
こんにちは、ジモコロ編集部の柿次郎です。今年でジモコロは10周年を迎えました。これまで読んだり応援してくれたりしたみなさん、本当にありがとうございます!
10年間、本当にいろいろありましたね……。全国を飛び回り、時には自分がいま北海道にいるのか、沖縄にいるのかさえわからなくなりながらも、身ひとつで取材を続けてきました。
そんなジモコロの歴史のなかでも、僕の脳みそに深く刻まれている記事がこちら。
静岡県・富士宮市でタケノコ農家をやっている風岡直宏さんの記事です。

2015年、別の取材で静岡を訪れていた僕たちの前に突如現れた「風岡直宏がたけのこで日本一の味を目指しています」という看板。その時、僕の編集者としてのアンテナがビビビと反応し、突撃取材した記事が、いわゆる大バズりしたんです。この記事が、僕にとってのジモコロというメディアの方向性を決定づけたと言っても過言ではありません。
それをきっかけに、風岡さんには「タケノコ王」という異名がつき、メディアへの出演も増えたのだとか。
もう一度話を聞きたいと思っていたけれど、なかなか会えなかった風岡さん。今回、ジモコロ10周年のトークイベント「ジモコロ10周年ナイト」で出演依頼をしたら、速攻で「OK」の連絡が!
この記事では、会えなかったふたりの10年を埋めるようにたくさん喋ったトークの様子をお送りします。
※この記事は5/29に開催された「ジモコロ10周年ナイト」でのトークと、楽屋での風岡さんとのお話を元に再構成したものです。
タケノコ農家は楽じゃない!
「では、さっそくお呼びしましょう。タケノコ王こと風岡直宏さん!」
「みなさん、お待たせしました! 風岡で〜す!!!!」
会場「(とまどいつつも拍手)」

のっけからこのテンション
「あ〜、こういうテンションでしたね(笑)。思い出してきました」
「ちょっと拍手が少ないんじゃない? みんな俺さまに会いに来たのかと思ったのに」
「はい。まず風岡さんがやっているタケノコ農家について、改めて聞きたいなと思ってます。タケノコ農家という仕事があること自体も、知らない人がいると思うんですよね」
「タケノコ農家っていう仕事を人に説明するのって、ほんと大変なのよ。タケノコって、山菜みたいに勝手に生えているのを採るというイメージがあるんだけど、違うんだよね」
「おじいちゃんおばあちゃんが山に行って採ってアク抜いて食べる、みたいなね」
「タケノコは2月〜5月の連休明けくらいまでがシーズン。でも、それ以外の時期も手入れがあるから。肥料を年間6回、草刈りを3回、あとは竹の伐採とか、年間300日くらいは山に入ってるね。管理している竹林は5000坪ある」
「すご! 収穫の時は一日にどれくらいの量が取れるものなんですか?」
「多い時で100キロちょっとかな。しかも、ここは誤解されがちなところなんだけど、地面の上に出ているタケノコじゃないのよ。地面の下に埋まっているものを掘っているのよ。それで100キロ採るって、本当にすごい体力がいる」
「100キロ……! 全部、手で掘っている?」
「もちろん。タケノコを採るための機械はないし、手で掘らないとタケノコが傷付いちゃうから。タケノコ収穫って、繊細かつパワーが必要な作業なんだよね。
掘るためのクワは、鍛冶屋さんに特注した僕専用のものを使っています。重さは2.7キロ。大きく振りかぶってクワを土に突き刺すんだけど、間違えると足の指なんか簡単に切断しちゃいます」
「いや、こわい」

特注したピンクのクワを使ってタケノコを掘る風岡さん(Youtube「タケノコ王チャンネル」より)
「僕は23歳までプロのトライアスロン選手として活動していたんだけど、タケノコ収穫とも通じるところがあるなと常々思ってる。いかに早く、正確なパフォーマンスをするか、そして一日の疲れを翌日に残さないように回復するか。それがポイントだよね」
「体力がないとできない仕事だと。農家っていうよりアスリートみたいですね」
「そうだよ。だから食事の栄養バランスと、睡眠にはこだわってる。大谷翔平選手と同じマットレス、パジャマは上下で3万円する疲労回復効果のあるものを着て、毎日10時間は寝てる。あと、目の調子が悪いとタケノコの発見率が著しく落ちるから、わかさ生活の『ブルーベリーアイ』も飲んでる。ほんとは1日1錠だけど、2錠も」
「大丈夫ですかそれ?(笑)」

「まだ地面のなかにあるタケノコは、青みがなくて、透き通るような黄色い色をしている。やわらかくジューシーで、甘味が強くて、アク取りが必要ないくらいエグみが少ない。それはそれはおいしいんだよね。感動を約束しますよ。やっぱり 一生に一度は、本物の味を知るべきだと思うんだよね」
「それは食べてみたい」
「北青山にあるミシュランの星を獲ったことのある料亭は、うちのタケノコの味を信頼していて、ワンシーズンで150万円近く買ってくれてるよ」
「高級食材だ! ぶっちゃけ、そんなに注文が入るのなら儲かるんじゃないですか? 」
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風岡さんが作る「白子筍(しろこたけのこ)」は、他の農家が言う白子とは全くの別物。動画を観れば、その白さに驚く
「タケノコのシーズンだけ見るとそうなんだけど、1年でならすとそんなに大したことがないわけですよ」
「でも、10年前に取材した時は、タケノコと、クワガタムシの飼育・販売でフェラーリを買ったと話してましたよね」
「最近では、タケノコの需要も落ちてきて、価格が下落してきているんだよね。それをご理解ください」
「なるほど。それだけ身も心も捧げているのに、タケノコだけでは食えない厳しさが……」
ジモコロ取材後、タケノコ王となり、武井壮と対決

当時の記事より。風岡さんも若い!
「そもそも僕が風岡さんに取材したのは、別の取材の帰り道にたまたま風岡さんの農園を見つけたからなんですよね。なんかおもしろそう! とアンテナが働いて。風岡さんに会ってすぐに『これは、やばい人だ!』とわかりました。そのままレコーダーを回しはじめたんです」
「ジモコロ、反響がすごかったよ。自分の携帯では記事を見ることができなかったんだけど、友だちがファックスで記事を送ってきてくれたんだよね。うれしかったよ。けっこういい記事だったじゃない。あなたセンスいいよ」
「ありがとうございます。風岡さんとの出会いが僕自身の人生も変えてしまった感じはありますね。あれ以降、脳汁が出るようなおもしろい出会いを血眼で探して、全国を回っていたので」
「僕みたいな人、なかなかいなかったでしょう」
「なかなかいなかったですねえ。風岡さんとは、取材後ぜんぜん会えてなかったんですよね。この10年間、どうでしたか?」

2015年、取材当時の風岡さん。肩のテーピングはタケノコ収穫時の怪我ではなく、筋トレで痛めたらしい
「ジモコロで取り上げられたあと、まず『日経MJ』の取材が来たんだよ。その時に『僕はいつか情熱大陸に出たいんです』と伝えたら、『情熱大陸から声がかかるように、気合いを入れて記事を書きますね』と言って、僕に通り名をつけてくれた。それが “タケノコ王”」
「風岡さんが“タケノコ王”になった瞬間だ……!」
「まだ情熱大陸から連絡は来てないですけど、日本テレビの『沸騰ワード10』には“プロ農家”として何回も出演させてもらっている。武井壮さんと対決もしましたよ」
今夜はタケノコ王と真の王座をかけて対決や。。やったろやないかい。。19時から『沸騰ワード10!!』ご覧くださいませ。。 pic.twitter.com/ljzWu9imwc
— 武井壮 (@sosotakei) July 29, 2016
一体なんの対決……?
「『沸騰ワード10』ではみやぞんさんや藤原紀香さんとも共演してましたよね。すごいことになってる!と思って見てたなあ」
「僕は、インターネットもわからないし、情報発信が自分でできないんだよね。Youtube『タケノコ王チャンネル』も人に任せている。だから、メディアの人たちが僕たち農家のことを発信してくれることは、ありがたいと思ってるよ」
怪我からの引退宣言。そして復活の鍵は意外なアレ
「歩んできた道が間違いじゃなかった」今年で引退“タケノコ王”が考えるこれからの農業【現場から、】【LIVEしずおか特集】(「SBSnews6」公式YouTubeチャンネルより)
「タケノコ農家として働きつつ、メディア出演もしていた2024年に『タケノコ農家 引退』を宣言してましたよね。引退を決意したのはどうして?」
「タケノコ農家として身体を酷使しすぎて、6年前に一度手術した右足首の軟骨がほぼなくなってしまったんだよ。このままだと、日常生活もままならなくなるなと」

赤い丸の部分がすり減ってなくなった軟骨
「軟骨が!!! でも、さっきの話だとそれくらいのハードさですよね」
「収穫を休んだら美味しいタケノコが届けられなくなっちゃうじゃない。だからマウスピースをして、歯を喰いしばって、痛みに耐えながら山に入ってた。タケノコ農家って、本当に重労働なんだよね」

「お医者さんは二度目の大きな手術をすすめてくるけれど、手術をするとタケノコの収穫ができなくなるし、たとえ手術をしても、それは日常生活を送るためのものであって、アスリートの生命を回復させるためのものではない。これはもう、タケノコ農家を引退するしかないと思ったんだよ」
「ポジティブお化けみたいな思考の風岡さんが、そこまで追い詰められていたんだ」
「だけど、今ピンピンしてタケノコ採ってるでしょ」

「その理由は、自作の靴のインソールに変えたから」
「!?」
「人工関節の手術は、7年の耐久性しかないと言われたんだよね。7年後にはまた手術をしなくちゃいけない。タケノコ農家の僕は、きっともっとはやく限界が来る。だから、手術を避けて、なおかつ農家も続けられる方法を考えた。それが靴のインソールを変えることだった。前より足の調子がよくなったよ(※編集部註:個人の感想です)」
「インソールだけでそんなに劇的に変わるもんですか……?」

「だから引退宣言は撤回した。そして、芸能界に乗り出す決意をした」
「どういうこと!!!(笑)」
「さっきも言ったように、タケノコ収穫のオンシーズンって限られているんですよ。ほとんどのタケノコ農家が、オフシーズンに副業をしているんです。僕はね、その副業に芸能界を選んだ。実は今日、僕は午前中にタケノコを掘って、そしてこのトークに来る前に、芸能事務所の面接を受けてきたんですよ。いま、会場に芸能事務所の方が来てます」
「いらっしゃるんですか!」
「だから、このトークは僕のテストマッチでもあるんですよ」
「事務所の人もそんなこと言われたらプレッシャーですよね(笑)。どうりで、会った瞬間からギアの入り方が尋常じゃなくて、爪痕を残しに来ているなと思っていたんですよ!」

風岡さんが自ら加工したインソール。軟骨がすり減った右足首に負担がかからないよう、インソール右側の厚さを増している
メディアの功罪、そしてお天道様は見ている!

「風岡さんに聞きたかったんですけど、いろんなメディアに出るなかで、嫌な思いをしたことはなかったんですか?」
「すごく大変な時期もあったね。家で視線を感じるなと思ったら、塀の外からスマホで撮影されていたり、タケノコを買いに来たお客さんに敬語を使ったら『テレビと違う。真面目すぎてつまらない』と言われたり。かといってお店をタレントショップみたいにすると、以前からのお客様たちを大切にできないじゃない。なんというか、プライベートがだんだん消えていくような感覚だったよね」
「そんなことがあったんですね……」
「芸能界進出の宣言がインターネットのニュースになった時も、『芸能界は甘くない』『若くないから無理だ』というコメントがたくさんついた。でも、それを僕に直接言ってくる人は誰ひとりとしていなかったんだけどね。届かないのにミサイルを撃ってくるような感じ」
「インターネットの悪いところですね」
「でも、実は僕はそれを狙っていたんだよ。みんなの笑いものになればなるほどよかった。なぜなら、強いアンチコメントがつく反動で、『風岡さんをなんとかしてやろう、盛り上げてやろう』という人たちも増えると思ったから。それでね、静岡のスーパーチェーンのタイヨーさんからプロモーション契約の依頼をいただいたんだよ」
タイヨーのPR大使としてチラシなどにも出演している風岡さん
会場:「((((大拍手))))」
「すごい! 割れんばかりの拍手! 風岡さん、会場のみんながあなたのファンになってますよ……!」
「お天道様が見てるって、こういうことを言うんだなって思ったよ。まあ、はじめたばかりだけど、ちょっと芸能界にチャレンジしてみようと思っています」
農家の広告塔になりたい

楽屋でもふたりの会話は続いていた
「メディアに出たことで、嫌な思いもしたわけじゃないですか。それでも風岡さんが芸能界に進出しようとする理由ってなんなんですか?」
「タケノコの普及活動だね。山のなかでやっていることだから、なかなか人目につかないでしょ。それがメディアを通じて、多くの人に知ってもらえる。やっぱり入り口は狭いより広いほうがいいからね。
あと、『農家が食べていけない』という現状を伝えなきゃいけないという使命感もある。情熱を持って、とんでもなくおいしい農産物をつくっている農家がいるんだから、知って食べてほしいじゃない。僕は、農家の広告塔になりたいんです」
「風岡さんは本当に熱くてまっすぐな人ですよね」
「野茂英雄さんがメジャーに挑戦した時、『日本を裏切った』とか『絶対に無理』だとか叩かれて、しかも年俸もすごく安かったらしいんですよ。だけども、いま大谷翔平さんをはじめとする多くの選手が海外で活躍できてるのって、野茂さんが最初にメジャーの扉をこじ開けたからじゃないですか」
「最初のチャレンジャーは向かい風を受けるけれど、後進につながると」
「芸能界に進出する農家の第一号を、僕がやるということです。『やりたい』じゃなく、『やる』ってことです」
「かっこいいな……! でも、これで芸能事務所落ちたらめっちゃおもしろいな……」

「落ちたら、それはそれでまたネタになるからね。チャレンジしている限り、失敗とは言えないわけだし。『風岡直宏は日本一のタケノコ農家』だという自負が一回もブレたことはないし、ウケ狙いでやっていることはなにもないから、笑われてもぜんぜん堪えない。むしろそれを利用しちゃうね。俺さまは」
「風岡さんの今後の野望はありますか?」
「やっぱり情熱大陸に出ることだね」
「まだ諦めてなかった!」
「ぜんぜん諦めてないよ」
「風岡さんの姿勢に感化される人、多いんだろうな。僕自身も、風岡さんと出会って『農家ってすごくかっこいいな』って思ったんですよね。それで、今は長野県の信濃町という田舎に住みながら、小さいながらも畑にチャレンジしていて」
「農業って大変でしょう」
「僕のは家庭菜園レベルなんですけど、それでもすごく大変ですね。風岡さんはそれを商いにしていて、すごいですよ。そんなふうに、僕を含めた多くの人が、ジモコロの記事を読んで移住したり、人生が変わっている。風岡さんたちの生き方が、誰かの生き方を変えているということは今日伝えたかったんですよね」
「タケノコ農家を継ぎたい人はぜんぜん現れないけどなあ」
「だれか継ぎたい人いたら、風岡さんに連絡して!!!」
おわりに〜『情熱大陸』スタッフの方、よろしくお願いします〜

取材から約10年。メディアの露出が増えたこと、世間からいろいろなコメントを投げられたこと、怪我をしたこと、引退宣言をしたこと、それを撤回したこと、芸能界に進出すると決めたこと……。紆余曲折した道を進んできたタケノコ王・風岡さん。
しかし、そんななかでもブレないのは「タケノコのこと、農家のことをもっと知ってほしい、よくしたい」という熱い思い。農業って、こんなかっこいい人に支えられているんですね。『情熱大陸』にも本当に出てほしい! 関係者の方、心根のまっすぐなタケノコ農家・風岡直宏はここにいますよ!
取材先で出会ったおもしろい人と、読者のみなさんに支えられて10周年を迎えたジモコロ。11年目も、引き続きよろしくお願いします!

構成:荒田もも
撮影:番正しおり
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この記事を書いたライター
株式会社Huuuu代表。8年間に及ぶジモコロ編集長務めを果たして、自然大好きライター編集者に転向。長野の山奥(信濃町)で農家資格をGETし、好奇心の赴くままに苗とタネを植えている。









































