※本日の記事はポーランド国家財団の提供でお送りします。

こんにちは、ライターのヨッピーです。

突然ですが、皆さんはこんな話を知っていますか?

 

という話。

ちなみに僕はぜんぜん知らなかったんですよね……!

 

そして本日は「このポーランド孤児の話をぜひ日本の皆さんに知って欲しい!」という依頼を受けて、ポーランド共和国大使館にやって参りました。

 

やばい!緊張する!

(同行したジモコロ編集長)僕、大使館に入るのはじめてです……!

しかもポーランドの駐日大使に会うんでしょ。いやー、大丈夫かな。

なんか心配ごとでもあるんですか?

 

 

朝ごはんに駅でカレー南蛮そばを食べたら汁が飛びました。

日本の恥。

でもよく見たらビックリマークに見えるから「そういうデザインのTシャツかな?」って勘違いするかも。

お願いだから大人しくしてください。

 

大使館の中!

 

ここはもう、日本国内じゃなくてポーランド国内という扱いになるそうです。

 

そして駐日ポーランド共和国大使が現れた!

 

駐日ポーランド共和国大使

パヴェウ・ミレフスキさん

1975年生まれ。ポーランド共和国外務省入省後はアジア・太平洋諸国問題に従事。2017年ポーランド共和国外務省アジア・太平洋局局長に就任。

駐日ポーランド共和国大使館 公式X(旧Twitter)

 

 

駐日ポーランド共和国大使に聞く日本とポーランド

初めまして。カレーの汁をつけたTシャツですいません。

ようこそいらっしゃいました!

なんでも、このポーランド孤児の話も含めて、日本の人に「もっと知って欲しい!」と思うことがあるんだとか。

はい。ポーランドと日本はとても離れた国ですし、ヨーロッパの他の国、例えばドイツやフランス、スペインといった国のほうが日本の方々にとっては身近に感じるのではないかと思います。残念ながら、ポーランドの人は日本の事をよく知っていても、日本の方々はポーランドの事をあまりよく知らないんですね。

まあ、それは確かに。僕も「ポーランド」って聞くと「苦労した歴史を持つ国だ」って思うくらいで、文化など他の事はあまり知らないかも……。

そうでしょう。何故そうなってしまったかと言いますと、ポーランドは1989年まで共産主義の国でしたから、アジアの資本主義の国である日本との結びつきが弱かったんです。でも、冒頭でご紹介したポーランド孤児を日本の人達に救って頂いたりした事や、「命のビザ」ってわかりますか?

あの、ユダヤ難民に杉原千畝がビザを発行した話ですよね?

そうです。杉原千畝氏が発行した命のビザ(通過ビザ)を手に、日本に入国した人々を初代駐日大使であるタデウシュ・ロメル大使が日本で迎えて世話し、奔走して色んなところに掛け合って、次の行先となる国へ無事に逃れられるように計らった、と。

 

タデウシュ・ロメル大使

 

だからポーランドの人は今でも日本に深く感謝しているんですが、こういった話を、日本の方々があまり知らなかったりするんです。

うーーん、たしかに……。

それに、日本は広島・長崎に原爆を落とされ、完全に破壊された町の復興を成し遂げた国です。そんな日本人にポーランドの人は親近感を覚えるんですね。ポーランドも苦しい歴史を持っている国で、第二次世界大戦はナチスドイツによるポーランド侵攻にはじまり、首都ワルシャワも徹底的に破壊され、600万人のポーランド人が命を失いました。それでも日本の皆さんと同じように、ポーランド国民も力強く立ち上がったのです。そんな共通点を持つ国であることを、まずは知って頂きたいのです。

 

今ではロシアによる侵攻の影響で、1700万人ものウクライナ難民がポーランド国境を越えました。これは日本の方々にとっても決して他人事ではないのです。グローバルに見るとやはり、日本とポーランドはもっと密接に、協力し合って生きていかなければなりません。

すいません、ポーランド国民にとっては日本っていう国は意外と身近に感じて頂けているっていうことですか?

そうです。ポーランド国内において、アジアの言語の中では一番勉強されているのが日本語ですし、アジア料理のレストランの中では日本料理のお店が一番多いんですね。それに若い人達にとってはやはりアニメの存在感がものすごく大きいんですよ。ポーランドの子ども達は日本のアニメを見て育ちますから。

なるほど。そんなの全然知らなかったな……。

あとはポーランド国内にはトヨタ自動車の工場など、日系企業もたくさん進出していて4万人の雇用を産み出しています。だから日本との貿易関係においては自動車の部品なんかが多いですね。ポーランドからの輸出品としては最近、食器がとても人気です。

 

ポーランドの良い所ってなんでしょうか。

まずは美しい町並みと、豊かな食文化です。

 

 

ヨーロッパの観光と言いますと、日本の人は有名な観光地であるパリやローマに行かれる事が多いかと思いますが、そういった場所に行った人達も、ポーランドやチェコ、ハンガリーに行くと「ものすごく良かった!」と言うんですね。

あーー、それはわかる気がする……。ローマは行った事ありますけど、とんでもなく人が多いし治安もあんまりよくないし……。

ポーランドはヨーロッパの中央に位置していますから、東と西の文化が混ざるんです。おかげで非常に豊かな食文化を作り上げているんですね。

 

ポーランドの国民的料理「ピエロギ」

肉や野菜などの具材をモチモチの皮で包み、蒸したり焼いたりして食べる

 

ポーランドの国民的料理「コトレット」

日本のトンカツに似た料理。豚肉をたたいて薄くのばし、細目の パン粉を使って揚げる

 

いやー、でもマジで中央ヨーロッパの国々はいつか行きたいと思ってるんですよね。ワルシャワももちろんそうですけど、プラハとかブダペストなんかも街並みがめちゃくちゃ綺麗ですよね。

その通りです。大阪万博にはポーランド館も出展しますから、ぜひ遊びに来てください。

 

ポーランドはアートも盛んらしい。

 

我々はポーランド孤児やユダヤ難民のエピソード、そして両国の歴史を通じて「困っている人に手を差し伸べることに、国境は関係ない」いう事を学びました。今、日本では敦賀への北陸新幹線開通のニュースが非常に話題になっていますが、その敦賀駅の近くにある「敦賀ムゼウム」という資料館にはポーランド孤児のお話やユダヤ難民の話が展示されていますので、そちらもぜひ見てきてください!

敦賀ムゼウム……?

 

 

敦賀に来てみた

というわけで大使直々に「行ってくれ」って言われたら行かないわけにもいかないので「敦賀ムゼウム」にやって参りました!

 

内部はこんな感じ

 

敦賀ムゼウムでは敦賀港の歴史や、大使のおっしゃったポーランド孤児やユダヤ難民にまつわる展示がなされています。

 

北前船の寄港地として栄えた敦賀港は日本海に面した良港なので、航空機が発達する前はヨーロッパへの玄関口としても大活躍だったそうだ。敦賀からウラジオストックを経由し、パリまで行く欧亜国際連絡列車が当時の日本からヨーロッパへの最短ルートだったらしい。与謝野晶子もこのルートでパリまで行ったんだとか。

 

そして1795年、ロシアの侵攻によりポーランドという国が失われ、ポーランドの人々は何度も独立運動を起こしますが、その都度ロシア帝国によって鎮圧され、運動に加わった人達は政治犯として、祖国から7500kmも離れたシベリアの地に送られました。その数は15万人から20万人と言われています。

 

更に1917年、ロシア革命が起こり、内戦状態になった事から共産主義に反対するポーランド人が迫害を受けました。大勢の大人たちが命を落とし、極寒のシベリアの地で孤児たちがとり残されてしまう事になったのです。まだ年端も行かない少年や少女が、貧困や飢餓など、命に関わる窮地に立たされたのであります。

 

そして終戦後の1919年、シベリアに取り残されたポーランドの子ども達をなんとか救わなければ、と立ち上がったのがアンナ・ビルケウィッチ女史です。

 

このアンナ・ビルケウイッチ女史が日本政府に助けを求め、日本政府及び日本赤十字社が動きました。

 

シベリアで集められた763人のポーランド孤児達は幾度かに分け、日本政府及び赤十字社の手引きでウラジオストックから敦賀港に上陸し、敦賀を経由して東京では福田会(ふくでんかい)、大阪では日本赤十字社が彼らを手厚く保護し、そしてアメリカ経由、もしくは船でヨーロッパを経由して祖国に帰っていったのであります。

 

当時の孤児達の手記。

 

そしてこちらは第二次大戦時のユダヤ難民の避難経路。この際もやはり敦賀港から受け入れられた事から、「人道の港 敦賀」などと呼ばれるらしい。

 

館長から説明を受ける僕。

いやー、こういう歴史ぜんぜん知らなかったな~。

 

この敦賀ムゼウムにはユダヤ難民の子どもやその孫がイスラエルなどヨーロッパの国からたくさん来るそうです。
北陸新幹線が通ったことで東京からも気軽に来れるようになったので、是非皆さんも敦賀に来た際は足を運んでみてはいかがでしょうか。

 

 

そして日本赤十字社にも聞いてみた

そして最後に、実際に孤児達を受け入れた日本赤十字社にもお話を聞きにきました。

 

ご対応頂いたのは日本赤十字社の広報室 赤十字情報プラザの大西さんです。

 

ちなみに赤十字についてはどのくらいの事をご存知ですか……?

いや、考えてみたら「赤十字」って当然、誰でも名前も知ってるじゃないですか。でもよく考えたらその赤十字の詳しい歴史とかってあんまり知らないんですよね……!

なるほど。ではご説明しますね。

 

まず、赤十字の創始者はアンリー・デュナンというスイス人です。この人がイタリアで起こった戦争の悲惨さを目の当たりにして、負傷者を救護する組織づくりを提唱し、そして国際条約で保護する事を求める運動をはじめたんですね。これによって1863年にジュネーブ条約(赤十字規約)が成立しました。

「赤十字のマークを付けた人や建物なんかを攻撃してはいけない」とかそういうのを決めたって事ですよね。

そうです。「苦しむ人を敵味方の区別なく救護する」というのが大きな目的です。この功績でアンリー・デュナンはノーベル平和賞の第1回の受賞者となりました。そして、日本においては佐賀藩士であった佐野常民(つねたみ)が1867年のパリ万博で赤十字の展示を見て非常に感銘を受けたんですね。「赤十字こそ文明開化だ」と。そして日本に戻ってから西南戦争が起こり、「負傷兵を見捨てるなんて、人情として我慢できない」という事で博愛社という日本赤十字社の前身を設立しました。

 

西南戦争の後、博愛社を発展させ、日本政府のジュネーブ条約加入を支えたのはこの方々です。見ての通り錚々(そうそう)たる面子ですね。

大隈重信に渋沢栄一に伊藤博文ってたしかにすごい顔ぶれ。

 

ちょっと気になったんですけど、この赤十字のマークはわかるんですが、この赤い月?のマークはなんですか?

あ、良いところに気付きましたね。では少し、赤十字のマークのお話をしますね。赤十字マークは創始者であるアンリー・デュナンをはじめとする5人がスイス人であったことがきっかけで、スイスの国旗を赤白逆転させたものです。

赤十字って英語でなんて言うんですか?

RED CROSSです。そのまんまですね。で、この赤い月のマークは「赤新月(せきしんげつ)」って言います。英語だとRED CRESCENTですね。このふたつのマークは共に「攻撃してはいけない」「中立」「保護」という意味合いがあり、ジュネーブ条約で定められています。活動する国によって、使用するマークが異なるのですが。

あーなるほど!イスラム教の国だと十字架っぽいデザインがよろしくないからか!

そうなんです。宗教上の意味があって十字のモチーフにしているわけではないのですが、十字だとキリスト教を連想してしまいますので、イスラム教国にある組織の多くはこの赤新月を採用しています。ちなみに、この赤十字も赤新月もジュネーブ条約によって厳格に保護されているので、赤十字ではないクリニックや薬局、服装や装飾に使用してはダメなんですよ。このマークは戦時下における「保護」の意味があり、法律によって使用できる組織や使い方が定められています。

そうなんだ……!なんとなく「医療」の象徴みたいなものかと思ってた……。

 

「赤十字」と聞いて何を連想しますか?

まあ、病院とか献血ですかね……? 広尾の日赤に入院してた事ありますし……。

そうですね。赤十字の病院は日本中にありますね。でも赤十字の病院って、救い護る人、「救護員」を確保するために設置されたんですよ。大きな災害や紛争が起こった時に多くの命を救わなければいけない。そのためには医師、看護師、薬剤師など医療救護を行う人員をたくさん確保しなければいけない。そのために赤十字の病院があります。日本赤十字社の救護員は現在5,000人以上いて、いざ、という時に派遣される順番がシフトで決まってるんですよ。

ちなみに派遣される時はチーム編成「救護班」として被災地に向かいます。そして数日間で交代しながら、区切り無く活動することが可能になっています。それを支えるのは全国6万7,000人以上の職員の存在です。

へーーー!そうなんだ!

最近では能登地震がありましたが、災害が起こった時に、慌てて「じゃあ東京から〇〇人、大阪から〇〇人呼ぼう。呼ぶのは誰にしようかな」なんてやっていたらお医者さんによっては手術の日程が決まったりするから調整するのが大変じゃないですか。調整に時間がかかるとその分だけ救える命が少なくなるので、常に前もって決まってるんですよ。「今週何かあったら貴方が当番で現地に行かなければいけませんよ」「何かあるとこの人とこの人が現地に行って抜けるからその時はこのメンバーでバックアップしてください」という具合に。

ぜんぜん知らなかった……! 面白い……!

 

そしてポーランド孤児の話ですね。もう彼らを引き受けてくれる国がどこにもなく、日本で引き受けてくれないか、という事で日本政府が依頼を受けて赤十字が窓口として受け入れるんですが、とにかく子どもたちの栄養の状態が悪く、怪我や病気もありますし、一時期は腸チフスが蔓延して、命の危険が及びました。結果的に763人の子ども達は誰一人欠けることなく祖国に帰ることが出来ましたが、その子ども達の看護にあたった松澤フミさんという看護師の方が腸チフスに感染してお亡くなりになっています。

 

そしてポーランド孤児が無事祖国に帰国した1年後、1923年9月に関東大震災が起こります。10万5,000人以上の方がお亡くなりになりました。ここでも赤十字は日本中から医師・看護師・スタッフを集め総勢3,561人の救護員が救護活動を行いました。当時は約30カ国から寄付や支援物資を贈られまして、中には医師や看護師を派遣してくれた国もありました。こういった、自然災害への大規模な国際救援は関東大震災が初めてのケースなんですよ。

 

そして私がこの記事を読んでいる方々にお伝えしたいのは、ポーランド孤児をはじめとるする国際救援を日本が行い、多くの命を救った事が事実だとしても、日本はむしろ圧倒的に世界から助けれられてきた側だ、ということです。

言われてみれば確かに……。

関東大震災に阪神・淡路大震災、そして東日本大震災、それ以外にも多くの災害時に日本は多くの国々から支援をいただいてます。このように助けてもらった事は忘れてはなりません。なぜなら、今、私たちの命があるのは、そのおかげかもしれないからです。だからこそ、他の国で何かあった時には恩を返すためにも、日本が積極的に支援しなければならないと思っています。

 

 

ウクライナで支援活動してる人に話を聞く

そして日本赤十字社のスタッフとして現在、ウクライナへの支援活動を担当していらっしゃる松山さんにもお伺いしました!

 

ウクライナ赤十字社ERチーム

 

ウクライナでは地理的な要因もあって、主に国際赤十字とヨーロッパの赤十字がメインで支援しておりまして、現地ではだいたい200人くらいの国際スタッフが地元ウクライナ赤十字社の支援にあたっております。私はたびたびキーウなどを訪れて、現地の要望に沿ってどういった支援を行うか調整するような仕事をしています。

「今こういうのが足りないからこっちから送ってください」みたいな?

まさにそうです。「こういう専門家が欲しい」とか「こういう医療物資が欲しい」という現地の要望に基づいて、じゃあどこから何を送ろうとかそういう調整をするんですね。例えば、紛争が起こると足や手を失ってしまう方が出てきてしまうので、そういった方々に対するリハビリの需要が高まるんですが、ウクライナはリハビリテーションの技術がまだまだ発展途上であると。なので日本から専門家を連れていってノウハウを教えるんですね。

こういうのってすごくお金がかかりますよね……?

そうですね。我々は大きな人道危機が起こると「海外救援金」という寄付金を募るんですね。ウクライナ人道危機では2年間で91億円ものご寄付を頂いているんですが、最初のうち日本赤十字社は資金支援に徹していましたのでうち50億円を支援金として国際赤十字に送りまして、今はウクライナ赤十字社とコンタクトを取りながら、残りの40億円の資金を使ってそういった支援活動を行っています。

 

ウクライナ赤十字社子ども救急法

 

あとこれはウクライナ赤十字社で、赤十字らしいな、と思った活動なんですけれども、子どもたちに向けて救急法の講習を行ったりしているんですね。

こういうのを子ども達に教えなければいけない、っていうのはなかなか残酷な現実ですね……。

そうですね。でも、子ども達も日々この紛争に直面しているのが現実ですから、命を守るためには、こういう事も必要なんです。

難民の数もすごいんですよね。

そうですね。特にポーランドには多くの人が逃げ込んでらっしゃってて、ポーランドだけで100万人ものウクライナ難民がいると言われています。逃れている人の多くは女性と子ども達なんですね。そして紛争が長引き、この先どうなるかわからない中で、子ども達が避難先で学校に通えないとか、心のケアをしなければいけないとか、そういう問題が発生しているんですよ。言葉の壁もありますからね。

 

ポーランド赤十字社の ウクライナから避難した人向けのコールセンター

 

そんな中でポーランド赤十字社は相談のためのホットラインを設けたりですとか、ウクライナ赤十字社は子ども達にプレゼントを配ったり献身的な対応をしています。

なるほど。ポーランドの孤児を日本が助けて、ウクライナの難民をポーランドが助けて、みたいに循環してるわけですね。

 

ウクライナ赤十字による子ども達への救援物資配付

 

そうですね。関東大震災の時も、東日本大震災の時も世界中から莫大な支援を頂きましたし、困っている人がいたら出来る人が出来ることをする、支援する、という姿勢は世界中の赤十字が設立して以来変わってません。人間は誰しもが歳を取りますし、高齢になるとどうしても人の手を借りないと生きていけない事もありますから、自分が出来る時に誰かを助けて、自分が困ってる時は誰かに助けられて、という循環、「助け合う」という循環は当たり前の事なのかもしれないですね。

なるほど。めちゃくちゃ勉強になるな……。今日はためになる話をありがとうございました!

ありがとうございました!

 

 

 

……というわけで大使! ばっちり取材してきましたよ!!

 

そして最後に、日本赤十字社の方から頂いたパンフレットの裏表紙に、書いてあったこのスローガンがグサッと刺さったのでご紹介して終わりにしたいと思います。

 

【提供】
ポーランド共和国国家財団

【取材協力】

在日ポーランド大使館
https://www.gov.pl/web/nippon

敦賀ムゼウム
https://tsuruga-museum.jp/

日本赤十字社
https://www.jrc.or.jp/

【企画・編集】

株式会社バーグハンバーグバーグ
https://bhb.co.jp/