産休や育休中に「子どもが生まれても今の職場で働き続けられるだろうか」「でも転職は……」と悩んでいませんか。
現在ライター・編集者として働く石川仁美さんは、新聞社勤務時代に同僚のマミートラックや自身の不本意な異動から転職活動を始めますが、同時に妊娠が発覚。産後も葛藤し続け、最終的に退職を決め、新たに業務委託の仕事に就くことを決意しました。
子どもは大切だけれど、仕事も大切——そう語る石川さんの転職活動の体験談をつづっていただきました。
- 異動にマミートラック......「産後もここで働き続けられる?」
- 転職も異動も思い通りにいかない中で発覚した「妊娠」
- 葛藤の末、育休中に転職を決断
- どちらの道も大変。だからこそ「自分で決める」ことが大事
異動にマミートラック......「産後もここで働き続けられる?」
- いつか来る「異動」と「産後の働きづらさ」からキャリアに不安を抱く
- 仕事内容はハードで、もし子どもが生まれても子育てと両立できるイメージが湧かない
- 実際にマミトラを経験した同僚も
人生とは思い通りにはいかないものである。新聞社に勤めて10年が過ぎたあたりから、私はキャリアに不安を感じていた。
当時私は希望が叶ってスポーツを取材する部署で、国内だけでなく海外での取材も経験させてもらい、仕事に大きなやりがいを感じていた。
取材すればするほど広がる世界。全国を飛び回る記者の仕事の充実感は他に代えがたく、「このポジションでずっと仕事ができればいいのに」と何度となく思った。
しかし、新聞記者もただの会社員。会社の一存で人事は決まり、基本的に拒否ができない。私も例に漏れず3年周期の異動が目前となり、望まない部署への異動もありうると感じていた。
そして私にはもう1つの大きな悩みがあった。それは「子どもができたとしても今の職場で働き続けられるイメージが湧かない」ことだった。
仕事に集中しているうちに生物的な出産適齢期を逃し、本格的に子どものことを考え始めた時には私は37歳になっていた。
「子どもが欲しいなら産んで、産後に復帰すれば良い」という声も聞こえてきそうだが、夜中に急に事件が発生して仕事になることもあり、社会に私を合わせないと仕事ができない。今までと同じように働くことは、言わば無理ゲーだ。
今は変わってきていると聞くが、当時の職場は子育て中の女性が第一線で働くための配慮はささやかなものだった。20代のうちに出産して職場復帰した後輩は「場数を踏む前にマミートラックに乗ってしまった」と嘆き、男性管理職と変わらず働く先輩は保育園とシッターを駆使しパズルを組むような生活をしていた。
一方、「ママたちの尻拭いはいや」と辟易している人もいて、どこへ行っても地獄という雰囲気すらあった。
転職も異動も思い通りにいかない中で発覚した「妊娠」
- 転職活動を始めるも、うまく行かない日々。不本意な異動も決定
- やっとの思いで転職先が決まったが、妊娠が重なり内定を辞退
- 産後も「これからどうしよう」と葛藤し続けていた
どう考えても新聞記者の仕事と子育ては相性が悪いのである。このままでは何かを諦めなくてはいけないのではないかと、絶望にも似た感情を抱いた私は転職活動を始めることにした。
しかし、記者という職業の特殊さからか応募書類を送っても「お祈り」される日々が続き、とうとう部署異動のタイミングがやってきた。
行き先は紙面のレイアウトを考える整理部門。同じ記者でも、取材することのないポジションでショックだった。
このころから少しずつ会社への愚痴が増えていき、私の仕事人生は滞留してしまっていた。
それでも何か動かなくてはと、空いた時間でオンラインのライター講座に通ったり、転職サイトを眺めたりしながら働く日々を数年送った。
そして38歳の初冬、雑誌編集の業務委託の内定をもらったと同時に私の妊娠が発覚した。地方から東京への引っ越しが伴うため、内定を辞退せざるを得なかった。
さらには整理部門から全く希望していない部署への異動が決まり、私の仕事人生は一層深い霧に包まれてしまった。
追い討ちをかけるようにつわりも始まり、主食はみかんで、家の居場所はソファという生活。異動をはさみ、視界は晴れることなく産休・育休に突入した。

無事に子どもが生まれ、授乳にオムツ替えという人生初の経験をこなしながらも「これからどうしよう。このまま仕事復帰していいのかな」という思いは頭の片隅から消えることはなかった。
葛藤の末、育休中に転職を決断
- 育休中に以前内定をもらった会社の求人と再会
- 「子連れ単身赴任」を覚悟の上で新しい仕事への転向を決断
- 15年勤めた会社を退職。申し訳なさを感じつつも、最後は快く送り出してもらえた
産後のキャリアに葛藤する中で、ゆるゆると眺めていた転職サイトに以前話が流れた雑誌編集部の求人が掲載されているのを見つけた時は、少しおおげさだが運命を感じた。
ただ、この仕事が決まれば東京に引っ越さなくてはならず、「夫と私のどちらが子どもと暮らすか」という問題もある。夫は仕事が忙しいため、私の子連れ単身赴任生活が頭に浮かんだ。
おそるおそる夫に相談すると「応募してみたらいいんじゃない?決まった時にこれからのことは考えよう」と話は秒で終わり、迷うことなく応募ボタンを押すことができた。
子どもが寝ている間にオンライン面接をし、東京での最終面接を経てもらった内定通知のメールは「子育てセンター」で子どもと遊んでいるときにやってきた。
当時の私の状況を理解した上で受け入れてもらえるとは思っていなかったので、一気に肩の荷がおりた。
さて。仕事が決まったとなると、会社へ退職の意向を伝えなくてはいけない。育休が明ける前に上司にアポを取り、意を決して「退職します」と伝えた。
もちろん「育休中に転職する」と決意していたわけではないが、結果として産休・育休後にそのまま退社となった。しかも、新しい部署に異動して日が浅いタイミングでの退職で、後ろ足で砂を掛けていると思われても仕方がなく、職場の方々は思うところはあったと思う。
それでも「一緒に仕事をしたかった」と上司に言ってもらえたことはありがたく、15年、この会社で働いてきたことが少し肯定された気がした。
どちらの道も大変。だからこそ「自分で決める」ことが大事
- 裁量のある働き方に変えたことで精神的なゆとりができた
- 自分で決めた道だから、大変でも不満を抱かなくなった
- 選んだ道は自分で正解にしていく
2024年秋から始まった東京での子連れ単身赴任生活。
初仕事目前に子どもが発熱し、病児保育の予約が取れるかハラハラした。雑誌の校了日に子どもが発熱した時はどうなるかと思ったが、一緒に働く人たちの優しさや気遣いに助けられた。
仕事を変えて得たのは心の健康とやりがいだ。
記者時代のように急な呼び出しに怯えることもないし、業務委託は勤務時間が固定されていないため「中抜け」という概念もない。
子どもの予定に合わせやすいのは心地よく、自分で決めたことなので仕事への不平不満を口にしなくなった。

その後、夫も東京へ異動してきて、いまは家族3人、シッターさんに助けられながらどうにか生活している。
一周回って、会社員時代に「無理だ」と思っていた保育園やシッターさんを駆使する先輩と同じ生活をしているわけだが、今はその無理が自分の人生のために必要だと分かる。
子どもは大切だけれど、仕事も大切。ただそれだけなのだ。
子どもをきっかけにキャリアを失うと思った時期もあったけれど、子どもがいるからこそ見える世界もあるのだと知った。井の中の蛙のままでは大海は見えない。
「出張ご苦労様です。いろんなことが分かる頃になったら、お母さんのことをきっと尊敬すると思います」
出張でお迎えが遅くなりそうな時、保育園の先生がくれた言葉だ。娘は最近、「ママ、お仕事なの?」と聞いてくるようになり、その言葉を聞くと胸がキュっとなる。
でも、いま仕事を辞めるかといえばNOだ。やりがいも欲しいし、将来を思えばお金も必要。居場所を変えてすこし生きやすくなったけれど、頑張りが必要なのは変わらない。
マンガ『SLAM DUNK』の安西先生が言ったように諦めたらそこで終わりだし、以前のように職場の愚痴を漏らすような日々はごめんだ。
キャリアや人生の選択にはエゴが入り混じるからこそ、自分で決めて、自分で正解にしていくしかない。ただ、家族がいると「自分のために」とばかり言っていたら本当のエゴになってしまうとも思う。
働く場所を変えたことに後悔はないし、正解だったと思っているからこそ「家族がハッピーなのか」と自問自答することを忘れずにいたい。
編集:はてな編集部

