富士山のふもとにある山梨県富士吉田市で、毎年秋に開催される「ハタフェス」ことハタオリマチフェスティバル。今年9年目を迎えるこのイベントは、今や来場者数2万4000人を誇る祭り。富士吉田市の人口の半分以上の人々が、2日間でこの町に集まります。

富士山を望む富士吉田の町がイベントの会場に。歩行者天国となった商店街や路地、広場など、町のあちこちにブースが出店する

そんなハタフェスには、3つの奇跡があるんです。

1つ目は、発起人の3人が偶然、山梨へ相次いで移住してきていたこと。彼らが出会っていなければ、今のハタフェスは生まれませんでした。

2つ目に、ハタフェスをきっかけに地元の伝統産業が再び脚光を浴びたこと。

富士吉田はかつて日本を代表する織物産業の中心地でしたが、時代とともに産業も衰退しつつありました。そんな富士吉田の織物産業に光が当たる一つのきっかけが、ハタフェスだったんです。地元の職人たちが再び活力を取り戻し、新しいものづくりが生まれ、町に新たなうねりが起きています。

3つ目に、市職員の力強いサポートがあったこと。町を愛する自治体が、発起人たちと同じ熱量でこのイベントを支えてきた。それもハタフェスが継続できている大きな理由です。

そんなハタフェスは今年で9年目、今や日本を代表するローカルイベントになりました。町だけでなく産業にも光を当てたその力に、全国の自治体がロールモデルとして注目するほど。

一体どうやってハタフェスは生まれ、ここまで大きくなったのか? 今回はハタフェスを立ち上げた4人に話を聞き、その軌跡を追います!

 

【話を聞いた人たち】

土屋誠

クリエイティブデザイングループ「BEEK DESIGN」代表。山梨の魅力を伝えるフリーマガジン「BEEK」の制作をはじめ、広告制作やイベント、パッケージデザインなどを手がけ、ものやことを伝える仕事をしている。

 

藤枝大裕

服飾専門学校を卒業後、撚糸メーカー、手紙社を経て独立、山梨へ移住。「装いの庭」という屋号で、“装うこと”にまつわるブランドや作家、お店を応援する活動を続けている。

 

赤松智志

合同会社OULO代表。学生プロジェクトを経て、地域おこし協力隊として富士吉田市に移住。SARUYA HOSTELの立ち上げやNPO法人かえる舎の副代表もつとめ、”ローカルの当事者を増やす”事業を行う。

 

勝俣美香

2015年に富士吉田市役所富士山課に異動。2016年に新倉山浅間公園桜まつりやハタオリマチフェスティバルを初めて開催する。その後、飲み屋街「西裏」活性化事業やSHIGOTABI事業、fuji textile week テキスタイルとアート事業などを富士山課として手がける。

 

3人の立役者が、偶然山梨に集まった「1つ目の奇跡」

左から、赤松さん、土屋さん、藤枝さん

ハタフェスの中心人物であり発起人は、山梨のフリーマガジン『BEEK』編集者の土屋誠さん。山梨出身の土屋さんは、東京の出版社で働いたのち、2013年にUターン。雑誌『BEEK』を創刊し、山梨に暮らすさまざまな人やものの魅力を伝えていました。

フリーマガジン『BEEK』は現在までに6冊が発行されている

ーー発起人の3人のうち、最初に声がかかったのは土屋さんだったんですね。

土屋さん「山梨県で産業支援をしている方が『BEEK』を読んで連絡をくれて、富士吉田の織物の魅力を伝えるフリーペーパーを作って欲しいと言われたんです。

織物のことを全然知らなかったから、最初は僕には難しいと断りました。でも、そんな知らない人に向けて伝えるものを作りたいと食い下がられて。それをきっかけに、富士吉田市へ通うようになりました」

この地に伝わる織物産業の魅力、そして伝統を継ぐ魅力的な職人のこと。取材を重ねて、土屋さんは富士吉田の織物を伝えるフリーマガジン 『LOOM(ルーム)』を作りました。

2016年に発行されたフリーマガジン『LOOM』

けれど、雑誌だけで終わらせなかったのが土屋さん。

土屋さん「たくさんの人に富士吉田の織物の魅力を知ってもらうには、ただ紙媒体を作るだけじゃだめ。なにか人を呼び込めるイベントができたらいいなと思ったんです」

ーーどんなイベントを企画したんですか?

土屋さん「富士吉田を訪ねたときに印象的だったのが、町に響く機織り工場の音。ならば『音』をテーマにイベントをやったらどうかと。甲府で活動する友人のミュージシャンに、機織りの音をコンセプトに曲を作ってもらい、音楽会を開きました」

のちにハタオリマチフェスティバルのテーマソングにもなった曲「LOOM」。音楽会はたくさんの人に来てもらうため、あえて富士吉田ではなく甲府で開かれました。

そこに偶然足を運んだのが、富士吉田市の職員で、のちにハタフェスを立ち上げることになる勝俣美香さんです。

昨年のハタフェスでの、発起人4人の集合写真の撮影風景。左から2番目の女性が勝俣さん

土屋さん「音楽会の後、勝俣さんから連絡が来て、富士吉田市を盛り上げるイベントを一緒に企画してほしいと言われました。でも、まだ山梨に戻ってきて3年目。町のこともそんなに知らないし、イベント運営のノウハウもないから無理だって最初は断ろうとしたんです。

だけどその時、ふと頭に浮かんだのが藤枝くんと赤松くん。ちょうど同じくらいの時期に山梨へ移住してきていた2人とチームを組んだら、やれるかもしれないと思ったんですよね」

藤枝大裕さんは、服飾の専門学校を卒業後、撚糸メーカーを経て、『東京蚤の市』や『紙博』などの人気イベントを主催する『手紙社』で働いていました。

その後、独立し、山梨に移住してきた藤枝さん。イベント運営のノウハウがあり、テキスタイル関係の知識と人脈も豊富で、まさにハタフェスに必要な存在でした。

一方で赤松智志さんは、当時、地域おこし協力隊として富士吉田に来て3年目。町のホステル「SARUYA HOSTEL」を立ち上げたり、地域のお祭りを企画したりと、町の人たちからの信頼も厚く、地域を繋げる架け橋として不可欠な人物でした。

ーーたまたまプレーヤーが富士吉田に集まってきてたんですね! 面白い。

土屋さん「今思えば、この3人じゃなかったらハタフェスはできなかったと思います。織物周りは藤枝くんで、現場の調整は赤松くん、僕は広報・デザインと、得意分野がはっきり分かれていたんですよね。だから、イベントは立ち上げからスムーズに進んでいきました。

それにお互いの仕事を信頼しているから、ぶつかることもなかった。9年目になるけど未だに喧嘩もなく続けてこれているのは、このメンバーだからだと思います」

 

織物産業に光を当てた「2つ目の奇跡」

そして2016年の秋、第1回ハタフェスが開催。構想が始まってから開催まで5ヶ月。かなりの突貫スケジュールでしたが、蓋を開けてみれば2000人近い人が集まる幸先のよいスタート。でも、主催者の3人にとってはそうでもなく……ここからが試練の始まりだったとか。

藤枝さん「今だから言えるけど、最初の数回は特にしんどかったですね。一部の人が盛り上がる内輪イベントにするんじゃなく、町の人に『心から参加したい』と思ってもらえるものにするのは、やっぱり難しくて。とくにテキスタイル関係は、出店者もお客さんもわざわざこのイベントに関わる理由をつくることが、最初は難しかったです」

赤松さん「そもそも9年前には、全国でもハタフェスのようなローカルイベントの前例がほぼなかった。地元で理解を広げていく方法もわからず、何もかも手探りでしたね」

ーー今でこそ地元の産業を盛り上げる町ぐるみのイベントも増えましたけど、当時はまだ黎明期だったんですね。

土屋さん「でも、『町ぐるみ』ということには立ち上げた当初からこだわっていました。イベントの名前を『ハタオリ”マチ”フェスティバル』にしたのも、機織り産業はもちろん、富士吉田の町全体を知ってほしいし、盛り上げたいっていう思いがあったから。だから会場のレイアウトも、あえて出店場所を町の路地裏に点在させたんです」

ーーーそれって、かなり大変じゃないですか? 分散すると、それぞれの出店場所との交渉や調整が発生するわけですよね。

赤松さん「本当にそうなんですよ(笑)。出店場所ってひとつ増やすごとに、近隣への理解説明と、搬入出経路の準備、設営と運営側の手間は多くなるばかり。効率だけを考えるなら、1箇所にまとめたほうが絶対に楽です。

それでもあえて増やしているのは、路地裏までおもしろい富士吉田の町並みを、くまなく見て回ってほしいから。ここだけは譲れなくて、今でも毎年ヒーヒー言いながらやってます」

ハタフェス当日には、町のあちこちにブースが点在。路地を巡るのも、ハタフェスの楽しみのひとつ

そんな試行錯誤を重ねながら続けていたハタフェスは、第3回がひとつの転機になりました。

藤枝さん「その年、東京造形大学の学生と富士吉田の機織り職人がコラボレーションしてテキスタイルを作っている『フジヤマテキスタイルプロジェクト』の10周年展をハタフェス内で開催してもらったんです

そうしたら例年以上に繊維やテキスタイルデザイン関係の人が多く会場に来てくれて、『ハタオリ』の部分がはじめて日の目を見た気がしました」

 
 
 
 
 
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山梨県富士吉田市・西桂町の機屋さんと東京造形大学テキスタイル科の学生による産学共同プロジェクトとして、現在も続く『フジヤマテキスタイルプロジェクト』

少しずつ広まってきた、ただの祭りではない『機織りの町の祭り』という認知。そのまま地域の目も少しずつ変わり、買い手である来場者にも変化が現れました。

そして同時に、買い手である来場者にも変化が。老舗機織り屋の15000円近くする傘や、1着数十万円もする織物のコートが売れるなど、回を重ねるうち、地元職人のブースの売り上げが伸びるように。「ハタオリマチフェスティバル」の名前とイベントの中身がようやく重なってきたのです。

ーー数万円の商品が、野外イベントで売れていくってすごいですね。お客さんも、ちゃんと「買いに来ている」んだと感じます。

赤松さんハタフェスというイベントと、そこで販売される職人の品物が、ちゃんとブランド化してきている証だと思います」

藤枝さん「もともと富士吉田の機織産業は、着物やネクタイのメーカーに生地を卸すBtoBがメイン。作っているものが高級品のため、地元の人や町に来た旅行客に商品を販売するイメージを持ってる人は多くありませんでした。

でも、イベントに来てくれたお客さんとふれあうことでインスピレーションを得て、今では織物をつくる町の文化ごとプレゼンテーションし始めた方もいます」

「ハタフェスは、ものづくりの醍醐味や喜びを感じられる場所」と話すのは一、『Watanabe Textile』の渡邊竜康さん。渡邊織物という富士吉田の老舗織物メーカーの3代目で、もともとは服の裏地をメインで作っていましたが、ハタフェスでの手応えも後押しとなり、裏地の製造に加え、自社製品の販売を強化していくことに

今ではブランケットやストールが大人気になり、ハタフェスでは真っ先に渡邊さんのブースに人が並ぶことも。

ーー職人さん視点で、ハタフェスはどんなイベントでしょうか?

渡邊さん「裏地のOEMがメインだった頃は、お客さんとじかにコミュニケーションがとれる機会はほとんどありませんでした。ですが、僕が自社ブランドを作ったタイミングと、ハタフェスが始まったタイミングがちょうどリンクしていて、ハタフェスは目の前で反応が見られる貴重な機会になっていったんです。

考えながらものを作る上で、ハタフェスの経験はすごく励みになっています。喜んでくださっているのを見ると、自分の作るものに『これでいいんだ』と自信が持てるんです」

都内の有名セレクトショップでも多く取り扱われる『Watanabe Textile』のブランケットやストール。その手触りと暖かさに、長く愛用するファンも多い

ーー今はSNSもありますけど、やっぱり生の反応は大事ですよね。BtoBが中心の職人さんにとっては、より貴重な機会だと思います。

渡邊さん「直接、反応を感じられるおかげで僕自身もモチベーションが上がり、より自分が作りたいと思えるものを作ろうという意識が強くなります。

また、出店者同士の交流など、新たな出会いの場としても貴重です。ハタフェスを通じて出会った方との新しい仕事やお取引も始まって、創作の幅が確実に広がりました」

こうした職人さんたちの変化も偶然ではなく、実は土屋さんたちの狙いのひとつ。ハタフェスの出店者は公募制ではなく、発起人の3人が直接声をかけて集める指名制です。

「出店することが刺激になり、新しい繋がりが生まれるはず」「本人にとってもプラスになるはず」と思う人に声をかけることで、祭りの後に続く新しいうねりを演出している、と土屋さんは言います。

「流しの洋裁人」という屋号で、イベントを中心に服を仕立てる原田陽子さんも、そんなうねりに呑まれた一人。

もとは関西で服飾の講師をしていた原田さんに、藤枝さんがオファーをして、はるばる関西から出店。その後、富士吉田に魅せられて移住し、今は町にアトリエを構え活動しています。

原田さん「ハタフェスのすごいところは、富士吉田という町のすべてがうまく活かされていること。富士山の麓の素晴らしい景色も、古き良き町並みや、機織り産業も。

そして何よりここに住む人たちが活躍していて、学生から市役所の職員、商店街のおばあちゃんたちまでが、当日はボランティアスタッフとして参加したり、出店者ではないけれど、自分の店の軒先でいろんなものを販売したり(笑)。とにかく皆が楽しんで、いきいきと動いているんです」

ーーハタフェスの現場には「町ぐるみでイベントを楽しんでいる」空気を感じました。その理由は、それぞれに役割があるからなんでしょうね。

原田さんハタフェスは、町の人に役割を作るきっかけ。役割を実感すると、皆その町にもっと関わりたいと思うし、町が好きになる。そんないい循環が生まれているんじゃないかと思います。

私自身も都会から富士吉田に越してきたのは、ここに住む人が生き生きして見えたから。そこにはやっぱりハタフェスが大きく貢献していますね」

 

自治体が力強くサポートしてくれた「3つ目の奇跡」

富士吉田市 経済環境部 富士山課の課長を務める勝俣美香さん

そんなハタフェスを自治体の立場から支えてきた重要な人物が、富士吉田市職員の勝俣さん。あの音楽会「LOOM」に足を運び、土屋さんに声を掛けた女性です。

ーー勝俣さんが最初に土屋さんへ声をかけた理由は何だったんでしょう?

勝俣さん「当時の私は富士山課に異動になった1年目で、富士山の麓にあるこの町に、もっと人を呼び込めるような企画を考えてほしいと上司から言われていた頃でした。そんな時、偶然聞きに行ったLOOMの音楽会に感動して。こんなイベントを富士吉田でやりたい! と思い、すぐに土屋さんへ連絡しました。

なににグッと来たかって、ハタオリを主役にここまで感動的なコンサートが開けるって可能性に気づかせてくれたことなんです」

ーー市役所内からは、なかなか生まれない視点だった?

勝俣さん「まさにそうなんです。観光業では、やっぱりそのイベントが開催されている間だけじゃなく、その後も町にお金が回る仕組みが続いていってほしい。その後もちゃんと続くかどうかは、外から何かを持ってくるんじゃなく、その町に根付いているものを、いかに中心に据えるかだと思うんですね。

だからイベントをやるにしても、ちゃんと長くその町に残るものにするために、昔からこの町に根付いている織物産業を生かしたかった。そんな中で偶然LOOMを知ったのは、今思い返しても奇跡でした」

昨年のハタフェスで、富士吉田のブランド「オールドマンズテーラー」の衣服に身を包み参加した勝俣さん

それでも、新しい試みにはさまざまな出来事もあったようです。

勝俣さん「今だから言えますが、最初に土屋さんがデザインしてくれたハタフェスのチラシを見せたとき、上司の反応が全然よくなかったんです」

ーーそれはなぜ……?

勝俣さん「当時の市役所で『良い』とされていたデザインと、そのチラシがかけ離れていたんでしょうね。人の目に止まるようなデザインを考えてもらっていたのに、そもそも、その『良さ』を理解してもらうことが難しいんだと知りました。

でもその時に、これからのチラシは、いかに人に目にしてもらうか、いかに興味を持ってもらうかが大切と上司に話をしました」

ーー勝俣さんのように言ってくださる方の存在は、外部のクリエイターにとっては心強いと思います。価値観のギャップをどう埋めていくか、はとても大切ですね。

勝俣さん「それならせめて『富士吉田市』という文言だけでも入れてと上司に言われて、土屋さんに小さく入れてもらってね(笑)。そんな折衝をひたすら繰り返していたのを覚えています。

ハタフェス自体の企画を通すのにも、上司とは何度も話し合いました。そんなやり取りをしている後ろでは、部長がヒヤヒヤしながら見守っていたそうです(笑)」

ーー新しいことをする際に、不安になることはなかったですか?

勝俣さん「とにかく、やってみないとわからないので。不安というよりまずは3年、ということで調整させていただきました

もともと観光の施策って、絶対に時間のかかるもの。今日明日で結果が出ることは難しいと思うんです。最初からうまくいくイベントなんてそうそうないので、富士山課のみんなで、諦めずに続けてきました」

ーー1年で終わってしまうイベントやプロジェクトも多い中で、まずは3年続けるってすごく大事な姿勢ですね。

勝俣さん「とはいえ初回のハタフェスで、最初あまり人が集まらなかった時間帯には、やっぱり不安で『これで来年の予算とれますかね?』って上司に泣きつきましたよ(笑)。

ただ3年目のハタフェスが終わった時に、チラシのデザインのことで話し合った上司から『もう、お前に任せる』と言われたんです。やってきたことが認められたようで、嬉しかったですね」

土屋さん「勝俣さんには本当に感謝してます。きっと色々な声もあったろうけど、僕らに届く前に、代わりに受けてくれていたんだろうなって」

勝俣さん「最初は本当に不安でしたけど、だんだん手伝ってくれる仲間が増えてきたんです。

私は大雑把な人間だけど、富士山課のみんながしっかり整えてくれて、一団となって向かっている姿は心強かった。年々、多くの人たちがハタフェスを盛り上げていくようになって、すごくうれしかったです」

土屋さん「たしかに会場の設営も、毎年、市役所のみなさんが自ら手伝いにきてくれるんですよね。普通、外部の業者さんに委託することが多いと思うんですけど」

勝俣さん「委託したら、大変さがわからないじゃないですか。一緒に手を動かしてやるからこそ、次の課題も見えてくるわけだから。イベントって、皆で育てるものだと思うんです。もちろん失敗もあるけど、良い悪いもやってみないとわからないことだから」

ーー職員の皆さんの意識もだんだん変わっていったんですね。

勝俣さん「市役所の若者たちが、まず地元のものを身に着けるようになりました。昔は3000円のネクタイも『高い』って言ってたけど、ここ最近は、1本8000円の地元メーカーのネクタイを着けている。皆が自分の働く町に誇りを持っていて、すごく変わったなと思います」

ーーすごくいいエピソードですね。変化がそこに現れてる。

勝俣さん「私も息子の成人式では『Watanabe Textile』の生地でセットアップを作って、息子は『HADACHU ORIMONO』のネクタイを身につけました。特別な時に着たい服が、地元で作れるって素敵なことですね。

最近、富士吉田市はすごくおしゃれになったね、って、県内の人によく言われます。でも、実はこの町には面白い歴史があって。

江戸の庶民が『奢侈禁止令』によって贅沢をしてはいけない時代があって、当時は江戸の庶民も着物の表地に使える柄が制限されていた分、裏地でおしゃれをしていたんです。その裏地を提供していたのが、ここで作られていた織物の『甲斐絹』。なので、昔から富士吉田はおしゃれな人が多い町だったんです」

ーーそんな歴史が!

勝俣さん「だからこれからも、富士吉田はおしゃれな町であってほしい。そのためには、土屋さんたちのようなデザイナーさんの力をお借りして、どんどん『デザイン』を取り入れて、素敵な町になっていきたいと思っています」

ーーそこまで頑張れる熱意って、どこから湧いてくるものなんでしょうか?

勝俣さん「ただただ、好きだからですね。この町が好きだし、今せっかく築き上げてきたものを壊したくない。町が変わっていく様子を見るのって、すごくわくわくするんです。それを見れるのが公務員の醍醐味。そのためにこの仕事をやってるんだと思います」

 

毎日が「ハタフェス」のような町にしていくために

4人の思いが繋がって作られたハタフェスも、今年で9年目。中心になって企画してきた4人それぞれに、思い描く未来があるようです。

勝俣さん「私は富士山課で勤続9年になりました。まだまだやりたいことはありますが、もうハタフェスは私が見守っていなくても大丈夫かなと思っています」

藤枝さん「代替わりのことは考えますよね。若い人たちに継いで行く時期なのかなと」

ハタフェスの若手スタッフの方たちとの一枚

赤松さん「本当ですか? 僕はまだ僕らが続けていくことにも意味があるんじゃないかと思っています。毎年頑張ってる姿を、次の世代に見ていてほしい。いつかあんな風にやってみたい、って思ってもらえたらいいなと」

土屋さん「僕は、ここ最近はハタフェスをどう仕舞うべきかをずっと考えています。はじまりがあれば終わりもある。終わりといってもいい意味で町に馴染んでいくとか、形が変わっていくとかかもしれませんが。まだいつになるかわからないけど、意志をもって終わらせる。

ハタフェスの形はこの3人じゃないとできないから、世代交代があるのなら、まったく違う視点で富士吉田の町や産業に新しい風を入れていってほしいですね」

ーーもうすぐ10年が経ついま、どう世代交代していくかも考えどころですね。

赤松さん「一番の希望は、毎日がハタフェス状態であってほしいということ。皆が自分たちの住む地域にワクワクしていて、希望を持てる。富士吉田が好きだと思える。そんな町であってもらうために、ハタフェスを続けていきたいし、若い世代にしっかり継いでいきたいです」

藤枝さん「僕はやっぱり、機織り産業の未来を考えています。富士吉田が培ってきた文化には、今日明日で作れるものではない長い歴史があるから。

今、産地では染色や準備工程のピースが欠けはじめていて、できることが日に日に減っています。でも、そんな中でも工夫して残していけるものはあると思っています。もしかしたら彗星のように現れた若者が失われた技術を現代に復活させることもあるかもしれません。

大事なのは機織りという文化の可能性を、これからこの町にどう生かしていくか。その行先をしめす『旗』のような存在に、ハタフェスがなっていってくれたら嬉しいですね」

 

おわりに

地方を元気にするには、何が必要なのか? ハタフェスの軌跡を振り返り、そのひとつの解は「役割があること」ではないかと思いました。

編集やデザインができる人、美しい織物を作れる人、この町に昔から住み、根ざしている人。それぞれができることを生かせる役割があることで、この町の未来を自分ごと化して考えるようになる。町をあきらめない人が増える。流しの洋裁人・原田さんが言うように、富士吉田の町の強さは、住む人それぞれに「役割」があること。それを作ったきっかけが、ハタオリマチフェスティバルなんだと感じました。

「毎日がハタフェス」のような町を作っていくために、ハタフェスが今後新たにどんなうねりを巻き起こしていくのか。そこには関わる人の数だけ、きっとたくさんの奇跡が起こっていくはずです。

 

☆今年のハタフェスの概要はこちら

開催日:2024年10/19(土)〜10/20(日)

時間:19日 10:00〜17:00、20日 10:00〜16:00

クロージングライブ:20日 17時30分〜(予定)

会場:山梨県富士吉田市下吉田エリア

※詳細は公式HPをご覧ください。

https://hatafes.jp/

https://www.instagram.com/hataorifes/

構成:瀬谷薫子
撮影:土屋誠