小山テリハが「丁寧な暮らし」を目指すのをやめ、仕事を優先する理由

 小山テリハ

「丁寧な暮らし」を目指すのを今はやめる|小山テリハ

誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、バラエティ番組のプロデューサー・ディレクターである小山テリハさんに寄稿いただきました。

コロナ禍で自宅で過ごす時間が増え、理想とする「丁寧な暮らし」を目指し始めた小山さん。自分のために料理をしてみたものの、なんだか味気ない。実践してみたことで、今の自分にとっての優先順位や向き不向きを見つめ、自分自身の「幸せ」のあり方に気づいたといいます。

自分の理想や、他人の価値観にとらわれ過ぎることなく、今の自分の幸せを優先できるようになるまでをつづっていただきました。

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「丁寧な暮らし」に憧れるけど


「丁寧な暮らし」という言葉を、Instagramなどでよく見かける。象徴するのは例えば、お気に入りの家具に囲まれたモデルルームさながらのリビング、ちょっとこだわりを見せつつも時短テクニック満載の手作りご飯、お手入れをしながら使い続けるとっておきの愛用品……など。

「これぞ丁寧な暮らし!」という明確なものは分からないが、キラキラした日常がおしゃれに切り取られたものを見ると、なんだか時に暴力的な同調圧力として感じてしまう自分がいた。

SNSで目にするような「丁寧な暮らし」に憧れがないわけではないけれど、私の理想は、仕事から帰ってきて、ちゃちゃっと簡単にご飯をつくって、ゆっくり湯船に浸かって、お気に入りのパジャマを着て寝る……みたいな暮らし。

そんなの理想じゃなく普通だろ、と思うかもしれないが、ADとしてテレビ局で働き始めてから、不規則な暮らしで、家に帰るとすぐ寝てしまったり、ご飯を作る元気なんてほとんどなくて、そもそもご飯を作ろうという発想すらあまりなかった私にとっては、充分「理想」といえる生活なのだ。

ご飯は会社のコンビニで買うことが多く、そのシーズンの弁当は一通り全部食べてしまって、カップラーメンにも手を出し、もはやカップラーメンの方が好きかもしれない、くらいの食生活だった。過去形にしているけど、実は今もさほど変わらない。

たまに時間ができると、ここぞとばかりに外食をする。その時間がなによりも楽しく、幸せだ。ごくまれに喜ばしいことがあると奮発して高級な店に行くこともあるけど、大半はInstagramに週末ディナー(キラキラ)とかで載せるような店ではない。それでも、当たり前に仕事をして疲れて、空腹で食べるご飯はなんだっておいしい。

外食ができなくなり、料理と向き合った結果


そもそも家事が苦手だ。
こうハッキリ書いてしまうと、なんだか自分に欠陥があるように感じて、文字にすることに非常に勇気がいる。でも、取り繕ってもしょうがない。実際、家事大好き!楽しい!って心の底から思ってる人はそんなに多くはないんじゃないだろうか。言わないだけで。

コロナ禍が始まった頃、自宅待機になったり、仕事がいろいろ停滞する期間があった。
外出は好ましくない、店は休業中で外食もできない、仕事に行くこともよろしくない…ということで、これまで寝床としてしか機能していなかった我が家にいなければならなくなった。その結果、私なりの「丁寧な暮らし」と向き合うことになった。

それまで自炊しようと思ったことがなかったので気づかなかったが、自宅付近に意外とスーパーがない、あったとしても深夜は営業していなくて、仕方なくコンビニに行くのだが、コンビニにも意外と野菜や果物が売られていることを初めて知った。

調理器具をほとんど持っていないことにも気付いた。鍋すらなくて、あるのは小さなフライパンひとつ。カレーを作るには浅いし、何かを炒めようすると具材があふれてしまうくらいのサイズ感。

それでも、まずはカレーを作ってみようと思って、せっかくならと材料をきっちり買い込んで、深夜にぐつぐつと本格的なカレーを作ってみた。

確かにおいしいのだが、自分で自分が生きるために料理をするだけのことという印象でしかなく、想像していたよりもあっけないものだった。誰かに食べてもらってリアクションがもらえたら、少し満足度が違うのかもしれない。

それからというもの、外食がなかなかできない時期は、なるべく自炊をしたのだが、洗い物が増えるのが嫌だなとか、フライパンが油でギトギトになると大変だなとか、一つひとつの不満がどんどん私をズボラにしていき、そのうち電子レンジとタッパーで完結するお手軽料理がメインになっていった。

自分で作るご飯はそれなりにおいしいし、作った満足感もある。でもそれだけというか、ゲームで技を覚えていくような、コマンド入力のような感覚だった。そして何よりも、その労力に割くだけの体力と精神的余裕をあまり持ち合わせていなかった。

自分の幸せは、自分で尊重する


やがて緊急事態宣言が明け、少しずつ出社ができるようになり、外食やテイクアウトの選択肢が増え出した。今まで通りの生活が戻ってくると、気づけば料理することや、家の環境をよくしようといった、「丁寧な暮らし」への関心が薄れていった。

夜遅くに帰って、パックのごはんにチンしたミートボールを乗せただけの料理(?)と、お湯で溶かした即席のお味噌汁、コンビニで買った漬物を用意して、楽しみにしているアニメの続きを見ながらそそくさと食べるご飯でも充分だと思えてしまった。

私だったら、ご飯が多少さみしくても、面白い漫画を読んだり、アニメを見たりしている時間が得られたら、その方がよっぽど幸せなんだなと思った。

幸せの価値基準はそれぞれだし、あくまで今の私はそうなのかもしれないというだけの話だが、家事がつらくて、完璧にできないことで自己嫌悪している人がいたら、自分の価値基準とか、向き不向きとか、得手不得手を思い返してみてほしい。できないことや、やりたくないという感情を、無理に直さなければと思う必要はないのではないか。

家事を嫌いだと言うと、いろいろネガティブに思うかもしれないけどあくまでこれは自分の人生なので、あまり他人からの評価を気にし過ぎることはなく、そのかわりに、あなた自身の幸せはあなたが一番尊重して大切にしてあげるべきだなと思う。

私だったら、オフの日に映画を見て、物語に出会い、感動する時間が得られる方が幸せ度合いが高くて、大事な優先することだったんだ、と気づくように。

丁寧な暮らしを目指すのは「今」じゃないだけ

料理って、メニューを考えて、材料を買い、調理するという、手間がかかる作業の連続で。それを当たり前に毎日こなしている方は本当にすごいと思う。今の私には、到底できない。

私の母はフルタイムで働きながら洗濯や料理などの家事をこなしていたが、いったいどうやってその作業を毎日こなしているんだろうかと(現在進行形で)尊敬せずにはいられない。

私もこの先子供を持つようになったら、子供の健康を考えて、自分から料理の技やコマンドを積極的に覚えて、「おふくろの味」なんて言ってもらいたくなるのかなと想像したりもした。それは少し、ワクワクする。ただし、それは想像であって「今」ではない。

テレビ局の風景

今、私が向き合うテレビ、特にバラエティーの仕事は、大人になっても大人でないというか、童心に返って考えることが大事な部分がある。だから、なるべくワクワクするものに出会いたいし、面白いなって思えることをしていたい。そんな私の感覚を、「それでいいんじゃない」と肯定してもらえる世界のような気がする。

今の私に取っては仕事が楽しくて、大変だけれどやりがいがあって、生きる意味のかなりメインになっている。ハードな仕事なので、一生続けることは多分できないだろう。だからこそ、仕事が楽しいと感じる間は、仕事をなるべく優先してもいいよねと思う。自分がそういうタイプの人間だなんて思ってもいなかったけど。

きっと、しばらくは料理をすることも、Instagramに素敵なディナーの写真を上げることは、ほとんどないだろう。自分が担当してる番組が「面白い」と言ってもらえる喜びは何にも代えがたいほどうれしくて、それを今の私は一番の幸せに感じるからだ。

編集:はてな編集部

著者:小山テリハ

小山テリハさんプロフィール画像

株式会社テレビ朝日 番組プロデューサー・ディレクター 2016年にテレビ朝日に入社。アイドル・アニメ・漫画が大好き。主な担当番組は『ホリケンのみんなともだち』『イワクラと吉住の番組』『ロンドンハーツ』『霜降りバラエティX』など。
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やりたい仕事がなく「安定した生活」を選んでいた私が、悩んだ末に決めた今の働き方

 安多香子

ノートをひろげる写真

大学卒業後Uターン就職したものの、自身の「やりたいこと」を実行するために再上京と異業種転職を選択し、現在はフリーランスのライター・編集者として活動する安多香子さんの働き方の変遷を寄稿いただきました。

社会人のスタートを切る頃から自分の本当にやりたいことがハッキリしていたり、希望の仕事に就けたりする人もいるはず。しかし、働き始めて初めて自分の「やりたいこと」が見えてきたり、仕事をする上での優先度が分かってきたりした、という人は少なくないように思います。

ただ、一度始めた仕事を手放してまで「やりたいこと」のために行動すべきか……と悩むこともあるはず。今の仕事が順調であったり、ワークライフバランスも叶えやすい状態であったらなおさらです。

学生時代「やりたいこと」が分からなかったという安さんは、徐々に「やりたいこと」の輪郭が見えてきたと語ります。迷いながらも今の働き方を選択してきた安さんの心境の変化は、私たちの働き方を見直すきっかけにもなるかもしれません。

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フリーランスのライターのようなものをしている。

“のようなもの”とハッキリ自信を持って名乗れるほどの自信や実績は、まだない。先の見えない不安な気持ちを押し殺し、10年弱の社会人生活で一生の仕事にしたいと思った「ライター」として生きていくために、四苦八苦しているところというのが正しい。

それでも、迷いながら今の働き方を選択している。今回はそんな話を少ししたい。

漠然としたままスタートした社会人生活

ナイチンゲールの伝記をバイブルに育ち、『SEX AND THE CITY』のミランダを崇拝していた地方出身の私は、やりたいことを仕事にするということへの欲求を持ちながら東京の大学生活を過ごした。

彼女たちの、確固たる意思のようなものを持つ凛とした姿が魅力的だった。天命ともいえる仕事のために努力を厭わず、困難をも乗り越えていく。そんな風になれれば、とぼんやりと思っていた。

しかしいざ就職活動の時期になっても、漠然とした「やりたいことを仕事に」という思いとは裏腹に、自分に何ができるか・どうやって働いていけばいいかが分からない。当然、就職活動も難航した。

大学卒業後も関東で働ければと思っていたが、やっと内定をもらえたのは地元の金融機関での仕事だった。これが自分のやりたいことかは正直分からなかったけれど「やってみてから考えよう」と思い、Uターン就職することとなった。

そうしてなんとなく始めた保険のカウンターセールスの仕事は、意外にも楽しかった。

成果が数字として目に見えるのはうれしいし、お客さんに喜ばれるとやりがいも感じる。元来そそっかしい性格で数字を扱うことには向いていないはずだったが、一つずつミスを少なくする工夫をして、成績も徐々にあげていった。仕事終わりはヨガなどの習い事もして、それなりに充実した安定した毎日を過ごした。

それでも、その仕事は本質的には自分には向いていないもののような気がした。

「苦手なことを頑張ってやっている」感覚が強く、褒められたり表彰されたりしても「次に失敗した時に調子に乗っていたと思われないように、おとなしくしておこう」なんて考える卑屈さだった。続けていった先にどうなりたいかが見えなかったこともつらかったように思う。仕事に対して「熱中している」感覚は正直あまりなかった。

この頃は「もっと好きなこと・向いていること・やりたいことを仕事にしたい」という気持ちを募らせつつ、なかなかその一歩を踏み出すことはできなかった。

「やりたいこと」と初めて向き合った日

大学時代を過ごした東京には、Uターン後も何かと理由をつけて遊びに行った。親しい友人とライブに行ったり映画を観たり。友人の家族とお酒を飲むことも楽しかった。

その友人の父は若い頃に劇団やバンドをやり、最終的にはラーメン屋を経営しながら二人の子どもを育てた人で、私にとっては東京の自由さを象徴する存在だ。そんな人と触れ合うたびに、やはり自分のやりたいことをしてみたいという気持ちは強くなった。

転機になったのは、社会人4年目の頃。私は依然として「やりたいことをしたい」と思いつつ、何をすればいいのか分からず、行動することができないと悩んでいた。そんなときに友人の父がかけてくれた「やりたいことやしたい生活を一つずつ試して、その責任を引き受けた大人になりなさい」という言葉に、ハッとした。

これまでの私はただモヤモヤを抱えていただけで、本当にやりたいことに対峙したことも、試したことはなかったのかもしれない。今こそ自分自身を見つめ直して、学生時代には漠然としていた「やりたいこと」とちゃんと向き合う。そう決めた。

そして自分のやってきたことを振り返るなかで、それまで曖昧だった「やりたいこと」を「自分がすでに無理なくやっていること」に絞って整理してみることにした。

するとそれは私の場合、ブログや会社の広報誌に載せる文章を書くこと、書店や著者のサイン会に行くことなど「文章や本に関わること」だった。

そこから徐々に編集やライティングの仕事にチャレンジしてみたいと思うようになった。地元でそうした仕事がないわけではないが、働く機会としてはやはり関東の方が多い。また、Uターン就職してからも頻繁に東京へ行っていたことから、東京での生活自体も「やりたいこと」なのかもと考え、東京の編集プロダクション(=編プロ)への転職を目指すことを決めた。

とはいえ、編集・ライター職に未経験から挑戦するのは大変なことだと予想ができる。ハードな働き方が想像される編プロで、体力に不安のある自分が働いていけるかも不安だった。それでも一度思いついたことはやってみないと気がすまない。条件を満たす働き口を探し、社会人5年目に東京の編プロから内定を得た。

実際に転職できる状況になってみると、地元での安定した生活を手放す選択は想像以上に怖いものだった。採用の連絡をもらってから1カ月は悩んだ(新旧の会社どちらもよく待ってくれたと思う)が、やっと見つけた「やりたいことのようなもの」を試しもせずに捨てることはできない。そうして2度目の上京と最初の転職を決めた。

上京した日に撮った写真

再上京した日に撮った部屋

やりたいことを少しずつ確かめる

初めての編プロでの主な仕事は、フリーペーパーやスポーツに関連する書籍の編集・ライティング業務だった。分からないことだらけで、いま考えると信じられないようなミスばかりしていたと思う。想像していたよりもずっと忙しく、体調管理にも苦労した。

それでも一度も「やらなければよかった」と思うことはなかった。

取材現場の緊張感や、新しく出会う人やモノ、それらを熱意をもってわかりやすく伝えていくこと。どれもすぐにうまくはできなかったけれど、失敗することも恥をかくことも全然気にならないくらい、全てが楽しく夢中になった。

前職では他人の顔色ばかりを伺って失敗することを極端に恐れていたのに、上司や同僚にも素直に接して、そのままで受け入れられている気がした。地元にいた頃いつもブログに書いていた「なにかに熱中したい」「仲間が欲しい」という想いは、自然と消えた。

しかし3年ほどたって基礎的な編集・ライティングを学ぶ期間が過ぎた頃、かつての漠然とした「文章や本に関わること」より具体的な「やってみたいこと」が見えてくるようになった。書籍づくり、ひいては編集業にもっと積極的に関わりたいと思う気持ちが強くなっていった。

屋上からの写真

当時働いていたとき、よく休憩で訪れていたビルの屋上

このときの私の働き方としては、フリーペーパーの制作がメイン。またライティング業の比重が大きいこともあり書籍づくりに関わる機会はなかなか得られなかった。多忙な日々が続き体調にも不安を覚え始めていたことから、悩んだ末「いったん休んで落ち着いて考えよう」と転職先も決まらぬまま、お世話になった編プロを退職した。

本来であれば次を決めてから……とも思ったが、働きながらの転職活動は自分の体力・気力ではできないだろうという判断だった。

私が退職したのは、世間でちょうど新型コロナが流行しはじめた頃。貯金残高が減っていくことに怯えながら自粛生活を送っていたが、縁あって個人でライティングの仕事を引き受ける機会を得られた。

部屋でコツコツと執筆する作業は楽しかったが、それだけで食べていくことはできなかったこと、また「書籍づくりをもっとやってみたい」という思いを実現させるために、いくつかの採用試験を受けたのち、実用書を制作する会社で働けることとなった。

新しい職を得られたことはうれしく、収入も以前に比べて増えた。しかし実際に実用書編集の仕事を始めてみると、それまで経験してきた人物取材や原稿執筆ほどの手ごたえを感じられないことに気付いた。

やりがいはあったが、できたものを前にしても気持ちが大きくは動かない。同僚の企画する本は何度も重版していたが、嫉妬する気持ちが起こらないことも、仕事に対する意欲を削ぎ、ふさぎ込む日が増えた。

会社での仕事と働き方がうまくいかなくなるのに反比例して、コロナ禍で始めた個人でのライティングの仕事にのめりこんだ。

「のめりこんだ」と言えるほど仕事を受けていたわけではなかったが、現場で取材できる機会があるとワクワクしたし、自分が貢献できる場所はここではないかと思った。次第に「どうすればこの仕事を続けていけるだろう」と考えるようになった。

はたから見たら「不安定」な生活かもしれないけれど

そうして2年間、ダブルワークをしながら実用書制作の編プロで勤務したのち、2022年にフリーランスのライター・編集として働いていく道を選んだ。

ワークライフバランスやライターという仕事の魅力、編集の仕事に比重をおいてやってみたからこそ気付いた自分のやりたいことの方向性など、理由はいろいろと挙げられるけど、「そうしたいと思ったからそうした」としか言えない気がする。

それは正直感覚頼りの見切り発車で、まだ十分にやっていける見通しは立っていないため、しばらくはほかの仕事もしながら生計を立てていくしかない。より収入と生活のバランスがとれる働き方を見つけたら、会社員に戻ることもあるかもしれない。またUターンする可能性だってある。

けれど、いまはまだ「やってみたい」と思ったことの手触りを、実際に行動して確かめる段階なのだと思っている。

自分の感覚を信じて行動することは、怖いことだ。私自身、「やめておけばよかった」と思うような失敗も経験してきたし、周囲の腰を据えて仕事をしている(ように見える)同年代の姿を見て、いつまで「やりたいことをやってみる」で動いて良いのだろうかと思うことだってある。

また、仕事にやりたいことを求めて行動する人生だけが良いわけではないし、そうしなくても幸福でバランスのとれた生活を送っている人をたくさん知っている。やりたいことをやりたいと思っても、さまざまな事情からできない、難しいという人もいるだろう。

それでも、こと私の場合ではあるが、自分の感覚で働き方を選んで行動するたびに、好きなことや嫌いなこと、得意なことや苦手なことは、どんどんはっきりしていった。

そうして自分の輪郭や役割がわかり、「私はこういう人間です」と少しでも言えるようになると、ぼんやりと社会人になった頃に比べてずっと、他人ともつながりやすくなった。行動して得る結果は良いことも悪いことも具体的で、必ず次のステップが見えた。

要領の良い生き方ではないし、今後も何度も失敗をしていくのだろう。そのときはまた、その時点での可能な限りの最善を選べば良いと思うし、状況が変わって、“いまの自分にとっては、この働き方の方がバランスが良い”と感じることがあれば、誰に言い訳をするでもなくそれを選択してもいいんじゃないか

だから私はこれからも、自分の感覚を大切にして働いていきたい。

編集:はてな編集部

やりたいことはなくてもいいし、あってもいい

カタノトモコさんイラスト
産後「やりたいこと」と向き合った結果 編集者になったカタノトモコさんの話
無職への不安を前向きに捉える様子
「今の会社を辞めたら次はない」呪縛を解いたら、半端じゃなく気持ちが前向きになった話
やりたいことがなくても働くことはできる
やりたいじゃなく「できる」ことを見極める。超元気じゃない私が働き続けるためにした工夫

著者:安多香子

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1989年滋賀県生まれ。相撲と映画とビールをこよなく愛する。編集プロダクション勤務を経て、現在はフリーランスでライティングや編集の仕事に携わる。
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あなたにとって「働く」とは何ですか? 文学から哲学まで仕事の見方を変えてくれる本|石井千湖

石井千湖さん記事トップ写真

30歳前後になると、今一度キャリアを見つめ直し、転職や独立など新しい働き方を検討する人は少なくないと思います。加えて、労働環境の変化やコミュニケーションツールの発達が進む昨今では、多くの選択肢が目に入ってくるため、どのように自分らしく働くか、悩んでいる人も少なくないのではないでしょうか。

そこで今回は、書評家の石井千湖さんに、そもそも私たちにとっての「仕事とはなにか?」「働くとはなにか?」を考え直すきっかけをくれる5冊をご紹介いただきました。最近、自身も働き方の変化を経験したという石井さん。文学から哲学まで幅広いラインナップの中から、春を迎える前に改めて自分と仕事の関係について考えてみてはいかがでしょうか。
***

仕事ってなんでしょうね? 突然すみません。石井千湖と申します。わたしは子供のころから本が好きで、書店員を経てブックレビューをメインに書くフリーライターになりました。「書評家」と呼ばれることもあります。著書を2冊出して、これからもずっと本を読んで文章を書いて生きていくつもりでした。

ところが、昨年春、約20年ぶりに書店で働き始めました。出版業界の厳しい状況、零細個人事業主にとっては痛手になるインボイス制度が導入される予定であること……兼業ライターに切り替えた理由はいろいろあります。ただ、いちばん大きかったのは、メンタルの問題です。

当時のわたしは、人間関係のトラブルが原因で、不眠症になっていました。うつ病の治療中だったので薬を増やしてもらい、なんとか持ちなおしたものの、モヤモヤは残りました。読みたい本はたくさんあるのに、雑念にとらわれて、なかなか集中できません。そんなときに、たまたま近所の書店のアルバイト募集広告を見かけたのです。環境を変えるのはどうだろう? というわけで、応募してみたら採用されました。

家に引きこもって夜も昼もないような暮らしから、毎日声を出して身体を動かす規則正しい生活へ。体力的にはきついですが、バイト仲間と話すのは楽しい。読者の近くでどんな本が求められているのか実感できて、すごく勉強になっています。自分という閉め切って空気の淀んだ部屋の窓が、久しぶりに開いて新鮮な風が入ってきた感じです。

今回は、そんなわたしが仕事との距離感や、今後目指したい方向性を考える上で、手がかりになった本をご紹介しましょう。仕事との向き合い方を改めて考えるきっかけになれば嬉しいです。

コンビニでの仕事を通して「普通」を問う『コンビニ人間』

『コンビニ人間』書影
『コンビニ人間』(村田 沙耶香)文藝春秋

主人公の古倉恵子は、36歳のコンビニ店員。普通の家庭で普通に愛されて育ったのに、言動が「異常」と見なされてきました。

例えば、子どもの頃の恵子は、周囲の子どもたちが泣いて悲しむ中、公園で死んでいた小鳥を拾い上げ、母親に「これ、食べよう」と言い放ちます。周囲は驚きのあまり絶句しますが、父は焼き鳥が好きだし、妹は唐揚げが好きなのに、なぜ食べずに埋めようとするのか理解できなかったのです。大人になっても、どうして自分はみんなと同じようにふるまえないのか、本人にもわかりません。

社会に出ることすら危ぶまれた恵子にとって、初めて〈世界の部品になることができた〉と感じられた場所がコンビニでした。ところが、新入りアルバイトの白羽が問題を起こして……。恋愛経験なしの恵子と、傲慢すぎる婚活男・白羽の奇妙な関係を通して、「普通」とは何かを問うています。

著者の村田沙耶香さんは、大学時代からコンビニでアルバイトをしていて、『コンビニ人間』で芥川賞を受賞したあともしばらくは働いていたそうです。長年のバイト経験と鋭い観察眼が小説にも活かされています。面白いのは、マニュアルの意外な効用を描いているくだり。マニュアルはサービスを均質にするぶん人間性を奪うものというイメージがありますが、恵子はマニュアルに忠実に従うことで「店員」という人間になれたと思うのです

わたしもまったく社交的な性格ではないのに、マニュアルにそって接客していると自分がほがらかな人間になったように錯覚することがあります。マニュアルと同じことを繰り返しているうちに、ペルソナができていく。世間と対峙するときにペルソナがあるのは便利ですが、あまりにも素顔と乖離しているとつらくなるかもしれないので、うまく付き合っていきたいものです。

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私の天職はどこにあるの?『この世にたやすい仕事はない』

『この世にたやすい仕事はない』書影
『この世にたやすい仕事はない』(津村 記久子)新潮社

津村記久子さんは、働く人の現実をユニークな視点で描く作家です。本書は30代女性の職探しをめぐる冒険小説。

燃え尽き症候群のような状態になって前職を辞めた「私」は、職業安定所の相談員に〈一日スキンケア用品のコラーゲンの抽出を見守るような仕事〉という希望条件を出します。それから「私」の体験する5つの仕事は、いずれも奇妙でありながらどこかに存在しそうな細部を持っていて引き込まれます。

なんといっても楽しそうなのは〈おかきの袋の話題を考える仕事〉。おかきの袋の裏側に、ちょっとした豆知識が印刷してある。その豆知識のネタを選び、文章を書くのです。「私」が従業員の話をヒントに提案した新シリーズは、実際にヒットしそうで胸が躍ります。おかきの会社は前の職場よりも待遇がよく、商品は美味しく、社内の雰囲気も悪くありません。ただ、「私」はやりがい感じますが、結局は辞めます。

相談員に仕事と愛憎関係に陥らないようにアドバイスされたのに、感情移入しすぎて、距離感を見失ってしまったのです。どうしたら心が折れず、病気にもならず、仕事と適切な関係が築けるのか。読み終わると、タイトルをもう一度噛みしめずにはいられません。この世にたやすい仕事はないけれど、難しさのなかに希望も隠れていると思わされる1冊です。

奴隷的でない労働の条件について考えた哲学者『ヴェーユ』

『人と思想 107 ヴェーユ』書影
『人と思想 107 ヴェーユ』(冨原 眞弓)清水書院

シモーヌ・ヴェーユは、フランスの哲学者。一般的にはシモーヌ・ヴェイユと表記されることが多いです。22歳で哲学教授になり、ふたつの大戦のはざまの激動の時代を生きて、34歳の若さで亡くなりました。

労働について深く思索した人で、その言葉は刺さるものばかりですが、いきなり著作を読むと難解なところがあります。そこでおすすめしたいのが、ヴェーユの研究者で翻訳者でもある冨原眞弓さんが彼女の人生と思想をわかりやすく解説した本書です。

冨原さんによれば、ヴェーユの活動の底辺に流れているものは常に変わることがなかったそうです。それは社会の底辺で踏みつけられ苦しんでいたり、抑圧されている人たちの側に立って、彼らと協力して、不幸な状況を切り開く努力をすること

特定の組織に所属しなかったヴェーユは、独自のやりかたで自分の思想を実践します。たとえば、未熟練工として工場で働きました。ヴェーユはそのときの体験を日記に書いています。劣悪な労働環境、重なる疲労、思考を放棄したいという誘惑……。ヴェーユは自分が人間的な権利をすべて奪われた「奴隷」状態にあると発見します。ヴェーユにとって、労働者の「不幸」の本質とは「むき出しの生命の維持を究極目的とせざるを得ない」ことなのです。

そして、「奴隷的でない労働の第一条件」を論じます。ヴェーユいわく、〈民衆はパンと同じように美を必要とする。語句のなかに閉じこめられた詩のことではない。そのような詩はそれだけでは役に立たない。民衆の生活の日常的な実体そのものが、詩でなければならない〉。つまり、生活のなかにある詩のような美しいものが労働者を解放し、ときに単調な仕事の中にも〈歓びの感情〉を見出すことを支援するというわけです。

無理やりポジティブシンキングすることなく、自分の日常にも美はあるのではないかと思える。ヴェーユの言葉は、世界の見方を変えます。

生活を取り巻く経済の仕組みと死角を問う『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か』

『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か』書影
『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か』(カトリーン・マルサル作/高橋 璃子訳)河出書房新社

著者のカトリーン・マルサルは、スウェーデン出身、英国在住のジャーナリスト。まず、タイトルにもなっている問いに惹きつけられます。

経済学の父と言われるアダム・スミスは、『国富論』に〈我々が食事を手に入れられるのは、肉屋や酒屋やパン屋の善意のおかげではなく、彼らが自分の利益を考えるからである〉と書いた。合理的な「経済人」の自己利益の追求が、市場と世界を回すというわけです。

でも、それは本当なのかと著者は疑問を投げかけます。肉屋が自己利益をいくら追求しても、誰かが焼かなければステーキは食べられない。アダム・スミスの夕食も、作っていた人がいるはずです。日々家事に追われている人ならば、性別関係なく「ほんとそれ!」と共感するでしょう。

家事、育児、介護といった「ケア労働」の担い手を視界から消した結果、経済学から大事なものが抜け落ちてしまったのではないかと著者は指摘します。その抜け落ちた大事なものとは、自然、身体、感情。大事なものを忘れた「経済人」は、競争に明け暮れて破滅に向かうしかありません。ほんの一握りの勝者を除いて。怖ろしいことです。

特にゾッとしたのが、競争というレンズで世界を見る「新自由主義」と、「人的資本」の概念がいかに人々の考え方を変えたか書いたくだり。誰もが「人的資本」であり、どんな教育を受けて、どんなスキルを身につけるかも全ては「自己投資」。そして、投資の結果は自己責任という「新自由主義」を、わたしも無意識に内面化していると気づいたからです。

自分ひとりがいくら一生懸命頑張って働いても、世の中全体の仕組みが改善されないかぎり、不安はなくなりません。では、どうしたら?

簡単に答えは出ませんが、著者が最後にいたる光景は、先ほど紹介したヴェーユのいう「詩」かもしれないと思いました。

仕事に疲れたら読みたいエッセイ『とりあえずお湯わかせ』

『とりあえずお湯わかせ』書影
『とりあえずお湯わかせ』(柚木 麻子)NHK出版

最後に紹介したいのは、小説家の柚木麻子さんのエッセイ集です。妊娠中の2018年から、コロナ禍を経た現在までのことが綴られています。

タイトルの由来は、柚木さんのお母さんの口癖。何も手につかないときはお湯を沸かせば、お茶を飲むなり、野菜を茹でて一品作るなりできる。最低でも、部屋を加湿できる。〈停滞を脱するとっかかりを最もハードルの低いところでつかめ〉という家訓のようなものなのだそうです。

書く仕事に打ち込みながら、生活を楽しくする努力も惜しまない柚木さん。でも、がんばってもどうにもならないこともあります。本書に収められたワンオペ育児が破綻したときのことを語った「カップ焼きそば」、夫と口論になって家を飛び出す「家出」は、共感せずにはいられません。特に「家出」の最中にアンガーマネジメントの本を読んで怒りを爆発させるくだりは最高です。

とにかく自分を責めず、友達を大切にする。ベビーカーを蹴る人や幸せそうだからという理由で女性を刺す人がいる社会、国民の健康よりも経済を優先する政府に対する怒りは忘れない。そういう姿勢に励まされます。

忙しい毎日でもホッとできる瞬間を意識的に持つために実践してみたことを書いた「ホッとできない私へ」も参考になりました。くたくたになって気力を失った日には、柚木さんの言葉を思い出そうと思います。とりあえずお湯わかせ。

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仕事で悩みを抱えているとき、親しい人に愚痴をこぼすことはありますが、あまり甘えすぎてもいけないと思ってしまいます。みんな大変なのは同じなのだし。
 
その点、本が相手ならば、気兼ねなく相談できます。もちろん本はしゃべりませんが、著者の思考が詰まっています。一冊の本になるほど、深く考えたことが。

寡黙だけれども思慮深い本という友人と対話しているうちに、自分にとって何がつらいのか、言語化することができます。問題を言葉にすることは、解決の一歩につながるはずです。

わたしの経験では、自分の現実とかけ離れている内容のほうが、閉塞感を打開する思いがけないアイデアとか、心の支えになる言葉が見つかりました。ふさぎ込んでいるときって、視野が狭くなっているのでしょうね。

世の中にはたくさんの本があって、そのなかにはきっとあなたと気の合う友人がいるはずです。方法は何であれ、本と読者をつなぐことが、わたしのしたい仕事。書評や書店が、良い出会いの場になれば幸いです。




※2023年2月15日20:00ごろ、記事の一部を修正しました。ご指摘ありがとうございました。

編集:はてな編集部

もっと新たな本との出会いを広げよう

仕事の意味を問い直す。冬木糸一さんが選ぶ、これからの仕事を考えるためのSF
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読書は人付き合いにどこか似ている。「人見知り」なあなたの視野を、一歩広げる作品たち
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旅行できないなら本を読もう。今の時代に読みたい海外文学5冊
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著者:石井千湖(いしい・ちこ)

石井千湖さんプロフィール画像

ライターです。「週刊新潮」「読売新聞」「Oggi」「ELLE」などにブックレビューを書いています。「ポリタスTV」の「石井千湖の沈思読考」でも本を紹介しています(3週間に1回、木曜日)

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「ストイック頑張りマン」をやめた|藤岡みなみ

 藤岡みなみ

ケーキとコーヒーでゆったりした時間を過ごしている様子

働いていると、周囲の活躍する人の姿を見て「自分の頑張りが足りないのかな」「もっとストイックにやらないと」と思ってしまうことはありませんか。

そのストイックさがプラスになることもあるかもしれませんが、日常生活で一息つく時間もなくしてしまっているとしたら、少しだけ自分の状態を振り返ってみてもいいかもしれません。

文筆家、ラジオパーソナリティなど幅広い活動をしている藤岡みなみさんもかつては自身を「ストイック頑張りマン」だったと語ります。誰かと過ごす時間も惜しんでいた藤岡さんですが、ある出来事をきっかけにストイック頑張りマンであることをやめるように。その代わり、かつて自身がおざなりにしていたことを少しずつ大切にするようになります。

誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」最新回更新です。

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「絶対やり遂げる」「妥協しない」「限界まで頑張る」

10年以上前、私の手帳にはこんな言葉が並んでいた。日々の予定のほか、月単位・週単位の目標がぎっしりと書き込まれ、ほとんど隙間がない。

当時はオフの時間も制限しずっとオンの状態で、ひたすら頑張ることにこだわっていた。

あの頃の私は何に追い詰められていたのか。なぜ「ストイック頑張りマン」だったのか。

とにかくストイックだった幼少〜学生時代

生まれ持った負けず嫌いな性格だけでなく、環境的な要因もありそうだ。

まず幼少期に子役として活動していたことが思い当たる。親に「役者になりたい」と伝えて児童劇団に入所させてもらったのだ。

子役の世界は厳しい。受けても受けても合格しないオーディションの日々。

ミュージカルなどは特に過酷で、他の候補者の前で課題の歌や演技を披露し、その日のうちに合格者の番号が壁に貼り出されることもあった。劇団の友人だけが次の選考に進み、帰りの電車で泣いた。常に露骨に比べられる。実力者はわんさかいた。

審査員は目を光らせ、ほんの5歳くらいの子にも「泣くなら出ていってください」なんて言ったりする。高音が出ないのも、ダンスが覚えられないのも、感動的なシーンで涙が流れない時も、全部自分の頑張りが足りないからだと思った。

子役として活動していた頃

子役として活動していた頃

高校時代チアリーディングの強豪校にいたのも、ストイックさに磨きをかける経験だったかもしれない。人を応援するスポーツなのだから、苦しい時でも笑顔でなければいけないという信念のもと、体育館にはいつもストイックな掛け声が飛び交っていた。

「諦めないよ!」「つらいときこそ笑顔!」「妥協したら終わりだよ!」。筋トレをしながら血管の浮き出た笑顔で仲間と励まし合う。美しい光景だなとも思う。人生のほんの短い時間、こういう極端な世界観に身を置けたことは面白かった。ただ、全ての人にこの努力の仕方が合うとは今は思わない。妥協せずに力を出し切った結果、倒れたり筋を切ったりする部員も多かった。

チア部の過酷な練習の山場といえば毎年恒例の夏合宿だった。最もつらいのは、体育館の中を筋トレとランニングで回り続けるサーキットというトレーニングだ。その時、必ずゴリゴリに低音の効いた強そうなダンスミュージックを流すのがしきたりだった。このBGMがさらに気持ちを沈ませる。「つらくないと努力ではない」という感じがした。

学年が上がった翌年の夏、サーキットのBGMをこっそり『勇気100%』に変えたら、気分が上がって走るのも少し楽しかった。なのに、OGに速攻ゴリゴリソングに戻されてしまったのは今でも忘れられない。そういえば、「No pain, no gain(痛み無くして得るものなし)」というフレーズが書かれた部活Tシャツを作ったこともあった。

大学卒業後も「今」を楽しむ余裕が持てなかった


幼少期や10代の頃のストイックさが身に染み付いていたのか、その後もそんな価値観を自分に強いていた。痩せたくて、電車に乗らずに往復3時間かけて徒歩で大学に通っていた時期もある。朝5時からパン屋さんやコンビニでアルバイトをし、眠気と戦いながら授業を受け、放課後は勉強会やワークショップに参加した。

社会人になってからも、家族や友人と遊ぶ時間をもったいなく感じ、休日にも自分が成長できると思える予定を詰め込んでいた。いやなやつだったと思う。

学生時代から続けていたテレビやラジオの仕事も、エッセイストとしてのキャリアも、20代のうちに実績を上げなければそれより先はないと信じていたのだ。

楽しいのは新しく仕事をもらえた瞬間だけで、打ち上げは無意味だとも考えていた。ああ、本当にいやなやつ。

常に何かしていないと不安で、今この瞬間を楽しむ余裕もなくて、自分のことが好きではなかった。でも何か成し遂げて目覚ましい実績さえ手に入れば、一気に楽になるのかもしれないと思っていた。

縄文時代とボドゲの出会いがもたらしてくれたもの


そんな私がストイック頑張りマンをやめたきっかけになったのは、縄文時代ボードゲームとの出会いだ。

そんなことで? と思われるかもしれない。

でも多分、これらが大きいのだ。

26歳の時、縄文時代にハマった。きっかけは北海道で「中空土偶(ちゅうくうどぐう)」と出会ったこと。その後あらためて縄文時代を知っていくと、土偶にも土器にも、暮らしの手触りがあることに気付いた。

うねるような装飾や、人間でも動物でもない生き物。道具とは生活を便利にするための合理的なものだと思っていたが、縄文時代の遺物には合理性よりも芸術性や豊かさを感じた。

時間を節約するためにいつも駅のベンチでパンをかじっていた私は、縄文人にビンタされた心地だった。損得や合理性だけを求めて生きることで、暮らしを失っていた。

縄文時代にハマり数年たった頃


同じ頃、友人にボードゲームを勧められた。身近にボードゲームの伝道師のような人物がいたのだ。定番ゲームの何倍も面白いアナログゲームがこの世にはこんなにあるのかと衝撃を受けた。

20代前半までの私は、時間を作って友人と会うのならば必ず深い話をしなければならないと思っていた。深い話ってなんなんだ。今思うとダサくて仕方がないが、でも当時は本当にそう考えていた。話題は常に、いま何を目標にしていて、どう頑張っているか。どんなことをしていたら仕事がうまくいったか。課題は何か。

よく考えれば深い話でもなんでもない。こうした会話の結果、友人は頑張っているのに自分はまだまだ足りない、と落ち込むことばかりだった。

ボードゲームには「深い話」は必要なかった。久しぶりに友人と会うと、置かれている状況が違いすぎて話が続かないときがある。仕方なく仕事や恋愛事情などを話さざるを得なくなり、それもしんどかったりする。しかしボードゲームがあれば、誰もプライベートの話をせずに何時間でも一緒に楽しく過ごす事ができた。

正面から向き合わなくてもいい。一緒に時間を過ごせればいいのだ。ボードゲームはあまりにも楽しかった。

モロッコの市場を舞台にしたゲーム『マラケシュ』

モロッコの市場を舞台にしたゲーム『マラケシュ』

「深い話」は必要ないと書いたが、かといってこれが浅いコミュニケーションだとも思わない。良いゲームには世の中の真理が詰め込まれていて、暗殺者になったり、幽霊になったり、セールスマンになったりして友人や家族と関わるのは、新鮮で豊かな時間だった。

なぜこれまでの私は誰かと楽しく過ごすことを禁じ自分を追い込み続けていたのか、全く意味がわかんないな、と思った。実はこのとき初めて、いまこの瞬間を生きるということができるようになったのだった。

ストイック頑張りマンをやめて気付いたこと

生活は美しい。人生とは、成果ではなく瞬間のことだ。損得勘定で生きていたらそのことを見失う。

そして私は、ストイック頑張りマンをやめてみることにした。

自己実現のための行動に専念するのではなく、暮らしや周囲の人との時間を大事にするようになった

一人での食事でも箸置きを用意してみたり、夏至の日の長さを感じるためだけに散歩に行ったりすること。クリスマスにちゃんとツリーを出して、仕事を入れずに静かに過ごすこと。

それは自分を焦りから解放しただけでなく、仕事にもむしろいい影響をもたらした。頑張るのをやめたというと、甘いとか、諦めたとか、だらしないというイメージがあるかもしれない。しかし今の私は、ストイック頑張りマン時代よりも自分を正当に律しながらポテンシャルを発揮できている気がする。「頑張る」の定義を捉えなおそうと思った。

まず最初にしたのは、違和感をおぼえる環境からはすぐに離れるようにすることだった。これまでは少しくらい価値観が合わなくても、とにかく適応することが強さや努力だと思っていた。

耐えて結果が出れば状況は好転するはずと信じていたが、耐えるのはやめた。手放すのは勇気が必要だけれど、そうすることで結果的にもっと自分らしい仕事が舞い込むようになり、気の合う仲間とも出会いやすくなった。

仕事をしているイメージ

耐えたり我慢したりすることは、私の場合思ったほど成果につながらない。むしろ無駄なストレスに惑わされ、実力が発揮できなくなる。それは環境だけでなく自分自身へのスタンスも同じで、「諦めるな」「食いしばれ」なんて鼓舞しても私は元気が出なかったのだ。それで元気が出る人はそれでいい。

私は自分に「めっちゃ頑張ってるやん」「もう寝ちゃおうよ」と言ってあげる方が、「偉いよなぁ。もうちょっとやろかな」とやる気が出るタイプだった。

「頑張る」って曖昧すぎる


こういう話をしていると「頑張ることを否定するな」と言われることがある。否定しないし、ストイックに頑張りたい人は頑張ってください。めっちゃ応援します。とはいえ、「頑張る」という言葉の定義はこの社会において無責任で曖昧だよなと思う。

ある人が100の力で成し遂げることを、ある人は20で成し遂げられるかもしれないし、その差はあんまり考慮されない。本人の努力で結果が出ても、楽しそうにしていたら頑張っているように見られなかったりする。

「頑張る」という言葉には、苦しむ、我慢する、かじりついてコツコツやるみたいなイメージがこびりついている。定義も条件もバラバラなのに、苦痛ばかりが美徳とされる価値観はあまり健康的とは言えないだろう。すべては本人の素質、環境、タイミングなどによる。自分でも簡単に乗りこなせないし、ましてや他人がジャッジできるものでは決してない。

例えば、私は大学生の時に過酷なダイエットをしたが、どうしても体重が思うように落ちなかった。しかし去年、かなり気楽に減量できた。どう考えても大学生の時の方が「頑張って」いた。同じ自分なのに、タイミングが変わるだけでこんなにも違う。

なぜ気楽にできたのかといえば、「頑張った」のではなく「調子に乗った」からかもしれない。

私は現在、自分をストイックに追いこむのを辞め、いかに調子に乗らせるかに注力している。うまくいっていない時よりも、少しでもうまくいっていると思えた時の方がやる気が出る。調子に乗せようとしても乗ってくれない時もたくさんあり、その「ままならなさ」を自分の弱さと思うか面白さと思うかで、日々の充実感も変わってくる気がする。

耐えるんじゃなくて、すこやかでいてね

鞭を打つように自分を追い込み周りのことも見えていなかった私が、今ストイックさの代わりに大事にしていることがある。それは、調子に乗ることと休憩とねぎらいだ。

原稿を書きはじめた時点で自分を褒める。やりはじめたならもう8割完成したようなものだよ、と言ってあげる。いいぞいいぞ自分、とひたすら盛り上げる。

今日は仕事しません、と宣言して河原で花輪を作る日もある。毎日歯を食いしばって生きていても仕方ないとわかったら、花で遊べるようになった。

花のイメージ

仲のいい友人とメッセージのやりとりで「早起きするなんて偉人すぎる」「偉すぎて銅像が建つよ」などと毎日のように励まし合ったりもしている。こんな些細なことが、私にはものすごく重要だった。

頑張っても頑張らなくてもいい。頑張らないのは甘えではないし、甘えだったとしてもいい。ストイックでもストイックじゃなくてもいい。世の中では「頑張れ」が「耐えろ」の意味で使われているように感じるときがあり、少しおそろしくなる。いまの私が誰かに「頑張ってね」と言うなら、「すこやかでいてね」の意味で言いたい。過去の私へ。あんまり我慢しないでね。

編集:はてな編集部

著者:藤岡みなみ

藤岡みなみさんプロフィール画像

1988年生まれ。文筆家、ラジオパーソナリティ。遺跡巡りや読書は現実にある時間旅行では? と思い、2019年にタイムトラベル専門誌店「utouto」を開始。著書に『シャプラニール流 人生を変える働き方』(エスプレ)、『藤岡みなみの穴場ハンターが行く! In 北海道』(北海道新聞社)、『ふやすミニマリスト』(かんき出版)、『パンダのうんこはいい匂い』(左右社)がある。
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デスク周りの収納・整理術を6000軒以上片付けたプロが解説。コツは「片付けの仕組みを変える」

プロが教える、自宅のデスク周りの収納・整理術

デスク周りの収納や整理、テレワーク(リモートワーク)下で悩んでいませんか? 自宅ではオフィスのように十分な仕事用のスペースが確保しづらく、書類やPC周りのガジェットなど、さまざまなアイテムがデスクの上に出しっぱなしになりがち。「すっきり、おしゃれなデスク周りにしたい!」と一度片付けや掃除をしたとしても、気付けばすっかり元に戻っている、なんてことはよくありますよね。

今回は家事代行マッチングサービス「タスカジ」の仕事を通じて、多くの家庭の「片付かない」悩みを解決してきた“予約の取れない家政婦”sea(しー)さんに、在宅勤務をする人に向けて、デスク周りの収納や整理のコツ、片付いた状態をキープする方法を伺いました。片付けが苦手な人でも無理なく取り組めるポイントや、100均などで手に入る便利グッズも紹介します。


こんにちは! 家事代行マッチングサービス「タスカジ」で、整理収納を担当するseaと申します。家事代行サービスの仕事を通じて、これまで6,000軒以上の住まいの片付けをサポートしてきました。

片付けをサポートするときに私が重視しているのは、使うためにいったん出したモノを「戻す・しまう」めんどくささを、徹底的になくすこと。

見た目をいくら整えても、使い始めたところから早々に散らかり始めてしまっては、気持ちもがっかりしてしまいますし、使い勝手もよくなりません。なので、きれいにしまいきった一瞬の仕上がりではなく、片付けた後で無理なくその状態が続けられる仕組み作りを大切にしています。

さて、この数年で、私のもとにも「テレワークのため、自宅のワークスペースを改善したい」というご相談が増えてきました。その中には、自分のデスクや書斎を持つのが難しく、ダイニングやリビングのテーブルを一時的にワークスペースにしながら、テレワークをしている方も多くいらっしゃいます。

そこで今回は、これまでの片付け経験をもとに「限られたワークスペースでも、テレワークを快適にするための片付け・収納術の考え方」を紹介します。

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片付かないワークスペースにありがちな、4つの特徴

散らかったデスク
散らかったダイニングテーブル(写真提供:タスカジ)

突然ですが、みなさんが在宅勤務で作業しているデスクは今、どんな状態でしょうか?

ごちゃつきの状況にもいくつかのパターンがあり、大きく分けて下記の4つの特徴と改善方法があると私は考えています。

これらの特徴は、重なって存在している場合も多々あります。

1. 仕事も食事も子どもの勉強も同じ場所。テレワーク下でのデスクの多目的化

コロナ禍でテレワークの習慣が始まった方の中には、専用の仕事部屋がなく、ダイニングテーブルをワークデスクとして利用している人も多いのではないでしょうか。

ダイニングテーブルはもともと食事をする場所でもあったり、子どもが勉強をする場所でもあったりして、目的の異なるモノが混在しがち。さらにワークスペースとしての役割が加わったことでより多目的化しています。

ダイニングテーブルが多目的化している様子
ダイニングテーブルが多目的化している様子(写真提供:タスカジ)

片付けの作業に入る前に、まずは今のデスクが自分や家族にとって「何をするための場所なのか」を把握しておきましょう。

改善策:デスクにあるモノを目的別に大まかに分ける

ダイニングテーブルが多目的化している場合、まずはテーブル上にごちゃっと置かれているモノを下記のような大まかなカテゴリで分けていきます。

  • 仕事
  • 家族・家(契約関連/お金関連/健康管理関連など)
  • 子どもの学習(家庭学習アイテム/進学資料など)
  • チラシ
  • 文具
  • 食品や生活雑貨(体温計や薬など)
  • (子どもがいる方の場合)おもちゃ

片付けが苦手な人ほど、分けながら「こんなにあったら棚に収まらないかもしれない」「これは、やっぱり捨てるべきだろうか?」などと考えて作業が進まなくなる傾向があります。これが失敗の元。

「分ける」と「残すかどうか検討する」「しまい方を考える」はそれぞれ別のタスクです。片付けのコツは、カテゴリごとの仕分けのような大まかなシングルタスクを高速でつなぎ、片付いてきている手応えや達成感を得ながら進めること。

他のタスクのことはいったんおいておき、まずは「分ける」に集中です。目についたところから、機械的にどんどん仕分けていきましょう。

2. 過去・現在・未来のモノが混在し、デスクスペースが「今」仕様になっていない

続いては、デスクの上に「今使うモノ」「使うけど今じゃないモノ」「使わないモノ」があり、「今」仕様になっていない状況です。

デスクスペースが「今」仕様になっていない様子
デスクスペースが「今」仕様になっていない様子(写真提供:タスカジ)

リビング・ダイニングは特に、家族の歴史が積み重なりがちな場所。古いモノの上に新しいモノがどんどんやってくるので、例えば仕事で毎日使うイヤホンと、何カ月も前に見終わった子どものプリントがごっちゃになっていたりするんです。

仕事用のデスクがある人でも、過去の参照資料がずっと手元に残ったままになっていることはあるかもしれません。

改善策:「今使うモノ」を優先して、取り出しやすい場所にしまう

デスクスペースが「今」仕様になっていない場合にありがちなのが「今、ないと困るモノが埋もれてしまう」状況です。

ダイニングテーブルを仕事兼用にしている場合は、1で紹介したようにカテゴリごとに分けたあと「今、ないと困るモノ」を厳選し、優先的にしまっていきます。

デスクにあったアイテムを眺め、「この場所で今、ないと困るモノはどれ?」と考えてみてください。絶対に必要なモノは、案外多くないはずです。例えば文具なら、ワークスペースに置いておきたいのはボールペンとはさみ、メモパッドなど、トレー1つに収まるぐらいの量ではないでしょうか。

そこまで検討したら、収納の仕方を考えます。

まずは日常的に確実に使うモノ=「今使うモノ」の定位置を決めていきます。「使い終わった後、ラクに戻せる場所」がベストポジションです。「使うけど今じゃないモノ」については、「控え」として、今使うモノより奥に収納します。

今使う文具がトレー1つ程度の分量なら、そのトレーをデスクの隅に常設して「定位置」とします。残りの使わないペンやはさみ、クリップなどは引き出しにしまっておく、というようなイメージです。


3. さまざまな書類が整理されておらず、作業スペース自体が狭い

仕事用のデスクがある場合でも、書類の整理が追いつかずに、作業用スペースを圧迫しているようなケースです。

狭い作業スペース
狭い作業スペース(写真提供:タスカジ)

会議の資料や進行中の案件の資料、新しく導入したツールのマニュアルなど、日々増えて場所を取ってしまう書類は、整理の仕方を見直してたまらない仕組みを作りましょう。

改善策:たまりがちな書類は、ステータス別に3つに分類する

デスクの上でスペースを取りがちな書類は、

  • 1.要対応
  • 2.対応済み(要保管)
  • 3.対応済み(保管不要)

という3種類に大きく分けて整理し、片付けてみましょう。

「要対応」は、埋もれないための工夫が重要。マグネットクリップとマグネットシートで目の前に掲示させておいたり、赤色の透明クリアファイルに入れて、書類トレーのいちばん上に置いておいたり、「見える状態」を作っておく必要があります。

「対応済み(要保管)」書類は、デスクに「参照資料」のボックスを作って入れておくか、長期保管書類用の棚をデスクと別に作って移動させるかするとよいでしょう。

書類管理に使う収納グッズとしては、トレータイプとボックスタイプがありますね。トレーは、朝入ってきて当日中に処理を終わらせて出ていくような、動きのあるタイプの書類管理に向いており、テレワーク環境にはどちらかというと不向き。トレーを使うなら「当日使うモノと要対応書類のファイル置き場」として、一つで十分です。

それよりもダイニングテーブルまわりでの書類整理には、ある程度の量が入り、ワンアクションでしまえるボックスタイプの収納がぴったりです。

ボックスタイプの収納ボックスタイプの収納
書類整理にはボックスタイプの収納が便利(写真提供:タスカジ)

そして「対応済み(保管不要)」は、できるだけ手元で止めずに処分しましょう。ペーパーレスの時代、紙で保管しなければならない情報はそれほどないはずです。

「参照資料」としてキープしておいたモノも、月に1回は内容を確認する習慣をつけましょう。「結局見なかったな」というモノが結構あるはずです。それらを処分していくことで「参照資料」のファイルボックスが無限に膨らんでいくのを防ぐことができます。

4. 仕事が終わっても、ワークスペースが常に『途中』の状態になっている

デスクまわりをすっきりさせ、作業上のロスを防止するためにも、日々ワークスペースをリセットする習慣をつけることが大切です。

1日を通してさまざまな家事などが発生する、家庭という場所。

ワークスペースをリセットし「終わった!」と思える体験の積み重ねは、業務をスムーズにしてくれるだけでなく、自己効力感を育むための重要なアクションです。

改善策:「しごとNOWボックス」で毎日デスクの上をリセット

毎日の習慣にしたいのが、デスクの上を“何もない状態”にすること。

今仕事で使っているモノを出しっぱなしにせず、まとめて入れる「しごとNOWボックス」を作り、やりかけの書類や現在使っている参考資料、ノートパソコンやタブレット、ペンケースなどをそのまま入れてしまってください。道具をそれぞれを元の位置に戻すのではなく、「今のカタマリ」としてまとめるイメージです。

「しごとNOWボックス」には、取っ手付きのA4書類ケースやA4サイズの入る帆布バッグなどが向いています。イヤホンやレコーダーなど細かい物がある場合は、「しごとNOWボックス」にポーチやジッパー付き袋などを入れておき、その中にまとめてしまいましょう。

「しごとNOWボックス」のイメージ
「しごとNOWボックス」のイメージ(写真提供:タスカジ)

このような片付けは、明日やることの整理にもなるので、仕事が終わり次第、家事に戻る前にやっつけてしまうのがおすすめです。

一方、ほこりを取ったりデスクを拭いたりする掃除は、業務開始前に行うのがおすすめです。ルーティン化にもコツがあり、それは「○○の後」ではなく「○○の前」に設定すること。

「ごはんの後」「お風呂の後」など、「○○の後」は定義があいまい。「ちょっと休んでからやろう」などと考えているうちにやらなくなりがちなので、習慣化したいのなら断然、タイミングは「○○の前」がおすすめです。


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片付けたデスク周りがすぐ散らかる原因は、5つの「めんどくさい」があるから

デスク周りがごちゃつく原因を知って一度はすっきり片付けたとしても、気が付けば散らかっている、ということはよくあります。その原因として、私は5つの「めんどくさい」があると考えています。

  • 1.使ったアイテムを戻す場所がデスクから遠い
    • →「またすぐ使うからこのままでいいや」と、そのままデスクに置きっぱなしにしてしまう
  • 2(戻すまでにいくつも何かを開ける動作があるなど)障害物がある
    • →障害物を越えて戻すのが億劫になり、途中に意図しない一次置き場ができてしまう
  • 3.使ったアイテムを戻す場所がバラバラ
    • →どれをどこにしまうか思い出すのが面倒で、適当な場所に戻してしまう。定位置を家族と共有するのも大変で、違う場所に戻されてしまう
  • 4.(収納場所と入れるモノの形が合っていないなど)動作が窮屈
    • →しまう作業がストレスになり、収納をあきらめてしまう
  • 5.収納がぎゅうぎゅうでアイテムが入らない
    • →物理的に収納が不可のため、デスクの上に置かれたままになる

よく使っている資料の束やUSBハブを、デスクまわりに収納がないために、リビング収納が定位置とされているケースはよくあります。

収納場所までたった数歩の距離であっても、扉をひとつ開けるだけであっても、ラベルのついた引き出しに従って戻すだけであっても、それが毎回のこととなると片付けるのが面倒になってしまうもの。特にダイニングやリビングで仕事をしている場合は、キャビネットなどが近くにないことから、上記の1〜3がよく当てはまる印象です。

また、せっかく収納を増やしても、中で電子機器やイヤホンのコードなどが絡み合ったり、付箋やクリップなど細かいモノがごっちゃになったりして、ぎゅうぎゅうになってしまっては意味がありません。しまう場所がないからといって、ただ収納グッズを増やすだけではダメなんですね。

5つの「めんどくさい」に気づくだけで、これまでどうして片付かなかったのかが分かるようになります。片付かない理由が分かれば、あとはそれをやっつければいいだけです。

何度片付けてもデスク周りがすぐにごちゃついてしまう……という人は、一度デスクまわりの「片付けのめんどくささ」をじっくり分析してみるのがおすすめです。

「めんどくさい」を減らす収納グッズで、片付いた状態をキープ

デスクの上のごちゃつきを減らすためには、収納グッズの選び方も重要なポイント。使い勝手がよくないアイテムを選んでしまうとまた「めんどくさい」が発生して、片付いた状態をキープできないこともあります。

デスク周りの整理に使いやすいグッズとしては、取っ手付きのA4書類ケースやファイルボックス、ジッパー付きの袋があります。

おすすめ収納グッズ(1)取っ手付きA4書類ケース

取っ手付きのA4ケースは、すぐに使う仕事道具を持ち運ぶのに使います。仕事を始める際にデスクにケースごと運び、終わったらケースに入れて収納場所に戻すことで、デスクがごちゃつくのを防ぎます。

取っ手付きA4書類ケース取っ手付きA4書類ケース
取っ手付きA4書類ケースで仕事道具をまとめる(写真提供:タスカジ)

デスクの近くにカウンターなどの空きスペースがあるのなら、そこをケースの収納場所にするのもいいでしょう。

近くに収納できる場所がない場合は、カラーボックスを1つ置き、そこに在宅勤務グッズを入れる用のファイルボックスを置くという方法もあります。

おすすめ収納グッズ(2)ジッパー付きの袋

100円ショップなどで購入できるジッパー付きの袋は、コード類など細かい物の整理に役立ちます。小さい袋に1つずつ入れるのではなく、「文具」「コード」など、ざっくりと分類して大きめの袋に入れるのがおすすめ。立てて収納できるようになり、出し入れも簡単になります。管理しやすいように中が見える透明タイプがマストです。

「ジッパー付きの袋」には小物をジャンルごとに分けて入れる
「ジッパー付きの袋」には小物をジャンルごとに分けて入れる

引き出しが使えるなら、間仕切りとしてお菓子の空き缶、スマートフォン購入時の箱、名刺ケースなどが役立ちます。案外、すでに家にある物の組み合わせで整えることができるんですよ。

片付けが苦手な人こそ、細かく収納場所を分けるのではなく、カタマリにまとめてしまい「デスク周りのどこに何があるか、ざっくり把握している」状態を目指しましょう。

「片付けられない自分」ではなく「片付けの仕組み」を変えてみる

もし同居人もテレワークをしている場合、相手の荷物が片付いてなくて気になる(相手は気にしていない)、ということもあるかもしれません。そんなときは相手を責めても状況は好転しません。双方のメリットになる方法を考えるのがおすすめです。

「ワークスペースの収納にカラーボックスがあると便利かなと思うんだけどどう思う? 置くとしたら、場所はカウンター下と壁沿い、どちらがいい?」など、具体的な選択肢を用意して尋ねると相手も答えやすいもの。意思決定にさりげなく巻き込むことで「自分が決めた」と感じられ、ルールを守ってもらいやすくなるでしょう。

私はこれまでいろんなご家庭にうかがってきましたが、片付けが苦手な方ほど「『片付けられない自分』を変えなければいけない」と思っているのを感じます。私はそんな方に、自分を責めるのではなく「今の自分には、この片付け方の仕組みが合っていないんだ」と考えてみてほしいんです。

変えるべきなのは「自分」ではなく、「片付け方」。今の自分のままでも、「これならできるな」と思える片付け方がきっとあります。それを見つけ、自分専用に家をカスタマイズするために不可欠なのが、「私の生活の“今”」に向き合い、棚おろしをすることです。

今の部屋の環境に隠れている「片づけのめんどくささ」に気づくことを入り口に、快適なワークスペース作りにチャレンジしてみてくださいね。


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構成/佐々木優樹、編集/はてな編集部

テレワークを快適に進めるヒント

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著者:sea

seaさん

家事代行マッチングサービス「タスカジ」ハウスキーパー、家族の片付けコンサルタント。

大学卒業後に始めた家事代行サービスの仕事にどっぷりはまり、20年以上にわたって個人宅の片付けや掃除を行ってきた。いままでに片付けた家は6,000軒以上。家事代行マッチングサービス「タスカジ」では「seaさんが片付けてくれると、なぜか家族の仲までよくなる」と口コミで評判になり、「予約の取れない家政婦」と呼ばれるようになった。

メディア出演や執筆、片付け講座の企画・開発など幅広く活動を行う。著書『家じゅうの「めんどくさい」をなくす。』(ダイヤモンド社)が発売中。

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0〜5歳の手作りおもちゃ3選!親子が自宅で楽しめる工作をクリエイターが紹介

親子で楽しむおもちゃ作り

自宅保育の過ごし方に悩んだ経験があるママ・パパは少なくないかと思います。コロナ禍以降、保育園や幼稚園の休園などによって、仕事の日でも急に自宅保育する機会が増えました。気軽に外出するのも難しい状況の中、保護者は「家で子どもとどう過ごすか、どんな遊びをさせるか」に毎回悩まされますよね。

そんなときの過ごし方の一つとして今回提案したいのが、親子で楽しめる工作としての「おもちゃ作り」です。今回は手作りおもちゃクリエイターとして活動するむーさんに、0歳児〜1歳児、2歳児〜3歳児、4歳児〜5歳児の年齢別におすすめのおもちゃの作り方を教えていただきました。いずれのおもちゃも、折り紙やダンボールなどの家にある材料や、100円ショップで手に入る素材で簡単に作れるものばかりです。


こんにちは、手作りおもちゃクリエイターのむーといいます。5歳の息子を育てながら、手作りおもちゃや工作のお仕事をメインに活動しています。

以前は京都のデザイン会社でグラフィックデザイナーとして働いていましたが、2018年に息子が生まれ、育児休暇中に自作の「手作りおもちゃ」をTwitterに投稿し始めたのが今の活動のスタートでした。ありがたいことにTwitterの反響をきっかけに手作りおもちゃや工作関係でお仕事のご相談をいただくようになり、2019年に会社を退職してフリーランスになりました。

この記事では、未就学児のお子さんと一緒に作って遊べる手作りおもちゃのレシピを、お子さんの年齢別に難易度を分けて紹介したいと思います。「今日、子どもとどんなふうに過ごそうかな……」と悩んだ誰かのお役に立ちますように。

0歳児から5歳児まで遊べる! 折り紙やダンボールで簡単おもちゃの作り方

お子さんの年齢別に、3つのおすすめのおもちゃレシピをご紹介します。

カッターを使う部分など難易度が高い工程は、大人の人が手伝ってあげてください。また、特にお子さんが小さいうちは、誤飲につながらないよう、作る途中や遊ぶ際に目を離さないでくださいね。

0歳児〜1歳児さん向け:着せ替え遊びもできるペットボトルのおもちゃ

くしゃくしゃボトル

0〜1歳は、まだ1人で何かを作るのは難しい年齢。まずは「紙をちぎる・丸める」という工程を遊びながら一緒にやってみましょう。

仕上げは大人が担当して、そのあとは飾っても、お人形遊びに使っても。小さなビーズを入れると、音が鳴るおもちゃにもなりますよ。いろんなアレンジで楽しんでみてください。

材料・道具
  • ペットボトル(飲むヨーグルトのボトルなど小さめがおすすめですが、500mlのものでもOK)
  • 折り紙やお花紙(1〜2枚あればOK。複数枚を少しずつ使ってカラフルにしても)
  • ビニールテープ
  • セロハンテープ
  • 油性ペン or 丸シール
  • はさみ
作り方

くしゃくしゃボトルの材料
(1)まずは子どもと一緒に、折り紙やお花紙をちぎったり丸めたりしましょう。子どもが引っ張り出して遊んだティッシュペーパーでも代用できます。

紙をボトルに詰める
(2)先ほどちぎった紙をボトルに詰めます。ちぎった紙の色や入れる順番でボトルの色味も変わるので楽しいです。

フタを閉めてビニールテープを巻く
(3)フタを閉めて、ビニールテープを巻いてしっかり固定します(接着剤をつけてからフタを閉めると、より確実に固定できます)。

ビニールテープがない場合、セロハンテープや布ガムテープでも代用OK。ただしマスキングテープは、子どもが口に入れた場合に唾液で溶けてしまうので避けた方がいいでしょう。

ボトルに顔をつける
(4)ボトルに油性ペンで顔を描いたり、丸シールを貼って顔を作れば、完成です!

どちらにしても、顔の上にはセロハンテープを貼って保護しておきましょう(ペンで描いた部分が薄れたり、シールが剥がれて誤飲につながるのを防ぎます)

\さらにこんな遊び方も!/
ボトルの中に小さなビーズやスパンコールを入れる さらに、ボトルの中に小さなビーズやスパンコールを一緒に入れると、シャカシャカと優しい音が鳴るかわいいおもちゃに!

大きめのペットボトルを使う場合は、詰め過ぎずに空間を残しておくと、ボトルの中の紙の動きを目でも楽しめるおもちゃになります。

ボトルに太めのヘアゴムをつける 100円ショップなどで買える太めのヘアゴムをつけると、まるで服みたいに。作ったあともいろんなアレンジを加えて、一緒に遊んでみてくださいね。


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2歳児〜3歳児さん向け:おままごとができる段ボールのおもちゃ

ダンボールピザ&ケーキ

続いては、おままごとごっこ遊びができる、ダンボールで作るピザとケーキです。

材料はダンボールと画用紙(折り紙でもOK)。おうちに絵の具がある方は、ピザソースやクリームを絵の具で塗るのも面白そうです。どんなトッピングにするか、子どもと一緒に相談しながら作る時間を楽しんでください。

材料・道具
  • ダンボール
  • 画用紙や折り紙(赤、黄色、緑など)
  • のり
  • はさみ
  • ティッシュペーパー(ケーキを作る場合)
  • セロハンテープ(ケーキを作る場合)
作り方

ダンボールをはさみで丸く切る
(1)まずは、ダンボールをはさみで丸く切ります。形はいびつでもOK!
※まだこの年齢の子どもが切るには固い素材なので、切るのは大人が担当してください。

赤い画用紙を丸く切ってピザソースを作る
(2)次にダンボールよりひとまわり小さい画用紙(赤色)を丸く切って、ピザソースを作ります。

おうちに絵の具がある場合は、本物のピザソースを塗るように赤い絵の具を使っても楽しいです。

黄色い画用紙でチーズを作る
(3)続いて黄色い画用紙をたくさんちぎってチーズに見立て、ピザの上にのりで貼ります。

「まずはチーズをのせよう!」などの声かけをしながら作ると、子どももイメージができて楽しいです。

チーズの上に何をのせるかはお好みで(写真では緑の画用紙でバジルの葉を、赤の折り紙でトマトを作って貼っています)。

ピザの完成
(4)全てのトッピングが終わったらピザの完成!

白い画用紙でケーキにアレンジ
(5)赤い画用紙の代わりに白い画用紙を貼ったら、ケーキを作ることもできます。

小さくちぎったティッシュをのりで貼り付けたら絞ったクリームに、半分に切った赤い折り紙を丸めたらいちごに!(いちごは丸めたセロハンテープで貼るのがおすすめです)

ピザとケーキが完成
(6)完成したら、おままごとやお店やさんごっこなどで遊んでみてください。カットすると、より本物みたいで楽しいですよ!
※ここでも、カットする作業は大人が担当してください


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4歳児〜5歳児さん向け:簡単に遊べる折り紙のシューティングおもちゃ

おりがみシューティング
4〜5歳さんにおすすめしたいのはシューティングゲーム! 空気砲は親のサポートが必要ですが、折り紙の「的」は子ども1人でも作れます。

的を増やして楽しんだり、「赤は100点!」などのルールを決めたり、遊びの幅も広がって面白いですよ。親子で的当て勝負するのもおすすめです。

材料・道具
  • 折り紙
  • ペットボトル(丸い形のもの)
  • 風船(100円ショップなどで手軽に買えます。ストックしておくと工作や遊びに使えて楽しいですよ)
  • ペンや色えんぴつなど
  • はさみ
  • カッターナイフ
  • ビニールテープ(なければセロハンテープでも)
作り方

折り紙を半分に折ってペンで的の形を描く
(1)折り紙を半分に折って、ペンで的の形を描きます。形を描くのは大人が担当して子どもに渡し、はさみで切ってもらってください。

切って広げたらどんな形になるかを想像するのも楽しみのひとつ。的として立つように、1番下の辺は切らずに真っ直ぐのまま残しておきましょう。

切った折り紙に顔や点数を描く
(2)切った折り紙を開いて、顔や点数を描いてみましょう。ここはぜひ子どもに描いてもらってください。かわいい的が完成します。

ペットボトルをカット
(3)空気砲を作ります。まずはペットボトルの口から1/2〜2/3あたりをカッターでカット。ここは必ず大人が担当してください。

風船を切る
(4)風船を写真のように切ります。口の部分は結んでおきましょう。

風船をペットボトルに取り付ける
(5)写真のように、風船をペットボトルに取り付けます。取り付けるとき、ペットボトルの切り口のとがった部分ははさみで切りそろえておくと安全です。風船が破れるのも防げます。

ビニールテープ(なければセロハンテープでも)をぐるりと貼って、しっかり固定しましょう。

空気砲を飾り付ける
(6)空気砲の飾り付けはお好みで。写真ではビニールテープを数カ所に貼ってみました。

「おりがみシューティング」の完成
(7)「おりがみシューティング」の完成! 的を並べて、空気砲で狙って遊んでみましょう!


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自宅保育での気持ちの切り替えに「親子で作って遊ぶ」体験を

私自身、フリーランスになってからは在宅で仕事をしており、コロナ禍以降は在宅育児の機会が増えました。そんな時に、手作りおもちゃや工作のレパートリーがあることで助かることも多かったです。

急な自宅保育になると、仕事をしている親としては、仕事を休まざるを得ないことで周囲への申し訳なさを抱いたり、在宅勤務ができたとしても思うように仕事が進まない不安や焦りの気持ちもあったりしますよね。わたし自身、そんなときになかなか気持ちが切り替えられないこともあります。

でも、できることなら親も子どもも楽しく過ごしたい。そんな時にぜひ「親子で一緒に作って遊ぶ」時間を作ってみてほしいなと思います。手を動かして、小さくても何かひとつ出来上がることは、子どもはもちろん親にとってもうれしいもの。切ったり貼ったり飾り付けをしたり、子どもが自分でできる範囲も時間とともに増えていき、成長を感じる場面もきっと多いことでしょう。そして個人的に、気持ちの切り替えにも「作る」ことはぴったりだと思っています!

今回ご紹介したおもちゃはアレンジがしやすいものばかりだと思うので、自宅保育の日に限らずお休みの日などにも、ぜひ楽しんでみてください。

編集:はてな編集部

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著者:むー

むー

京都の田舎に住む、手作りおもちゃクリエイター/デザイナー/イラストレーター。SNSで手作りおもちゃの発信を続けながら、雑誌やWEBメディアでの連載、企業とのコラボ工作、書籍などさまざまな媒体で活動中。著書に『かんたん&ゆかいな 親子で楽しむ手作りおもちゃ』(ワニブックス)。

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「他人の価値観で自分にダメ出し」するのをやめた|太田明日香

太田明日香さんトップ画像

誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、作家の太田明日香さんに寄稿いただきました。

以前は書籍編集者として働いていた太田さん。仕事を始めた当初はどんな本を作るのも楽しめていましたが、他の編集者の活躍との比較、「編集者は〜〜でなければいけない」という周囲の声やそこから来る思い込みによって、徐々に編集の仕事をつらいと感じるように。思い切って編集の仕事から離れてみたことで、それまで自分が囚われていた価値観に気づいたといいます。

「本を作るために自分を変えなくては」という考えから離れ、ふたたび「本作りが楽しい」と思えるようになるまでの過程を書いていただきました。

***

2020年まで私は、フリーランスで商業出版物の編集の仕事をしていました。

出版社から本作りの依頼を受け、著者やデザイナーさんとやりとりしながら一冊仕上げるもので、これまで担当してきたのは料理書、参考書、実用書、ビジネス書、人文書、事典……と、ジャンルも種類もバラバラ。

仕事を始めた当初は本作りに携われるならなんでも楽しくて、
「憧れの出版業界で働いている!」
「自分の作った本が書店に並ぶ!」
と、どんなジャンルでもただゲラ(校正のために印刷した原稿)を見るだけでもウキウキ。

発売日には書店にできた本が並んでいる姿を見に行く、といったミーハー心をモチベーションにして仕事をしていました。

ところが、仕事を続けるうちにその気持ちに変化が出てきたのです。

「もう本作りが好きじゃない」と気づいたとき

2010年代の中頃から、編集者も黒子ではなく出版社の顔として、SNSを始める人が増えてきました。ネットでいろんな編集者の活動を見かけるたびに、自分はこのままでいいんだろうかと不安を感じ始めました。

ツイッターや新聞の書評欄で話題になる本を見ると、自分もこんなふうに取り上げられる本を作らないと……というプレッシャーをうっすら抱くように。

以前は楽しかった書店めぐりも、
「〇〇さんはまた新刊を出してすごいなあ」
「こんな目立つ場所に平積みにしてもらっていていいなあ」
と、しなくてもいい比較を勝手にしてしまうので、以前よりも楽しめなくなってきました。

そんなプレッシャーのもとで、私は日々の仕事に追われていきました。

この本を作ることで世の中の役に立ちたい! というポジティブな動機も、原稿依頼、スケジュール管理、著者への催促、原稿チェックに追われているうちに、ミスはないか、納期通り仕上がるか、一緒に仕事している人に迷惑をかけてないかといった不安や心配ごとで頭が占められ、楽しむどころではありません。

そのうち、「本作りが楽しい」と自然体で楽しそうに自分の作りたい本を作っている人を目にするとイライラするようになりました。

私にとって本を作ることは、喜びや楽しさは1〜2割くらいで、あとの8〜9割はつらさの方が多いもの。「私はもう本作りが好きじゃなくなっている」という自分の変化に気づいたときには、ショックを受けました。

いつも仕事でイライラして、家族に迷惑をかける自分にも嫌気がさしてきました。

当時はコロナ禍に突入した頃で、自営業者への給付金などもあったため、思い切ってしばらく編集者の仕事をストップすることに。そして、かけもちでやっていた別の仕事と、細々やっていたライターの仕事を中心にすることにして、働き方を変えることにしたのです。

「今の自分のままじゃダメ」と思い続けた10年

思えばこの10年、編集者の仕事は面白かったけれど、だいぶ無理もしていました。仕事を離れたことを機につらさの根底にあるものを考えてみると、それは「今の自分のままじゃダメ」という思いでした。

私が編集者を志した頃は、新卒の求人も中途採用の求人もほとんどありませんでした。今のようにSNSで気軽に活動内容を知れたりコンタクトを取れたりするわけではなかったため、編集者や出版業界の人が書いた本を読みあさったり、たまたま知り合ったり紹介してもらったりした人から実情を聞いて情報を集めていました。

その中で語られる「プロの編集者像」には、共通点がありました。それは、人当たりがよくてフットワークが軽く、コミュニケーション能力の高い人。

周りからは「企画を立てるためにはとにかく人に会え、興味を持ったことはとりあえず追いかけろ」と言われたし、周囲にもそういう仕事の仕方をしている人が多いと感じたので、とにかく社交的にならなければと思いました。

ところが私はといえば、子どもの頃から人見知りが激しい上に怖がりで、人と仲良くなるのにも興味を持ったことを行動に移すのにも時間がかかるタイプ。他人とコミュニケーションをとることに苦手意識もありました。だから、編集者として仕事しているときには、「自分を変えなければいけない!」というような強迫観念めいた気持ちを抱くようになりました。

それはまるで、誰かが自分にダメ出ししているような感じでした。

冷静に考えてみれば、本が一冊一冊内容が違うのと同じように、編集者の働き方も性格も千差万別のはずです。それに、私のような性格や働き方だからこそ作れる本だってあるはずです。

もちろん、コミュニケーション力の高さを強みに話題作やヒットする本を作れる人もいますが、評価の基準はそれだけではないはずです。

だけど私は「社交的でコミュニケーション力が高い人の方が編集者に向いていて、“売れる本”を作れる」という考えに疑いを持たないで、やみくもに“出版業界の価値観らしきもの”に合わせて自分を変えようとしていました。

つまり私は10年間ずっと他人の価値観で、自分にダメ出しし続けていたのでした。

個人雑誌をつくったら、久しぶりに「本を作ることが楽しい」と思えた

編集者の仕事をストップしてみると、自分が信じ込んできた価値観は果たして正しかったのだろうかという疑いが頭をもたげてきました。

自分を変えないといけないと思っていた頃は、「自分の作りたい本を作る」なんてもってのほかだと思っていました。しかし、そこから徐々に抜け出したことで、自分が本当に作りたい本を作ろうという気持ちが湧いてきました。

私はずっと興味をもった人を取材したり、興味のあるテーマを追求して一冊作りたいと思っていました。ところが、自分が取材したい人や興味のあるテーマはニッチで、なかなか商業出版の分野では企画になりにくかったため、「いつかチャンスが来たらやろう」と先延ばしにしていたのです。

だけどこのままだと、ずっと形にできないままではないか。そこで、まずは自分のできる範囲で、自分の作りたいものを作ってみることにしました。

2021年夏、『B面の歌を聞け』というタイトルで、それまで気になっていた「服の自給を考える」というテーマで個人雑誌を作りました。デザインはワードで自分で。予算がなくてカラーページは一部だけ。部数も予算も商業出版より少ないものでした。だけど、予想外の反響を得ることができました。

B面の歌を聞け 1号

『B面の歌を聞け 1号』(完売)、現在は2号を販売中

もちろん、全国の書店に本が並んだり、新聞書評で取り上げられたりするような商業出版物と比べると広がり方も影響力もかないません。だけど、イベントやメールで読者の方から直接感想をいただいたことで、影響力や広がり方は少なかったとしても、商業出版で本を作っていたときよりも大きな充実感を得ることができました。

それは、「自分の作ったものがちゃんと誰かに届いた」という実感が得られたからでした。
そのおかげで、久しぶりに「本を作ることが楽しい」と思えました。

もう一度、自分にとっての編集や本作りについて考え直すことにしました。

私がやりたいのは、影響力や広がりのある「売れる本」を作ることではなく、自分の作りたいものを作って、それが少数であれちゃんと誰かに伝わったという実感を得ることでした。

2021年、私にとってはライター・書籍編集者として独立して10年の節目の年に、書籍編集者の仕事を辞め、自分のレーベルで自分で本を作っていくことにしました。もちろん、それだけでは生活が成り立たないので、生計はほかのことで立てるより仕方ありません。

これまでの自分なら「全国の書店で話題になるようなものを作らなければならないと」と思い込み、自分のやりたいことを「素人くさい」とネガティブに捉えていただろうと思います。

だけど、他人の価値観で自分にダメ出しするのをやめたことで、これまで人のために提供していた本を作るスキルを、自分の作りたい本を作るために使えるようになったと、ポジティブに捉えられるようになっていました。

凸凹を均そうとする前に、「その価値観は本当に正しいのか」を考える

実際に個人で雑誌を作り始めてみると、無理に自分を変えようとしなくても、読者や書店に受け入れられる本は作れると気づきました。

「全国流通するような商業出版物じゃないからダメ」と批判してくる人もほとんどいません。また、書店に行けば、別の仕事をしながら、自分で作りたい本を作っている作家やセミプロの作品がたくさんありました。また、時代も変わり、いまや出版社に入らずとも、思いとやる気さえあれば本を作ったり出版社を立ち上げたりできるようになっています。

「編集者とはこういうものだ」に縛られなくても、自分の性格を変えようとしなくても、今私は自分が本当に作りたい本を作り、それを届けることができています。

もちろん、他人の価値観がモチベーションとなったり、自分の成長を促してくれたり、欠点に気づかせてくれたりすることもあります。

だけど、むやみに他人の価値観を盲信して合わせようとし過ぎると、合わせきれない部分、どうしてもはみ出る凸凹した部分を自分の欠点のように感じ、矯正しなければならないものに見えてきます。その結果、自分の本心に気づけず、自分のいいところややりたいことの芽を摘んでしまう可能性だってあります。

だけど、本当に必要なのは、凸凹を欠点のように感じさせる価値観の方を見直すことではないでしょうか。

自分がどんな価値観のもとで行動しているのかときどき確かめておかないと、必要以上に自分の個性を潰してしまうことになりかねません。

今浸かっている価値観はある時代のある状況の一面を移したものにすぎないし、その価値観の方がいつのまにか変化していることだってあるのです。もしかしたら自分の凸凹がそのまま生かせる道だってあるかもしれないのですから。

編集:はてな編集部

みんなの「やめたこと」は?

「誘われ待ち」をやめてみた|吉玉サキ
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人に好かれるために「雑魚」になるのをやめた|長井短
人に好かれるために「雑魚」になるのをやめた|長井短
俳句との出会いを通じて、「感情」にばかり向き合い続けるのをやめた|杉田ぱん
「感情」にだけ向き合い続けるのをやめた|杉田ぱん

著者:太田明日香

太田明日香さんプロフィール写真

1982年兵庫県淡路島生まれ。自身が立ち上げた出版レーベル夜学舎で作家活動をしている。著書に『愛と家事』(創元社、2018年)、『言葉の地層』(夜学舎、2022 年)。
公式サイト
「りっすん」で執筆した記事:遅れて来た反抗期を終えて感じた「ほんとうの自立」

りっすん by イーアイデム Twitterも更新中!
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自信がないままで、教員という仕事を選びつづけ、今も学校にいること|堀 静香

でもしか先生になった私がうしろめたさを感じながらも働く理由

近年よく見かける「“好き”を仕事に」といった言葉。しかし、好きな仕事を選べる人も、目の前の仕事を自分の天職だと思える人も実際のところはごく一部で、「自信が持てない」「向いていないんじゃ」といった気持ちを抱きながら、日々働いている人も多いのではないでしょうか。

中高一貫校で非常勤講師として働きながら、エッセイや短歌などを発表している堀静香さんも、そんな気持ちを抱える一人。

就職活動での挫折や、会社員として働くことへの不安から選んだ「教員」という仕事に自信を持てずにいる葛藤や、それでも自身の働き方を肯定できるようになった気持ちの変化などについてつづっていただきました。

就活に失敗し、選んだのは「でもしか先生」だった

「情熱大陸」や「プロフェッショナル 仕事の流儀」「セブンルール」など、その道を極めて邁進する人に迫ったドキュメンタリーが好きだ。ストイックで、かっこいい。自分にはできないなぁ、などと思いながらぼんやり眺めているが、画面の中の人は、たまにこんなことを言う。

「自信をもってこの仕事を選んだわけではないですね」

「気づいたら、この仕事をやっていました」

こちらから見れば異次元の世界にいるような人たちも自信があるわけではないのか、とちょっと拍子抜けしつつ、でも多くの人がそうなのではないかとも思う。かくいう私もそんな一人だ。

私が教員になろうと思ったのは、就職活動にあざやかに失敗したからだった。本が好きだから本に携わりたいと思い、大学三年の夏に集中講座で司書免許を取得した。でも、正規の図書館司書は採用倍率がものすごく高く、新卒で司書になるのはどうやら難しそうだった。なので編集者になろうと決めた。今思えば単純過ぎるが、やっぱり本が好きだったから。

でもしか先生になった私がうしろめたさを感じながらも働く理由

しかし愚かな私が就活として取り組んだのは、ろくに調べもせずいくつかの大手出版社にエントリーシートを提出することだけだった。運よく面接まで進んだところもあったが、緊張し過ぎてほとんど何も話せずに、あっさり全ての持ち駒がなくなった(当たり前だ)。

気づけばもう大学四年の春、今から他の職種をリサーチする気力はなかった。そもそも事務能力が皆無で(今もExcelの使い方が分からず、よく泣きそうになっている)、周りの大学同期やサークルの友人たちのように会社勤めをできる自信がない。できそうもないことのために、また振り出しに戻って就活を始める気力など湧くはずがない。

今の自分にできることは、ずっとつづけている塾講師のバイトくらいか……と思って、それで私は「教員に“でも”なるか。いや、教員“しか”できない」と進路を決めた。ははあ、これがいわゆる「でもしか先生」か、と自分のことながら妙に納得してしまった。

教員免許を一から取得するために留年はしたが、モラトリアムが延びたと思えたので苦ではなかった。無事免許は取れたものの、激務に耐えられる自信がなくて、結局選んだのは非常勤講師。ほんとうに、自分は「でもしか先生」だなあと当時は思っていた。

「教員である自分」に自信がないまま、それでもまだ働き続けている

元々、自分が生徒だった頃から学校が好きではなかった。

だって学校はこんなにも息苦しい。勝手に決められた校則やクラス、みんな「同じである」ことを強いられる人間関係の中で長く過ごさなければならない。学校は監獄である、と以前ある記事に書いたことがあるが、今もそれはあながち大げさではないと思っている。

もちろん、学校が好きで、学校が楽しい人を否定したいわけではまったくない。例えば、家にいる方が苦しくて、学校が自分にとって安心できる居場所だった、という話を知人から聞いたこともある。

しかし私にとって学校はずっと「息苦しい場所」だった。雑談の折、生徒にそう話すとたいていびっくりされるが、そんなふうに自分の置かれた状況を客観視することは難しいからかもしれない。私も中学から高校、高校から大学へと進んでやっと、ふり返ればこれまで過ごしていた場所は苦しいヘンテコなところだったと気付いた。水面に顔を出してはじめて呼吸がこんなに楽だったんだ、と身体が解放されるみたいに、そこにいる時にはなかなかその息苦しさに気付けない。

でもしか先生になった私がうしろめたさを感じながらも働く理由

好きじゃないところに身を置くなんていったいどういう了見で、と思われるかもしれない。教員というのは、学校が好きで、恩師がいて、なりたいと思って志す人と、そうでない人がきっといる。私のような後者は少数派だろう。

矜持がないわけでも、この仕事が嫌いなわけでもない。ただ、自分で選んだ「教員である自分」に自信がないのだ。中途半端な気持ちで、ここにいていいのだろうか。もっと情熱がなければ。もっと生徒に尽くさなければ。

自分が学校のなかにいて、学校が嫌いだと放言できるのは、他の多くのまっとうな先生たちのふるまいのおかげであるということに後ろめたさもずっと感じている。職員室のなかで、自分だけ浮いているのではないかと、ふと思う。

そんな込み入ったもやもやを抱えつつも、五年前、東京から山口に転居した際に新たな土地で選んだ仕事はやはり「教員」だった。当時、たまたま近所の学校で募集が出ていたからというのもあるが、自分が他にどんな仕事ができるのか、見当がつかなかったのだ。

子どもが生まれた現在は、家事、育児、執筆活動とのバランスを取るため、働く時間を一時期の半分以下のコマ数に減らした。辞めるタイミングは何度もあったのに、それでもなお「教員」を続けている。

先生が持つ「権威」を、生徒を肯定するために使いたい

ただ、「教員である自分」に自信がなく、学校という場所に苦手意識を感じるからこそ、決めていることがある。それはできるだけ「教師然」とするのは止めること。そしてかつての私のような学校が苦手な生徒に寄り添える教員でいようと思うことだ。

普段はめったなことでは怒らないし、授業中にはよく雑談もする。学校が嫌だという生徒には「そうだよね、学校って嫌だよね、変だよね」と寄り添う。そういう「先生らしくない」ふるまいが功を奏し、「話しやすい先生」と言ってくれる生徒もいる。

しかしいくら「親しまれる先生」になったとしても、自分が「教員」であることに変わりはなく、先生であることそれ自体が、生徒達にとっては権威である。その肩書はつねに権力をもつ。

たとえばテスト返却の際に、どうしても採点に納得がいかない生徒をやさしく説き伏せる私は紛れもなく「教員」という権力をもった一人の大人だ。そもそも、生徒も私を「話しやすい『先生』」として接してくれているのだから、お互いが権力関係のなかでしか「関係しつづけられない」ことに、うっすらと、けれど確実に、絶望を感じもする。

だから私は、できるだけ多く、生徒を褒めるようにしている。テスト返却の時には一人ずつ名前を呼んで「漢字、前回よりがんばったね」「○○さんは、今回のテストもう全然言うことないよ」「安定して点数取れてるね」となるべく褒める。

もちろん、もっと些細なことも褒める。「髪切った? すごい似合ってるね」「そのキーホルダー何!? めっちゃかわいいね」など、とにかく目に止まったら口に出してみる。どうしても振りかざしてしまう権威ならば、せめて生徒を肯定するものとして使いたい。それがものすごく乱暴なやり方であることは承知の上で、それでもせめて、肯定してくれる身近な大人の一人になるためにだけ、教師としての権威を保持していたいのだ。

自信がない毎日の中で気付いた「それでもいいのかも」という気持ち

なんとなく選んだ「教員」という仕事に不安や自信のなさを感じながら、矜持とまではいえない「こういう先生でいよう」という考えを携えて、私は今日も毎日(といっても今は週に三日)職場までの道を自転車で行く。今もいい先生でいられる自信がないまま、「ここにいてもいいのかな」と思いながら。

職場に行けば、廊下で生徒とすれ違う。おはよう、と声をかわす。「今日漢字テストありますか?」と聞かれ、「あるよ、先週言ったじゃん!」と返すと「えー聞いてないー」とぱたぱたと駆けていく。教室に行けば、うつむきがちな生徒がいる。そういえばここ最近、元気な声を聞いていない。そんなことを考えながら、授業をする。

授業だって、全員が前のめりに聞いてくれるわけではない。でも、まあそれでもいいや、と思う。そのとき、この教室で呼吸がしづらいかもしれない生徒に向けて、話をする。少しでも息継ぎができるように、と思って話している。

そのようにして長年、生徒たちと関わり合いをもつうち、近頃はでもしかで選んだこの場所に「いてもいいのかもな」と少しは思えるようになってきた。

前向きな気持ちで「教員」という仕事を選んだ人たちの中に、私のような人がいてもいいのではないか。そんなことを思う。

でもしか先生になった私がうしろめたさを感じながらも働く理由

ドキュメンタリーに出てくる「すごい仕事をしている人」たちも、そこへ行き着いたのは偶然なのかもしれない。流される、というのとはまた違って、多くの人がいろいろあって、結果「なんとなく」始めた仕事に、今日も向き合っているだけなのではないか。翻って、そう思う。

今の仕事が嫌いなわけではない。人間関係にはすこし、不満もある。古い体制には頷けない。けれど目の前の業務と自分をつなぐ相手がいて、今日もここにいる。多くの人がそうして、働いているのではないか。

「迷いながらもここにいる」という選択肢があってもよい

そういえば、高校生の頃から志していた職種に就いたという友人とて、毎日「あークソクソクソ!!!」と思いながら働いていると言っていた(ちなみに彼女はふだん、とてもおだやかである)。

当たり前かもしれないが、たとえ念願叶ってなりたいものになれたとしても、そこには目下利害の絡んだ人間関係、折り合いのつくことそうでないこと、大小さまざまな苦労があるのだろうと改めて思う。

もしもあなたがしんどさを抱えきれずにこころのなかで右往左往しているのだとしたら。非正規、正規、キャリア、ライフワークバランス、職場の人間関係や業務内容、そのどれか、あるいは全てにおいて今の条件や状況がつら過ぎて今にもパンクしそうなら、無理する必要はまったくない。

けれどうーん……自分はそこまでではないかもしれない、と考えるなら。たとえ大きな情熱はなくとも、この仕事を選んだことに自信は持てなくとも、そこにいる人との関係に無理がないのなら、つづけることに後ろめたさを感じることはないのだと思う。「迷いながらもここにいる」という選択肢があってもよい。そういう働き方であっても、まったくかまわない。

「迷いながらもここにいる」。それは、だれかをエンパワーするために出てきた言葉でありながら、それ以上に自分を納得させるために口にする言葉でもある。いろんなスタンスの人がいる方が、きっとその場は豊かであるはずだから、と都合のいいことを考えて、今日も職場へ向かう。

編集:はてな編集部

「働くこと」に自信が持てなくなったら

「会社員なんて絶対できない」思考だった私が、少しだけ自信を持てるようになるまで
「会社員なんてぜったいできない」と思っていた
「薄い」経験でも、積み重ねていけばいい。武器を持たないライターの私が残したもの
“薄い経験”でも積み重ねていけばいい
「向いてる仕事」が分からなくなったら、他者に委ねてみる。校正者・牟田都子さんの“仕事の出会い方”
自分に“向いている仕事”ってどう出会うんだろう?

著者:堀 静香

堀 静香

1989年神奈川県生まれ。山口県在住。歌人集団「かばん」所属。中高非常勤講師のかたわらエッセイや短歌をものする。著書に『せいいっぱいの悪口』(百万年書房)、ほか晶文社スクラップブック「うちにはひとりのムーミンがいる」連載(2020~2022)。

Twitter:@shuzo_shizuka ブログ:いつも胸やけ

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