「リスキリング」にハードルの高さを感じる人へ。何気ない日常から「学び」は得られる

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「学び直し」や「リスキリング」に興味はありつつも、日々の仕事や生活などで忙しく、ハードルの高さを感じていませんか。しかし特別な講座やスクールに通わずとも「学び」は身近にあり、決して敷居の高いものではありません。

そう語るのは、20年以上「学び」や「人材育成」に携わり、著書『独学の地図』(東洋経済新報社)などを通じて「学ぶことの楽しさ」を発信している荒木博行さん。

そもそも「学び」とは何なのか、どうすれば「学び」を身近に感じ、楽しめるのかなどのコツを伺いました。

「何気ない日々の出来事」の中に、学びはある

ここ数年「学び直し」や「リスキリング」といった言葉や経験談をよく耳にします。一方で「私もなにかやった方がいいのかな……?」と焦りつつも、忙しくて時間が取れなかったり、そもそも「学ぶこと」そのものにハードルの高さを感じている人もいるのではと思います。

荒木博行さん(以下、荒木) そうですね。最近は特に、スキルの消費期限がどんどん短くなっているように感じます。新しく習得したスキルも、いつ陳腐化するか分からない。だから、次から次へと学ぶべきことが出てきて、講座を受講したり、研修を受けたり、落ち着くヒマがない。外側から学びを求められ続ける恐怖やキリのなさは、多くの人が感じているかもしれません

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今日は「学び」に対してどこか気後れしてしまっている人に対して、学びの楽しさを教えてもらえるとうれしいです。

荒木 分かりました。でも、その前にまずは「学びの定義」から考えてみましょう。僕は、学びとは「それを経験した前後の差分」であると定義しています。例えば、一冊の本を読む前と読んだ後の自分とでは、何らかの違いが出てきているはずですよね。その差分こそが学びの正体です。

つまり、経験前後の差分さえあれば、全てのことが学びであると言えます。特別な場所に出かけたり、ビジネススクールに通ったりしなくても、何気ない日々の出来事のなかから学ぶことができるわけです。

ただし、一つ注意しなければいけないのは「差分」の捉え方。実際には経験前後の差分がないものを「学び」と呼んでしまっているケースが、かなりあるのではないかと思います。僕はこれを「学びもどき」と呼んでいます。

学びもどき、とは……?

荒木 例えば、マーケティングに関する勉強会で、受講者に「何を学んだか」アンケートをとったとしましょう。おそらく「顧客視点の重要性を学びました」みたいな回答が一定数あると思います。

でも「顧客視点の重要性」なんて、マーケティングに関わる人であればおそらく受講前から知っていたはずなんですよね。これは学びではなく、表面的な感想にすぎません。こうした「それっぽい一般論」でアウトプットを終えてしまうと、本来の学びにふたをしてしまうことになり、本人としてもあまり楽しくないでしょう

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確かに「勉強会を受ける前と受けたあとの差分」が何なのか、これだと分からないですね。

荒木 そうなんです。重要なのは、こうした「それっぽい一般論」から「経験の前後の差分」を削り出し、言語化していくこと

先ほどの例だと、「顧客視点の重要性」というアバウトな言葉で終わらせず、自分が今のタイミングで、なぜ顧客視点が重要だと思ったのかを掘り下げてみる。それだけで「それっぽい一般論」が「自分だけの具体論」へと置き換わり、差分としての学びが浮かび上がってきます。

自分自身に問いかけをして、「なぜ」を掘り下げていくようなイメージでしょうか?

荒木 「過去の自分と対話する」と考えると分かりやすいかもしれません。経験する前の自分に対して「こういうことを学んだよ」と言ったら、過去の自分からどんなリアクションが返ってくるかを考えるんです。

「そんなの、俺だって知ってるよ」というリアクションが返ってきたら、まだアウトプットが大きな一般論の域を出ていないということですので、もう少しブラッシュアップが必要です。

ただ「学んだことを掘り下げて言語化する」ことをいきなり一人でやるのは難しいもの。最初は同僚や家族、友人に協力してもらうのがいいと思います。「先週行ったセミナーで、こんなことを学んだんだよね」と話してみて、それに対して素朴なツッコミを返してもらう。対話を重ねることで、徐々に差分が削り出されていくはずですから。

育児や仕事で“今”は学べなくてもOK。時間ができたら過去の経験を振り返ってみる

どうしても日々の仕事や家事、育児などが忙しく、「経験前後の差分」の削り出しの時間が取れなかったり、そもそも日常の中にある“学び”に向き合う余裕がない人はどうすればいいでしょう。

荒木 確かに、子育てで疲弊している人に対して「子育ても“学び”です」なんて言ってみたところで、きっと響かないでしょうね。

そういうときって、自分自身が“停滞”しているような気持ちになってしまうこともあると思います。そんな焦りと、どう向き合えばいいでしょうか?

荒木 今は、しっかり子育てに向き合うだけで十分だと思います。そして、少し時間ができたときに差分を削り出してみると良いのではないでしょうか

仕事上のスキルアップという点では、もしかしたら停滞しているように思えるのかもしれません。でも、人生における学びという点では、子育て以上に「経験前後の差分」を生み出す行為は他にないぐらいだと僕は思います。

これは決して慰めではなく、僕自身が2人子どもを育てる中で、非常に多くのことを学んだと感じているからです。自分の思いもつかない行動をする我が子に向き合い続けたことは、僕の全てのコミュニケーションのあり方を塗り替えるほどの経験でした。

過去の経験から学ぶことは、いつでもできますから

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すぐに学びを得ようとしなくとも、あとから学びを得ることもできると。そう考えると、心が少し軽くなるかもしれません。

荒木 そうですね。しばらく時間がたったあとに改めて振り返ってみて、どういう変化があったのか、ある種「答え合わせ」をしていくのも、学ぶことの楽しみの一つだと思います。

そうやってどこかのタイミングで学びを整理しておくと、思わぬつながりが生まれていきます。人生をミステリー小説とするなら、一つひとつの学びって物語の伏線だと思うんですよ。優れたミステリー小説が終盤に全ての伏線を回収していくように、過去に経験したことが数十年を経て、意味のあるものとしてつながっていく。それってすごく面白くないですか?

学ぶ理由は「おもしろそう」だけでいい

何かを学ぼうと思うとき、多くの人は「なぜこれを学ぶのか」や「学ぶことで得られるゴール」を意識するかと思います。しかし荒木さんは著書等で、これらを最初に意識しない方がいいと書いていますよね。

荒木 はい。“Why”を考えてしまうといますぐ役立つであろう、狭い範囲のことしか学ぼうとしなくなってしまいます。また、何か強烈に心を動かされるものに出会った際にも、理由が見つけられないからと学ぶのをやめてしまうかもしれないからです。

僕は学びは「結果的に得られるもの」であり、学ぶことに「おもしろそうだから」以外の理由は必要ないと考えています。

そもそも、目的と結果は常にズレると思うんです。先ほどのマーケティングの勉強会を例に挙げるとしたら、「マーケティングについて学ぶ」ために参加したとしても、講師の話し方が気になって「もっとこうすればいいのに」と、当初の目的とは関係のないプレゼンテーションのやり方について学びが得られるかもしれないじゃないですか。

何か興味を持つものに出会っても、つい「仕事で役に立つかな」と考えてしまいがちですが、それが「学び」に制限を掛けてしまうかもしれない、ということですね。

荒木 もちろん、そうした学び方を否定しているわけではありません。僕だって「次のセミナーに向けて、あの本を読んでおこう」といった具合に、目的ありきで学ぶこともたくさんあります。ただ、「スキルの消費期限が短い」現在において、そうした短期的かつ実務的な学びばかりを繰り返していくと、いずれ知識やキャリア、さらには人生そのものが先細りしてしまいかねません。何より、そういう学びってあまり楽しくありませんよね。

例えば書店に行って5冊の本を買うとします。そのうち3冊は今すぐ仕事に役立ちそうな内容の本を選ぶとしても、残り2冊は「よく分からないけど、やたらと惹かれる」みたいな本を手に取ってみる。そんなふうに、学びのバランスを意識的に分散させていくといいかもしれません。

自分の好奇心の赴くままに本を選んでみると。ただ、そうした本って、結局“積読”してしまいそうで……。

荒木 積読でもいいんです。とりあえず本棚に刺しておけば「学びを一時保管」することができますから。

僕も、何か疑問が浮かんだらそれに関連する書籍を買い、本棚に差して「学びのタネである疑問そのもの」を忘れないようにしています。本棚から見える書籍の背表紙が「疑問の物理的リマインダー」になるんですね。そして、心と時間に多少の余裕ができたタイミングでその本を手に取り、疑問に向き合うようにしています。

『独学の地図』(東洋経済新報社)

自分だけの学びの地図をつくるための方法を平易かつ具体的に記した1冊

ちなみに、荒木さんはそうした「目的のない学び」が、自分自身を助けてくれたような経験はありますか?

荒木 それはもう、無数にあります。例えば、去年の冬に札幌で「ホースコーチング」というアクティビティに興味本位で参加しました。人間の心情を理解するといわれる馬と向き合うことで、自分の内面を知るというプログラムなんですが、そもそも馬が全然寄ってきてくれなくて……。

インストラクターの方に「荒木さん、気がダダ漏れだから」と言われて、もしかしたら職場などでも「近寄りがたい雰囲気」を出してしまっているのかも……? と自分を見つめ直すきっかけになりました。「おもしろそうだから」で飛び込んでみた結果、思いもよらぬ気付きが得られたり、新しい世界が広がることはよくありますね。

日々の仕事の中にも「問い」は眠っている

「おもしろそう」を学びの起点にすることで、自分の可能性を広げることができるんですね。

荒木 そうです。もし、積極的に学んでみたいと思えるおもしろそうなことが見つからなかったとしても、生きていれば誰しも何かしらの素朴な疑問は浮かんでくると思います。そうした疑問を放置せず、丁寧にすくいあげていくことが大事ですね。「自ら立てた問い」に答えを出していく習慣をつけると、いつしか学びのスイッチが入り、日常全てが学びの場になっていきます

著書のなかでも『他者が立てた問い』に答えを出す学びではなく、『自ら問いを立てる』ことが大事だと書かれていました。

荒木 例えば資格の勉強などは『他者が立てた問い』の典型です。こうした、他者に問いの設定条件を奪われた学びは、端的に言っておもしろくありません。それを解くゲーム的なおもしろさはあるかもしれませんが、どちらかというとモチベーションが長続きしにくい学習ではないでしょうか。

一方「自分の内なる疑問に答えるための学び」は発見にあふれていて、とてもワクワクします。ですから、もしあなたが今何かを学んでいて、あまり楽しくないと感じているなら、その出発地点を疑ってみるといいでしょう。出発地点にある「問い」が自分の内側から出たものではなく、他者が定義したものだったとしたら、無理して続けてもつらいだけかもしれません。

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確かに。会社主導の「リスキリング」などは、まさに「他者が立てた問い」ですよね。一方で、そもそも学びにつながる「問い」が浮かばないという人も多いかもなと思ったのですが。

荒木 それは浮かばないのではなく、見過ごしているだけではないかなと思います。まずは仕事終わりの5分間「不思議だな」と思うことをいくつか紙に書き出してみてはどうでしょうか。その日は何も浮かばなかったとしても、続けていくうちにいくらでも出てくるようになると思いますよ。

例えば、営業の仕事をしている人であれば「今日訪問した会社って、なんでヒエラルキー型じゃなくてフラット型の組織形態なんだろう?」から始まり、「ヒエラルキー型とフラット型って、どちらの方が営業しやすいんだろう?」など、自分の仕事の範囲内だけでもそれなりに学びの扉は開かれていると思います。

その「疑問出し」を行う際に、気をつけた方がいいことはありますか?

荒木 やはり、その問いを「本気で知りたいかどうか」は意識した方がいいと思います。多少は、仕事に役立つかどうかという視点があってもいいと思いますが、それをメインにするのではなく、自分の内なる求めに応じてあげることが大事ですね。そうすることにより、自然と楽しく学び続けることができると思います。

取材・文:榎並紀行
編集:はてな編集部

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お話を伺った方:荒木博行(あらき・ひろゆき)さん

荒木博行さんのプロフィール写真

株式会社学びデザイン代表取締役社長。住友商事、グロービス(経営大学院副研究科長)を経て、株式会社学びデザインを設立。フライヤーなどスタートアップのアドバイザーとして関わる他、絵本ナビの社外取締役、武蔵野大学、金沢工業大学大学院、グロービス経営大学院などで教員活動も行う。北海道にある株式会社COASや一般社団法人うらほろ樂舎にも関わり、学びの事業化を通じた地方創生にも関与する。 著書に『独学の地図』(東洋経済新報社)、『自分の頭で考える読書』(日本実業出版社)、『藁を手に旅に出よう』(文藝春秋)、『見るだけでわかる! ビジネス書図鑑』、シリーズ(ディスカヴァー・トゥウェンティワン)、『世界「倒産」図鑑』『世界「失敗」製品図鑑』など多数。 Voicy「荒木博行のbook cafe」、Podcast「超相対性理論」のパーソナリティ。

Twitter:@hiroyuki_araki