家庭より仕事を優先するパートナーに悩むあなたへ。研究者・竹端寛さん「夫婦の対話をあきらめないで」

家庭より仕事を優先するパートナーとどう話し合う?・研究者・竹端寛さんインタビュー

パートナーが「育児や家事」より「仕事」を優先しがち。共働きなのに負担が自分に偏っているように感じる——。そうした夫婦間の仕事と家庭に対する「温度差」はどう埋めていくとよいのでしょうか。

今回は「ケア」を研究する福祉社会学者でありつつ、自身もパートナーとの「仕事と家庭に対する温度差」に課題を抱いたことがあるという竹端寛さんに、夫婦の「温度差」の要因とそれを埋めるためのコミュニケーション方法を教えていただきました。

お話を伺った方:竹端寛さん

竹端寛さんプロフィール

兵庫県立大学環境人間学部教授。専門は福祉社会学、社会福祉学。著書に、一児の父として子育ての経験を綴ったエッセイ『家族は他人、じゃあどうする?――子育ては親の育ち直し』(現代書館)、『ケアしケアされ、生きていく』(筑摩書房)など。
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なぜ育児・家事より、仕事を優先してしまうのか?

家庭と仕事の両立のバランス

周囲の共働き夫婦を見ていると、育児・家事に対する「温度感」が異なることで負担が片方に偏ってしまいがち……というケースが多い印象を受けています。なぜ夫婦間でこのような温度差が生まれてしまうのでしょうか。

竹端寛さん(以下、竹端):僕の考えをお話しする前に、みなさん(取材に同席した20〜30代女性・編集スタッフ数名)の意見も伺いたいのですが、日常生活において同じように悩むことはありますか?

(横で聞いていた編集スタッフ)私はあります。子どもが生まれる前から「共働きだから、育児・家事は平等に分担しよう」と話していて、パートナーも同意していたはずなのに、向こうの「仕事」を理由に私に負担が偏ることが多くて……。

竹端:ありがとうございます。このような「温度差」の背景には、夫婦のどちらかが何よりも仕事を優先する心理、いわゆる「仕事中心主義」に染まっているケースが考えられます。

実は僕もずっと「仕事中心主義」で生きてきたため、子どもが生まれても、なかなかこの思考から抜け出せなかったんです。妻から「一緒に子育てができないなら、一緒にはいられない」と言われたこともありました。

「ケア」を専門に研究されている竹端さんでも、パートナーや子どもの「ケア」を優先しようとする心理がなかなか働かなかった、というのはとても興味深いです。自身の「仕事中心主義」と向き合うきっかけは何だったのでしょうか。

竹端:妻からの一言をきっかけに育児や家事を積極的に行うようになったのですが、ミルクをつくって、買い物に行って、掃除をして、夕飯をつくって、おむつを替えて……で1日が終わったとき「俺、今日何もできへんかったわ......」とつぶいたことがあったんです。それを聞いた妻から「あんた、こんなにいろいろやってくれたやん!」と突っ込まれて、ハッとしたんです。

仕事であれば「今日はこれができた!」と自分の成果を認めることができるのに、育児・家事はいくらやっても「自分が達成したこと」としてカウントできていなかった。大変お恥ずかしいですが、「仕事の方が価値がある」と思っていたからこそ、この言葉が口をついたのだと気付かされました。

子育てを通じて「仕事中心主義」と「ケア」を考えるエッセイ
▶『家族は他人、じゃあどうする?――子育ては親の育ち直し』(現代書館)

子どもがいる共働き家庭の生活において「育児・家事」は必要不可欠な「タスク」にもかかわらず、なぜ「仕事」を優先する心理が働いてしまうのでしょうか?

竹端:テストの点数、偏差値、習い事での順位など、私たちは子どもの頃から他者評価システムに組み込まれて生きています。そして、人は他者からの評価によって承認欲求を満たそうとする。

この「他者からの承認欲求」を比較的簡単に満たせるのが「仕事」なんです。極端な話、パートナーの話を聞いたり、子どもと遊んだり、家族のケアをしたりしても「承認欲求が満たされるほどの評価」ってされづらいじゃないですか。

ワーカーホリックという言葉もありますが、仕事は短期的に承認欲求を満たすことができる。だから人は、育児・家事よりも仕事を優先するんだと思います。

なるほど。

竹端:僕はそれを「馬車馬の論理」と呼んでいます。自分や家族よりも会社やクライアントの都合を優先し、他者評価に身を捧げ、馬車馬のように働く。

一方、子育てや夫婦関係において必要となるのは「ケアの論理」です。「馬車馬の論理」とは異なり、ケアを必要とする身近な他者のために時間と関心を払うことに集中する考え方です。

この社会は、労働者が馬車馬のように働き、利益を追求する論理が優先されてきました。労働者もその論理を疑うことなく「仕事だから仕方がない」と思い込まされてきた。その結果、「育児や家事をパートナーに押し付け、仕事を優先してしまう」という構造ができあがってしまったのです。

夫婦で“大変論争”をするのではなく、相手の話を最後まで聞く

では「馬車馬の論理」で生きているパートナーにもっと積極的に育児・家事をしてほしい場合、どのようにコミュニケーションを取ったらよいのでしょうか。

竹端:まずは夫婦で対話することが重要です。対話がうまくいかないというケースは家庭内に「馬車馬の論理」を持ち込んでしまっていることが多いと思います。「俺はこんなに大変なのに!」「私だってこんなに大変なのに!」と、お互いが”大変競争”をしてしまうんですね。

“大変競争”。あるあるですね。

竹端:そういうときは「お互いのしんどさや大変さを、そのまま受け止める」ことを心がけてみてください。

そもそも「馬車馬の論理」は能動性の論理で、「ケアの論理」は受動性の論理なんです。ビジネスの場面では、「もっとこうしたらいいのでは?」「解決するにはこのやり方がいいよ」といった能動性が求められる。

一方、家族や夫婦の対話ではまず「ただ相手の話を聞く、最後まで聞く」という受動性、つまりケアが必要になるんです。それなのに「馬車馬の論理」を持ち込んで、ついついアドバイスや余計なことを言って相手を怒らせてしまうというのはありがちですね。

夫婦の話し合い

「ただ聞いてほしかっただけなのに!」とケンカになることも多いです......。

竹端:うちの妻は、よく僕に「Just Listen!」って言うんです。黙って聞いて、と。これはすごく大切なことで「今はアドバイスはいらないから、最後まで聞いてほしい」と伝え、言われた相手は話が終わるまでじっくり聞く。

そういった対話の練習が必要だと思います。僕たちは教育課程で「対話」の練習を十分にしてきていませんから、そもそも対話スキルが未熟なんですよ。

(横で聞いていた編集スタッフ)自分は話し合いたくても、パートナーが話し合いを避ける場合は、どうしたら良いのでしょうか。

竹端:もしかしたら、あなたのパートナーは過去の経験から「話し合い=責められる、言い負かされるもの」と認識してしまっている可能性も考えられますね。そういうときは、「あなたを責めたいわけではない。これからもあなたと生きていきたいから、一緒に考えたいんだ」と伝えてあげてください。

あとは、いきなり心配事や問題を持ち出すのではなく、まずはお互いに「あれすごく助かったよ、ありがとう!」「良くなってる!」と、ポジティブな変化をフィードバックし合うのもおすすめです。その上で「ここが心配なんだけど」と、残りの改善点を話し合ってみてもいいかもしれませんね。

共感はしなくていい。お互いの合理性を理解しようと歩み寄る

対話を心がけようとしても、相手の主張や行動にイラっとしちゃうこともあると思います。例えば、自分は家族の時間を考えて仕事を調整しているのに、パートナーが仕事や飲み会で夜遅くまで帰ってこなかったりすると、ついつい怒ってしまったり……。そういうときは、どうしたらよいのでしょう。

竹端:パートナーの考えに「共感」はしなくていい、でも「理解」はしようと努めてみてください。パートナーにはパートナーなりの合理性があるのでしょう。例えば「職場の飲み会に顔を出さないと仕事に支障が出てしまう、そうすると評価が得られず給与や昇進に影響が出て家族を守れないかもしれない」とか、内心は追い込まれているのかもしれません。

なるほど......。

竹端:繰り返しますが、共感も納得もしなくていいんですよ。「それで私に負担が偏るのはいいの?」とイラっとするのは当然(笑)。

でも、相手には相手の合理性があるんだと理解することで「納得はできないけど、そういう考えからこういう行動に至ったんだな」と「思考」が見えると思うんです。

家族だからこそ、「他人である」という前提のもとお互いの合理性を理解しようと歩み寄ることが、大切なんだと思います。

(横で聞いていた編集スタッフ)理解や歩みよりが大切なのは分かるのですが「ケア」に慣れている側に、相手を慮ったり、理解しようと努める「負担」がかかっている印象があり、どこか不公平さも受けます......。

竹端:その声は僕のところに本当によく届きます。特に女性からが多いですね。これは子どもの頃、男女で取り巻く環境が違ったことが一つの要因だと考えられます。

少しずつ社会も変わってきていますが、現在30〜40代くらいの方はまだ「女性はケアをする側の存在」という考えの中で育ってきた方が多い。

逆に「男性はケアをしなくてもいい側」として育った人がまだ多く「学んでいないから、できない」。「共働きで家事育児を分担するの当たり前」という社会になっても、なかなか能動的に「ケアする側」に回れない、または関心が薄いケースをよく見かけます。

家事の分担

環境や教育が原因で夫婦間で「ケアのスキル」に差があると、どうしても「スキルがある方」に負担が偏ってしまいますよね。

竹端:そうですね。「ケアは自分には関係ない」と思っている人もいますから……。

しかし、「ケア」は家庭だけでなく、「仕事」においても重要なスキルです。職場で上司に気にかけてもらったり、逆に同僚を助けたり、そこに人間関係がある限り“ケアなき仕事”はあり得ません。ケアは誰にでも関係するものだということを僕は多くの人に伝えていきたいなと思っています。

フィードバックし合うことによって夫婦の関係性は変わっていく

「仕事中心主義」や「ケアのスキル差」などですでに夫婦間の溝が深まってしまっていると感じている場合、何かできることはあるのでしょうか。

竹端:特に共働きで子育てをしている家庭だとなかなか難しいかもしれませんが、まずは意識的に二人の時間をつくるようにしてみてください。

例えば、たまには同じ日に有給を取ってランチに行く、子どもを預けて旅行やデートを楽しむなど、仕事や育児・家事から離れて、お互いを労いあったり、話を聞きあったりする時間をつくれるといいですよね。

夫婦二人の時間

「今さら二人の時間を作るなんて……」と気恥ずかしさを感じる方や、「わざわざ時間を取ってコミュニケーションを取るのが面倒くさい」「話してもどうせ分かってくれない」と思う方もいると思いますし、その気持ちも分かります。

でもやっぱり「夫婦で対話すること」をあきらめないでほしいと思います。「この人と生きていこう」と一度は思った相手なのに、簡単にあきらめてしまうのはもったいないことですし、「子どもが成長してうれしい」「パートナーと人生を共に歩めてうれしい」といった継続的な関係性でしか得られない人生の喜びや豊かさを感じたくて、家族やパートナーシップを築いたという人はきっと多いはず。

対話といっても、いきなり悩みの本題に入らなくてもいいんです。まずは「相手の良い変化」に目を向けてそれを伝えてみてください。人は相手からのフィードバックによって、自分を変えていけるものだと僕は思っています。

夫婦間でフィードバックし合うというのは、あまり考えたことがありませんでした。

竹端:僕が妻からの言葉や子育ての経験で価値観が変わっていったように、人はどんどん変化していきますから「ここがよかったよ」と伝えることは良い夫婦関係を築いていく上でとても効果的です。

対話をすることでお互いの変化を認め合い、また新しい関係性を結んでいく。そういった「夫婦の出会い直し」を繰り返すことが持続的なパートナーシップにつながり、「仕事」と「家庭」の温度差を埋めていくのだと思っています。

取材・文:貝津美里
編集:はてな編集部

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双極症と付き合いながら働く精神保健福祉士・松浦秀俊さんに「躁うつの波を穏やかにする方法」を聞いた

双極症と付き合いながら働く・松浦秀俊さんインタビュー

気分が高揚する「躁状態」と、気分が落ち込む「うつ状態」を繰り返す双極症(※1)。「調子が良い」と感じる躁状態はコントロールしづらく、またその後にやって来るうつ状態との“気分の落差”から、安定的に働き続けることに難しさを感じる方もいるのではないでしょうか。

精神保健福祉士や公認心理師の資格を持ち、働きたいと望む双極症の方の支援を行う松浦秀俊さんは、27歳のとき、「双極症II型(軽度な躁状態とうつ状態を繰り返す状態)」の診断を受けた当事者でもあります。専門知識と自身の経験から学んだ「双極症と付き合いながら無理なく働く」ためのヒントを伺いました。

(※1)「双極性障害」「躁うつ病」は、現在の診断分類「DSM-5-TR」の日本語訳では「双極症」と呼称されています

お話を伺った方:松浦秀俊さん

松浦秀俊さん

精神保健福祉士、公認心理師。株式会社リヴァ 双極事業部 部長。1982年生まれ。大学卒業後、複数の仕事で休職・退職を経験し27歳のとき双極症の診断を受ける。13年ほど勤めている現職では、自身の経験や資格を活かし精神疾患からの復帰や再就職を支援している。
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突然連絡をたち、転職を繰り返す。「社会に適していない」と自信を失った

双極症と付き合いながら働く・松浦秀俊さんインタビュー

松浦さんは27歳の頃に、軽度な躁状態(軽躁状態)とうつ状態を繰り返す「双極症II型」の診断を受けたそうですね。今振り返ると「あれは双極症の症状だったかもしれない」と感じるエピソードはありますか?

松浦秀俊さん(以下、松浦):今思えば、新卒で入社した会社を退職し、個人事業主になった24歳ごろから症状が出始めていたと思います。

もともと「いつか独立したい」と思っていたところ、出張先でたまたま起業支援団体の方と会い、「これだ」とひらめいた感覚になったんです。すぐに退職し内見もせずに引っ越し先を決めて、当時暮らしていた愛知の実家から千葉に移りました。事業を展開しながらはじめての一人暮らしをし、縁があってセミナーを開催したり書籍を出版することになったり。

行動量が多く軽躁状態だったと今では分かります。しかし、当時は行動した分結果もついてくることに高揚感を感じ「もっとやりたい」と歯止めが利かなくなっていましたね。

そのあとに「うつ」がやってきた?

松浦:そうです。書籍の執筆中からだんだん調子が崩れ、書ききった後の出版記念イベントではまったく話せず、予定していた登壇時間の半分で終了してしまうような状態で......。

その後は本の印税は全て起業支援団体に渡して連絡をたち、実家に戻って引きこもりになりました。1社目の退職からたった半年間での出来事です。ここまで激しい落差を経験したのは、人生で初めてのことでした。

半年間の出来事とは思えないですね......。その後はどのように仕事に復帰したのでしょうか?

松浦:数カ月休んで元気になり、勢いよく転職活動を始め、営業職に就きました。でも、期待を裏切ってはいけないと毎日夜遅くまで働いていたら軽躁状態からうつ状態に傾き始めて。プレゼンの前日まで準備ができていないにもかかわらず、“できている風”を装い、プレゼン当日の朝に突然連絡をたち休職することに……。

当時は双極症を自覚していなかったこともあり「自分は社会に適合していないんじゃないか」「この先、働けないんじゃないか」とずいぶん落ち込みましたね。

双極症の働きづらさには、複合的な要因がある

双極症と付き合いながら働く・松浦秀俊さんインタビュー

「双極症かもしれない」と気づいたきっかけは何だったのでしょうか。

松浦:3社目の会社でうつ状態になったとき、人事担当者にこれまでの経緯と休職の希望を伝えたんです。すると、「双極症の可能性があるんじゃないか」と言われて。その時初めて「双極症」という疾患を知りました。

その人事担当者は病気や障害の知識が豊富で、また入社時に私がハイテンションだったこともよく覚えていて、この疾患特有の落差に気づいてくれたようで。その後、病院で「双極症」と診断されました。

ご自身の経験から改めて、双極症の方が抱える「働きづらさ」とは、どのようなものだと感じますか?

松浦:前提として「うまくいかない要因」というのは非常に複合的なんです。双極症の症状に加え、自身の性格や職場環境といった複数の要因が合わさって「働きづらさ」が生じる。そして、双極症と診断されたからと言って、働きやすくなるわけではありません。

私の場合は「人を頼る」のが苦手な性格で、「全部自分でやらなきゃ」と過剰に抱え込んでしまうこと。そして「調子がいいときに頑張ってやるのが当たり前」「サボってはいけない」という固定観念が強く、力の抜きかたが分からず軽躁状態になり、ますます行動が止められなくなることが働きづらさに繋がっていたと思います。

大切なのは双極症について知るだけではなく、医療機関を受診し投薬などその人にとって最適な治療をしながら、自分の性格の特徴や思考の癖についてもよく理解すること。私の場合は社会復帰支援サービスを通じて「自己理解」の方法を詳しく知ったことで、比較的穏やかに仕事を続けられるようになったと思います。

波を穏やかにするポイントは「自分の取扱説明書」を作ること

双極症と付き合いながら働く・松浦秀俊さんインタビュー

「自己理解」とは、具体的にどのようなことをすればいいのでしょうか?

松浦:「ライフチャート(ライフラインチャート)」による症状の振り返りと、「活動量」「睡眠時間」「気分スコア」などの記録を取り、自分のことをよく知り症状を安定させるための「自分の取扱説明書」を作るのがおすすめです。

「ライフチャート」とは、横軸を「時間」縦軸を「気分」とし、発症から現在に至るまでの過程をチャートにまとめる方法です。「日本うつ病学会」がWebサイトで公開しているシート(こちら)が使いやすいと思います。

「新しい職場では無理して躁になりやすいな」「今回のうつは前回よりも落ち込みが浅く、回復も早くなってきた」など、自身のライフイベントと心身の状態がどのようなパターンで変化してきたのか、大まかに把握できます。ただし、過去を振り返ってしんどくなる場合は無理をしないでください。

「ライフチャート」は、就職活動などの自己分析で目にしたことがある方も多そうです。

松浦:次に「活動量」「睡眠時間」 の記録は、日々の活動量と睡眠時間を数値化、可視化して現在の状態を把握するためのものです。私の場合は睡眠時間が6時間を下回ると軽躁状態になっている可能性があり、逆に8時間以上の睡眠が続くときはうつを警戒します。

その他、1日の歩数も活動量に直結するので記録に向いています。「15,000歩を超えると躁に注意」など自分の傾向を探ってみてください。

双極症と付き合いながら働く・松浦秀俊さんインタビュー

「気分スコア」ではどんなことを記録するのですか。

松浦:ゼロを基準に「-5から+5」の間でその日の気分を記録します。医療や支援の現場ではよく、「-1の低め安定を目指しましょう」と言われています。

プラス(=躁)が大きければ大きいほど、その後にやってくるマイナス(=うつ)の振り幅も大きくなり職場や社会への復帰に時間がかかるので、ちょっとテンションが低い-1くらいに留めておくのが良いという考え方です。

おすすめは気分スコアと一緒に、その日の出来事も記録しておくこと。出来事と気分を紐付けていくと、自分のパターンが見えてきやすいんです。例えば、私の場合は「新しいプロジェクトにアサインされた」「メディアの取材を受けた」後に軽躁状態になりやすい、といったことが可視化できます。

なるほど、分かりやすいですね。これらの記録を続けるコツはありますか?

松浦:支援の現場では手書きで記録するケースも多いのですが、毎日の記録が苦手な方はスマートウォッチやアプリを活用してもいいと思います。

また、私のように社会復帰支援サービスを利用して、他の人たちと一緒に取り組むのもおすすめです。例えばライフチャートを書くとき。過去のことをよく思い出せなかったとしても、人の話を聞いているうちに「自分にも似たような経験があるな」と気づくことがあります。それに、目の前の誰かから「こうやって記録するとやりやすいよ」と言われたら、能動的に試してみたくなるものだと思うんです。

ただ、過去のつらい出来事も多く含まれると思うので、無理ない範囲で共有することも大切なポイントです。一人で向き合うのがしんどいのであれば、カウンセラーなど第三者に伴走してもらいましょう。

松浦さんの経験から「双極症と付き合うコツ」をまとめた一冊
▶『ちょっとのコツでうまくいく! 躁うつの波と付き合いながら働く方法』(秀和システム)

「ちょうど良い挑戦の幅」を焦らずに探してみて

双極症と付き合いながら働く・松浦秀俊さんインタビュー

職場の人には、自身の症状をどのように伝えるといいでしょうか?

松浦:「私は双極症です」とだけ伝えてしまうと、相手もどうしたらいいのか分からなくなってしまうと思うので、お願いしたいことを具体的に伝えるのがいいと思います。

例えば、「ミーティングで口数が多かったら、軽躁状態になりやすいサインだから教えてほしい」など、周囲からの観察は自分の状況を把握する上で非常に有効です。私の場合は、口笛を拭き始めたら軽躁状態のサインであることに妻に言われて気がつきました(笑)。

先ほどもお伝えしたように「躁をいかに抑えられるか」がこの病気と向き合うポイントになります。周囲の力を借りながら、なるべく早く気づける環境を主体的に作っていくことが、双極症と付き合いながら働き続けるために大切だと考えています。

双極症の方が仕事を選ぶ際に大切にすると良いポイントはありますか?

松浦:個人の得意、不得意もあるので一概には言えませんが、一般的には徹夜での仕事や働く時間がランダムになりやすいシフトワークは、調子を崩しやすいと考えられています。たった1日の徹夜が躁の引き金になってしまうこともあるため、心身の安定に相当の努力が必要になりますね。

また多くの人にとってメリットが多いと考えられているフレックス勤務やリモートワークは、柔軟さゆえに生活リズムが乱れやすいという難点があります。できれば勤務時間が固定されている、リモートワークの場合も少なくとも週に数回は職場に出勤するような仕事が望ましいのではないでしょうか。

以前お話を伺った看護師の方は、夜勤をきっかけに双極症を発症し、今は夜勤のない病院や看護師を育成する学校で働くなど、自分が安定しやすい働き方を選択しているとおっしゃっていました。

一方、シフトワークでもうまく双極症と付き合って働き続けている方も、もちろんいらっしゃいます。

大切なのは、主治医とも相談しながら「無理なく続ける方法を探ってみる」こと。私も「無理なく続ける働き方」を選んだことで、13年間休職をせずに同じ職場で働き続けられていますから。

双極症と付き合いながら働く・松浦秀俊さんインタビュー

「無理なく続けられる働き方」は、躁とうつの落差も生まれづらそうです。

松浦:昔の私のように、やりたい仕事に向けて闇雲に突っ走って「望んだ仕事なんだから、早く結果を出さなきゃ」という気持ちが強くなると、症状と相まって空回りするケースは多いと思います。

でも今は「無理なくできる仕事」を続けることで、その仕事の中での「やりたいこと」や「おもしろさ」が見えるようになったんです。そうすると次第に「このくらいならチャレンジできるかもしれない」と、躁に振り切らない範囲での成功体験を積んでいくこともできる。

焦らずに、自分にとってちょうど良い挑戦の幅を探してみてください。

取材・文:遠藤光太
撮影:関口佳代
編集:はてな編集部

自分の「体」と「心」にあった働き方を見付ける

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華やかな人生より「誰しもが共感できる悩み」を深掘りしたい。りっすん・担当者インタビュー

りっすん運営者インタビュー 株式会社アイデム 藁品優子

"はたらく気分"を転換させる深呼吸マガジンとして、2016年に生まれた「りっすん」(運営:株式会社アイデム)。

何よりも「読者の声に耳を傾け、寄り添うこと」を大切にしてきたりっすんで、新たにみなさまからの“おたより”を募る機能がスタートしました。

今回は“中の人”に、改めてりっすんがどういうメディアで、どんな情報を届けたいと考えているのか、「おたより機能」はどんな思いでつくられたのかなどを語ってもらいました。

お話を伺った方:藁品優子

株式会社アイデム 藁品優子

2005年、アイデムに入社。制作専門の部署で紙媒体の原稿制作に10年以上携わったのち、フリーペーパー配送部門の部署を経て、現職。動画広告やSNS運用のほか、Webコンテンツ(「りっすん」「ジモコロ」など)を担当。プライベートでは3児の母。

仕事や人生に「不安」を抱えている人に、寄り添う記事を

りっすんは2024年8月でスタートから丸8年を迎えました。もともとどのような思いから生まれたメディアだったのか、改めて教えてください。

藁品優子(以下、藁品):「働く女性や、働きたいと考えている女性を応援したい」という思いから生まれました。

メインの想定読者層は、働き盛りの20代後半から40代の女性です。この年代の方は、結婚や妊娠、出産、育児といった大きなライフイベントが生じたり、逆にそれらを「選ばない」決断をしたりと気持ちが不安定になることが多いと思うんです。

そういった方が記事を読むことでひと息ついて、また明日から頑張ろうと感じていただけるようなメディアをつくろう、というところからスタートしました。

運営元である株式会社アイデムは、求人情報サイト「イーアイデム」などを展開する企業ですが、なぜ「女性を応援したい」と考えたのでしょうか。

藁品:「イーアイデム」は女性ユーザーが多いのですが、ただ求人情報を載せるだけではなく「そのときどきの自分に合った仕事や、最適な働き方が選択できるようなサポートをしたい」という思いがあります。

仕事が何より大事な方もいれば、子どもや趣味を優先するためにマイペースに働きたいという方もいる。そういったいろいろな方の仕事や人生について掘り下げたエピソードを載せられるような場があったらいいよね、という考えがありまして。

りっすん運営者インタビュー 株式会社アイデム 藁品優子

たしかにりっすんは、仕事や人生における「個人的なエピソード」を深堀りした記事が多いと感じます。

藁品:人生や仕事に対して不安な気持ちを抱えている方が読んで心を動かされるような記事ってなんだろうと考えたときに、やっぱり「分かる」「私だけじゃないんだ」と共感できるような内容であることが大切だと思うんです。

そのためには仕事や働き方に加えて、その人独自の悩みやしんどさなどについても語っていただいた方がより身近に感じられるだろうな、と。

また、今は女性をメインターゲットにしているメディアではあるのですが、時代の変化に合わせてゆくゆくは性別にこだわらず、働くことに悩みを抱えているさまざまな人にもっと寄り添えるメディアになっていきたいと考えています。実際、ここ最近は男性視点の記事も増えてきています。

華やかな仕事や人生を切り取るより、読み手の「共感」を大事に

藁品さんは前任者から引き継ぎ、2017年からりっすんの担当になったそうですが、もともと「読者」だったと伺いました。

藁品:そうなんです。3人目の子どもの育休を経て仕事に復帰し、さまざまな不安を抱えていたタイミングでりっすんが始まって。自分に響く記事ばかりだったので、毎回長い感想を書いては当時の初代担当者に送っていたら「こんなに熱心な読者はほかにいないから」という理由で初代担当者の退職に合わせて私に担当が回ってきた……という経緯です(笑)。

りっすん運営者インタビュー 株式会社アイデム 藁品優子

今では、当時の私と同じような状況にいる弊社の社員から感想をもらうことも多く、企画の参考にさせてもらったりしています。

そんな藁品さんから見て、特に印象深い記事を教えてください。

藁品:仕事をしながら出産・育児に向き合う方が苦悩や葛藤をつづる記事はいつも読者からの共感のエネルギーが高く、不安を抱えている方が多いのだなと感じます。

中でも、個人的に印象深いのは田中伶さんのエッセイですね。私もかつて「寂しい思いをさせているんじゃないか」とか「毎日お迎えが最後で申し訳ない……」といったさまざまな葛藤を抱えながら、子どもたちを保育園に預けて働いていたので、心から共感しました。

もし自分がリアルタイムでこの記事に出会えていたら、すごく救われただろうなとも思いました。


また、カレー沢薫さんの記事も大好きですね。「自分の肯定できる部分を見付けよう」という優しく励まされる中に、痛快な“カレー沢節”が効いていて、仕事で壁にぶつかったときによく読み返して、気持ちを入れ替えています

最近は「多様な働き方」について語った記事や、先ほどもお話しされていたように男性目線の記事が増えている印象です。

藁品:りっすんが生まれてからの8年間で、女性を含めた働く方々を取り巻く環境はさまざまに変化してきました。その変化が、記事に現れているのかなと。

「働くこと」自体を見直す記事も反響が大きく、働く上で迷いや悩みがある方に届いているんだなと感じています。

エッセイはもちろんのこと、インタビュー記事においても「読者にとって身近な悩み」について語っている記事が多いと感じます。

藁品:りっすんでは、芸能人など一見して華やかな職業に就いている方に出演いただく場合も、「華やかな仕事と人生」だけを切り取るのではなく、「悩みや痛みの体験」を発信し、今同じ悩みを抱えている方に寄り添いたいと考えています。

これまでもさまざまな方にご出演いただきましたが、みなさんそれぞれさまざまな葛藤を抱えていらっしゃって。どんな仕事であっても悩みは尽きないし、それが仕事というものなんだと気付かされました。

いろんな方の悩みや、それをどう解決したかといったエピソードに触れて、少しでも多くの人の気持ちを軽くできたら、と思っています。

SNSで気軽に発信できる時代だからこそ、あなたの「おたより」を読みたい

常に読者の立場に立つこと、読者の声を聞くことを大切にしてきたりっすんで、新しく始まった「おたより機能」について教えてください。

藁品:読者の生の声を聞きたいという気持ちは前々からあって、これまでも「ブログコンテスト」や、「りっすんお茶会」などを実施してきました。

とはいえこういったイベントはすこし参加ハードルが高いので、記事を読んで感じたことや気づいたことなどいろんな声をより気軽に発信できる場がほしいな、というところから、私たち運営者に直接感想を送れる「おたより機能」が生まれました

サイトのTOPページや記事の個別ページなど設置したバナーから専用フォームにアクセスできるので、ぜひ気軽に“おたより”を送ってほしいです。

「りっすん」おたより機能
このバナーが目印です
SNSで気軽に発信できる時代に、あえて「直接感想を送れる」という方法をとったのはどうしてですか。

藁品:前提として、メディアとしてSNSで記事を拡散しつつ反応していただくのは、とてもありがたいんです。

しかし「悩み」や「不安」について取り上げるメディアだからこそ、共感すればするほど、オープンな場で言えないことや言いたくないこともあるだろうな、と思っていて。

たしかに、ネットとリアルの境界線があいまいになり、SNSでのつながりが強くなっていく中で、気軽に発言できないというシーンが増えてきていると感じます。

藁品:そもそも、これだけ情報があふれている時代に、決して短くない文章の記事を読んでいただいていること自体が本当にありがたいと思うんです。

「活字に触れる」というハードルを越えてりっすんの記事に出会ってくださったのであれば、ぜひ、そのときに感じたご自身の気持ちを「ひとりごと」や「記録」のように残してくださるとうれしいです。

取材・文:生湯葉シホ
撮影:関口佳代
編集:はてな編集部

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引越しの準備をする女性
「働きたい」という気持ちを諦めての帯同だったのですね......。

鈴木:納得した上での帯同ではありましたが、結婚して苗字が変わり、住む場所も変わり、さらにはこれまで築いてきた人脈やキャリアも失ったことで、実際に転勤先での生活が始まると、自分のアイデンティティーを全て失ったような気持ちになりました。

一方で夫は、キャリアを継続しながら、転勤先で新しいプロジェクトにも挑戦できている。「ついこの間まで対等な立場で働いていたはずなのに、私ばかりが多くを失った」と空虚な気持ちになり、悲しくなったことを覚えています。

お子さんを出産してからは、約7年間の専業主婦期間を過ごし、その間も何度か転勤されたそうですね。どのように現在のキャリアに復帰したのでしょうか。

鈴木:2011年に夫が東京の本社に戻ることになったため、再就職のため専門学校に通い「キャリア・ディベロップメント・アドバイザー(CDA)」の資格を取得しました。その後、幸運にも専門学校のクラスメイトからオンラインカウンセリングの仕事を紹介してもらえたので、すぐに経験を積むことができました。

今はある会社で人事を担当していますが、正社員として働くことが私の1つの目標でもあったので、ようやく思い描いていたキャリアにたどり着けたと感じています。

「解像度の高い自己PR」を準備。転勤妻のキャリア戦略

鈴木さんの経験から、転勤妻が長期的なキャリアを築くことの難しさはどのようなところにあると思いますか?

鈴木:「パートナーがいつ、どこに転勤になるか分からない」という不安が、転勤妻のキャリア設計を難しくさせると感じています。パートナーの転勤先で仕事を探そうとしても、「いつか引っ越すことになるかも」と考えると、正規雇用から足が遠のいてしまう人も少なくないはずです。

さらに、転勤先が地方だった場合は、求人数の少なさもネックになってくるのではないでしょうか。

そんな状況の中で、転勤妻が長期的なキャリアを築くために必要なことを教えてください。

鈴木:まずは「人脈を絶たないこと」です。私が専門学校のクラスメイトから仕事を紹介してもらったように、周囲の知人や友人が、何らかのビジネスチャンスを持っている場合があります。ビジネスには関係ないと思える人脈でも、次につながる有益な情報を持っている可能性があるので、人間関係を大切にしてほしいと思っています。

それから、自分のキャリアに興味を持ち「解像度の高い自己PR」をできるように準備しておくことも大切です。

これまでのキャリアについて、具体的に説明できるようにしておくということでしょうか。

鈴木:そうです。キャリアの棚卸しをするように、具体的な業務内容を振り返り「自分ができること(CAN)」を明確にしておくことが重要です。

例えば、経理の仕事をしていたのなら「月次決算と年次決算を任されていた」、営業なら「IT企業の顧客に対して、法人営業を担当していた」など、具体的に業務内容を言語化しましょう。年間売り上げ目標と達成率、営業成績の社内順位など、数字に落とし込めるとより良いですね。

中には「自分にはアピールできるような専門性やスキルが何もない」と思ってしまう人もいるのではないでしょうか。

鈴木:専門的な知識や経験がなくても、仕事に対する「強み」は必ずあると思うので、そこに焦点を当ててみてください。

例えば、小売業の販売員の方なら、「売れる商品が目立つように陳列方法を変えた」といった分析力や「お客さまの希望に沿った商品を勧められた」といったコミュニケーション能力など、「売る」に関連した何かしらのスキルを発揮しているはずです。在職中のエピソードの中から自分の強みを発見し、それを自己PRに繋げてみてはいかがでしょうか。

このような実績の振り返りは、退職して日がたつほど記憶が薄れて曖昧になってしまいます。退職前から書き残しておくことがおすすめですよ。

「自分に足りない要素」を埋めるコツは、正規雇用にこだわり過ぎないこと

履歴書を書く女性
「自分にできること=CAN」を明確にした後のステップとして、やるべきことは何でしょうか?

鈴木:経済や雇用についての「情報をキャッチアップすること」です。業種のトレンドや働き方、求められる知識・経験は、ものすごいスピードで変化していくため、専業主婦になる前に持っていたスキルはあっという間に陳腐化してしまいます。

仕事から離れている間も新聞やビジネス誌などから情報を得ることができれば、「今の自分には何が足りていないか」が見えてきます。そうすれば、「将来やりたい仕事(WILL)」に向けて、具体的に行動しやすくなると思います。

「CAN」と「WILL」の間にある不足を補っていくイメージですね。

鈴木:そうですね。「知識」が不足しているなら、資格の勉強をするのも良いですし、「経験」が不足しているなら、正規雇用にこだわらず実務経験を積めるパートから始めるのも良いでしょう。

私の場合はCDAの資格を取得した後に、パートでカウンセリングの経験を積みました。正規雇用を望む気持ちもありましたが、7年のブランクを埋めるためには、雇用形態にこだわるよりも「実務経験を積むこと」の方が大事だと思ったからです。

スキルの陳腐化を防ぐ手段として、専業主婦期間に取っておくと良い資格はありますか?

鈴木:これまでのキャリアの延長線上にあり、付加価値をつけてくれるような資格が良いと思います。マーケティング系ならウェブ解析士の資格を取ることでより専門性が高まりますし、事務系ならマイクロソフトオフィススペシャリスト(MOS)の資格を取れば、「基本的なPC操作ができる」という証明になるはずです。

育児などの理由で、転勤妻がキャリアチェンジを望む場合におすすめの職種はありますか?

鈴木:保育園や介護福祉施設、小売店などの「エッセンシャルワーク」なら、自宅から近い職場を選びやすく、勤務時間が細かく区分されている所が多いので、「まずはパートから実務経験を積みたい」という人におすすめです。近年、エッセンシャルワークは人手不足となっているため、未経験でもチャレンジしやすい職種だと思います。

他にも、Webマーケティングやセールス(インサイド・カスタマーサクセスなど)といったパソコンを使う仕事はリモートワーク可能なことが多いので、子育てをしながらや、違う土地に転勤することになっても続けやすいと思います。

ただ実際にどこまでリモートワークが許容されているかは会社や職種によって異なるため、面接などの際に人事や先輩社員に確認する方が良いでしょう。

小さな行動でも“働く意欲”は伝わるはず。まずは一歩を踏み出してみて

夫婦の片方が転勤のある仕事に就いている場合、両者の今後のキャリアを考えるにあたって夫婦でどのようなコミュニケーションを取ればいいでしょうか?

鈴木:「自身のキャリアを断絶させたくない」と考えているのなら、まずはパートナーにその意思をきちんと伝えることが大切だと思います。また、辞令が下りた場合には「家族で帯同するのか」「帯同する場合は子どもを預けられそうな場所はあるか、費用はどのくらいかかるのか」など、細かくシミュレーションをして、状況ごとにどのような協力体制を築けるかを話し合ってみてください。

夫婦で話し合う様子
夫婦の話し合いが大切ということですね。帯同をきっかけに「今後、自身のキャリアを築いていけないのではないか」と不安を感じている方に、メッセージをいただけますか。

鈴木:たとえ帯同により数年ブランクができたとしても、「その期間をどう過ごしたか」が重要だと思っています。「0のままでいるよりは、0.1でもいいから動いた方がマシ」くらいの軽い気持ちで、動き出してみてください。

「隙間時間に資格の勉強をしてみる」「近くのスーパーで1時間だけ働く」でも良いでしょう。「この1冊は勉強し終えた」「自分の力で1,000円稼いだ」という事実が、さらなる意欲につながると思います。小さくても何かアクションを取り続けていれば、いざ再就職活動を始めた時に「この人は働く意欲をずっと持っていた人なんだ」と採用側も少なからず感じてくれるはず。

小さな一歩だとしても、前に進んだからこそ見える景色がありますし、動いた人にしか掴めない気づきとチャンスが待ってくれていると思いますよ。


取材・文:佐藤有香
編集:はてな編集部

結婚・出産後、どう「働いて」いきたい?

専業主婦から再び会社員へ。「お母さん」ではなく自分の名前で呼ばれる場所を得て生きやすくなった
専業主婦から再び会社員になった
育児中はフルタイムor時短の2択、ではない。“働き方の選択肢“はできるだけ多く知っておく
「働き方の選択肢」はできるだけ多く知っておく
「小1の壁」で派遣社員に、でも後悔はない。優先順位を見直したら「納得できる働き方」が見つかった
「小1の壁」で正社員から派遣社員に。でも後悔はない

お話を伺った方:鈴木祐美子さん

鈴木祐美子さんプロフィール

大学卒業後、株式会社セブン-イレブン・ジャパンに入社。株式会社リクルートに転職した後、夫の転勤に帯同するため退職。その後、約7年間の専業主婦期間を経て、キャリアコンサルタントとして復帰。現在はZEIN株式会社の人事部で働きながら、講師業も行っている。

親がしんどい。臨床心理士に聞く“分かってくれない親”との付き合い方

寝子さんインタビュー

今は仕事を優先したいと考えているのに結婚することや子どもを持つことを前提に話をされる、子どもを保育園に預けて仕事復帰することに小言を言われるなど、親との会話に「しんどさ」を感じたことはありませんか。

家族やパートナーシップのあり方、仕事観など、女性の働き方・生き方が多様化している現在。旧来的な価値観に囚われている親からの“よかれと思ってのアドバイス”とどう付き合えばいいのでしょうか。

親子のコミュニケーション方法に詳しい臨床心理士・公認心理師の寝子さんに「親と適切な関係性」を築くコツを伺いました。

お話を伺った方:寝子さん

寝子さんプロフィール

臨床心理士・公認心理師。 医療機関で成人のトラウマケアに特化した個別カウンセリングに従事。中でも、親子関係でのトラウマケアと性犯罪被害者支援をライフワークとしている。著書に『「親がしんどい」を解きほぐす』(KADOKAWA)がある。
@necononegot(X)

過去の思考の癖から生まれる、親への「しんどい気持ち」

大人になり自立した人生を歩んでいるにもかかわらず、親の言葉に心が傷ついたり、モヤモヤを感じたりなど「しんどい気持ち」を抱くのはなぜなのでしょうか?

寝子さん(以下、寝子):まず大前提として、子どもにとって親は特別な存在です。特に幼いうちは衣食住に関する全ての決定権が親にあるわけですから、親は絶対的な存在と言っても過言ではないでしょう。

そのため子どもは親の機嫌や感情を敏感に感じ取ろうとします。「自分がいい子にしていれば喜んでくれる」「心配させると感情的になってしまう」など、親に及ぼす自分の影響力を本能的に分かっているからこそ、自分の気持ちよりも親の悲しみや不機嫌に対処しようとします。

その結果、大人になっても「親に合わせないといけない」「自分がなんとかしなくちゃ」という過去の思考の癖から抜け出せずに、親との関わりの中で「しんどさ」を感じてしまうのです。

親に対する「しんどさ」の原因や向き合い方を綴った一冊
▶『「親がしんどい」を解きほぐす』(KADOKAWA)

なるほど......。子どもの心理として「親はどうせ分かってくれない」「でも分かってほしい」という気持ちが共存することによる “しんどさ”もあると思うのですが、なぜこうした矛盾した感情を抱いてしまうのでしょうか。

寝子:これも一見矛盾して見えますが、とても理にかなった感情なんです。例えば子どもが「◯◯が食べたい」「◯◯の習い事がしたい」というとき、親に“分かってもらえない”と物事は進まないですよね。だから「親に自分のことを分かってほしい、理解してもらいたい」と思う。

一方で親は絶対的な存在だからこそ、分かってもらえなかったときのショックはとてつもなく大きいです。そのため一度傷ついたことのある人ほど、これ以上傷つかないように「どうせ分かってくれないだろう」と諦めの感情を抱くのです。

なので2つの感情の中で揺れ動いたり、モヤモヤするのは全くおかしなことではありません。大切なのは「どちらも、親との関わりの中で必要な感情だったんだ」と認めてあげること。自分を守るため、生きるために状況に応じてバランスをとって共存していけるといいですよね。

“分かってくれない親”と、どうコミュニケーションをとる?

結婚、出産、子育て、働き方に関する旧来的な親の価値観にもとづいた「よかれと思って」のアドバイスには、どのように対応するのが良いのでしょうか?

寝子:まず親が生きてきた時代と今とでは、大きく価値観が異なることを念頭にコミュニケーションをとるのが良いでしょう。

現在20代後半〜40代の方の親世代は、高度経済成長やバブル景気を経験した世代です。今よりも働き方や生き方の選択肢が少なかったこともあり、画一的な価値観の中で育ち、個性よりも協調性が求められてきた。つまり、変化を好まない世代です。

一方、現代社会では世の中の変化のスピードも速く、価値観も多様化しており、人それぞれ働き方や生き方の選択肢も異なりますよね。

確かに、親世代から見ると私たちの働き方・生き方は「信じられない」ものなのかも……。

寝子:きっとそうだと思います。ですから、親から旧来的な価値観にもとづいたアドバイスをされたときは、「お母さん、お父さんの時代はそうだったんだね。でも私はこうするね」と、心の境界線を引くことを意識してみてください。

また「あなたのためを思って」というアドバイスは、親が自分の人生を肯定したいだけかもしれません。「お父さんのときは大変だったんだ」という自慢や、「お母さんはこんなに苦労したのに、あなたは!」という嫉妬心ゆえに口出しをしてくるケースもあります。

だからこそ親と自分を切り離して意見を伝えたり、人生の選択をすることが大切です。

境界線を引くイメージ
「親と心の境界線を引くことを意識する」。“分かってくれない”しんどさを感じたときほど思い返したい言葉です。その上で親と話し合いがしたい、自分の気持ちを伝えたいとき、けんかやヒートアップを避けるにはどうしたら良いのでしょうか。

寝子:親に対する「期待値の調整」をおすすめします。「絶対に分かってもらわなければ!」「今日、決着をつけよう!」とすればするほど焦ってヒートアップしてしまうので「分かってもらえないかもしれないけど伝え続けよう」くらいの気持ちで構えてみてください。

いきなり本題に入らず、まずは世間話をするのも良いでしょう。お互いの趣味やおいしいごはん、レジャースポットの話など、たわいのない会話を通して楽しい時間を共有することも、適切な関係を築くためのコミュニケーションの一つです。また、親自身も話し合う心の準備ができていないこともあります。自分にプレッシャーをかけ過ぎず、長い目で見てみてください。

いざ話し合うときに心がけておくと良いことはありますか?

寝子:親との良くないパターンを把握しておくのはどうでしょうか。例えば、いつも言い返してケンカになってしまうのであれば、その場では受け流す程度にして、後からテキストでメッセージを送る、改めて電話で伝えるのも一つの方法です。

あとはイメージトレーニングをしておくのも有効ですよ。「すぐに言い返さず、間を空けてみる」「嫌なことを言われたときは、ん?という表情をして止まる」といったリアクションを事前に頭の中でイメージしておくと喧嘩を避けやすくなると思います。

なるほど。準備をしておくのも大事なのですね!

寝子:ただ、いくら準備をしても予想通りにいくとは限りません。ダメージを受けることもあると思うので、自分へのご褒美もセットで用意しておくと良いでしょう。

親と話し合った後は愚痴(ぐち)を聞いてくれる人と会う、好きなスイーツを買って帰る、その日はオフにするなど。ダメージを受ける前提で、自分を労わる準備をしておくこともおすすめです。

「気持ちを伝えられない自分」を責めないでほしい

差し込む光のイメージ
けんかになってしまう方がいる一方で「親に意見を言えない・小さい頃から自分の気持ちを伝えるのが苦手だった」というケースもあると思います。その場合どのようなコミュニケーションを試みるのが良いでしょうか。

寝子:そうした場合は無理に話し合ったり意見を伝えなくても良いと思います。おそらく、過去に自分の気持ちを伝えて良い反応を得られなかったり、嫌な記憶が残っているのでしょう。

そもそも、自分の意見を言える方が良い・偉いなんてことはありません。言いたいけど言えないという人は、「相手を傷つけたくない」「人と穏やかに関わっていきたい」という深い優しさを持っている人です。

相手を慮(おもんばか)ってモヤモヤを抱え続けられるということ。その素晴らしい特性や優しさに気づいて、ご自身を褒めてあげてほしいなと思います。

“優しい特性を持っている”自分に目を向けてあげることが大切なのですね。

寝子:どうか自分の欠点探しをしないでほしいなと思います。そしてもし普段から優しい人が、怒りや不快感を抱くようなことがあったとしたら、それはその人にとって大切な価値観や信念が隠されている証です。

その場合は「自分は何を大事にしたいのかな?」とご自身と向き合う機会にしてみてもいいかもしれませんね。

今のあなたは、親に分かってもらえなくても生きていける

親にモヤモヤしつつも育ててくれた感謝の気持ちから、親を否定することに抵抗を感じるケースもあるかと思います。そうした中で、親と向き合うことのメリットもしくは向き合わないことで起きるデメリットについて教えてください。

寝子:まず向き合わないデメリットとしては、「しんどい気持ち」が続いてしまうことです。最初に話した通り「親」というのは特別な存在だからこそ、一度感じた不快感がなかなか消えません。嫌な気持ちにふたをするのにも、実はものすごくエネルギーが消耗されています。

また本人はもちろんのこと、苦しんでいる姿を目の当たりにする今の家族や友人に「しんどい気持ち」が伝わってしまうことも。本来親に向けるべき感情を抑圧してきた分、パートナーや子どもに当たってしまうなんてこともあり得ます。

今大切にしたい人をちゃんと大切にするために親と向き合ってみるのも良い選択かもしれませんね。

一人で歩くイメージ
「親」との関係をどう築くかで、他の人との関係性にも変化が生まれるんですね。

寝子:ただし、選択に良い悪いはありません。向き合うことで短期的にはしんどい気持ちになると思いますし、自分を守るために向き合わないことが必要なときもあります。そのため双方のメリット・デメリットを知った上でご自身で選択ができると良いですね。

親へのしんどい気持ちから、これからどう接していくべきか悩んでいる方に向けて、寝子さんはどんなメッセージを届けたいですか?

寝子:「今のあなたは親に分かってもらえなくても生きていける」とお伝えしたいです。子どもの頃、親は絶対的な存在でした。生きるためには親の機嫌や感情に合わせなければならず、知らず知らず傷ついてきた人もいるでしょう。

でも親の顔色を気にしてしまうのは子どもの頃の思考の癖であって、今はもう振り回されなくて大丈夫。親の不機嫌は親の問題なので、引き受けなくていいのです。

そうやって「親がしんどい」と感じる根本を解きほぐしながら自己理解を深めていくことで、「親との適切な関係性」を模索していけると良いですね。

取材・文:貝津美里
編集:はてな編集部

「家族」だからこそ、むずかしい

家族に苦しめられた私が、独身のまま40歳を過ぎて思うこと|小林エリコ
家族に苦しめられた私が、独身のまま40歳を過ぎて
遅れて来た反抗期を終えて感じた「ほんとうの自立」
30歳を過ぎたころに「遅れてきた反抗期」を迎えた
「家族会議」のやり方。専門家が教える、週1回10分で子どもと信頼関係を築く方法【テンプレ付】
週1回10分で子どもと信頼関係を築く「家族会議」のススメ

忙しくて本が読めない、積読してしまうという人へ。三宅香帆さん「また必ず読めるときがやってくる」

三宅香帆さんインタビュー

本を読みたいのについスマホを眺めてしまう。仕事や家事、育児に追われて積読が増えていく——。「読書」にまつわるそんな悩みを抱えてはいないでしょうか。

文芸評論家として活躍する三宅香帆さんも、会社員時代は「本が読めなくなった」といいます。そんな当時の経験をSNSで発信したところ、多くの共感の声が集まり、2024年4月には『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を出版しました。

今回は、仕事に家事・育児と目まぐるしい毎日の中で、読書を楽しむヒントをうかがいました。

働いていると本が読めなくなるのは、普通のこと

本が大好きな三宅さんも、多忙な会社員時代に本が読めなくなったとのこと。改めて、当時の状況を教えていただけますか。

三宅香帆さん(以下、三宅):仕事に関係のある本は読めても、好きだったはずの古典文学や海外文学などが読めなくなりました。仕事はすごく楽しくて充実していた一方で、本を読む時間が取れないだけでなく、そもそも興味が向かなくなっていたんです。

その経験をSNSにつづったところ、多くの共感の声をいただいて。働いていると本が読めなくなったのは、私だけではないんだなと気づいたんです。

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社)

日本の労働と読書の歴史を紐解いた一冊

著書『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』では、その理由を本という媒体の“ノイズ性”にあると書かれていました。

三宅:はい。特に文学作品は、今の自分に直接関係のない“ノイズ”となる情報が含まれていることが多い。

そこが読書の魅力でもあるのですが、時間がなく自分のことでいっぱいいっぱいなときは、そういった“ノイズ”を受け入れる余裕がありません。だから、働いていると本が読めなくなるのではないかと考えました。

現在はフリーランスの書評家として活動されていますが、会社員の頃と比べて、本との接し方はどのように変わりましたか?

三宅:時間の使い方を自分で決められるようになったことで、自然とまた本が読めるようになりました。今の世の中で会社員と読書の両立がいかに難しいか、身をもって体感しましたね。

スマホばかり見ちゃう、時間がない……読書の悩み別アドバイス

読書に対するよくある悩みについて、ケース別に無理なく本を読むコツを教えてください。

ケース1:就寝前や休日など「本を読もうかな」と思っていたはずなのに、ついついスマホで動画やSNSを見てしまい今日も積読のまま……


三宅:まずは、よく開くSNSや動画アプリの近くに「電子書籍アプリ」を入れてみましょう。

スマホを使っていると、最初はおもしろく見ていてもだんだんと「見たいものはもうないのに、なぜかだらだらと見続けちゃう」ということはありませんか?そういうとき、すぐ近くにある電子書籍のアプリを開いてみる。すると、「こっちの方が自分が欲しい情報があるじゃん」と、本のおもしろさを感じられるかもしれません。

他のアプリで見るものがなくなり「暇だな」と思ったら、電子書籍を開いてみるところから始めてはいかがでしょうか。

スマホを眺めている様子
スマホばかり見てしまうなら、むしろそれを読書のきっかけにしてしまおう、ということですね。普段から読みたい本をチェックしておくとよさそうです。

三宅:そうですね。アプリ内に積読しておいて、暇なときにそれを読むのが良いんじゃないかなと思います。

スマホを使った方法でいうと、「読書メモ」をつけるのも効果的です。月ごとに読んだ本や内容を簡単にメモしておくと、今月はあまり読めていないなと気づいて、「じゃあもう少し読もうかな」という動機になる。SNSが好きな方であれば、その読書メモを発信するのも楽しいと思います。

ケース2:上司や同僚に「この本は今後のために読んだ方が良い」と勧められた本や、資格取得のための本ばかり読んでいるうちに、本を読むことが「タスク」になってしまった


三宅:このケースでは、書店に行ってみることをおすすめしたいです。

ケース1で紹介した電子書籍は手軽であるがゆえに、ラインアップが「読まなきゃいけない本」に偏ってしまいがち。そういうときこそ書店に行くと、普段の仕事とは関係のない本が目に留まって、「自分の興味ってこういうところにあったんだな」と新たな気づきがあると思います。

あるいは、タイトルや表紙に惹かれた本を手に取ってみることで、全然知らない著者さんに出会えることもありますね。読書が義務になってしまっている人は、いったん書店に行ってみて、自分の興味関心を広げてみるのが良いと思います。

書店で本を選ぶ様子
新しいジャンルの本に挑戦してみたいとき、どのように開拓すると良いでしょうか?

三宅:フィクションだったら、自分と好みの合う読書アカウントや読書ブログを見つけて、その人の推薦に沿って読んでみると、いろんな作品との出会いがあると思います。

専門的な内容であれば、新書を強くおすすめします。日本の新書って、非常にレベルが高いんですよ。最先端な分野でもニッチな分野でも、短く分かりやすくまとまった媒体が1,000円くらいで入手できる。

新しい分野に興味を持ったら、まずは新書でその分野を解説している本を探してみてください。それが面白かったら、同じ筆者の過去の書籍や、参考文献をたどって、その分野を掘っていくと良いと思います。

ケース3:朝と夜は育児、日中は仕事。そもそも「自分の時間」がない。たまにスキマ時間ができても、何をするでもなくあっという間に時間が過ぎてしまう


三宅:ケース1と同様に、スマホやタブレットに「電子書籍アプリ」を入れると、スキマ時間に読みやすくなると思います。その際、フィクションの場合は小説だとなかなかスキマ時間で読むのが難しいと思いますから、アンソロジー短編集など「細切れ読書」がしやすいジャンルのものを選ぶと良いでしょう。

ただ、その時間も取れないぐらい忙しい場合、そもそも今は本を読む時期ではないのかもしれません。その忙しさが落ち着いたときに、「そろそろまた本を読もうかな」と思えることの方が大切な気がします。

読むこと自体が義務になってしまうと、好きだったはずの読書がつらくなってしまいますから。

なるほど……。ただ、せっかく買った本を、ずっと積読している自分に罪悪感を抱いてしまうことがあって......。

三宅:私も積読をしますし、置いているうちにすでに読んだ気になっている本もあります(笑)。自分で買っているわけだし、罪悪感を覚える必要はないと思いますよ。私自身読書を義務に感じたことはなく、だからこそずっと本好きでいられているのだと思います。

私が「読み手」と同時に「書き手」でもあるからかもしれませんが、著者としては買ってくれた時点で万々歳なんです。もちろん読んでくれたら一番うれしいですが、いったん買って自分のものにしておいて「時期が来たら読むだろう」、ぐらいの気持ちでいられると良いんじゃないでしょうか。

そういってもらえると、少し気が楽になりますね。

三宅:ひとまず目次だけ読んでおくのもおすすめですよ。多少読んだ気になって罪悪感も薄れますし、どんなことが書いてあるのかざっくり触れておくことで、ふとしたときに「そういえばあんな本買ってあったな!」と思い出すきっかけにもなります。

いっぱいいっぱいなときほど、本を読んでみて

改めて、三宅さんが思う読書の魅力とは何でしょうか?

三宅:普段忙しく過ごしていると、どうしても目の前のことで頭がいっぱいいっぱいになりがちですよね。特に現代は、働くことに対して真面目にならざるを得ない風潮があると思います。

例えば「キャリアアップしなきゃ」とか「成果を出さなきゃ」とか、何かと焦りを感じやすいような構造になっていて、あっという間に仕事のことで頭がいっぱいになってしまう。

しかし、そんなときにこそ読書をおすすめしたいんです。本が持つポジティブな意味での“ノイズ”が頭の中に入り込んでくれば、本を読んでいるうちは目の前の忙しさから解放される。とても良い気分転換になるんですよね。

かつての私のように、好きなのにどうしても本が読めないという方も多いと思うのですが、できれば今日話したように電子書籍やスキマ時間などを活用して、少しでも読書の時間を持っていただけたらと思います。

読書する様子
「りっすん」読者の中には仕事と家事・育児を両立していて、本がなかなか読めないことに悩んでいる方も多そうです。

三宅:その場合は先ほどお伝えしたように、「今は本を読む時期じゃないんだな」といったん今の自分の状況を受け入れてみてほしい。今後も続く“読書人生”を考えれば、まだいくらでも読めるチャンスはあるはずです。

ただ、著書に書いているように、仕事や家事育児に対して“全身全霊”でなく、心持ちだけでも“半身”で取り組めると良いのでは、と個人的には考えています。

大好きだった本が読めないくらい自分自身に負荷やストレスをかけ過ぎると、短期的にはがんばれても、長期的にみると自らを苦しい状態に追い込んでしまっているように思うんです。仕事も家事育児も心地よく長く続けていくには、本を読む余裕が持てるくらいの方が望ましいのかもしれませんね。

取材・文:ヒガキユウカ
編集:はてな編集部

「読書」が大好きなあなたへ

あなたにとって「働く」とは何ですか? 文学から哲学まで仕事の見方を変えてくれる本|石井千湖
文学から哲学まで「視野」を広げてくれる5冊
仕事の意味を問い直す。冬木糸一さんが選ぶ、これからの仕事を考えるためのSF
これからの仕事のあり方を捉え直すSF4作
すぐには役に立たない本が、だめな自分を肯定してくれた。phaさんの「ゆっくり効く読書」のすすめ
すぐには役に立たない本が、だめな自分を肯定してくれる

お話を伺った方:三宅香帆さん

三宅香帆さん

文芸評論家。京都市立芸術大学非常勤講師。1994年高知県生まれ。京都大学人間・環境学研究科博士前期課程修了。小説や古典文学やエンタメなどの幅広い分野で、批評や解説を手がける。著書『人生を狂わす名著50』『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』等多数。

岸田奈美さんが“元気でいるための休業”をとって気づいたこと。まだ大丈夫と思わず「無理して休んで」

岸田奈美さんインタビュー

「休むことは大事」と分かっていても、仕事や家事、育児などに忙しい日々の中でつい無理をしてしまっていませんか。

作家・岸田奈美さんは、2024年2月の中旬にこれからも元気に働くために「1週間の休業」という選択をとりました。

これまでは「人気商売のフリーランスが休むなんてありえない」と感じていたという岸田さん。結果的に3週間ほどに延長となった休業を経て、“働くこと”や“休むこと”への考え方にどのような変化があったのか、お話を伺いました。

「書きつづけたいなら、いま休みましょう」

岸田奈美さんインタビュー
岸田さんは2024年2月の中旬に、「1週間の休業」を選択されました。普段の忙しさに加え、自宅の漏水や引っ越しなどさまざまなトラブルが重なった末の選択だったそうですが、改めて当時のことを教えていただけますか。

岸田奈美さん(以下、岸田):まず2023年末、テレビ番組の企画でホノルルマラソンに家族で挑戦したんです。それが体力的にかなりしんどくて、帰国後に高熱を出してしまって。家で寝込んでいたら、とつぜん天井が抜けて、汚水がダバーッと部屋に落ちてきたんです(笑)。

漏水のせいでクリーニングしてももう住めないほど部屋が汚れてしまい、年末の忙しい時期に家を失うことになり……。お気に入りの家具が水浸しになっていくのを見て心がめちゃくちゃになりながらも、どうにか準備を整えて、年明け早々に引っ越しを終えました。

ただでさえ忙しい年末にそんな災難が。大変でしたね……。

岸田:休むことを決めたのは、そのトラブルの直後です。体調は回復しつつあったので、お世話になっている編集者さんに「年末年始は原稿が書けなかったのでこれから頑張ります」と伝えたら「いや、岸田さん、いまのうちに休む期間をつくっておきましょう」と言われて。

驚いて理由を聞くと「岸田さんは大きなトラブルや大切なイベントをいつも持ち前の瞬発力で対応できてしまうけれど、その直後に必ず体調を崩して倒れ込んでいるので」と。これまでの数年を振り返ってみると、確かにその通りだったんですよね。

体調を崩す「法則」があった、と。

岸田:はい。そのとき私に休むことを提案してくれた編集者さんは、さまざまな作家を担当してきた人で「1年間無理して働き続けたせいで、結果的に10年働けなくなった人を知っている。反対に、思い切って1週間休んだことで、それから10年以上作品を書き続けられた人も知っている」と話してくれました。

すごく説得力があったんですよね。「これからもずっと書き続けたいなら、倒れる前にいま1週間休みましょうよ」と言ってくれて、確かにそうだ、ナイス! と思って(笑)。

「休むなんてありえない」と思っていた

では岸田さん自身はこれまで、自分から休みを取ろうとはあまり思わなかったのでしょうか?

岸田:そうですね。私は作家になる前、ベンチャー企業で10年間働いていて、毎日決まった時間に通勤して忙しく働いていた当時と比べたら、今がすごくイージーモードに思えていたんです。好きな仕事ができるだけでありがたい、休むなんてありえない、と思ってました。

そんな岸田さんが今回ようやく「休もう」と決意できたのは、やはり心身の疲れを自覚したことが大きかったのでしょうか?

岸田:実は「疲れている」という自覚は、そのときもあまりなかったんです。でも編集者さんの言う通り、いつもギリギリまで働いて、自分でも気づかないうちに体調を崩してしまうことばかりだったんですよね。

そのせいで、したかった仕事ができなくなったり、会いたい人に会う機会を失ってしまったり……といった後悔があったので、同じ経験をもう二度としたくないからこそ、いま元気なうちに休もうと思って。

岸田奈美さんインタビュー


私には好きなアーティストがいるのですが、改めて自分の推しが心身の不調で活動休止してしまったときのしんどさを思い返して「自分の好きな人には本当につらくなる前にどんどん休んでほしいな」と感じたんです。

仕事を長く続けていくためにあえて計画的に休む、という選択は、読者の方や家族、仕事相手、誰のことも不幸せにしないなと初めて気づいたんですよね。

とはいえ、すでに先々の予定が決まっていたり、フリーランスで給与の保証がなかったりすると、休むことに心理的なハードルを感じる方も多いのではないかと思います。休むことに対して不安は感じましたか?

岸田:不安はすごくありました。特に私は、書いたエッセイをSNSを通じて多くの方に届けているタイプのクリエイターなので、流行の移り変わりが早い分、1週間も文章を書かずにいたら仕事がなくなったり、読者さんから嫌われてしまうのでは、という怖さは大きかったですね。

でも、恐る恐る休暇を取るとブログに書いたら、読者の方から本当にたくさんコメントをいただいて。「休んでくださいってずっと言いたかったんです」や「元気なうちに休むことを選んでくれてありがとう」といった言葉ばかりで、すごく好意的に送り出してもらえたんです。

読者が減るんじゃないかと不安だったんですが、結果的にはむしろ増えて……。ありがたかったです。あらかじめ歓迎される空気をつくった上で休むっていうのは、韓国アイドルの“カムバ”(オフを経て新曲発売などで積極的に活動すること)と一緒ですよね(笑)。「カムバするんで!」と宣言してから休業に入ったわけです。

岸田さんのXの投稿
岸田さんのXの投稿より

休業を経て「常に明るくおもしろくいなくちゃ」という呪縛が解けた

1週間の休業中は、どのように過ごしたのでしょうか?

岸田:どうせなら海外旅行とかしちゃおうかな、と最初は思っていたんです。でも鈴木裕介さんの『心療内科医が教える本当の休み方』(アスコム)という本に「結婚や転居などのポジティブな変化であっても人はストレスを感じるから、心身を落ち着かせたいときはアクティブに動き過ぎない方がいい」というようなことが書いてあって。目からウロコが落ちる思いでしたね。

アカンアカン、と慌てて旅行をキャンセルしました(笑)。

休業中は規則正しい生活を送ることを心がけて、SNSやネットのニュースはほとんど見ないようにしました。やっぱり見ると気になっちゃうので、できるだけ刺激の少ない状態でいようと思って。

1週間の休業を終えたあとは、心身ともにすっかりリフレッシュできたのでしょうか?

岸田:しっかり休むことはできたはずなのに、その後肩や腰の痛み、情緒不安定など心身の不調が相次いで。結局、当初の予定を超えて、3週間くらい休むことになってしまったんです。

痛みは1週間ほどで治ったのですが、休みが3週目に差しかかったあたりで、レジで「レシートいりません」と伝えたのにレシートを渡された、というだけのことでイライラしてしまうような状態になって。

岸田奈美さんインタビュー


いままでそんなこと一度もなかったので私自身、すごく戸惑って自分を責めましたし、1週間休んだらすっかり元気になると思っていたので「話が違うやん!」とめちゃくちゃ落ち込んだんですよ。でも後日かかりつけの先生に話したら、「むしろそれはいいことだったと思うよ」と言われて。

どういうことでしょうか?

岸田:先生いわく、私はこれまでずっと休まずにきたから、アドレナリンが常に出続けていて、痛みや疲れを感じない体になっていたそうなんです。

でも、1週間何もしなかったことによってアドレナリンの分泌が切れて、ずっとごまかしていた心身の不調が一気にきたんじゃないか、と。「もっと働き続けていたら、どこかでうつ状態になっていたと思うよ」と言われて、なるほどなあと思いました。

これまでずっと「常に明るくおもしろい岸田奈美でいなくちゃ」と思い詰め過ぎていたけれど、休みをとったことでふっとその呪いが解けて、「いまのうちに荒れとけ」って私の情緒も思ったのかもしれないな、と。

その後は徐々に落ち着いて、3週間の休みの終わり頃には気づけばいつも通りの状態に戻っていました。

「自分がやらないと回らない」は思い込み

結果的に3週間となった休業を経て、「休むこと」への岸田さんの考えに変化はありましたか?

岸田:「ぜんぜん疲れてないし」という自分の感覚を信用しちゃダメだな、と思うようになりましたね。さっきお話ししたとおり、忙しく動き回っているときってアドレナリンが出ているから、疲れていても自分の状態に気づけないことが多いと思うんです。

だからこそ、自分の主観を信じるんじゃなく、客観的に自分のことをモニタリングしてくれる人の言葉を信じた方がいいと気づきました。

私の場合は編集者さんやかかりつけの先生でしたが、例えばオンラインカウンセリングなど、利害関係がない第三者に自分の状態を見てもらうといったことも大事だと思います。

日々の忙しさで、つい自分自身のケアをあと回しにしてしまう人も多いと思います。そういった人が「元気でいるためにあえて休む」ようになるために、どのような心構えが必要だと思いますか?

岸田:「落ち着いたら休もう」だと結局ずっと休めないので、「私は、休むのである……!」という強い意志を持って、先に具体的な日程を押さえておくことが大事だと思います。

岸田奈美さんインタビュー


私もこれからは大きなプロジェクトやイベントの予定が入った瞬間に、それとセットで休みをあらかじめ計画しようと思っています。さっそくですけど、来月の1週目もしっかり休む予定です。(※取材は2024年6月に実施)

あとは、もし無理をして体調を崩して休むことになってしまったとしても、自分を責めるのではなく、「自分はこのくらい稼働したら限界がくるんだ」と、経験値を貯められたと捉えられるといいのでは、と思っています。

中には「自分がやらないと仕事や家事が回らない」という思いから、休むことをなかなか選べない人もいるように思います。

岸田:そうですよね。でも「自分がやらないと回らない」というのはほとんどの場合、思い込みだと思うんです。

例えば母子家庭のわが家の場合、オカンが「子どもには苦労をかけないように」と人一倍がんばって、朝から晩まで働きながらずっと家事を完璧にこなしてくれていたと同時に、知的障害のある弟の通訳も担ってくれていました。

すごくありがたかったけれど、オカンは当時を振り返って「私が子どもたちの成長の機会を奪ってしまったのかも」と後悔もしているみたいで。

成長の機会?

岸田:はい。オカンがあんなに完璧でなかったら、私は学生時代にもっと家事ができるようになったり、アルバイト経験を積むこともできたと思うんです。弟もオカンによる通訳がなければ、もっと早く独り立ちできたかもしれない。

だから、頑張って家事や仕事を完璧にやることはすばらしいことだけれど、その分、誰かが成長するチャンスを奪っている可能性もある、と考えてみてもいいと思います。

岸田奈美さんインタビュー
仕事や家事をこなすことが日常になっている人にとって、それを手放すのは覚悟のいることかもしれませんね。

岸田:いや、本当に。「無理しないでね」って言葉をかけてくれる人もたくさんいますけど、休み慣れていない人って、相当思い切って無理をしないと休めないと思うんです。

でも、自分が倒れてしまわないためにも、子どもや部下の成長のためにも、自分の仕事をあえて手放してみる。ちょっと無理をしてでも修行だと思って、休む練習をしてみてください。

取材・文:生湯葉シホ
撮影:関口佳代
編集:はてな編集部

『国道沿いでだいじょうぶ100回』(小学館)

岸田奈美さんエッセイシリーズの3作目。SNSでも話題になったエッセイ「国道沿いで、だいじょうぶ100回」、「魂をこめた料理と、命をけずる料理はちがう」 「「死ね」といったあなたへ」など厳選エッセイ18本を採録。

「休む」ことを前向きに捉えてみる

「みんな頑張っているから休めない」と無理を重ねた私が、自分を大事にするようになるまで
「みんな頑張っているから休めない」と無理をしていたけど
“休み方迷子”を抜け出すためには日常の「深呼吸」が必要だった――HAA代表・池田佳乃子
“休み方迷子”だった私が気づいた「日常の深呼吸」の必要性
疲れている自分
「正しく休む」ために自分の“トリセツ”を作ってみる

お話を伺った方:岸田奈美さん

岸田奈美さん

1991年生まれ、兵庫県神戸市出身、関西学院大学人間福祉学部社会起業学科卒業。100文字で済むことを2000文字で伝える作家。Forbesの世界を変える30歳未満の30人「30 UNDER 30 Asia 2021」に選出される。著者に、『家族だったから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった+かきたし』(小学館文庫)、『家族だったから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』『傘のさし方がわからない』(ともに小学館)、『もうあかんわ日記』(ライツ社)、『飽きっぽいから、愛っぽい』(講談社)など。
X:@namikishida
note:https://note.kishidanami.com/

休職後の復職に不安や怖さを感じている方へ。精神科医・斎藤環さん「また休んではいけない、と思わないように」

斎藤環さんインタビュー

休職後の復職を前に再び他者と働くことに不安を覚える人は少なくありません。

メンタルヘルス不調で休職した労働者の復職後の再病休率は約5割(※1)と言われており、不安を抱えたまま復職をすると、再び無理をしてメンタル不調の再発につながってしまう可能性も考えられます。

今回お話をうかがったのは、人間関係を原因とする「うつ病」や「ひきこもり」支援に長く携わってきた精神科医の斎藤環さん。復職への不安をやわらげるために必要なことを聞きました。

(※1)参考:平成29年度日本フルハップ研究助成報告書「中小企業のためのメンタルヘルス不調社員実務対応・復職支援ハンドブック」

お話を伺った方:斎藤環さん

斎藤環さん

1961年岩手県生まれ。精神科医。筑波大学大学院医学研究科博士課程修了。医学博士。2024年4月まで筑波大学社会精神保健学教授を務める。専門は思春期・青年期の精神病理学、病跡学、精神療法。著書に『「自傷的自己愛」の精神分析』(角川新書)、『映画のまなざし転移』(青土社)など。

休職後、どうして「対人関係」に不安を感じるのか

ある研究では「メンタルヘルス不調で休職した社員の復職後の再病休率は約5割にのぼる」という調査結果が出ています。休職者が復職する際、どんな悩みを抱えやすいのでしょうか?

斎藤環さん(以下、斎藤) 人によってさまざまですが、悩みの大半は「対人関係」ではないかと。つまり「再び職場で受け入れてもらえるだろうか」という不安が圧倒的に大きいと思います。

休職期間が長くなり、家から出ず人とも会わない生活に慣れていくほど対人恐怖的な葛藤が膨らみ、復職の際につまずく原因になってしまいます。

なぜ休職期間が長くなると「対人関係への不安」が増すのでしょうか。

斎藤 いくつかの理由が考えられますが、最も多いのは、「そもそも休職する以前から無理をしていたから」というケースです。毎日会社に行き、周囲の人たちに合わせながら働くことにストレスを感じていて、それでも努力して“常識的な社会人”であろうと頑張っていた。

しかし、長期の休職によって無理の仕方を忘れてしまい、以前はできていたはずのコミュニケーションもとれなくなってしまう。こうした人は、相当数いると考えられます。

もう一つは「自己評価の低下」です。休職が長引けば長引くほど職場に迷惑をかけている、みんなに負担をかけているという思いが募り、自己評価の低下につながってしまいます。そして、いつしか「みんなが自分を非難している」という具合に、自分の感情を相手に“投影”してしまうわけです。

そうした極端な思い込みに陥ってしまうのはなぜでしょう。

斎藤 長い休職生活やひきこもり生活は、心が幼児に戻ってしまうような「退行(子ども返り)」が起こりやすく、退行は妄想 - 分裂態勢という状態を引き起こすからです。

「妄想 - 分裂態勢」とは?

斎藤 世界を「白と黒」「敵と味方」に分けてしまうような極端な発想に陥りやすい状態のことです。一人でも批判する人がいたら全員が批判しているかのように一般化してしまう。

本来、心が成熟している大人は全てが白と黒では分けられないこと、世の中にはグレーゾーンが多いことを分かっています。そのため、誰かが自分を批判していたとしても「そういう人もいるよね」と冷静に処理できるのですが、心が幼児化するとそう思えなくなる。「全員がそう思っているに違いない」と思い込みを広げてしまうわけです。

ただ、それはその人自身が未熟なわけではありません。休職によるひきこもり生活のように、退行が起こりやすい環境下では誰しもがこうした状態に陥ってしまう可能性があります。

復職前の不安をやわらげるには?ケース別の対処法

復職を前に対人関係への不安を抱えている方に向け、ここからは休職に至ったケースごとに、復職に向けた心の持ちようや対策などを教えてください。

ケース1:顔を合わせるとやけに緊張してしまう、苦手な上司がいる。また同じ職場で働くと思うと、気が重い……(26歳女性)


斎藤 特にハラスメントを受けたのでなければ、苦手意識の大半は思い込みによって生じている可能性があります。休職中は思い込みがエスカレートしやすいので、その上司から言われたネガティブな言葉を思い出し「あの人は私のことがすごく嫌いなんだ」と、より苦手意識が強くなっているかもしれません。

これを緩和する一つの手段が「対話」です。あえてその上司との面談の機会を持つことで、やや暴走気味の悪印象がやわらぐ可能性が高いと思います。自分から面談を希望するのが難しければ別の上司にその場を設定してもらいましょう。

上司と面談をするイラスト
苦手意識を抱いている人と話すというのはストレスを感じそうですし、付き合いをなるべく「避ける」という方法もあると思うのですが、それは悪手なのでしょうか?

斎藤 避けているうちは、いつまでもその恐怖から逃れることはできません。できれば対面での解決をはかってほしいと思います。

ただ、思い込みではなく実際にハラスメントと感じる発言や態度があった場合は、一刻も早くハラスメント対応の窓口など然るべきところに相談をしたり、別の上司に打ち明けたりしてください。なかなか声を挙げづらいかもしれませんが、外側にハッキリとした原因がある場合、本人のマインドセットだけで解決することはできません。

自分の思い込みなのかハラスメントなのか、判断がつきづらいケースもありそうです。

斎藤 そうですね。なのでそういった場合もまずは客観視できる立場の人に相談してください。なかには、マイクロアグレッション(自覚なき差別)のように、ハラスメントとまでは言えなくても、言葉の端々に攻撃性を滲(にじ)ませてくる人もいます。

いずれにせよ、自分の胸に秘めているうちは何も解決しませんし、口に出すことでいくらかは気持ちが軽くなるはずですから。

ハラスメントが原因で休職に至ったとしても、復職前までにそれを会社が認めてくれない、何も対応してくれない場合はどうすればいいですか?

斎藤 その場合は、医師に相談しましょう。診断書という公文書に「ハラスメントが原因である」と書かれれば、会社側もさすがに何も対応しないわけにはいきませんし、復職の際の条件を有利にすることができるはずです。

職場の産業医から紹介された医療機関だと、診療情報が会社に筒抜けになってしまうのではないかと心配される方もいますが、通常、そんなことはあり得ませんので安心していただきたいです。

ケース2:休職前、初めてマネージャー職に就き、業務量の多さやプレッシャーなどから無理がたたり休職に至る。周囲に何も告げられないまま急に休職してしまったため、気まずい……(33歳女性)


斎藤 休職前に本人から説明できなかったとしても、会社側から上司や部下など同じチームのメンバーにはある程度は事情が伝えられているはずですから、そこを気に病む必要はありません。

また、休職したことについて謝罪する必要はないと考えますが、なんとなくギスギスしてしまうようなら、メンバーに状況を説明する機会を設けた方がいいと思います。

このケースでも、まずは対面で話す機会を設けるべきなのですね。

斎藤 はい。それから、この方の場合は業務量が増え無理がたたって休職に至ったということですので、リワーク制度を活用してほしいですね。リワーク制度とは、メンタルヘルスの不調で休職した人がスムーズに復職できるよう、医師のアドバイスを受けながら“リハビリ”する仕組みです。

会社にそうした制度がなくても、担当医にお願いすれば意見書を書いてくれます。「復職後しばらくは時短勤務から始め、段階を踏んでペースを上げていきたい」「場合によっては部署の変更も考えてほしい」など、具体的な復職プログラムを盛り込んだ意見書を出してもらいましょう。

先ほどの診断書もそうですが、医療機関にかかることは治療以外にも有益な点が多いです。専門機関が持つさまざまなノウハウやリソースを、ぜひ活用してほしいと思います。

医師に診断書を書いてもらうイラスト
このケースだと復職後はいったん、マネージャー職から外れる可能性が高く、いわゆる“出世コース”から外されてしまったような挫折感を覚えてしまうかもしれません。そうした負の感情は、どのように消化すればいいでしょうか?

斎藤 それは至極まっとうな感情の動きですし、なかなか消化しきれるものではないと思います。ただ、マネージャー職の業務の負担に耐えられずに休職に至ったという事実があるわけですから、そこは受け止めるしかありません。

むしろ自分の適性を知る良い機会になった、別の方向性を探るきっかけになったと捉え、あまり引きずらずに切り替えていくことが大事かなと思います。

ケース3:昔から頼まれたら断れないタイプで、仕事となるとなおさら。自分のキャパシティ以上の業務を抱え続けたことで体調を崩し、休職に至る。働くことは好きなので早く復帰したいが、また「断れない性格」でキャパオーバーになるのではと不安がある……(32歳男性)


斎藤 この方の場合、「NO」が言えないという課題がはっきりしているので、「認知行動療法」のアプローチが有効と考えられます。

認知行動療法とは、凝り固まってしまった自身の考え方に気づき、ストレスの原因と上手に付き合えるようになることを目指す心理療法のこと。自分が苦手なシチュエーションをイメージし、10段階に分けて作成した「不安階層表」を元に、最もストレスが少ない順に取り組んで一つひとつ乗り越えていくというプロセスが一般的です。

なるほど。このケースでは、どのように対応していくのがよさそうでしょうか?

斎藤 「NO」と言いやすい相手・内容から段階的に「断る」ことへの耐性をつけていきます。

例えば、「いつも1人でやっている家事の分担を提案してみる」、次は「気の置けない友人に普段とは違う遊びを提案してみる」などからやってみてはどうでしょう。そして「同僚から提示されたタスクの期日をこちらの都合にあわせて調整してもらう」……というふうに少しずつ負荷を大きくしていきます。

まずは自身の「断らない性格」という問題を明確に意識した上で、それをスモールステップで段階的に乗り越えていけば、変われる可能性がかなり高いと思います。

認知行動療法のイメージイラスト

「元に戻る」ではなく、人生の仕切り直しと捉える

今回挙げた3つのケースに限らず、共通して押さえておきたい、復職に向けたポイントがあれば教えてください。

斎藤 まず、復職直後は「会社に戻るための実験期間」のように捉えてほしいと思います。あくまで実験ですから、まだ早ければもう一度休んだっていい。「また休職してはいけない」と思い込むことは、むしろ無理をしてしまうきっかけとなります。

復職というと「元に戻ること」と考えられているフシがありますが、そうとは限りません。休職に至るほどのつらい経験は、自分は何が苦手なのか、どんな弱点があるのかを知る機会だったとも言えます。

ですから、元に戻ることを目指すのではなく、休んだことをきっかけに仕事のやり方を変えてみたり、ライフスタイルを少し見直したり、「新しい要素を携えて再出発する」といった考え方がいいのではないでしょうか。

「新しい要素」というと、どんなものが挙げられますか?

斎藤 例えば、趣味や好きなことを見つけ、遊び仲間など職場以外の居場所をつくっておくこと。

また、「復職できたからもう必要ない」と思わず、予防の意味合いで、定期的に治療やカウンセリングに通うのも良いでしょう。相談をせずに限界を迎える、ということがないように、日頃から話を聞いてもらう習慣をつくっておくのもおすすめですよ。

復職をしたとしても、再休職という選択を取らざるを得ない場合もあるかと思います。なるべく休職を繰り返さないためのアドバイスはありますか?

斎藤 休職を繰り返す要因の一つに、休職中、精神的にしっかりと休めていない可能性があると考えられます。

精神的な安静とは何もしないで家でじっとしていることではなく、「イヤなことをせず、好きなことをする」ということ。うつ状態を訴えて会社を休んでいる人が遊びにいったり旅行したりするのはけしからんといった風潮がありますが、むしろ仕事のことは忘れて思いっきり遊ぶべきなんですね。

人と会わず家に引きこもって過ごしていると、先ほどお伝えした「思い込み」が促進させてしまい、復職への心理的ハードルを高めてしまう恐れがあります。ですから、家族でもいいし、親しい友人でも構いませんので、誰かしらと一緒に好きなことをして過ごしてみてください。

取材・文:榎並紀行
イラスト:二本松マナカ
編集:はてな編集部

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