両手を開いて指を揃え、斜めに構えて屋根をつくる。これは手話で「家」を意味します。それをそのまま、勢いよく頭の上に突き上げると……?

「いえーーーーぃ!!」

一瞬にして、気分高まる、エネルギーに満ちたポーズへと早変わり。

これこそが今回ご紹介する「手話エンターテイメント発信団oioi(オイオイ)」の代名詞とも言えるパフォーマンス。彼らは「笑い」を通じて、聞こえる人と聞こえない人の間にあるバリア(無関心など)を壊し、手話を「誰もが楽しめる文化」として広める活動をしています。

「手話」というと、どこか真面目で堅いイメージを抱く人も多いかもしれません。私も彼らのステージを体験するまでは、そう感じていた一人。でもメンバーと一緒にこのポーズをやると、不安はいつの間にか消え、会場全体が仲間のような一体感に包まれていました。

(提供:oioi)

手話は単なる「伝達手段」に留まらない、見る人の心に直接届くパワフルな可能性を秘めているのかもしれない。そう確信した私は、彼らの活動の拠点である大阪へと向かいました。

今回お話を伺ったのは、メンバーの岡﨑伸彦さん(以下、のぶ)と中川綾二さん(以下、りょーじ)。取材前、お気に入りのあのポーズをリクエストすると、返ってきたのは全力の「いぇーーーい!」。その弾ける笑顔を前に、思わず笑みが。

左:りょーじさん/右のぶさん。取材はoioiの事務所近くの公園で行った

手話を「特別な人だけが使う専門技術」ではなく、誰もが参加できる「生きた表現」として広げようとするoioi。彼らは「福祉」の枠組みを超えた先に、どのような社会を見据えているのか。これまでの活動の歩みとともに、たっぷりと話を聞かせてもらいました。

 

“きこえ方”を知ることは、ルーツを知ること

今日は、よろしくお願いします。あっ、せっかくだから「よろしく」を手話でどう表すのか教えていただいてもよいですか?

もちろんです! まず顔の前で、拳を握った「グー」! そこから頭を下げつつ、手をパッと縦に開く! これで、〈よろしくお願いしまぁーーす〉です!!

相変わらずテンションが高くて、元気もらえます! こうして実際に動いてみると、気持ちが乗ってくる感じがしますね。

そうなんですよ。わくわくするでしょう?

最高です。……あ、お話を伺う前に、お二人の「聞こえ方」についても伺ってもいいですか? 不躾かもしれませんが、どう会話を進めるのがベストかなと思いまして。

全然オッケーです! 僕の場合は、生まれた時から全く聞こえません。補聴器をつけても「周りで何かが鳴っているな」とは分かりますが、言葉の内容までは聞き取れなくて。

では、いま私の言っていることはどうやって……?

「口話(こうわ)」といって、相手の口の動きを見て理解しています。僕は「ろう学校」という聞こえない子供たちが通う学校で、発音と口の動きを読み取る練習をみっちりやってきたので、大体は分かりますよ!

僕も同じく、生まれつき聞こえません。ただ、僕の場合は父が大人になってから失聴し、母だけが聞こえるという家庭だったので、家では手話を使わず「口話」だけで育ちました。兄が地元の小学校に行っていたこともあって、僕もろう学校ではなく普通の学校に通っていたんです。

なるほど。聞こえ方を知ることは、お二人のルーツを知ることでもあるんですね。では、口を意識してはっきり動かしながらインタビューさせていただきます!

 

0.06%の壁を、笑いでぶっ壊す

あらためて、oioiが掲げている「手話を当たり前の文化にする」という目標について伺いたいです。かなり壮大なビジョンですが、実際のところ、いま日本で手話ができる人ってどのくらいいるんでしょう?

おっ、いい質問ですね! 僕らは、「手話が当たり前に使われる社会を目指しています!」って、言い切っちゃってますけど、実は日本で手話を日常的に使える人って、0.06%しかいないんですよね。

えっ、0.06%……!?

そう、1500人に一人という少なさ。めっっっちゃ少な! って感じでしょ(笑)。

だいぶ大きなチャレンジってことは、自分たちでもわかってます。だけど、その数字を知っても余りある「良さ」が手話にはあるんですよ! 例えば、遠くで声が届かない時でも、手さえ見えれば会話ができる。

沖縄にダイビング行った時も、海の中でずっと喋ってたよね。ただ、魚は驚いて逃げてもうたけど。

他にも、図書館や美術館あるいは赤ちゃんが寝ている部屋など、静かにしなくちゃいけない状況でも会話ができます!

あと、手話って「表情」と「ジェスチャー」がセットになった言語なので、表現力が勝手に高まります! 手話を始めてから、「仕事のプレゼンに説得力が増した」っていう方も少なくないです。

そうそう。日常の会話にも華が出ますしね。それから、自然と相手の顔をじっと見て話すようになるので、ちょっとした変化に気づきやすくなる。

変化、ですか?

「髪型変えた?」とか「ちょっと疲れてる?」とか、相手を思いやる力が養われるんです。なにより「自分の話をちゃんと聞いてくれている」という安心感があるから、人間関係がぐっとよくなる!

oioiのパフォーマンスを見たとき、「手話」が単なる「伝達用の記号」ではないことを肌で感じたんです。身体そのものが語りかけてくるというか、感情を乗せるための全身の表現なんだなって。

そう言ってもらえると嬉しいです! 手話って、ほんまに“万能な言葉”やと思うんですよ。例えば、お母さんが子どもを叱るシーン。声だと耳に入った瞬間に「あ、また怒られる」とシャットアウトできてしまいますが、あえて声を出さずに手話で伝えると、相手は状況を把握するためにまずこちらを見ますよね?

たしかに。何が起きているか確かめようと、つい視線がいきますね。

そう。そこで目が合ったら、今度は「なんて言っているんだろう?」と気になって、目をそらせなくなる。この話は、僕らの手話講座を受講されてる方に伺ったリアルな実体験です。

コミュニケーションをあったかく、やわらかくできるのが、手話の力やと思うんですよね。単に「手話ができるようになる」という技術だけじゃなく、「手話で何が伝わるのか」という部分を、日頃の講座でも意識してます。

 

「暗黒時代」からセンターへ。笑いが溶かした孤独の壁

(提供:oioi)

oioiってコントがとにかく面白いですよね! 手話に「お笑い」を掛け合わせるというアイディアは、どこから生まれたんですか?

そもそものスタートは、20年前の2005年。1泊2日で開催した「手話パフォーマンス合宿」が原点ですね。当時、大学の手話サークルといえば、みんなで黒い服着て同じ動きをする「手話歌」が主流で、正直ちょっと地味な印象があったんです。

そこで「いままでにない手話サークルを作ろう」と、聞こえる人も聞こえない人も、手話ができる人もできない人もみんな混ぜこぜになって合宿をしたんです。

なるほど。

そこで「2日間で手話パフォーマンスを作って発表する」というお題を出したんですが、これがもう、めちゃくちゃ盛り上がって! 手話がわからん人も、聞こえない人も、みんなが同じ輪になって笑っていた。「手話って、こんな風に人を混ぜる力があるんや」と確信したターニングポイントでしたね。当初はダンスを交えた手話歌でしたが、その3年後の2008年から、より多くの人に観てもらうためのアイディアとしてコントを取り入れるようになりました。

(提供:oioi)

観客も一緒に楽しむスタイルは、その頃に確立されたものなんですね。

そうそう。楽しい方が記憶に残りますしね! だけど、最初から今のように「楽しい!」ってわけじゃなかったメンバーがいて……(チラリ)。

……急になんやねん。そうだけど。そうです、僕です。今の僕からは想像できないかもしれませんが、昔はめちゃくちゃ性格が暗かった。まさに「暗黒時代」でした 。

え? そうなんですか?

冒頭でもお伝えしたとおり、僕はのぶと違って小・中・高校と地域の普通学校に通っていました。周りが全員聞こえるっていう状況のなかで、コミュニケーションの壁にぶつかることが多くて。1対1であれば口話で理解できても、複数の輪になるともう大変。「今、何の話?」と聞いても、「りょーじには関係ないから大丈夫」って言われてしまうことも多くて。

それは、つらい経験でしたね……。

当時は手話もできなかったので誰とも話したくなくて、完全に心を閉ざしていました。人を避けるように生きてきたし、自分から人に話しかけるなんて、絶対に無理な性格だったんです。

そんなりょーじさんが、今の明るく楽しい姿になるまでに、どんな出来事があったんでしょう?

進学先の大学で手話サークルを見つけて、軽い気持ちで見学に行ったんです。手話を始めたらなにか変わるかなって。ただ、そこでも僕は負のオーラを放ちまくっとった。それを見た先輩が「この子はoioiで元気づけなあかん!」と、なかば強引に連れて行ってくれて。

おお、そこで運命の出会いが!

でも、最初は全然乗り気じゃなかったんですよ。のぶさんは当時からこんな感じで明るいし、自分と正反対の場所に来てしまった、と思いました。みんなが頑張って稽古してる横で、僕だけ一人お菓子を食べて過ごしてましたから。

ネタについて意見を聞いても「ああ、いいと思います〜」って。テキトーな返事しかせんかったよな。

そんな僕が変わるきっかけになったのは、初めてパフォーマンスに出させてもらったときのことでした。たしか大阪市の長居公園やったかな。ステージが終わった後、たまたま通りすがったおばちゃんが僕のところに来て「あんた、さっきのよかったで。頑張りや!」って声をかけてくれたんです。

その瞬間、なんとも言えない感情がぶわあーって体中を駆け巡って。生まれて初めて「誰かに認めてもらった」というか。めちゃくちゃ嬉しかったし、もっと言うと快感に近かった。それで、翌日にはのぶさんに、「僕、センターやりたいです」って言ってました。

りょーじさんが闇を抜けた瞬間ですね……!

僕らも最初はびっくりやったんです。お菓子食べて、テキトーな返事しかしてこんかったやつが……!? って。でも本人から「センターやりたい」って言うこと自体がすごいと思ったから、「いいよ、やりやり」って。

そこからセンターでパフォーマンスするようになったんですけど、やっぱり真ん中って目立つから、やればやるほど見てもらえるし、褒められる。そのおかげで変わったんやろなって思いますね。

(提供:oioi)

「自分なんて」と思っていた場所で、自分を表現し、認められる場所に変わった。その成功体験が、今のりょーじさんをつくったんですね。

ほんまにおかげさまです。今ではこの変貌ぶりをネタにして、コントや講演で話しているくらいで。暗黒期は、自分自身の聴覚障害を「マイナスなもの」としか捉えられず、受容できていなかった。でも今は、困ったことに出くわすと「よっしゃー! ネタゲット!」って思えるようになりました。

やっぱ大阪はお笑い文化が根付いてるから、自虐すらも笑いに変えて受け入れてくれる許容力があるんですよね。

お客さんから「真面目な話だけだと重くて目を背けたくなるけど、oioiは笑いを交えて話してくれるから素直に受け止められる」って言ってもらえることが多いんです。そのたびに、こういう伝え方があってもいいんやなって自信になりますね。

 

「声」では届かない想いが、手話なら伝わる

のぶさんはどんな少年時代だったんですか?

僕は昔っからこのまんまの性格ですね(笑)。家族全員がきこえない環境で育ったので、幼い頃からろう学校で「口話」もみっちり勉強しました。だから、相手の口の動きを見れば、大体言ってることは分かります。

りょーじさんと同じように「聞こえない」ことで苦労された体験はありましたか?

うーん、僕も小学校からは普通の学校に行きましたが、りょーじとは性格が全然違うので、話題を自分から振ることでコミュニケーションをコントロールしていましたね。

コントロール、ですか?

そう。「昨日、ドラゴンボール観た?」って自分から言えば、相手の返答もドラゴンボール関連になるでしょ。そうやってテーマを絞り込めば、口の動きからも内容を予測しやすくなるんです。

なるほど……策士!

あと口の動きじゃなくて、表情だけでも結構伝わるんですよ。笑顔ならポジティブな内容だろうし、顔が怒っていれば「あ、なんか怒られてるな」って。このあたりは皆さんも共感してくれると思うんですけど。

怒っているとき、手話が早くなる人おるよな。「あ、今この人めっちゃ怒ってる!」っていうのが、スピードや手の強さでダイレクトに伝わってくるんです。

面白いですね。情報を得るために相手の表情や動きをしっかり見る。その「目をそらさない」という手話特有の所作が、結果的に、相手の心に深く触れるコミュニケーションにつながってる気がします。

本当にそうやと思います。声で伝える言葉との違いはそこにある気がしますね。声って簡単に出せる分、つい感情に任せてキツくなってしまうことがある。僕自身、子育てでつい大きな声を出して、娘を泣かせてしまったこともあって。

無意識に「音の大きさ」で威圧してしまったんですね。

だから、あえて声を出さずに手話で伝えるように変えてみた。すると、僕も冷静になれるし、娘もじっと僕を見て、落ち着いてこちらの話を聞いてくれるようになった。相手としっかり目を合わせることで、トゲのある言葉がやわらかくなるんです。

逆に、「声には出せないけど、手話なら言える」っていうパターンもありますね。ある受講生のお母さんは、内気な娘さんと手話を一緒に覚えたら、娘さんが何かにつけて「ありがとう」と手話で伝えてくれるようになったそうです。声に出すのは照れくさくても、手話という身体表現なら、不思議と素直に届けられる。そんなパワーもあるんです。

 

誰もが“面白がれる”文化を目指して

言葉になる前の、もっと原始的な感情を届けられるのが手話なのかもしれませんね。一方で、最近はSNSでも手話パフォーマンスが人気ですが、「表現の境界線」について議論されているのを目にするようにもなりました。

手話に興味を持ってくれるのはすごく嬉しいです。ただ、「振り付け」として一人歩きしてしまうことへの懸念は、方々で議論になっていますね。意味を理解せずに動きだけを真似ると、本来の「言葉」としての機能が失われて、ただのダンスになってしまう。

「言語としての正確性」が損なわれてしまう、と。

オリジナルが正しい手話であっても、真似る過程で見た目ばかりが優先されると、最終的に意味の通じないものに変わってしまう。発信している人が有名であればあるほど、ブレイクして、言語としては全く違うものが「正当」になってしまう恐れがあるんです。

手話が「言葉」であるという認識があるかないか、そこが大切なんですね。

ただ、これは僕個人の見解ですが、将来的に手話が「文化」として当たり前に浸透した先には、もっと「表現のあそび」があってもいいと思っているんです。

「表現のあそび」、ですか?

例えば、歌詞の意味は分からなくても、言葉の響きや羅列が「美しいな」と感じることってありますよね。今はまだ手話が浸透していないから「合っているか、間違っているか」の議論が優先されますが、いつかみんなが手話を理解できる時代が来れば、多少の崩しも「表現」として受け入れられるはず。僕は、手話がそんな「豊かな文化」になる未来を本気で信じているんです。

手話に誰もが触れることができて、さらには面白がれる「文化」になる。それはとても明るい未来な気がします!

僕自身、手話のパフォーマンスを通じて自分に自信を持てた一人です。だからこそ、聞こえる人たちにも手話を「自己表現」として楽しんでほしい。ただ、パフォーマンスして終わりにするのではなく、その先にある「コミュニケーション」を楽しむところまで含めて、手話を扱ってもらえたら最高に嬉しいですね。

聞こえる人が手話の言語性を大切にしながら、一緒に楽しめたらいいですよね! 最後に、oioiのこれからについても聞いていいですか?

僕らは今年、全国の学校で使える映像教材を制作しました。聞こえない人の困りごとを知ってもらう機会は、まだまだ少ない。この映像を通じて、子どもたちが「聞こえない誰か」のことを想像できるような社会につなげていけたらいいなと思ってます。

あくまでも答えを渡すんじゃなくて、自分たちで考えてもらうための動画です。YouTubeで無償公開していますので、ぜひチェックしてみてください!

撮影:山元裕人/編集:日向コイケ