「フルタイム勤務でないと」の思いを手放したら、今の自分も受け入れられるようになった

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さまざまな事情から、以前のような働き方ができなくなった/できなくなったらどうしよう、と悩むことはありませんか。これまでの自分や理想の姿と比べてしまい葛藤してしまう人は少なくないように思います。

大学卒業後、フルタイムの正社員として働いていたブロガーのiさんも、体調不良をきっかけに休職→復職→退職を経験。働き方を変え仕事を再開してみるものの、以前のように働けなくなった自分へのもどかしさを抱いていました。その後少しずつ自分の心身を壊さない働き方のペースをつかんでいき、“今の状態”を受け止めていけるようになったそうです。

自分の思い描いていた働き方を実現させること、それをずっと続けることは、意外と難しいもの。iさんに、自身の働き方の変遷とともに、「働く」上での気持ちのあり方について寄稿いただきました。

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身体の調子を崩してから、働くことについて長いこと葛藤やコンプレックスがあった。

周りの人がやっているように、以前の自分のように「普通に」働きたい。でも、体調が回復した後に再びやってみると身体がついてこない。働いていなければなんとなく居心地が悪い。将来を考えると不安になる。

そんなことをずっとぐるぐる考えながら、時間をかけて「働く」ことについて消化してきた。


現在、私は求職中だ。

ただ、最初に仕事を辞めたときと今とでは、少し気持ちのあり方が違う。そんな気持ちの変遷を少し書いていきたいと思う。

「働く」に後ろ向きだったからこそ選んだ堅実な道

学生時代は、どちらかというと働くことに対して後ろ向きな気持ちが強かった。

明確にやりたいことがあるわけでもないし、どうにかして働かずに生活していけないものか多少検討したものの、特別な才能があるわけでもない自分が人とは違ったルートを行くのは難しそうだな、という結論になった。

そうこうしているうちにばたばたと就職活動が始まり、周りの動きに合わせるようにして就職活動を始めたものの、そんな感じで志が高いわけでもなかったためか苦戦を強いられた。

いくつかの面接を受けてみたものの、なかなかうまくいかない。そもそも働くこと自体への抵抗感は消えていない。そんなとき、就活セミナーで出会い、後にメンターになるお姉さんがこんな言葉をかけてくれた。

「働くって自立できるし、世の中を良くしていくことに関わっている実感がわくし、楽しいよ」

その人は、はたから見ると「バリバリ働いている」タイプの人だった。その人の姿を見ていると、ハードな生活をしていそうだったが、たしかに楽しそうに見えた。

働くことは決してネガティブなことだけじゃないかもしれない。この人と同じようにとはいかなくても、着実に、長くキャリアを積み上げていく感じであれば、自分でも働いていけるのではないか。それからは、安定しそうな業界や企業を見て回り、最終的に内定が出た金融系の会社に就職した。

順調な社会人生活、そしてつまずく

安定性はあるが働き方としてはハードな側面もある業界という理解だったので入社までは戦々恐々としていたものの、働き始めると意外と水が合っていたらしい。

メンターの「働くって楽しい」という言葉通り、いや、思っていたよりも仕事が面白く、のめり込んだ。配属先で担当した業務内容も、自分の仕事が良くも悪くも世の中に還元されているのが肌で実感できるものだったため、やりがいを感じられた。

就職先ではごりごり働くことは当たり前のものとして受け取られていたため、そうした流れに身を任せて、自身もごりごり働くようになっていったのは、自然なことだった。働くのが楽しく、将来もずっとフルタイムで働いていくことが当たり前だと思っていた。

しかし数年たった20代後半の頃、業務内容の変化やがむしゃらに働き続けた結果、心身の調子を崩してしまう。

しばらくだましだまし働いていたが、とうとうドクターストップがかかって休職を余儀なくされた。

長く安定してフルタイムで働いてさえいれば、自然とどうにかなるのだと思っていた未来が真っ暗になり、どうしたらいいか分からなくなった。

不安でいっぱいだったものの、休む以外にできることがなかった。

退職したとき「レールから外れた」と思った

休職が明けて、運よく復職できた。

復帰早々から無理はできない。そのため、復帰当初は時短で働くことになったが、それでも毎日がしんどい。

頭はまわるのに身体が全然ついてこない。

休んだ分をどうにか取り戻さなくてはという焦りもあって、できる限り頑張ってみるものの休職前の6割くらい働ければ上出来。

その現実を、気持ちが受け入れられなかった。

とはいえ、そこそこちゃんと働けていたのも事実で半年の間に段々働き方が休職前に戻っていったが、業務時間が終わるころにはぐったりして数十分は動けなくなっていた。

果たしてこれでいいのだろうか?という疑問が静かに燻っていった。

このまま同じように働き続ければ、再び調子を崩すのは目に見えている。

フルタイムで働けなくなることは、自分にとって安定した人生のレールから外れてしまう、という感覚があった。

しかし同じことを繰り返して、将来的にどうにもならなくなるのは怖い。今度こそ仕事そのものができなくなってしまうと感じ、とにかく一度退職することにした。

今でこそ正社員で、フルタイムで働いていたとしても、決して将来を保証されているわけではないと思える。ある日突然会社が潰れたり、子育てや介護、病気などで離脱せざるを得ない状況が発生したりする可能性もある。けれど、当時はフルタイムで働いてさえいれば大丈夫、と思っていたのだ。

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葛藤を抱えて鬱屈とする日々

仕事をやめて最初にしたことは、週5(週38h程度)のほぼフルタイムでアルバイトをすることだった。

今までは正社員として働く責任の重さが影響して業務時間後にぐったりと動けなくなっていたのでは? と思っていたのだが、1カ月やってみて、そうではない現実を突き付けられた。単純に、体力が続かない。フルタイムでは働けないということを改めて実感して本当にショックだった。

今までやってきた通りに物事を進めたい、でもそれができない。その事実が悔しかった。

落ち込んでいる私を見ていたパートナー(現在の夫)の勧めもあって、しばらくゆっくり休むことにしたが、このまま働けなくなるのではないかという不安は日々積み重なっていく。

しばらくはアップダウンするメンタルを抱えながら暮らしていくことだけでいっぱいいっぱいで、実際には身体を休めることしかできない日々が続いた。

それでも時間がたつにつれて体力が回復してきた頃合いを見計らい、派遣会社に登録し、ベンチャー企業で週4(週30h程度)で働きはじめた。フルタイムでの復帰でなければなんとかできるかな、と考えた上での選択だったが、前回よりはだいぶマシな状態であることは確認できたものの、継続的に働くとなるとまだ少し厳しそうであった。

契約が終わる頃には心身ともに消耗してヘロヘロになっていて、このくらいの強度にはまだ耐えられないのだということを悟った。

ちょうどいい塩梅を知る

それからまたしばらくして、3度目の正直で週3(週23h程度)で最低6カ月以上の長期契約の事務仕事を探した。

勤務時間のほかに、前回、前々回の時には混雑度の激しい電車で通勤しなければならない負担も大きいと感じていたので、あまり自宅から遠くないところを条件としたところ、運良く自分の希望と合致する求人が見つかり、再び働き始めた。

1年仕事を継続できたときに、このペースであれば今の自分の状態でも働くを継続できる、という実感をやっと得ることができて自信になった。パートタイムで働いているもののそれなりに仕事の裁量があり、自分で仕事のペースもある程度コントロールできる環境であったことと、満員電車でのストレス軽減ができたことも幸運だったように思う。

ただ、最初の会社を辞めてから「以前のように働けない」ことで不安を拭えなかった私が、初めて今の状態でも再び少しずつでもキャリアを積んでいけそうだと感じることができた瞬間だったのだ。ようやく長いトンネルを抜けた感覚があった。

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このとき、最初の会社を辞めてから2年半以上が経過していた。

2年半+αという時間とトライ&エラーの末にようやく腹落ちして理解できたことは、調子の悪い時に無理に焦ってもどうにもならないことがあるということ、そして、働けなくなるかどうかは運も大きく作用するということだった。

体調に不安がなく、ごりごり働けていたことがいかに恵まれていたのかということを実感をもって理解できた。

最初の会社で働き続けている同期のことを全然うらやましくないといえば、それは嘘になると思う。

でも心身を壊す前に戻って、もう一度やり直したいかというとそうは思わない。

最初の会社で体調を崩して退職した時点で、それまでの人生は一度終わり、今は新しい人生を生きている、という感覚に近いのかもしれない。

これまでの自分と比べると、しんどくなってしまうこともある。しかし、「フルタイムで働かないと」「前と同じように働くことこそが正解」と思い続けて無理をすることで、細々とでも働き続けること自体も難しくなってしまう可能性だってあった。それであれば、過去の自分と同じ状態を目指すのではなく、今の自分にとっての最善を目指す方がいいはずだ。

そう考えられるようになるまでには、諦めがあり、それを認める勇気が必要だった。

人によっては、働き方を変えるもしくは変えないといけないタイミングが自分の体調以外の要素によるもの、というケースもあると思う。

そうしたときに、いちばん大事なことは納得して「その働き方」を選択できたか、ということなのではないだろうか。

私の場合は、休むことをすすめてくれた人がいるなど、恵まれているという自覚はある。ただ、違う状況だったとしても、自分の中で「働けるキャパはどこか」を見極めながら、なんとか働き続け、生活していくためにいろいろ模索をし行動していたとも思う。

途切れ途切れでも「働く」ことを積み重ねる

社会に出る前は怖かったけど、実際に社会人になってみると、私は「働く」こと自体は好きだということを知った。

そして思うように働けないのはもどかしく、うまくいかなかったり調子が悪かったりするときには、つい、いろいろ要らないことを考えてしまう。

それでも自分のキャパを知って、少しずつでも積み上げていくことは可能ではないか、と最近感じている。


最後に少しだけ、現在の私がどうしているのかも書いておきたい。

週3のペースで働き1年が経過し、もう少し働くペースや時間を増やせられそう、ここでもう少し経験を積んだら転職も視野に入れてみたい……と働くギアをあげようとしていたタイミングでコロナ禍に突入した。

詳細は割愛するが、コロナ禍による業務面の変化や環境自体の変化もあり、現在は求職中となっている。

最初に仕事をやめたときは、「もうダメかもしれない」と思っていたが、そのときよりも「次はもうないんじゃないか」と絶望するところまでにはなっていない。

自分の中で「働きたい」気持ちと、少しずつでも「積み重ねられる」という実感を持てた数年間があったからこそ、半ば楽観的に捉えられるようになったのかもしれない。

人生は選択の連続で、「全部取り」はたぶんできない。理想はあったとしても、その通りにいかないこともあるのだと思う。それでも、理想と現実との間で折り合いをつけながら、できることを少しずつ積み重ねていきたい。積み重ねることで、またできることが変わったり、増えることもあるんじゃないかと思う。

編集:はてな編集部

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著者:iid:iixxx

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