
私は麻婆豆腐が大好きで、麻婆豆腐なら朝昼晩食べても構わないと思っているほどだ。
現代の麻婆豆腐は多種多様。四川風の辛くて痺れるものから町中華のマイルドなもの、そしてチーズトッピングやヴィーガンといった進化形まで、今や日本は麻婆豆腐大国。その多様性は本場中国を凌ぐほど。

麻婆豆腐のルーツは19世紀中頃にさかのぼる。
中国の四川省成都にあった食堂「陳興盛飯舗」で、陳劉氏さんというお婆さんが作っていた豆腐料理が人気だった。陳お婆さんは顔にあばた(※皮膚に残ったニキビや天然痘の跡/中国語で「麻(マー)」)があったため、その豆腐料理は麻婆豆腐、または陳麻婆豆腐と呼ばれるようになったという。
日本に麻婆豆腐が伝わったのはその100年後、昭和の高度経済成長の頃だ。
当時を振り返ると、二人の巨人に行き当たる。それは、日本に麻婆豆腐を紹介した中華料理の父「陳建民」さんと、一般家庭向けに「麻婆豆腐の素」を大ヒットさせた食品メーカー「丸美屋」である。
今回は、陳建民さんの孫であり現・四川飯店代表の陳建太郎さんと、丸美屋食品工業の青木勇人さん、森本光さんに集まっていただき、日本の麻婆豆腐の歴史を振り返る座談会を開催した。

左より、丸美屋 広報宣伝部の青木勇人さん、マーケティング部 中華チームの森本光さん、四川飯店 陳建太郎代表、著者
「弊社の麻婆豆腐の素では、外食の四川飯店さんには味で勝てないんじゃないかとマーケティング部から心配の声が上がってまして…。」
対談前、丸美屋さんから届いたメールにそんな一文があった。
それは違います! この企画は両者の味の優劣ではなく日本の麻婆豆腐の歴史を2つの切り口から振り返る画期的な企画です……と、少々力んだ長文で返信したが、実は私も両巨頭の対談を前にして、その壮大さに若干ビビっていた。
でもそれは杞憂に終わった。充実した対談になったことは、対談終了後の上の写真の表情が物語っている。
それでは麻婆豆腐界の両巨頭、初対談の様子を読んでいただこう。
日本人がまだ「麻婆豆腐」を知らなかった時代

取材は赤坂四川飯店にて行われた
──日本の麻婆豆腐の歴史は、1966年にNHKの番組「きょうの料理」で陳建民さんが麻婆豆腐のレシピを紹介したことが大きかったと言われていますが。
陳建太郎さん 陳建民、僕の祖父ですね。『きょうの料理』に出演した当時、日本ではまだ四川料理が浸透していませんでした。日中は国交もなく、中華料理の食材や調味料は入手困難でしたから。
──四川料理そのものが、日本人にとって未知の時代ですよね。
陳建太郎さん 祖父は自分の知識や技術を駆使して、日本で手に入る食材の中で調理していました。そして、日本人の味覚に合うようにアレンジしていました。そこには祖母の存在があったのです。
──陳建民さんの奥様ですか。

創業当時の四川飯店(四川飯店提供)
陳建太郎さん 祖母は日本人で、洋子さんといいます。祖父は1958年、最初の「四川飯店」を現在の西新橋である田村町あたりで創業しました。洋子さんがまかないを食べて、「ちょっと辛いわよ、これ」とか、「こうした方がいいんじゃない?」といった感じで、日本人の感覚に合うように少しずつ調整していったのです。

陳建民さんと奥さんの洋子さん(四川飯店提供)
──日本人の味覚を持つ奥様の存在はデカそうですね。
陳建太郎さん 祖父は洋子さんのことがめちゃくちゃ好きで、何でも言うことを聞くんです。そうしましょう、ああそうですね、そうしましょうと。
──ある意味、奥様が味のディレクションをされたということですか?
陳建太郎さん そこまで狙ったわけではありませんが、二人とも家庭環境が貧しかったので、喜んでもらいたいとか、幸せになってもらいたいという気持ちが人一倍強く、それが美味しい料理を食べてもらいたいという気持ちに繋がったようです。そこは今でも四川飯店のDNAに組み込まれています。

陳建民さんと赤坂四川飯店スタッフ達 (四川飯店提供)
「私の料理、ウソあります」
──そして1966年、陳建民さんがNHK『きょうの料理』に出演されたのですね。
陳建太郎さん 祖父は日本で手に入る食材や調味料で作れる麻婆豆腐のレシピを紹介しました。これは祖母と二人で試行錯誤して作ったものです。だから祖父は「私の料理、ウソありますよ」と言っていました。

──本場の味とは少し違うと。
陳建太郎さん 日本人でも大丈夫な辛さで、日本人の口に合う麻婆豆腐ですね。“嘘”はあるけど、ベースの部分でちゃんと四川料理を感じるのが、四川料理の懐の深さだと思います。この辺は丸美屋さんも同じかもしれません。
──お生まれになる前の話で恐縮ですが、テレビの反響はいかがでしたか?
陳建太郎さん すごく大きな反響があったそうです。大きな中華鍋やお玉、中華包丁で作られる未知の料理ですから、インパクトが強かったのでしょうね。それ以上に、祖父が中国語訛りで喋る日本語がチャーミングで、「トントントントンと切って」「シャンシャンシャンと振って」みたいな擬音が豊富で、ユーモアにあふれていました。
料理だけでなく人柄とか、そういう部分にも魅力があったのではないのかなと僕は思います。
──まさにお茶の間に麻婆豆腐が伝わった瞬間ですね。

陳建民さんと陳建一さん。陳建一さんのエンターティナーぶりは陳建民さん譲りだ(四川飯店提供)
ふりかけから麻婆豆腐に至る丸美屋の歴史
──さて、丸美屋さんにお話をお伺い致します。丸美屋さんこと丸美屋食品工業は1927年にふりかけ「是(これ)はうまい」で創業され、1960年に日本で初めてたまごを使ったふりかけ「のりたま」が大ヒット。その後も「すきやき」「味道楽」など、今でも定番のふりかけを矢継ぎ早に販売されました。

丸美屋創業時の商品「是はうまい」(丸美屋提供)

初めてたまごを使って大ヒットした「のりたま」。永遠の定番商品だ(丸美屋提供)
丸美屋 青木さん 丸美屋はふりかけで創業し、戦後もふりかけ市場をリードしていました。当時、ふりかけ市場は年間100億円規模にまで成長していたのですが、1964年の東京オリンピックが終わった頃から景気が悪化し、60億円規模にまで落ち込んだのです。
ふりかけだけの一本足でなく新事業を作らねばと危機感を募らせていた1968年、大塚食品さんが「ボンカレー」を発売されました。この、世界初の市販用レトルトカレーという画期的な商品に刺激され、弊社でも!とレトルトの商品開発が始まりました。
──ここでまさかのボンカレー! それで開発されたのは?
丸美屋 青木さん 「釜めしの素」です。当時、家庭での料理はまだ手作りが多かったので、完成品ではなく調理の余白を残そうと企画されました。また、普段なかなか食べることができないものを家庭で手軽に味わってほしいということを意識したようです。炊飯器に入れて米と一緒に炊くと出来上がるこの商品は、成功を収めました。これは今でも弊社の定番商品として愛されています。

大ヒットした「釜めしの素」。のりたま同様にパッケージがおしゃれだ(丸美屋提供)
丸美屋 青木さん 「釜めしの素」でレトルトの生産ができるようになり、次の商品をどうしよう?と企画されたのが「麻婆豆腐の素」でした。
──ついに来ましたね。そこでなぜ「麻婆豆腐」なのでしょうか?

丸美屋 青木さん 中華料理はお米に合うということ、先ほどの話でもありましたが、当時は麻婆豆腐を作りたくても素材や調味料を揃えることが難しかったので、「素」が使われる土壌があったというところです。
そして一番大きかったのは豆腐です。当時、豆腐料理のレパートリーはお味噌汁や、冷や奴くらいで、ご飯が進むものではなかったのです。栄養価の高い豆腐を使った料理ということで、麻婆豆腐になりました。
「麻婆」の読み方が定まっていない時代

丸美屋 青木さん ここで……お渡しすることはできないのですが、1971年の「麻婆豆腐の素」開発資料の一部を持ってきました。
──ええっ、すごい! 麻婆豆腐の歴史の上で一級品の資料ですね! レシピが記載されているので読者には詳しくお見せできませんが……。
丸美屋 青木さん この資料を見ると当時の豆腐の市場規模は600億円あって、一人あたり年間100丁くらい食べていることを裏付けとして企画されたことが分かります。
陳建太郎さん ちょっとこの資料、凄いですね。
丸美屋 青木さん この資料は面白いところがあるんです。「品名」のところに、「麻婆豆腐」のことを「マーボー または マーバー」と書いてあるんです。まだ麻婆豆腐が浸透していなくて、読み方が定まっていなかったということですね。

──マーバードウフ! でも陳建民さんのテレビが1966年で、その中では「マーボードウフ」と呼んでいたと思うのですが。
丸美屋 青木さん テレビでは「マーボードウフ」だったのですが、「婆」を「ボー」と呼ばせることは一般家庭ではまだ定着していなかったということでしょうか。
陳建太郎さん ひょっとしたら「マーバードウフ」で定着した可能性もあったということですね。

麻婆豆腐の貴重な資料に、陳さんもこの表情!
未知の食べ物をテレビで宣伝せよ

──麻婆豆腐がまだまだ知られていなかった時代、「麻婆豆腐の素」をどうやって販売されたのでしょうか?
丸美屋 青木さん 「麻婆豆腐の素」は1971年に発売したのですが、当初は苦戦しました。当時、麻婆豆腐を出す中華料理店は高級店で、町中華にも麻婆豆腐はありませんでしたから、庶民には未知の食べ物だったのです。

「麻婆豆腐の素」初代パッケージ。麻婆豆腐にフリガナが振られている!(丸美屋提供)
丸美屋 青木さん そこで、とにかく食べてもらおうと、丸美屋の営業担当が自ら豆腐とフライパンをもって試食会を行ったり、店頭で実演販売をしたりしていたと聞いています。
また、認知拡大のためにテレビCMも打つことになりました。キャストには楠本憲吉さんを起用したのですが、俳人で食通の文化人である楠本さんの起用は、麻婆豆腐がまだ知られざる食べ物だったことを物語っていると思います。
(CM動画を鑑賞)
──「中国風調味料」と言ってるんですね。
丸美屋 青木さん ちょうど弊社が来年で100周年で、昔のCMも資料として整理していたところだったんです。
──YouTubeには上がってるんですか?
丸美屋 青木さん 上がってないですね(笑)。
──先ほどから貴重な資料ばかりありがとうございます……!

「麻婆豆腐の素」で作られた麻婆豆腐(丸美屋提供)
麻婆豆腐、黎明期から徐々に定着へ

──1970年代は大阪万博から始まり、そこからの外食ビッグバンなど日本人の『食』は激動の時代だったと思うのですが、社会的な変化は売上げにどう影響しましたか?
丸美屋 青木さん まず1972年、田中角栄首相による日中共同声明からの日中国交正常化ですね。これは中華料理に関しても大きな出来事でした。
次に1973年の第1次オイルショックです。店頭から物が無くなるということが起きました。
──トイレットペーパーの買い占めとか。
丸美屋 青木さん その中で、食糧を家に保存しておきたいということもあり、麻婆豆腐の素をたくさん買って頂けました。
ここまでのサイクルが生まれたのは、やはり1966年に陳建民さんが「きょうの料理」に出演されて麻婆豆腐を紹介されたことがスタート地点になっていると思います。あの番組の反響を見て、丸美屋としても「これは行ける!」と判断した部分もありますから。
多分、弊社のいちメーカーだけでやっていたらもっと難しかったでしょうし、中華料理店が先に土壌を作って下さったことは大きいと思います。
──ついに繋がりましたね。感動のエンディング。もうこの記事終わっていいですか。
友光だんご(編集担当) まだ中盤ですよ!
激辛ブームと麻婆豆腐

──麻婆豆腐といえば「辛さ」ですが、ここで日本人の辛さ耐性について伺います。
今まで日本には4度の「激辛ブーム」がありました。最初は80年代、湖池屋さんのスナック菓子「カラムーチョ」のヒットによって第1次激辛ブームが到来。90年代はタイ料理などのエスニック料理が牽引した第2次激辛ブーム。2000年からは激辛ラーメン店の台頭による第3次激辛ブーム。そして2015年以降は花椒(ホアジャオ)のシビレと唐辛子の辛さによるシビ辛ブームが第4次激辛ブームと言われています。
このように、時代を追うごとに日本人の「辛さ耐性」がどんどん上がってきているのですが、それに伴った変化はありましたか?
丸美屋 森本さん 80年代と90年代はまだまだ拡売期で、麻婆豆腐の素を定着させることを主眼にやっていましたので、味のバリエーションは出していなかったですね。
陳建太郎さん うちは特に、ブームを考えたことはありません。でも、本場の四川料理の辛さと日本人の口に合う辛さは、やはり別です。僕は子供の頃から辛いものを食べさせられて育ちましたけど(笑)。麻婆豆腐、担担麺もそうですが、一般的には辛いものってまだまだなんだなと思うことは多かったです。

麻婆豆腐のコアな味となる「豆板醤(トウバンジャン)」(四川飯店提供)
──お店で本場の四川麻婆豆腐を初めて食べて、辛さに悶絶する人は多かったですか?

陳建太郎さん たくさんおられました。1999年に初めての麻婆豆腐専門店として立川のグランデュオに「陳建一麻婆豆腐店」を作りました。本場の麻婆豆腐を食べてもらおうと、当初はカウンター数席だけのお店でした。
テーブルに花椒を置いていたのですが、それをラーメンにコショウを振るような感覚でドバドバ振っちゃったお客さんが、その辛さに「こんなの人間の食べる物じゃないわよ! 陳さんのお店だと思って来たのに!」と怒って帰ってしまったこともありました。
2000年くらいはそんなアクシデントが何回もありましたから、今思えば、本場の麻婆豆腐のはまだまだ難しかった時代だったのかなと思いますね。
市場のトップメーカー、ついに動く

写真は現在発売中の丸美屋「贅を味わう麻婆豆腐の素」
──丸美屋さんは2000年に新商品を発売されていますね。
丸美屋 青木さん はい、2000年に発売したのが「夏季限定 四川極うま辛口 麻婆豆腐の素」です。(※現在は終売)

2000年、発売当時の「四川極うま辛口 麻婆豆腐の素」の営業案内用パンフレット(丸美屋提供)
丸美屋 青木さん こちらは現在の「贅を味わう」シリーズの前身となるものですが、ここで初めて花椒を別添えにしました。これも当時、先を行きすぎてて……。
陳建太郎さん 本当に、だいぶ早いですね!
──「花椒」という言葉もまだ日本では一般的ではない時代でしたよね。でもこれを発売されたのは、日本人の辛さ耐性が上がってきたという判断でしょうか?
丸美屋 青木さん 当時、本格的な四川麻婆豆腐を出すお店も増えてきていましたので、そういった判断をした商品でした。
陳建太郎さん 当時の反応はどうだったんですか?

丸美屋 青木さん まず社内ですけど、辛さといえば唐辛子の辛さのことだとみんな思っていたところ、花椒による痺れがあまりにも刺激的で、「何じゃこりゃ!」のような反応がありました。
お客さんも、花椒で痺れることに驚かれる方が多かったですね。先ほどの建太郎さんの話のように、コショウだと思った方も多かったようです。
──売れ行きの方はいかがでしたか?
丸美屋 青木さん 私は当時営業だったのですが、あくまでもスタンダードな麻婆豆腐の素が売れて、少し「四川極うま辛口」が売れる、みたいな感じでした。
──やはり外食でガチな四川麻婆豆腐を食べた人がこれを買うといった感じでしょうか?
丸美屋 青木さん まさにそうですね。
丸美屋 森本さん 2000年くらいでこの辛さは正直まだ早かったのですが、麻婆豆腐の素のトップメーカーとして四川麻婆豆腐の流れを見て見ぬ振りもできず(笑)、販売した形でした。最終的には現在のラインナップに繋がっていますので、試みとしては悪くなかったのかなと思いますね。
「シビ辛ブーム」を経て、麻婆豆腐は深化する
──2010年台中頃から花椒の痺れと唐辛子の辛さのミックス、いわゆる「麻辣(マーラー)」味が流行り始めました。それは「マー活」や「シビ辛ブーム」という言葉とともに第四次激辛ブームとして括られ、現在に繋がっています。
日本人の辛さ耐性もかなり上がった今、提供している麻婆豆腐に変化はありますか?

陳建太郎さん 四川飯店としては変化はさせず、土台をしっかりさせて、麻婆豆腐という文化を次の世代に伝えていくことに注力しています。
2014年、縁あってシンガポールに初めての店舗を構えたのですが、当初、コース料理のメインディッシュに麻婆豆腐を据えることが、現地の料理人から理解されませんでした。なぜ日本から来たレストランが和牛などではなく麻婆豆腐なのかと。そこは、何度も何度も四川飯店のコンセプトを説明しました。
──シンガポールから見れば日本の店ですからね…。
陳建太郎さん シンガポールでは四川料理はマイナーで、麻婆豆腐に使う食材もシンガポールでは見つからず、当初は中国から日本に輸入したものをシンガポールに再度持って行くといったことをしていました。

本場から仕入れた香辛料たち(四川飯店提供)
陳建太郎さん でも、2016年に麻婆豆腐の専門店を(シンガポールに)作ってから流れが変わってきました。当初は現地駐在している日本人のお客さんが7割くらいだったのですが、徐々に認知してもらえるようになり、現在では4店舗、今年5店舗目を出すところまで来ました。
──シンガポールならもっと麻婆豆腐がポピュラーだと思いきや、日本とそんなに温度差があったのですね。そこからじわじわと定着させるのは流石の四川飯店さんです。
陳建太郎さん 2010年の前くらいに、僕は四川省に2年半の修行に行きました。その時にたくさんの師匠ができて今でも毎年行っているのですが、それ以降、四川省から料理人たちが「麻婆豆腐を教えてくれ」と言って日本に来るようになりました。
──おお! すごい!
陳建太郎さん 豆板醤と言っても色んな種類があるし、使い方もさまざまなんですが、その辺を勉強したいと。
ですから我々としては麻婆豆腐という看板商品の土台をしっかりさせること、進化よりも“深化”させることを意識して、次の世代に伝えていく必要があると思っています。
麻婆豆腐の楽しみ方を広げるために

丸美屋 2026春夏カタログより
──丸美屋さんの麻婆豆腐の素は、今や15種類以上のラインナップがあります。高級ラインの「贅を味わう」シリーズ以外にもユニークなものがありますが、こういったラインナップの拡充はどのようなニーズがあったのでしょうか?
丸美屋 森本さん シビ辛ブームもありましたが、それ以前から、さまざまな種類の辛さと旨味を楽しむことが定着してきていると感じています。
2014年に発売した「贅を味わう」シリーズは贅沢な辛さと旨味を追求した商品で、時代の趨勢ともマッチして急成長しました。また、「鶏白湯味」や「ガパオ風」といったものや、麻婆豆腐の素発売55周年として期間限定で発売している「黄金の麻婆豆腐」など、さまざまな旨味をご提案しています。
他にも豆腐入りで温めるだけで食べられる個食対応の麻婆豆腐や、カップに入った麻婆豆腐ごはんなど、麻婆豆腐の幅をどんどん広げています。

豆腐とひき肉入りで、レンジで温めるだけで食べられる丸美屋「レンジDELI<麻婆豆腐 中辛>」
丸美屋 青木さん 家族だけではなく、個人でも楽しめるような商品の充実化ですね。
──丸美屋と言えばベーシックな「麻婆豆腐の素」というイメージが覆されるようです。
丸美屋 森本さん 先ほどのお話で「深化」という言葉がありましたが、我々としては基本の「麻婆豆腐の素」をコアとして深化させつつ、間口や楽しみ方を広げることがトップメーカーとしての命題だと思っています。

発売から55周年を迎えた「麻婆豆腐の素」。その揺るぎない定番感!(丸美屋提供)
丸美屋 森本さん これは少子化の社会となった今、先細りするのではなく、これから100年、200年と多くの人に麻婆豆腐を食べてもらいたい、と企業として考えているところです。
──深さと幅の両方を立体的に進められているわけですね。

陳建太郎さん あ、ちょっと訂正です! 先ほど深化って言ったんですけど、シンガポールの麻婆豆腐店、5~6種類出してました。コンセプトではなくて裾野を広げるためです。頭固い人だと思われたら嫌だ(笑)。
一堂 (爆笑)
陳建太郎さん 結局、いかにご飯を美味しく食べるか、それに尽きると思うんですよ。
丸美屋 森本さん 弊社もふりかけからスタートしましたから、いかにご飯を美味しく食べるか、そこは全く同じです。

丸美屋 青木さん やはり、陳建民さんにテレビで麻婆豆腐を紹介していただいた時、日本人がご飯をより美味しく食べられるようにアレンジされたことが本当に大きかったと思うんですよ。現地の味そのままだったら、ここまで麻婆豆腐は広がってないと思います。
陳建太郎さん 丸美屋さんがその企画力で裾野を広げて下さったからというのもありますし、ここは麻婆豆腐ファンに向けて、いつか何かご一緒したいですね。
──違うフィールドで日本の麻婆豆腐の歴史を作った両者が、それぞれの哲学で「守り」と「攻め」を行いながら、時にはリンクする瞬間もある。今日の座談会は麻婆豆腐好きの自分にはたまらないものでした、
では、最後です。麻婆豆腐の美味しい食べ方をそれぞれにお聞きしたいと思います。
陳建太郎さん 父もよく言っていたのですが、ご飯と混ぜることです。そうすると、米を美味しくたべることができると思います。
丸美屋 森本さん 弊社の「麻婆豆腐の素」は豆腐は木綿でも絹でも構いませんので、とにかく調理方法通りに作っていただくのが一番美味です。その次にアレンジとして、何か具材を足してみてください!
──本日はありがとうございました!
丸美屋さんの「麻婆豆腐の素」を使う際の参考にどうぞ!
おわりに

麻婆豆腐。
陳建民さんがテレビで紹介して60年、丸美屋さんの「麻婆豆腐の素」が発売されて55年。今や本場中国を凌ぐほど愛される食べ物になるとは、当時は想像できなかったに違いない。
19世紀の中国四川省で生まれた伝統を守りつつ、さまざまな工夫と挑戦によって広く愛される味わいとなり、次の世代へと受け継がれていく。
あなたがこの前食べた一杯の麻婆豆腐にも、そんなドラマが宿っているかも知れない。
撮影:飯本貴子
編集:友光だんご





































