今後は不安だけど、会社を辞めたことは後悔していない。安定を手放したカメラマンの葛藤と決意

関口佳代さん。リモートの様子を画面越しに撮影いただいています

「現状の仕事に特に不満はないけれど、いまの働き方をずっと続けたいかと聞かれたら迷ってしまう」「辞めたいとは漠然と思っているけれど、次にやりたいことを見つけるきっかけがない」……。そんなふうに悩まれている方は、きっと多いのではないでしょうか。

今回お話をお聞きした関口佳代さんは、アーティストのライブ写真の撮影や雑誌の撮影、ときには「りっすん」のインタビュー写真の撮影など、カメラマンとしてさまざまなジャンルで活躍されています。そんな関口さん、5年間勤務を続けた印刷会社の仕事を辞め、写真の世界に飛び込んだという経歴の持ち主。

写真を仕事にすることに憧れはあったけれど、「安定した仕事」を手放すことへの怖さも同じように感じていた──と関口さんは言います。今回関口さんに、会社員という「安定」を手放すまでの葛藤や、コロナ禍を受けたお仕事への影響などを、率直に話していただきました。

※取材は6月上旬にリモートで実施しました

緊急事態宣言後、さまざまな撮影がストップに

関口さんには、カメラマンとして普段は「りっすん」の写真もよく撮影いただいていますが……こういったオンラインのお仕事も最近は多かったりしますか?

「りっすん」のインタビュー記事でさまざまな方の撮影を担当

関口佳代さん(以下、関口) いえいえ。私の場合はライブ撮影やインタビュー撮影などをメインにしていますが、4月くらいからかなりいろんな撮影が止まってしまって。正直、お仕事はかなり減っている状態です。

中小法人・個人事業者のための持続化給付金も申請しようかと思ったんですが、数ヶ月前に請けた仕事のギャラが細切れに入ってくることもあってギリギリで対象にならないくらいの状態が続いていて……。でも、私の場合はまだマシじゃないかなと思います。

私は例えばアパレルブランドのECサイトの撮影などのお仕事もお受けしているので、そういった撮影は徐々に再開しつつあるんです。でも、ライブ撮影がメインのカメラマンさんはなかなか厳しい状態が続いているんじゃないかなと思います。

リモート取材の様子

リモート取材の様子

本当にそうですよね。

関口 家賃や生活費はギリギリ払えているけれど、もしいまの状態がずっと続いたら何か他のことも検討しないといけないな、というのが正直なところです。

お仕事が突然減ってしまって、家で何をしていいのか分からなくなったりしませんでした……?

関口 なりましたなりました。もう、基本的にずっとあつ森(『あつまれ どうぶつの森』)やっていますね……。

もちろん、時間のあるこの機会だからこそ「写真のことを学び直そう」と思って写真家の方のYouTubeを見たり、ライティングの勉強などもしたりしています。

でも、全然疲れていないので眠れないんですよ。だから日が昇るまで待って、朝になったら近所を散歩がてら写真を撮って無理やり寝る……みたいな生活を4〜5月とかはしていました。やっぱりまったく撮らない状態が続いてしまうと、腕が鈍ると思うので。

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4〜5月にかけて撮影した写真

「カメラを仕事にする」選択肢が生まれるまで

そもそも関口さんは、社会人としてのキャリアスタートは異業種・異職種だったと伺いました。

関口 正直、昔から「将来の夢」みたいなものは特になかったんです。高校の進路選択のときも、商業高校出身の母が「やりたいことがないならとりあえず簿記の資格でもとっておけば?」と言うので「じゃあ私も商業高校行くわ」と決めたくらいで。

そうだったんですね。

関口 高校では卓球部に入っていたんですが、当時3年生だった先輩に、試合でもすごく強いし成績も学年トップという人がいて。特別仲がよかったわけではないんですけど、部活も勉強も両立させているのが格好いいなと思って「この先輩を目指そう」とあるとき決めたんです。その先輩が高校卒業後に印刷会社に就職したので、じゃあ自分も印刷会社に入ろう、と……。

えっ、その先輩だけで決めたんですか。

関口 それが一番大きかったと思います。あと、福利厚生が整っている会社だと聞いたのも決め手だったのかな……。卒業後は、すぐに就職しました。

会社には何年くらいいらっしゃったんでしょうか。

関口 丸5年ですね。営業事務の仕事をしていてとにかく忙しかったんですが、同期がみんな仲がよかったこともあって、働くこと自体は楽しかったです。

その頃から、写真を撮るのはすでにお好きだったんですか?

関口 そうですね。子どもの頃から、親が写真を撮っていると自分でも撮りたがるくらいには好きだったような記憶はあります。

印刷会社に勤務していた20歳のときに、初めて自分でカメラを買いました。いまでも人気のあるOLYMPUS PENシリーズの新作が出たタイミングだったので、それを買って、旅行先などでときどき撮っていました。でも、基本的には仕事が忙しくてほとんど出番はなかったと思います。

カメラマンという職業への転身が頭をよぎったのは、たしか22歳のときで。仕事関連で読んでいた雑誌にモデルさんのかばんの中身の紹介コーナーがあって、そこに「ナチュラクラシカ」っていうコンパクトフィルムカメラが写ってたんです。それを見て「かわいい! 買いたい!」と思って、即カメラ屋さんに行って。

関口さん愛用のナチュラクラシカは現在も仕事で使うこともあるのだそう"

ナチュラクラシカは現在も仕事で使うこともあるのだそう

おおお……!

関口 急につかつかとレジにやってきて「ナチュラクラシカください」って言われて、店員さんもびっくりしてたのをよく覚えてます(笑)。

そこのカメラ屋さんでの買い物をきっかけに、お店が主催している撮影会などにときどき顔を出すようになったんです。そうしたら徐々にカメラ友達が増えていって、そのなかには「写真を本業にしたい」と会社を辞める人たちも出てくるようになって。近くに刺激をくれる友達がいると、自分でも「いいなあ、写真を仕事にしたら楽しそうだな」と考えるようになるんですよね。

ただやっぱり、やりがいを求めたり挑戦したいと思ったりはするものの、安定した生活を手放す決心はなかなかつかなくて……。1年くらいはずっと辞めようかどうしようか、葛藤していた気がします。

観客として参加したライブの写真に感動。挑戦を決意

仮に会社を辞めても、最初からカメラマンとして独立して仕事をスタートできる、というわけではなさそうですよね。

関口 そうですね。いろいろ調べた結果、どうやらアシスタントとしてカメラマンの師匠のもとで修行するのがよさそうだな、と分かって。私の場合は会社を辞めるまでの3ヶ月間、会社員と併行してカメラアシスタントをしていました。

「師匠」にあたるカメラマンの方はどのように見つけたんでしょうか?

関口 会社を辞める少し前、あるバンドの大きい会場でのライブに生まれて初めて行ったんです。とてもいいライブで、終演後ニュースサイトに載っていたライブのレポート写真を見ていたら、「ああ、私の席からは見えていなかったこんな景色もあったんだ」とすごく感動してしまって。

このときに「自分もライブの写真を撮ってみたい」とやりたいことが明確になったんですよ。なので、そのサイトに載っていた写真を撮っていたカメラマンさんに直接連絡しました。

行動力がすごい……!

関口 我ながらよく動いたな、いまはそんなことできないなって思います(笑)。そこから3ヶ月間は、週5で会社勤めをしつつ土日でアシスタントをするという生活を続けて、カメラマンとしてやっていく決心がようやくついたので、思いきって会社を辞めました。

実は、アシスタント自体も決して長い期間はしていなくて、そこから半年くらいで独立させてもらったんです。師匠からは写真の技術はもちろん、クライアントの対応や現場でカメラマンがどう振る舞うべきかをいろいろ教えていただいたんですが、とにかく毎日目が回るほど忙しくて……。早く自分でなんでもできるようになりたいな、という思いも強かったので、早々に師匠のもとを離れて独立しました。

「自分が仕事を受けられないときは、代わりに別の人を紹介する」ルール

独立後、お仕事って最初から順調に入ってきましたか……?

関口 いや、全然ないですよ! 最初は写真一本じゃ生活ができないので、カフェレストランなどでのアルバイトで家賃の分は稼ぎつつ……という感じでした。もうとにかく、会社員やアシスタント時代の人脈をフル活用して営業しまくってましたね……。

独立した当初はオフィスでのインタビュー撮影や、音楽系のメディアのアーティストへのインタビュー撮影などが多かったと思います。そこから徐々にお声がけいただける仕事の幅が広がっていったという感じです。

リモート取材の様子を撮影いただきました

これまでのお仕事で、特に忘れられないお仕事ってありましたか?

関口 なかなか選べないんですが、2019年のツアーに帯同させていただいたサザンオールスターズの撮影はもう、一生の宝物って呼べるくらいうれしい仕事でした。駆け出しの頃にさせていただいた音楽家のインタビューの撮影に関係者の方がいらっしゃっていて、その方が声をかけてくださったんです。「サザン!? あのサザン!?」と驚き過ぎて、決まった瞬間からしばらく吐き気が止まらなかったくらいです。

ライブ会場ってもう、自分が撮っていなくても、その場にいるだけで楽しいんですよ(笑)。お客さんのうしろから会場を見ているだけで、なんてワクワクするんだろう! って毎回思います。

受ける仕事・受けない仕事なども、最初は特に分けられていなかったですか。

関口 今もお声がけいただけたら基本的にお受けするようにしているのですが、残念ながら撮影日が重なってしまうこともときどきあるので、そういうときは代わりにお願いできる方を紹介するようにしていました。自分よりも写真がうまくて「この人になら仕事をとられてもいいや」って思えるような人だけを紹介する、というルールを決めていて。

ああ、それはなかなかできることではないと思います……!

関口 カメラマンの先輩がそういうふうにされていたのを見て、真似するようになったんです。自分の仕事につながっても仮につながらなくても、「困ったらこの人に連絡しよう」と真っ先に思ってもらえる人になりたいなと思って。結果的にそれで名前を覚えていただけることも増えたので、人をつなぐことを意識するのは大事だなと思います。

作業はほぼこのスペースで行っているそう"

作業はほぼこのスペースで行っているそう

フリーランスは不安定だけど、後悔はしていない

アルバイトは、いつ頃くらいまで続けられていたのでしょうか?

関口 独立後1年くらいは続けていました。撮影の仕事で会社員時代より収入を上げる、というのをしばらくの間ひとつの目標としていました。ただ会社員のときも高給というわけではなかったので、幸か不幸かその目標は比較的早い段階でクリアできて……。

最初の頃は週5でバイトを入れていたのですが徐々に撮影の仕事が増えてきて、アルバイトのシフトになかなか入れなくなってきたことが続くようになり、やめどきかなと。

会社員出身の方だと、月によって収入の変動があるフリーランスの生活に慣れるまでが大変じゃないかなと思うのですが、いかがですか。

関口 変動は、確かにめちゃめちゃありますね。しかもカメラマンって、スケジュールの入り方がちょっと特殊なんじゃないかなと思います。私の場合は月の初めに2週間分の撮影スケジュールが一気に入って、それ以降は未定、みたいなことも多いんです。

だからひと月後に仕事があるかが一切分からなかったりすることもあって、「来月食べていけるのかな」と最初のうちは不安だったんですが、だんだん動じなくなってきましたね。そこはこの仕事に就いて、自分でも変わったところだと思います。

会社を辞められるときもバイトを辞められるときもですが、ある程度安定して収入が得られるとわかっている仕事を手放すことは、迷いも大きいように思います。

関口 会社を辞めるときも、1年くらい悩みましたしね。特に会社を辞めることに関しては、親に相談したら絶対に否定されるってわかっていたので、事後報告だったくらいです。葛藤した末に自分の中で辞める決意はできていたんですが、背中を押してもらえなかったら揺らいでしまうかもしれないな、と思って。

新型コロナウイルスの影響もあって現状や今後に不安はありますが、それでも会社を辞めてカメラマンという仕事を選択したことに対しては、今になってもひとつも後悔していないです。何か新しいことをはじめようと思っても興味をひかれることはやっぱり写真に関連していることがほとんどですし、自分のやりたいことに運良くたどり着けたなと思っています。

一言で言うなら「今の方が毎日楽しい!」と心から思えるからこそ、後悔もしていないんだと思います。逆に、迷っている段階であれば、その場に留まるという選択をしてもいいと思います。

お話をお聞きしていると、関口さんは結果的にいま、本当に好きなお仕事に就かれているんだなと感じます。

関口 私の写真って「ふつうだよね」って言われることも多いんですけど(笑)、自分自身、すごくシンプルにスタンダードに人を撮るのが一番好きだなと思うんです。誰でも真似できそうな写真なのが長所なのかなって思うこともあって。撮ってる瞬間ってやっぱり何よりも楽しいので、お声がけいただけるうちはこの仕事を続けたいなあって思ってますね。

関口さん

取材・執筆/生湯葉シホ
編集/はてな編集部
写真提供/関口佳代

お話を伺った方:関口佳代さん

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埼玉で生まれ育ち、高校を卒業後印刷会社にて勤務。カメラマンという仕事に興味をもち、アシスタントを経て独立。写真を撮るのは好きだが撮られるのは苦手で、日常的にカメラを持ち歩かないのでいつも後悔するタイプ。好きなものはブルーとコーヒー。
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