映画館のスクリーンをイメージしたブルーの背景に山の写真。そこに総天然色なロゴを配置したアイスが、冷菓業界に革命を起こした。その名も「ブラックモンブラン」

みなさんこんにちは。旅する編集者の藤本智士です。今回僕がお届けしたいのは「ブラックモンブラン」というアイスバーのお話。てか、みなさんブラックモンブランご存知?

バニラアイスの上にチョコレートをコーティング。そこにクッキークランチがたっぷりまぶされたアイスバー。すでに55年以上の歴史を誇る人気商品だ。

しかしこのブラックモンブラン。こんなにも歴史が長く、且つ、めちゃくちゃ美味しいのにもかかわらず、日本人の多くがその存在すら知らない。なぜか? それは、このブラックモンブランがつい最近まで九州近辺でしか買えなかったから。

それがここにきて、コンビニや一部スーパーを通じて日本各地で見かけるようになってきた。九州の人たちにとってはスタンダードなアイスだけれど、九州以外の人たちにとっては、突如現れたこの激美味アイスの出自がみんなきっと知りたいはず。

そこに応えるのはまさにジモコロのようなローカルメディアの使命だよね! ね? ねえ! と、個人的な欲望を世間の要望にすり替えて、ブラックモンブランを製造販売する佐賀県の竹下製菓株式会社の社長、竹下真由さんにお話を聞いてきました。

話を聞いた人:竹下真由(たけしたまゆ)さん

1981年佐賀県生まれ。2005年東京工業大学工学部を卒業、2007年同大学院社会理工学研究科経営工学専攻修士課程を修了。アクセンチュアでの勤務経験を経た後に佐賀へ帰郷、2011年竹下製菓株式会社に入社、2016年に5代目として代表取締役社長に就任。グループ会社ではフランチャイジーとしてAPAホテル3棟の経営の他、埼玉、岡山の工場や北海道のホテルなど事業展開。小中学生3人の子どもを育てる母でもある。

 

「真っ白い雪山にチョコレートをかけて食べたらさぞ美味しいだろう」

藤本:取材などで各地を旅するなかで、「ブラックモンブラン」は九州に来たときに食べるものだったんです。それが、最近は関西でも食べられるようになって。本来は九州地区だけだったんですよね?

竹下:そうですね。もともとの販売エリアは九州全域と、山口県です。いまは少しずつ東のほうにいっているかなと。

藤本:ブラックモンブランのほかに、「ミルクック」や「トラキチ君」でさえも僕の家の近所にあるスーパーで買えるようになって。

 


「ミルクック」は練乳ソースが入ったミルクセーキバー、「トラキチ君」は濃厚バナナアイスとガナッシュチョコのしま模様がトレードマークのアイス

竹下:関西ではまだあまり知られていないので、知っていただいて、満足していただけるのは非常にうれしいです。

藤本:そもそも僕は冷菓が好きで。センタンの「チョコバリ」とか明治の「うまか棒」とか、バニラアイスをチョコでコーティングして周りにトッピングがついている、同系統のアイスも好きだったんです。

竹下:いろいろありますよね。

藤本:アイス好きが高じてアイスの歴史を調べまくった時期があるんですけど、たとえば、うまか棒が誕生したのは1979年。ブラックモンブランの10年後なんですよね。そのほか、いろいろ探してみても、僕が調べる限り、この系統のアイスは何よりもブラックモンブランが早かったんです。

竹下:アイスにコーティングをして周りにトッピングをつけるっていうのは、業界の中でも走り(はしり)だったみたいです。

藤本:やっぱりそうですよね!

竹下:ブラックモンブランは、私の祖父・小太郎がフランスのシャモニーに行ったときに、モンブラン山を見て感銘を受けて、「真っ白い雪山にチョコレートをかけて食べたらさぞ美味しいだろう」と着想を得て作ったと聞いています。

藤本:そのお話はもちろん僕も存じ上げてるんですけど、何度聞いても、その発想は面白いですよね。

竹下:シャモニーは標高が高い町なので、寒かったらしいんですね。だから、アイスクリームを寒いところでもおいしく食べるにはどうしたらいいだろう、みたいな話もしていたみたいで。それが冬アイスの走りとして、チョコでコーティングしてクッキーをつける商品を生み出すことにつながったんじゃないかなって、そこは推測なんですけど。

 

「鶴の里」に冬アイスのルーツあり?

藤本:冬アイスって聞いて思い出したんですけど、竹下製菓さんの商品に「鶴の里」ってお菓子がありますよね。

竹下:うちのロングセラー商品で、マシュマロの中に黄身あんが入ったお菓子です。

藤本:いわゆる、福岡の「鶴乃子」のようなお菓子ですよね。

竹下:はい、石村萬盛堂さんの「鶴乃子」と、よく間違われるんですよね。でも、販路が違うので棲み分けています。争いみたいになってしまわないように(笑)。

藤本:申し訳ないですけど、僕も鶴乃子しか知らなかったんです。で、なぜ御社の鶴の里の話をしているかというと、ロッテの「雪見だいふく」ってありますよね。おもちでバニラアイスを包んでいる。

あれって、おもちではなくマシュマロの中にアイスが入っていた「わたぼうし」という商品が前身なんです。マシュマロの中に餡が入った和菓子を知って「これだ!」と思って作ったらしいんですよね。

竹下:そうなんですね。

藤本:雪見だいふくの登場で冬アイス需要も爆発的に伸びて、夏しか売れなかったアイスが冬も売れるようになったって話があって。それを知ったときは鶴乃子のおかげで雪見だいふく、ひいては冬アイスがあるんだなって思ったけど、ひょっとしたら、鶴の里だったかもしれないと僕は勝手に思ってます(笑)。

竹下:そうかもしれない(笑)。

藤本:さっきうまか棒の話をしましたけど、うまか棒のパロディでできたのが、有名な駄菓子の「うまい棒」なんですよね。だからひょっとしたら、うまい棒すらルーツを辿れば、ブラックモンブランだと言えなくもない。

竹下:すべてはつながってますからね。少し遠すぎる気もしますけど(笑)。

 

初代が全国を巡ってまとめた菓子のレシピ集に源流が

藤本:そもそも竹下製菓さんは、菓子製造で創業されたんですよね。それはいつですか?

竹下:会社の設立は昭和2年です。大正の大恐慌で会社をいったん畳んだらしくて、そこから再起を図ったのが昭和2年。創業はもっと前です。

藤本:以前、創業者の竹下佐七(さしち)さんが、全国を巡って情報を集めて、『菓子製造法』っていうレシピ集をまとめたって話を聞いたことがあるんですけど、それって本当ですか? というか実際にそのレシピ集ってあるんでしょうか。

竹下:あります。

藤本:あるんだ!

竹下:和紙に筆で書かれているレシピ本みたいなもので。そこに明治27年と記されているので、その年にはもう商売を始めていたようです。そこにマシュマロや長崎カステラ、薩摩かるかんなどの作り方が書かれていて。

藤本:そうなんですか? すご。

竹下:でもいまと違って、筆で「上白糖」とか書いているような、すごく大雑把なレシピなんですけど。

藤本:それで作れるの?って思いますね。

竹下:いまだったら、どこのメーカーの何とか、小麦粉って言ったって、産地によって状態も違えば配合も全然違うでしょっていうのが、一般名称のみ(笑)。ある意味、職人の技だなって思いました。

藤本:絵とかもないんですか?

竹下:私が見た限りはなかったですね。材料名と「少々」とか分量も曖昧(笑)。

藤本:でも、そういう時代に、まとめたこと自体がすごいですよね。

竹下:作るための記録ですよね。ずっと作っているひとたちからしてみれば、ベースさえ分かれば作れるんでしょうね。

藤本:記録をまとめることの意味って、届ける、伝える、残していく、つまりはアーカイブだから、その視点があったんだなっていうことに驚きです。単純に自分の趣味として作るためじゃなく、シェアすることを考えて、記録をまとめるわけだから。

竹下:たしかに。書き残してくれていたから、私も見ることができたわけですもんね。

藤本:そのレシピ本を、ひょっとしたら同業者も見たのかもしれないとか、いろいろ想像しちゃいますね。明治27年って、めちゃくちゃ古いじゃないですか。創業者が同じ佐賀出身で、全国的に有名な、森永製菓の創業は明治32年。江崎グリコは大正11年だから、佐七さんって、じつは日本の菓子業界に大きな影響を与えたひとなんじゃないかって勝手に妄想してます。

竹下:そこに関してはなんとも言えないですけど(笑)、佐七さんが個人で西洋菓子を製造販売しているところから、いまにいたるまで、やっていることはずっとつながっているんですよね。資金を集めて、会社にして、ひとを雇って。いろんな商品を作ってきて、いまがあります。

 

はじめての冷菓は「あずきアイスバー」

藤本:西洋菓子を作っていたところからアイスを作るようになったのはどうしてですか?

竹下:アイスの前に、あんこや和菓子を主に作っていた時期があるんですけど、「暑いときに甘ったるいお菓子は売れん。どうしよう」ってなって。そのときちょうど、世の中にアイスキャンディーやアイスクリームが出てきて、大手のメーカーさんも、海外から機械を買って作り始めていて、うちも夏に売れそうなものを作らねばって、始めたんです。

だから最初に作った冷菓は、和菓子作りのノウハウを生かした、あずきのアイスバーなんですよ。

藤本:そうなんですね! それって1950年代ですよね。ってことは、有名な某あずきバーの発売が1970年代ですから、それよりも断然早いですよ。

竹下:いまみたいにオートメーションじゃないから、1日1200本ぐらいしかできなかったみたいですけど。

藤本:いや、それでもすごいです。

竹下:私の父が入社したときに、オートメーション機を導入するというミッションを祖父から与えられたそうで。でも当時は海外製の機械ばかりだったから、うちが買うには高すぎたんです。それで、もっと安くできないかって、パートナーを探して。話に乗ってくれた東京の製作所さんと父が2年ぐらい寝食をともにして、設計図から考えて機械をつくったんです。

藤本:製造のための機械をつくるパートナーを見つけるところから始まったんだ! すごいな。

竹下:それでうちも大量生産ができるようになりました。でも、ヒット商品が出ないと売り上げは伸びていかない。そこに、1969年、ブラックモンブランが登場したことで、竹下製菓はアイスクリーム会社として知られるようになっていったんです。

藤本:売り上げの割合も変わったんですか?

竹下:逆転しました。それまではキャラメルがすごく売れたらしいんです。

藤本:キャラメルといえば、森永とグリコ。

竹下:そうそう。森永製菓さんとかが全国的にキャラメルを作っているなかで、うちも大きく展開していました。うちは森永製菓さんの特約店もやっていたので、わりかし交流はあったみたいです。

 

「九州だけ」or「どこでも食べられる」の葛藤

藤本:身近なところに森永やグリコという巨大なメーカーがあって、卸売りもされていたからお付き合いもあっただろうし、どこかで、そういう方向に進む選択肢もあったわけですよね?

竹下:そうですね。うちは関東に行かなかったのが一つの分岐点だと思うんです。みなさんは飛び出して行かれて、飛躍的な成長を遂げられた。当社は、出て行かなかったから、ちっちゃいままで、いまあるのかもしれない。ある意味そのおかげで大きな失敗をせず、生き残れたかもしれないです。

藤本:たしかに、地域性を感じられる商品やメーカーさんって、いまの時代においては強みですよね。僕は単純にどんどん増やしていくぞっていうより、適正な規模感みたいなものが大事じゃないかと考えていて。ブラックモンブランって、そういう象徴だったんです。

でも実際、消費者として関西でも割と買えるようになってうれしい自分もいて、本当に難しいですよね。

竹下:そうなんです。いまの時代は大抵のものがお取り寄せできるし、情報はネット上でバンバンやり取りされているので。その土地に行かなきゃ絶対手に入らない感じがしないものが、昔よりも増えてきちゃっているのが現実なんですよね。

藤本:たしかに。

竹下:だから、各地のいろんなところとご一緒させてもらって、まずは自分たちもお客様も楽しいとなる。さらに九州からいろんなところへ出て行かれたひとたちにアンバサダーになってもらったりして、一緒に盛り上がっていけることを楽しめたらいいんじゃないかなと最近は思っているんです。

藤本:おっしゃるとおりかも。いまや地方とかローカルっていうものがいいもわるいも消費される世の中で、ことさらローカル色にこだわるよりは、ブラックモンブランのような商品に関しては、メジャーリーガーになっていったほうが逆に九州の誇りになっていいのかもしれない。

竹下:実際、九州に帰ってきたときに食べたいっていうお声も、九州以外でも食べられるようにしてくださいっていうお声も、両方あるんです。当社としては、おいしいって言ってもらえて、笑顔になってもらえるんだったらお届けしたいと思っているので、いまは少しづつ販路を拡大していっています。

だけど、どこでも食べられるようになっちゃったら、それはそれでどうなんだろう、と思うこともやっぱりあるんですよね。でも、ローカルブランドからナショナルブランドに成長させようと思ったら、抜け出さなきゃいけないポイントでほんと悩ましいです。

 

東へ東へ、ブラックモンブランの進撃!

藤本:ズバリ、今後はどっちに舵を切るんですか?

竹下:どこでも食べられるようになることは、いいことなんじゃないかなと、いまの私は思っています。

藤本:すごい決断ですね。

竹下:ひとそれぞれにアイスやお菓子の好みがあるなかで、新しいものを知ったらうれしいし、お気に入りのラインナップが増えることもうれしい。マイナスになることはないはず。

だったら、もっと知ってもらえるように、食べてもらえて、お気に入りのラインナップに入れてもらえたら、お互いにとってハッピーじゃないかなと。だから、お届けする努力は全力でするようにしよう、って思ってがんばっています。

藤本:生産数などの物理的な問題はどうですか?

竹下:物流コストが上がっていて、関東以北はコストが合わないので、持っていけないんです。

藤本:しかもアイスですもんね。

竹下:溶けないようにとなると、やっぱり厳しくて。

藤本:消費者としては、物流って、普段の暮らしであまり意識しないですけど、とても大きなポイントですよね。宅配便は触れていても、スーパーで売られている商品がどう運ばれているのかを想像している人は少ない。

佐賀で作っているアイスの品質を保ったまま関東で売るとなると、佐賀から運ぶのではなく、工場を関東につくらなきゃって話になりますよね。

竹下:そうですね。製造委託とかいろんなやり方があると思うんですけど、そういった拠点があればっていうことと、佐賀で災害などがあったときに継続して作れなくなったら困るので、別拠点を探していて。縁あっていま、埼玉に工場の拠点を持たせてもらっているんです。だから今後は少しずつ向こうでも作っていけたらいいなって思っています。

藤本:いま九州地区以外でブラックモンブランが買えるところは大阪と東京ぐらいですか?

竹下:関東でいうと「サミット」さんっていうスーパー。あと埼玉が本拠地のスーパーの「ヤオコー」さん。ほかにイオン系の「まいばすけっと」さんとか、「ドン・キホーテ」さんとか。最近は愛知でも新しいところを開拓しています。それと、ちょっと前から「セブンイレブン」さんが取り扱ってくれるようになって。

藤本:そうですよね。セブンでかなり見るようになった印象です。

竹下:セブンの定番に一部地域ですが入っているので、そこから「よく見るよね」って言われるようになりました。今度、中国地方の「ファミリーマート」にもブラックモンブランが入ります。

藤本:ブラックモンブランの快進撃やばいですね。

竹下:東へ東へ、がんばっていこうかなと。

藤本:もう北海道まで行っちゃうかもしれない勢い。各地でブラックモンブランが定番化されるとうれしいって気持ちになってきました。

竹下:ありがとうございます。地元に入ったときには応援してください!

藤本:もちろんです! 僕の憧れ、マルチパックを関西でも売ってください(笑)。

竹下:がんばって営業します(笑)。

藤本:ちなみに今日、取材させていただいているこちらの「アパホテル〈佐賀駅南口〉」。竹下製菓さんが経営されているんですよね?

竹下:そうです。私の父が60のときにホテル事業に進出したんですよね。当時は目の前に何もなくて、ひとが働ける場所と集える場所を、ということで。でもノウハウがないから、フランチャイジーでスタートしました。

藤本:実は以前佐賀在住の友人にこちらのアパホテルでランチを食べたら、竹下製菓のアイスが食べ放題だよって教えられて、そんな夢みたいなことがあるのか!? って興奮したんですけど、あの噂は、ほんとなんですね。

竹下:はい、このグリルタケシタっていうレストランは、竹下家がやってるっていうのを前面に打ち出していまして。

驚愕のアイス食べ放題!(ランチタイムのみ)

藤本:表のキッチンカーもかなり気持ちが上がりました。それにフロント前で見つけたんですけど、あのレトルトカレーが二つ並んでる光景、卒倒しそうになりました(笑)。

竹下:アパ社長とブラックモンブラン。

藤本:あれこそ日本で唯一じゃないですか?

竹下:並べて売っているところは、ほかにないかもしれないですね(笑)。

藤本:どっちも濃ゆいというか、いやほんとあれはかっこいい(笑)。

竹下:うちのブラックモンブランカレーは、佐賀県内の企業さんがやりたいって言ってくださって。OKを出せるまでかなり時間がかかったんですけど、最終的にはかなりいい形に仕上げていただいたからよかったなと思っています。

藤本:その企業さんも、まさかあの並びになるとは……。

竹下:誰も思ってなかったです(笑)。お客さんから評判がよくて、けっこう売れるんですよ!

藤本:アパ社長にもまけないブラックモンブランの強さに、なんだかお祖父さん(小太郎さん)のイズムを感じちゃいます。

 

おわりに

このインタビューをさせてもらうまで、僕は正直、ブラックモンブランが関西や関東でも食べられるようになっていく未来に対して少し否定的でした。その土地に行くからこそ食べられるものの幸福というのは確かにあるし、インタビュー中にも語ったように、適切な規模感とか身の丈感のようなものこそが大切なのではないかと思っていました。

しかし竹下製菓さんと同郷、佐賀のビッグお菓子メーカー、森永製菓や江崎グリコだって、どこかでその身の丈のたがを外した瞬間があって現在の状況があるわけです。竹下製菓さんの身の丈は竹下さんが決める話。そう思えば、まさにいま僕は、未来の巨大お菓子メーカーの大きな転換点に立ち会っているのかもしれないと、そんなふうにさえ、思うようになりました。

となれば、あとは全力応援するのみ。ブラックモンブランと言えばスイスの山、ではなく、日本のアイスだと、世界中の人々に言われるまで、世界に届け!ブラックモンブラン!

構成:山口はるか
撮影:キリアン隆恵