「自己肯定感を高く」は自分を苦しめる。できることを増やして“自信のリスクヘッジ”を|ぼる塾・酒寄希望


自己肯定感が低く、仕事やプライベートで自分の言動に不安を抱えたり、失敗したとき必要以上に落ち込んでしまっていたりしませんか。

お笑いカルテット「ぼる塾」の酒寄希望さんは、自身の育休中にグループが大ブレイク。自分に自信が持てなくなり、しばらく落ち込んだ経験があります。

そんな酒寄さんが“負のスパイラル”から抜け出せたのは、前向きな言葉をかけてくれるメンバーの存在だけでなく、酒寄さん自身が思考を転換し「自分ができること」を見つけられたからでした。

「ネガティブ」は自分を守るため。無理してポジティブにならない

ぼる塾は、酒寄さんが育休に入った2019年に大ブレイク。著書「酒寄さんのぼる塾日記」では、「自分はいなくてもいいのでは?」と葛藤を抱えたエピソードをつづっていらっしゃいます。

酒寄希望さん(以下、酒寄) あんりちゃんとはるちゃんが「しんぼる」、私と田辺さんが「猫塾」という別々のコンビで活動していたときはまったく売れず、つらい時期を励まし合ってきました。だから、仲間が「ぼる塾」として結果を出したのはとてもうれしかったんです。

でもその反面、「もしかして私がいたから売れなかったのかな」「大好きな田辺さんの足を、私が引っ張り続けていたのかも」という気持ちも出てきてしまって……。

ぼる塾の4人
ぼる塾の4人。左から、あんり、酒寄希望、田辺智加、きりやはるか(敬称略/写真提供:吉本興業)


田辺さんはそんなことを考えるような人じゃないって分かっているのに「酒寄さんのせいだと思われていたらどうしよう」「田辺さんが離れていってしまったら?」と、のたうち回るほど悩んでいました。

3人がせっかく売れて忙しいときに、こんな気持ちを伝えても余計な混乱を招くだけだと思うと、みんなに悩みを打ち明けることもできなかったんです。


それでなくとも育休中は孤独感を感じやすい時期ですし、なおさらつらいですね……。

酒寄 そもそも、私は自分に自信がなくてネガティブなタイプなんです。何をやっても「これで合ってる?」「大丈夫かな」と人目を気にしてしまうからこそ、芸人になってもっと明るい性格に変わりたかった。生来の自信のなさを補うために、仕事のときは事前準備をやり込むことでなんとか芸人を続けてきました

ただ、田辺さんは養成所で出会ったときから本当に面白くて。彼女と一緒だったらもっともっとおもしろいことができると感じていました。

そんな中で産休・育休を取ることになり、私のいない3人の「ぼる塾」が完成してしまった。私はいったい「何」を休んでいるんだろう? と、分からなくなったんです。

その落ち込みから復活できたのは、何がきっかけだったんでしょうか。

酒寄 田辺さん、あんりちゃん、はるちゃんが「酒寄さんが戻ってきて4人になったときが、本当のぼる塾のスタートだよ。酒寄さんは、今から何にでもなれるんだよ」と言ってくれたことです。

私は自分がぼる塾に合流することをゴールだととらえていたけれど、そこから始まると言ってくれたことに、とても救われました。「何者でもない」じゃなくて「これから何にでもなれる」って考え方も、すごくいいなぁって。

「そんなことない。私はだめだ!」とネガティブにならず、素直にその励ましを受け入れる酒寄さんも素敵だと思いました。

酒寄 私はネガティブなんですけど……ネガティブって、自分のことが大切だからこそなるものなんじゃないかなって思うんです。自分を守るための「予防」として、悪いことばかり考えてしまうというか。

でも、このときはメンバーが言うように「これから始まるんだ」と考えた方が、ずっと楽になると思えたんです。

「自分を大切にする」という考えはそのまま、思考のベクトルを変えただけ。根本からポジティブになろうとしているわけじゃないから、そんなに無理もしなくていいし、すごく心が軽くなりました。

私にしかできない「ぼる塾」への貢献を見つけた

とはいえ、ベクトルを変えたとしても自分に対する「自信」はすぐに身に付くものではないですよね。酒寄さんはどうやって「自信」を身に付けていったのでしょうか。

酒寄 「私にしかできない、ぼる塾への貢献」に気付いたことが大きかったです。

私、自分に対しての自信は持てなくとも、「田辺さんは絶対におもしろい」という自信だけは昔からあって、田辺さんのおもしろさをどう伝えるかをずっと考えてきたんです。

酒寄さんは、SNSでも田辺さんのおもしろいところをよく発信していますよね。

酒寄 はい。養成所時代、構成作家さんに「田辺は自分の面白さに気づけないから、酒寄が田辺の面白さを教えてあげな」と言われたことがありました。そのアドバイスを受けて田辺さんは「どれがおもしろいか判断できないから、酒寄さんがいないときに起こったことは全部話すね」と、日常にあったことを逐一LINEで報告してくれるようになったんです。

その習慣をあんりちゃんもはるちゃんも知っているから、育休中もみんなが今日あった出来事を連絡してくれていたんですが、それがすごく面白くて。

ファンの方に伝えたらきっと喜んでくれるだろうなと思い、SNSやブログに書くようになったら予想以上に面白がってもらえて「そうか、文章を書くことでも笑いが取れるんだ」と気付いたんです。

自分の強みを見つけて、自信につなげたんですね。

酒寄 最初は「おもしろいから書いてもいい?」くらいのノリだったんですけど。子育てで舞台には立てなくても文章なら家で書けますし、この距離感、この視点からぼる塾のことを書けるのは、私しかいません

芸人としても「おもしろい」と言ってもらえると、ものすごく喜びを感じて。「私はやっぱり、おもしろいことをしておもしろいって言われたいんだ」「この仕事が好きなんだ」と再認識しました。

だったら「育休中に居場所がなくなっちゃった」なんて言ってないで、自分ができることをなんとかやり続けながら、くらいついていきたいと考えたんです。

メンバーと日常的にコミュニケーションを取ることで、信頼関係も深まりそうです。

酒寄 3人からするといろんなことを気にし過ぎる私のネガティブな部分が「もはや面白い」らしく、そうやって笑ってもらうことで気が楽になっています。

ちなみに、田辺さんのおもしろいエピソードの中で印象的なものは?

酒寄 これは養成所時代のエピソードですが、益若つばささんに憧れて27歳でギャルデビューしたり、新大久保のサムギョプサル屋さんの店員さんに恋をして韓国語を勉強し、意を決して話しかけたら日本語で「国に帰ることになりました」って言われたり……。

ほかにも面白いエピソードをめちゃくちゃ持ってるのに「私はベーグルが作れるから、テレビでその話をしようと思う」と。「いや、ベーグルよりもっと強い武器あるから!」と思いますね(笑)。


「やれること」を増やせば、自信のリスクヘッジになる

酒寄さんは最近、ぼる塾のYouTube編集作業も担当されているんですよね。

酒寄 はい。もともとはiPhoneが何なのかも分からないほどの機械音痴だったんですが……「みんなの面白さ」を知っている私が動画を編集できたら、ぼる塾にとってすごくプラスになるだろうなと思ったんです。

構成作家さんをはじめ、いろんな人に教えてもらいながら、なんとかできるようになりました。くじけそうなときは「いまこれだけ苦手ってことは、伸びしろしかない!」と思うようにして。

まさに「くらいつくぞ」という気概を感じます。

酒寄 文章や動画もそうですが「表舞台に立つ」以外で自分の役割を開拓するようになりました。

例えばあんりちゃんは「ゼロからネタをつくるよりも1のネタを100に膨らませていくのが好き」なので、ゼロから1を作るのは私が担当することにしたんです。田辺さんがテレビに出るときのトークの戦略も練っています。

あとはみんなが苦手なスケジュール管理も私が率先してやっています。「明日は人間ドックだから、21時以降は食べちゃダメだよ」ってLINEを送ったり。

リーダーでありながら、マネージャー的な役割も担っているんですね。

酒寄  私の場合、そうやって自分がやれることの幅が広がるにつれて、一つの仕事に全集中することがなくなり、必要以上に落ち込むことが減ったんです。

なにかに全力を傾けていると、それがダメだったときに全て終わりだと感じてしまう。でも、舞台や文章、ネタづくり、動画編集といった一つひとつの仕事を全て別物だととらえていたら、どれかで失敗したとしてもなんとか気持ちが保てるというか。

昔は舞台でスベッたら、100%そのダメージを受けてしまっていました。でも、今は「ダメージを受けた分、文章の仕事を頑張って取り返せばいい」と思えるようになって。そうすると、今度は文章執筆で得た経験が、次の舞台でウケるネタ作りにつながってきたりもするんです。

SNSで悪口を言われたときも「誰だって全ての人に好かれるわけじゃない」と受け取れるようになりました。


ネガティブな性格だと、周囲の評価に一喜一憂し過ぎないことも大事そうです。

酒寄 そうですね。まったく知らない人たちからの心ない言葉を真に受けて落ち込むより、ぼる塾のみんなや家族、温かいファンの方々の思いやりや励ましの言葉に耳を傾けた方がいい。

そう思えるようになったのは「酒寄さんは生きているだけでいいんだよ」と言ってくれる、私のことを本当に大切に思ってくれている人たちのおかげです。私が落ち込んだら、周りの大切な人たちを傷つけちゃいますから

あんりちゃんも「ひとつのアンチコメントで、100の応援コメントに対するうれしい気持ちが消えるなんてもったいない」と言っていて、本当にそうだなって。

「自己肯定感は高くあるべき」は、苦しい

ぼる塾のみなさんは、本当にお互いを尊重し合っていますよね。長く一緒にいても、そういった関係性が維持できているのはどうしてだと思いますか?

酒寄 まず、あんりちゃんとはるちゃんが、人に対する無償の思いやりを持っているからです。二人に出会うまで、私は「あなたのために」という言葉がそんなに好きじゃなくて。

いうても自分のためにやってるでしょ? と思っていたんですが、二人は本当に100%で「相手のために」行動できる人。二人が何かしてくれたときは同情じゃなくて、シンプルに優しい気持ちからなんです。

まっすぐな二人を目の当たりにして「私なんて……」と落ち込んでしまいそうなところで、田辺さんは「私は自分にリターンがあると思って人に優しくしてるよ」と言ってくれる。

あんりちゃんとはるちゃんの天真爛漫な優しさと、田辺さんの地に足の着いた考え方のバランスがすごく良いから、ぼる塾はうまくいっているんじゃないかなぁと思います。

それぞれの違いを「優劣」ではなく「個性」と捉えると、ネガティブな自分のことも受け入れられるのかもしれないですね。

酒寄 「明るくなりたかったから芸人を目指した」という話をしましたが、いざ芸人になってみると、みんながみんな明るく楽しいわけじゃなくて、おとなしさや暗さを武器にして笑いを生む人がいることも分かりました。

いまは、ネガティブだからこそつくれるネタもあるし、自分の個性で勝負できる仕事に就いているんだと感じます。

その言葉を聞くと、ネガティブどころか、とてもポジティブな方だなと感じます。

酒寄 ネガティブな人ほど自分と向き合っているから、そのベクトルをくるっと反転してしまえば、一気にポジティブになるのかも。あと、ポジティブな人たちと一緒にいることで考え方が伝染してきた、というのは確実にあると思います。

「自己肯定感は高い方がいい」と言われがちですが、酒寄さんの変化を聞いて「必ずしもそうでなくてもいいのかも」と思えました。

酒寄 まさに最近、田辺さんと蕎麦屋に並びながら「『自己肯定感』って言葉をどう思う?」と話したばかりなんです。そのときに「自己肯定感は高い方がいいと決めつけると、低いときにどんどん苦しくなってしまうんじゃない?」という話になって。

田辺さんは「私は自己肯定感が高いわけじゃなくて、何かがうまくいったらラッキー、何かがおいしかったらハッピーと思うだけ」「自分がうれしかったことを、ありのまま受け止めるだけでいいと思う」と言っていたのですが、私もそう思います。

自分のことを好きになれなくたって、少しでも楽しいと思える日があるなら、もうそれで充分なんじゃないかなと。私も「こうでなきゃいけない」と考えて苦しくなるより、自分が楽でいられる考え方を選んで、自分なりにその日一日を楽しく生きていきたいです。


取材・文:菅原さくら
撮影:関口佳代
編集:はてな編集部

「自己肯定感が低い」ことに悩んでいるあなたへ

不安は消えないから、ほどよく目をそらす。助産師から脚本家となった『silent』生方美久さん
不安は消えないから、ほどよく目をそらす|脚本家・生方美久
自分の仕事ぶりを、自分で責めるな。私に必要だったのは「傷つけない」働き方
自分の仕事ぶりを、自分で責めない
「やりたい」じゃなく「できる」ことを見極める。“超元気”ではない私が働き続けるためにした工夫
「やりたい」じゃなく、「できること」を見極める

お話を伺った方:酒寄希望さん

酒寄希望さんのプロフィール写真

お笑い芸人。ぼる塾のリーダー。結成当初から産休・育休に入り、陰ながらネタ作りなどをサポート。「自分たちの面白さに気づいていない3人を知ってもらいたい」と、2020年11月からエッセイを書き始める。現在は育休ながらも徐々に活躍の場を広げ、2022年5月、初のぼる塾単独ライブツアーの東京公演に出演し、11月、神保町よしもと漫才劇場で約4年ぶりの通常公演に復帰した。

X:@no_zombie

【専門家が解説】子どもが生まれてから喧嘩ばかり。産後の夫婦仲を改善する方法


妊娠、出産、育児をきっかけに夫・妻とのけんかやすれ違いが増えていませんか。

いわゆる「産後クライシス」。「離婚」を考えているわけではないけれど、ぶつかり合うたびに消耗し、モヤモヤ。でも仕事や育児で余裕がなくて関係性を改善できないまま、またぶつかり合ってしまう……。

そんな悩みを抱えている人に向けて、これまで2,000組以上の夫婦の関係を改善してきたカウンセラー・安東秀海さんに、夫婦関係がこじれてしまう原因と関係改善のためのステップについて伺いました。

お話を伺った方:安東秀海(あんどう・ひでみ)さん

安東秀海さんのプロフィール写真

夫婦カウンセラー。妻とともに夫婦専門のカウンセリングオフィス「LifeDesignLabo」を主宰。東京渋谷のカウンセリングルームには不倫やセックスレス等さまざまな問題を抱える夫婦が日々訪れ、2023年7月現在サポートしてきた夫婦は2000組に上る。機能不全に陥った夫婦の関係性を読み解き、健全なパートナーシップ構築へと導くことを得意とする。著書『夫は、夫婦は、わかってない。夫婦リカバリーの作法』(SYNCHRONOUS BOOKS)

パートナーに強く当たってしまう……悩みの原因は「わだかまり」?

妊娠・出産を経て子育てをする中で、けんかやすれ違いが増えるなど、産後クライシスでパートナーとの関係に課題を感じる人は少なくないように思います。夫婦関係にはどうして“こじれ”が起きてしまうのでしょうか。

安東秀海さん(以下、安東) 夫婦として長く一緒にいると、日々さまざまな問題が蓄積され、「目の前の問題」が覆い被さって「本当の問題」が見えなくなってしまうからだと思います。


「目の前の問題」と「本当の問題」とは具体的にどんなものでしょうか。

安東 夫婦関係の問題は、大きく3つに分類することができます。

1つ目が「コミュニケーション」です。けんかが増えた、会話が減った、パートナーに強く当たってしまうなどですね。

2つ目が「価値観・考え方」。働き方、お金の使い方、育児の方針などが違うこと。

3つ目がそれらの裏に潜んでいる「感情」です。コミュニケーションや価値観の問題だと思っていたことが、実は感情の問題だった、ということが多いんです。

具体的な例で考えてみましょう。

妻は基本ワンオペ育児で、特に手がかかる2歳ごろまでがつらかった。子どもが成長した今でも仕事と育児に追われており、ふとした拍子に夫への不満が弾けて、強く当たってしまうことがある


一見「夫に強く当たってしまう」というコミュニケーションの問題に見えますが、その裏には「ワンオペ育児をつらいと感じている」「そのつらさを共有できなくて悲しい」といった感情、つまり心の中にずっとひっかかっている不満や疑念、不信感といった「わだかまり」が隠れているんです。

パートナーに対してイラッとして強い言葉をぶつけてしまう根底には「わだかまり」がある、と。

安東 はい。価値観や考え方の違いをお互いに理解できず、話し合っても平行線のまま……というケースも、問題は「価値観が違う」ことではなく「価値観の違いが許せなくなった」ことにあるのかもしれません。そして「許せない」背景には、「感情」が隠れている。

夫婦の問題を1本の木に例えると、まずは根っこにある「感情」から解いていく必要があるんです。わだかまりが解ければ、幹となる「価値観や考え方の違い」を受け止めることができ、枝葉の「コミュニケーション」が変わっていくと私は考えています。

「わだかまり」を解くには、まず「痛みや悲しみ」を自覚する

「わだかまり」はどのようにして解いていけばいいのでしょう?

安東 まずはパートナーに対して怒りが湧いてくるようになったのはいつからか、どんなときかを振り返り、「怒り」の背景にある「まだ癒えていない傷や悲しみ」を見つけてください。

2人の間に起きたネガティブな出来事など、過去を思い返してエピソードが出てくる場合は、まだ消化できていない「わだかまり」がある、と考えてみます。わだかまりが消えるのに「時間」はあまり関係ないですから、何年も前の出来事が原因だった、ということもあると思います。

自分自身で「あのときのパートナーの言動で私は傷ついたんだ、悲しかったんだ」と自覚することがスタートラインになります。

安東秀海さんのカウンセリングルーム
「怒りを抱いている自分(赤い人形)」の後ろには「過去に傷つき悲しんだ自分(青い人形)」が隠れていることも
見つけた傷はどのように対処すればよいでしょうか。

安東 わだかまりは誰かに話すだけで解消する場合もあります。信頼できる人に自分の気持ちを聞いてもらう。もしくは自分で「あの頃はつらかったね、よく頑張ったね」と慰めてあげてください。難しい場合は、カウンセリングの力に頼ってもいいと思います。

「わだかまり」をパートナーに伝えてもいいのでしょうか?

安東 もちろんです。ただ伝える際には「Iメッセージ」を意識してください。

「Iメッセージ」とは?

安東 「I(アイ)=私」を軸にしたコミュニケーション手法です。「あなたがこうしたから傷ついた」ではなく「私はこういう状況が悲しかった」、「なんであなたは育児をしてくれないの?」ではなく「私はもっとあなたと一緒に育児をしたい。今のままでは寂しい」といったふうに、自分の気持ちを伝えます。

伝える内容は同じでも、ずいぶん印象が違うと思いませんか?

たしかに。「相手に対する怒り」ではなく、「自分の悲しみ」を伝えようと意識するだけでもコミュニケーションが変わりそうです。

安東 そうですね。「わだかまり」が解けると相手への態度が変わっていきます。さらに自分の態度が変わると相手の態度も変わりやすいので、コミュニケーションの問題は自然と解決していくことが多いです。

夫婦で「価値観」が違うのは当たり前。大事なのは「背景」を知ること

わだかまりを解くことは「価値観や考え方の違い」から起きる衝突を和らげることもできるのでしょうか?

安東 はい。夫婦といえど、価値観は違ってあたり前。価値観や考え方の違いを許せないのは、その裏にわだかまりがあるからだと思うのです。なのでやはり「わだかまりを理解し、傷をケアすること」がスタート地点になります。そのうえで、お互いの価値観を共有し、違いを理解するというプロセスが大事になります。

なるほど。ただパートナーに「あなたの価値観は?」と聞かれても、うまく答えられない気がします。「価値観の共有」は具体的にどうやればいいのでしょう?

安東 まず「価値観の違い」が生まれやすい「お金」「仕事」「親密さ(セックス)」「子ども」「」の5つについて、一つひとつお互いにどんな考えを持っているのかを出し合うのがいいと思います。

例えば、お金は使いたいのか貯めたいのか。お金のために仕事をするのか、やりがいのある仕事であればお金は後回しでいいのか。夫婦間でセックスは必要か、なくてもいいのか。そういったことを、一旦全部テーブルに乗せていきます。全部出してみると「こんなに違うんだ」と改めて分かると思います。

「価値観が違うね」と確認し合うだけで、問題が解決するんでしょうか?

安東 いえ、大事なのはその価値観が形成された「背景」を知ることなんです。「背景」を理解すれば、怒りや恨みといったネガティブな感情は薄れ、共感や思いやりなどポジティブな感情が湧きやすくなります。

例えば「親」に対する価値観の違い。

実家との付き合いを大事にする夫と、義実家との交流にあまり積極的でない妻。夫は妻に対して「なぜ実家との付き合いを嫌がるのか?」と怒り、妻は「なぜ頻繁に義実家と交流しなくてはいけないのか」と怒っている


こういったすれ違いは「親」や「家族」という存在に対してポジティブな感情を抱いているか、それともネガティブな感情を抱いているか「背景」を知ることが大事なんです。

もしかしたら妻側は実の両親との間に嫌な記憶があり、「義実家との付き合い」以前に、そもそも「家族」に対してネガティブな感情を持っているのかもしれない。背景をパートナーに共有し、知ってもらうことが歩み寄るきっかけになり得ると思います。

お互いの価値観を出し合って、背景を理解したあとの「次のステップ」は何でしょう?

安東 5つのテーマにおいて、優先順位をつけてみてください。具体例を挙げましょう。

毎日夜遅くまで働き、土日も仕事をしている夫。そんな夫に対し、妻は「夫婦や家族で過ごす時間が少ない」と不満を抱いている


この場合、妻は「親密さ」「子ども」の優先順位が高く、妻の目から夫は「仕事」と「お金」の優先順位が高いように見えていて、自分や子どもがないがしろにされていると感じているのだと思います。

しかし実は夫も家族を大事にしていて、家族の幸せのために一生懸命仕事をしてお金を稼いで、生活を豊かにしたいだけかもしれない。優先順位をはっきりさせることでそうしたすれ違いに気づき、改めて同じ方を見ることができると思います。


お互いの違いを認識した上で、同じ方向を見ることができたら関係性も改善していきそうです。とはいえ、仕事に育児に忙しい日々、夫婦で価値観のすり合わせをして、課題を解決していく時間を取るのは難しいと感じます。

安東 そうですよね。その場合は目の前にある仕事や育児に一旦集中し、価値観のすり合わせは先送りにするのもアリだと思います。落ち着いた頃にちゃんと向き合おうね、と目線を合わせておいたうえで。

ただし「わだかまり」がある場合は、できれば時間をつくって優先的に解いておいた方がいいと思います。わだかまりを溜めないためにも、何か傷つくことや悲しいことがあれば、その都度自分を主語にして気持ちを伝えられるといいですね。

わだかまりが解けず、先送りにもできない、自分たちで改善していくのが難しいと感じたら、カウンセラーを頼っていただくのもよいかと思います。

カウンセリングの本質は「“個”としてどう生きたいか」を決めること

夫婦の問題にカウンセリングで第三者を入れるメリットはどんなところにあるのでしょう?

安東 感情的になりやすい夫婦の対話に、客観的かつ社会的な第三者の目が入ることで冷静になれるという点です。

先ほどの「価値観のすり合わせ」も、2人だけでやると途中でけんかになって目的を見失ってしまうことがあると思います。カウンセリングの場でけんかをするご夫婦も多いですが、それさえも客観的な視点で見ることができますから。

ただ、日本ではまだ夫婦でカウンセリングを受けることが普及しておらず、少しハードルを感じてしまいます。

安東 おっしゃる通り日本ではカウンセリングを受ける文化が根付いていないため、離婚寸前まで追い詰められた方が必死の想いでネットサーフィンをしてたどり着くケースが多いです。しかしオンラインが普及した近年は、家事育児の分担をどうするかといった相談を受ける機会も増えました。

骨折をしたら病院で治療をするように、夫婦の関係性にヒビが入ったら専門家に見てもらう、そんな感覚で来てもらえたら。できれば「不仲」に至る前、もっと言えば未婚のカップルが関係性を築くスタートラインに立つ前に、カウンセリングを受けられるようになるのが理想ですね。


どちらか一方のみが課題感を持っていて、夫婦関係の維持・改善のためにカウンセリングを受けたいと思った場合、パートナーを説得して連れてくるのが難しいように思うのですが……。

安東 夫婦カウンセリングといっても、私たちのカウンセリングルームに最初に訪れるのは女性1人のケースが5割ほどで、夫婦揃っての参加は3割弱、男性のみが2割強です。

1人でいらした場合、夫婦で取り組んだ方が解決への近道ではあるので、まずは課題意識をパートナーに伝えることをお勧めしています。パートナーに自分の気持ちが伝えられておらず、相手は課題意識を持っていないケースも多いので。

Iメッセージで「私がつらい」「私が悲しい」と自分の気持ちを伝えても、「知らない」「どうでもいい」というスタンスで向き合ってくれず、カウンセリングにも来てくれない人とはむしろ、今後の関係性を築いていくのは難しいかもしれません。

そもそも、カウンセリングを受けることで関係は改善するものなのでしょうか。問題を解決できずに離婚を選ぶ人もいますか?

安東 だいたいの夫婦が関係を修復していきますが、もちろん離婚に至る夫婦もいます。ただ婚姻関係を継続できなくとも、カウンセリングを通じて「人間関係」の改善はできると思います。

カウンセラーとして、私の場合は必ずしも「婚姻関係」にはこだわりません。結果的に離婚したとしても、カウンセリングルームを訪れる前よりも、長期的な視点でふたりの「人間関係」がよくなっていればいいと思っているんです。

「夫婦」という関係性がベストとは限らない場合もあるんですね。

安東 カウンセリングの本質は、「個」としてどう生きたいかを決めることだと思っています。夫婦関係はふたつの「個」で成り立つもの。自分の生き方に合ったパートナーを選んでいるわけなので、相手がパートナーのポジションにふさわしくないと思ったら降りてもらってもいいと思います。

降りたくない、一緒に生きたいと思ったら相手が変わるかもしれない。ただし「相手を変えよう」とはせず、必要に応じて「自分が変化を受け入れる」といった主体的な姿勢で、自分の人生のハンドルを手放さないことが大切だと思います。

取材・文:徳瑠里香
撮影:小野奈那子
編集:はてな編集部

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「パワハラ上司にならない方法」を研究者に聞く。部下への「注意」はどうすればいい?

津野香奈美さん記事トップ写真

「これってパワハラになるのかな」と慎重になるあまり、部下や同僚とのコミュニケーションに消極的になっていませんか。

中間管理職としてチームを率いる中、部下に威圧感を与えないように注意しつつリーダーシップを発揮するにはどうすればいいのか。

日本のハラスメント研究の第一人者である津野香奈美先生に、具体的なシチュエーションを例に教えてもらいました。

コミュニケーションを避けることは、ハラスメントの解決策にならない

津野先生は学生時代にアルバイト先で見かけた「部下に怒鳴り散らす上司」をきっかけに、当時の日本ではまだあまり知られていていなかった「パワーハラスメント」について研究を始めたと伺いました。今では「パワハラ」という言葉も浸透しましたが、改めて定義を教えてください。

津野香奈美さん(以下、津野) 2020年に施行された改正労働施策総合推進法(パワハラ防止法)において「職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題」と表現されていて、以下の3つの要素を全て満たすものと定義されています。

  1. 優越的な関係を背景とした言動
  2. 業務上必要かつ相当な範囲を超えたもの
  3. 労働者の就業環境が害されるもの

具体的には、人格否定などの「精神的攻撃」や達成困難な目標を一方的に課す「過大な要求」、あるいは職場での孤立を促す「人間関係からの切り離し」などですね。

ただ、「業務上必要かつ相当の範囲を超えたもの」という前提は状況に応じて変化するので、基本的に何がパワハラに当たるのか、は個別判断が必要になります。

津野香奈美さん記事中写真

なかには「これはハラスメントなの?」と迷って、部下や同僚とのコミュニケーションを避けてしまう人もいそうですよね……。

津野 そうですね。私のパワハラ研修を受けてくれた方からも「部下と関わらないようにすれば安心ですね」と言われたことがあるのですが、実際は逆で関わりを避けるとむしろ問題が発生しやすいんです。

例えば「誰がこの業務の担当なんだろう」といった役割への葛藤や、部下や同僚から「自分は嫌われているのでは?」という疑いが生まれてしまう。パワハラは部下や同僚との関わりを避ければ解決する問題ではないんです

難しい……! なので今回は、会社でよくあるシチュエーションを例に挙げて、どのように部下や同僚とコミュニケーションを取ればいいのかを教えてもらえればと思います。

新入社員には価値観を聞く質問を心がける

(1)新しく入社した社員との関係性を深めたいものの、雑談で何を聞いていいのか分からないとき。どこまでプライベートのことを聞いていいのだろうか……


津野 雑談でどこまで話したいのかは人によるので、基本的には本人が自分から話さない限りはプライベートに踏み込まないようにした方がいいと思います。

じゃあ代わりに何を話せばいいかというと、今後どんなキャリアを築きたいか、これまでの仕事の中でどんなときにやりがいを感じたか、どんなところで手助けがほしいと感じたか、といった仕事に関すること。

あとはその人がどんな価値観を持っていて、何が好きで嫌いなのかを掘り下げる質問はしてOKです。例えば「普段何をしているときが楽しい?」というふうに聞けば、相手も答えやすいと思いますし、負担に感じる人は少ないのではないでしょうか。

確かに「休みの日は何してる?」だと答えたくない人もいるかもしれませんが、「何をしているときが楽しい?」であれば、プライベートでも仕事でも、話す方が好きな話題を選んで返せそうです。

津野 そうですね。家族構成や交際相手の有無など、相手の状況に関する話は不必要に聞き出さない方がいいです。「休日は何してる?」だと状況に関する情報を話さざるをえない人もいますので、「何をしているか」よりも「何をしていたいか」というその人自身の関心や価値観にフォーカスするのがよいと思います。

津野香奈美さん記事中写真

(2)新しく入社した社員にチームになじんでもらうため、部署やチームでの飲み会やランチ会を検討しているとき。飲み会に抵抗感を持つ人も増えていると聞くし、開催自体が負担になるかも……


津野 任意参加は前提として、実際の飲み会やランチ会を企画する前に「もしこういう会をやるとしたら来たい?」と本人に軽く聞いておくのがいいと思いますね。開催前であれば、多少本音が言いやすいと思います。

もし直接聞くのに抵抗がある場合は、そのメンバーと親しい人や職務が近い人に手助けしてもらって間接的に意向を聞くのもいいと思います。

ちなみに「任意参加」の場合、いつも特定の人が出席しない、ということも多いように思います。そうしたチームメイトへのフォローはどのように考えればよいでしょうか。

津野 その場合、飲み会やランチ会という形式での開催自体を考え直して、全員が参加できるような機会を優先するのがいいかもしれませんね。というのも、飲み会やランチの場ってそれだけで結束が深まるところがあるので、逆に不参加者の疎外感を生んでしまうリスクがある

なるべく金銭的・時間的な負担を生まないよう、業務時間中に飲み物とスナックだけをオフィスで振る舞う「お疲れさま会」のような形にするのがいいかもしれません。

プライベートと仕事の時間を切り分け、職場の人との付き合いは極力減らしたいと感じる人の割合は年々増えていますから、参加してくれるだけありがたい、という姿勢でいるのが大切だと思います。

部下を注意するときは事前準備が大切

(3)部下が仕事でミスを繰り返し、業務に支障が出始めているとき。どのように声かけ・指導すればいいだろう……


津野 まずは、ミスが起きている理由の解明が必要です。「最近こういうミスが増えているけれど、業務の中で分からない部分はある?」「体調や気分が落ち込んでいたりする?」など「理由」を知るための声かけが第一ですね。

その作業が苦手で何度教えてもミスが続くということであれば、他の人に任せたり、ミスを事前に防ぐのがうまい人を補助的な立場に置いたりするなど、体制を変えた方がいいと個人的には思います。

パワハラをしてしまいがちな上司の中には、このポジションであれば絶対にこの業務に向き合うべきだという考えに囚われ、同僚や部下、そして自分自身も追い詰めてしまう人がいます

多くの人が難なくこなせることであってもどうしてもできない、という業務は誰にでもひとつくらいはあるはずですし、ある程度こだわりを捨てることも必要なのではないかと思います。

津野香奈美さん記事中写真

(4)チーム内で特定の人物の勤務態度などに対する不平不満がたまり、上司として環境改善のために注意したいとき


津野 同僚・部下に注意をするのは難しく感じるかもしれませんが、ポイントさえおさえれば誰にでもできるので、以下の3+3を参考に、事前に伝えることをメモした上で対面してみてください。

  1. 周りに人がいない状態で行う
  2. 褒められる点・できている点を先に伝える
  3. 人格否定をせずに何をどうしてほしいのか伝える

その上で、実際に注意するときにおさえるべきポイントは……

  1. 行動の指摘
  2. なぜそれが問題なのかの説明
  3. どうしてほしいのかの具体的な説明

まずは、注意をされると人は多かれ少なかれ傷つくので、なるべく周囲にほかの人がいない状態で行うこと。ただ、もしコミュニケーションに齟齬が生まれやすい人と話す場合は、あえて2対1でオブザーバー(立会者)を入れ、自分が何をどう注意したのかを記録してもらうのもいいかもしれません。

そして何より重要なのは、その人の褒められる点、できている点を先に伝えた上で、人格否定をせずに何をどうしてほしいのか伝えることです。

具体的には?

津野 例えば、オフィスでしばしば不機嫌を撒き散らし、周囲にきつい当たり方をしているチームメイトがいるとします。

その場合、舌打ちやあからさまなため息など、本人が実際にしている問題のある行為を伝え、その行為が周囲にどんな影響を与えているかも伝えた上で、改善できそうなところを具体的に指摘する。

可能なら、当人が改善の努力をしていることをチームメンバーに周知するところまでできるといいですね。そこまでやって初めて注意指導は有効になります。

なるほど、反射的に注意するのではなく、きちんと事前に準備することが大切なんですね。

津野 こうした注意指導の方法をロールプレイングで試してもらうと、大抵の方が1分以内に注意すべき点を全て言えます。つまり、最初に軽く雑談するとしても、部下を注意するときはトータルで5分もあれば十分なんです

重要なのは相手に「注意された」というネガティブな感覚を残しすぎず、「改善しよう」と前向きな気持ちで帰ってもらうことです。

過大な目標設定はパワハラを引き起こす

ここからは、「パワハラ」はなぜ起きてしまうのか、といった点を伺えればと思います。そもそも、パワハラが特に起きやすい職場や組織に共通する特徴はあるのでしょうか?

津野 典型的なのはやはり、過重労働状態の職場ですね。特に、管理者に強いプレッシャーがかかっていて、部署内で目標を達成しなければ自分自身の評価が大きく下がってしまうような状況だと、パワハラをしてでも目標を達成させようとする人が増えます。

実際、過労死などの事案ではその職場でパワハラが併発していることがしばしばあります。また、過度に競争を求める職場でもパワハラは起きやすいとされています。

確かに何が何でも目標を達成しなければ、という雰囲気があるとパワハラが発生しやすいのは想像できますね。

津野 それから、上司と部下の距離がとても近く、なあなあの関係になってしまっている職場でもパワハラは起きやすいんです。

そういった上司は部下に嫌われたくないという思いが強く、部下の不適切な行動に対してきちんと介入することができないケースがあります。その結果、職場で起きているからかいや度の越えたいじりを止めることができず、それがいじめなどに発展してしまう場合もあるんです。

津野先生は著書の中で「パワハラを引き起こしやすい上司のリーダーシップ形態」をいくつかのパターンに分類されていましたね。

津野 「専制型上司」や「放任型上司」などですね。「専制型上司」はもっとも典型的なパワハラ上司像で、いわゆる専制君主タイプです。自分のやり方以外を一切認めず、マイクロマネジメントをし、部下が主体的に動くことを歓迎しない。

このタイプの上司がいる職場に過重労働状態が加わると、パワハラが発生する可能性が高まります。専制型の上司は短期的には職場の生産性を上げることもあるのですが、長期的に見ると必ず部下が疲弊し生産性が下がってしまう、非常に不健康なリーダーシップだと言われています。

実際に、こうした特徴を持つ上司がいる職場は、メンタルに不調を抱える人と離職者が多いことも分かっています。

『パワハラ上司を科学する』(筑摩書房 )

10年以上の研究をもとにパワハラのメカニズムや対策を解説している

なるほど、たしかに典型的なパワハラ上司ですね……。

津野 もう一つの放任型上司は、最初にお話ししたような部下と積極的に関わると「ハラスメントだ」と訴えられかねないと思い、最低限の関わりしか持たないようにしているタイプ。決断や判断を求められるのを嫌い、部下を褒めたりねぎらったりすることもほとんどないのが特徴です。

放任型上司は部下への明確な指示をせず、関わりを持つことにも消極的なため、職場が不安定化することが分かっています。その結果、他者に対して攻撃的な態度を取る人を増やしてしまうのです。

日頃からフィードバックを歓迎する姿勢が対策にもつながる

改めて、自分の言動がハラスメントに当たらないかどうかを省みるためには、日常的にどのようなことを意識しておくべきでしょうか。

津野 やはり、日頃から部下やチームメンバーの意見を聞く回数を増やすことだと思います。長く時間をとって話を聞くよりも、頻度を高める方が重要です。

「この問題についてどう思う?」「あなたの意見を聞かせてくれない?」という聞き方を心がけ、日頃からフィードバックを歓迎するようなコミュニケーションをとっていれば、仮にパワハラに当たりかねない言動をしてしまったときにも率直な意見を言ってもらえる確率は上がります。

パワハラで訴えられた行為者の方の話を聞いていると、「自分はちょっと厳しいかもしれないとは思っていたけれど、部下がそこまで傷ついていたなんて気づかなかった」と、みなさん口を揃えて言います。

そういう方は大抵、知らず知らずのうちに部下を追い詰め、一切のフィードバックを受けつけないような空気を職場内に作ってしまっています

津野香奈美さん記事中写真

ではむしろ、部下から「〇〇さん、それは気をつけた方がいいですよ」と言動や行動について積極的に注意してもらえるような関係の方が望ましいのでしょうか?

津野 そうですね。部下から自分の問題点を率直に指摘してもらえるのは喜ばしいことですから、「勇気を出して伝えてくれてありがとう」と受け止めた方がいい。

ただ、もしも部下の言い方が強すぎたり人格否定をするようなものであれば、「私も気をつけるけれど、その言い方はちょっと傷つきます」と伝えてOKです。上司と部下の違いはあくまでマネジメントをしているかどうか。関係性としては両者フラットなんだという意識を、お互いに持っておくことが大切だと思います。

取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部
撮影協力:3+3CAFE

部下や同僚とのコミュニケーションに悩んだら

凝り固まったチームの関係性を良くするには? チームワーク研究者に聞く、「心理的安全性」のつくり方
「心理的安全性」のつくり方を専門家が解説
悩める部下からの相談にどう応えるか。マンガ編集者・金城小百合さんに聞く「悩みを抱えた人に寄り添う方法」
悩んでいる部下からの相談、どう応える?
ネガティブケイパビリティとは。即レスしないコミュニケーション方法をあえて選ぶこと|谷川嘉浩
あえて「即レス」せず、一呼吸おく

お話を伺った方:津野香奈美(つの・かなみ)さん

津野香奈美さんのプロフィール写真

神奈川県立保健福祉大学大学院 ヘルスイノベーション研究科准教授。研究テーマは労働時間、いじめ・ハラスメント、シビリティ、ジェンダー、メンタルヘルス、健康格差。著書に『パワハラ上司を科学する』(ちくま新書)がある。

X:@KanamiTsuno

どうしても朝起きられず、仕事に行けない。そんな私が気付いた「働き方と体調」の関係

とりいめぐみさん記事トップ写真

会社にいかなければいけないのに、どうしても朝起きられない。1日8時間オフィスで働いていると、身体がクタクタになってしまう。

働く人にとって、いくら努力をしても思うように自らの体調を管理できなかったり、突発的な不調を経験したりすることは少なくありません。

デザイン会社の代表を務めるとりいめぐみさんも、会社員時代にそんな悩みを抱き、自分を責めた経験があるそう。徐々に働き方を変化させる中で気付いたのは「世界には無数の“健康”がある」ということでした。

周りと同じように働けず、自分を責めた会社員時代

とりいさんは、2016年に新卒入社した会社でデザイナーとして勤務されていたそうですね。当時のブログを読むと「体力のなさ」や「身体の弱さ」についての言及が目立っていて、働きながらの体調管理に悩んでいた様子がうかがえます。

とりいめぐみさん(以下、とりい) 一番悩んでいたのは、どうやっても朝、起きることができなかったことです。学生時代から夜型で授業に遅刻することもありましたけど、成績は悪くなかったので、そこまで問題になったことがなかったんです。

でも社会に出た途端、それでは通用しなくなってしまった。毎日、日付が変わる前には布団に入っていましたし、朝起きるためにできる努力はしていたつもりだったのですが、出社時間の9時には間に合わないことが多くて……。

勤務時間について、会社に相談はされたのでしょうか?

とりい はい。会社は柔軟に対応してくれて、最初は出社時間を10時に変更してもらったんですが、それでも起きれず11時になり12時になり……。

当然、出勤が遅くなるとそのぶん退勤も遅くなるので、夜遅くに家に帰ってきて「また明日も起きられないんだろうか」と不安に思いながら布団に入り、不安だからあまり寝付けず、ずっと体調も優れない、という悪循環でした。

そもそも、私は「決められた時間に決められた場所に居続けること」も苦手だったので、家に帰ってきたら毎日クタクタだったんですよね。改めて自分にとって無理のない働き方を会社と相談した結果、仕事の時間を減らしてもらえたのですが、今度は手取りが10万円以下になってしまって……。

それはさすがに、生活が厳しくなりそうですね……。

とりい 水道水をがぶがぶ飲んで空腹を紛らわすぐらい、貧乏な生活を送ってました。当時通っていたスーパーには、ヨーグルトの上にたまる半透明の液体だけを寒天で固めたような味の「にせもののヨーグルト」が激安で売られていて(笑)。

あの頃はそればっかり食べてましたけど、そういう生活を続けると心身ともに限界がくる。本当につらかったです。

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当時、同僚と同じような働き方ができないことに負い目を感じることはありましたか?

とりい めちゃくちゃ感じていました。「会社にこれだけ譲歩してもらって起きられないなんて」「みんなできているのに、なんで自分はできないんだろう」と。

でも次第に、今の自分は魚が陸に上がってしまったみたいな状態なんだろうなと思って、諦めるようになりました。陸上で暮らすこと自体が、どうやら自分には無理なんだから、自分にあった環境を探す必要があると。

なるほど。それで会社を辞めたのでしょうか。

とりい はい、2年半働いて退職しました。そのあとはまずお金を貯めようと思い、プログラミングを勉強して、比較的時間の自由が利くWebメディアの運営企業やソフトウェアの開発会社でしばらくアルバイトをしていました。

健康の形は一つではなく、複数あることを証明したい

その後、自らデザイン会社を設立されています。勤務時間の自由が利くという点ではフリーランスという選択肢もあったと思いますが、起業したのはどうしてですか?

とりい 直接的なきっかけは、 取引のあった会社の社長に「あなたは起業した方がいい」と何度も言われたことです。ただ、もともとこの世には自分以外にも朝起きられないというだけで苦しい生活をしている人がいるかもしれないから、同じような状況で苦しんでいる人たちにとって「大丈夫な場所」をつくりたいという気持ちもあって。

実際に今の会社は、締め切りまでに業務が終わりさえすれば勤務時間は完全自由という形にしました。ただ労働基準法では深夜労働になる場合割増賃金を付けないといけないので、「深夜に働くのが好き」な人には手当が付くのに、「昼に働くのが好き」な人には付かないとなると、不公平になってしまう。

そのためどの時間帯に働いてもデフォルトで手当を付けるなど、特性や体質による格差が生じないよう工夫しています。

当時のことをつづったブログには「世界にはたった一つの健康だけでなく、幾千の健康がある」ことを証明したい、とありますね。

とりい 「幾千の健康」というのは、ニーチェの言葉なんです。ニーチェって、「超人」という概念を提唱した人だからか力強い人をイメージされることが多いんですが、実際にはひどい頭痛持ちだったりと、かなり体が弱い人だったらしくて。

そんなニーチェが「幾千の健康がある」と言ったのは、たぶんある種のやせ我慢だったと思うんですよね。自分がいわゆる“健康”状態なら、そんなことわざわざ言わなくていいはずですから。

でも、私はその言葉にすごく励まされて、会社を立ち上げるにあたってどんな言葉を柱にしようかと考えたとき、最初に出てきたのが「幾千の健康」だったんです。ひとつではなく複数ある、というのがいいなと思って。

一般的には、朝早く起きて決まった時間まで働き、早い時間に眠ることが「健康的」とされがちです。でも中にはとりいさんのように、もともと夜型で、夜働いた方が体調がいいという方もいますよね。

とりい 夜眠って朝起きるのが正解とか、毎日8時間ずつ規則正しく働くのが正解とか、ついみんな考えてしまうと思うんですが、人ってバラバラなので、全員にとって同じ「いい生活」や「いい健康」があるわけじゃないなと。現に私は、朝方に眠ってお昼頃に起きる生活をしているんですが、その方が朝早く起きる生活よりずっと元気なんですよ。

もちろん、たくさんの社員をひとつにまとめる必要のある大企業においては、管理の難しさを考えると「幾千の健康」を目指すのは現実的じゃないかもしれない。でも、せめて自分の周りくらいはそれを実現できる環境にしたいと思ったんです。

今、うちの会社の社員の勤務時間はみんなバラバラで、私以上に夜型のメンバーもいますし、数日働き続けてまた数日休む、というタイプの人もいますけど、それぞれにとって無理のない形で働ける環境がいいなと思っています。

環境を変えたら「仕事が嫌いなわけではない」と気付いた

起業を経て、とりいさんご自身の体調や身体との向き合い方にも変化はありましたか?

とりい そうですね。基本的に午前中は稼働せず、午後から仕事をするというスタイルにしてからは、無理なリズムで生活しなくても良くなったので、体調に悩むことはかなり少なくなりました。

それと、社会に出てから「仕事なんてしたくない」とずっと思っていたんですが、今の環境をつくってからは、自分は仕事が嫌いだったわけではなかったんだなと気付けたのも大きかったです。単純に決められた時間や場所に合わせるのが難しかった。

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ときにはクライアントの要望で午前中に会議が入ることもありますよね?

とりい いえ、お仕事のご相談をいただいた時点で、私自身の特性は必ずお伝えするようにしています。午前中はどうしても稼働することが難しいです、それが駄目なら他の方にお願いしてください、と。

私にとっては、そこだけがどうしても譲れないラインなんです。今のところそのことが理由でトラブルになったことはありませんし、自分にとっての健康を維持する上で譲れないポイントはどこか考えておくことは、働く環境をつくっていく上でも重要じゃないかと思います。

確かに自分にとって健康的な環境を維持するために、できる範囲で周りの人の協力を得ることも大切ですよね。ほかに意識されていることはありますか?

とりい 私は働く際にきっちり時間割を作るタイプなんですが、週5日のうち、予定を入れるのは木曜日までと決めています。金曜日は「後始末の日」と考えて、仮に予定していたタスクが木曜日までに終わらなくても、1週間でつじつまが合いさえすればOKだと。

というのも、予定をぎゅうぎゅうに入れてしまうと、それが狂ったときに自分のことを嫌いになっちゃう気がするんですよね。私にとっては「毎朝早く起きる」というのもそうなんですが、できないことを無理にやろうとするとうまくいかなくて、自分をつい責めてしまうし、自分を責め続けると体調も悪化していく。

だから、できないことはできないんだとどこかで諦めて、自分を責め過ぎないようなシステムを作ることを考えた方が健康的なんじゃないかと思います。

無理しないよう働き方を仕組み化する、というのは大切ですよね。

とりい はい。ただ、もちろん思い通りにいくことばかりではありません。1週間でつじつまが合わず、アクセル全開で仕事をしないと間に合わない、というときもあります。そういうときに備えて、多少の無理ができるような状態でいたいと思うんです。

だから、普段から「これ以上がんばったら来週は無理できないな」と感じたときは絶対に休むようにしています。目一杯まで働くのではなく、体力的にも少し余裕を持っておくというか。

イメージとしては、弾み続けているボールをできるだけ落とさない、みたいな感じが近いかもしれません。弾み過ぎると勢いがついてどこかで落ちてしまうし、一度落ちるとまた弾ませるためには労力がかかる。ほどほどの力で弾ませ続けていれば、次に何をするにしても嫌にならないくらいの心持ちではいられるんじゃないかなと思います。

どういうときに体調が安定するか、働き方を変えて実験する

「りっすん」読者の中には、自分の体調や特性によって社会生活にハードルを感じたときに「対応できない自分」を責めてしまう人もいるのではないかと思います。自分にとっての「健康」を模索していくためには、どんな考え方でいるのがいいでしょう。

とりい たぶん、みんなめちゃくちゃ苦労してると思うんです。いまの社会って基本的に、朝起きて仕事ができて、妊娠や出産もしていない人が前提の生活リズムになっている。

その中にそうじゃない人がいたら、「私が間違ってるのかな」と考えてしまうのは自然なことだと思います。ただ、それは視野が狭くなっているだけかもしれないですよね。そういう意味で、抽象的ですが自分にはよく分からないものに触れることが大切ではないかと。

自分にはよく分からないもの、というのは?

とりい 例えば私の場合だと、最近毎日暑いなと思って、世界でいちばん暑い場所で暮らしてる人たちってどうしてるんだろう、とふと気になったんです。

調べてみたら、アメリカに8月の平均気温が49℃近くまで上がるデスバレーという場所があって。そこでは、外で倒れないように常に誰かと一緒に行動したり、電池が切れたときのために携帯電話を2台持ちしたり、自分の“ふつう”とは全然違うんです。

そんなふうに全く異なる世界のことを知ると、自分の生きている社会よりも世界は広いと思えるんです。気休めにしかならないかもですが、気休めでもいいんですよ、自分を許せるなら。

とりいめぐみさん記事中写真

確かに自分を責めてしまうときって、目の前の社会のことにしか意識がいってない気がします。

とりい より具体的には、どういうときに自分の体調が安定するのか働き方の実験をしてみることも大切だと思います。最近だと、コロナ禍で意図せず働き方の変化を経験した人も多かったと思うのですが、それによってリモート環境に合う人もいれば、反対に合わなかった人もいたと思うんです。

そうした変化を自主的に起こしていくこともできるかなと。いわゆる「朝活」を試してみて生活がよくなるのであれば、その人はたぶん朝型が合う人でしょうし、反対に全然向いてないな、と気づく人もいるでしょうし。

勤務時間を変えることは難しくても、1日8時間のうちの頑張り配分をちょっと変えてみる、みたいな工夫は誰にでもできると思うので、そうした実験をもとに自分なりの働き方と体調の関係を考えてみるのもいいかもしれませんね。

取材・文:生湯葉シホ
撮影:関口佳代
編集:はてな編集部

「ふつうに働く」って、とても難しい

「やりたい」じゃなく「できる」ことを見極める。“超元気”ではない私が働き続けるためにした工夫
「やりたい」ではなく「できる」を積み重ねる
「フルタイム勤務でないと」の思いを手放したら、今の自分も受け入れられるようになった
思うように「働けない」不安感との向き合い方
「ちゃんとしていない」自分を隠さずに生きていく。歌人・岡本真帆さんに聞く、苦手をシェアする働きかた
「ちゃんとしていない」私を隠さず、苦手をシェアして働く

お話を伺った方:とりいめぐみさん

とりいめぐみさんのプロフィール写真

株式会社Xemono代表。代表作はゲーム「NEEDY GIRL OVERDOSE」、ボットサービス「知性bot」など。新卒で入社した会社ではパズルアプリのデザイナーとして、複雑そうに見えるパズルを子どもたちにわかりやすく、また親しみやすい感じにする仕事をしていた。

X:@kinakobooster

土門蘭さんが「オンラインカウンセリング」で感じた変化。不安な気持ちと向き合い、ケアできるように

土門蘭さん記事トップ写真

手軽に受けられるオンラインカウンセリングで「当たり前にカウンセリングがある生活」を送るようになってから、自分との向き合い方が変わったという作家の土門蘭さんにインタビューしました。

悩みや不安を抱いていても「人に言うほどつらいわけじゃないし」「言葉にしづらいし」と、一人で抱え込んでしまう人は少なくないと思います。

土門さんは子どもの頃からぼんやりと「死にたい」という気持ちを抱きつづけ、悩まされてきたそう。しかし定期的にカウンセリングを受けるようになってから状況が好転し、3年ほどたった今では自分で自分の気持ちと向き合い、ケアできるようになってきたと話します。

カウンセリングは「抽象的な悩み」を話してもいい場所

土門さんは2020年の春ごろから、継続的にオンラインカウンセリングを受けているそうですね。きっかけは何だったのでしょう。

土門蘭さん(以下、土門) もともと私は子どもの頃から、漠然と「死にたい」と感じることが多かったんです。特別、日常生活に支障があるわけではないんですが、常にぼんやりとその気持ちを抱えていて、日によって強くなったり弱くなったりする。しかも、その波を予測することができないので、ひどいときにはただ時間が過ぎるのを待つしかありませんでした。

さらに、カウンセリングを受けた当時はフリーランスになったばかりだったのですが、そこにコロナ禍が重なって仕事がほとんどなくなってしまったこともあって、ちょっと参っていたんですよね。

そんなとき、知人のSNS投稿を通じて、あるオンラインカウンセリングサービスが無料体験キャンペーンを実施していると知って。一度使ってみようかなと思い、気軽な気持ちでサイトに登録したのがきっかけです。

それはつらいですね……。医療機関での受診は選択肢にはなかったのでしょうか。

土門 心療内科に足を運んだこともあったのですが、問診で事情を話すと「それはうつ病ですね。脳が疲れているんです」と言われ、脳を休ませる薬を処方されました。もちろん、原則的には処方された通り服薬すべきですし、過去にうつを経験したときには服薬で症状が改善したこともありました。

ただ「死にたい」という感情を消したいと同時に「なぜ、私はずっと死にたいと思っているのか?」という理由も知りたかった私は、その薬をどうしても飲めなかったんです。何より「書く」ことができなくなるのでは、という不安もありました。別の医師の友人に相談したら「納得していない薬は無理に飲まなくてもいいと思うよ」と言われ、家族にも相談して服薬は見送りました。そこで出会ったのが、オンラインカウンセリングでした。

心身に不調を感じたりモヤモヤを抱えていたりしても、「カウンセリングを受けるほどではないし……」と線を引いてしまう人は少なくないように思います。土門さんは、自分自身のことを誰かに話すという行為に抵抗を感じませんでしたか?

土門 抵抗が一切なかったわけではないですね。メンタルの不調って、もともとの自分の性格によるものなのか、一時的な体調不良によるものなのかがあいまいなところがあると思うんです。だから、本当に専門家にかかるほどなんだろうか、という多少の疑いはありました。

ただ、それまでに心理学関連の本を読んでみたり生活習慣を変えたりといろんな方法を試して、それでも調子がよくならなかったので、カウンセリングで何かが変化するのではないかという期待の方が大きかったですね。

土門蘭さん記事中写真

なるほど。実際に受けるとなると、カウンセラーとの相性を気にする方も多そうですが、土門さんはどんなポイントを意識してカウンセラーさんを選びましたか?

土門 私は性格的に「期待されていることを言わなきゃいけない」と身構えて一方的にサービス精神を発揮してしまうところがあったので、答えるのに時間がかかったとしても待っていてくれるようなやさしい雰囲気の方がいいなと。それから、同年代で同性の方の方が感覚が近い部分もあるかなとも思っていました。

私が利用しているサービスは、サイトに登録するとまず自分が相談したいことを項目別に選ぶことができて、思い当たる悩みにチェックを入れるとカウンセラーさんの候補やプロフィールが見られるという形だったんですね。

結果的に私がカウンセリングをお願いすることになったのは本田さん(仮名)という方なのですが、プロフィールに「漠然と慢性的な虚無感を抱えていらっしゃる方も、まずはお話をお聞かせください」というメッセージが書かれていて、抽象的な悩みを相談してもいいんだな、と思えたのが大きかったです。

友人でも知人でもない「他人」だからこそ何でも話せる

実際にカウンセリングを受けてみて、どう感じましたか。

土門 最初はイニシャルしか名乗らず、画面もオフで音声だけでカウンセリングを受けたので、相手からすればめちゃくちゃ警戒している感が出ていたと思います(笑)。匿名であれば、本当のことを全部言えるかもしれないと考えたんですよね。

それでも本田さんは困った様子を見せず、穏やかに話を聞いてくださって、45分間のカウンセリングの最後に「もしよければこれからもあなたのパートナーとしてお話を聞いていきたい。なぜ死にたいと思うのか、一緒に考えていきたいと思っています」と言ってくれたんです。それがとてもうれしくて。

友人や知人に相談するのとは、また違った感覚でしょうか。

土門 そうですね。これまで私は「死にたい」なんてことを相談したら、一緒にいる相手を傷つけてしまうんじゃないかと本当のことを言えなかったんです。親しい、ある意味でウェットな関係だからこそ、自分の話したことで相手に影響を与えてしまうのが怖かった。

でも、本田さんの「パートナー」という言葉からは、カウンセラーを一つの「道具」として使ってもいいよ、と許可してもらえたような空気を感じました。私と相手との間には境界線があるから、私が何を話してもこの人は怒らないし傷ついたりもしないだろうなと。

そういう乾いた関係性だからこそ、安心して自分本位になれるというか、何でも言いたいことを言える空間に居心地の良さを感じて、1週間に1度カウンセリングを受けるようになったんです。

『死ぬまで生きる日記』(生きのびるブックス )

2年間にわたるカウンセリングでの対話を記録した1冊

むしろ壁があるからこそ、本音を言えると。その後、本田さんとの関係は2年以上続く長いものになったそうですが、カウンセリングはどのような形で進んでいきましたか。

土門 基本的には日々の悩みや違和感を話し、その上で本田さんから投げかけられた質問に対して、私が答えを探していくという形で進みました。

例えば、印象的だったのは「『死にたい』という言葉を他の言葉に置き換えるとしたら?」という問いかけ。どうしても「死にたい」気持ちって一緒くたにされてしまうところがあると思うんです。ただ、実際にはおそらく一人ひとりに異なる「死にたい」気持ちがあるはずなので、私だけの「死にたい」気持ちを整理していこうと。

気持ちと向き合い、言語化して整理していくのはしんどくもありそうです。

土門 もちろん、問いに対して言葉がすぐに見つからないこともありました。ただ、本田さんは私が悩むのをじっくりと待ってくれて、言語化できなかったらいくらでも考えていい、という姿勢でいてくれたのが大きかったですね。

それに、そうして自分の内側に潜って見つけてきた言葉や感情が、たとえ砂だらけであろうがガラスの破片であろうが見せてもらって大丈夫ですよ、という寛容な態度を一貫してとり続けてくれたので、自分のペースで問いに向き合うことができました。

嫉妬や不安な感情も否定しなくていいと思えるようになった

途中、カウンセラーさんの交代もありつつ、変わらず現在もカウンセリングを続けているとのこと。カウンセリングをごく当たり前に生活に取り入れたことで感じている変化はありますか?

土門 今は2週間に1度の頻度でカウンセリングを受けているのですが、定期的にカウンセリングの時間があるという事実がいまや自分の大きな支えになっています。たとえ死にたさや不安を感じても、「今度カウンセラーさんに話してみよう」と思うことで気持ちがかなり落ち着くようになりました。

それと、自分の抱えている違和感や不安を相手に受け入れてもらえる、という作業を繰り返すことは、私にとって「その感情は否定しなくていいですよ」と言ってもらってるような感覚で。どんな自分の感情も受けいれていいんだと思えるようになり、自分との関係も他者との関係も徐々によくなってきたのを感じています。

「自分との関係がよくなってきた」というのはどういうことでしょう?

土門 以前だったら「みっともないから嫉妬なんかしちゃだめだ」「そんなことで悩むなんてダサい」と思っていたようなことでも、自分に対して「そうだよね、そういうふうに思うよね」と受け入れられるようになったというか。

自分の感情を受け入れてもらうことを繰り返す中で、カウンセラーさんがやってくれていたことを自分でもできるようになってきたのかなと思います。

自分の気持ちを、自分自身でケアできるようになったんですね。

土門 あとは、これまではひとりでいると仕事や家事のような「やるべきこと」をしていないと落ち着かなかったんです。たぶん、自分が自分と一緒にいることが不安だったんですよね。それは自分が自分を受け入れられていなかったからだと思います。

でも、最近はひとりの時間を楽しめるようにもなりました。この前出張で東京に行ったときには、ラフォーレ原宿にあるセーラームーンストアに行って、グッズを買ったりもして。

私、実はファンシーなものが大好きなんですが、以前の自分は「大人になった私がセーラームーンのグッズを部屋に置くのってどうなんやろ?」とかつい考えてしまっていたんですよね。「こういうのが今も私は好きなんだな、じゃあ買って帰ろ」と素直に思えるようになったのは大きな変化だと思います。

ご友人やご家族など、周囲の方から「変わったね」と言われる機会もありますか?

土門 すごく言われます。家族が一番早く変化を感じたようで、「前よりも明るくなったよね」と言ってもらえたのは私もうれしかったです。

久しぶりに会った友達からは「前まではこの人ギリギリのところで生きてるなって思ってたけど、雰囲気が柔らかくなった」とも言われました(笑)。

いままでは友達とお酒を飲んだりご飯を食べに行ったりしたあと、疲れて寝込んでしまったりお腹を壊したりすることが多くて。積極的にしゃべらなきゃとか、沈黙を埋めなきゃとかすごく気を張っていたんですが、カウンセリングを始めてからは、「これが自分だしな」と気が楽になりましたね。

土門蘭さん記事中写真

再び不安に襲われることがあっても、焦らなくて大丈夫

そういった変化をご自分で実感できるようになるまでは、どのくらいの時間がかかりましたか。

土門 2年半ほどでしょうか。よく心理学の本などに、自罰的な気質を持っている人は、「大切な友人に接するように自分にも接するようにしましょう」と書かれていたりしますが、頭で分かっていても実際にやるのは難しいですよね。その点、カウンセリングで人と話すことは思考だけでなく実際の行動を伴うので、そうした「対話」という行為を繰り返すことにより徐々に思考も変化していったのかなと思います。

それと、私は自分からお願いして、日々の生活で取り組むべき「宿題」をカウンセラーさんから出してもらっていたんです。例えば、他人の評価を気にせず、自分が楽しいと思える行為だけをまとめた「自己満足リスト」をつくってみたり。自分が食べたいと思ったものを用意する、自分が気持ちいいと思うことをしてみる、そんな些細なことでも実際にやってみることで、自分との関係性が変化していきました。

カウンセリングは自分の変化を教えてもらえる「定点観測」の場でもあるので、「自分がどう変化したのか」を実感しやすいように思います。

逆に、変化を焦る気持ちはありませんでしたか。

土門 ありました。カウンセリングを始めてから「死にたい」と思う日の間隔がすこしずつ伸びていったんですが、以前のようにひどい死にたさに襲われることもまだやっぱりあって。そういうとき「結局何も変われてないやん」とついつい自分を責めがちでした。

そんなとき、本田さんが「人は直線的にではなく、螺旋的に変化していくんですよ」と教えてくれたんです。ぐるぐると同じところを通っているように見えても徐々にその高さは変わっているのだから、安心していいですよ、と。その言葉に救われて、変化を焦る気持ちは徐々になくなっていったように思います。

改めていま、土門さんにとってカウンセリングはどういった時間や場になっていると感じますか?

土門 自分に集中する時間、でしょうか。他者のことを考えず、ただただ自分に目を向けることができる、ものすごく自分ファーストな時間だなという感じがします。

「書く」という行為が自分の中心にある自分ひとりの部屋でするものだとしたら、これまではその部屋と、人に会って交流するための大きなステージという、ふたつの対照的な空間しか自分の中に存在しなかったんです。

でもいまは、自分ひとりの部屋とステージとの間に楽屋のような場所があって、その楽屋では文章を書くでもなく仕事をするでもなく、のんびりと素のままでリラックスしてコーヒーを飲んだり、「今日はちょっと疲れたな」と言ったりできる……というようなイメージですね。

仕事に限らず、育児や家事、友達と会うにしても、楽屋のような場所がないとたぶんしんどいんですよね。だからカウンセリングはこれからも継続的に続けていきたいし、私の人生に必要なものなのかもしれないなと最近思うようになりました。

ただもちろん、いろいろなカウンセラーさんがいらっしゃるし、私はたまたま自分と相性のいいカウンセラーさんを見つけられたのかなとも感じるので、このカウンセリングこそが正解、とは思いませんが……。どんなカウンセリングも唯一無二だと思うので、漠然としたモヤモヤを言語化してみたいと感じている方がいたら、カウンセリングという選択をしてみるのもおもしろいかもしれませんよ、とはお伝えしたいですね。

取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

「なんだかしんどいなあ……」が続いているあなたへ

カウンセリングで何がつらいのかやっと分かった話|カマンベール☆はる坊
「つらさ」の原因が、カウンセリングで分かった話
「コーチング」って何を話せばいい? 悩みを言語化できなくてもOK? プロコーチ・中山陽平さんに聞く
最近よく聞く「コーチング」って何?
絶好調の自分を基準にしない。放置しがちなメンタルをケアする方法とは?|臨床心理士・みたらし加奈
自分の「メンタル」を放置しないで

お話を伺った方:土門蘭(どもん・らん)さん

土門蘭さんのプロフィール写真

1985年広島県生まれ。小説・短歌などの文芸作品や、インタビュー記事の執筆を行う。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』(文鳥社)、インタビュー集『経営者の孤独。』(ポプラ社)、小説『戦争と五人の女』(文鳥社)、エッセイ集『死ぬまで生きる日記』(生きのびるブックス)がある。

X:@yorusube

作家・小野美由紀さんと夫に聞く「男性も妊娠出産の当事者で当たり前」の空気を作る大切さ

小野美由紀さん夫妻に聞く。「男も妊娠の当事者なのは当たり前」という空気を作れば、きっと楽になれる

初めての妊娠や出産で「仕事と両立できるのだろうか」などの不安を抱える中、何も変わらないように見える夫にモヤモヤする……といった悩みを抱いていませんか。

自身も妊娠・出産の経験を経て同じ悩みを抱き「男性が当事者として関わりづらい現状」を実感したという作家の小野美由紀さんと夫のAさんに、“パートナーと一緒”に妊娠・出産に向き合うためのヒントを伺いました。

肉体的にも精神的にも大きな変化を要する妊娠・出産のつらさを抱え込まないために、夫婦はそれぞれどうすればいいのでしょうか。

身体が変化するのは女性だから「男性には分からないだろう」と決めつけていた

まずは、小野さんの妊娠が分かったときのことを聞かせてください。妊娠の経過や今後について、なにか不安はありましたか?

小野美由紀さん(以下、小野) 一番不安だったのは仕事のことです。フリーランスなので産休や育休はないし、これからどうやって仕事を続けていくか、家事育児をどう分担していくかがまず懸念事項でした。

だから「出産までにベビーシッター代を〇円稼ごう!」と目標を決めて、一生懸命働いたんです。……ただ、いま振り返ると私だけでどうにかしようとせず、もっと夫と相談したらよかったなぁと思います。

身体に変化があるのは女性だけだから「男性には分からないだろう」と決めつけていた部分があって。

小野美由紀さん夫妻に聞く。「男も妊娠の当事者なのは当たり前」という空気を作れば、きっと楽になれる

パートナーAさん(以下、A) 当時、彼女は「“私”の妊娠・出産だから」というようなことをよく言っていましたね。

小野 夫はもともと夫婦の出来事への当事者意識が強くて、家事育児を2人でしっかり分担できているんです。そんな人に対してでさえ、妊娠初期は「これは私の問題だから頼れない」と思ってしまったし、なかなか相談できませんでした。

A 本来は男性も妊娠・出産の当事者であるはずなのに、男性が“添え物”のような存在になってしまいがちですよね。これまで「妊娠・出産は女性のもの」という社会的状況や考え方が根付いていたから、まだまだ男女双方に思い込みがあるんだろうなと感じます。

夫婦関係が良く、パートナーにも当事者意識が充分あるのに、妊娠・出産にまつわる不安を女性が一人で抱え込んでしまう……。Aさんのおっしゃる「思い込み」のほかに、構造的な問題もありそうです。

小野 妊娠初期って、まずは産婦人科に行って妊娠を確認するところから始まり、自治体の窓口に届け出をして母子健康手帳(以下、母子手帳)をもらったり、検診や産院の予約をしたりと、母体が主体となりがちなタスクが多いじゃないですか。そういうことの積み重ねで「あぁ、これは私の問題なんだ」と思ってしまったのかもしれません。

A そういうタスクを夫が引き取ってこなす文化があればいいですよね。残念ながら現状は「女性がやるもの」という構造になっているから、男性が妊娠・出産にコミットしようと思っても、いいお手本が見つけられないんです。

どんなふうに立ち回ればいいかが分からないから、余計に男性の参加が難しくなってしまう。僕らの場合は、検診の立ち会いや両親学級などがコロナ禍で中止になったのも大きかったです。

小野 検診で配られたアンケートに「子育てを手伝ってくれる方はいますか?」という質問があったのですが、回答候補のひとつに「夫」と書かれていて……。「いや、夫は“子育てを手伝う人”じゃなくて“当事者の一人”だから!」と思いました。行政も夫を“添え物”として扱っているように感じるんですよね。

A 出産は「立ち会い出産」という分かりやすいフレームがあるから夫も参加しやすいんだけど、それまではかなり積極的に関わろうとしなければ、接点が見えづらいと思います。僕自身も接点が分からなくて「どこに参加すればいいの!?」みたいな気持ちがありました。

「男性も妊娠・出産の当事者なのは当たり前」という空気を作っていく

社会は変わっているのに意識が前時代的だったり、「妊娠」の段階で男性が参加しやすいフレームができていない中で、どんな工夫をすれば妊娠初期から夫婦ともに当事者意識を持てると思いますか?

小野 まだまだ女性主体の構造だからこそ、男性が妊娠や出産について「主体的に知ろうとすること」が大切だと思います。

例えば、母子手帳。名前に「母子」とあるので「女性のもの」という印象があるかもしれません。でも、妊娠の経過や産後の子どもの健康状態、予防接種の記録、育児にまつわる情報など、父親も知っておくべき情報がたくさんまとめられているものです。ぜひ男性もしっかり中身を見て、知ってほしいなと思います。

「女性は十月十日かけて母になっていくから、親としては先輩」「妻が夫をイクメンに育ててあげなきゃ」と言う人もいるけれど、「女性が褒めたり育てたりしないと男は父親になれない」のではなく、夫婦は同じ立ち位置から親になるんだと今は思いますね。

A 個人的には「妊娠や出産は女のものだから男が学ぶのはかっこ悪い」という風潮が一部にあると感じます。社会全体が「夫も妊娠や出産について自分から学び、動くのが当たり前」という風潮になれば、そのムードに従って動けるんじゃないでしょうか。

小野 国や企業が男性育休を推奨する流れはすばらしいですが、私は男性も産前産休を取れるようになればいいなと思っています。

臨月の妊婦は立ち上がるのも大変じゃないですか。会社を休んで付き添ったら、ちょっと動くだけでもつらそうな妻の姿が常に目に入るわけで、それだけでもいろんな気づきがあるんじゃないかなと。

出産までの道筋を夫婦で分かち合うことは、のちの育児にもいい影響を与えてくれると思います。

小野さんが2023年7月に発売したエッセイ本『わっしょい!妊婦』には、妊婦が直面する心のモヤモヤや身体の変化、それと向き合う率直な気持ちが描かれています。欄外にはAさんのコメントが収録され、夫側の視点も分かる構成になっているのが印象的でした。こういった情報に触れるのも、主体的にとらえる第一歩なのかなと思います。
『わっしょい! 妊婦』(CCCメディアハウス/小野美由紀著)

35歳、明らかに“ママタイプ”ではない私に芽生えたのは「子どもを持ちたい」という欲望だった。絶え間ない不安がつきまとうなかで、それでも子どもをつくると決めてからの一部始終を書く妊娠出産エッセイ。

A 欄外のコメントについては「新しいですね」といった感想をたくさんいただきましたが、僕にとって、妊娠・出産を間近で見てきた自分がコメントするのはごく普通のアイデアだったんです。

この本をはじめ、いろんなアプローチで「男性も妊娠・出産の当事者である」ということを発信していけば、おのずとムードが変わっていくんじゃないでしょうか。今は情報を簡単に発信・受信できる時代なので、世の中が変わるのにそんなに時間はかからないんじゃないかなと思います。

「わっしょい!妊婦」欄外コメント
「わっしょい! 妊婦」は欄外にAさんのコメントが収録され、夫側の視点も分かる構成になっている


小野 「男性も妊娠・出産の当事者になるのが当たり前」という空気ができた方が、男性側もきっと楽になれますよね。もっともっと当たり前にするために、いま先駆けている男性自身にどんどん発信してほしいです。

A 僕は、X(Twitter)で犬犬さんが投稿している父親目線の子育てマンガがすごく好きで。ああいう感じで妊娠・出産についても男性の目線で発信する人が増えたらいいなと思います。

女性の目線で書かれた情報ももちろんすごく参考になるんだけど、男性が男性の目線で書く情報は、より身近に感じられるんですよね。いろんな発信を読んで「あぁ、うちもあるなぁ」って思ったりしながら、男性も当事者になっていくんじゃないでしょうか。

妊娠・出産のモヤモヤが言語化できなければ、“外注”してもいい

『わっしょい!妊婦』には、妊娠5カ月ごろにお二人が激しく衝突したエピソードも収録されていました。妊娠中はホルモンバランスが崩れてメンタルが不安定になりますし、母体の苦悩も分かちあいづらい。たとえお互いに当事者意識がある夫婦でも、ケンカが起きやすくなりがちですが、お二人はどういう状態だったのでしょうか。

小野 妊娠や産後にまつわる不安を、自分自身わけが分からないまま夫にぶつけてしまうことが多かったんです。日常の細かなサポートをとてもよくしてくれている夫なのに、ささいな行動一つひとつにイライラしてしまう。

その苛立ちが自分の不安から来ていると自覚もしていなかったから、ちょっとしたことですぐケンカになり、夫も疲弊していました。

その状況を、どうやって打破したんですか?

A 夫婦でカウンセリングを受けたんです。私たちの間に起きていたケンカは意見の衝突というより、ただすれ違っているような性質のものだったので、ケンカしている時間がすごく無益だなと感じて……こういうコミュニケーションの問題を解決するプロは誰かなと考えたとき、カウンセラーさんに入ってもらうのがいいと思いました。

小野 カウンセラーさんに「人が一度愛していた相手を憎むのは、相手を愛せなくなりそうなとき、そして、本当は愛し続けたいと思うときなのです」と言われて……その前提を理解してからは、ケンカの鎮火が早くなりました。

このケンカは私が愛されていないから起きるんじゃなくて、お互いに思い合っているから起きるんだ、と思えるから。その意識があると気持ちの伝え方も変わって、建設的なケンカができるようになるんです。カウンセリングを受けたからといって、ケンカしなくなるわけじゃないんだけど(笑)。

小野美由紀さん夫妻に聞く。「男も妊娠の当事者なのは当たり前」という空気を作れば、きっと楽になれる

A 言い争っても「頑張ろう」と思えるようになったよね。その場で怒っちゃうことは変わらないんだけど(笑)。

小野 それに、私と同じように夫も出産・育児に対する不安を抱えていたことも分かったんです。一緒にたくさんの時間を過ごしてきて、会話も多い方だったのに、私たちはディスコミュニケーションだったんだなって反省しました。

あのときの私たちには第三者の仲介が必要だった。カウンセリングを受けていなかったらすれ違い続けて、離婚していたかもしれません。

なるほど。ただ、カウンセリングなどで自分の家庭や夫婦の話をさらけ出すことに、抵抗がある人は多そうです。

小野 夫婦や家族って、当たり前に維持できるものじゃないと思うんです。夫婦関係を維持していくことがひとつのプロジェクトだとしたら、このプロジェクトの一番大切な目的は「家族がみんなで楽しく暮らすこと」。そのためにやるべきことを考えて、外部に頼る必要があるのなら、頼るしかないと私たちは考えました。

プロジェクトの本来の目的を考えて、適切なアクションをとる。何事においても大切な意識ですね。

小野 夫婦関係の維持のためにカウンセラーに話を聞いてもらうことも、家をきれいにするために家事代行に来てもらうことも、変わらないと思うんですよね。

家事代行も一昔前は「家事を外注するなんて!」という声がありましたが、最近はだいぶ一般的になってきている印象です。何か課題を感じたら、自分だけで抱え込まない。その意識が「当たり前」になればいいなと思います。

小野美由紀さん夫妻に聞く。「男も妊娠の当事者なのは当たり前」という空気を作れば、きっと楽になれる

ここまで妊娠中のお話を聞いてきましたが、育児においても「女性主体」の空気を感じる場面はありますか?

小野 まだありますね。例えば、保育園の父母会に夫婦で行っても、一緒に来ている夫が“添え物”になってしまいがちだったり。そもそも男性は参加人数も少ないし、来ていても妻ばかり意見を求められ、夫はなかなか話を振ってもらえなかったりして……。

ただ、ひと世代下の夫婦と話していると、当たり前に育児をする男性が少しずつ増えてきている印象も受けますね。それってやっぱり、これまで育児を経験してきた人が“発信”したことで、起こった変化だと思うんです。

A 「イクメン」という言葉は批判されることもありますが、その言葉も男性を導くガイドのひとつになってきたのかなと。「妊娠・出産・育児に当たり前に関わっている男性」がいるという実態が見えれば、世の中はもっと変わっていくんだと思います。

取材・文:菅原さくら
撮影:小野奈那子
編集:はてな編集部

妊娠・出産、みんなの悩みは?

「妊娠2ヶ月」で報告するのは早すぎ? 妊娠初期とその働き方について知ってほしい
妊娠2カ月で職場に報告って早すぎ?
職場への妊娠報告はいつ? つわり対策は? 3人の先輩に聞く「妊娠初期と仕事」
キャリアへの不安やつわりなど、妊娠初期と仕事の悩み
経験者が語る「妊娠後期と仕事の両立」。体調不良で仕事がしんどいときは、無理せず会社と相談を
おなかの張り、むくみ、尿漏れ……妊娠後期と仕事の悩み

お話を伺った方:小野美由紀(おの・みゆき)さん

小野美由紀さんのプロフィール写真

作家。1985年東京生まれ。著書に『路地裏のウォンビン』(U-NEXT)、noteの全文公開が20万PVを獲得した恋愛SF小説『ピュア』(早川書房)、銭湯を舞台にした青春小説『メゾン刻の湯』(ポプラ社)、韓国でも出版された『人生に疲れたらスペイン巡礼』(光文社)、『傷口から人生。メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった』(幻冬舎文庫)、絵本『ひかりのりゅう』(絵本塾出版)など。2023年7月に新刊『わっしょい!妊婦』を発売。
X(Twitter):@MIYUKI__ONO

「リスキリング」にハードルの高さを感じる人へ。何気ない日常から「学び」は得られる

荒木博行さん記事トップ写真

「学び直し」や「リスキリング」に興味はありつつも、日々の仕事や生活などで忙しく、ハードルの高さを感じていませんか。しかし特別な講座やスクールに通わずとも「学び」は身近にあり、決して敷居の高いものではありません。

そう語るのは、20年以上「学び」や「人材育成」に携わり、著書『独学の地図』(東洋経済新報社)などを通じて「学ぶことの楽しさ」を発信している荒木博行さん。

そもそも「学び」とは何なのか、どうすれば「学び」を身近に感じ、楽しめるのかなどのコツを伺いました。

「何気ない日々の出来事」の中に、学びはある

ここ数年「学び直し」や「リスキリング」といった言葉や経験談をよく耳にします。一方で「私もなにかやった方がいいのかな……?」と焦りつつも、忙しくて時間が取れなかったり、そもそも「学ぶこと」そのものにハードルの高さを感じている人もいるのではと思います。

荒木博行さん(以下、荒木) そうですね。最近は特に、スキルの消費期限がどんどん短くなっているように感じます。新しく習得したスキルも、いつ陳腐化するか分からない。だから、次から次へと学ぶべきことが出てきて、講座を受講したり、研修を受けたり、落ち着くヒマがない。外側から学びを求められ続ける恐怖やキリのなさは、多くの人が感じているかもしれません

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今日は「学び」に対してどこか気後れしてしまっている人に対して、学びの楽しさを教えてもらえるとうれしいです。

荒木 分かりました。でも、その前にまずは「学びの定義」から考えてみましょう。僕は、学びとは「それを経験した前後の差分」であると定義しています。例えば、一冊の本を読む前と読んだ後の自分とでは、何らかの違いが出てきているはずですよね。その差分こそが学びの正体です。

つまり、経験前後の差分さえあれば、全てのことが学びであると言えます。特別な場所に出かけたり、ビジネススクールに通ったりしなくても、何気ない日々の出来事のなかから学ぶことができるわけです。

ただし、一つ注意しなければいけないのは「差分」の捉え方。実際には経験前後の差分がないものを「学び」と呼んでしまっているケースが、かなりあるのではないかと思います。僕はこれを「学びもどき」と呼んでいます。

学びもどき、とは……?

荒木 例えば、マーケティングに関する勉強会で、受講者に「何を学んだか」アンケートをとったとしましょう。おそらく「顧客視点の重要性を学びました」みたいな回答が一定数あると思います。

でも「顧客視点の重要性」なんて、マーケティングに関わる人であればおそらく受講前から知っていたはずなんですよね。これは学びではなく、表面的な感想にすぎません。こうした「それっぽい一般論」でアウトプットを終えてしまうと、本来の学びにふたをしてしまうことになり、本人としてもあまり楽しくないでしょう

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確かに「勉強会を受ける前と受けたあとの差分」が何なのか、これだと分からないですね。

荒木 そうなんです。重要なのは、こうした「それっぽい一般論」から「経験の前後の差分」を削り出し、言語化していくこと

先ほどの例だと、「顧客視点の重要性」というアバウトな言葉で終わらせず、自分が今のタイミングで、なぜ顧客視点が重要だと思ったのかを掘り下げてみる。それだけで「それっぽい一般論」が「自分だけの具体論」へと置き換わり、差分としての学びが浮かび上がってきます。

自分自身に問いかけをして、「なぜ」を掘り下げていくようなイメージでしょうか?

荒木 「過去の自分と対話する」と考えると分かりやすいかもしれません。経験する前の自分に対して「こういうことを学んだよ」と言ったら、過去の自分からどんなリアクションが返ってくるかを考えるんです。

「そんなの、俺だって知ってるよ」というリアクションが返ってきたら、まだアウトプットが大きな一般論の域を出ていないということですので、もう少しブラッシュアップが必要です。

ただ「学んだことを掘り下げて言語化する」ことをいきなり一人でやるのは難しいもの。最初は同僚や家族、友人に協力してもらうのがいいと思います。「先週行ったセミナーで、こんなことを学んだんだよね」と話してみて、それに対して素朴なツッコミを返してもらう。対話を重ねることで、徐々に差分が削り出されていくはずですから。

育児や仕事で“今”は学べなくてもOK。時間ができたら過去の経験を振り返ってみる

どうしても日々の仕事や家事、育児などが忙しく、「経験前後の差分」の削り出しの時間が取れなかったり、そもそも日常の中にある“学び”に向き合う余裕がない人はどうすればいいでしょう。

荒木 確かに、子育てで疲弊している人に対して「子育ても“学び”です」なんて言ってみたところで、きっと響かないでしょうね。

そういうときって、自分自身が“停滞”しているような気持ちになってしまうこともあると思います。そんな焦りと、どう向き合えばいいでしょうか?

荒木 今は、しっかり子育てに向き合うだけで十分だと思います。そして、少し時間ができたときに差分を削り出してみると良いのではないでしょうか

仕事上のスキルアップという点では、もしかしたら停滞しているように思えるのかもしれません。でも、人生における学びという点では、子育て以上に「経験前後の差分」を生み出す行為は他にないぐらいだと僕は思います。

これは決して慰めではなく、僕自身が2人子どもを育てる中で、非常に多くのことを学んだと感じているからです。自分の思いもつかない行動をする我が子に向き合い続けたことは、僕の全てのコミュニケーションのあり方を塗り替えるほどの経験でした。

過去の経験から学ぶことは、いつでもできますから

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すぐに学びを得ようとしなくとも、あとから学びを得ることもできると。そう考えると、心が少し軽くなるかもしれません。

荒木 そうですね。しばらく時間がたったあとに改めて振り返ってみて、どういう変化があったのか、ある種「答え合わせ」をしていくのも、学ぶことの楽しみの一つだと思います。

そうやってどこかのタイミングで学びを整理しておくと、思わぬつながりが生まれていきます。人生をミステリー小説とするなら、一つひとつの学びって物語の伏線だと思うんですよ。優れたミステリー小説が終盤に全ての伏線を回収していくように、過去に経験したことが数十年を経て、意味のあるものとしてつながっていく。それってすごく面白くないですか?

学ぶ理由は「おもしろそう」だけでいい

何かを学ぼうと思うとき、多くの人は「なぜこれを学ぶのか」や「学ぶことで得られるゴール」を意識するかと思います。しかし荒木さんは著書等で、これらを最初に意識しない方がいいと書いていますよね。

荒木 はい。“Why”を考えてしまうといますぐ役立つであろう、狭い範囲のことしか学ぼうとしなくなってしまいます。また、何か強烈に心を動かされるものに出会った際にも、理由が見つけられないからと学ぶのをやめてしまうかもしれないからです。

僕は学びは「結果的に得られるもの」であり、学ぶことに「おもしろそうだから」以外の理由は必要ないと考えています。

そもそも、目的と結果は常にズレると思うんです。先ほどのマーケティングの勉強会を例に挙げるとしたら、「マーケティングについて学ぶ」ために参加したとしても、講師の話し方が気になって「もっとこうすればいいのに」と、当初の目的とは関係のないプレゼンテーションのやり方について学びが得られるかもしれないじゃないですか。

何か興味を持つものに出会っても、つい「仕事で役に立つかな」と考えてしまいがちですが、それが「学び」に制限を掛けてしまうかもしれない、ということですね。

荒木 もちろん、そうした学び方を否定しているわけではありません。僕だって「次のセミナーに向けて、あの本を読んでおこう」といった具合に、目的ありきで学ぶこともたくさんあります。ただ、「スキルの消費期限が短い」現在において、そうした短期的かつ実務的な学びばかりを繰り返していくと、いずれ知識やキャリア、さらには人生そのものが先細りしてしまいかねません。何より、そういう学びってあまり楽しくありませんよね。

例えば書店に行って5冊の本を買うとします。そのうち3冊は今すぐ仕事に役立ちそうな内容の本を選ぶとしても、残り2冊は「よく分からないけど、やたらと惹かれる」みたいな本を手に取ってみる。そんなふうに、学びのバランスを意識的に分散させていくといいかもしれません。

自分の好奇心の赴くままに本を選んでみると。ただ、そうした本って、結局“積読”してしまいそうで……。

荒木 積読でもいいんです。とりあえず本棚に刺しておけば「学びを一時保管」することができますから。

僕も、何か疑問が浮かんだらそれに関連する書籍を買い、本棚に差して「学びのタネである疑問そのもの」を忘れないようにしています。本棚から見える書籍の背表紙が「疑問の物理的リマインダー」になるんですね。そして、心と時間に多少の余裕ができたタイミングでその本を手に取り、疑問に向き合うようにしています。

『独学の地図』(東洋経済新報社)

自分だけの学びの地図をつくるための方法を平易かつ具体的に記した1冊

ちなみに、荒木さんはそうした「目的のない学び」が、自分自身を助けてくれたような経験はありますか?

荒木 それはもう、無数にあります。例えば、去年の冬に札幌で「ホースコーチング」というアクティビティに興味本位で参加しました。人間の心情を理解するといわれる馬と向き合うことで、自分の内面を知るというプログラムなんですが、そもそも馬が全然寄ってきてくれなくて……。

インストラクターの方に「荒木さん、気がダダ漏れだから」と言われて、もしかしたら職場などでも「近寄りがたい雰囲気」を出してしまっているのかも……? と自分を見つめ直すきっかけになりました。「おもしろそうだから」で飛び込んでみた結果、思いもよらぬ気付きが得られたり、新しい世界が広がることはよくありますね。

日々の仕事の中にも「問い」は眠っている

「おもしろそう」を学びの起点にすることで、自分の可能性を広げることができるんですね。

荒木 そうです。もし、積極的に学んでみたいと思えるおもしろそうなことが見つからなかったとしても、生きていれば誰しも何かしらの素朴な疑問は浮かんでくると思います。そうした疑問を放置せず、丁寧にすくいあげていくことが大事ですね。「自ら立てた問い」に答えを出していく習慣をつけると、いつしか学びのスイッチが入り、日常全てが学びの場になっていきます

著書のなかでも『他者が立てた問い』に答えを出す学びではなく、『自ら問いを立てる』ことが大事だと書かれていました。

荒木 例えば資格の勉強などは『他者が立てた問い』の典型です。こうした、他者に問いの設定条件を奪われた学びは、端的に言っておもしろくありません。それを解くゲーム的なおもしろさはあるかもしれませんが、どちらかというとモチベーションが長続きしにくい学習ではないでしょうか。

一方「自分の内なる疑問に答えるための学び」は発見にあふれていて、とてもワクワクします。ですから、もしあなたが今何かを学んでいて、あまり楽しくないと感じているなら、その出発地点を疑ってみるといいでしょう。出発地点にある「問い」が自分の内側から出たものではなく、他者が定義したものだったとしたら、無理して続けてもつらいだけかもしれません。

荒木博行さん記事インタビュー写真

確かに。会社主導の「リスキリング」などは、まさに「他者が立てた問い」ですよね。一方で、そもそも学びにつながる「問い」が浮かばないという人も多いかもなと思ったのですが。

荒木 それは浮かばないのではなく、見過ごしているだけではないかなと思います。まずは仕事終わりの5分間「不思議だな」と思うことをいくつか紙に書き出してみてはどうでしょうか。その日は何も浮かばなかったとしても、続けていくうちにいくらでも出てくるようになると思いますよ。

例えば、営業の仕事をしている人であれば「今日訪問した会社って、なんでヒエラルキー型じゃなくてフラット型の組織形態なんだろう?」から始まり、「ヒエラルキー型とフラット型って、どちらの方が営業しやすいんだろう?」など、自分の仕事の範囲内だけでもそれなりに学びの扉は開かれていると思います。

その「疑問出し」を行う際に、気をつけた方がいいことはありますか?

荒木 やはり、その問いを「本気で知りたいかどうか」は意識した方がいいと思います。多少は、仕事に役立つかどうかという視点があってもいいと思いますが、それをメインにするのではなく、自分の内なる求めに応じてあげることが大事ですね。そうすることにより、自然と楽しく学び続けることができると思います。

取材・文:榎並紀行
編集:はてな編集部

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お話を伺った方:荒木博行(あらき・ひろゆき)さん

荒木博行さんのプロフィール写真

株式会社学びデザイン代表取締役社長。住友商事、グロービス(経営大学院副研究科長)を経て、株式会社学びデザインを設立。フライヤーなどスタートアップのアドバイザーとして関わる他、絵本ナビの社外取締役、武蔵野大学、金沢工業大学大学院、グロービス経営大学院などで教員活動も行う。北海道にある株式会社COASや一般社団法人うらほろ樂舎にも関わり、学びの事業化を通じた地方創生にも関与する。 著書に『独学の地図』(東洋経済新報社)、『自分の頭で考える読書』(日本実業出版社)、『藁を手に旅に出よう』(文藝春秋)、『見るだけでわかる! ビジネス書図鑑』、シリーズ(ディスカヴァー・トゥウェンティワン)、『世界「倒産」図鑑』『世界「失敗」製品図鑑』など多数。 Voicy「荒木博行のbook cafe」、Podcast「超相対性理論」のパーソナリティ。

Twitter:@hiroyuki_araki

「コーチング」って何を話せばいい? 悩みを言語化できなくてもOK? プロコーチ・中山陽平さんに聞く


仕事や日常生活におけるモヤモヤを解消する手段として、近年、注目を集めている「コーチング」。コーチングとは、相手の話に耳を傾け、質問を投げかけながら内面にある答えを引き出していくコミュニケーション手法とされています。

言葉自体は耳にしたことがあり、気になってはいるものの「実際にはどんなことを聞かれるんだろう?」「コーチングを受けることでどんな効果が得られるんだろう?」とハードルの高さを感じている方は多いのではないでしょうか。

そこで今回は、イラストレーター・漫画家の吉本ユータヌキさんのコーチングを担当し、書籍「気にしすぎな人クラブへようこそ」の監修も担当されたプロコーチ・公認心理師の中山陽平さんに、コーチングの実際のセッションの進め方やその効果について、詳しくお話を伺いました。




『気にしすぎな人クラブへようこそ』(SDP/吉本ユータヌキ著)

「気にしすぎあるあるシチュエーション」の4コマ漫画と、気にしすぎ作家・吉本ユータヌキと公認心理師・中山陽平の対話を読み進めていくうちに、ラクに生きられるヒントが見つかります。
▶気にしすぎな人クラブへようこそ

コーチングとは「前向きな気持ちが湧いてくるような関係性」をつくること

2020年ごろから「コーチング」という言葉をよく聞くようになりました。改めてですが、コーチングとは具体的にどのようなサービスなのでしょうか?

中山陽平さん(以下、中山)  世界最大のコーチングに関わる組織、ICF国際コーチング連盟では、コーチングを「思考を刺激し続ける創造的なプロセスを通して、クライアントが自身の可能性を公私において最大化させるように、コーチとクライアントのパートナー関係を築くこと」と定義しています*1

……と言ってもちょっと分かりづらいと思うので、僕なりに噛み砕くと「コーチとクライアント(=コーチングを受ける人)とのコミュニケーションを通して、クライアントがふだん目を向けない気持ちや考えに目を向け、前向きになれるような関係性をつくること」でしょうか。

コーチと話をしたことで、「やってみよう」というチャレンジの気持ちが湧いてくるような関係性をつくることをコーチングと呼んでいます。

中山陽平さん記事中写真
中山陽平さん
クライアントが前向きな気持ちを持てるような関係性をつくる……。カウンセリングにも似ていると感じたのですが、カウンセリングとは異なるんでしょうか?

中山 カウンセリングというのは基本的に、病気などによって日常生活を送ることに困難を感じている人が、平常運転するための力を取り戻すものです。コーチングは対照的に、日常生活は問題なく送れている、ある程度エネルギーのある人が、あえてステップを設けて壁に向かっていくチャレンジをするためのものですね。

カウンセリングの場合、カウンセラーはクライアントのストレスを取り除くことを目指しますが、コーチングでは、クライアントがストレスに感じて取り組めなかったことにコーチとともにチャレンジしていくので、コーチとクライアントは常に同じ位置に立っていて、同じ視点からゴールを見つめているイメージです。

日常生活を送れるエネルギーがあるかどうかがひとつの判断基準になるのですね。依頼者は、どのような悩みを抱えていらっしゃる方が多いですか?

中山 いろいろな悩みをお持ちの方がいらっしゃいますが、「会社を辞めたい」という声は特によく聞きますね。そのほかにも、部下との関係性で悩んでいるとか、親として子どもとどう接すればいいかに悩んでいるとか、本当にさまざまです。

「なんとなくモヤモヤする」「いまの状況に不安を感じる」など、自分の悩みをはっきりと認識・言語化できていない人も利用していいのでしょうか。

中山 もちろんです。その場合は「モヤモヤを言語化する」というゴールを持ってコーチングを受けていただくといいと思います。ある程度の腕のあるコーチにコーチングを頼めば、そのゴールはおそらく初回で達成できると思いますね。

コーチングを受けられる人の中には、つい自分を取り繕ってしまったり、悩みが解決したフリをしてしまったりと、コーチとの間に自ら“壁”をつくってしまう人もいるのではないかと思います。そういった場合、中山さんはどのようにコミュニケーションをとっていくのでしょうか。

中山 自分の気持ちをさらけ出すことに抵抗があってなかなか素直に話せない方には、「素直じゃないままでいいですよ」とあえて伝えるようにしています。素直じゃない自分を認めてくれる相手の前でなければ、「素直になろう」とはなかなか思えないはずなので。

「素直じゃなくていい」と伝えることで、逆説的に素直さを引き出すんですね。では、素直な気持ちを言いたくてもなかなかうまく言語化できない、という方の場合はどうされるんでしょうか。

中山 そういう場合は、クライアント自身が使える知識や経験に頼らせてもらいます。例えば音楽が好きな方なら「その気持ちって、好きなアーティストの曲でいうとどんな曲に近いですか?」とか、「その曲はどんなときによく聴いていて、どんなふうに気分を変えてくれるんですか?」と尋ねたり。

そうやって問いかけていくうちに、徐々に自分の言葉で言語化できるようになっていくものなので、「喋るのがうまくないから……」と心配しなくても大丈夫です。

Point 💡

  • コーチングとは【コーチと話をすることで、「やってみよう」というチャレンジの気持ちが湧いてくるような関係性を作ること】
  • カウンセリングとは異なり【日常生活を問題なく送れている、ある程度エネルギーのある人がチャレンジをするためのもの】
  • コーチングを受ける前に、自分の悩みを認識・言語化できていなくても大丈夫。「素直に話さなくては」と思わなくてもOK

コーチングセッションのゴールは、回数を重ねるごとに変わっていってもいい

思っていたよりももっと気軽に受けてもいいんですね。ちょっとハードルが下がった気がします。実際にコーチングを依頼する際の流れや料金、回数の大まかな目安などを教えていただけますか。

中山 僕の場合になるのですが、まずは実際にコーチングを始める前にクライアントと30分ほどお話をする時間を設けます。その方が目指したい未来を明確にした上で、その後のコーチングを受けるか受けないかを判断していただくためです。

行動力のある方だと、その30分だけでモヤモヤが整理され、解決に向けてどう動けばいいかがはっきりすることも。そういった場合は特にこちらからコーチングを薦めることはしません。

コーチングを受けることが決まったら、最終的にクライアントがコーチなしで自走できるようになる状態を目指して、1時間×全6回のセッションを実施します。料金は10万円。回数や期間はコーチによってさまざまですが、現在は1時間3万円前後が平均額だと思います。

僕が知っているコーチには、専門的な資格やMBAを保持していたりコンサルタント職の経験があったりと、専門的な見識を持っている方もいます。そういった方はもう少し高額ですが、やはり問いかけの視点や視野が広いと感じます。個々人の悩みや目指すゴール、料金などに合わせてコーチを選んでいただくといいと思います。

コーチとの相性を見極めるポイントはありますか?

中山 最初に言ったとおり、コーチングはあくまでコーチとの“関係性”なので、契約を結ぶまでの時間に自分が信頼できると思える関係性を築くことができるかどうかをひとつの判断基準にするのがいいでしょうね。

あらかじめコーチとお試しで話す機会がある方が安心して任せられる、という方もいれば、もっとサクサク進む方が話が早くていい、という方もいると思うので、そこは個人の心地よさで決めていただければいいと思います。

ただ、最初から何かを一方的に決めつけてきたり、クライアント主体ではなくコーチ主体で「こうした方がいい」と言ってきたりするような人は避けた方がいいと思いますね。

各セッションはどのように進んでいくのでしょうか。

中山 初回は「全6回のセッションが終わったあとに自分はどうなっていたいか」という大きな枠組みと、「そのゴールを目指すために今日はどんなことをすればいいか」をクライアント自身に決めてもらうところからスタートします。僕はあくまでクライアントが描いているゴールを認識した上で、そこに進んでいくための道筋をサポートする役割です。

もちろん、始めからゴールがはっきりしている方は少ないですし、最初はみなさん緊張もされているので、雑談やアイスブレイクは必ず入れた上で対話を進めていきます。こちらからの最初の問いかけとしては、「コーチングを受けようと思うきっかけになったお話をしてください」と聞くことが多いです。


なるほど。答えるなら「仕事でモヤモヤしていたので受けてみたくなった」……とか?

中山 それだとまだちょっとぼんやりしているので、もうすこし具体的なイメージに絞り込めるように質問を重ねていきます。例えば「仕事でモヤモヤしている」のであれば、仕事におけるどんなシーンを思い浮かべて「モヤモヤ」と呼んでいるのか、1枚の写真やビジョンに落とし込める状態まで持っていく。

クライアントにそのときの状況を思い出してもらい、「私はこういうシチュエーションで覚えた違和感を『モヤモヤ』と呼んでいたんだ」と納得してもらえたら、そのモヤモヤがどういった状態になればいいかを考えていただいて、それをゴールにしていくという流れです。こちらから質問を重ねて状況を確認していくというより、同じ方向を一緒に眺めながらそこまでの道筋を確かめていく、というイメージですね。

では仮に、さきほど例にも挙げられていた「会社を辞める」を最終的なゴールに設定した場合は、どのようなアプローチをとっていくのでしょうか?

中山 まずはクライアントの現在地を探るところからですね。「会社を辞めたい」と思っているけれど実際に辞めていないということは、いまは「辞めたくない」とか「辞められない」の気持ちの方が強いということ。なのでそこをどう考えているかを尋ねていきます。

そうやって問題をほぐしつつ話していくと、「自分が思っていたのはどうやら『辞めたい』じゃないな」「じゃあどうして会社をストレスに感じていたんだろう」というふうに思考が変化して、また違った悩みが出てくることが多いんです。

セッションを重ねていくうちに「会社を辞める」というゴール設定自体も変わっていきそうですね。

中山 そうですね。例えば「自分は会社を辞めたいのではなく、職場の人たちから認められたいんだ」とクライアントが気づいたとしたら、「じゃあ、誰にどんな評価をされたら『認められた』ことになるんでしょうか?」とまた問いかけていきます。そうやって一つひとつの言葉を再定義しながら、その人自身の言葉を形づくっていく。

初回におおまかな道筋は立てると言いましたが、2回目以降はそのようにゴール自体が変わっていく可能性も大いにあるので、毎回「今回も同じゴールに向かいますか?」と確かめながら進めていきます。フレームは用意しつつ、それを壊すのもクライアント次第なんです。

Point 💡

  • 回数や期間、料金などはコーチによってさまざま。現在は1時間3万円前後が平均額
  • コーチングで大事なのはコーチとの関係性。最初から一方的に決めつけてきたり、クライアント主体ではなくコーチ主体でアドバイスをしてくる人は避けた方がベター
  • 都度コーチと確認しながら、クライアントが悩みや課題に対して「どうしたいか」「どう考えているか」を掘り下げていくため、求める「ゴール」が変わってもOK

自分自身は大きく変わらなくても、自分のモヤモヤへの向き合い方は変わる

中山さんの目から見て、クライアントがコーチングを受けることで得られる効果や変化はどのようなものですか。

中山 決断力やコミュニケーションスキル、生産性の向上を感じる人が多いというデータはICF国際コーチング連盟から出ているのですが*2、僕が個人的にクライアントからよくお聞きするのは「今まで向き合う覚悟が持てずに手がつけられなかったことが進み始めた」「『自分を変えなきゃ』と思うのではなく、いまの自分を生かすにはどうすればいいかに目を向けられるようになった」といった感想ですね。

多くの方は「自分を変えたい」と思ってコーチングを受けるわけです。けれどそこで「変わらない自分」にフォーカスしすぎてしまうと、いまの自分に対して否定的になってしまう。

変化したいけれどどう変わりたいのかは分からない、という状態はとても苦しいので、まずは「変わりたいと思うくらい苦しい」ことに目を向けてもらう。そうやっていまの自分を見つめ直すことで、ありのままの自分自身を受け止めた上でこれからのことを考える、というスタート地点にようやく立てるんです。


確かに「変わりたい」と願い過ぎると、いまの自分からつい目を背けたくなってしまいそうです。

中山 でも、何回かコーチングを受けると、セルフコーチングのスキルも自然と身に付いていくんです。コーチから「あなたはどうしたいんですか?」という質問を何度もされるうちに、自分の中に「自分ってどうしたいんだろう?」という問いが積み重なっていくので、コーチがいなくても自分で自分にコーチングができるようになる。

僕が以前コーチングをさせてもらったイラストレーターの吉本ユータヌキさんは、セッションを重ねることで「自分の中に中山さんの代わりが現れた感じ」になったと言っていましたね。吉本さんは、仕事や対人関係における些細な違和感を気にし過ぎてしまうことに悩んでいたのですが、コーチングを受けたことで、悩む1回あたりの時間がすこし短くなったとおっしゃっていました。

👉 吉本ユータヌキさんに「コーチングを受けてみた感想」を教えてもらった記事はこちら

悩むことがなくなったわけではないけれど、その時間が短くなったと。

中山 そうですそうです。些細なことで悩みやすい自分自体は変わらなくても、その悩みにどのような答えを出すかのバリエーションが身に付いていくことで、トータルで悩む時間が減っていく。そうなると人生単位で考えてもコスパがいいですよね。

不安や苛立ちって、その感情に長い時間触れていればいるほど強くなるものなので、触れる時間が短くなると、自ずとすこし弱まってもいくんです。そういうふうに、仮に自分自身の性格は大きく変わらなかったとしても、自分のモヤモヤにどう向き合うかの方法を知れることもコーチングの重要な成果だと思います。

Point 💡

  • コーチングをすることで得られる効果は決断力やコミュニケーションスキル、生産性の向上など。「自分を否定せずに、自分を見つめ直す」という効果も
  • コーチングを受けることで、次第に自分で自分自身を「コーチ」できるようになってくる

取材・文:生湯葉シホ
イラスト:吉本ユータヌキ
編集:はてな編集部

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お話を伺った方:中山陽平(なかやま・ようへい)さん

中山陽平さんのプロフィール写真

プロコーチ・公認心理師。1985年生まれ。地元の病院に理学療法士として入職後、家業の福祉会社に入職。31歳で社長就任後、自分の思うように人を動かそうとしてうまくいかずメンタルのバランスを崩す。社員の優しい声がけに救われた経験から人間関係に興味を持ち、コーチングに出会う。学びの中で、人は適切な支援があれば自分で答えを出し、進んでいく力を持てると確信する。社内外で実践を広げ、実施時間は1000時間超。社内では管理職と「おさんぽ1on1」を実施し、社外では経営者、個人事業主、会社員、高校生まで幅広くコーチングを提供。

Twitter:@circlehippo