
ジモコロ読者のみなさま、はじめまして!
ライター兼地下アイドルの狸山みほたんです。
「地下アイドル」という肩書きですが、昭和62年(1987年)生まれの立派なアラフォー。最近の平成ブームに乗っかっていいのかどうかわからず、横目で見ている世代でございます。
いやいや、自分の青春時代といえば平成ど真ん中(2000年代前半〜半ば)。メイクの流れで言うと、KATEのアイシャドウにFasioのマスカラ、マジョマジョのグロス、パルガントンのパウダー、CANMAKEのチークいうプチプラコスメの流行りをばっちり思い出すことができます。
……と、懐かしがってみましたが、今のポーチの中身もほとんど主力ブランドが変わってない!

大人になったらもっと高級な化粧品を使おうと思っていましたが、今もプチプラにめちゃくちゃお世話になっています。
お世話になりすぎてこの状態。
底を尽きているように見えるが「ある」と信じれば、まだ「ある」状態のKATEの「リップモンスター」と「ポッピングシルエットシャドウ」
すみません、愛用しすぎて……。
だって最近も、KATEの「リップモンスター」も「ポッピングシルエットシャドウ」も、めっちゃSNSでも話題じゃないですか。
KATEから遂に落ちないフィグ色が登場。5/1(土)発売『リップモンスター』の『05 ダークフィグ』
マスクやコップに付きにくいのはもちろん、リップを塗ったまま歯磨きしても色落ちしていないことにびっくりしました!ティントではないので唇の皮も剥けにくいです!グラデもしやすいð#mimiより情報 pic.twitter.com/ZoexVhLnq3
— Mimi Beauty (@MimiBeauty__) April 25, 2021
低価格で高品質、最新のトレンドも取り入れた「プチプラコスメ」って、どんどんアップデートされて、幅広い世代に受け入れられていますよね。そんな女性の間では当たり前の存在であるプチプラコスメですが、ドラッグストアなどで購入できるようになったのはなんと1990年代から。歴史はたった30年ほどなんです!
そもそもプチプラコスメがどのように誕生し、広まったのか。昭和から平成、そして令和にかけての日本人の美意識の移り変わりや、メイクをめぐる流行の背景について、化粧文化論を専門とする米澤泉先生にお話を伺ってきました。
話を聞いた人:米澤 泉(よねざわ・いずみ)さん

甲南女子大学教授。1970年、京都府生まれ。同志社大学文学部卒業。大阪大学大学院言語文化研究科博士後期課程単位取得退学。ファッション文化論、化粧文化論、女子文化論を専門とする。著書は『電車の中で化粧する女たち』(ベスト新書 、2006年)、『コスメの時代』(勁草書房、2008年)『私に萌える女たち』(講談社、2010年)『「女子」の誕生』(勁草書房、2014年)『「くらし」の時代』(勁草書房、2018年)『おしゃれ嫌い』(幻冬舎、2019年)『小泉今日子と岡崎京子』(幻冬舎、2024年)など。
目次
「安くてかわいい」は制度改革から始まった
──今日はよろしくお願いします。早速なのですが、米澤先生ご自身はプチプラコスメを使われますか?
米澤先生「たくさん使っています! KATEは出てきたときから注目していましたし、最近だとセザンヌの『超細芯アイブロウ』がとってもいい。CANMAKEの『カールスナイパーマスカラ』は、自分史上最大にカールして長くなるし、ぜひ多くの人に試してほしいです」

──さすが、たくさんチェックしていらっしゃる! ところで、プチプラコスメが流通し始めたのはいつ頃からなんですか?
米澤先生「1990年代後半ですね。これは単なるファッションの流行ではなく、ある『規制緩和』がきっかけなんです」
──規制緩和?
米澤先生「もともと化粧品定価販売を守る『制度化粧品(※)』という仕組みが導入されていました。しかし、1997年に化粧品の再販制度が撤廃されたことで、ドラッグストアやコンビニでも化粧品が販売できるようになったんです」
※制度化粧品:化粧品メーカーが小売店と直接契約を結び、メーカーから派遣された美容部員がカウンセリング販売を行う流通システムの化粧品のこと
──へぇ、知らなかったです! それまではドラッグストアで化粧品は買えなかったんですか?
米澤先生「はい。再販制度の撤廃以前、化粧品はデパートで美容部員さんから対面販売で買うか、資生堂などのメーカーが運営する店舗で購入、もしくはメーカーの訪問販売が主流でした。しかし規制緩和をきっかけに、各メーカーがドラッグストア向けに低価格で手に取りやすい商品を出し始めたんです」
──今では当たり前のことが、30年前はできなかったんですね。それからプチプラコスメのブランドが出てきたんでしょうか?
米澤先生「1997年にカネボウ化粧品から『KATE(ケイト)』、2003年に資生堂から『MAJOLICA MAJORCA(マジョリカ マジョルカ)』、2006年に『INTEGRATE(インテグレート)』というように、1990年に入ると、化粧品の大手メーカーが多くのプチプラブランドを設立しました。
ちなみに、プチプラコスメの代名詞とも言える『CANMAKE』は1985年、『セザンヌ』は1962年と実は歴史が古く、規制緩和以前から存在するんです。老舗ながらもその時代ごとのニーズに応えてきたんですよね」
──普段なにげなく手に取っていたプチプラにも、こんな長い歴史や制度の変化があったんですね。

日本人は世界的に見てメイク好き! 化粧の歴史を振り返る
──プチプラコスメが90年代から盛り上がった理由は理解できました。では、もっと昔まで遡ってみると、日本のメイクの歴史はどのように進んできたのですか?
米澤先生「古代では、化粧は儀式のときに赤いものを塗って魔除けにするなど呪術的意味が強く、奈良時代には身分の高い人が必死に眉を整えていたことが知られています。平安時代も独特な『まろ眉』が流行しているし、江戸時代にも眉を一生懸命描いている女性の浮世絵がたくさん残されています。眉メイクに関しては1000年くらいの歴史があるんですよ」
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──へえ! それって世界的に見て珍しいんですか?
米澤先生「ヨーロッパにそういった絵画はあまり見られないので、日本特有のものだと思います。細部へのこだわりとか、手先の器用さ、道具の繊細さなど、日本人のオタク気質に由来するのではないでしょうか。
一般庶民に化粧が広まったのも、世界的に見て日本が一番早いと思います。江戸時代の終わりころから都市部の庶民はお化粧をしていました」
──江戸時代はどんなメイクだったんですか?
米澤先生「おしゃれというより『女性のたしなみ』という意味合いが一番ですね。あとは、既婚女性の『お歯黒(※)』や『眉剃り』など、立場をわかりやすくする要素もありました。一方で、遊女のお化粧を真似るなど、おしゃれとしての流行もありました。今でいう、インフルエンサー発信のブームのようなものですね」
※お歯黒:明治時代まで続いた日本の女性の風習で、歯を黒く染める化粧のこと。平安時代には成人、室町時代には政略結婚の象徴として貴族の男女が行っていたが、江戸時代以降は主に既婚女性の貞操の証や美しさという目的で広まった
──そこからどのような流れで、現代のようなメイクの位置付けになるんでしょう?
米澤先生「多くの人にとってメイクが自己表現や趣味、楽しみになってきたのは、1970年頃です。まずは戦後の高度経済成長があって、1970年の大阪万博のころに日本はやっと豊かで余裕のある時代を迎えます。同じく1970年に雑誌『anan』が創刊されて、まずは服装のおしゃれが始まりました」
ananはマガジンハウスが発行するファッション雑誌。1970年に創刊し、2020年に50周年を迎えた(撮影協力:菊田琢也)
──メイクより、まずは着るもの! そうやっておしゃれの入口が広がっていったんですね。
米澤先生「1980年代は『個性的でおしゃれなブランドのお洋服が欲しい!』という時代で、国内のアパレルメーカーによるDCブランド(※)が流行しました。それがある程度落ち着いた1990年のはじめころに、服装はシンプルになって、おしゃれの意識が洋服から顔・体・髪型などに向いていきます」
※DCブランド:1970〜80年代に日本国内で流行したファッションブランドの略。Dはデザイナーズ、Cはキャラクターという意味。代表ブランドにISSEI MIYAKE、Yohji Yamamoto、COMME des GARCONSなど
──日本が豊かになって、服装、そして細部にこだわるようになったんですね。
米澤先生「はい。その後、1990年代に歌手の安室奈美恵さんのファッションを真似た『アムラー』が社会現象になり、茶髪が大流行してネイルアートに凝り始める人が増えました。
その流れで、健康的で小顔に見せるための『小麦肌(ブロンズ肌)』をベースに、眉毛を細く整え、黒いアイライナーで上下まぶたを囲み目を強調するメイクが流行ります。歌手のファッションを若者たちが真似しながら、若者の間から新しいファッションシーンが生まれていったんです」
──90年代よりも少し前のバブル期のメイクもすごいですよね。エネルギーの塊というか、みんなが派手さを競い合っていた印象があります。
米澤先生「そうですね。でも、今思えばメイク技術としてはまだ未熟です(笑)。口紅の色も、みんな同じ色が流行していました。シャネルの19番、ディオールの475番、サンローランの19番……今でも番号を覚えているくらい!」
──今見ると、すごく派手なピンク色でなかなか合わせるのが難しそう。
米澤先生「青みピンクですよね。今だと『ブルベ(※)』の人に合う色とされていますが、当時はカラー診断なんてみんな気にしていなくて。当時は『似合うかどうか』じゃなくて、流行ってるから欲しくなるって感じで。とにかく『流行に乗ること』がおしゃれの証しでしたね」
※ブルベ:肌に青みがかった色(ブルーベース)を持つ人を指す言葉で、パーソナルカラー診断で用いられる分類の一つ。ブルベの反対は「イエベ」と呼び、黄みや温かみのある肌色を持つ人を指す
メイクアップアーティストと若手アイドルが牽引した、90年代プチプラブーム

──私は高校生からメイクを始めましたが、昔の少女漫画を読んでいると『お化粧なんてしたことないし』みたいな描写もよく見ます。最近は子ども向けの化粧品もありますが、メイクを始める年齢はどんどん低くなっていますか?
米澤先生「やっぱりプチプラコスメが出てきた90年代から変わってきています。SPEEDやモーニング娘。など、歌手やアイドルが低年齢化して、彼女たちに憧れる形でメイクを始めた子も多かったのではないでしょうか」
──同世代なのに、大人っぽくて確かに憧れました。それで、お小遣いで買える化粧品がドラッグストアに売ってたら買えちゃいますもんね。
米澤先生「実は、、、90年代に入ってプチプラコスメブランドの人気を後押ししたきっかけはまだあります。メイクアップアーティストの存在です。
CANMAKEが人気になったのは、メイクアップアーティストの嶋田ちあきさん(※)がスティックタイプのコンシーラーをおすすめしたのがきっかけだったそう。今でいう『バズった』状態ですね。そんな風に1990〜2000年代は、メイクアップアーティストや美容家などが注目を集め、現在の美容ブームの始まりとなった時期だと言えます」
(※)嶋田ちあき:80年代から現在まで雑誌やCM、舞台など様々な場面で、タレントや女優、モデルのヘアメイクを数多く担当してきた人気メイクアップアーティスト
──ちなみにバブルが崩壊したあとで、お金がかけられないという理由もありましたか?
米澤先生「それもありますね。だけど、有名なメイクアップアーティストの方がおすすめして『プチプラでお化粧してもいいんだ!』という流れになり、確かに使ってみると品質も良かったんです。それをきっかけに『プチプラメイクは安いから品質が劣る』というイメージが少しずつ変わり、多くの人が手に取るようになったんだと思います」
若い頃のメイクから脱せない理由って?
──メイクって本当に時代によって、主流な流行りがありますよね。
米澤先生「わかりやすいのは『眉毛の太さ』ですね。80年代は太め、90年代は細め、2000年代からまた太く回帰しています。流行は極限まで行くと戻るという流れがあるんですよ」
──確かにそうかも!
2025年の眉毛トレンドは明るめのふんわりだそう(※ジモコロ編集部調べ)
米澤先生「リップの色もそうで、浜崎あゆみさんが大流行した時代は『ヌードな口紅』の色が流行っていました。目元のメイクを目立たせて、唇はグロスだけ……というような。化粧品会社の方も『みんなあゆのメイクを真似してた頃は口紅が全然売れなかった!』と言っていましたね。今は売れ行きは戻っていますが、かなり時間がかかったようです」
──たしかに、『口紅の色よりもグロスの艶!』みたいな時代がありましたね。
米澤先生「ただ、10代や20代にヌードな口紅の色が主流だった人は、なかなか濃い色の口紅を使うのに抵抗があったみたいです」
──若いときのメイクのトレンドから抜けられないのわかります! 私は15年以上涙袋に白いシャドウを乗せるのをやめられないです。

米澤先生「メイクをする人って自分がメイクを覚えた時代、つまり自分の原型が出来上がった時代のメイクを引きずりがちですよね」
──それはなぜですか?
米澤先生「癖もあるし、やっぱり10代から20代の自分に一番自信があったときのメイクですから。『私はこれ!』というこだわりもあります。トレンドはまた巡ってくるとはいえ、質感は微妙に違うので、今の雰囲気をまとわせたいなら、最新のアイシャドウを使ったほうがいいですよ」
──うう、難しい……! つけまつげもずっとやめられません。
米澤先生「マスカラもどんどん進化しているし、単純に新しいものを使ったほうが簡単に今の顔になれますよ。また、2010年くらいからはSNSの影響も大きくて、ひとつの価値観に染まらないというのはSNSの力が大きいと思います。
2000年代くらいから雑誌のジャンルをベースに『赤文字系・青文字系(※)』という言葉が出てきて、違うものが共存するようになりました。今はその対立構造もなくなって、ギャルや清楚系、地雷系まで、個人が好きなものを大切にするようになりましたね」
※赤文字系・青文字系:赤文字系は雑誌『JJ』『CanCam』などに代表されるコンサバ・モテ系ファッション。青文字系は雑誌『Zipper』『CUTiE』などに代表される個性派・カジュアル系ファッションのこと
──たしかに、昔より自分に合ったものを見つけやすくなりました。あとは、海外ブランドの流行もよくSNSで目にしますし、2000年代からはK-POP人気の影響も出てきましたよね。
色味と発色が気に入って購入したプチプラ韓国コスメ「BBIA」のチーク。うっすらピンクの透明パッケージは日本では見かけないデザイン
米澤先生「そうですね。2000年代から韓国美容が強くなってきて、SNSをきっかけに世界中に広まりました。『あのアイドルが使ってるコスメはなに!?』というのもネット通販を通じて探しやすくなったこともあり、韓国コスメを愛用する人も増えたと思います」
温暖化からAIまで──メイクの未来を予想

──今後のメイク流行って予想できるのでしょうか?
米澤先生「今はアプリやソフトで簡単に顔を加工できる時代です。化粧品も『アプリのフィルターみたい肌になれる!』『AIモデルのような肌』みたいなキャッチフレーズで売り出しています。普段見慣れた『加工した自分の顔』に近づけることが目標になるかもしれませんね」
──ちょっと不思議だけどわかります。そんな中でも、道具などメイクの方法が大きく変わることはないと思いますか?
米澤先生「あるとしたら、温暖化の影響とかですかね。汗を止めてくれる、肌を引き締めるとか、そういう化粧品が出てくる可能性はあります。ちなみに今、当たり前に言われている『美白』志向は、1980年代の終わりくらいに地球のオゾン層が破壊されて、有害な紫外線が地球に降り注ぐようになったことも影響しています」
──地球環境の変化がメイクに影響を!?
米澤先生「白肌が良いというのは、平安時代や江戸時代にも言われてきましたが、昭和には『夏は小麦肌がかっこいい!』というトレンドもあったんですよ。でも、90年代からは『紫外線をカットしてシミのない肌を』という流れになりました。
つまり、肌の色をめぐる価値観も時代ごとに揺れ動いてきたんですよね。また最近は、環境や動物に配慮した日焼け止めも登場していて、美の価値観だけでなく、化粧品そのもののあり方も変わってきていますね」

──そう考えると、プチプラメイクってただの節約ではなくて、環境や社会との幅広い関連があるんですね。
米澤先生「はい。化粧はただの『流行』ではないと思います。時代精神を表すものですし、自分の気分を上げるものだったり、自己表現だったり、そういったウェイトが昔に比べて高くなっていますが、日々を彩る楽しみとして、今後も拡大していくと思いますよ」
──ちなみに、AIや3Dプリンターが発達して、メイクをしなくてもいいよ! という時代が来たりは……?
米澤先生「もちろん、面倒な人は『それでいいや!』ってなるかもしれません。でも、メイクには工程を経ることで理想に近づく喜びがあります。どれだけ技術が発達しても、自分の手で化粧をする楽しみは、次の時代も残るのではないでしょうか?」
──時代は変わっても、メイクの文化は残るわけですね。
米澤先生「1000年前と変わらず、日本人はこの先も眉毛を書き続けると思いますよ」
──私たちのメイク探求はまだまだ終わらないのか……!
おわりに
プチプラメイクの流行は、ただ「安いから」というものではないことがわかりました。
社会的な出来事、ファッションのトレンド、環境問題まで、メイクの流行の背景にはさまざまなことがあったんですね。日々アップデートしながら、メイクを楽しんでいきたいと思います。プチプラコスメ、これからもお世話になります!
編集:吉野舞(Huuuu)
撮影:木村華子




































