ライターの大北です。私は今、富山県の南砺(なんと)市にある福光という地域に来ています。石川県にも近く、砺波平野の南端あたり。
ここは日本一のバットの名産地なんです。
冒頭の写真はエスオースポーツ工業さんの一角にある、使い終わったバットを納めるバット供養神社みたいな場所
バットの名産地ってなんでそんなところにあるの? 野球中継が少なくなってるけど、そもそもバットって今どうなってるの?
気になってるところを聞いてきました。そうしたら、バット界隈自体はやはり縮小傾向にあるそう。でもYouTubeやInstagramによって、バット会社は新たな道を模索しつつあるんです。
そんなことになってるのか、バット職人の今! ではどうぞ!
富山県の木工の街で日本のバットが作られていた
エスオースポーツ工業の中塚陸歩さん(34歳)は姫路出身。23歳でバット職人を志してこの会社に来た
──富山のこの辺りで日本のバットを作ってるんですね。
中塚:そうですね。ここは木製バットの日本一の生産地。 ピーク時は11社あって全国の7割ぐらいのシェアがあったんですけど、 今は5社になって、全国4割ぐらいのシェアと言われてますね。
やっぱり金属バットが現れたり、野球人口自体が減ってきたりしてね。
砺波平野は散居村(田園地帯にぽつぽつと家がある)で有名。そんな中にエスオースポーツ工業がある
──どうして富山でそんなにバットを作ってるんですか?
中塚:山に囲まれて、もともと木工が盛んなんです。近くの庄川にはお皿やお盆とかの挽物(※ひきもの/ろくろを回して木を加工する製品)の職人さんがいたり。その隣の井波は全国的に有名な彫刻の町。元々はスキーの板を作ったりしてた中で、バットを見つけてきて。丸く削るだけやからと持ち込んでやり始めたのが始まりと聞いてますね。
この辺りは日本海側で、湿度が高いから木を加工するのにいいというのも聞いたことがありますね。乾燥してると木が割れるんですよ。あとは北海道からアオダモという木材を持ってきて大阪とか東京の販売先に行く際、中間地点で富山がちょうどいい場所にあったとか、諸説ありますね。
福光駅近くには南砺バットミュージアムがある。展示によると北海道移住者が福光地域に多かったという説もあるそうだ
──昆布みたいですね。北海道から沖縄へ運ばれた昆布ロードの中継地点は富山で、昆布の消費量も多いみたいですよ。
中塚:そうですか(笑)。北海道のアオダモがバットに一番適してると言われてたんですけど、70年とか80年かけて育った木からバットが何本とれるかといったら、10本前後。木の成長に対して、木材として消費する量が追いつかなくなったんです。
今はメイプルという木に変わって、状況も落ち着いてますね。とはいえ輸入木材なので、直近では為替とかでえらいことになってますけど。メイプルは硬くて重くて手触りもいい木なんで、楽器も家具にも使われるから値段も高いですね。
──日本のバットの評価ってどうなんですか?
中塚:あまり輸出はしてないです。基本的にアメリカが本場な世界なので。比較的多く輸出されてるのはノック用のバット。ホオノキ(朴ノ木)という軽い材料を使うんですけど、日本特有の木なんです。
バットミュージアムから。上からアオダモ、メイプル、ホワイトアッシュ……
今、バットは誰が買っているのか?
──木製バットって誰が使うんでしょう。高校生までは金属バットなんですか?
中塚:そうです。昔は社会人野球も金属バットを使う時代があったんです。その前は全員、木製やったんですけどね。技術がないとバットが折れてしまうんで、経済的なこととか、そもそも木がないとか環境的な理由で金属バットに変わったんです。
──プロ以外の全員ほぼ木製から金属に。産業として変化が大きすぎる……厳しい世界ですね。
中塚:あとは公園で野球やバットを使う遊びが禁止だったり、子ども自体が減ってますから。なので福光にあるメーカーも5社にまで減ったんです。
でも最近はまた流れが変わりつつあって。大学、社会人、プロは木製バット。高校野球もこの春から金属バットの仕様が変わって、木製の方がいいんじゃないかと木製バットで臨む選手も出てきた。彼らがいい結果を出したんで、木製の問い合わせが増えましたね。
小学生の軟式野球もよく飛ぶ高反発バットというのを使っていたんですけど、飛びすぎてボールがグラウンドを越えてしまうから禁止になるところも出てきたんです。ボールの方も硬式に近いものに変わったので、そしたら木製の方がよく飛ぶんじゃないかと木製の注文が増えてきてますね。
──ルールや仕様にめちゃくちゃ左右される業界なんですね……!!
中塚:そうですね。売れてたモデルが見向きもされなくなったりしますね。最近はYouTubeなどで情報がたくさんあるから特に動きが激しい。野球YouTuberの方がたくさんおられるんですよ。上手くなるための理論を広めたりね。
左上の一本のような変わった形のバットがYouTuberの手で人気に
中塚:人気のある野球YouTuberの方は、オリジナルのトレーニングバットを作って売られてますね。1人が始めて、他もみんな出し始めて。とはいえ大量生産するわけではないから、金型が必要な金属バットではなく、1個から作れる木製で作るんです。
昔は普通のバットの形なのに1kgとかの重たいトレーニングバットとかね。けっこう売れましたよ。今は従来にはない形のバットに色んな理論付けをして、トレーニングバットとしてどんどん出してるんです。普通の形のトレーニングバットは、今あまり売れないですね。
──なんと! 野球YouTuberによる変形バットブームがあるんですね。
中塚:売れる時はバーンって売れるんですよ。じわじわ売れるとかじゃなくて、動画が出たら一気に何十万人が見るんで。こっちが注文にパニックになって必死に作ってたら一気に波が引いて「在庫どうしよう」ってなることもある。
それでもまた次のやつ、その次のやつ、とどんどん変わっていくんで。動きが読めなくて怖いところもありますね。
──福光エリアの他のバット会社も、一般の方向けのオリジナルバットを作ってるんですか?
中塚:うちは「SOスポーツ」というブランドも持ってますけど、一般の方をメインにしてるのはもう一社くらいですかね。他は大手さんの仕事を中心にやられてるんじゃないでしょうか。
──野球用具のメーカーって、どこも大きそうですね。
中塚:自社工場を持ってないところもありますから。うちも大手メーカーさんの仕事をしてたので、10年くらい前までは取材もNGでしたね。ここって日本一の木製バットの町なのに、あんまり情報がないじゃないですか。皆さんHPも持ってなかったり。
「自慢の手削り」と書いたのれんが並ぶ。農産物のようだがバットだ
──みなさん、下請けメーカーとしてバットを作ってたんですね。エスオースポーツ工業さんのバットはどこで買えるんですか?
中塚:基本的には店に卸してなくて直売だけですね。ここに来ていただくか、インターネットで注文受けて1本ずつ発送してます。
大手メーカーさんの下請けだと、向こうの方針で例えば製造工場を移転するとなったら、注文数も100%が0%になってしまいますよね。いい時はいいけど、今後はそういう時代でもない。せっかく手に技があって今はネットで繋がれるんやから、個人の仕事でやっていこうと、今の社長がね。周りと同じことやると価格勝負になってしまいますしね。
全自動でバットを削る機械。何百本と量産できる
手で削るのはバット生産地でも一社のみ
中塚:福光の5社あるメーカーの中でも、うちは唯一、手削り。昔からの職人の手削りを残しとったんですよ。他は全自動の機械ですね。
機械だとデータを作成したり、スキャンして同じものをコピーしてアレンジ加えたものがその通りに出てきたりするので、量産できます。でも、1本単位で細かい修正をするのは時間もお金もかかる。塗装も1本ごとにやるには一回一回色を変えたり、洗浄したりで大変なんですけど、うちはそれをやってます。
塗装も一本、一本やっていく
──手削りだから変わったバットも作ることができるんですね。
中塚:直売をはじめて10年経ったんですけど、やっとそこそこ認知されて、安定して注文が来るようになりましたね。直売だけではしんどいんで、色んなメーカーさんの仕事もOEMでやってますけど。
基本的にはバットですが、今はゴルフ屋さんからゴルフの練習器具の注文があったり。太鼓のバチ、蕎麦屋さんの綿棒、お寺の擬宝珠(ぎぼし)という柱の飾りを作ったりね。寺の改修工事をするのに、探しても作れるところがないらしいんですよね。
お寺の擬宝珠。木を回転させて削るものならなんでもやるらしい
──そんな需要も! どうやって認知されていったんですか?
中塚:一般のユーザーの方が口コミで宣伝してくれましたね。ブランドを作ってオープンしても知る人ぞ知る場所だったんですけど、だんだん広がって、近いエリアの人が来るようになったんです。
数年前からインスタとかを始めたら、休みの日にはもう沖縄とか九州とか北海道とか、全国からお客さんが来てくれるようになった。夏休みの自由研究として、工場見学を兼ねて家族でいらして頂いたり。
SNSだと自分の知り合いだけじゃなくて、もう世界中に発信してくれるわけじゃないですか。そうやって露出が増えて取材や野球関係の人も来るし、情報をオープンにするほど、お客さんに広がっていく。
記念写真用に超巨大バットを置いていたり
中塚:でもそうやって来てもらったお客さんにマイナスなイメージを与えてしまうと、それも広まっちゃうので、リスクでもありますね。10年かけて積み上げてきたものが一気に壊れちゃうから、そこは誠実にやってます。
バット職人に必要なのはコミュニケーション
──もともとは「隠れバットの里」みたいな場所が、今は逆にオープンっていうのはすごい様変わりしてますね。
中塚:元々いた職人気質の従業員たちの間には、お客さんとどう接したらいいか、戸惑いもありましたね。
僕が1年目のとき、気付いたことがあって。最初のお客さんに付いてお話を聞いて、でも僕は1年目でまだ削れないから削る段階で先輩に変わったんです。そしたら「あの人には自分の思いが伝わってない気がする。中塚君が削ったものなら少々の誤差があっても自分は文句言わんから」ってお客さんに言われて。
中塚:僕も職人の仕事は黙々と間違いないものを作ればいいと思ってたけど、職人の仕事ってお客さん、選手とのコミュニケーションが大事なんやなって気付かされましたね。オーダーメイドだから特に信頼関係が大切です。
──へえ! コミュニケーションの仕事になってくるんですね。
中塚:というのも、特にバットについてのやりとりってすごく感覚的なものなんです。
お客さんもどういうものを求めてるのか明確に言葉で表現できないし、こっちもできない。「なんとなくわかるから、そんな感じにしとくね」というような世界。ニュアンスをくみ取る必要があるんです。お客さんも何ミリ削ったらどうなるかわからないですしね。
──僕が思い描いてるのは長嶋ですけど、野球選手は感覚的な人も多そうですね~。
中塚:バットって、木目の流れ、節の位置、全部が1本1本の木によって違うんです。木を選ぶところから始まるんですけど信頼関係が築けてないとそこから疑われてしまいますから。「この職人さんが選んだんなら」と思ってもらわないといけない。
特にうちの場合は、個人のお客さん向けにオーダーをやりますからね。
──オーダーってどんな感じなんですか?
中塚:バットって好みがみんなバラバラなんです。なんでもできますよって言うと、逆にみなさんどうしていいかわからなくなる。
たいてい数パターンから選んでいただくんですけど、少し軽くしたり補足したりの微調整はありますし、中にはこだわってここは何ミリと指定してくる方もいます。
「目利きが基本にあって、目利きをしながら削っていくんで、それが1番難しい」というバット作り。グリップ側の見えてないところに節があればそれだけでダメ。木材のどちらをグリップ側にするかは目利き次第
木材の半分以上は削って木くずになるという。その再利用にも今は動いているそうだ
──バットを削るのって、すごい勢いで木くずが出て気持ちよさそうですね。
中塚:できるようになったら気持ちいいですけど、最初はこんなに丸くもならないんで。ガタガタになって、もうストレスしか溜まらないですよ。
僕は最初、23歳のときに富山へ来たんですけど、別に一緒に遊ぶ人もいないし周りは田んぼしかないから、休みの日でもバットを削ってました。この辺りの土地には、富山らしいのんびりしたところがありますね。時間の流れが違うし、誘惑もないし。
バット職人になるために何度も富山に通う
──中塚さんは、どうしてまたここでバット作りを?
中塚:ものづくりがそもそも好きだったんです。高校のときはゆるい野球部で、学校に落ちてた木をバットの形にして練習で使ったりしてたんですよ。
──『プロゴルファー猿』みたいですね。
中塚:高校を出るとき、ものづくりが好きだから進路希望の紙に「花火師」って書いたんですよ。そしたら先生に呼び出されて「ふざけるな」って言われてね。結局、鉄道会社に就職したんです。しばらくして「やっぱりものづくりをしたい」となった時にはもう花火の熱は冷めてたんで、バットに(笑)。
バットなら富山だと聞いて、電話で問い合わせしても断られると思ったんで、直接、富山に行きましたね。そのときは、この会社もどん底の時やったんです。
「他にもっといい仕事があるから」と断られて、その後、半年くらい毎月電話したり、手紙を書いたり、直接来たりもして。断られ続けた末に、ようやく入れてもらえました。
──入門にそんな根性を発揮しないといけない世界だったんですね……!!
中塚:僕は高校の時に自分を貫けへんかった後悔がずっとあったんです。先生も周りもみんな反対するし、自分もフェードアウトしたけど、もしそこで貫いてやっとったら同じ人生やったんやろうかってずっと考えてたんですよ。
レーザーでバットに刻印する大きな機械も中塚さんが提案して導入してもらったそうだ
──今後はどんなことをされるんですか?
中塚:究極で言えば、お客さんの目の前でフィーリングを試してもらいつつ削るのがほんまのオーダーメイドかなと思うんです。「あと何ミリ」とかみんな感覚がわかっているわけではないんで。でもそれをやるにはお金も多く頂くことになるし、お客様としっかり向き合える体制を整えないといけないですね。
そしてバット神社が建立されるまでに
バット職人の里は、忍者の里みたいに下請け仕事でひっそりコツコツバットを作ってきたようです。でも、インターネットの波はバットの里にも。今やバット職人はコミュニケーションの仕事でもある。意外でした。ものづくりの職人といっても、今やこういうことになっているんですね。
<取材協力>
・バット工房 エスオースポーツ
https://so-sports.net/
・南砺バットミュージアム
https://nantobat.jimdofree.com/