岡山県津山市。県北部に位置する小京都で、江戸時代は津山城の城下町として繁栄しました。今も城下町の古い町並みが残っています。

そんな津山の象徴・津山城址(鶴山公園)の入口の傍らに、何やら不思議な施設があるとの話を聞いたことがあります。

噂によると「動物のはく製の展示が多すぎ」「館長の臓器がホルマリン漬けにされて展示されている」とか……。

ということで、やってきました津山。目的地は「つやま自然のふしぎ館」。

本当に津山城入口の目の前にありました。左奥の石段を上るとお城です

見た目は和風の建物なのですが、中に入るとすごい。

ゴリラに、

トラに、

ホッキョクグマvsアザラシ!!??

なにやら、いろいろとぶっ飛んだ施設らしい「つやま自然のふしぎ館」について、事の真相を確かめるべく、森本 信一(もりもと しんいち)館長に取材を敢行しました!

 

「はく製にしかできないこと」を追求

館長の森本信一さん。先代であるお父さんが体調不良になったのを機に東京から岡山に戻り、1999年から館長を務めている

——まずは、つやま自然のふしぎ館はどんな施設なのか教えてください。

当館は「自然科学の総合博物館」として、動物の「はく製」を中心に、昆虫標本や貝殻、化石、鉱石を多数展示しています。ほかにも骨格標本や人体の実物標本・レプリカなどもあります。

15室ある展示室に、合計約2万点が展示されていますね。このうち動物のはく製は約800体です。

——800体も! そもそもなぜ、はく製の展示なんでしょう。生き物なら動物園や水族館でも見られると思いますが。

もちろん、生き物のリアルな生き様を見ることに関しては、動物園や水族館にはかないませんよ。はく製は死んだものなのですから。

ただ、生きているからこそ、動物園でベストなシチュエーションで見学するのは難しいもの。動物園に行ったけど、動物が寝ていたり、奥の方に隠れたまま出てこなかったりした経験はありませんか?

——あります。生き物の気分次第になっちゃいますよね。

当館では、はく製を展示するときに、見ている人がもっとも喜ぶようなシチュエーションや体勢を考えて展示しています。つまり、生き物のベスト・シチュエーションをいつでも見られるのが、はく製の強みなのです。

キンシコウが木から木へ飛び移る瞬間の展示。動物園だと一瞬で終わるが、はく製なら表情や毛並みまでじっくり見ることができる

次に、こちらを見てください。

ここはアジアの動物を展示している「第6室」なのですが、真ん中で展示が分かれているのです。

地面が緑色のエリアは、インドネシアなどの亜熱帯地域の動物を展示

地面が白いエリアは、シベリアなど亜寒帯地域の動物の展示

——気候エリアで分けて展示してあるんですね!

注目してほしいのが、境界を挟んでトラが並んでいる点です。

左の亜熱帯地域側にいるのが「スマトラトラ」、右の亜寒帯地域側にいるのが「アムールトラ(シベリアトラ)」です。2種類を見比べてみて、何か気づきませんか?

左:亜熱帯地域にいるスマトラトラ、右:亜寒帯地域にいるアムールトラ

——最初は同じように見えたのですが、よく見てみると左の方がやや細身で、右は少し太めのような気が……

その通り! アムールトラは極寒の地域に住んでいますから、寒さに耐えるために皮下脂肪を貯めているのです。だから、少しふっくらした体型。一方で、暑い地域に住むスマトラトラは脂肪が少なくて、やせているのです。体も少し小ぶりですね。

せっかくなのでアップでどうぞ。こちらがアムールトラ

スマトラトラ

毛並みにも違いがあります。亜寒帯地域のアムールトラは、寒さをしのぐために毛が長め。ジャンパーやコートの代わりですね。亜熱帯地域のスマトラトラは暑いから、毛は短め。人間が、暑いと半袖を着るような感じです。ほかにも、毛の色や模様にも違いが見られます。

ちなみに、暑い地域の動物より、寒い地域の動物の方が体が大きくなるのを「ベルクマンの法則」といいます。

——暑い地域の生き物と寒い地域の生き物をこうして比較できるのは、はく製ならではの魅力ですね!

本物のトラだったら、こんな風に隣に並べるのは難しいですから(笑)。

——しかし、はく製とはいえ、すごく迫力がありますね。

今にも動き出しそうでしょう! はく製は死んだ生き物をそのまま活用してつくられるもので、レプリカではなく、あくまで「本物」。動きはないものの、迫力は生きているときと同じです。

それから、こちらの展示もぜひ見てほしいです。

——おおっ! りりしい表情で、迫力がありますね。ゴリラといえば、このポーズです!

これは「ローランドゴリラ」という種類です。で、よく考えてほしいのですが、動物園でゴリラがこのような胸を叩く動作をするところを見たことがありますか?

——テレビではともかく、実際には見たことがないですね……

この動きは「ドラミング」といって、めったに見せない動作なのです。しかもドラミングは、大人のオスでしかしません。だから、ドラミングが生で見られたらラッキー。そもそも、ゴリラが二足で直立していること自体が、非常にレアなのです。

——そんな貴重な瞬間も、はく製ならばいつでも見られる。

それが、はく製展示の醍醐味の一つですね!

警戒心が強いキリンが座っているところも、動物園ではかなりレア

南極に生息する「ミナミゾウアザラシ」。オスは平均で体長4〜5mとされる。国内ではわずか2体しか展示されていない、貴重なはく製だそう

ホッキョクグマのはく製。すごい迫力!

ミナミゾウアザラシ vs ホッキョクグマの夢の対面!

南極のミナミゾウアザラシと北極のホッキョクグマが対峙するという、はく製ならではのシチュエーションが楽しめるのも、はく製の醍醐味です。

——南極vs北極という、いわば夢の最強決定戦ですね(笑)。

ほかにもたくさんはく製を展示していますが、当館ではエリアごとに分けて展示をしていますので、生息域ごとの動物の特徴が分かりやすいんです。このように、当館では「はく製にしかできない展示方法」や「はく製にしかない魅力」を存分に活かした展示を心がけています。

「第15室」は、西アジアやアフリカの動物を展示

「第8室」は、日本の野生動物。アフリカなどに比べて、日本の動物は全体的にこぢんまりとしている印象

 

津山の人が学びを深められるよう私財を投じた森本慶三

——来たときから気になっていたのですが、「つやま自然のふしぎ館」の建物は年季があって、すごくノスタルジーを感じます。

当館は、1963年(昭和38年)に開設されました。建物はそれよりも古く、1950年(昭和25年)に建てられたんです。

当館の設立者は、私の祖父・森本 慶三(もりもと けいぞう)です。設立の経緯を話すには、江戸時代までさかのぼります。

設立者・森本 慶三

私の先祖・森本家は、江戸時代には津山城下の一角・伏見町で、「錦屋」という屋号で呉服商を営んでいました。江戸時代の後期には、津山随一の呉服商と呼ばれるまで大きくなったそうです。

——津山はかつて「県北の雄都」と呼ばれるほど栄えていたそうですし、そこで豪商だったとは。

それだけお金を儲ければ、税として藩に納める金額も大きくなりますよね。津山藩としては、とても助かります。だから、当時の津山藩主・松平家から「お礼」として、城下町の土地の一部を与えられたのです。それが今のこの場所です。

——ここってお城の入口の目の前ですよね。 一町民がこんな一等地に土地を持つとは!

それだけ津山藩に貢献したということでしょうね。ただ、さすがに居住はしてなかったと思います。ここは家老や上級家臣の屋敷があったエリアなので(笑)。

——まわりがお偉いさんばかりだと、豪商とはいえ、町民には住みにくいですよね……。

そして明治になって、1875年(明治8年)に錦屋の三男として、森本慶三が生まれます。慶三は成長すると、東京の帝国大学農科大学へ進学しました。今の東京大学の農学部です。きっと昔から自然に興味があったのでしょうね。そして、在学中にキーパーソンに出会います。宗教家の内村鑑三(うちむら かんぞう)氏です。

——聞いたことがある名前です。

内村氏はキリスト教の思想家として活動されていて、慶三は内村氏の思想に感銘を受け、熱心なキリスト教徒になりました。大学卒業後は津山に戻り、家業の店をしながら、農業関係の仕事もやっていたようです。

しかし、1910年(明治43年)に商売をやめて、家業の錦屋を廃業しました。そして自宅を、江戸時代に藩主にいただいた場所、つまり今「つやま自然のふしぎ館」がある土地に移したのです。

——いったい何があったんでしょう。

この場所でやりたいことがあったからです。慶三は1926年(大正15年)に、「津山基督(キリスト)教図書館」を開設しました。

——なぜ、突如として図書館を?

内村鑑三氏の影響が大きいでしょうね。森本家には、江戸時代に商売で蓄えた財産があったようで、個人の財産は、地域のために使いたいという思いがあったのでしょう。

当時、津山には公共の図書館がなく、学校の図書館も充実していませんでした。だから図書館の開設につながったのだと思います。内村氏の説いた教育・学びの大切さを理解し、図書館の開設によって学習の充実につなげる目的があったのでしょう。

写真左側が、かつて津山基督教図書館だった森本慶三記念館。中央奥が津山城址、右側がつやま自然のふしぎ館。図書館の開館時には、内村氏も駆けつけたそう

——個人が図書館をつくるなんて、スケールが大きい。

第二次世界大戦中は、反戦施設とみなされて国に接収されたり、慶三が自宅に軟禁状態にされたり、いろいろ大変だったようです。終戦後は、ふたたび図書館を復活させただけでなく、図書館に職業人養成のためのタイピング学校や英会話教室なども設置しました。

そして1950年(昭和25年)に、「津山基督教図書館高等学校」を設立したんです。

——図書館の次は高校! 地域への献身がすごい。

そして、この津山基督教図書館高等学校の建物こそ、今のつやま自然のふしぎ館なのです。

——ここでつながってくるんですね。

津山基督教図書館高等学校は、定時制の夜間学校でした。その後、昼間部が設置されることになり、別の場所に移転します。

慶三は空いたこの建物を使って、自然科学の博物館をつくりたいと考えました。慶三は農科大学へ進んだほどですから、自然への関心が高かったのでしょう。自然科学の博物館の構想はずっと持っていたようです。

——きっと、長年の慶三さんの夢だったんですね。

国立科学博物館の館長や、津山出身の動物学者・川村多実二博士、岡山市出身の植物学者・大賀一郎博士などとのつながりがあったことも大きいでしょう。

こうして1963年(昭和38年)、津山基督教図書館高等学校の旧校舎を活用して「津山科学教育博物館」、つまり今のつやま自然のふしぎ館が設立されました。現在の建物は、高校として建設されたときのものです。

階段や廊下などから、高校時代の歴史が感じられる

ちなみに、当館の展示物は約2万点で、この中で動物のはく製が約800体と話しましたが、実は800体のはく製は開館時からあまり変わっていません。つまり、はく製のほとんどは、慶三が開館するために集めたものなのです。

館内で唯一、レッドリストで絶滅種を示す「EX」札が付いている、ニホンカワウソのはく製

 

自分自身さえも教材に。森本慶三による津山への“究極の献身”

——膨大な数の展示物は、どのように集めたのでしょうか? 森本家は資産があったといっても、個人がお金だけで集められるとは思えません。

はく製の収集でお世話になったのが、東京にある「尼ヶ崎剥製標本社」という会社です。名前のとおり、はく製を製作する会社なのですが、国内外におけるはく製の売買の仲介もしていました。

——はく製の会社とつながりがあったんですね。

あとは、時代も味方しました。1975年(昭和50年)に、いわゆる「ワシントン条約」が発効。はく製の輸入が難しくなりました。しかし慶三が収集をしていた時期は、まだ自由に輸入ができたので、海外の動物が手に入ったのです。

ですから、現在では取引ができない、希少な動物のはく製がたくさんあるのは当館の魅力ですね。先ほど見ていただいた中にも、現在は日本に持ち込めないはく製は多いです。

——正直なところ、はく製はお金持ちの道楽といいますか、飾って楽しむようなイメージでした。ですが、よく考えたら、はく製は立派な「見て学べる教材」ですね。

慶三は、内村氏からの「神様から授かった生命なのだから、生き物についてよく学びなさい」という教えを大事にし、「学びの大切さを知り、学びを深めるための施設」が津山には必要だと考えたのでしょう。

そうして津山の人に自然や生き物について学んでほしいとの思いで、当館の設立に至ったのです。図書館が本なら、「つやま自然のふしぎ館」は、はく製や標本といった資料を展示する場所。学びのための施設という点で、同じです。

——なるほど。これはぜひ聞きたかったのですが……ここでは設立者、つまり慶三さんの臓器が展示されていますね。これも学びの一環でしょうか?

慶三氏の臓器が展示されている、「第2室」の「人体の神秘と動物の骨格」の部屋。臓器展示は撮影禁止なので、ぜひ現地で見てほしい

そうなのです。人間も生き物ですから。ただ、生きている人間はいくらでも見られますので、はく製は必要ありません。一方で体の中は、医師以外はなかなか見ることがありませんよね。とはいえ、人の臓器を展示するのはなかなか難しい。

そこで、自身の死後、自分の臓器を展示するように遺言を残したのです。

——自分自身を展示するなんて究極の献身ですね。頭が下がります。

実は、当館がオープンした翌年の1964年(昭和39年)に慶三は亡くなりました。遺言では、まず遺体を献体として提供するようにあり、岡山大学の医学部へ提供されました。献体ののち、臓器が展示されています。

森本慶三氏の遺書も展示

——まさに森本慶三さんの人生の集大成のような施設ですね。

まさに、そのとおりだと思います。

 

ナイトミュージアムは津山の夏の風物詩に。今も愛される博物館

——最近の出来事でいうと、クラウドファンディングをしたと聞いたのですが。

はい。でも実施したのは当館ではなく、当館のファンである写真家の村松桂(むらまつ かつら)さんです。村松さんはたまたま当館を訪れ、魅了されたそうです。そして、当館のすべてのはく製を撮影して写真集を出そうと考え、クラウドファンディングを開始しました。

結果として予定を大きく上回る額が集まり、写真集の出版だけでなく、ゾウアザラシ・ホッキョクグマのはく製も修復させていただきました。

——それはすごい。最高の応援ですね……。ちなみに、現在の来館者数はどれくらいですか?

2025年の実績で、年間約2万1,000人でした。ちなみに、コロナ禍前の2019年は年間約1万6,000人です。

——コロナ前より約3割増しに!

リピーターも増えています。親子連れも多く、小さなとき訪れ、大人になって自分の子と来たという人もいます。全国各地からの来館もあり、とくに関西圏から増えました。海外の方も増えています。

津山周辺の2万分の1の地形模型(ジオラマ)。開館時に、森本慶三が専門事業者にお願いして制作したという

——夏の「ナイトミュージアム」も話題になっていますよね。

毎年夏、閉館後に当館を3時間だけ開けるイベントですね。真っ暗な館内を、懐中電灯を片手に見学できます。

2014年(平成26年)からスタートしたもので、津山市役所の職員の方からヒントをいただき、映画『ナイトミュージアム』を参考に考えました。

ナイトミュージアムの様子(提供:つやま自然のふしぎ館)

——懐中電灯ではく製の目がギロッと光ったりして、怖そうです。

確かに怖がるお子さんは多いです。でも、これはお化け屋敷ではありません。動物は夜行性のものが多いです。だから「実際に自然の中で遭遇したらこうなんだ」ということを分かってもらえたらと思います。

期間中にはお盆が含まれるので、帰省して当館に家族で訪れる方もおり、津山の夏の風物詩の一つとして定着してきたと感じています。ナイトミュージアム期間中の夜の時間帯だけで1500〜1600人くらいの来館がありますね。

夜の自然の中で動物と出くわしたような迫力ある雰囲気だ(提供:つやま自然のふしぎ館)

——人気のイベントになっていますね。

開館当初は教育の側面が大きかったと思いますが、いまは観光の面でも地元に貢献できたらと思っていますね。開館した当時と環境も大きく変わっていて、いまや津山には立派な市立図書館があり、各学校の図書館も充実しています。

なので、慶三のつくった津山基督教図書館も2001年(平成13年)に図書館業務を終え、創設者・森本慶三に関する資料を展示した森本慶三記念館としてリニューアルしました。

そうそう、ちょうど2026年1月3日に、津山基督教図書館の設立から100周年を迎えました。ぜひ当館と合わせて森本慶三記念館にもお立ち寄りください。

 

津山の人にとって学びを深められる施設として

「祖父である慶三と一緒に遊んだり出かけたりした思い出はなく、ちょっと変わった人だなと思っていました」と笑う森本館長

最後に、森本館長は「博物館には役目が4点ある」と話しました。それは資料の収集保存、展示、調査研究、教育普及です。資料の保存や展示は当然のことですが、調査研究は規模の関係で難しいそうです。しかし「教育普及活動は、小さな規模の当館だからこそできること」と館長は意気込みます。

森本館長は、社会科見学で訪れてもらったり、理科の課外授業で使ってもらったりするなど、積極的に地元の学校と連携しているといいます。ほかにも、観光関連で地域の団体・企業との連携も。今後も地域に根付いた活動をしていきたいそうです。

地元の児童・生徒が足を運んで学習している「つやま自然のふしぎ館」は、創設者・森本慶三が目指した「学びの大切さを知り、学びを深めるための施設」だといえます。きっと天国で喜んでいることでしょう。

自然や生命について楽しく学べる、ユニークなつやま自然のふしぎ館へ足を運んでみてはいかがでしょうか。