地震や豪雨など、自然災害が後を絶たない日本。

予期せぬ事態を前に、重要なことは、しなやかにたくましく回復していくチカラではないでしょうか。

そこで立ち上がったのが「ジモコロレジリエンス」。大きな出来後を経てなお、強く前進する街や人を紹介するシリーズです。

今回、編集者の藤本智士さんが取材した土地は、宮城県の南三陸(みなみさんりく)町。2011年の東日本大震災から13年以上経ち、かつて大きな被害を受けた土地は、さまざまな形で「回復」しています。そこに暮らす人々の歩みと言葉には、前に進んでいくためのヒントが詰まっているはず。3つの物語から見えてくる、南三陸のいまと未来、その第二弾をお届けします。

※レジリエンス……困難をしなやかに乗り越え、回復する力のこと


 

環境や社会への影響を最小限にしたサステイナブルな養殖による水産物の証「ASC認証」。あまりに厳しい基準ゆえ、取得は難しいと思われていた、この信頼性の高い認証を日本で初めて受けた「カキ」が、南三陸にある。

そのカキを育てるのが、宮城・戸倉(とぐら)のカキ漁師のみなさんだ。

養殖のイカダも稚貝も全部流されてしまった南三陸戸倉の海。しかし漁師たちがめざしたのは、元の海に戻す『復興』ではなかったという。

<戸倉カキ部会のここがすごい!>

・一匹狼な漁師たちすべての漁業権を一旦リセット

・カキの養殖台の数を減らしたら、カキの身が大きく美味しくなった。

・確かなビジョンと粘り強いアクションで労働環境も改善

・「囲い込み」から「シェアする漁業」で生産高は以前の2.2倍に!

南三陸のレジリエンスを支えた漁師たちの物語は、復興を超えた未来創造の物語。
どうか多くの人たちに届けー!

後藤さんは、宮城県漁業協同組合 志津川支所 戸倉出張所のカキ部会で会長を務めている

やってきたのは、カキ漁師・後藤清広さんのご自宅。そこに当時、宮城県漁協の戸倉出張所長を勤めておられた阿部富士夫さんにも来ていただき、インタビューはスタートしました。

 

そもそもカキの品質が良くなかった

ーーここはまさに海が目の前ですが、震災直後はどちらに?

後藤:被災して、船もないし家も使える状態じゃなかったので、登米市に引っ越したんです。そのときに、漁業もやめると思ってました。そうしたら、5月にこの人(阿部さん)が電話をよこして「あなたはカキ部会長になりましたので、よろしくお願いします」って言われて(笑)。

もちろん断ったんですけど、「いやいや、決まったし、代理の人が引き受けたから」って。まあ、ほかの適切な人がいなかったから、つなぎなのかなと思って、とりあえず引き受けて。

ーー「代理の人が引き受けたから」って、すごいですね(笑)。

阿部:でもこの人だからこそ、動き出せたんです。

後藤さんの自宅の柱には、3.11の津波の到達地点を示す目印が

後藤:震災前は過密養殖で行き詰まってましたし、同じように2年も3年もかけて品質のわるいものを獲っているようなやり方をしてはダメ。もし、やり直しがきくなら、品質が良いものを作れば、生産量が多少落ちてもなんとか生活していけるのかなって感じはしてたので。

ーー品質が悪いっていうのは、震災前から思ってらっしゃったんですか?

後藤:買受人の評価も低いし、生産性がまったく上がらなくなってて。

阿部:ノロウィルスが世に出てきて、加熱じゃないとカキの販売はできないよとなったとき、自分たちのカキの身が小さくて品質が良くなかったんです。だから加熱になって売れるのか危機感があって。

それで、みんなで漁場改革をやらなくちゃと、専門家の先生も呼んで話し合いをしました。でも、当時はカキ漁師が78軒ほどいた中で、養殖イカダを50台も持っている人もいれば、数台しかない人もいた。誰が最初に率先して変化するか、なかなかうまくいかなかったんです。

ーー震災以前から、やらなきゃってことはみんな思ってたんですね。

後藤:話し合いはするんですけど、結局決裂するというか。

阿部:変な話、津波でも来なかったら、なんともなんねえなって言ってたほどで。

ーーそこに本当に津波がやってきたと。

阿部:普通は原形復旧って方法が一番多いと思うんですけど、「元通りに直すのは、どうなの?」って。いったん漁業権を全部白紙にし、ゼロからやりなおそうって話になったんです。

ーーそれって、想像するにとんでもない決断ですよね?

後藤:それぞれ規模が違うので、当然、元の権利が大きい人ほど放棄できない。会議では「そんなことはできないよ」って話になったんですけど、震災前と同じことをやるつもりはないので。なんとかその日は承諾をもらって。

ーー承諾されたんですか?

後藤:若い職員が「すごいことが起きた。よく承諾しましたね」と、びっくりして。

ーー素人でよそ者の僕がいま聞いただけでも、驚きました。

後藤:だから喜んだんですけどね。次の会議になったら「そんなの聞いてないよ」って。

ーーそうなるのかー!

 

全員が社長で一匹狼の漁師たちが共同するために

後藤:でも、いったん決めたので、とりあえず1年はやってみましょうと。

阿部:ちょうど平成23年の11月くらいに「がんばる養殖復興支援事業」というのが水産庁から出てきたんです。この事業に乗っかって復興支援してもらうためには、とある大条件があって。漁師さんたちからすると一番嫌いな『共同作業』です。

後藤:審査を通るには、共同経営することや、計画どおり進めてある程度の結果を出すような条件があったんですね。

ーー大変そう。どうやって進めたんですか?

阿部:最初は銀鮭の養殖からって話もあったんですが、生育期間の比較的短いワカメとホタテと一緒なら、カキもやれるんじゃないかってアイデアが生まれて。

ちょうど部会長の後藤さんが試験的に種を入れたカキが、1年で大きくなったんですよね。いままでだったら2〜3年かかってたのに「こんな数か月で大きくなるの?」と。

後藤:カキはお金も時間もかかるので、なかなか復興できないかなと思っていたんです。だけど、ワカメもホタテも同じ海を使うから、組み合わせればみんなでやれるかもしれないぞと。ただ、関係する漁師が当時で96人もいたので、共同経営なんてうまくいくのか?とも。

阿部:3人寄ると漁師さんたちはすぐもめるから。でも「やるって決めた以上は、後になってやめるって絶対に言わないでよ」と、カキ部会長、ホタテ会長、ワカメ会長に念押して。

後藤:何人かは絶対にダメだろうと思ってました。ただ、期間を決めて『3年我慢して、あとはみんな必ず独立する』としたんです。

阿部:3年だったら我慢できるかなって。

後藤:漁師は一人ひとりが社長なんで、あるときから急に役職付きの人ができたら嫌なはず。そこは、たった3年っていうのと、役職じゃなくて役割なんだからって話をして。

ーー代表もあくまで役割で、期間が過ぎれば終わりだからと。

阿部:後藤さんは嘘をつかないから、信頼があったんでしょう。ちょっと頭が堅すぎるところがあるけど(笑)。でも、自分の思いはこうだって信念を曲げないで進んだのは、やっぱり大きいと思います。

 

震災前より、カキが美味しくなった⁉︎

ーーちなみに1年で大きくなったカキっていうのは、後藤さん個人でやられてたんですか?

後藤:そうですね。当時、お世話になっていたWWF(世界自然保護基金)の前川さんという方に、試験的にやってみましょうと言われて。

これまで3年かかって15gぐらいで、なかなか身がふっくらしないし、甘みもなくておいしくなかった。ところが8月に始めたカキを恐る恐る12月に剥いてみたら、すでに20gぐらいあったんですよ。

ーーたった4か月で? すご!

後藤:しかも、ぷくっとしていて食べてみるとものすごくおいしい。これは、もしからしたらうまくいくのかなって。

それで次の年の5月、つまり10か月後にまた剥いてみたら、なんと50gを超えてる。いままでは4〜5年かけてもそんな風にならなかったのに、たった1年で。これだったらできるのかなと、計画を進めたんです。でも実際に始めてみると、1年目の成績が思うように上がらなくて。

阿部:計画を作ったのは私なんですが、復興計画の数字は震災前の、みなさんが相当頑張ってカキを剥いたときがベースになってるんですね。でも、いざ計画がスタートしたときは、震災後でみんな遠くの避難先から通っていて、作業時間もとれないし、電気の復旧がまだで、できることが限られた。

ーーいろんな不便がある中だと、限界もありますね。

阿部:厳しい中で十分やっていたと思うけど、1年目は計画どおりではないってご批判を浴びてしまった。とはいえ、2年目、3年目と収穫量も上がっていきました。

後藤:今までとやり方を変えた結果、収穫量を上げるための手をかける生産技術とか、努力の仕方がわかってきたんです。

阿部:そもそも、この時の「がんばる養殖復興支援事業」は、震災前からの漁師さんが、事業後も継続して養殖を続けてもらうのが非常に大事でした。厳しく取り組んだ結果、県内で残った漁師さんたちは戸倉が一番多くて、若い人たちも増えてきてます。

ーーどれくらい残られたんですか?

阿部:当時96人で組んだグループで、ほとんどの人たちがそのまま継続しました。

震災直後の漁師さんたちの写真

現在の写真(photo 浅田政志「みんなで南三陸」)

後藤:カキ部会に関しては、34人でスタートして、いまは35人。どこも漁業者が減るなかで、13年経っても一人も辞めてません。

ーーすごい!

 

どうして漁業権を手放せたのか?

ーー最初の話に戻るようなんですけど、それぞれの漁業権を手放すのは、最初に合意をとったわけですよね。

阿部:支援事業が始まる前ですね。

後藤:3年の壮大な実験をやる権利をいただいたので、その期間だけは必ずやってみて、ダメだったらやり直しましょう、と。養殖施設を持てる上限数もできたので、最初は納得できない人もいたと思います。

ところがやってみたら、以前よりもコストがかからなくなって収益が上がった。なので、最終的にはしぶしぶ納得してもらえて。

ーー50台くらいカキイカダを持っていた人は、その分のコストがかかっていたわけだから、台数が減ってもより収益が上がったんだ。

後藤:共同運営なので、利益の配分には悩みました。実は最初、後継者のことを考えて、若い人や子育て世代には少し多く渡しましょうって年金世代に相談したんです。そしたら「冗談言うな、1円もダメだ。がんばる養殖はやめる」となって。

阿部:年金をもらってる人たちは、彼らなりの言い分があって。「俺たちにはいろんなノウハウがある。若い人は力はあっても仕事の段取りはわからない」と。でも若い人たちは当然、「年金もらってるのに、なんで?」って話になる(笑)。

後藤:それで3年間は同じ収入でスタートして。でも1年ぐらいやってると、年金世代は「今日は娘が孫を連れて帰ってくる」とか「今日は病院なんだ」とか、1週間に1日か2日は必ず休むんです。

ーーはいはい。ありそうですね。

後藤:若い世代も、力仕事は我々がやるから、年配の人たちは陸でロープを作る仕事とかをお願いします、と持っていった。すると年金世代も、やっぱり若い人に体力で勝てないし、この取り組みはいいことだなって徐々に気づいてくれた。

ーーへえー!

後藤:最初から無理をして分配に差をつけていたら、こうはならなかったかもしれませんね。

ーー若い人たちと一緒にやっていくことで、新しい養殖の理解が深まったんですね。

阿部:漁師は基本的に自分のやり方を他人に教えたくないわけです。でも3年間、自分の孫世代と一緒にやると、自然と仕事の段取りなんかも教えていくことになる。結果、若い人たちも先輩を尊敬して、お互いに理解してつながっていったんです。

 

神の啓示?な「カキイカダ40m間隔」

ーーでも、利益や権利の分配ってめちゃくちゃ難しい問題ですよね。

阿部:はい。特に支援事業が終わったあと、どう漁業権を分配するかが難問でした。そんなときに、部会長の後藤さんがポイント制っていうのを提案されて。

ーーポイント制?

後藤:分配どうしようって悩んで寝られなくなってたら、夜中に声がしたんですよ。

「『ポイント制がいいんでねえか』って」

ーー突然のスピリチュアル!

後藤:ああ、なるほどな〜と思って、阿部くんに相談しました。

阿部:家族構成や後継者の有無をポイントにして換算するってアイデアだったんですよ。たしかにこれは一番納得のいく形だなと。

漁業権の再分配にあたり、後継者や家族の有無、養殖する魚介の種類に応じてポイントを配分し、割り振った

阿部:同じ組合員なのに、なんで養殖施設の台数に差をつけるのかってことは、かなり言われましたね。

後藤:うまくいかなかったらやり直しましょうって、なんとかごまかしてね。

阿部:養殖施設を減らしたのが適正だったか、最初は不安だったんです。でも、大学の先生に相談する機会があって、『いまの台数で正解だ』と言っていただいて。

ーー過密養殖だったのが、適正な台数になったわけですよね。

阿部:以前はカキイカダの位置によって、真ん中と端ではプランクトンの量が違って成長にも差がありました。そこも不安だったんですが、イカダの間隔を40mに広げたことによって、端も真ん中もなくなったんです。みんな一律同じように身が入るから、そこの不公平もなくなった。

ーー思い切って減らしたら、状況がよくなった。

後藤:あとからわかったんですが、カキ1個が1日に濾過する海水は約400L。イカダ一台にカキが10万個とすると4万キロLが必要なんだけど、イカダの間隔を40m空けると、ちょうど4万キロLを確保できたんです。

ーーよく40mに! これも神の声が聞こえたんですか?

後藤:いやいや(笑)。あとから広げることはできないし、やってみようとね。

 

根拠があとから付いてきた。

阿部:イカダをどう配置するかって図面は、全部、清広さんがつくったんです。GPSで測って。

ーーすごっ。自分で海の図面を引こうなんて発想がそもそも浮かばないですよね。

GPSが使える海で計算して、イカダが何台入るか引いた図面

後藤:若いときにオリエントって会社で時計を作っていたので。機械式時計はね、5ミクロンずれるとダメなんですよね。

ーーなるほどー!

オリエントとは、志津川オリエント工業株式会社のこと。1974年にORIENT時計の協力会社として、南三陸町志津川(旧志津川町)で創業

後藤:当時、高度経済成長のなかでものをつくるのは、基本はアメリカの真似だった。そこで我々が学んだのは、トヨタの生産管理。より品質を良くしましょう、在庫を減らして生産性を上げましょうと勉強して。だから当時は、どんな企業も真似ですよね。ものを作って、改善策を考える。

阿部:そういう考えが、ふつうの漁師さんにはないよね。

後藤:若いときの経験が生きました。漁師を始めたとき自分は10年も遅れてたから、始めたときはロープも満足に結べなくて。

ーーおいくつのときですか?

後藤:28か29のとき。親父が体を悪くしたので、会社を辞めて漁師をと。

阿部:清広さん、オリエントのバレーボールチームにもいたんですよ。

ーー選手だったんですか。

阿部:戸倉の漁業青年の人たちと組んでる、ローカルのチームで。

後藤:共同作業っていうのは、スポーツで身につけた考え方とかも生きてますね。

ーーポイント制も、40m間隔も、あとからエビデンスがついてくるのがおもしろいですね。

 

「元通り」を目指さなかったからこその現在

ーーASC認証をとろうとなったのは、どういう経緯だったんですか。

後藤:みんなで海を改革していく中で、せっかく作った新しい環境を維持するためのASC認証という意味もありました。縛りというか。

阿部:「認証を取れば、値段が上がるのか?」からスタートして。でも、そんな簡単に高くなるわけじゃないじゃないですか。

それで南三陸町さんにお願いしたら、3年間あるASC認証の費用を町に負担してもらえたんです。ASCの認証は監査が毎年あるんですが、3年あればASC認証も少しは浸透してPRにもなって、多少は値段も高くなるんじゃないかって期待も込めて。

ーーなるほど。そういうところに後藤さんの図面が説得力として効いてくるわけですよね。

阿部:そうです、いろんな方の協力があって。ASC認証のことを教えてくれたWWFは漁業の保護団体だから、そもそも漁協と対立しがち。「なんで保護団体と漁協が一緒になってASC認証の取得を目指せてるのか不思議だ」って声もありましたが、わたしたちからすると、WWFさんがいなかったら今回の認証取得の話はないんですよと。

後藤:最初は怪しくてね。プロレス団体か何かかと思った。

ーープロレス団体にもWWFってありますね(笑)。

後藤:ASC認証が何なのか当時は全然知らなくて、勉強してみたら、これはとんでもない内容だなとわかった。

阿部:大きな原則が7つあるんですよね。

後藤:1番目に法令厳守。でも、一匹狼の漁師たちはルールを守ることが苦手(笑)。環境を守るっていうのも、環境でメシが食えるのかってなりますし。労働環境を守るとか、社会貢献とか、現実はほぼ真逆でした。

なのに、なぜ役員会で全員の合意を得られたかというと、オリンピックなんです。翌年のリオオリンピックでASC認証食材を100%使いましょうと決まっていた。

ーーなるほどっ!

後藤:リオで初めて100%使用となって、さらに5年後には東京オリンピックがある。そこで世界のアスリートに我々の食材を提供できるんだっていうのは、みんなに響いた。

阿部:でも現実には、ホテル関係はカキを使いたくないんで、あまり出てないんですよ。夏場だから(笑)。

後藤:そもそも、結果的に東京ではASC認証じゃなくていいとなって。

ーーえ!? そうなの? ダメすぎる……。

後藤:国が英断で認証を使いましょうとなればよかったけど。あそこで持続可能な流れに日本がグッと進んでいくチャンスを逃したと思う。ところが、狙ってなかった別の経済が一気に動き出したんです。

ーー狙ってなかった経済?

後藤:周りが勝手に応援してくれたんです。PRは一切していないですけど、いろいろなところで我々の食材を使ってもらって。

環境にいい活動って、いままでは儲かってる企業がやっていたけど、我々は利益も何もないなか、かなり無理をして環境に取り組んだわけです。その結果が、経済に良いように表れてきた。

阿部:県内でも戸倉の後に石巻の3支所が認証をとって。さらに志津川支所でも認証を取ったので、いまは県内産の6割ぐらいがASC認証のカキです。

ーーそんなに!

後藤:買い叩きとか売れ残りもないんです。最初にASCを必要とする業者が入札するので、そのことはとても大きなこと。

阿部:その結果、作業時間が短くなって、かつ収入が増えていく。これはいまの働き方改革に一番マッチしていて。

後藤:日曜日は完全に休みますし、朝は3時とか4時とかで早いですけど、午前中に完全に仕事は終わるので。以前よりも、相当労働環境はいいですね。

阿部:いまのような話を全国青年・女性漁業者交流大会で発表したら、ナンバーワンの第58回農林水産祭天皇杯を受賞しました。まさにいいことばっかりの、理想みたいな話だよなって。

ーー復旧、復興という「元に戻す」選択をしなかったからこその未来だ。去年の生産高も2.2倍までいったと聞きました。もう映画化ですね、これは。

後藤:基本的に、我々は養殖、つまり『ものづくり』なので、いいものをつくりたい、人に負けないものをつくりたいと思う。毎年勉強ですし、これで完成っていうことはない。

だけど、これまでの漁業は、人を押しのけて、蹴落として、それでやっと食えるって悪いところがあった。長い時間をかけて資源を食い潰して、そういう業界に自分たちがしておいて『いまの若い人は根性がない』とか言うのは全く違う。

きっと、いいものをつくれる環境さえあれば、若い人はいくらでもやりたいはず。それは農業でも漁業でもいいんですよね。だからやっぱり、古い世代が反省してあらためるのが大事なんです。

阿部:こういうときに思い出すのは、2015年に宮城県で初めてFSC認証(※)を取得した南三陸の森林管理協議会さん。植林にしても50年、100年先の話になるんですよね。自分たちの漁業も、せめて5年後、10年後でも、次の世代にちゃんとこの漁業環境を引き継げるようにやらないといけない。それが自分たちの大きな仕事だよなって。

後藤:我々がASC認証の審査を受けてるときに、山のほうがFSC認証をね。

※FSC認証とは、環境、社会、経済の便益に適い、きちんと管理された森林から生産された林産物や、その他のリスクの低い林産物を使用した製品を目に見える形で消費者に届ける仕組み

ーー認定時期こそ山の方が少し早いかもですけど、俺たちもやらなきゃってなったんじゃないかって思います。

後藤:林業の人たちの、自分の息子とかじゃなく、もっと先の人たちのために残していかねばって気持ちは、本当にすごいことだなと。

うちは過密養殖でこれからどうしようっていうのが根底にあったんで、これからの時代を考えたら、違うことをしなきゃいけないって強く思っていた。そこが、同じ被災した生産者のなかでも、思い切ったことができた理由じゃないかなと。

ーー戸倉のみなさんの決断がもたらした変化は想像以上でした。まさにいま大変な思いをされている北陸のみなさんにも、希望を感じてもらえるような気がします。

 

いくら豊かな未来が待っていようと、震災はとても悲しい出来事で、それを喜ぶことなんてまったくできない。けれど、いまという日があること、そして最高に美味しいカキが生まれた事実を素直に感謝したいという気持ちになった。

レジリエンス(回復)を超えて、あらたな未来がやってきた戸倉の海の物語が、多くの人たちの希望や救いになることを祈って、この記事を終えたいと思う。

撮影:松浦奈々