こんにちは、ライターのコエヌマです。約280軒の小さな酒場が密集している新宿ゴールデン街で、バーを経営しています。

アングラ感が漂うディープな雰囲気でありながら、近年は観光地としても人気なこの街で、かつてアルバイトをしていた著名人がいます。それが―

 

歌集「サラダ記念日」などで知られる歌人・俵万智さんです。X(旧Twitter)でのポストがよくバズっていて、最近はそちらでも有名ですよね

※ちなみに! 今日、7月6日が! サラダ記念日です!!!

 

俵さんがゴールデン街で働いていたのは2002~2003年頃。ベストセラーとなった「サラダ記念日」は1987年初版発行なので、その時点ではすでに有名で多忙な立場……

一体なぜゴールデン街でバイトをしていたの? そこでどんなエピソードがあった?

当時のことや最近のSNSについてなど、話を聞きました!

 

サラダ記念日 (河出文庫)

生きる言葉(新潮新書)

 

 

「面白そう」とノリで店番に

ゴールデン街の僕の店に俵万智さんをお招きしました(右は筆者)

 

著名な方がゴールデン街に飲みに来ている、という噂はたまに聞きますが、働いていた方はさすがに少ないと思います。なぜ働くことになったのですか?

当時、客として『クラクラ』というお店によく通っていたんです。そこで働いていた山中桃子さん(イラストレーター・画家)が、「絵の仕事が忙しくなってきたから辞めるかもしれない、けれど後任がいない」という話をしていたので、「面白そう、やってみたい!」と。オーナーで俳優の外波山文明さんも面白がってくれて、月1~2回入らせてもらうことになりました

フットワーク軽すぎますね(笑)。ちなみに酒場で働いた経験はあったのですか?

全然! でも楽しそうだし、お酒は大好きだったし、外波山さんも知り合いだったし、軽い気持ちでした。当時は30代後半で、大人になった分、大人げないことをしてみたい、っていう思いもありましたね

未経験で戸惑ったことはありませんでした?

常連さんたちにすごく助けてもらいました。お客さんのボトルが見つからないときは、「そこだよ」って教えてもらったり。忙しいときにメニューの焼きうどんを頼む人がいたら、「うどんは切らしています、って言うんだよ」ってこっそり教えてくれた人もいました(笑)。シビアな雰囲気ではなく、みんな面白がって助けてくれる感じでしたね

ゴールデン街って本当にそんな雰囲気ですよね。新人スタッフが店番のときは、ビールとか簡単なものを注文してあげたりとか、優しいお客さんが多い印象です

離れた席のお客さんにお通しを出すときは、ほかのお客さんがバケツリレーみたいに順繰りに運んでくれるとかね。お客さんたちの連帯があるので、安心して働けました

俵さんが店番をするとなると、お客さんもそうそうたる方がいらしたのでは?

作家の柳美里さん、心理学者の故・河合隼雄さんなど本当にいろいろな方が来てくれました。おかしかったのは、歌舞伎役者の18代目の故・中村勘三郎さん。イタズラ好きな人で、私が働いていることを教えずに、劇作家・演出家の野田秀樹さんをクラクラに呼んでくれたんです。私が野田さんに「何飲みますか?」って聞いたら、「俵さん!? 何やってんの!?」って(笑)

レベルの高いドッキリだなぁ……

旧知の友達も来てくれて、いっぺんにいろいろな人に会えるのが楽しかったですね

 

文化人が集ったというゴールデン街の歴史を実証している、本当に豪華なメンバーですね。店番をしているときの印象的なエピソードはありますか?

私の顔を知っている人もそこそこいたので、お客さんから「俵万智に似てるね」って言われることがありました。あと、「短歌の活動だけじゃ食べていけないんだね、がんばって」って、高いボトルを入れてくれる方もいましたね(笑)

まさか俵さんがアルバイトをしていると思わないでしょうからね(笑)。酒場には酔っ払いがつきものですが、対応に困ったことは?

クラクラは演劇関係の人が多いので、この芝居は面白いとか面白くないとか、お客さん同士で議論になったことはありましたが、そのくらいかな。昔はケンカもあったとよく聞きましたけど、当時はそういうことはなかったですね。たまに困った酔っ払いの人が来ても、常連さんが追い出してくれました

常連さんはお店を一緒に支えている存在で、本当に心強いですね!

 

 

バイト代の使い道は

店番をしていて、どんなところが楽しかったですか?

たくさんありますが、お通しを作るのが楽しかったですね。スーパーで材料を買っていって、3種類の料理を20人分くらい作って。おかげで家で料理をするときも量が多くなりがちでした(笑)

手料理のお通しって、すごく温かみがありますよね。俵さんの手料理を食べていた当時のお客さんたち、うらやましい……

あと、中学のころの担任が農家をしていて、毎年新米を送ってくれるんです。そのお米が本当に美味しいの! 小さめのおにぎりにして、お店に置いておくと、お客さんたちは「飯で酒が飲めるか」って言うんですけど、一口食べたら美味し過ぎて無言になるみたいな(笑)。その姿を見るのも楽しみでした

それにしても、買い出しや料理など、本当にいちスタッフとして働かれていたのですね

そうなんです。18時30分くらいにお店のシャッターをガラガラって開けて、オーナーが来る23時か24時くらいまではひとりで店番をしていました。もちろん掃除や洗い物もしていました

俵さんは当時すでに超売れっ子でしたから、「特別扱いされなかった」のも心地よかったり?

はい。他のバイトの人たちと同じ仕事をして、同じ時給をもらうのが大事かなと思っていました。お客さんたちも私を特別扱いせず、「マッチ」って呼んでいましたから(笑)

ところでバイト代は何に使っていたのですか?

バイトが終わった後にゴールデン街で飲んで、タクシーで帰っていたので、バイト代が消えるどころか赤字でした(笑)

ゴールデン街で稼いだお金をゴールデン街で使うって、この街への愛をすごく感じる循環ですね!

 

お客さんとして飲んでいるときと店番をしているとき、同じお店でも見える景色は違いましたか?

カウンターの中から見るお店は、お芝居の舞台みたいだなと感じました

どういうことでしょう?

開店前にシャッターを開けてお店に入ると、誰もいないのでシーンとしているんです。そこへお客さんが一人、二人と入ってきて会話を始める。お客さんが出演者だとすると、その日限りの芝居をカウンターから見ているみたいな。すごく盛り上がる日もあればそうでない日もあるけれど、本当に一期一会というか、そのときにしかないやり取りを見られるのがすごく面白かったですね

確かに! 初めて会った人同士が話しているうちに、出身地が近いとか趣味が同じとか分かって、一気に仲良くなることも珍しくないですものね。もちろん常連さん同士の会話もあって、絶対に再演不可能なドラマが毎日のように起こりますよね。ちなみに、もしまた店番のオファーが来たら?

1日署長みたいな感じで、1日だけだったら楽しそうかなと思いますね

ぜひぜひやっていただきたいです!

 

コロナ禍、多くの酒場が営業自粛に追い込まれました。そのとき、俵さんがゴールデン街という言葉を入れて詠んだ短歌がとても印象的でした

濃厚な不要不急の豊かさの再び灯れゴールデン街

コロナ禍は不要不急なものが目の敵にされていましたが、「いやいや、不要不急がいいんじゃん」って。ゴールデン街がまさにそうですよね。今はコスパやタイパが重視されているけれど、大いなる無駄な場所にこそ、大事なものが転がっているかもしれない。そういう考えの人たちが、ゴールデン街でダラダラ過ごしていると思うんです

僕もそう思います。酒場で過ごす時間って、不毛なこともあるけれど、救われている人たちは間違いなくいます。酔っぱらって自由に語り合うことでストレスを発散して、日々の活力を養っている人たちも少なくないのかなと

そこがいいところですよね。私はゴールデン街でバイトをしていたので、コロナ禍で不要不急と言われて、あの人もこの人も苦労しているのだろうなと、具体的に顔を思い浮かべられる人がいた。私の中に、伏流水のようにあったゴールデン街への思いが、歌になって出てきたのかなと思います

 

 

ホストたちに短歌を指導

夜の街と言えば、俵さんは歌舞伎町のホストクラブで、ホストたちに短歌の指導もされていますね

そうなんです。指導者という立場で月に1回、もう7年くらい歌会(短歌の合評会)をしています

 

提供:Smappa!Group

 

ホスト歌会と他の歌会の違いは?

”飛ぶ”とか”姫”とか”シャンコ”とか、全然知らなかった業界用語がたくさん出てきたことが面白かったですね。あと、超初心者に短歌を教えるのも久しぶりで新鮮でした。「短歌は57577の31文字で作る」と教えたら、漢字も1文字と数えて、すごく長い短歌を作ってきたホストがいました。本当は平仮名で数えて31文字なのですが(笑)

※「飛ぶ=音信不通になる」「姫=女性客」「シャンコ=シャンパンコール」

ホストの皆さんは、短歌に真剣に取り組まれているのですか?

はい、みんなすごく一生懸命で、2020年7月には約70人のホストたちの短歌を収録した「ホスト万葉集」が出版されました。自分たちの作品が形になったことで、みんなすごく喜んでいました

「ホスト万葉集」、話題になりましたよね! とても面白かったです

ホスト万葉集 文庫スペシャル (講談社文庫)

あと、歌会をするうちに、連作(ひとつのテーマで複数の短歌を詠むこと)を作って短歌の新人賞に応募したい、というホストも何人か出てきました。ただ、連作は30~50首くらい作るので、自分の人生のメインテーマになるような題材を探す必要があるんです

ホストの方たちの人生のメインテーマ、気になります

震災で被災したこととか、幼少期に性的被害に遭ったこととか、ヘビーな内容になることも多かったですね。自分の中に深く刻まれているけれど、おそらくは言葉にしてこなかったことをテーマに選び、短歌にしたことで、彼らが過去を乗り越えられた感じがすごくあったんですよ

ホストというより、ひとりの人間としての魂の叫びが聞こえてきそうです

彼らを指導することで、改めて短歌はすごい力があると感じましたし、短歌の素晴らしさは作品を完成させるまでの道のりにこそある、とも思いましたね。自分が当たり前のこととして短歌を作っているので、忘れてしまっている部分を思い出させてくれました

 

提供:Smappa!Group

 

ちなみに新人賞の結果はどうだったのですか?

残念ながら誰も受賞はできなかったけれど、何度目かの挑戦でSHUNさんというホストが、角川短歌賞の最終候補になったんです!

え、すごいですね!

しかもSHUNさんは、歌集「月は綺麗で死んでもいいわ」を出版したんです。彼のようなモデルケースがいることで、ほかのホストたちも張り切って、後に続けと頑張っていますね

歌集 月は綺麗で死んでもいいわ

みんなすっかり短歌に夢中ですね。彼らの成長を見守るのは、俵さんもうれしかったり?

そうですね。歌会を始めたばかりのころは、「1000円前借りしておにぎりを買う」というような短歌を詠んでいたホストが、めちゃくちゃ売れっ子になって、最近は帯封(札束をまとめる紙)の短歌を作るようになっていたことも(笑)。短歌の成長もですが、彼ら自身の成長も見守っていますね

 

 

ネット時代の言葉とコミュニケーション

生きる言葉(新潮新書)

 

俵さんは2025年4月に「生きる言葉」という本を出版されました。なぜ言葉をテーマに選んだのでしょう

私は言葉が大好きで、言葉について日々いろいろ考えていたんです。インターネットやSNSで言葉を発信したり、会話をしたりすることが日常的になってきて、そこに面白さがある一方、問題点もある。この状況を私たちは避けて通れない、ではどうするべきか、と。他にも子育て、韓流ドラマ、ラップ、AI、歌会など書きたいことを書いていったら、みんな言葉に繋がっていってできた本です

SNS上でのクソリプへの対応も書かれていました。その対応は、ゴールデン街で働いたことで身に付いた部分もあったりもしますか?

言われてみたらそうかなと思います。酒場でも、クソリプ的なことを言う人はいっぱいいます。いちいち腹を立てていたら消耗するばかりなので、「このクソリプはこのパターンか」と、構造を見抜いて理解する。それがひとつの防衛法ですよね

ネットやSNSが広まったことで、コミュニケーションという観点から、どんなメリットとデメリットがあると思いますか?

本当に両面ありますよね。メリットは、どこにいてもいろいろな人と繋がれること。ゴールデン街は知らない人とも仲良くなれる場所ですが、すべての人がここに来られるわけではないですよね。でもインターネットのおかげで、すべての人が、場所を超えて仲間を作れる可能性がある。それはすごく良いところだと思いますね

ネットで同じ趣味や価値観の人と出会って、直接会ったことは無くても仲良くなる、ということは当たり前にありますものね

デメリットは、ネットのやり取りは顔が見えないので、言語だけのやり取りになってしまい、行き違いや誤解が生まれやすいこと。酒場で隣に座った人と話していると、表情や口調や声の大きさなど、言語を補ってくれる情報がたくさんあるので、コミュニケーションがうまくいきやすいですよね。

確かに、相手の方が楽しそうにしているとか、退屈そうとか、嫌がっていそうとか、汲み取りやすいです

「ダメだよ」という言葉でも、対面して笑顔で言えば、本当に怒っていないことが伝わります。けれどネット上で「ダメだよ」と言うと、言葉だけが届いてしまって、傷つけたり傷つけられたりということが起きがちです。そのことを念頭に置いたうえで、言葉を使うのが大事かと思います

なかなか難しい時代を私たちは生きていますよね。けれど、リアルな空間でのコミュニケーションについては、俵さんのゴールデン街でのバイトのお話からたくさん学べました!

生身の言葉が飛び交う空間は魅力的ですよね。もちろん、ネットにはネットの良さがありますが、面と向かって対話することは、貴重で大事な体験になっている気がしますね

本当にそう思います。今日はありがとうございました!

 

 

まとめ

さまざまな人たちが集って対話をするゴールデン街には、人気歌人が勢いで働いてしまうほどの魅力があります。けれどゴールデン街ではなくても、皆様の身近にもこのような場所はあるのではないでしょうか。酒場ではなく、喫茶店や銭湯やゲストハウスなどかもしれません。

私たちの生活とネットは今や切り離せませんが、顔を合わせて対話することは、時代がどのように変わっても大切にしていきたいと思いました。

サラダ記念日 (河出文庫)

生きる言葉(新潮新書)