「薄い」経験でも、積み重ねていけばいい。武器を持たないライターの私が残したもの

 藤谷千明

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年齢を重ねていくにつれ、漠然と将来や老後が不安と感じる人は少なくないのではないでしょうか。自分自身の働き方や生活自体に大きな変化がない人ほど「このままでいいのだろうか」と悩んでしまうのかもしれません。

ライターの藤谷千明さんは、さまざまな職種を経て、現在はフリーランスのライターとしてのキャリアを約10年継続してきた方。自身のブログで年齢を重ねていくにつれ「やることの選択と集中」を考えるようになったといいます。

今回「りっすん」では、藤谷さんにこれまでの仕事のこと、また年齢を重ねてきたことで感じた仕事観の変化について寄稿いただきました。これまでの生き方に大きな変化がない人でも、自分の中で積み重なってきたものはあるはず。その中で「残しておきたいもの」を考えるだけでも、自分の働き方や生き方を見つめ直すきっかけとなるかもしれません。

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いつも、「経歴」を聞かれると、少し困ってしまいます。

その理由は、覚えているだけでも自衛官、編プロ、ゲームセンター、遺跡発掘、ビリヤード場、警備員、倉庫作業、ティッシュ配り、スナック、本屋などを転々とし、履歴書に書けるような「ちゃんとしたキャリア」はないなと感じているからです。

現在は運と勘でなんとかフリーランスのライターとしてやってきているものの、40代が目前にせまってきました。「向こう10年はこの仕事をやっていけるかなぁ」と、ボンヤリ考えていますが、それ以降のことは想像もつきません。とはいえ、なにか他の仕事に転職できる自信もなく、もはや履歴書の書き方も忘れました。今の気持ちを率直に申し上げますと、「マジで引っ込みがつかねえ」です。

上京後、アルバイトとライブをひたすら繰り返す日々

そんな「引っ込みがつかねえ」私が最初に就いた仕事は、自衛官でした。90年代末、自分の学力と実家の経済力がヤバすぎて大学進学を諦めるも、地元は不景気すぎて就職先も皆無という状態。いわゆる就職氷河期というやつです。なかばヤケになり通学路にあった自衛隊の地方連絡部を訪ね、試験を受けたらウッカリ合格。陸上自衛隊の駐屯地で、泥まみれになる暮らしすることになりました。

自衛隊で訓練をしている藤谷さん

自衛隊で訓練をしている私(中央)です

詳細は採用コースなどによっても違いますが、陸上自衛官は2年の任期制。4年もいたら「真面目に勉強して出世するか、男性自衛官と結婚するか」の2択しかなく(※注:個人の感想です)辞めることにしました。私がいた駐屯地はいわゆる田舎と呼ばれるような場所にあったことの反動から「とにかく都会に行きたい」と上京を決意したものの、別に明確な目標はない状態。

なんとなく「パソコンでデザインとかやりたいな~」と、求人誌で見つけた編集プロダクションに潜り込み、並行して本屋だとかゲームセンターだとか遺跡発掘だとか、とにかく「フットワーク軽く」を合言葉に興味を持ったジャンルのバイトをひたすらやるようになりました。それが2003年の話です。

上京の理由にはもうひとつありました。私はヴィジュアル系バンドが大好きな、いわゆる「バンギャル」で、その中でもニッチなバンドが好きでした。しかし彼らは、私がいた自衛隊駐屯地近辺や地元にはそうそう来てくれません。でも東京では毎月、いや毎週のようにライブがあるわけです。「東京に行けば、めっちゃライブ行けるやん」と、甘いにもほどがある目論見で東京都民になったわけです。

毎週のように、バイト→ライブ、あるいはバイト(昼)→ライブ→バイト(夜)な生活を繰り広げ、かなりのハードスケジュールだったものの、18歳から22歳のあいだ自衛隊という閉鎖的な空間にいたので、仕事にせよ趣味にせよ、とにかく自分の知らない社会にふれることが楽しかったのです。睡眠時間と収入は少なかったけれど。

また、ライブ以外にもたくさんエンターテイメントがあるので興味を持ったイベントなどに足を運べたり、インターネットで知り合った人に、ライブやイベント会場で直接会えたりするのも、自分にとっての「東京の醍醐味」でした。

ひょんなことから「ライター」の道へ

そしてこの時期は、ブログブームでもありました。私もこのビッグウェーブに乗っかりブログを開設。ただひたすら興味のあるもの感想などを書き散らしていたら、私のブログを見た編集者の方に「マンガのレビューを書きませんか」と声をかけてもらったのです。

出版社の発行するフリーペーパーで月に1、2本。600字程度の短いものでしたが、「人に読んでもらうための文章」を書いたことがなかったので、最初の頃は何を書いていいのか分からず、休日はパソコンの前でずっと唸っていたように思います。出来上がった記事の掲載されたフリーペーパーが自宅に届くと、うれしいような恥ずかしいような不思議な気持ちになったのを覚えています。しかも、これでお金がもらえるなんて。

ライター業を始めたことを、mixiで嬉々として「告知」(←言いたかったヤツ)したところ、マイミクからメッセージが届きました。彼も兼業ライターをしているとのことで、自分の関わっている編集部がヴィジュアル系についてのムックを出すけど、執筆者が足りないので私を紹介しても良いか? という依頼でした。そんなの、断る理由がないじゃないですか。

それ以降も、たまにマンガやヴィジュアル系、その他エンターテイメントについて執筆していたところ、2010年代あたりを境に、急に仕事が増えたこともあって、本格的にフリーランスのライターとしてやっていくことにしました。

ヴィジュアル系のライブとあらば、黒服を着る私(右)と友人です

ヴィジュアル系のライブとあらば、黒服を着る私(右)と友人です

当時はウェブメディア乱立期で、どちらかというと「浅く広く」タイプの書き手が求められていたように思います。私は、良くいえば多趣味でフットワークが軽い、悪くいえばミーハーで節操がないので、さまざまなジャンルをカバーしたいエンタメ系ウェブサイトから需要があったのではないかと推測しています。

漠然と続く「このままでいいのか」という迷いも

地元にいた頃は、自分の好きなことを文章にすることで生活できるなんて、考えたこともありませんでした。Twitterで日々好きなことをつぶやいていると、「○○好きならこの仕事する?」みたいなお誘いも増えてきて、趣味が仕事を呼ぶこともたくさんありました。人生には可能性の扉がたくさん出てくるんだと、当時の私は思っていました。

一方で、ライターとしての専門分野がないことは、コンプレックスでした。運良く商業媒体で書けるようになったので「筆一本で食っていくんだ!」と、プライドを持って生きてきたわけでもなく、大学で何かを体系的に学んだわけでもありません。多分読書量は同世代の同業者の10分の1くらいではないでしょうか。

ヴィジュアル系も大好きとはいえ、あくまで「いちファン」レベルの話であり、誰よりもライブにたくさん行けていたわけでもなく、誰よりもCDをたくさん聴いてきたわけでもない。職歴も数が多くてもアルバイトなので、大きな責任ある仕事を任されたこともないわけで。なんというか「一本筋」のようなものは自分にはない、「正統派」の書き手ではないことが、ずっと心のどこかにひっかかっていました。

不惑を目前にし、改めて考える自分の「働き方」

なんとなく約10年ライターとして仕事ができているものの、やっていること自体は大きく変わっていませんし、漠然とした感じでここまできてしまいました。でも、昔みたいにフットワーク軽く生きていろいろな経験を積む……というのも、体力的にも精神的にも厳しいのではと感じています。冒頭でも触れましたがもう引っ込みがつきませんし、2021年にはいよいよ不惑を迎えます。

さらに一昨年、さらに引っ込みがつかなくなる事件が起きました。駅の階段から滑って転んで肩を壊したのです(スニーカーで滑ったので単に運が悪かった)。リハビリを続けて多少は改善したものの、未だにきちんと上がりません。四十肩を先取りです。

寝返りをうつこともつらい時期もあり、「今は肩だけど、今後足や腰を壊して動けなくなったら……」と将来に不安を覚える夜もありました。自分の武器であったはずのフットワークの軽さは、あまり使えなくなりました。今後の仕事のやり方も、考えないといけません。

自分の中で「今やれること」「やりたくないこと」「やりたいけど諦めた方がいいこと」を、一旦整理することにしました。

例えば、速度が求められるようなライブレポートは、めちゃめちゃに体力を消耗するので(アレ、個人的にすごく肩に負担がかかるのです……)、やりたいのはやまやまですが、徐々に後輩に譲るようにしました。私のところへ相談に来るライター志望者の方は、ライブレポートやインタビューがやりたくて来る人が多いので、需要とマッチしていますし。後続を育てる……とまではいきませんが、「あとから来た人に席を譲る」のも、大事な仕事だと思っています。

逆に増やしたのは、ファン視点で今後の人生を考えるような企画です。趣味でつながる老後のプランを考えるような記事は、読者にもわりと評判がいいな~とは実感しています。それに、ここのところ、単発の短い記事の仕事だけでなく、一冊の本を仕上げるだとか、腰を据えて行う依頼も増えてきました。

「薄い」経験でも、積み重ねていけばいい

最近では身体だけでなく、スケジュールの都合でお断りせざるをえないこともあります。可能性の扉を開けっ放しの人生でしたが、そろそろ「閉める」必要も出てきます。「選択と集中」とはよくいいますが、ときには何かを諦めないといけないこともあります。人によってはもう少し早い段階で気がつくのかもしれないですが、私は気づくのに時間がかかったようです。

振り返ると、フリーライターが、自分の人生で最も長い期間やっている職業になりました。きっと、これからも「正統派」にはなれないでしょう。自分の積み重ねてきたもののなかから残すものもあれば、ときには上手に捨てることもあります。とはいえ、アルバイトの経験が、今の仕事に役立つこともありましたし、ライブ会場やネット上で出会った人が、数年後に編集者となって、仕事を依頼してくれるなんてこともありました。つきなみですが、人生に無駄なことはひとつもないんだなと思います。

ミルクレープの写真

これはミルクレープです

私のこれまでの経験は多分他の人にくらべたら「薄い」ものが多いかもしれません。でも、ひとつひとつは「薄い」経験でも、少しずつ重ねていけばミルクレープのように、おいしくいただけるのではないかと考えています。

(これは完全に開き直りなのですが、開き直れるくらいには、自信がついたということで……)

著者:藤谷千明

藤谷さん

81年生まれ。山口県出身。自衛官、書店員、DTPデザイナーなどの職を節操なく転々とした結果、フリーランスのライターに。趣味と実益を兼ねたサブカルチャーの領域での仕事が多い。共著に「すべての道はV系へ通ず。」(シンコーミュージック)、「想像以上のマネーとパワーと愛と夢で幸福になる、拳突き上げて声高らかに叫べHiGH&LOWへの愛と情熱、そしてHIROさんの本気(マジ)を本気で考察する本」(サイゾー)、「アーバンギャルドクロニクル 水玉自伝」(ロフトブックス)など。秋にオタク女性4人のルームシェア生活を綴ったエッセイ本を刊行予定。
Twitter:@fjtn_c

編集/はてな編集部

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