
こんにちは。広告制作会社で働く39歳のウェブディレクター、かんちと申します。
社会人のみなさんは子どもの頃や学生の頃、将来どんな仕事をしていると思っていましたか?
そして社会人になった今どんなお仕事をしていますか?
私は田舎のガソリンスタンドを経営する家の長男として生まれたので、子どもの頃からぼんやりと「将来は実家のガソリンスタンドを継ぐんだろうなぁ……」と思いながら生きていました。
ガソスタの敷地内を妹を乗せて自転車で爆走する私
将来の夢とまでは言いませんが、常に親の働く姿を見ていたので、ガソリンスタンドで働くことは私にとってごく自然な流れのように感じていました。
しかし紆余曲折あり、現在は広告制作会社でウェブディレクターとして働いています。
まさか自分が広告業界で働くことになるなんて、学生時代は1ミリも想像していませんでしたね。
そこでふと「世の中のみんなは、なりたい職業に就けているのかな?」と思い、SNSで「学生の頃の夢と、現在就いてる職業」を(Amazonギフト券を餌に)募集してみました。
ジモコロバーグハンバーグバーグ編集部です。 「学生の頃の夢と、現在就いてる職業」について記事にしたいので、下記フォーム ↓ にて教えてほしいです! https://t.co/9C2WTCvDO1
★ご回答頂いた方の中から抽選で30名にAmazonギフト券1000円分をお送りします!
※詳しくはフォームをご覧ください— どこでも地元メディア「ジモコロ」 (@jimocoro) March 15, 2024
するとなんということでしょう!非常に多くの投稿が集まりました!感謝感謝!
ということで今回は、皆様から寄せられた夢と現実の職業を紹介します!
※Amazonギフト券は、記事の採用・不採用に関係なく抽選の当選者にのみお贈りしております。あらかじめご了承ください
※当選連絡はイーアイデム公式Xアカウント(@eaidem_tw)からDMで届きます
まずは「夢だった職業」と「現在の職業」が一緒の方!
夢の職業に就いた方たち
夢だった職業看護師
現在の職業看護師
選んだ理由意地と諦める勇気がなかった
親が看護師だったので医療系ドラマがよく家で流れてました。物心付いた時から「ナースのお仕事」に影響されて看護師になりたいと思うように。しかし現実は朝倉みたいな看護師がいたら即刻クビです。専門の難しいテスト、指導看護師にキツく言われ吐き気に見舞われながらの病院実習、最後の難関国家試験を得て何とか看護師になりました。学生時代は何度も「なんで看護師になろうと思ったんだろう」と思いましたが、病院実習での患者さんからの「ありがとう」という言葉と病気からの回復が私の支えとなりました。今では集中治療室の看護師として超重症患者の看護をしています。重症患者をみるのは精神的にも辛いですが、集中治療室から出た患者さんが歩いて元気な姿を見せにきてくれるおかげで頑張れています。
試練を乗り越えて夢の職業に就くの、尊敬します!!
夢だった職業保育園栄養士
現在の職業保育園栄養士
選んだ理由子どもたちにおいしいごはん作ってあげたいと志し、就職先思ってたより多いしいいじゃん!と選んだ
栄養士の勉強は理系が多くて、めちゃくちゃ文系な私はとにかくがんばって勉強した。そのおかげでもっと勉強したい!と思えるような分野に出会った!! 新卒で入った保育園は精神と手の使いすぎで神経やっちゃって1年未満で辞めちゃったけど、今も保育園で働いてる。 子どもたちの「おいしかった」はうれしいし、食育とかで行くとにこにこしててとってもかわいい。もっとお給料が高い仕事もあるけど、この仕事にして良かったなぁ と思う。
保育園栄養士を志した理由も素敵ですし、こどもたちの「おいしかった」にやり甲斐を感じることも最高……
夢だった職業漫画家
現在の職業漫画家
選んだ理由絵を描くことなど物作りが好きだったので一日中好きなことをやっていられると考えたことと、通っていた専門学校の先生たちが漫画家でその人たちに追いつきたいと思って選びました。
漫画家になる前に会社に入っていて良かったです。社会がどうやって回っているのか、企業とは何をしているのかを絶対知っておいた方がいい。 ずっと漫画を描いていられるわけではない。経理やらメールやら自分でしないといけないことが多い。 仕事を選ばなければ漫画家にはなりやすい。夢のようではなく、案外現実的な職業。 ただ、こんなにも入ってくるお金が不定期な仕事とは思わなかった。 漫画家にはなりやすいが漫画家として立ち続けるのは考えないと難しいかも。
社会人スキルを身につけてから漫画家になったほうがいいというのは、かなり良い先輩からのアドバイス!!
夢だった職業精神保健福祉士
現在の職業児童発達支援員
選んだ理由自身の生い立ちと甥っ子と姉の変化を見て今の仕事を選びました。
高校1年の秋に姉が家出をし、それをきっかけに私は不登校になり母が別居を決めシェルターで避難生活をしていました。姉が家出をして半年後、姉から連絡があり身ごもっていると知りました。 姉は未婚の母で出産し、私たちと一緒に暮らすことになりました。 シェルターにいた先生の支援と姉が帰ってきたことで私も精神的に落ち着きました。 高校を卒業する頃に親が離婚したので進学はせず、母に苦労をかけたので病院で介護士として勤めることにしました。 暫くして甥っ子が発達障害であると診断を受け支援を受けることになりましたが、その支援を受けて甥っ子も姉も穏やかになりお友達と問題なく生活を送れるようになったことをキッカケに、発達に少し不安のある子どもや昔の自分自身と同じ社会的擁護が必要な子どもを支える仕事がしたい、成長して社会に出ていく子どもたちの心に寄り添っていけるような仕事につきたいと思い、今その仕事が出来ることを誇りを持っています。
自分の経験を活かして他者を支える仕事を選ぶなんて、本当に立派……
夢だった職業人に寄り添える保健師
現在の職業企業保健師
選んだ理由病棟看護師は激務の割に感謝されない。保健師資格を活かして行政や企業といくつも渡り歩いた。企業保健師は、ある程度自分のペースで仕事が出来る、でも人とも関わる、企業のニーズに応える事など多岐にわたる業務があるがバランスよく働けて欲張りな自分にはしっくり来ている。
夢は1つだったが、心が折れて逃げたことでさえ経験になり人の心に寄り添えることが増えた(と思う)。また新たな勉強も必要だけど、学生時代、新人看護師時代の苦しさ・勉強する姿勢を身につけておいて良かったと思う。
保健師の夢を叶えて、勉強を続ける姿勢も素晴らしい……。
夢だった職業なんでもいいから公務員
現在の職業地方公務員
選んだ理由両親が公務員で、小学生の頃から「お前は公務員になるんだ」と刷り込まれ続けてきました
国家公務員と警察は試験で落ち、地方公務員が受からなかったら自衛隊…と覚悟を決めていたのですが、地方公務員に受かって親が言っていたとおりの保証の手厚さを満喫しています
公務員のサラブレッド!手厚い保証、いいな〜!!
夢だった職業自分のキャンプ場をすること
現在の職業キャンプ場の運営会社スタッフ
選んだ理由夢のためのスキルを得ている気がします
全くのノースキルでいまの会社に入りましたが、社会が崩壊しても生きていける自信を持つことができました
これは叶える前ですが、夢に着実に向かってる! 更なるスキル習得の為に、猟銃にチャレンジしてみてはいかがでしょうか。崩壊した社会でショットガンをぶっ放して登場してほしいです
応募全体の割合でいうと夢を叶えた方からお送りいただいたコメントは全体の2割ほど。私含め、昔思い描いていた職業と現在の職業が異なる方のほうが多数のようです。
ということでここからは、現在夢とは別の仕事をしている方の紹介!
夢とは別の職業に就いた方たち
夢だった職業特になし・父親の建築会社を継ぐのかなーとなんとなく思ってた
現在の職業漫画家
選んだ理由マンガを描くのが好きすぎて父の会社でも(社内で勤務時間中にマンガ描いてるのが原因で)怒鳴られようとこっそり社内でも描きまくってたら編集部から漫画の連載をしないかと声がかかった
好きなことを熱中してやりまくっていたらその道のプロが声をかけてくれる可能性が上がると思う
熱意がすごい!勤務時間も漫画が描ける環境も良かったのかもしれないですね(怒られてるけど)
夢だった職業文筆業
現在の職業社内SE
選んだ理由文筆で生活をしていけるところまでは無理であろうと判断したが、それでも何かを作る仕事がしたいという思いがあった。しかし体が強くないため、デスクワークでないと難しいということでプログラマになり、現在はその経験を活かして社内SEとして働いている
文を読み書きすることが苦痛ではないため、仕事上で必須であるマニュアル作成や読解に一日の長がある。
文章を書くスキルが現在の仕事でも活かせているのは素敵!!
夢だった職業漫画家
現在の職業幼児教室のインストラクター
選んだ理由完全に諦めた気持ちにはなってないのですが(いざタイミングをつかんで挑戦する夢を見ている)、手に職があったほうが就職に楽だろうなーと保育の道に進み幼児教育と保育の資格を取り、5年ほど幼稚園の先生をして「あ、これは経験がものをいう世界だ…」と感じてやめ(まだ漫画家の夢あったので!)投稿したり同人誌描いたりしてました。 資格あるのもあり、こども関係への就職が簡単だったので今に至ります。 良かったことはやはりイラストで説明する、教材を作る、などが容易であること。それらをやらなくてはいけない場面で「苦痛」ではないこと。 幼稚園の先生時代は学級通信とかを手書きでかくのに楽しい思いでしかないです。 ただ教室の壁面飾りなどは、自分のテイストにすると違和感があり変になってしまうので教本通りに作るのが逆にむずかしく苦痛でした。
絵を描くスキルを子どもたちの為に活かすのが素晴らしいです! 漫画家の夢に向かって頑張ってください!!!
夢だった職業漫画家かイラストレーター
現在の職業工場の営業事務員
選んだ理由絵を描く事は好きで小学生の頃は人並み以上に描く事ができたが、勉強が嫌いすぎて絵を描く事を「学ばなければならない」段階にきたら急激にやる気がなくなって努力をしなくなった。そのうち本気で取り組んでいる友人たちがいる事に気付き、絵か話どちらかに尋常じゃない才能を持っていない限り現実的な夢ではないと悟った。 今の勤め先は工場見学(夏休み)の時唯一現場の空調が効いていて涼しかったため選んだ。
夢を追うと言うほど追っておらず、今思うと本気ではなかったんだろうなと思う。「将来の夢」と聞かれるから、好きなものを答えていた感じ。本当に夢を見ている時のような漠然とした感覚で、叶うとは全く思っていなかったし叶える気もなかったように思える。 役立ったと言えば、「ONE PIECE」が子どもの頃から好きで読んでいたので、尾田先生が「花を描く時にしている少し手を抜いた花束の描き方」を覚えていて、退職する同僚などへのメッセージにその描き方で花束を描くとうまいと褒められた事くらい。親や周りの大人が「子どもの夢」に対してどれだけ投資やサポートができるかで夢の実現度は大きく異なると思う。勿論私のように努力をしない人間もいるので一概には言えないが、努力をしている様を見ているのなら、褒めるだけではなくて自分も調べてみたり興味を持ってみる(子の夢を理解する、実現への道筋を把握する)事が大切。小さい頃読んだナイチンゲールの伝記にあった「怪我人、病人に必要なのはスープではなく、それを飲ませるためのスプーンを口まで運ぶ手」というのが印象に残っている。夢の場合も少なからずそう感じる。
周りのサポートの大切さ、確かに……。子を持つ親として「本人がやりたいことをすればいい」という考えでしが、そのやりたいことを叶えてあげるための周囲の協力も重要ですよね。心に響いちゃった。
夢だった職業声優
現在の職業ビルメンテナンス
選んだ理由仕事がもらえなすぎて諦めた。声優としてだめだったときの為に、高校は工業高校を選んでいたため、その頃の経験がビルメンテナンスに生かせていて良かった。
大手声優事務所に入ったはいいけど、営業力が足らずに契約更新できなかった。 声優を目指す人へ。マジでコミュニケーション能力は高めておけ。声質とか演技とかは三の次だ。 芝居をやめて十数年、一般会社員を経験して、今ならもっと仕事をもらえたのになぁと思ってはいます。 ちなみに今はフリーの声優としても少しずつ仕事をもらえるようになりました。
声優からのビルメンテナンスのキャリアギャップはスゴい!保険をかけて進路を選ぶ生き方も偉いです!!
夢だった職業小説家
現在の職業歯科医師
選んだ理由家業を継ぐのが嫌で歯学部在学中も休学して小説を書いたりしてましたが、箸にも棒にもかからず、そうこうしている間に国家試験に合格してしまい、現在も細々と賞に応募したりしながら、嫌々歯医者してます。
小説家を目指す良いところは、別に何歳になってもワンチャンあることで、学生の頃は一発当てて絶対歯医者になんてならねーぞ! と思ってましたが、あの時気が狂って中退なんてしなくて良かったな、と思っています。死ぬまでに一冊、本を出したいなぁ。
今回募集方法をミスって投稿者のお名前を全員聞きそびれてしまったのですが、応援しています!!!!!
夢だった職業エジプト考古学者
現在の職業システム/フロントエンジニア
選んだ理由好きなエジプト考古学をやるためには日本だと早稲田大学に行くのが最大の選択肢だったが、高校受験の段階で既に勉強したくなさすぎて高学歴な未来を諦めて近所の学校に決めてしまった。その学校は工学系の学校で、別になんの仕事がしたいわけでもなかったので担任が勧めてくれた大企業に決めた。
小学生の頃の自由研究は全てエジプト考古学系のものを模造紙数枚にまとめたものだったが、あまりにも友達や先生にウケないので普通の自由研究(煮干しを解剖したレポートなど)と一緒に2つ提出していた。 また、夢を諦めてなあなあで大企業に入った結果、興味のないことに一生懸命になれない性分ゆえ仕事が全く楽しくなく、諦めるんじゃなかったと激しく後悔しています。
エジプト考古学への興味と知識と情熱がまだ残っているのなら、きっとそれを活かせる機会がこれからもあるはず……!
夢だった職業保育士
現在の職業コールセンター社員
選んだ理由「子どもの扱いが上手い」と周りに囃し立てられ、ぼんやりと保育士になりたいなぁと思っていましたが、ある日突然「子どもって命だ」「私のようなぼんやりした人間に、命は扱えない」と思い諦めました。 今の職業は、時給の良さに釣られてバイトで入り、ただ何となく真面目に働いていたら、当時の上司に気に入られ社員に昇格。今もただ真面目に働いているだけで、なんのスキルもありません。
保育士を目指していた頃は、知り合いや親戚の子どもがどんなことを話し、それに対してどんなリアクションをすれば喜ぶか、どんなことで愚図り、どうすれば機嫌を直すかを研究。よく考えると、この時の経験が理不尽にキレまくるカスタマー対応に役立っているのかも。よく考えたらピアノも歌も苦手なので、こっちの人生で良かったと思います。
相手の気持ちを考えて行動できる能力に長けているのかもしれないですね!
夢だった職業通訳や翻訳家など、英語を使った職業
現在の職業ライター
選んだ理由高校生の頃まで英語の成績が良くて自分は英語を使った仕事に向いてるんだと思い、大学は国際系の学部に進学したのですが、周りはほとんど帰国子女。自分のような受験英語だけを学んだ人は少数派で、読み書きはできても英語で行われる授業についていけず、同級生が日常的に自然とoops!とか、really?とか言っている様子を見て、世界が違いすぎると断念しました。
同級生ほどではないにしろ、日常会話は最低限できる程度の英語力は身についたので、普段から英語が役立つ機会はちょくちょくあります。ライターとして仕事をする際に情報収集で海外のサイトからも調べられると言った仕事面でも役に立っています。また、日本語がないゲームをプレイする際や、海外の英語話者のYouTubeを見るときなども英語勉強しててよかったと思います。
英語を使った職業に就かなくても、それまでの努力は無駄ではなかったってことですよね!最高!
夢だった職業大都会のOL
現在の職業地元の病院で精神保健福祉士
選んだ理由地元の福祉大学に通っていたにも関わらず、福祉職の厳しさを感じ、福祉職にだけは就くまいと思っていました。大都会のオフィスで働くOLに憧れを持っていて、福祉の仕事ではさほど使わないだろうと思っていたパソコンスキルを独学でやたらと身につけていました。都会にある会社に事務員として就職することを目指していましたが、大学在学中に父が病に倒れ、後遺障害により働けなくなることが確定。重度の障害者となった父、認知症の進行していた祖母、父と祖母の介護で憔悴する専業主婦の母、働いてはいるものの正社員ではない就職氷河期世代の姉を置いて都会に出る…ということが考えられず、『都会に出ること』を諦めました。 私の世代も就職氷河期ではあったので、大学卒業後に正社員として雇ってもらえる仕事に就くためには大学で習ったことを活かすのが一番の近道だと考え、『福祉職以外で就職する』ということも諦めました。結局、地元で福祉関連の仕事に就きました。
漠然とした夢しか持っていませんでしたが、何もかも自分の希望通りにものごとが進んでいくということはないんだな…と学生のうちに知れたのは良かったです。 学生のときに福祉職の厳しさを知ったつもりでしたが、実際に仕事としてやってみたら、厳しいことも沢山あるけれど、面白いところや頑張りたいこともいくつか見つかり、より専門的な勉強をしてみたり、仕事に役立ちそうな研修会に参加してみたりしながら、今でも福祉の仕事を続けられています。何だかんだで性に合っていたんだろうなと思っています。 事務職を目指して独学で身につけたパソコンスキルは、業務の効率化をはかるために色んな場面で使っていて、今の仕事でも大いに役立っています。 何もかも思う通りにはいかないけれど、夢に向けて頑張ったことは意外と無駄になることが少ないんだなというのが感想です。
逆境を乗り越えて今の職に就いているの、本当に立派すぎ!
夢だった職業何かしら音楽に携わる職業(楽器店の総合職など)
現在の職業Webデザイナー
選んだ理由バイオリン修理職人をしていたころ、ポケモンGOが登場してAR技術に驚き、木を削っている場合ではない、時代を追わなければと思ったため。
「音楽に携わりたい」というふわっとしすぎる動機では、バイオリン修理の会社以外どこにも内定がもらえなかった。 バイオリン修理で木を削ったり、ヤスリをかけたりニスを塗ったりしていたので、最近自宅で木の棚をDIYすることになったときに木の扱い方を把握していて役に立った。 Webデザイナーというそこそこ現代的な職種に就いたものの、WebサイトもAIでかなり楽に作れるようになって労働力が不要となりそうな感じがしているため、時代を追うのは難しいなと思っている。バイオリン修理のほうが長く続いていく職業だったのかもしれない。
転職のキッカケがすご! その行動力と決断力があればこれからもうまく立ち回れる気がします。
夢だった職業広告代理店
現在の職業WEBデザイナー
選んだ理由キャッチコピーとか宣伝企画とかを考える人になりたかったが、業界の厳しさというか、本当にセンスのある人しかなれないな、と諦めて応募すらしなかった。
大学の同期で一番優秀で、紛うことなき天才の子が、大手広告代理店で活躍しながらも潰れてるのを知った。小さい制作会社で、デザイナーやりながら、たまに社内のそういう企画の時にコピーを考えたりする程度の、のびのび出来る今の環境で満足だなと思う。
自分のペースでのびのびとクリエイティブな仕事ができるのは何より!
夢だった職業警視庁の科学捜査班
現在の職業SEOコンサルタント(WEBマーケター)
選んだ理由科学捜査班に入るためには何かとてつもない試験があるらしく、通ってた大学からの合格実績もなかったため諦めました。似た仕事で「鑑識」がありますがあれは、警察官にまずなった上で、鑑識の部署に配属されねばならず、なりたいからと言ってなれるものでもないそうでそちらのルートも諦めました。今の仕事はたまたま出会っただけですが「データから傾向を分析して答えを見つけていく」というところに面白さを感じています。科学捜査も現場の証拠や遺留品から何らかの答えを見つけていく作業が楽しそうだと思っていたので、結局やりたいことがやれていてラッキーだなと思いました。
科学捜査も、遺留品の同定(それが何であるかを特定する)は仮説を立ててそれを検証していくことで答えを出すと思うのですが、ウェブマーケティングも同じで仮説(このバナーの方がよりクリックされるだろう、このターゲットへのアプローチの方が商品が売れるだろう、など)を立て、それを実行し、答えを得る(実際に仮説通りバナーがクリックされたか、物が売れたか)ので、扱っているものや必要な知識は全然違いますが過程が似ているような気がしております。結果として、やりたかった仕事のやりたかった要素はできているのでとても楽しく働いています。
分析する仕事という共通点!違う形で夢を叶えたと言えますね
夢だった職業小説家
現在の職業自動車メーカーの技術者
選んだ理由あまりにも才能がなさすぎて小説家にはなれず、ろくに運転もできないくせに「面接試験以外がすべてネットで完結するから」「あと、推薦あるし」という理由で、流されるままに自動車メーカーのエンジニアになりました。機種開発に関わっているので、世間より先に新車情報に触れられるのが今の職業についてよかったと思うポイントです。あと、みんなが知らない車両の不良をいち早く知れます。まちなかで自分の開発していた車が走っているのを見ると、「お前買ったんか!?そんな初期不良まみれの車によくぞ乗れたな…!?」と思う反面、嬉しくなります。
小説家を目指していた時期はマジで神経が鋭敏で、見るものすべて敵と思っていました。友達もいなかったので、逆張りして「死ぬときはどうせひとりなんだから友達も家族もいらねえ!」と思って、そういうたぐいの小説を書いたり、実際、家族に絶縁状じみた手紙を送ったりしました。今は一部を除き敵ではないと知り、家族ともまあまあよくやっています。 どちらにせよ、何かを作る職業になれたという点においては夢がかなったとも言えるのかも知れません。 また、たぶん自動車メーカーに就職しなければ一生自動車免許を取らなかったと思うレベルで要領がおバカなので、タイミングとしてはちょうどよかったのかも知れません。卒検は2回落ちました。ちなみに、未だに車はうまく運転できません。
「お前買ったんか!?そんな初期不良まみれの車によくぞ乗れたな…!?」←気になる……
夢だった職業映画の美術関係に関わる仕事
現在の職業喫茶店(家業)、焙煎士
選んだ理由映画美術のどの分野に携わりたいのか、自分でもはっきりしていなかった。また映画関係のボランティアに参加した際に生々しい関係者達の裏側を見て萎えてしまった(大人が大人を酷く叱責する、有り得ないくらいの悪口を裏で言う等)。そして家業を継がず潰れるところを見て後悔するくらいなら、自分から関わって自分の手で終わりにしたいと思ったので
美術関係に関わりたい為に芸術系の大学に入ったので、デザインやイラストの技術はある程度身につき、現在でもパッケージイラストやメニューデザインなどを自分で考えることができている。 映画の特典やテレビで見るような制作風景は映せるから和気藹々としているのであって、実際視聴者の目に入らないところや、金銭が絡む場面では非常に殺伐としている現実を自分の目で見てやっと理解できた(勿論たまたまその現場がそうであっただけかもしれないし、視点を変えればお金を貰って真剣に働いてる大人達からすれば、物見遊山かつ遊び気分に近いもので現場に入り込む学生ボランティアは非常に邪魔だったかもしれない。)
全員真剣だからなのか、普通にブラックなだけだったのか僕には知ることができませんが、夢だけを見せられるのではなく現実を知れたというのはいい機会だったのかもしれませんね……!
夢だった職業ミニーちゃん(小学生時)
現在の職業飲食ホール
選んだ理由単純にミニーちゃん及びキャラのなり方というのが分からなさすぎたし、距離の上でもオリエンタルランドへの入社は無理でした。夢の国は夢の国のままであって欲しいというのもありました。
ミニーちゃんがシンデレラ城前のステージで踊る姿を見て胸が熱くなり、自分もこんな輝いてまわりの人達が笑顔になれるような存在になりたい!というパッションがなんだかんだ今でも続いていて、飲食ホールですがホスピタリティ重視のレストランに在籍して全力笑顔で頑張ってます。お客様からお褒めのメッセージいただくこともあり、物凄く励みになります! 心の中にミニーちゃんを掲げてがんばります!
良いエピソード!!あなたは現実のミニーちゃんです!!!!!
夢だった職業航空業界で働くこと
現在の職業鉄道業界で働いています
選んだ理由コロナの影響で航空業界の採用が軒並み中止、道半ばで諦めた。
航空業界に行きたい一心で、企業研究やインターンにたくさん参加した。現在は鉄道業界で働いていますが、結果的には交通系で働くきっかけになったのではないかなと思います。
コロナ禍の航空業界は悲惨だったようですね……。あれはどうしようも無かったと思いますが、これからも交通業界での活躍を応援しております!!
夢だった職業競馬の騎手
現在の職業システムエンジニア
選んだ理由中学3年生の秋頃までは小柄で体重も40kgほどしかなく、乗馬をやっていたのもあって騎手を目指していました。 競馬の騎手になるためには競馬学校を卒業する必要があるのですが、入学するにあたっての受験資格が「体重44kg以下であること(当時)」であり、受験前後辺りから成長期が来て身長とともに体重がどんどん増えてきてしまい、諦めざるを得ませんでした。
家から近い場所に競馬場があったこともあり、開催日になるとたまに競馬場に行ってレースを間近で見ていました。 もちろん賭けたりすることはなく、ゲート内の様子やゴール間際の動きなどを観察するのが楽しくて一人で競馬場に行っていたのですが、今思うと中学生が競馬場に通っているのはちょっと面白いなと我ながら思います。
成長期で夢を諦めざるを得ないのは切ない……!!でもよい思い出っぽいので良かったです!!
夢だった職業小中学生:パティシエ / 高校生:ネイリスト
現在の職業本業:事務 副業:アパレル
選んだ理由高校生になり飲食店でバイトをし、自分にはびっくりするほど飲食という仕事が合わないなと実感したのでパティシエは辞めました。 高校卒業後3年ほどアパレルをやっていましたが、ふと、自分のやりたいこと・向いてる仕事ってなんだろうと考え、もっと色々な事にチャレンジをしてみたいと思い、真逆のデスクワークを選びました。 デスクワークも思っている以上に性に合っていて楽しいのですが、お客様の喜ぶ様子が間近で見られるアパレルの良さを離れてから改めて実感し、もう一度やりたいなと思い副業しています。
当初パティシエになりたいと思い、高校生のうちからバイトで飲食に触れておこうと考えて行動したのが、結果的に自分の向き不向きを知れたので本当に良かったです。 もし飲食バイトも何も経験せず、調理師の専門学校や就職をしていたら相当きつかったと思うので、まずはバイト等でその業界に触れるのは大事だなと実感しています。
社会と繋がり自分の得意・不得意を知ることができるというのもアルバイトの魅力ですよね。あ、ちなみにここのサイトはアルバイト求人サイト「イーアイデム」が運営しているんですよ!知ってました!?
ここで紹介しきれなかったものを含め、沢山の投稿ありがとうございました!!