

こんにちは、コエヌマカズユキです。
僕はプロレスが大好きで、毎日プロレス関連のニュースをチェックしては、暇があれば試合会場に足を運んでいます。観戦後に友人と感想を語りながらビールを飲む瞬間が本当に幸せです。
そんな僕が最近、「もっとよく知りたい!」と思っているレスラーが、故・アントニオ猪木さん。
アントニオ猪木(本名:猪木完至)
1943年、神奈川県生まれ。13歳でブラジルへ移住し、陸上競技に打ち込む。巡業でブラジルを訪れた力道山にスカウトされ、1960年にプロレスデビュー。1972年に新日本プロレスを旗揚げ。異種格闘技戦も積極的に行い、伝説のボクサーのモハメド・アリ戦は世界的に注目を集めた。国会議員、実業家、タレントとしても活躍。「元気ですか!」「元気があれば何でもできる」などの言葉がおなじみ。2022年に死去。
プロレス好きなのでもちろん知識としては知っていますが……世代が違うせいもあり、“体験”はできていないんです。
実像はどんな人だったのか? ファンはどんなところに魅了されてきたのか?

というわけで今回は、『教養としてのアントニオ猪木』の著者であり、お笑い芸人・コラムニストのプチ鹿島さんにお話を聞きました!
アントニオ猪木という人物の本質、レスラーとしての偉業、おすすめの名試合などを教えてもらいましたよ!
コンプレックスを抱えたスター

「プチ鹿島さんは猪木さんの大ファンとのことですが、どんなところに魅了されたのですか?」
「猪木さんはスーパースターで、めちゃくちゃかっこいい存在ですよね。でも一方で、いろいろなコンプレックスを抱えた人だと思うんです」
「コンプレックス!? 猪木さんといえばいつも闘志に燃えて前向きな人というイメージでしたが……詳しく聞かせてください!」
「猪木さんは力道山にスカウトされて、ジャイアント馬場さんと同じ日に日本プロレスに入門したんです。馬場さんは読売ジャイアンツの元投手で、最初からスターとして育てられ、先にどんどん出世していく。自分は馬場さんに遅れを取っているのでは?というコンプレックスを抱えながら、『いつかは超えてやる』いう思いがあったのではないでしょうか」
「同期の活躍を間近で見ると、刺激になる一方で、焦りや悔しさも生まれますよね」
「他にも、世間のプロレスに対する見方へのコンプレックスもあったと思います。どんなにすごい試合をしても、『しょせんプロレスでしょ?』という目線をヒシヒシと感じていたのかなと」
「確かに、プロレスという言葉は、『出来レース』みたいな使われ方をすることもありますものね。真剣にプロレスに向き合っている人からすると、悔しいに決まっている」
「だからこそ、異種格闘技戦にも乗り出して、モハメド・アリとも試合をしたんじゃないでしょうか。アリと闘うことになれば、普段はプロレスを黙殺している人たちやマスコミも、注目せざるを得ないですから」
▼アントニオ猪木事件簿その1
モハメド・アリと世紀の一戦
猪木は1976年、伝説的なボクサーのモハメド・アリと異種格闘技戦を行った。さまざまなルールの制約があり、試合では猪木が終始リングに横たわり、アリの足を蹴り続ける展開に。勝敗はつかず、「茶番」「世紀の凡戦」と評されたが、後の総合格闘技に大きな影響を与える。二人の間には友情が生まれ、アリは猪木のテーマ曲となる「炎のファイター・イノキボンバイエ」を贈った。
「猪木さんは、意図的にマスコミや世間を注目させた。ある種の炎上商法なんです。ただ、猪木さんはアスリートとしても実際にすごい人なので、健全な炎上商法ですよね。プロレスや自分自身をPRするために、いろいろな分野に進出していった。分かる人だけ分かってくればいい、で終わらない凄さ。その姿に、プロレスファンは共感していたのかなと思います」
「プロレスの試合がすごい、というだけでなく、『プロレスを世間に認めさせたい』という猪木さんの野心が、一挙手一投足に投影されている。だから引き付けられるのだと。奥深い…」
試合直前に借金取りが

「こんなエピソードもあります。猪木さんが設立した会社(※アントン・ハイセル)が1980年代前半に傾き、試合直前に借金取りから電話がかかってきたこともあったそうです。1980年代中盤には奥様との離婚もありました」
「もうムチャクチャじゃないですか……」
「私生活が大変だったからこそ、リングの中だけは自由で。試合では抱えていたあらゆる感情を出して、対戦相手にぶつけていたのかもしれない。そう考えると、すごく尊くて切ないんです」
▼アントニオ猪木事件簿その2
事業に失敗し莫大な負債
猪木は1980年代にアントン・ハイセルという会社を立ち上げた。サトウキビなどから健康食品・飼料・バイオ燃料を開発するという構想で、ブラジルに工場を建設。だが経営は上手くいかず、新日本プロレスの資金や、レスラーに借りたお金をつぎ込むも、最終的に数十億円とされる負債を抱えてとん挫した。
「猪木さんは新日本プロレスを立ち上げて、社長も務めていたのに、借金問題で社長の座を追われるのです。それからすぐの試合後、マイクアピールで『誰でもいいから俺の首をかっ切ってみろ』って言うんですね。レスラーに向けた言葉に聞こえますが、もしかしたら自分を解任した人たちへの言葉かもしれない」
「リングでの姿と人生がリンクしているというか……それは見る人の心に刺さりますよね」
「長州力さんら主力レスラーたちが新日本プロレスを離脱したことがあります。そのときに猪木さんは、『良い大掃除ができた』って発言したんです。本当はそんなわけないのですが、逆境のときこそ『どうってことねーよ』って強がる精神というか。だからこそ猪木さんの言葉は、プロレスファンだけでなく、どんな人にも響くと思うんですよね」
3分で試合を終わらせた理由

「落語好きに言わせると、猪木さんは、落語界では立川談志師匠みたいな存在だったかもしれないと言うんです」
「どういうことですか?」
「談志師匠は高座があって、お客さんもたくさん入っているのに、気分が乗らないと帰っちゃうときもあると。あるとき、高座で『今日はちゃんと来ただろう』って言ったら、観客はそれだけで大爆笑した。猪木さんのプロレスもそうで、試合を3分ちょっとで終わらせてしまったことがあって、猪木の試合は読めない。ハラハラする」
「あっという間ですね……ちゃんとした試合をお客さんに見せないというのは、何か意図が」
「予定調和の空気を裏切りたい、という思いもあったのでしょうか?そして観客は、その裏切りすら楽しむという。けれど、普通はそんなことできません。猪木さんや談志さんみたいな、一線を超えた人たちだからこそ成立するんですよね」
「確かに、新人はもちろん、中堅レスラーでも、そんなことしたら上層部もファンもカンカンになりそう」
「結局、スーパースターなんですよ。プロレスラーや落語家という肩書きを超えて、自分が一つのジャンルになる。勝新太郎さんや長嶋茂雄さんもそう。なので、猪木さんを語ることは、『スーパースターとは何か?』を語ることでもあると思いますね」
会場でファンが暴動

「一方で猪木さんは、ファンに激しく反発されたこともあったとか。試合中にファンが暴動を起こした、って聞いたことがあるのですが」
▼アントニオ猪木事件簿その3
ファンが暴動を起こす
・第2回IWGP(平たくいうと世界最強を決めるトーナメント)決勝戦で、猪木とハルク・ホーガンの試合中、長州力が乱入し二人にラリアートをお見舞いしたことで観客が暴動
・猪木vsマサ斎藤戦に「海賊男」なる人物が乱入し、斎藤に手錠をかけて連れ去っていったことで観客が暴動
・猪木VS長州力の試合前、ビートたけしによる「たけしプロレス軍団」が乱入し、猪木の対戦相手が急きょ外国人レスラーに変更になったことで観客が暴動
「1984年ぐらいから1987年にかけて、短いスパンで暴動が何回も起きてるんですよね。でも、それもすごくないですか? 観客がいかに真剣にプロレスを観ていたってことだし、猪木さんに期待していたってことでもあるし」
「その通りですよね。軽い気持ちで観ていたら、真剣に怒ることなんてないでしょうから」
「僕もテレビを観ていて怒りましたもん。でも、次の試合では見事に感動させてくれたから、結局は猪木さんについていった。喜怒哀楽が全てあったからこそ、ものすごく記憶に刻まれているんですよね。僕、“猪木株”を早く売らずに、ずーっと保持していましたから。乱高下はあったけど、トータルで『猪木株を持っててよかったなぁ』と思いますね」
鹿島さんがお勧めする名勝負

「プロレス初心者の方向けに、鹿島さんが『ぜひ観てほしい』っていう猪木さんの試合を教えてください」
「僕が観てきた1980年代でいうと、スタン・ハンセンやタイガー・ジェット・シンやアンドレ・ザ・ジャイアントたちとの試合も絶対にオススメです。
「それ以外にもたくさんありますが、2000年3月11日に開催された『第2回メモリアル力道山』で、猪木さんがタッキーこと滝沢秀明さんとエキシビジョンで試合をしたんです。あれはぜひ観てほしい」
「え、タッキーって元ジャニーズのですよね!? 異次元過ぎるカード…」
「猪木さんは当時57歳で、もう引退しているんです。タッキーは人気絶頂のアイドルですが、プロレスはもちろん素人。そんなタッキーを相手に、猪木さんは本当に見事なプロレスをするんです。他の試合よりも全然盛り上がってるわけですよ」
「どんな試合だったか、気になり過ぎる……」
「猪木さんへの『ホウキ相手でもすごいプロレスをする』っていう評価があります。それをまさに体現してくれた試合でした」
「ホウキ相手でもって……猪木さんは本当の天才だったのですね」
「あと、猪木さんはいろいろな“仕掛け”が好きで、時折少し変わった構図の試合がある。それがすごく面白かったりするんです。例えば1986年の、UWF(※)とのイリミネーションマッチ」
※1980年~1990年代にブームを起こしたプロレス団体で、格闘技に近いスタイルが特徴。 前田日明、藤原喜明、高田延彦らが所属
「UWFは格闘技路線を掲げて、試合はキックや関節技が中心。従来のプロレスのように、ロープに飛ぶとかはしないんです」
「ほうほう」
「そのUWFが、あろうことか新日本プロレスと5対5のイリミネーションマッチをした。要はタッグマッチの豪華版で、3カウントを取られる、場外に落ちるなどしたら選手が退場して、最後に残ったレスラーが勝ちというルール。完全にゲーム性のプロレスなんです。UWF相手にそのルールで試合をしたのも面白いし、プロレス自体も見事でした」
「路線が違う相手と、そういったルールでの試合を実現させるのもすごいけど、試合もしっかり成立させるとは、本当に誰とでも合わせることができるんですね」
「1982年には、はぐれ国際軍団(ラッシャー木村、寺西勇、アニマル浜口)の度重なる反則に怒った猪木が、『お前ら、まとめてやってやる!』と、1対3のハンディキャップマッチをしたんです。それもゲーム性があってすごく面白かったです」
▼アントニオ猪木事件簿その4
悪役レスラーと伊勢丹前で乱闘
1978年に新宿・伊勢丹前で、妻の倍賞美津子と買い物に訪れていた猪木を、因縁のあった悪役レスラーのタイガー・ジェット・シンが急襲。猪木は額を5針縫う大けがをし、パトカーも出動する騒ぎになった。この騒動が演出だったのか否か、さまざまな憶測があるが、真相は明かされていない。
「1995年には、北朝鮮で『平和の祭典』という大会を開催したんです。猪木さんは名レスラーのリック・フレアーと試合をしたのですが、もうプロレスのお手本のように素晴らしかった。北朝鮮の人たちはほとんどプロレスを知らないので、他の試合は黙って観ていたといいます。けれど猪木さんとリック・フレアーの試合になると、自然に歓声を上げたと。よっぽど心が揺さぶられたのでしょうね」
「そのエピソードだけで、猪木さんがどれだけすごい試合をしたのか伝わってきます」
「1950年代、力道山のプロレスの試合が街頭テレビで中継されると、人々が群がって観たんです。視聴者はおそらく、プロレスのルールもわからないのに、一夜にして人気を爆発させた。それと同じことが北朝鮮でも起こったのかと思います。
猪木さんはさらに、プロレスに“キング・オブ・スポーツ”“ストロングスタイル”など、いろいろな意味や価値をつけていった。そして最終的に、『プロレスとは何だろう?』ってファンに考えさせるのが、猪木さんの深いところですよね」
アントニオ猪木とは何者だったか?

「猪木さんはプロレスラー以外に実業家・政治家・タレントなどいろいろな活動をしてきましたが、何を目指していたと思います?」
「アントニオ猪木というドキュメンタリーをずっと見せてくれていたんでしょうね。猪木さんは肩書きだけではとても語れない人です。例えばアントン・ハイセルで実現したかったことは、SDGsに繋がるものだったかもしれない。たまたまタイミングに恵まれなかったから、失敗してしまったのかもしれません」
「政治家としても様々な活動を行っていましたよね」
「単身でイラクに行って邦人の人質解放に動くなど、永田町の論理を超えている。僕は「政治家・猪木」に対しては半信半疑だったのですが、『教養としてのアントニオ猪木』を書くにあたって政治評論家や記者に評価を聞いてみたのです。やっぱり猪木さんの存在は特別だったと、肯定的に語る人が多いです」
「スケールがあまりにも大きく、時代も人々の理解も猪木さんに追いつけなかったのかもしれません。ただ一方で政治家としてのスケールの大きい野心もいろいろあったのでしょうね」
▼アントニオ猪木事件簿その5
イラクで人質を解放
1990年、湾岸戦争が起こる直前、イラクで日本人41人が人質となった。政府間の交渉がうまく進まない中、猪木はイラクに飛び、政府首脳と直接対話をした。プロレスやコンサートなど「平和の祭典」をイラクで開催することを提案し、政府首脳の心を動かし、人質の解放に成功したのだった。
「2022年8月28日、難病を患った猪木さんが24時間テレビに出演して、車いすに乗って痩せた姿が衝撃的でした」
「全てをさらけ出すのは、猪木さんがしてきたことそのものです。普通は弱った姿を見せたくないでしょうけど、でも出てくるっていう。世間に対して、常に何かを投げかけていた人ですよね」
「そして同年10月1日に死去されました。改めて鹿島さんにとって、猪木さんはどんな存在でしたか?」
「考えることの楽しさを与えてくれた人です。僕は猪木さんが大好きな一方で、怒ったり半信半疑になったり、振り回されたりもしました。でも、だからこそ『猪木さんはこの試合で何を考えていたんだろう』『何があったんだろう』と考えるようになった。今はSNS時代で、すぐに答えを求めがちですが、一度立ち止まって『ああでもない、こうでもない』と僕が考えることができているのは、本当に猪木さんのおかげです」
「プロレスの面白さだけでなく、考える楽しさも与えてくれた。本当に深いんですね。今日のお話を踏まえて、ぜひ猪木さんの試合を観てみます!」
「あ、でもあまり考えすぎずに。猪木さんの試合は頭からっぽで観ても面白いので、きっと楽しんでもらえますよ!」
「なるほど、それでは子どもに戻った気持ちで観てみます。今日はありがとうございました!」
まとめ

アントニオ猪木さんとは何者だったのか? 鹿島さんのお話を聞いて、少し分かった気になりましたが、やっぱり分からないような。でも、それで良いのかなと思います。
猪木さんの試合や出演したテレビやYouTube、猪木さんについて書かれた本や記事は今でも視聴することができる。それらに触れるうちに、僕なりの「アントニオ猪木像」が見えてくるのではないでしょうか。
プロレスファンでない方も、これを機にぜひ、稀代のスーパースターに触れてみてください。そしていつか、ビールでも飲みながら、猪木さんについて語り明かしましょう。
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この記事を書いたライター
ジャーナリスト。新宿ゴールデン街「プチ文壇バー月に吠える」、荒木町「ブックバーひらづみ」の店主でもある。著書に『炎上系ユーチューバー 過激動画が生み出すカネと信者』など。伝説のぼったくりバーを追ったルポ『ゴールデン街のボニーとクライド』はnote創作大賞2022入賞

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