こんにちは、ジモコロ編集長の友光だんごです。今日は地元の岡山へやってきました。

 

というのも、父親が変わったバイトをやると聞きつけたんです。

 

左が僕、右が父です。同じ眉毛を受け継ぎました。父は数年前に定年退職し、第二の人生を楽しみ中

 

「今度、窯焼きのバイトをしに行くんよ。備前焼(びぜんやき)の」

「備前焼って、親父の地元で昔から作られてる焼き物よね。窯焼きってことは、それを焼く手伝い?」

「3週間、火を焚き続けんといかんのよ。24時間、火を絶やしちゃいかんから、1日三交代でな」

「3週間、火を焚き続ける!」

「今回は長さ20mの窯じゃけど、もっと大きい53mと85mの窯もあるぞ。85mの窯は窯焼きの期間が3ヶ月以上。窯を作るのに27年かかったらしいわ」

「53mに85m!? めちゃくちゃ大きいな。それ、大きい会社がやってるとか?」

「いや、森陶岳(もり・とうがく)さんって作家さんが一人でやっとるよ」

「なんでそんなことを一人で……?」

 

ということで、岡山県瀬戸内市にある森陶岳さんの窯「寒風大窯(さむかぜおおがま)」へ到着。これが20mの窯です。

 

バイト中の父もいました。こんな感じで8時間、ひたすら薪をくべつづけるお仕事だそう。定年後の父、何をやってるんだ……?

 

そしてこちらが53mの窯。もはや向こうが遠くて見えません。

 

写真提供:「森陶岳大窯の世界」HP(画像加工は編集部)

 

上空から見るとこんな感じ。山の斜面につくられた、いわゆる「登り窯」と呼ばれる窯です。写真上から85m、53m、20mの窯が並んでいます。

 

ちなみに初代ゴジラが50m、平成ゴジラが80mくらいと聞くと、大きさのイメージが湧くでしょうか。山の中にゴジラくらいある窯を二つも作った焼き物作家さん、一体どんな人なんだろう……。

 

ということで、さっそく森陶岳さんにお話を伺ってみましょう。

 

窯の中身を詰めるだけで5年間

「窯焼き中、お忙しいところ失礼します!」

「はるばるおいでくださって。せっかくだから、窯の中を見ますか? 85mのほうは火が入ってないので」

「見たいです!」

 

ということで、一番大きな85mの窯の中へ。

 

「ここだけ見たら、地下道って言われても信じちゃいますね」

 

「そしてめちゃくちゃ大きい甕(かめ)!!! 大人二人くらい余裕で入れちゃう」

昔はこういう甕で酢や焼酎なんかを作っていたんですよ。窯に火を入れた時、こういう甕の中の空間に熱が溜まって、その輻射熱(ふくしゃねつ)で窯全体の温度が保たれる。それでスムーズに窯の温度を上げられるんです」

「たしかにこれだけ大きな窯ですから、中の温度を上げるだけでも相当大変そうですね。ただ火を焚けばいいってわけでもないはず」

「窯の中の空間に、空いたところができないようにしないといけない。だから、この大きな甕に小さな甕や壺を入れたものを、たくさん並べていくわけです。大きな甕を96個、その中や間に小さな作品を並べるから、相当な数ですね」

「全部で数百点、いや、もっとでしょうか……?」

「そうですね。この85mの窯だと、窯の中身を詰めるだけで5年間かかります

「詰めるだけで5年間!!!??? そうか、ひとつひとつ作品を手で作っていくわけだから」

「85mの登り窯なんて世界にもないですし、採算なんかは絶対にとれませんよ。53mの窯は1ヶ月くらいかな。どこに詰めればどんな雰囲気が出るのかとか検討を立てて、必要な作品を入れていくわけだから時間もかかります」

 

こうした「登り窯」では、上部と下部で温度の差が生じやすい。傾斜を利用し、炎を上に向かって移動させながら全体の温度を保つ技術が必要となる

 

「3つの窯がありますけど、順番に焚いていくんですか?」

「1年に1つの窯を焚きます。1年間の作品の制作を、その窯に託すわけですね」

「たしかにこの大きさだと、同時になんてとても焚けないですよね」

「そうです。お父さんにも手伝いに来てもらっとるように、例えば53mの窯だと2ヶ月間ぶっ通しで、だいたい600人夫くらいの人手がかかります。日当1万円としても、人件費で600万円。薪は4000トンくらい使うから、金がなんぼあっても足らんですよ(笑)」

「ちょっとスケールが大きすぎてクラクラしてきました」

「窯には自分の作品はもちろん入れるんですが、それと一緒に『願望』を詰め込むんです」

「願望、ですか」

「魂の入った焼き物が出てくれ、という願望です。見た瞬間に老若男女、外国の人、誰もが感動するような、“生きた”焼き物ですね。若い頃からずっと、その願望を窯の中に詰め続けとるんです

「誰もが感動するような、生きた焼き物……!」

 

失われし「生きた焼き物」を求めて

「その“生きた焼き物”というのが、陶岳さんがこの大窯で目指されているものなんでしょうか」

「そうですね。私は『古備前』というものに注目しとるんですが、なぜかというと、優れとるから。優れとるというのは、生きた焼き物になっているからです。時代が100年経とうが、400年経とうが、それを見た人、触れた人の心が動く」

「名作とされる美術作品のような……」

「そういう何百年も影響力のあるような焼き物が、古備前にはあるんです」

「そのために焼き物を続けていると」

「古備前を目指しとるというか、古備前を超える焼き物を作りたいと思っています。そこまで目指さないともう、粗大ゴミですよ。割っても邪魔になるし」

「大きいですしね(笑)」

 

「でも『古備前』と現在の備前焼は、なにが違うんでしょう?」

「備前焼というのは、非常に古い歴史なんですよ。歴史の授業で『須恵器(すえき)』というのを聞いたことがあるでしょう」

「古墳時代に、朝鮮半島から入ってきた焼き物でしたっけ」

「はい。中国の戦国時代に焼締め(やきしめ)の器の技術ができて、それが朝鮮半島を経由して日本へ入ってきて……だいたい大和朝廷の頃ですね」

 

釉薬をかけず、高温で焼成する陶器を「焼締め」といい、備前焼もこのカテゴリに入る。炎の具合や灰、窯詰めの際に作品に巻きつける藁などによって、予期しない色や模様に変わる「窯変(ようへん)」も焼締めの特徴のひとつ(写真は図録『森陶岳の全貌展』より)

 

「はじめは大和朝廷のあった関西のほうで作られ始めて、やがて岡山にも伝わってきた。この辺りには『土師(はじ)』という地名も残ってますから、古くから焼き物が作られていたのはたしかです。それで、安土桃山時代の頃まで作られていた備前焼を『古備前』と呼ぶんです。今の備前焼とは、土も製法も違う」

「どんな風に違うんでしょう?」

「それがわからんのです。わかったら、とっくに私は焼き物を辞めてます(笑)。命尽きるまでやって、『ああ、なんにもわからんかったな』で終わるんでしょうね」

「文献などに残ってないんですか?」

「残ってない。というのも室町時代の中頃から、備前焼の大量生産がはじまったんですね」

 

窯の中の温度は1200℃にも達する。窯焼きは例年10月〜翌4月に行われる

 

「すごく簡単にいうと、備前焼がこの土地の基幹産業になったわけです。それまでは暮らしのために焼いていたものを、たくさん作ってよその土地で売っていくようになった」

「この辺りの港も、かつては瀬戸内海の交易の拠点だったと聞いたことがあります」

「昔は船を使った貿易が主流でしたから、さっきの大きな甕を、酢をつくる甕や焼酎をつくる甕として、和歌山や京都、南は大分や宮崎へ送るんです。行きは焼き物を積んで、帰りは木材なんかを積んで帰る」

「岡山の一大産業だったんですね。その大量生産のために、製法も変わっていったと」

「古備前の時代は山の中腹に大きな登り窯をつくって焼いていたんですが、より効率的に、多く焼けるように窯の位置も里に下りてきて。だから、いまの備前焼は、古備前とは内容の違う焼き物になっとるんです」

「つまり古備前は、時代とともに失われた技術。オーパーツみたいですね。文献が残ってないとなると、再現するために何を参考にされているんですか?」

 

「古備前の窯跡が備前の熊山(くまやま)に残ってるので、そこへ通ってね。土を掘ったり、昔の器の欠片を探したり……そうやって手がかりを探しながら、あとは窯を作って、焼いて、の繰り返しです」

「すごい。なんだか陶岳さんが『ONE PIECE』のモンブラン・クリケットに見えてきました。人生をかけてロマンを追い続ける男……」

「モンブラン?」

「すみません、スルーしてください」

 

「神の手」に触れるための、巨大な窯

「『生きた焼き物』である古備前を作るために、これだけ大きな窯が必要だったんでしょうか」

「私はこれまで17ほどの大小いろんな窯を築いて、焼いて、二つわかったことがあるんです。一つは、窯には個性があること。人間の顔がそれぞれ違うように」

「はい、はい」

「もう一つは、全長25mくらいの規模の窯では、神の手が触れたようなものにはならないんです」

「神の手が触れたようなもの?」

「何でこんな焼き物になったんかな?というくらい魅力的な焼き物ですよ。それが、窯のどこか一角で起きるんです。50mぐらいの窯になると、毎回の窯焚きで平均して10点くらい出てくるんですね」

 

器面に溶けた灰が白く発色した「白胡麻」も、大窯によって出てきた魅力のひとつ(写真は図録『森陶岳の全貌展』より)

 

「不思議な現象が……」

「非常に神秘的なことですよ。土ごしらえや、制作方法や、いろんな試行錯誤をして、『確かさ』が確認できたら50mくらいの窯で結果を求める。火を入れて、魂が入るタイミングを待つんです。それしかない」

「『魂が入る』ために、温度管理や時間とか、データのようなものも利用されるんですか?」

「もちろん。そこに機械があるでしょう」

 

「窯の部分部分の温度をセンサーが集計して、自動で記録してるの。この記録を見ると、窯に火を入れてから止めるまでの温度管理ができてるか確認できるんです。窯には9か所に温度センサーが設置されてるので」

「へえー!」

「だから、記録と結果を照らし合わせることが大事。すばらしい、『願望』が叶ったような結果が出たら、それが今後は確かさになる」

「感覚だけではなく、データを毎年溜めて、検証しながら徐々に理想に近づけていっている」

「確かなものは積み重ねていかなければいけない。それが伝統ですから」

「陶岳さんのお父さんも備前焼の作家さんですか?」

「そうです。でも、別に焼き物を教わったりはしてません。私は学校の教師をしたあと、焼き物の道に入ってね。今と違って、器を焼けば売れていくバブルの時代に、息子が山の中を歩いて古備前の破片を拾ったり土を集めてたりしたら、たまったもんじゃないですよ」

「お父さんはなんと?」

「『お前はいつ窯を焼くんだ』と。でもね、母親が見かねて『あんたとは人格が違うから黙っとかれ』とね。まあ、そういう強い思いがないと前へ進めませんよ。うちの家族なんかはいい迷惑だと思いますが(笑)」

 

やり続けるためには「考えない」こと

「この窯をつくって何年くらいになるんですか?」

「昭和59年に初めて窯に火を入れましたね。だから、40年くらいですか。途中で3回くらい潰して形を変えたり、改造したりしています」

「そうか、窯の形の正解がわかっているわけじゃないですもんね。そこもトライ&エラーしながら。この大きさで作り直すのも途方もない作業ですね……」

「大変、大変。なかなか個人では持て余すような大きさです」

「お弟子さんはいらっしゃるんですか?」

「以前はいましたけど、いまは私だけですね。あなたのお父さんのように、窯焼きを手伝いに来てくれるような人はいるけど」

「変な質問かもしれないのですが、お一人でやってきて、気持ちが挫けそうになった瞬間はなかったですか?」

 

「もう、考えないようにしてたの。結果がわからないことをやってますから、考えると、気持ちがおかしくなる。最悪なことを考えるから。その日のスケジュールを決めたら、それだけを疲れ果てるまでやって、それで一杯飲んで寝るの(笑)」

「なるほど。考えない」

「余裕のある時間を作るとダメ。もたない。最悪のことばかり考えてたら、気が変になりますよ。仕事ができなくなったらお金も払えなくなる。焼き物を研究するために借金もしてますから。だから1日に精一杯のスケジュールを立てて、人とも合わない。門に鍵をかけて」

「ある意味、自分を追い込んでというか。目の前のことにひたすら手を動かす」

「それでも、人に会わない状態に身を置いていたら、電話がかかってくるとホッとするんですよ。何か雑音がないと、人間は落ち着いて仕事ができないんだなと」

「すごい話だ……」

「作品も作らないかん、窯も作らないかん、燃料も用意しなきゃいかん。窯に使うすごい量の薪も、自分で原木を切ってから割るわけですから」

 

「そうやって作られたこの巨大な窯を、誰かに意思を継いで使ってほしいとは思いますか?」

「それはちょっと、できないんじゃないかな? 小さい器をこんなに大きな窯で焼く必要はないし。さっきの大きな1000Lの甕は、1点作るのに3ヶ月かかるんです。手作業で、1日に5〜6cmずつ積み上げていく」

「誰にでもできることじゃないですね」

「老子なんかが言ってる『無為自然』のような世界ですよね。わからない手探りの状態で何十年も経験を継いでも、素晴らしいものはできない。人間というのは、次から次へと変化していくから。しかし80歳なのか90歳なのか、その時期が来たら、自然な形で感動を覚えながら仕事ができるようになる……と思うんです」

 

「思った通りの素晴らしいものが作れるようになる。『確かさ』を得るというか」

「そういう時期が来たら、皮肉なことに寿命がなくなっていくんですが」

「陶岳さんとして、まだそこには到達されていないんでしょうか?」

「うーん……まあ、長生きせにゃいかん(笑)。結局、次から次へと新たなものが発見できて進んでいくので、『これだ!』というものが掴めない。極めることができないんですね」

「ロマンへの道は険しい……」

「こんな話をしても、なかなかわからんでしょう」

「いや、とても面白いです」

「そうですか。わからないからいいんですよ」

「人生を懸けた挑戦ってよく聞く言葉ですけど、今日ほど痛感したことはないです!」

 

おわりに

「備前焼」は小さい頃の僕にとって、祖父の家にずらりと並んでいる「なんかすごそうな焼き物」でした。正直、当時は魅力を感じられなくて。でも、大学進学で岡山を離れた頃から、不思議と「いいな」と思うようになったんです。

 

色鮮やかな模様を施された他の産地の焼き物と比べて、地味ではあります。だけど、だからこそ、毎日使っても飽きない。気づけば家の食器棚に備前焼が増えていきました。その話を亡くなる数年前の祖父にしたとき、「そうか、そうか」と嬉しそうな顔をしていたのを今でも思い出します。

 

いつか備前焼の記事を書きたい、という個人的な思いではじまった今回の取材ですが、はじめは陶岳さんの窯のスケールに、最後には人生の凄みに圧倒されていました。

 

記事中では触れていませんが、陶岳さんは皇居新御所や伊勢神宮、ニューヨークメトロポリタン美術館やボストン美術館にも作品が収蔵されている、すごい作家さんです。改めて貴重なお話、本当にありがとうございました!

 

 

☆森陶岳さんプロフィール
1937年、岡山県備前市伊部生まれ。岡山大学教育学部特設美術科卒後、中学の美術教師を経て陶芸の道に入る。日本陶磁協会賞、山陽新聞賞(文化功労)、日本陶磁協会賞金賞、文化庁長官表彰、紫綬褒章、福武文化賞、岡山県三木記念賞などを受賞。岡山県指定重要無形文化財保持者。

 

編集:くいしん
撮影:篠原豪太