
「僕の父、定年退職したあとオルガン職人になったんですよね。田舎に移住して」
こう話すと、たいてい「どういうこと⁉︎」と食いつかれる。
オルガンとは言っても、電子オルガンでもなければ大きな教会にあるような立派なパイプオルガンでもない。「ポルタティーフオルガン」という、膝に乗せて演奏するような小さなオルガンだ。

これが「ポルタティーフオルガン」。アコーディオンに仕組みは似ているが、もっと歴史が古くて、すべて木の部品でできている
8年前に定年退職するまでは高校で美術を教えていた父だったが、教師だった当時から油絵で絵本を出版したり、陶芸で個展を開いたりと、僕が知るだけでもかなり多岐に渡る制作活動に手を出していた。教師の前は版画家だったとも聞いたことがある。
そんな父がここ数年打ち込んでいるのが、オルガンづくり。「なんでオルガン?」と息子の僕でも思う。そんな父の話を飲み会でジモコロ編集長のだんごさんにしていたところ、「ジモコロで取材しよう!」と身をのりだしてきた。
そういえば僕自身、父の創作の背景にある経歴や想いみたいなものをほとんど知らない。
どうやってその技術を身につけたの? どうしてその熱量で表現活動に打ち込めるの? 表現を続けるなかでつらいことはなかったの?
ふつふつと、今まで意識したこともなかったような質問が湧き上がってくる。「ぜひ!」とだんごさんに二つ返事をして、この記事を書くことになった。
来年で70歳になる父の工房は、山梨県に借りている畑つきの古民家。ふだんは家族が大勢集まるときにも使っている、第二の実家のような場所だ。すこし暑くなってきた6月の上旬、そんな工房に行ってきた。

野菜もテラスも、すべて手づくり
「そこに生ってるいちご、食べてもいいよ。まだ酸っぱいけどね」
東京から約2時間、山梨県・北杜市まで車を走らせてきた僕たちに、いきなり父が言う。端材でつくられたプランターからもぎったいちごは確かに酸っぱいけど、運転の疲れを吹き飛ばすのにちょうど良かった。

だんご:甘酸っぱい! 元気が出ますね。畑もあるけど、野菜も育てているんですか?
父:そうそう。定年退職したら晴耕雨読の生活がしてみたくてね。季節ごと野菜を育てたり、昔は蕎麦を植えて栽培から蕎麦打ちまですべてやってみたこともあったね。蕎麦はたいへん過ぎたからもうやりたくないけど。

須藤:須藤家は年末に、ぜったいお父さんが蕎麦を打つんだよね。
だんご:いろんなものを作るお父さんなんですね。蕎麦も。
父:出身が秋田の山あいでね。田舎だったし、蕎麦を打つのは当たり前だったんだよ。親父も兄も、みんな打ってたね。

だんご:DIY精神はそのころからなんですかね。
須藤:この家の家具とかテラスも手作りですからね。
父:そんなことより、今日はオルガンを見に来たんでしょ? 工房から見てみる?
だんご:見たいです!

完成まで一年半。そもそも「ポルタティーフオルガン」とは?
だんご:わっ、この大きいのは窯……? ほかにも見たことのない道具がたくさんありますね。
父:それは陶芸用の灯油窯。こっちは銅版画用のエッチングプレス機だね。

須藤:お父さんは、僕たち子どもが生まれる前は版画家だったらしいけど、プレス機はそのころから?
父:そうそう。もう版画はしばらくしてないけど、貴重なものだからずっと大切に持ってるんだよね。今は陶芸のとき、粘土を延ばすのに使っているだけだけど。
だんご:そんな使い方も(笑)。陶芸や版画も気になるんですけど、特にオルガンが気になって来たんです。 むかし学校に置いてあったようなものとは違いますよね?
父:これは「ポルタティーフオルガン」と言って、意味は「持ち運びできるオルガン」。中世ヨーロッパで誕生した楽器で、教会や学校に設置されるような一般的なオルガンとは違って、膝に乗せて演奏される小さなオルガンです。

父:背面についているふいごで中に空気を送ると、押した鍵盤に対応したパイプにだけ空気が通って音が鳴るというすごく単純な仕組み。ちょうどみんなが来るまで、部品の木材を切ってたんだよね。

須藤:これはどこに使う部材?
父:パイプの部分に使う板。この長さが音程を決めるから、かなり大事な作業だね。
須藤:そういえば管の長さだけでも1mくらいある大きいのもつくってたよね。あれもポルタティーフオルガン?
父:いや、あれは「ポジティブオルガン」っていう別の種類。
だんご:じゃあ、今は2種類のオルガンをつくって販売することで生計を立てていらっしゃる……?
父:いや、そんなに頻繁に売れるものでもないからね。販売もしているけど、オルガンづくりのワークショップがメインかな。月に2回の講習で、完成まで1年半。今は9人の生徒が参加してくれています。

だんご:完成まで1年半! 複雑そうですし、それくらいかかるんですね。しかし知らない世界だ……。
父:日本でも、海外でも珍しいワークショップじゃないかな。ポジティブオルガンも見てみる? コーヒーも入れたから母屋のほうにどうぞ!
つくるのは30年ぶり。設計図から始まったオルガンづくり

こちらがポジティブオルガン
だんご:思ったより大きい……! 学校にあったオルガンくらいある。見た目はパイプオルガンのイメージに近いですね。
父:そうそう。簡単に持ち運びはできないけど、鍵盤が増えるからポルタティーフでは演奏できないような音楽を奏でるために、中世以降、キリスト教の礼拝や室内楽で使われていたみたい。仕組みはほとんどいっしょだけど、俺は電動で空気を送るようにしちゃった。
これは設計図から自分で作ったから、時間もかかったなあ。ちょっと弾いてみます? いま電源を入れるから。
だんご:パイプオルガンなんかはおごそかなイメージがあるけど、思ったよりかわいい音というか、やさしい音色なんですね。
父:ぜんぶ木でできているからかな。実はこれが誕生したルネサンス時代の写本とかを見ていると、当時は金属でつくられていたみたいでね。まだ工具や加工技術が発展してないから、今みたいに木を細かく精密に切ったりできなかったんだと思う。
須藤:そうなんだ! むしろ金属のほうが加工が難しいイメージがあったから、すこし意外かもしれない。
そういえばさっき「設計図からつくった」って言っていたけど、誰かにオルガンづくりを教わったりしたわけではないんだよね? どうやって内部の仕組みやデザインを考えたの?
父:大昔に、とあるクラシック音楽雑誌がポルタティーフオルガンのつくり方を連載してたんだよ。それは小学生の自由研究向けくらいの簡単なつくり方だったけど。それを見ながらつくってみたのが最初。
だんご:そんな連載が!
父:そこから古い文献を漁ったり自分で試行錯誤しながら、まずポルタティーフオルガンの設計図を完成させた。ポジティブオルガンはそのつくり方をさらに発展させてつくっただけかな。

お父さん作成の設計図
だんご:さらっとすごいこと言ってません?
須藤:自分の父ながら、そこまでひとつのことを深掘りできるのは尊敬しちゃうな……。そもそもどうしてオルガンをつくろうと思ったんだっけ?
父:大学時代に古楽(※1)をやっていたからポルタティーフオルガンの存在は昔から知っていたんだよね。でもつくるようになったのはさっき言ったように、雑誌に載ってた設計図を見つけてから。
当時もう教師だったから、美術部の活動の一環として生徒にオルガンをつくらせてみたんだよね。せっかく部活としてやるのに、美術の授業の延長みたいに絵や彫刻だけではつまらないでしょ。でも、生徒には思ったよりたいへんだったみたいで、期間内に完成まで持っていけた子は少なかった。
※1 古楽……主に中世、ルネサンス、バロック時代にヨーロッパで演奏されていた音楽

だんご:そこから自分でもつくるようになったんですね。
父:いや、そこからだいたい30年はつくってなくて、本格的に再開したのは定年後かな。
だんご:30年!? だいぶ空きましたね。よくそこから。
須藤:僕もずっとつくり続けてたのかと思ってた! 陶芸や油絵に比べると最近だね。
父:まだ7年くらい。正直に言うと、ようやく満足のいくものがつくれるようになってきたくらいだよ。
お父さんの知人によるポジティブオルガンの試奏動画
教員になったことで、創作の環境が整った
須藤:そもそもなんだけど、断片的に「版画家だった」とか「雑誌編集者だった」とかは聞いたことあっても、お父さんの経歴を詳しく聞いたことないんだよね。
父:まあ、親子でそういう会話は意外としてないかもね。大学卒業後から辿っていくと、最初はさっき言ったクラシック音楽の専門誌で3年くらい編集をしてたかな。

だんご:あ、美大を出て最初は出版業界に入ったんですね。
父:そうそう、知り合いのツテでね。でもやっぱり美術には関わりたくて、そのあと結婚するまでは中学校で美術の先生をしてた。
須藤:そうなんだ! 先生になったのはもっと後かと思ってた。ちなみに「結婚するまで」ということは、結婚と同時に先生をやめたの?
父:そう。表現で生きる夢を諦めきれなくて、結婚する直前に版画家として独立した。2人目が生まれるまでだから……4年くらいは版画を売って生計を立ててたかな。今思うとよく義両親も許してくれたよね。
だんご:そうですね!(笑) 結婚を機に就職じゃなく、アーティストとして独立。
父: でもさすがに子どもが2人となると生活が苦しくなって、そこからまた教員の世界に。しかも新しく高校の教員になることに決めたんだよ。

須藤:それって34歳とかだよね。もともとやっていたとはいえ、その年齢から教師になる人って当時は珍しくなかったの?
父:いや、ほとんどいなかったと思うよ。今でも覚えてるけど、何を思ったか高校の採用試験の次の日から個展を開催しちゃって。教科書を読み上げた音声をカセットに録音して、それを聞きながら版画を彫ってた。
だんご:結婚前に仕事をやめたエピソードといい、かなり破天荒ですね……。
父:無茶苦茶だったとは思ってる。よくこなせたよ、当時の自分も。でもその甲斐もあって無事に高校の先生として採用されて、それからはずっと美術教師だね。
須藤:編集者から版画家になって、美術教師に。ようやく僕も知っている経歴に追いついた気がする。

須藤:とはいえ、教師になってからも制作は続けてたんだよね?
父:うん。油絵は大学時代から続けてたし、陶芸にいたっては教師になってから始めたかな。
だんご:それはやっぱり、版画家をやめても制作への未練みたいなものがあったんですか?
父:いや、むしろ教員になったことで制作を続ける環境が整っちゃったんだよね。
だんご:というと?
父:美術の授業って、デッサンはもちろん、版画だったり陶芸だったり、いろいろなジャンルをやるでしょう。だから先生自身も生徒に教えるために、いろんなジャンルに精通している必要があるんだよ。
だんご:美術の先生=絵が上手いだけじゃないんですね。いろんなジャンルを教えられなきゃいけないんだ。
父:僕はそういうのが好きだったんだよね。それで学校側をなんとか説得して、陶芸窯だったり電動ろくろだったり、いろいろな機材を赴任先の学校に置いてもらったんだ。
須藤:なるほど、環境をフル活用してる。

父:役得だよね(笑)。だからむしろ教員になってから、かなり制作の幅が広がったかもしれない。今つくってるオルガンも、最初は美術部の課題として生徒といっしょにつくってたわけだからね。
だんご:相当おもしろい先生だったんだろうな……。陶芸できる機会なんて普通はなかなかないし。
須藤:「須藤先生がいた学校には陶芸窯が残る」っていうのも、先生たちの間で話題になってそう。
創作の背景にあるのは「感動させたい」
だんご:教員時代も含めてかなりの数の作品をつくってきたと思うんですが、ご自身にとっての「名作」みたいなものってあるんですか? いちばん想いのこもった作品というか。
父:うーん……。でも、絵画なんだろうね。
だんご:そこの壁にかかっている油絵とかですか?

父:うん、あれもそうだね。俺は絵画っていう芸術表現は単なる技術の披露とか、表面的な美しさだけの世界じゃないと思ってて。「自分の心の奥にあるものを引っ張り出す」という、ものすごく精神的な作業。
だんご:対象を上手に描く、だけではない。
父:空気感や形、色の描写っていう技術ももちろん大事なんだけど、自身の心の中にある「何か」を見つけ出さないと絶対に描けない。だから極論、30年美術の先生をやっていたわけだけど、「俺は人に絵画を教えることはできない」って思ってる。
須藤:ものすごく体重が乗った言葉だ。だからこそ、いちばん気持ちがこもった作品というと絵になってくるのか。さいきんはオルガンや陶芸に打ち込んでいるからすこし意外だったな。
父:オルガンや陶芸っていうのはどちらかというと「ものづくり」なんだよね。たとえば陶芸だと、ろくろを回す際の土の感覚や、わずかなミリ単位のずれが作品の印象を大きく変えちゃうでしょ。いい作品をつくるためには、感覚やずれをコントロールできるように、手先の感覚を研ぎ澄まして、経験を積むことが不可欠。
だから、「自分の内面と向き合う」というよりかは、俺にとってはひたすら「自分の技術を磨き続ける」というジャンルになってくる。

須藤:なるほど。今までは父さんのことを「そのとき興味ある表現ジャンルに猪突猛進している人」だと思っていたから、そこまで自分の中で言語化しているなんて知らなかった……。
でも、もちろんオルガンや陶芸だってストイックにクオリティを追い求めてきたんだよね。「内面に向き合う表現」と「技術を磨く表現」2つに共通していることって何があるの?
父:ありきたりな言葉かもしれないけど、人を感動させたいっていうことに尽きる。絵画のような精神的な表現もそうだけど、使い勝手の良い茶碗、オルガンから生まれる音楽も。かたちは違っても、こういうものを通じて喜んでもらえることがいちばんモチベーションになってるんだと思う。
須藤:「人を感動させたい」って、たしかにすごくシンプルだけど、何よりも芯のあるモチベーションだよね。
また戻ってこられるから、気の向くままに

須藤:ちょっと踏み込んだ質問だけど、ひとつの表現に絞ってたら、っていう後悔はないの? 版画家をやめなかったら……とか。
父:それはまったくないね。 教員になったのはある意味生活のためだったかもしれないけど、編集に版画、教職も、積み上げてきたものがすべて今に繋がっていると考えると、いっさい後悔はしてない。
だんご:それは、現状にまったく不満がないということですか?
父:まあ、油絵や版画に絞ってたら今どんな作品をつくってたんだろうと考えることはあるけどね。
でもさ、ずっと続けて今よりもはるかにいい作品をつくれたとして、それでどれだけ人に感動を伝えられるかはわからないからね。いまつくっているもので喜んでくれる人がいるならそれでいいというか。

須藤:たしかに、ワークショップにもたくさん生徒がいて、陶芸にもちょっとずつファンが付いてきて。そういうのも全部教員をやってなかったら生まれてないことだよね。
父:そうそう。
須藤:もうひとつ聞きたいのだけど、創作活動を続けてきて「もうやめたいな」って思うことってなかった? 僕自身、ライターだったり趣味で音楽を続ける中で、「つらい」と思うことはあるし、周りにいる人もすこしずつやめてくのを見ていて。
父:自分の周りを見渡しても、同世代でいまだに創作を続けている人ってほとんどいないね。でも、俺の場合はやめようと思ったことはないかなあ。
須藤:それって秘訣みたいなものがあるの?
父:いや、秘訣なんてまったくなくて、ただ好きなんだよ。常に自分がやってることが。

だんご:飽きたりはしないんですか?
父:うーん、なんかある? 近くで見てて俺が飽きたことって。
須藤:ない。増えていく一方。
父:ただ、やらなくなっちゃったことはたくさんあるよ。例えば銅版画がまさにそうだね。でもそれは、他のことをいっぱいやらなきゃいけなくなって、それができなくなってきたの。
だんご:時間がなくなったってことですか?
父:そうそう。すぐほかのことに興味が出ちゃうと今度はそっちを全力でやっちゃう。でも、そうなったときに「二度と戻らないぞ」とはまったく思ってなくて。今でももし時間ができたら銅版画もつくりたいし油絵も描きたい。
どうしてもひとつのことを極めないとって思いがちだけど、いろいろ挑戦した結果の集大成が、いつか必ず完成するからね。
須藤:なるほど。だから常に今打ち込んでいるものを好きでいられるのかもね。
父:うん。ちなみに今は絵本をつくりたいと思ってる。
須藤:もうオルガンの先が出てきた。でも、たしかにそれも20年前に打ち込んでいたものだものね。

おわりに
帰り際、見慣れたはずの玄関に掲げられている漢文が目に入った。
「平生富貴逐春来」

父:ここを借りたときにもともと彫ってあった漢文でね。調べてみたら「人生の富や幸運は常に一定ではないけど、自然の流れといっしょで春とともにまた巡ってくる」っていう意味らしい。いい言葉だったから塗り直したんだよ。
日々の小さな選択や人生の大きな決断に悩んで立ち止まってしまうことが多いけれど、選んだ先で中途半端なことをせず、全力で打ち込めばいい。その集積がいつか何かに成るし、恋しくなったらまた戻ってきてもいい。一定じゃないことを受け入れて、変化に身を委ねてもいいのだ。
本人は気付いてないかもしれないが、軒先に掲げられたひょうひょうとした言葉と父の後ろ姿がすこし重なった。
撮影:Hide Watanabe(@sumhide)




















































