
脳梗塞で半身が麻痺している父を前にして、私は本当になにもできなかった。車椅子のたたみ方さえ分からない。だから介護のことを少しでも知りたいと思って、介護の入門資格である介護職員初任者研修を受け始めたんですが、そのときにふと「あ、私いま介護問題の当事者だ」と気付いて。
青山 これまでどこか他人事だったのに、いきなりふっと介護問題の当事者になった。その後、少しずつ介護や社会福祉制度にまつわる知識を身につけていくと、これまでに本やニュースで見た介護にまつわる話がとても身近かつクリアになっていく感覚があったんです。
それで、介護問題に限らず、個人的な話をしつつもその延長線上にある社会問題について触れていくようなエッセイを書けば、読者の方にもその問題を考えるきっかけにしていただけるかな、と書き始めたんです。
他者との関わりを通して「自分」を知る
青山 うーん……衝動に任せてでしたね。その裁判はネットカフェで出産した男児を窒息死させてしまった母親の初公判だったんですが、30歳近い女性が妊娠し、もう出産するしかない時期に入っていたことに気づかなかった、と供述していることに驚きと違和感を覚えて。正直に言えば、最初は「どんな人なんやろ? 顔でも見てやろう」みたいな、反感からくる好奇心もあったと思います。
でも、その裁判に3日間通ってみると、事件の背景には女性の貧困や親からの心理的虐待といった問題がたしかに存在することに気づかされました。考えてみると、特に女性の貧困問題というのは私や私の母にとってもまったく他人事ではなかったはずで。
青山 私はいま結婚していますが、仮に勤め人である夫と別れてひとりでフリーランスとして食べていけるかと言われたら自信がないし。母のことにしたって生前、父に抑圧されながら母親業をしていた部分も正直あったと思うのですが、一度も社会に出て働いたことがなかったから、経済的な面で婚姻関係に縛られた部分があったのではないかとか。
やっぱり女性が一人で生きていこうと思うと男性よりも大きなハンデを背負ってしまうところがあって。裁判の傍聴を通して、特にその部分においては他人事ではいられないというか、強い怒りを覚えました。
青山 子どものころって友達と手紙の交換をやたらするじゃないですか。私、大学生くらいのときも1日10通は手紙のやりとりをしてて(笑)。
考えてみると、手紙の内容ってだいたい相談ごととか困りごとなんですよね。口では言えないことも手紙だと書ける、みたいな。いろんな友人・知人との間でそんなやりとりをするのが日常だったので、人って人に気軽に相談するし、されるのも当然という感覚がそのころからあった気がします。
青山 あ、それはもちろんありますよ! 例えば私は個人でオンラインの文章添削講座を開いているんですけど、受講者の方の書かれた文章の背景を聞くためにその方とメールのやりとりを重ねていくと、みなさんそれぞれにいろんな事情や悩みを抱えられていることが分かってきたりします。それは決して「面倒」ではないけれど、わりと心を持っていかれることがあります。
青山 でも、この人のお話を聞いてどうして私はこんなに心が揺れるんだろうとか、感情が粟立つんだろうとか、そんな疑問とも向き合いながらお話を聞いているので、完全に「聞くだけ」の作業ではないんですよね。
もちろん、そうなるとたくさんの人とは難しいので、毎回10名って限定させてもらっているんですが、そのくらいの人数であれば、お互いのことを深く知るようなやりとりをさせていただくのはとても楽しいです。
もしかすると、他者とのそういったやりとりを通じて、私は自分のこともすこしずつ知っていっているのかもしれません。
自己破産やおねしょ、性暴力の体験を語ること
青山 私の場合、何かに悩んだとき、書かないと前に進めないタイプなんです。20代の頃は悩みから逃げてしまうことが多かったのですが、それだとあとあとしんどくなるなということに気付いて。それからは何かモヤモヤしたときにはまず書いてみる。
本では自己破産しかけたときの話とかも書いていて、「恥ずかしくないの?」って聞かれたりもするんですけど(笑)、鈍感なのか、自分のことを書くのはわりと平気なんです。ただ、なぜか中学のころまでおねしょをしてたって話はすごく恥ずかしくて、今回やっと書けた部分はあるかもしれません。
青山 たぶんおねしょって、コンプレックスとしてもあまり大声でトピックにあがらないじゃないですか。飲み会で「昔あがり症で」って話はあっても、「昔おねしょがなかなか治らなくて」って話はわざわざあがらないみたいな……。だから40代後半になるまで、心のなかにどろどろとした澱(おり)のようなものが溜まっている感じがあったんです。
でもいまさらカウンセラーの方に話すのも違うし、症状としては治っているので泌尿科に行っても意味がない。こうなったら書いてみよう、と連載の中でおねしょの話をしたら、「私もでした」っていう声がたくさん届いたので驚きました。語れないままで抱えてる人ってこんなに多いんだ、と。
青山 過去の性暴力被害について書いたときも、すごく多くの人から声をいただきました。そういう声をいただけると、文章を通して自分のことを受け入れてもらえているのかなと思えますし、そこから他者との間に新たな対話が生まれるとしたら、それはうれしいことですよね。
「あの人あれはできないんやな」を認め合う
青山 基本的には親との関係が悪かったので、それと比べればどんな人も私のことを受け入れてくれている、っていう考え方だったんですよ(笑)。だから、職場の人と関わるのも楽しいことが多かったです。
青山 いますよね。でも、職場という環境に限定して言うなら、業務上の関係性さえつくれれば、それ以外の関係性はあとから勝手についてくるんじゃないか、と思います。
嫌な相手かもしれないけど、どうしてもその人と一緒に働かなくてはいけないとしたら、業務を滞りなく終わらせるのが大目的だということをお互いに認識しておくのがいちばん大事ですよね。
青山 たまに「まずは相手を信頼することや。仕事なんかあとからついてくるもんや」って言う方いますけど、逆だと思います。先に仕事抜きで信頼関係をつくろうとしてもあんまりうまくいかないことが多いんじゃないかな……。
まずは仕事さえうまくいけば、あとから人間関係や信頼も勝手についてきたりするんじゃないでしょうか。
青山 いま、職場での人間関係は基本的に楽しかったと言ったんですが、実は私ミスが多過ぎて周りからめちゃめちゃ怒られてたんですよ。新卒入社のアパレルの会社で事務をしていたとき、生地を一反買いして伝票を計上するのに、例えば「150万円」の生地を「1500万円」って書いたりして、月末の棚卸しで全然合わない(笑)。先輩が「青山またお前か!」と。
……それで、助けてもらうことが増えるにつれて、周りがだんだん私を信用しないという方向にシフトしていくんですね。「青山には無理だからそれは俺に回せ」と。結局、事務仕事が無理だからと、デザイナーに異動させられたんです。服を作る方がこいつは使えそうだっていう上司の判断で。それがすごくありがたかったし、そういう経験を通して自分もまた面倒な存在だなと自覚していったのかなと思います。
青山 そうなんです。例えばなんですが、うちは夫が本当に片付けが苦手なタイプで。結婚当初はそれでずっと喧嘩ばかりしてたんですけど、もうどうやっても片付けられないというのが分かってきたので、最近は箱をひとつ置いておいてそこに全部入れようというシステムにしたんですね(笑)。
それはなんでかというと、私もそうやっていろんな人にいろんな作戦を考えてもらうことで助けられてきたから。
青山 苦手なことは絶対に克服すべき、というのは誰も幸せにしないと思うんです。むしろ、「あの人にはあれはできないやろな」と他の人に分かってもらえると、逆に自分ができて他の人が苦手そうなことがあるときに相手の方を助けようと思えますよね。
だから、そういうふうに「あの人できないやろな」「あの人大変やろな」と思い合うことができると、世の中はなんとなく回ってくのかな、と思っています。
取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部
お話を伺った方:青山ゆみこさん