「堅実な人生vs自由な人生」どっちがいい? 10歳で開拓移民になり、借金7000万円を返したおじいちゃんの答えとは

2022.07.27

「堅実な人生vs自由な人生」どっちがいい? 10歳で開拓移民になり、借金7000万円を返したおじいちゃんの答えとは

「堅実な人生と、自由な人生って、結びつくものなのか!?」と疑問に思ったライターの吉野舞。10歳で開拓移民になり、借金7000万円を背負ったものの東京に30年出稼ぎしてそれを返済したという、壮絶な人生を歩んできた福島県で暮らすおじいちゃんに取材をしました。「人間も機械も壊れたくらいがちょうどいい」と話すおじいちゃんに聞く、「自分らしい生き方のコツ」とは?

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    こんにちは、ライターの吉野です。

     

     

    突然ですが、みなさんは80歳になったとき、どんな自分になっていたいですか?

     

    「お金が欲しい、もっと名誉が欲しい、権力が欲しい……」など。頭の中では将来の願望などが渦巻いて、いっこうに欲望が静まらないこともありますよね。

     

    どうして急にこんなことを語ったのかというと、、、

     

    最近の私は、人生について「好きなように生きる」vs「堅実に生きる」の図式に悩んでいます。

     

    どちらの人生が楽しいと言えるのか? この問いに答えはないかもしれませんが……。

     

    そんな話を友人としていると、友人が「うちのおじいちゃん(86歳)は、潔すぎるほど堅実に人生を歩んできた人だけど、とても自由に生きている人だよ」と、おじいちゃんの波瀾万丈な人生の話をしてくれました。

     

    その人生をざっくりまとめると……

     

    もうこの話を聞いているだけで、映画にもなりそうな人生ですよね。

     

    「堅実な人生=自由な生活」が結びつくものなのか?と疑問に思い、

     

    これからの人生の参考にするべく、おじいちゃんが住んでいる福島県郡山市の山奥の一軒家に遊びに行ってきました。

     

    とにかく大変だった開拓時代

     

    郡山市内から車で約30分。深くて細い山道を登り続けていくと、山の中に今回お話を聞く、向田褆宏(むかいだ やすひろ)さんの家があります。

     

    現在、向田さんは持病のため介護施設に入っていますが、この日は気分転換を兼ねて山の家で過ごしていました。

     

    「おじいちゃん、久しぶりー!」

    「ああ、よく来たな。友達も一緒かい。ちょっとそこ、座れ」

    「はじめまして、今日は東京から遊びに来ました。ちなみに今何してたんですか?」

    「ここは俺の遊び場で、今は『草殺し』を触ってたんだ」

     

    「草殺し……?」

    「除草剤のこと。これは草を殺すための機械、だからそう呼んでんだ」

    「改めて、今日は向田さんの人生がすごいと聞いてお話を聞きに来ました!」

    「ああ、何でも聞いてくれ」

    「もともと開拓移民として、福島の土地に住み始めたとか?」

    「ああ、俺は横浜の8人兄弟の長男として生まれたんだ。第二次世界大戦が終わったときに幼少期を過ごしたから、とにかく食べ物が不足していて、『自分たちで作物をつくっていけば、生きていけるかもしれない』と思って、県庁から募集してた開拓移民に家族で応募した

     

    「開拓移民って住みたいと思った場所を選べたんですか?」

    「いいや、恨みっこなしのくじ引きだから選べないんだよ。竜宮城みたいな楽園を夢見て応募するけど、現実は楽園どころか人の住むところに適さない場所を紹介されることが多かったな

    「開拓する場所の多くは、平坦な土地ではなく、山間の森林や原野だったんですよね?」

    「そうだね。国から何にもない土地を『後はお好きにどうぞ』ってもらったのはいいけど、水がないと作物も何も育たないから、川を手がかりにして、こんな山奥にたどり着いたんだ」

    「開墾って主にどんな作業をしていたのでしょう?」

    「木々の伐採、雑草の刈り取り、切り株の除去だな。大木を倒すのは2日がかりで、住める土地にするために約20年はかかった。10歳から30歳まで、ここで生き延びるために石にかじりついてでもがんばったんだよ」

     

    開拓当時に建てられた家の様子

     

    「もともと郡山市は開墾が盛んな土地だったんですか?」

    「今になって郡山市は米どころとして有名だけど、江戸時代までは慢性的な水不足が理由で、作物が育たないという『不毛地帯』だったんだ」

    「えっ! 水が足りない地域じゃ田んぼはできないですよね……」

    「そこで、明治9年に福島に立ち寄った内務郷(大臣)の大久保利通が計画して、水利が悪かった郡山市に山を越えて、猪苗代湖から水を引く開削事業『安積疏水(あさかそすい)』が行われた」

    「事業はどのくらいの規模で行われたんですか?」

    「全国から85万の人々が携わり、総工費は40万7000円(現在の約400億円!)で、かつてない大工事だった。3年の月日を費やした安積疏水は、疏水路長は500kmにもなり、 日本三大疏水のひとつに数えられたんだ」

     

    夕暮れの猪苗代湖

     

    「1本の水路のおかげで、郡山市は米や果物の名産地になり、経済的に発展を遂げたんですね!」

    「水路の高低差を利用した水力発電所も建造されたことで工業化が進み、郡山の経済成長につながったんだよ。やっぱり水は人間が生活する上で必要不可欠さ」

     

    7000万円の借金の連帯保証人になってしまう

    「郡山市が発展したのにも関わらず、向田さんは山奥で住む生活をしていたんですか?」

    「いや、俺は30歳のときに義理の弟から頼まれたことをきっかけに、7000万円の借金の保証人になってしまったんだ。人がいいから断れなくて」

    「えー! そこは断るべきでは !?」

     

    「返済のために金を稼がないといけないことになり、ばさま(妻)と小さかった子ども3人を残して、東京で大工屋、土木屋、水道、ガス屋になったり、あっちもこっちも頼まれごとを引き受けて、何でも屋をしながら金を貯めた」

    「なんだか、都会での仕事も開墾作業と少し似ていますね」

    「そうそう。俺は山の中でひたすら開墾をやっていた経験が役立って、どんな仕事もやってみると、すぐに出来ちゃったんだよ

    「山での経験が都会で役立ったんだ!」

    東北は米作りが盛んだけど、豪雪地帯で冬は農業ができないから、期間限定で東京に出稼ぎしに来てる人も多かった。出稼ぎ者は、それぞれの出身地ごとに集まって寝泊まりしてたんだよ」

    「東京ではどのくらい働いていたんですか?」

    「30歳から60歳までの30年間。お盆と正月は家族に会うために帰ってきてたけど、家族が揃う場面ではお金の話や人間関係の愚痴は絶対に持ち込まないのがうちの家のルールだった」

    「お金って家族間で共有する話題でもあると思うんですが……」

    たとえ家族間であっても、『金がない』って愚痴ったら、暗い話が余計暗くなるからね。もちろん、家族には心配かけていたけど、ばさまはどちらかと言えば楽観的な人で『借金の苦しみから逃れるため、毎日どの木にロープをかけようか』って笑いながら話してたなあ」

    「すごいなあ」

    「ほら、『朝雨は女の腕まくり』ってことわざがあるだろ。ばさまは長女によく『女性が腕まくりして、いくら力を見せたところですぐにへたばってしまうから、力より頭を使う仕事に着きなさい』と言っていて、それを聞いたときは、改めて女性は強いなと思ったよ」

     

    借金返済が終わっても、さらなる試練が

    「出稼ぎが終わると、やっと山奥に帰れたんですか?」

    「そう、63歳の頃。福島に帰ってきてからは、福島第一原発の事故があって郡山市の水道水中の放射性物質が上がったんだ。それで、しばらくは水道局に行って放射能濃度を測る仕事をしていたね」

    「向田さん、ずっと働いていますね」

    「借金は返せたのはいいけど、生活費を稼がなきゃいけないから働いたよ。だけど、やっと家族で暮らせると思ったら、ばさまがくも膜下出血で亡くなったんだ

    「そんな!」

    「それから約6年間、山奥でひとりで暮らしていたんだ。ひとり暮らしは気楽だよ。飲みたいときに飲んで、寝たいときに寝てたし、夜中の2時に起きて本を読むのも大好きだった。そんな生活だから、家族が泊まりに来たときは『いい加減にしてくれ』って言われんだよ」

    「田舎型独居の最高の例ですね」

    山での一人暮らしは最高! 生活なんて退屈しねえように暮らしていけばいいんだ。今は身体のこともあって、施設に入ってるけど、俺は死ぬまで山の中で好き勝手に暮らしていくつもりだ」

    「向田さんの人生を聞いていると、人生に降りかかる困難に真剣に向き合って来たからこそ、ありのままの自分でいられるんだなって思います」

    「まあ、こんな人生だったけど、財産や名誉なんかを捨てることで手に入れた今があるね。堅実な生活こそ幸せな生活の第一歩だよ」

    「ちなみに、生き方のお手本となった人はいるのですか?」

    「お手本? 俺は昔から町の映画館でよく西部劇を見ていて、西部劇の中には、暑苦しいくらいの男同士の熱い戦いがあって、今の日本人が忘れかけた骨太なカッコよさがあるんだよね。それに、外国人はこういった風に物事を考えるんだなって勉強してたんだ

     

    「西部劇が生き方のお手本になっていたなんて(笑)」

     

    人間も機械も壊れたくらいがちょうどいい

    「今、山奥の生活で暮らすことを望んで生きる若者も増えていますが、向田さんから見て、そんな人はどう映りますか?」

    「俺からすると、あえて山の中で暮らしたいと思っている若者も、どっか感覚がズレていると思うよ(笑)」

    「ズレている??」

    「今の人は食べ物はスーパーで買えるし、蛇口から簡単に水が出てくるからか、何もない自然の中での生活を羨ましがるんだよな。だけど、自然の中でしか生きられない場所にいると、自分の生きがいを考える余裕なんてないね。山の中でも夢の中でも、とにかく死にたくないってことだけを考えるんだ

    「自分の生きがいは、生きる余裕があってこそ考えられるってことですよね」

    「そうそう。でも、もし本当に山の中で暮らしたいと思うんだったら、やってみたらいいんだ。やろうと思えば勝手に身体が動くはずだよ。もし失敗したら。出直したらいいわけで」

     

    「羨ましがるだけじゃなくて、やってみろと」

    「だけど、人間っていうのはひとりで生きられないのは決まっているから、若い人が俺みたいにわざわざ山奥にひとりで引きこもって生きる必要なんてないね」

    「言葉が沁みます……。最後に、今日は一緒に来てくれたお孫さんに何か伝えたいことはありますか?」

     

    生きるための努力はするべきだけど、死んだりするための努力は意味がないからやめた方がいいよ。人間も機械もちょっとくらい壊れていた方がおもしろいよ」

    「ちなみに、向田さんが生きてると思う瞬間っていつなんですか?」

    「もちろん、酒を飲んでるときに決まってるよ」

     

    最後に向田さんとお孫さんとで記念撮影!

     

    ​​取材を終えて

     

    向田さんのお話を聞いていて、その生命力に驚くと共に、向田さんの感覚から創り出される言葉にとても重みを感じました。

     

    自分の人生に正面から向き合ってきたからこそ、堅実な人生になり、自然と「自由だ!」と思うことができる

     

    人生の中で、地位や財産よりも、生きることの厳しさを知ること、それを乗り越える知恵と勇気の方がはるかに重要ですよね。

     

    私もこれからの人生、「知識」よりも「体験」を大切にしていきたいと思います〜!

     

    編集:くいしん
    撮影:徳岡永子

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    この記事を書いた人

    吉野 舞
    吉野 舞

    1995年生まれ。兵庫県淡路島出身。文章を書いたり、写真を撮ったりします。今年の目標は、東京23区の銭湯を全制覇すること。最近、全国どこにでも行って色んな人と繋がるので「5G」というあだ名を付けられました。

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