11月の東京は「酉の市(とりのいち)」があります。酉の市で福をかきこむ「熊手」を買うんですね。私、ライターの大北(大阪出身)は東京に住み始めてこの熊手という文化を知ったものの、なじみもなくて横目に見ていました。

一方、気づけば熊手を買ってる地方出身者の知り合いも増えてきました。あれ、江戸っ子でない私でも買っていいものなんですね。

とはいえ何か自信がありません。熊手って一体何なのか。どう考えればいいのか聞いてみたいと思い、熊手を作ってる場所に来ました。

ということで練馬の住宅街に来ています。こんなところで熊手ができているんですね。株式会社イサオ商会の代表、片山裕彦さんにお話を伺いました。

山口出身の片山さんは義理の父である先代の熊手作りを40歳から手伝い始めた

 

熊手ってそもそもなんなんですか?

材料と完成品に囲まれたイサオ商会の作業スペース

──熊手はここで作られてるんですね。

片山:うちの商品はここでほぼ作ってます。材料は仕入れるけれども、基本的に社員全員で作ります。熊手全体でいえば一部中国から入れてるところもありますけどね。

──熊手を買ってる人が身近に増えてきた気もしてるんですが、酉の市へ行ったことがなくて。

片山:それは近くで見てみるといいですよ。売り買いのやりとりが非常に面白いの。このやりとりがなきゃお正月飾りみたいにスーパーで売ったっていいわけで、これがしたくてみんな神社の境内に来て買うんだね。

縁起物だから値札もなくて、お互いの話の中で値段が決まっていく。「いくらですか」「これ2万5000円ですよ」「少し安くならないの」「じゃあ2万円でいいよ」といった感じでね。「じゃあ、2万円でいいけど祝儀つけるから2万5000円払うよ」って人もいれば、なんかつけてくれって人もいるし、そんな会話を楽しんでる。

──価格交渉はやっていいものなんですね。

片山:これね、おもしろいのは売る人が喜ぶのは当たり前なんだけど、買う人も喜んでるんだよね。話がまとまったら手を叩いて締めてチャチャチャンとやると、大概の人がみんな笑顔になるの。こんなだから売る方も楽しいんだよ。

──なるほど、やりとりが「楽しい」ものかあ。

──熊手ってそもそもなんなんですかね。

片山:「福をかっこむ(掻きこむ)」ってことでね。歴史があるものなんだけど、そういう話はインターネットに出てきますから(笑)。最初に販売を始めたんじゃないかと言われてる花畑大鷲神社のような神社もあります。

※足立区花畑の花畑大鷲神社が酉の市を始め、江戸の人々に広がったと言われている

──熊手はお商売をやってる人が買うものなんですか?

片山:基本的にはそうだったんですけど、今はもう一般の家庭の人も、一般の企業も芸能人も買いますよね。

テレビ朝日の『マツコ&有吉の怒り新党』という番組に出たこともあるんですけど、マツコさんが薦めてくださって番組で一番大きい熊手を何十万という金額で購入してくれて、毎年飾っていただいてましたね。

 

一年間ずっと熊手を作り続けている

今の現場を仕切る桐野さんにもお話を伺いました

──ちょっと見せてもらいたいんですけど、ほんとにここで作ってるんですね。みんな立ってやってますね。

桐野:立って流れ作業で、しめ縄をやってる人はずっとしめ縄。基本的には担当が決まってます。

「岩」と呼ばれる箱状のものに刺していく

──今お忙しい時期なんですよね(※取材は11月下旬)。どういう年間スケジュールで動くんですか?

片山:うちは1年間ずっと熊手を作ってる。お正月も販売があってそれが1年の終わり。在庫整理をしてから色をつけたり染め物をする材料作り。4月の終わりぐらいから完成品にしていく作業が11月の酉の市の前日まで。

桐野:鯛みたいな紙ものを塗ったり、染めたり。昔、おにぎりを包むのに使われてた「経木」をおかめの頭につけてるんですね。これも染めます。自分たちの色で作ると他社と同じ型でも仕上がりが変わってくるんですよね。

おかめの頭の脇にある経木を染めたり、紙類に色を塗っている

──いろんな細工がある。しかし1年かけてとは、文化祭みたいな感じですかね?

片山:9月ぐらいから忙しくなって、そのまま酉の市に突入するのは、学校の文化祭で準備をしてやっと本番って感覚と似ているかもしれないね。やり遂げたという感覚はみんなあると思うんです。

──梅や松の枝とかも売ってるんですか?

片山:それは針金に紙を巻いてのりで固めて色をつけたもの。自由に動かせるように。

──手作りで針金曲げて作る感じ、ほんとに文化祭みたいでもありますね。

 

熊手は誰かが手作りしている

──こういう会社がたくさんあるんですか?

片山:東京で4軒で、うち個人が2軒。熊手が作られているのは埼玉県が多いですね。岩槻の人形屋さん(※さいたま市岩槻区は人形の町)とかがやられていたりね。浅草で販売してる人たちは、ほぼご家族で作って売ってるようなところも多いですね。

──まさに家内制手工業でやってるんですね。

片山:うちは先代が戦後始めた後発のメーカーで、今までと違う形の熊手だったんですけど、みんな真似して今は主流になってしまった。浅草なんかは従来の形のものが多いですけど。今また若い子たちが自分らで考えて新しい熊手を作ってるところです。

──基本的な熊手のデザインっていうのはあるんですか?

桐野:鯛がついて、松がついて、小判が刺さってっていう中に、その年その年の飾りが変わるのが従来の熊手のデザインですね。買われる方は毎年買いますし、同じ大きさを買う方もいらっしゃるので去年と同じってわけにはいかないので。

──熊手にはどういうモチーフを載せるんですか?

縁起のいい、いろんなものを熊手の爪でかきこんでるので。お金だったり、「めでたい(鯛)」だったり、松竹梅、福寿草だったりとかを載せます。

こうした小物は作ってる会社さんから集めてくる。鯛なんかの紙物はプレスする会社があるので、素材を買ってうちで塗る。同じ鯛を使っていても熊手との組み合わせ方で全然違う風に見えるので。

──キャラクターとか入れちゃってもいいわけですかね?

桐野:版権があるようなものはできないですけど、企業さんの特注品で「うちのキャラクター載せてください」という場合はありますね。商品のカップ麺を載せて、みたいなこともしました。

しめ縄を使うのがここの特徴で、今はしめ縄のほうが流行ってるそう

 

オリジナルがウケてはすぐマネされる熊手の世界

──イサオ商会さんが広めたデザインというのはどういうところですか?

桐野:うちの特徴で言えば、しめ縄がついたものですね。今では一般的になりましたね。

小判の連なりの奥行きある配置としめ縄のボリューム感が現在の特徴だそうだ

熊手の中央付近にある「お神輿」は、オリジナル商品でプラモデルとしても売られている

片山:お神輿載せ始めたのもうちが最初。このお神輿ね、プラスチックの金型から起こしたオリジナル。

──えーっ、じゃあプラモデルを1つ特注するようなものですよね。

桐野:実際にプラモデルとしても販売してますね。

片山:毎年300個とか400個とか使うんで。

──なんと! それだけ注文数があったら普通のプラモデルのレベルですね…!

五月人形で使う屏風を使い始めたのもここ

桐野:これも元々は五月人形とかの屏風なんですよ。うちが最初に使い始めて、みんな熊手に使い出した。あれが売れてるならうちも作ろうってなるので。その先を考えていかなきゃいけないですけどね。

──伝統的なおめでたいものってそんなにたくさんあるわけでもないですもんね。

 

江戸の文化が広がり、いまや外国の人も来る

──私は大阪出身で、酉の市も熊手もあまり知らなくて。江戸の文化なんですかね。

片山:大阪は「(商売繁盛)笹持ってこい」のえびす講で熊手を扱いますね。関西の熊手って爪の向きが逆なんですよ。

でも基本は関東でしょうね。東北や北海道にはこういう熊手の文化はなくて、東京からの流れだと思います。うちの商品を扱ってみたいんです、と北海道から注文が入ったり。

──酉の市の規模でいうと、新宿の花園神社が大きいですか?

片山:そうですね。あとは浅草の鷲神社が大きいですけど、小さい市もあれば色んな土地で開かれてます。うちの商品はかなりの神社に入ってる。境内で出店する人たちが、うちに仕入れに来るんです。

酉の市に出店してる皆さんは、普段は露店を出してたりする、神社との繋がりがある人。うちも先代が境内へお店を出せるようになって、自分たちで作ってみようと思って熊手を作ったのが今の始まり。

当時は近所の人に内職みたいにしてもらってたけど、法人化して今10人ぐらいは正社員でいます。みんな辞めないんですよね。女の子で美大を出た子もいるし、外語大学を出て英語ができる子もいるし。

辞めない人が多い職場

──このご時世だと、英語をできる人がいるといいですか?

片山:そうですね、今年は特に外国のお客さんがものすごく多い他の店にも通訳として駆り出されてますよ。今までは外国の人も熊手を全く知らない人たちばっかりだったんだけど、最近はわかってて買いに来る人たちもいる。

 

今は起業する人が増えて熊手需要も伸びた

──外国の人も買うとは。他にもお客さんに変化ってあります?

片山:昔は熊手って年配の商売人のほうがよく買うものだったんですけど、代替わりして買わなくなるパターンが10年ぐらい前までは多かったですね。

ところがここに来て、20代30代で起業する人たちが増えたんです。IT関係とか若い起業した人たちが熊手を買いに来てる今すごく販売は増えてると思います。

──へー! たしかに、そういう「自分で商売をする人」は増えてるかもしれない。

熊手のほかにも、雛人形や正月飾りみたいな間際になって必要になる季節のものを「キワモノ」っていうんですけど。キワモノの中で伸びてるのは熊手だけでしょうね。

雛人形なんかと違って熊手は毎年買い替えるし、お正月飾りは7日間ですけど、熊手は1年間「来年もうちょっと大きいのが買えるように」と思いながら商売を頑張るものですしね。

──そうか~、起業した人は大きくなっていきたいと思うだろうし、個人商店よりもその気持は強いかもしれないですね。買い替えるときにちょっとずつ大きくするのも風習ですか?

片山:と言われてますけど、お客さんには「商売でいいことがあったら熊手も大きくすればいいんじゃないですか」って話しますね。置ける場所だって決まってるんだから。自分の気持ちのものだしね。

珍しいパターンでは例えば1万円の熊手を毎年買ってたけど、会社も大きくなったので同じものを5万円で買いたいと。これを買って商売がよくなったんだから、買う金額だけ増やしたいという人たちもいる。

──コスパが叫ばれる世の中で、ここだけ変なことが起こってますね。

 

気持ちをベースにした市場原理が酉の市にはある

一番大きなものはこのタイプだが、特注品で幅2mサイズのものも作ったりするそう

片山:一方、すごく値段をまけてくれという人もいるからすごくおもしろい。でもね、熊手を買ったから商売がよくなるわけじゃないんですよ。熊手を買ってなんとか頑張ろうと努力してよくなってる。だけども熊手のおかげと考えてくれる人たちが多いんですね。

だから酉の市でも縁起のよさそうな店や、元気のいいお店で買いたいって傾向があると思いますよ。

──気持ちのビジネスだ。熊手を巡っては一般のお店とは全く違うルールが動いてますね。

片山:売り方も時代とともに変わってきたと思うんです。例えば20〜30年も前だといかつい職人さんが作ってるとこがよく売れていたのが、今は明るく売ってるとか、若い子が売ってる店のほうがお客さんも寄りやすいというのもあると思う。求め方も違ってきてるのかなという気はしてます。

──あー、運がどこから来るのかのイメージが変わってきてる。なるほど、おもしろいですね。

たまたま作業をしていた社員の菅沼さんにも話をうかがいました

──売るほうとしても、元気よくやったら売れるなとか、実感ありますか?

菅沼:新宿の酉の市に来られる方って、買うと決めてる人と遊びに来ただけの人がはっきり分かれてるので。営業トークで売れたと思うことは少ないですね。

片山:浅草は歩いてる人にどうぞ買ってよってやるけどね。場所によって雰囲気や文化みたいなものがあるんじゃないかな。

──いざ買うとなったら「ご祝儀」の文化がよくわからなくて尻込みしてしまいそうですが。

片山:祝儀は基本的に、お店が言った値段に揃えるのがルール。3万5千円の熊手を3万円にまけさせたら「5千円は祝儀で」って。だからいくらまけさせてもいいの。

──なるほど。究極は「祝儀で3万4千円やるから千円で買わせろ」っていうのもありなわけですか?

片山:ありですよ。「じゃあ千円で」って祝儀を払わず帰る人はいないから。それで手を叩く時に「ご祝儀いっぱいいただきました~!」って言うとお客様が喜ぶわけですよ。そういうやりとりがしたくて買ってるわけですから。

──まけるっていうのは、まとめていくらって話でもないんですかね。

片山:手作りだと1本も100本も変わらないんですよね。1本1000円のものを「5万本頼むからいくらになる?」って聞かれたら「ものすごい大変だから1本1500円でいいですか」って言っちゃいますね(笑)。

 

絶滅したと思われた江戸っ子を今でも見られる場所

──熊手を売ってて他とは違うなと思ったことあります?

菅沼:こんな江戸っ子みたいな人が実際にいるんだ、って驚きますね。

普通の生活では「この人江戸っ子だな」とか「粋だな」と思うことってそうないですよね。お客さんだけでなくて、売り子のおじさんたちもそうなんですけど、酉の市では粋なことをする人がたくさんいる。

──たしかに実生活で江戸っ子を見た覚えはないですね。

菅沼:お釣りいらないとか、スーパーマーケットでは見られないですもんね。酉の市のお客さんがそういう風に振る舞うのは、やっぱり東京でやってる酉の市だからじゃないですかね。江戸時代から続く文化のものを買うんだったら、江戸っ子っぽく振る舞おうって。

──埼玉で熊手を売るとまたちょっと違います?

菅沼:熊手そのものが江戸の文化なので、それにならわれる方が多いですけど、どちらかというとお家とか会社に置くものを年末の催事としておだやかに買われる方が多いかな。

新宿の酉の市で特徴的なのが、個人で居酒屋さんや小料理屋さんをやられてる方が常連さんを連れてきて、常連さんがお金を払ってお店用の熊手を買われることが多いです。

──常連さんが粋を見せるんですね。縁起物という物理的に役に立ったりしないものを売ることに対してはどう思いますか?

菅沼:子供の頃から親に連れてこられてた方、何十年も買われてきた方にとっては、家電以上に必要だったりするものだと思ってますね。それこそ埼玉の方で多いですよね。子供の頃から親に連れられてきて、大人になって自分が会社を建てて。もう熊手が家にあるのが当たり前になってる方は多いですね。

──熊手を買うということがどういうことなのか分かってきました。どうもありがとうございました。

 

おわりに

私の周りでちらほら見かけた、地方出身者だけど熊手を買っている人はこういうことだったのかとようやく腑に落ちました。いつ東京の人間である自覚を持つのだろうと思ってましたが、熊手を買うのはそのきっかけになりそう。

三代続かないと江戸っ子にはなれないというし、そうであるならばせめて敬意を持って江戸っ子を演じてみるのはよさそうです。スーパーで「釣りはいらない」はハードルが高いので、酉の市に行ってみます。

取材協力:江戸熊手職人中村屋(イサオ商会)

https://www.edokumade.com/

※2024年11月の新宿花園神社酉の市では、50番と51番にイサオ商会さんのお店が出ているそうです。次回は11月29日(土)に開催!

写真:明田川志保